平成のワトソンによる受難の記録   作:rikka

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089:2001年8月20日

――どうして……どうしてっ!

 

 

 どこか虚ろな感覚の中、女性の声が響く。

 一瞬、誰の物か分からなかったが、頭の中で反響するその声を何度も聞くうちに分かった。

 これは、自分の叫びだ。

 

 

――どうして私を死なせてくれないの! そこまでして、どうしてっ!

 

 

 目の前にいるのは、赤く輝く男だ。

 比喩ではない。

 本当ならば自分がこの身に浴びるべきだった炎を身にまとい、男は笑っている。

 

 

『どうして? んなの決まってる。アンタがいい女だからさ』

 

 

 まるで熱など気にならないとばかりに笑う男は、平然とそう(うそぶ)く。

 

 

『本当にいい女のためなら無茶の一つ二つ、ついついやりたくなるのが男の(さが)なのさ』

 

 

 燃え盛る衣類をそのままに、男は髪をかきあげる。

 

 

『きっと、アンタの想い人もそうだったんだよ』

 

 

――っ! 知ったふうな事を言わないで! アナタは、なんにも知らないじゃない!

 

 

 彼と共に来ていた小学生くらいの眼鏡の子供が、慌てて周りの大人や高校生に何か指示をしている。

 そうだ。このままではこの男が燃え死んでしまう。

 それも、自分のせいで。

 それも、自分をかばって。

 

『アナタのその手を、汚させるわけにはいかねぇ』

 

 だというのに、足や腕はおろか、指一本動かない。

 そして眼も、その男から離せなかった。

 

 かつて、自ら放った炎から自分を救ってくれた人。

 そして、自分を置いて逝ってしまった人。

 一瞬。そう、一瞬だけなぜか。彼の姿が眼の前の男と重なったから。

 

 

『……ひょっとしたら、アンタを止める権利なんて俺には無いのかもしれねぇけどさ』

 

 

 呑気なのか、あるいは剛毅なのか。

 燃えながら肩をすくめ、男は言う。

 

 

『そして、こいつも俺のただの我儘だ。美人の死ぬ所なんざ見たくねぇ。どうしても死にたいって言うんなら――』

 

 

 

 

『俺を殺してからにしな』

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

 毛布のふくらみがピクリと動き、ベッドと毛布の隙間から細い女の手が出る。

 

「……また、あの時の……」

 

 女――日向幸は、ベッドに横たわったまま右手を額に乗せる。

 あの時、一か所だけ自分が火傷を負った手に。

 

「――どうして」

 

 夢の中と同様に、女は問いかけていた。

 隣の部屋で熟睡しているのだろう、自分を死なせてくれなかった今の上司(ボス)に。

 ふと、今ならば死ねるのではないかと思った。

 今いるのは鈴木財閥が用意した大阪のホテル。

 この部屋には何もないが、持ってきている物を使えば自殺は容易いだろう。

 

 ふと、スーツケースの方に目をやる。

 もしも汚れたり、紛失した時のための浅見透の予備スーツはそこに入っている。――ネクタイも。

 

 

――なぁぁぁお……

 

 

 だが、そのスーツケースの上には彼がいた。

 特別にホテルの中に入れさせてもらった、上司のペット――いや、相棒。

 

 雑誌等の写真ではいつも彼の肩に乗っている白い猫が、気持ち良さそうに横倒しのスーツケースの上でゴロゴロしている。いや、していた。

 今は、まるでスーツケースを守る様にじっと座って、まっすぐ女の目を見つめていた。

 

「……本当に、この事務所は猫まで……」

 

 ベッドから抜けだし、下着だけの身体に浴衣を適当に羽織り、スーツケースの元まで歩いていく。

 白猫――源之助は微動だにせず、真っ直ぐ女を見つめたままだ。

 

「大丈夫よ。貴方のご主人様に言われたもの」

 

 その猫をあやすように、そっと女が手を差し伸べる。

 

「私が自分の命を絶つ時は、あの人を殺した時。死んだ時」

 

 女がそう言うと、猫は少しだけ息を吐いて――ひょっとしたら、呆れているのかもしれない――女の指先をチロチロっと舐める。

 

「だから、今は大丈夫」

 

 それに、きっとあの男は死なない。

 その背に誰かを背負っている限り――決して。

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

「まったく、高校生を晩酌に誘うなよなー」

「大丈夫大丈夫。ほら、飲ませてないじゃん」

 

