初めてその男と出会った時、女は確信していた。
きっと、この男とは長い付き合いになるのだろうと。
蹴り上げられて痛む身体。その痛みに最初は怒りを覚えた。
そして暗殺目的で懐に入り込み、共に歩き、共に――
「……ふふっ」
女は、そっと隣で寝ている男の胸板に指を置く。
男の体は、酷い物だ。
あちこちが傷だらけで、触るだけで壊れそうな雰囲気すらある。
女は、男の肌をそっと指でなぞり、満足そうに笑みを浮かべる。
そろそろ、空が白んで来る頃だろう。
女は目を細め、シーツを男に掛け直してそっとシャワーを浴びに行った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「つまり、日にちに関してはコナンに真純、平次君も同意見な訳だな?」
「あぁ」
パーティが終わってホテルで一泊。その後、用事があると言う青蘭さんと別れた俺は真純と一緒にコナン、そして平次君と合流して大阪の街を歩いていた。
「『黄昏の獅子から暁の乙女へ』」ちゅうのは獅子座の終わりの夜から乙女座の始まりの朝方までの間。そこは俺も工藤も間違いないと思うんやけど……」
キッドの予告状。警察の人間は『秒針のない時計が12番目の文字を刻むとき』が示すのだろう時刻の部分を、小五郎さんの『アルファベットから12番目の文字。つまりLの字を時計が示す午前三時に違いない!』という推理の元に行動するようだ。
「ちなみに、その推理した時小五郎さんどんな様子だった?」
「いつも通り、高笑いしてたよ」
あ、じゃあ間違ってんな。
「ロマノフ王朝――つまりロシアに絡んだお宝を盗むっていう予告状で、アイツがアルファベットに絡めるとは思えないんだよなぁ」
「なるほど。お前が引っかかっとんのはそこか」
アルファベットじゃなくロシア文字なら……えぇと、アー・ベー・ヴェー・ゲー・デー……
「
「あぁ、そうなんだよなぁ……」
「? なんや浅見さん、ロシア語出来るんか?」
「日常会話程度なら、どうにかな」
青蘭さんと付き合いが出来てから、彼女からロシア語と中国語は色々と教えてもらった。
もっとも、次郎吉の爺さんから講師当てられてる恩田先輩には負けるけど。
あの人、言語に関してはかなり覚えが早くて、英語なら一定レベルの打ち合わせと関連しそうな単語や専門語などの事前勉強があれば同時通訳も出来る位だからなぁ……。なんであの人経済学部入ったんだろう。絶対入る学部間違えてたって。
「しかし、Kか。確かに時計に当てはめるのも無理があるなぁ」
真純が自分の腕時計を見ながらつぶやく。
この間のドレス姿の反動か、今日は完全にいつも通りボーイッシュ――というか、もはや普通に男の格好をしている。
余りの悲しさに「急募:女性服を自然に勧められるコーディネーター」というタイトルでメールをメアリーに打つ。写真もついでに撮って添付。
送信。
着信。
『馬鹿者』
……一言だけか。一言だけかぁ。
最近メアリーってば、本当に俺への扱い雑になってきたなぁ。
「それで、
逆に真純は最近妙に仲が良くなった。
なぜか「透兄」と兄貴分扱いである。なんでも、今は会えないお兄さんと会えるお兄さんに変な所が似ているらしい。変な所ってどこだ。
「んー……午前三時っていうのも、説得力がないといえば嘘になるしなぁ」
嘘である。いや、確かに一見正しそうな意見であるが、俺はおそらく外れだろうと言う事が分かっている。
「そやなぁ。まだ日も沈んどらんし……どや、お好み焼きの美味い店があるんやけど、とりあえず腹ごなしにせんか?」
「僕は賛成。コナン君は?」
「うん! いいよ!」
平次君だけならともかく、真純もいるもんだから全力で猫かぶりである。
様子からして真純の奴、コナンが工藤新一だって気が付いていそうだし、別にいつも通りで良いんじゃないかと思うんだが。
ぶっちゃけ、小学一年生って無邪気ってより生意気な方がらしいっちゃらしいし。
……工藤のまんまでも生意気だったか、そういえば。
まぁ、そうなる理由も分かるっちゃ分かるが。
「そうだな。解釈の正否はともかく、腹が減っては戦は出来ぬ。飯にしよう。払いは俺が持つよ」
なんにせよ、その時が来れば事態が勝手に動くだろう。
今回は蠍が動きかねないし、宝の内容やその周りで蠢いている奴らも一癖ある。
恐らく、これまでのキッドの事件の中ではかなりスケールが大きい物になるだろうし、そうなれば動きがあるのは間違いなくコナンの周りだ。
(やっぱり、瑞紀ちゃんも快斗君も土井塔さんも連れて来られなかったのが痛いなぁ……)
とりあえず全員にはマジシャンのお仕事頑張ってくださいとメールは送っておいた。あと、死なないように頑張りますって送ったら瑞紀ちゃんからお怒りの電話を受けてしまった。ごめんて。
(そういや、瑞紀ちゃんってば俺が今回の仕事受けるのにエラく反対の様子だったけどなんでだろう?)
