「そか。あの兄ちゃん、相も変わらず無茶しとるんか」
キッドの予告状を送りつけられた鈴木財閥――正確には会長の史郎さんが、おっちゃんに助けを求め……。
今、俺たちは大阪に来ていた。
「浅見さん、あの時ガソリンの入ったポットとライター一緒に蹴り飛ばして一緒に被るんやから……正直、これまでの人生で一番焦ったわ」
あの時一緒にいた服部は、安心したように息を吐く。
「いや、あの世良っつー姉ちゃんとメールでやりとりしてたから、あの兄ちゃんが無事だってのは知っとったけどな」
「え、世良と?」
「あぁ、同い年やし同じ探偵っちゅーことで向こうからな。まぁ、そのおかげで浅見の兄ちゃんトコの事務所の動きもよー分かるわ」
手を振ってそういう服部に、俺は思わず顔を下に下げてしまった。
「? なんや工藤?」
「いや、あの人ともそれなりの付き合いになったけど、あの無茶にだけは慣れないなぁって」
なにせ、火傷の治療が終わったばかりで安静にしていなければならない時に、またも目の前で自分から刺されに行っているのだ。それも、浅かった傷をわざわざ自分で深めるような真似まで。
そんな感じの日々が、もはや日常になりつつあるのがあの人だ。
そして、そんな感じで助けた人間を周りに置いているのがあの人だ。
性質が悪いと思う。死ぬほど性質が悪い男だと思う。
そんな男に助けを求められたら、拒めるハズがない。
自分が燃やしたのに、自分が刺したのに、あのどこか不敵な――けど、同時にどこか申し訳なさそうな……あるいは泣きそうな笑顔で『力を貸してほしい』だなんて言われたら……きっと拒めない。
「難儀な人やなぁ。あいも変わらず」
「……変わらず?」
「初めて会った時もあの人、あの越水っちゅー姉ちゃんのために俺のバイクから逃げ回ってたコソ泥の車に飛びかかりおったからなぁ……」
「ホントに変わってねぇなあの人!」
ここ数カ月は、そもそも怪我をしていない時の方が少ない気がする。
死に急いでいる――と言うのとは違う。
誰よりも生に執着しながら、誰よりも自身を軽く見ている。
そんな風にみえて、仕方がないのだ。
「でも、な」
「ん?」
「あの人は、間違いなく誰かを救ってるんだよ……」
そう、救った人数で言えば、間違いなくかなりの数になるのだ。
犯罪に遭いそうだった人も、逆に犯罪に手を染める所だった人も。
「なぁ、服部」
「ん? なんや?」
「お前さ、推理で誰かを救った事……あるか?」
「――はぁ?」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
鈴木近代美術館。
これまで、芸術などの方向には余り力を入れていなかった鈴木財閥だが、どうやら次郎吉の爺さんが冒険を休み始めてから、あの爺さん主導でそういった方面に力を入れ始めているようだ。
「――っていうか、キッドの餌を用意するためだよなぁ……多分」
「鈴木相談役は、最近宝石や絵画の買い付けに力を入れているようです」
いつものスーツではなく、イブニングドレスに身を纏った幸さんが俺の横でそう告げる。
「大丈夫ですか?」
右腕は塞がっているため左手を差しだすと、幸さんは「いえ」とそっけなく断る。
ちっ、両手に花をやる機会が消えたか。
同行しているのが七槻とふなちなら、いつもやってる事なんだが……。
あるいは志保と楓。
もっともその場合、楓はともかく志保にはゲシゲシ俺の
なんだろう。ドレスが俺のお手製なのが気に入らなかったのだろうか。楓はめっちゃ喜んでくれたけど……。まぁ、実年齢違うしなぁ。
志保と楓のドレス、あの辛口の朋子さんからもお褒めの言葉をいただいた自信作だったんだが……。
最近、ふなちもイベントへの参加はともかくコスプレはしてなかったから腕が落ちているのか?
