俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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本話は文字数が多く、過去の話を色々と創作しているのでご注意下さい。

以下、前回までのあらすじ。

 下校途中に平塚先生と会い、更にはカラオケに向かう途上で材木座と独特のノリで会話をしたことで、八幡は心中に隠していた悩みが随分と軽くなったのを感じていた。雪ノ下と葉山が同じ小学校だったと知って、奉仕部の二人と一番仲が良いのは自分だと思い込んでいたことや小学生時代の二人への嫉妬が顕わになったのだが、そんな己の恥ずかしい感情を八幡は何とか受け止める。

 カラオケ店での戸塚とのやり取りを経て、密かに悩んでいた由比ヶ浜への接し方にも多少の目処がついた。それに続く城廻との会話によって、顔馴染みの面々から向けられている期待を八幡は自覚し、同時にいざという時には彼らに頼ることを教えられた。

 そんな風に八幡が、下級生を育てるという城廻の意思を受け止めていた頃。彼の自宅のリビングでは女子会が行われていた。



07.しっかりと彼女らは己の意思を見込んだ者へと託す。

 迷惑なら遠慮なく断って欲しいと、由比ヶ浜結衣が受験生を気遣いながら送ったメッセージは、やる気にあふれる返信を招き寄せることになった。比企谷小町の性格からして迷惑などとは欠片も考えておらず、勉強の気晴らしができるので嬉しいという返事も心からのものなのだろう。

 

 高校からいったん自分のマンションに戻った由比ヶ浜は、小町の了解を受けて、参加者各位に集合場所と集合時間を通知した。全員が一度は比企谷邸を訪れたことがあるのでショートカットでの移動が可能だが、今日は比企谷八幡が遊びに出かけているのでいつものルートが使えない。そのため、小町が通う中学校の前で待ち合わせて、彼女の個室を経由して訪問することになった。

 

 待ち合わせよりも少し早めの時間に、由比ヶ浜は個室に戻る。三浦優美子と海老名姫菜の三人で共有状態にあるその個室では、二人が既に訪問の準備を終えて寛いでいた。三浦と同じく葉山隼人のバンドに参加している一色いろはは、練習の汗を軽く流してくると言って自室に戻ったらしい。最後の参加者にして本日の主役とも言える雪ノ下雪乃も、運営との打ち合わせを無事に済ませて予定時刻には間に合うとのこと。

 

 そこまでを確認し終えて、由比ヶ浜はひとまず安堵の息を漏らした。

 

「なるようになるから、結衣もあんまり気負いすぎないほうが良いよ」

 

「うん……。だね!」

 

 今から始まる女子会を思ってか、三浦は口数少なく黙り込んでいる。海老名が趣味に走ることなく由比ヶ浜のフォローに徹している辺りも現状の難しさを反映していると言えそうだが、それでも発言の内容は妥当なものだ。そう考えて、由比ヶ浜はことさら元気な口調で海老名に応えた。

 

 今日の集まりの目的を達成するまでは、あまり雑談をしたくない。雪ノ下と葉山が同じ小学校だったという話を、小町を含めた参加者全員が既に知っている状態なので、皆の気分は同じだった。いずれも時間ギリギリに中学の校門前に集まった一同は、余計な口を利くことなく静かに、小町の案内に従って比企谷家のリビングに移動した。

 

 

***

 

 

 ホストの小町を含めて総勢六人の女子生徒たちは、リビング奥にあるL字型のソファに腰を下ろしてひとまず息をついた。本日の集まりを仕切っている由比ヶ浜が小町と一緒に全員の飲物を用意して、テーブルの上に並べる。既に夕食の時間帯なので、お菓子は出していない。

 

 席順は、ソファの端から三浦・海老名の順に並び、その左横のちょうど角になる辺りに雪ノ下が、そしてソファの逆側の端には一色が座っていた。由比ヶ浜は、三浦から見て九十度右手にオットマンを置いてそこに座り、小町は食卓から椅子を持ち出して、一色の九十度左手に身を定めた。

 

 

「言い訳があるなら聞くし」

 

「言い訳は、特には無いわね」

 

 開口一番、三浦が本題に切り込んだ。だが雪ノ下はそれを即座に切って捨てる。

 

 そんな二人の間に挟まれたら萎縮するのが普通だろうに、海老名はソファに深く腰掛けて、呑気に飲物を堪能していた。急ぐ素振りも見せずゆっくりとグラスをテーブルに戻して、ふうと一息わざとらしく間を置いて、海老名はおもむろに口を開く。