えらく引きとめられた。主に蠍が絡んでいる事件に俺が絡む事が気に入らなかったみたいだが……。
というか、キッドの事件に絡む事にも少々ご不満なようだ。
あれかな。マジシャンとして尊敬してるっぽいしそれでか。
あ、今キッドとっ捕まえたい欲求が少しだけど湧きあがったわ。
くそ、快斗君との仲は応援してやるけどああいう気障な奴との仲なんざ絶対に全力で邪魔してやる。
キッドの存在には色々と助けられているけどそれはそれ、これはこれ。
あと、安室さんにも偉く心配された。
いや、あの人はあのクソロン毛共に撃たれまくったあたりからすごく色々気にするようになったけど。
ふと、耳元でノイズが走る。
(? メアリーか)
「どうしたの?」
小型のマイクを口元に近づけ、呟く。
すると、相変わらず人を落ちつかせる独特の声が左耳に響く。
『越水七槻と中居芙奈子が大阪に着いたぞ』
「わっつ?」
思わず問いただす。
いや、そんなはずはない。
万が一を考えて、あの二人は大阪に近づけないように調整したハズだ。
偽装依頼も含めて色々と手を回したと言うのに……え、なんで?
蠍が来るかもしれないんだよ? 俺のスーツ今はないんだよ?
どう考えても俺がブチ抜かれるフラグじゃん。銃弾が飛び交うじゃん。いつもどおりハチの巣になるフラグじゃん。
だから全力で遠ざけておいたのに。
『どうやら、偽装依頼の件を先に片付けた人間がいたようだ』
「まさかと思うが、妙な連中か?」
俺の物語の外としての視点。ある意味での読者の視点がなくても、ひと悶着起こりかねないというのは情報を持っている連中ならば思いつくだろう。その場に七槻にふなち、紅子がいるなら、俺は正直コナンの援護よりもアイツらを優先するだろう。
紅子は少々怪しい所はあるが、七槻にふなちは間違いなく俺が『こっち側』に引き摺りこんだ人間だ。そして親友――いや、家族だ。楓や志保、桜子ちゃんと同様に。
もしアイツらが危機に陥れば、例え命と引き換えになろうとも助ける義務が俺にはある。
そして、やっかいな連中はそこらへんを知っているだろう。もしそうなら、知っていて喧嘩を仕掛けたのなら――
『いや、鳥羽初穂だ』
初穂ぉぉぉおぉぉぉぉぉおぉぉぉぉっ!!!!!!!!!
『これは私の想像にすぎんが……恐らく、二人をお前の身近に置く事でお前の無茶を抑えようとしたのではないか? あの女は、ある意味もっともお前に忠誠を誓っているように見える女だ』
いらねぇよ! そんな戦国武将を語る逸話みてぇな忠義いらねぇよ! こちとらボスっつってもただの大学生だぞ!
俺の家族に配慮してくれるんならいつでも見捨てていいんだからな!?
いつでも後ろから刺してくれていいんだからな!?
「アイツらは?」
『今美術館に到着した所だ。鈴木次郎吉と会っている。それと、ちょうどこちらに到着した香坂夏美とその執事、佐倉真悠子とも合流した』
「え、夏美さん来てんの?」
『あからさまに嬉しそうにするな』
や、隠そうとしても無理だって。
夏美さんは打ち解けてきてから俺を弟扱いしてなにかとガード緩くなってるし、真悠子さんも殺人に踏み切ろうとするくらいある意味で情の深い美人だし。
『おそらく、今日の夜にはお前とも合流する事になるだろう』
「逃げろと?」
『誰がそんな事を言った、馬鹿者』
相変わらず手厳しい。
『分かるか、浅見透』
「何をだ」
『誰もが、お前に生きて欲しいと願っている』
いや、それくらいは分かるよ。
身内から死を願われるほど恨みを買う生き方をしたつもりはない。
『恐らく、お前は『何をいまさら……』だとか馬鹿な事を考えているだろうが……』
おうふ。
『理解しろ。もし、お前を失えば後がないという人間は多くいる。越水七槻も、中居芙奈子も』
「……親しい人間が死んで喜ぶような奴を身内にした覚えはない」
『そういう事を言っているのではない』
コホッ、コホッと咳き込みながら、メアリーは続ける。
『もし、お前が死んだり、行方不明になる。そうすると残されたモノが、内臓全てを鷲掴みされたような精神状況で、ずっと待たなければならない』
『忘れるな、浅見透。待ち続ける事は……辛いのだぞ』
『信じている相手ならば……なおさら』
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「どうです、遠野さん。僕達と一緒に働いてみて?」
「もう……驚かされる事ばかりです」
スイスでの仕事はあらかた片付け、新しく入った所員も大きな事件を経験した。
今や公安にとっても無視できない存在となった透――浅見探偵事務所。
もはや事務所と呼べる規模ではないそれは警察に公安、政治家、挙句の果てには組織にまで注目される一勢力となっていた。
その一勢力に新たに入った女性。遠野みずき。
彼女の教育係を請け負っているのが、安室透という存在だった。
「探偵というイメージから、てっきり尾行とか素行調査とかそういう仕事が主だと思っていたのですが……」