 幸さんは先に寝るって言ってたし、部屋も次郎吉の爺さんが人数分取ってくれたし、ある意味で気を使う必要なし。

 幸さんの事がちっと気にかかるけど、まぁ源之助がいるし大丈夫だろう。

 

「まったく。ボスってば、家だとあんまり飲めないからって……」

「おかげで色々大変でなぁ。……哀も桜子ちゃんも手厳しい」

 

 ホテルの部屋に備え付けてあったお茶菓子を齧りながら、真純はソファに深々と腰を下ろしている。

 

「にしても、グアムの次は大阪か~。まったく、浅見探偵事務所は大忙しだねぇ」

「今度は仕事じゃないけどな」

「でも、ボスには因縁のあるお宝絡みの用事なんだろう?」

「ん、まぁな」

 

 といっても、正確にはこっちに因縁があるのは夏美さん。そしてあの時調査に出ていた安室さんやふなち達、そしてコナンだ。

 

「しっかしまぁ……まさか俺がキッドに関わる事になるとはねぇ」

「お休みは遠いね、ボス」

 

 いや、まぁ俺にとっては別にいいんだが……むしろ真純には悪い事をしている気になる。

 先日のグアムの件もそうだけど、さすがにそろそろ仕事を絞らないといけない。

 問題は、ここ最近の仕事が微妙に断りづらい所からばっかりなんだが……、

 

「でも意外だね。キッドキラーで有名なコナン君の事もあるし、もうボスはキッドの事件には関わってると思ってたよ」

「あぁ、いや。朋子さん――会長夫人から依頼が来た事もあったんだけど……最近では次郎吉の爺さんがキッドにご執心でね」

「次郎吉相談役は、ボスに依頼しないのかい?」

「自分の手でキッドを捕まえたいんだってさ」

 

 安室さんが言ってたっけな。

 多分キッドを捕まえて俺と新聞記事で並びたいんだろうって。

 おっと、携帯が震えてやがる。

 

「おっ、七槻さんから?」

「いや、コナンからだ」

「コナン君から? なになに、なんて?」

「ちょっと待て。えぇとだな……」

 

 やはり、真純はえらくコナンに対して興味があるようだ。

 コナンが小さくなった高校生だって事に気付いているのか、あるいは工藤新一に出会っているのか。

 

(あのクソロン毛の仲間って訳ではなさそうなんだけどなぁ……)

 

 俺の手足ぶち抜いた後で心臓狙って何発か喰らわしてきやがったクソの顔が浮かぶ。

 あの細工した名刺入れがなかったら普通に死んでいた所だ。

 あのクソ野郎。二回ほど心臓止まった瞬間が分かったぞクソが。

 どう考えてもコナンが相手をするべきメインの敵だったから逃走を最優先したけど、次会ったら本気で相手してやる。本気でぶっ飛ばしてやる。

 

「どうやら、コナン達も大阪に来るみたいだな」

「ホントか?!」

「あぁ。どうやら鈴木会長が小五郎さんに協力を要請したみたい。園子ちゃんと蘭ちゃんも一緒にこっちに来るってさ」

 

 正直、滅茶苦茶安心できる。

 なにせキッドの事件だ。人死にはまずないだろうし、加えてある意味で安全圏の蘭ちゃんと園子ちゃんが一緒に来るのだ。

 どうやら、今回は完全に休暇モードでよさそうだ。

 

「今回も、事件に加わるどうこうっていうよりセレモニーへの参加依頼だからな。正直、気楽でいいと思うよ」

 

 真純のドレスも今仕立てているし、明日の昼過ぎには出来上がるだろう。

 そっから着替えて、ヒールを履いた事がないっていうからちょっと歩き方の訓練に付き合って……まぁ、パーティが始まる夕方には間に合うだろう。

 

「ぼ、ボクにあんなドレス似合うかなぁ……?」

「や、似合うだろ。真純は自分が可愛い方に入るって事を自覚したほうがいい」

 

 ホントにね。

 俺の中ではかなり上位に入る美少女だと思うんだけどなぁ。

 蘭ちゃんとか園子ちゃんとはタイプ違うけど。

 強いて言うならウチの楓とか、家庭教師していた和美ちゃんに近いタイプだ。

 

「……でも、この間の週刊誌だとボクって浅見探偵事務所期待の新人『イケメン』探偵らしいよ?」

 

 なんでイケメンを強調したし。

 なんで俺を睨むし。

 なんで俺の腕に爪を立てるし。

 

 や、気持ちは分かるけどさ。

 

「半端者ってのは、本当にいい女ってものを知らないのさ。良い女じゃないと、良い男を知らないようにな」

 

 こう言えば納得するだろう。

 真純の奴、性差を気にしないアピールをいつもしてるけど、つまりは逆に滅茶苦茶気にしているってことだ。

 なんだろう、なんか嫌な事でもあったのか?