よし、今度入院した時に徹底的に作ってみよう。
病室にミシンとかマネキンとか道具一式と作業台運び込んでおこう。
あと布とか保管するケースも頼もう。
「おぉっ、浅見君。来てくれたかね」
美術館内のわざわざ作っていた会長室。
その中で待っていたのは、何気に久しぶりになる史郎さんだ。
「お久しぶりです、鈴木会長」
「えぇ、最後に会ったのは――」
えぇと、2回3回……6……7?
「鈴木財閥の新年パーティの時ですね」
入院した回数逆算すりゃ大体そんくらいだろ。なんか、だんだん過去の記憶の線引きが曖昧になってきてる。
季節はなんとなく覚えているんだけど、それがごちゃごちゃになってくるというか。
いかんいかん。やっぱり量増えて面倒くさくなっても日記を読み返す作業は続けなくては。
「うむ、君が来てくれるとは心強い!」
「いえ、こういう事件は正直専門外でして……」
マジである。防犯対策のプロとなると瑞紀ちゃんと初穂のツートップなんだが、初穂は東京で別の仕事が入っていて間に合わなかった。
「今回は毛利探偵や中森警部の胸を借りるつもりでいます」
万が一浅見探偵事務所の探偵で動く事になるんなら、真純に頼ることになりそうだ。
あるいは、今は大阪の友達と出会っている麻美ちゃんにも頭を貸してもらうかもしれん。
キッド相手だから武力面はいらないし――あぁ、でも蠍がいるんだった。
(今回ばっかしはキッド絡みとはいえ……なんだかんだで楽させてもらえそうにないなぁ……)
俺の腕に掴まったまま、慣れないヒールに苦労しながらも着ているドレスをやけに確かめている真純の姿をボタン型の隠しカメラでこっそり撮りながら、内心でため息を吐く。
スーツが回収されている件もあるんだ。油断は禁物。
(……撃たれる時は、また10発前後は軽く叩き込まれるんだろうなぁ)
念のために完全防弾仕様の例の名刺入れは胸ポケットに入れている。
この間の件がある。スーツを預けてくれって言われた時点でメアリーに俺自身のサポートを依頼した。
多分、今もどこかに潜んでいるのだろう。
ついでに阿笠博士に、コナンの服や眼鏡の強化を依頼してある。ウチで採用している防弾繊維や硬質ガラスへのグレードアップだ。
大丈夫。今回は万全だ。
保険はいくつもかけてある。大丈夫。
――多分。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「対銃弾装備に狙撃対策、山猫の配備に調査会社の人員も借りた監視網……」
何重にも張り巡らされた『保険』をとある建物の屋上から双眼鏡で観察しながら、私は――浅見透曰く『切り札』であるらしいが――ため息を吐く。
「キッドに対して……ではないな。どうやら、キッド相手に手出しはするなと命じてあるようだし……」
わざわざ手出しをするなということは、警察やあの江戸川コナン、毛利小五郎が今度こそキッドを捕まえる。あるいはエッグを守ると確信しているのか。あるいは――もっと別の事態を見据えているのか。
(なんにせよ、恐らくは確信しているのだろう)
スコーピオン。
ロマノフ王朝の財宝だけを狙って動く凶賊。
そしてある意味で、浅見透という眠っていた怪物を叩き起こした存在。
奴が再び現れる事を。
「……因縁、か」
恐らく、ただの事態では済まないと見ているのだろう。
浅見透にとって、特別な存在だと思われる三人の女――小泉紅子、越水七槻、中居芙奈子の三人は大阪には近づかないように手を回していたし、わざわざ鈴木の息のかかったセキュリティを臨時で雇っている。
(人質にされる可能性を恐れたか。あるいは今回の騒動を良いことに裏で動きまわる者を警戒したか)
現に、FBIは動いている。
この隙に、例の病院の地下ブロック。――恐らく、あの薬の研究をしているのだろうあのブロックを調べている。
どうにかあのセキュリティを解除しようとしているようだが……。
(無駄な努力を……)
あのセキュリティはプログラム等と言う生易しい物ではない。
その場その場で、侵入パターンに対しての最適解を打ち出す。
仮にCIA等が本気になったとしても、突破するには時間を要するだろう。