「あっはっは。恩田やキャメルさんも同じ事を言っていましたね」
日本を遠く離れたこのスイスという地で、遠野みずきが背負っているのはライフルケース。
元々彼女が所有していたライフルを、浅見透がスポンサーとなっている阿笠博士がフルカスタムした狙撃銃が中に入っている。
「でも、みずきさんの狙撃のおかげで助かりました。屋内に侵入する際もそうですが、人質を連れて脱出する時は心強かったです」
みずきのライフルに使われている弾は特別製で、あの阿笠博士が開発した特殊な麻酔薬を相手に叩きこむ代物だ。
相手の身体のどこかにさえ当たればその場で無効化できるので、みずきの射撃の腕も合わさって凶悪な援護になっていた。
「日本ではさすがに使えませんが……」
「まぁ、日本でそうそう狙撃が必要になる事態――」
ありませんよ。
そう言いかけた安室の口が止まる。
――ありそうだな……。
そう思っているのが、対面に座るみずきにも分かった。
安室は誤魔化すように咳払いをし、
「正直、あまり褒められる事ではないですが所長がなにか手を打つようですよ」
「ライフルを持てるようにですか?」
「他にも色々……。どうやら、所長はウチを探偵事務所から何でも屋にさせたいみたいですし」
「なんでも屋っていうには物騒じゃありませんか?」
「正確には、警察や自衛隊への援護に特化した組織といいますか」
探偵事務所としての機能は、今や越水七槻の調査会社の方に移行しつつある。
元検視官の槍田郁美の講習によって、一般の調査員も現場保存の方法を叩きこんでいる。
加えて今では、自治体からの要請で夜間警戒などにも対応していたりする。
「七槻さんの会社を緊急時の初期対応に当てて、それが警察でも手間取りそうな事態の場合、僕達が動く。今後はそういう事が増えて行くでしょうね」
そして、浅見透がこのプロフェッショナルの集まりをどのように導いていくのか。
安室はそれに興味を持っていた。
「……一応は、私達探偵なんですよね?」
一方で、遠野みずきは色々と不安になってきたようだ。
「えぇ。なにせ、真実を解き明かすお仕事ですから」
「でも、先日所長、ヘリを買っていましたよね? それも二機」
「山や海での捜索などもありますし」
「あの軍隊みたいな人達に一機与えたのは?」
「たまにやっかいな所に立てこもる人達がいますから」
「…………」
麻酔弾とわかっていたとは言え、人を撃つという行為を冷静にやってのけたみずきが――今では顔をひきつらせている。
「あの子、私よりもずっと年下なんですよねぇ」
「えぇ、僕らの中では……真純ちゃんや快斗君といった高校生組を除けば間違いなく」
信じられない。
そう顔で語るみずきに、さもありなんと肩を竦める安室。
「まぁ、色々と無茶をやる所はありますが、結果はかならず出す人です。信じて問題ないと思いますよ」
「はぁ……」
元々、安室透という男が所長と仲が良いのは有名だった。
よく共に飲みに行っているし、たまに二人が厨房で並んで料理をしている姿も見られる。
「もう一度所長に会うのは、恩田君の交渉・調整次第ですが……おそらくもう我々の出番は終わったはず。彼も早く日本に戻りたい様子でしたし」
「じゃあ直ぐにでもこっちを発つかもしれませんね」
荷物は既にまとめている。
いつでも動けるように身の周りを細目に整理しておくことは、フットワークを軽くするのに役立つのだ。
「えぇ……こっちの料理も酒も中々美味しかったですが、穂奈美さんや薫さんの料理が恋しくなってきました」
「所長の――浅見君の顔も、ですか?」
「目を離すと怪我してそうで……」
安室は、複雑な顔でため息を吐く。
「相手はキッドか、あるいは蠍か。……気をつけろよ、透」
前回忘れていたrikkaのキャラ紹介コラム~
○常盤美緒
『劇場版名探偵コナン 天国へのカウントダウン』より
常盤財閥ご令嬢にして、ソフトウェア開発会社『TOKIWA』の社長。
実は大分県民なrikkaにとっては非常に聞き慣れた会社名で、劇場で見た時も何人か「クスッ」と笑う声が聞こえていたのを良く覚えている。
実は小五郎の大学時代のゼミの後輩だった模様。
米花大学って実は名門だった? ……考えてみると英理達がいた大学だからなぁ。
やはりという当然というか結構な美人なので、前話で出てきたスケベオヤジに言い寄られていたりします。
ただ、先日観直した時、彼女のドレスがP2G時代のカンタロス装備に見えてしまったorz
『天国へのカウントダウン』
実は、劇場版の中でもかなり好きな作品なのですが、犯人が一番好きな作品でもあります。
実際に見た方ならば分かるのですが、犯行の動機を語る際のあの突然の激昂するシーンは本当に声優さん凄かったと思う。
そこまで大声って訳じゃないけど、怒りが本当に滲み出ていた。
黒の組織が出てきたり、灰原とコナン、少年探偵団の絆が描かれていたりと、本当に素晴らしい作品でした。