 良い女なんだから堂々としていればいいと思うんだけどなぁ。

 

 なお、真純はちょっと赤くなった顔をポンポンとはたきながらどうにかいつもの笑みを浮かべようとしている様子。

 

(……この子、本当に褒められるのに弱いなぁ)

 

 ある意味チョロそうで先が不安になる。

 もうちょっと慣れてくれないと困った事になりそうなので、これからもこまめに可愛い可愛いと褒め倒していこうと思います。

 やりすぎると顔押さえたまま「この人めんどくさい」とか言われるけどそれでいい。

 たまにメアリーに突っ込み喰らうけどそれがいい。

 

(さて、とりあえずキッドの方はどうしたものか……)

 

 会長――史郎さんから届けられた予告状のコピーを取り出す。

 

 

『黄昏の獅子から暁の乙女へ

 秒針のない時計が12番目の文字を刻む時

 光る天の楼閣から

 メモリーズ・エッグを頂きに参上する。

 

      世紀末の魔術師 怪盗キッド』

 

 いかにもキッドらしい文章だ。

 

 和むわぁ。これすっごく和むわぁ。

 

 基本キッドが予告状を出すような事件の時って人死に少ないし、中森警部達捜査二課が張りきってくれるし、今回は大阪だから多分平次君達も動くんだろうし……。

 

 ――あ、でも今回蠍野郎が関わるかもしれなかったんだ。

 ちくしょう、瑞紀ちゃんは今回は事務所ではなくマジシャンとしての仕事で東北の方に行ってるし、快斗君も都合が合わずじまいだったし、土井塔さんも同じくときた。

 連れてこられれば良かったんだけど……。

 あれかな。ライバルポジの――ようするに簡単には捕まらない相手だからこの世界のなにかがブレーキかけてんのか?

 同じマジシャンとして、しかも優秀な連中が連れていけないってのは。

 

「それにしても、どういうことだろうね? その予告状」

 

 ちょうどいい話題だと、真純が食いついてくる。

 微妙にゆるい服装なんだから無防備に(かが)むんじゃない。

 

「世紀末はもう過ぎて新しい世紀になったばかりだって言うのに」

 

 ほんと、なんで年数だけはこの世界進むんだろうな。

 俺の中ではもうずっと世紀末って気分なんだが……。

 

 裁判も進む物があったり進まない物があったり。

 まぁ、おかげで幸さんが来てくれたし、あのコナンの天敵と言っていい亀倉さんもどうにか手元に引き込めそうだけど……。

 

「これ自体が予告状の謎の鍵になってるか、あるいは何かのメッセージなのか……」

「意味自体は真純でも分からないか」

「うーん……警察は、光る天の楼閣を大阪城って断定しているみたいだけど」

「しっくりこない?」

「……と言うより、言いきれないっていう所かなぁ」

 

 隣に腰掛けて、横から予告状のコピーを覗き込みながら真純は頭を掻き毟る。

 

「日は多分間違いないと思うよ。黄昏の獅子から暁の乙女へ……つまり、獅子座の終わりの夜から乙女座の始まりの間」

「8月22日夜から23日朝の間ってか」

 

 キッドの事件に俺が関わると言う事で、中森警部の娘さんの青子ちゃんからメールで中森警部の推理を教えてもらっている。

 お父さんをよろしくお願いしますという一文もセットだ。

 良い子だよ。あの子本当にいい子だよ。

 快斗君との事、紅子と一緒にだけど応援してるよ。

 

「問題は、蠍が餌を横取りされるのを大人しく待っているかどうかって所だけど……」

 

 無理だろうなぁ。

 絶対来るだろうなぁ。

 例によって例のごとく、いつものスーツは強化メンテ中だし。

 フラグ立ってるなぁ。……予備まで持っていくとか阿笠博士マジ阿笠博士。

 まぁ、月のノルマみたいなもんだから別にいいけど。

 

「いつも通り行けば問題ないさ」

 

 できるだけ怪我しそうな所は俺が行くからさ。

 

「……ねぇ、ボスのいつも通りって怖すぎるんだけど」

 

 マジでか。

 

 

 


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