そうなれば当然、その間に――あの男がやってくる。
自身が厳選し、今も磨き上げ続けている超一級の手駒を引き連れ、一網打尽にされることだろう。
FBIは、ただあの男の目溢しをもらっているに過ぎない。
残念ながら、その意味を本当の意味で理解しているのは、今美術館内部を見廻っているアンドレ=キャメルだけだろう。
(やっかいだな。本当に)
そこにお宝が隠されていると、気付く人間ならば誰もが分かる様にしておきながら、それ自体が寄って来た魚を釣りあげる巨大な罠である。
それも、罠と分かっていても近づかざるを得ない代物だ。
(やっかいだ。本当にやっかいな男だ……)
双眼鏡を、鈴木近代美術館に向ける。
その窓――浅見透の指示で、全て防弾仕様へと変えられたその向こうには、シックなイヴニングドレスを身に纏い、そしてヒールに慣れない真純が、浅見透の腕に掴まって立っている。
当初は、ある意味で自分以上にあの男を警戒していたハズの真純があの男に懐き始めている。
徐々に、だが確かに。
(真純め。あの時の少年の助手だった男だからと言って……)
工藤新一。いや、恐らく今は――江戸川コナン。
当初、真純は工藤新一が……そして赤井秀一が消えた理由が浅見透にあると推理していたが――江戸川コナンの姿を見て考えを変えたようだ。
(油断するなよ、真純)
今隣に立っているその男は、その気になれば国を――いや、
世界を相手に喧嘩を売りかねない男なのだから。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
都内の、とある刑務所。
そこは、今とても静かだった。
いや、正確にはくぐもった呻き声と這いずるような音、そして数人の足音だけが響いている。
「これが、条件かね?」
「そうだ」
一人の、初老といった様子の男の問いに、筋肉質な男が無愛想に頷く。
初老の男の手には、男から渡された携帯電話が握られている。
「あの男は?」
「大活躍だ。警察も、マスコミも、そして犯罪者も――奴には注目している」
二人はゆっくりとした足取りで、刑務所の門を超えて行く。
声をかける者は、いない。
呼び止める者も、いない。
「そうか。そうだ。……そうでなくては困る」
初老の男は、携帯電話のボタンを押し始める。
筋肉質な男の方は、後ろを振り返る。
開けっぱなしの扉の向こうに見える、額から血を流したまま縛られ、床に放り出されている刑務官達の姿を確認して
「あの人好みの囚人達は逃がした。他の囚人や刑務官その他諸々は全員この中。ほとんど薬の効果でまともに動けない」
初老の男の、携帯を操る指が止まる。
「さすがに、罪悪感が湧くか? 別に構わん。その時はただ、お前を逃がせとだけ俺は指示を受け――」
だが次の瞬間、初老の男はもう一人と同じように振りかえり、迷わず通話ボタンを押した。
震え一つ見せず。
助けを求める縛られていた刑務官達の目を、真っ直ぐ見返したまま。
「――浅見透」
辺りが白く染まる。
刑務所内部に仕掛けられた爆弾が作動し、中にいた人間を轟音と共に吹き飛ばす。
「浅見透……っ」
初老の男は、握りしめたその携帯電話を地面に投げつける。
そして、その顔を憤怒で真っ赤にしながら叫ぶのだ。
「浅見……っ! 透ーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!」
己の顔に泥を塗った、まごう事なき自身の敵の名を。
内部に仕掛けられた爆弾が、次々に連鎖して轟音を響かせ、炎をまき散らせる。
それは、かつて初老の老人が引き起こした事件と同じ物だった。
「……なるほど、ピスコの言うとおりだ」
もう一人の男――アイリッシュ。
いつの間にか、その周りに控えていた黒服の集団へ手で撤退の指示を出しながら、アイリッシュは初老の男へ手を差しだす。
「歓迎しよう。森谷帝二」
初老の男――森谷は、怒りに目を吊り上げたまま男の手を握る。
年齢に似合わない力で強く。強く。
その目は、夜を見据えていた。
いつの日か来るだろう、爆発と銃声のバックミュージックに、血のワインと銃弾のディナーが飛び交う――宿敵との夜を。