 

「夏休みに雪ノ下さんと話せてたら、もう少しマシな形で収拾できたのになー」

 

「あ、えっと、姫菜は今回のことを予想してたの?」

 

「うーん、予想って言うか、隼人くんとの間に何かあるんだろうなーとは思ってたからね」

 

 唇を突き出すようにして、不満げな表情で独り言のように語る海老名に、由比ヶ浜が疑問を発する。そちらを見るでもなく、まるで別の時空を眺めているような朧気な目つきのまま、海老名は口だけを動かして返事をした。それに噛み付いたのは、既に戦闘モードに入っていた雪ノ下だった。

 

「どうしてそう思ったのか、教えてもらえると嬉しいのだけれど」

 

「わたしは、葉山先輩との間に去年何かあったんだろうな〜って思ってたんですけど、それとは違うんですよね?」

 

 可愛らしく首をこてんと横に倒して、一色がわかんないな〜という表情を浮かべている。それを受けて海老名は、平然とこう口にした。

 

「あ、そういえば雪ノ下さんって、去年隼人くんと何かあったの?」

 

「……そうね。私も葉山くんも、何か校内で問題が起きた時には、一年代表のような形で担ぎ出されることが少なくなかったから、それで何度か顔を合わせたわね。ただ、特に深い交流は無かったと思ってくれて結構よ」

 

「それを信じろと言われても、今の状態だと難しいし」

 

「小町的には雪乃さんを信じてますけど、三浦さんの言い分も分かるなーって。あ、千葉村では小町の至らぬ部分を指摘してもらって助かりました。ありがとうございます!」

 

 海老名に毒気を抜かれた雪ノ下が事実をそのまま説明したものの、それに対する三浦の反応はもっともだと、多くが小さく頷いていた。再び重くなりそうな雰囲気を嫌ったのか、そこで小町が口を挟む。天然あざとい顔を両者に向ける小町に、今度は多くが苦笑いを浮かべている。

 

「大したことは言ってないし。改善できたんなら、自分の努力のお陰だし」

 

 そう言ってそっぽを向く三浦に、皆の苦笑の対象が移る。この機を活かして話を元に戻すべく、由比ヶ浜が口を開いた。

 

「とりあえず去年のことは、ゆきのんの説明通りってことで後回しにしよっか。今日の話はそれじゃないって思うんだけど……どう?」

 

 雪ノ下と三浦の双方に気を遣いながら、無難な物言いで話を収束させる。由比ヶ浜の配慮に気付けない二人では無いだけに、不承不承ながらともに頷いた。そこで海老名が再び口を開く。

 

「千葉村の時の話を蒸し返すけどさ。あれって去年の話じゃなくて、小学生の時の話だったんだよね?」

 

「……話の筋は通っていたと思うのだけれど、どうしてその結論に至ったのかしら。貴女以外には、去年の話として伝わっていたように思えるのだけれど?」

 

 ほぼ自白していることを承知の上で、雪ノ下は押して海老名に尋ねる。この場の面々にかつての作為をごまかすことよりも、今日の姉とのやり取りにおいて自分に気付けない失敗を犯している可能性を検討するほうが、遙かに優先度は高いと思うがゆえに。

 

「みんな、何となく違和感は残ってたと思うよ。明確な根拠を求められると難しいけどさ。説明してくれた話だと、あの時の雪ノ下さんと隼人くんの間の緊張感には釣り合わない気がしたんだよね。それに、隼人くんがあんなに反省するほどの失敗をしたって、そんな話は聞いたことが無かったしさ」

 

「葉山先輩って、悪い噂がぜんぜん無いですよね〜。それも隠してるとかじゃなくて、本当に無いんだな〜って感じですし」

 

 弱みがあるなら握ってみたいものだと、そんな風にも受け取れそうな発言内容をあざとく可愛らしくコーティングした口調で言い終えると、一色は憧れの先輩を思い出して少し照れているかのような表情を浮かべた。この状況でもぶれないんだなと半ば感心し半ば苦笑している由比ヶ浜を尻目に、三浦がぽそっと呟く。

 

「小学生時代のことを隠して、去年のことだと嘘を吐いたのは、どうしてなんだし?」

 

「嘘、ではないわ。嘘を吐くことは、偽りを口にすることは、誰よりも私自身が戒めていることだから。話を誘導したのは認めるし、それは貴女たちに対して申し訳なかったと思うのだけれど……。言い出しづらいことや、できれば言わないままで済ませたいことは、貴女にもあるでしょう?」

 

 三浦の発言が攻撃的な色をまとっていなかったためか、雪ノ下の返答にも刺々しさは無かった。昨日の昼休みに部室で聞いたのと同じセリフが繰り返されていることに気付いて、由比ヶ浜は敢えて、今日噂を聞いて以来ずっと尋ねたかった疑問を口にした。

 

「その、やっぱり隼人くんとゆきのんって、小学生の頃は仲が良かったの?」

 

 雪ノ下は静かに一瞬だけ目を閉じて、そしてゆっくりと丁寧に、良く通る声で話を始める。

 

「……そうね。あまり他言して欲しくは無いのだけれど、きちんと説明するわね。私と姉さんと葉山くんは小学校が同じだったのだけれど、それ以前に親同士が公私ともに仲の良い関係だったので、いわゆる幼馴染みなのよ」

 

「……っ!」

 

 意外に打たれ弱いのか、三浦は気丈に振る舞おうとはしているものの、説明を聞いて泣き出しそうな顔になっている。そんな三浦を、雪ノ下は申し訳なさそうに眺める。しかし一度話を始めたからには中途で終わると余計な誤解を招くだけだと考えて、雪ノ下は再び口を開く。他には誰も、何も言葉を出そうとはしない。

 

「姉さんが小学校を卒業した後で、私がクラスの女子全員を敵に回すような形になってしまって。葉山くんは最初、私を助けようとしたと思うのだけれど、彼の行動は状況を悪化させるだけだった。結局、私が当事者全員と話を付けて問題は解決したのだけれど。その時には、私も葉山くんも、お互いにどう接したら良いのか分からなくなっていて。それは今も変わっていないわ。だから私達の間には、貴女が心配するようなことは何も無いのよ」

 

 雪ノ下は最後にそう言い添えて、淡々と続けた説明を終える。しかし誰も口を開かない状況に変化はなく、最後に話しかけられた形の三浦が時折なにかを言おうとするものの、明確な言葉にはならない。

 

 話を聞いた五人は、それぞれ当事者たる雪ノ下と葉山への思いを抱えながら、今知ったばかりの二人の過去を咀嚼して理解に努めていた。話をした雪ノ下は、初めて第三者にこの話を伝えられた満足感と、そして幾ばくかの寂寥感を感じていた。この話が遂に完全に、自分の中では過去のものになってしまったと思えたがゆえに。

 

「話したくないことを話させちゃって、ごめんね。でも、ありがとね、ゆきのん」

 

 それからどれほど時間が経ったのか。最初に口を開いたのは、やはり彼女だった。由比ヶ浜のこの発言で場の呪縛が解けたのか、まるで曲を歌い終えて電気が点いたカラオケ店の部屋のように、比企谷家のリビングが明るさを取り戻す。

 

「うん、私もごめん。事前に分かってたのに対処できなかった苛立ちが出てたなって正直思うし、でもそれって、雪ノ下さんが悪いわけじゃないのにね。あー、でもちょっと悔しいなぁ。日曜日に雪ノ下さんと会えてればなー」

 

「文化祭のために、相模さんに渡す教材を作っていたのだから、仕方がないわ。貴女が気に病むことではないし、巡り合わせが悪かっただけだと思うのだけれど」

 

 珍しく何を装うでもなく、海老名が素直に悔しがっている。それを宥める雪ノ下の言葉を聞いて、密かに相模南にも原因の一端があるような気がしてきた由比ヶ浜だが、彼女の責任を追及するのは堪える。巡り合わせが悪いことにかけては、おそらくこの場の誰よりも上で。彼女がずっとそれに苦められてきたことを、由比ヶ浜は知っているから。

 

「うちのお兄ちゃんも色々ありましたけど、雪乃さんや葉山さんでも色々あるんですねー」

 

 しんみりなりかけた部屋の空気を、小町の思い付きの発言が元に戻す。どこまで意図的なものなのだろうと考えながら、自分もその技を会得できないかなと考えながら、一色がそれに続く。

 

「ちょっとわたし的には、利用できそうにない情報だったのが残念ですね〜。ま、不戦勝になるなら別にそれでもいいんですけど」

 

 語尾にハートマークを付けているような語感を残して一色がそう言い終えると、先程までは涙目だった三浦が挑発に応える。

 

「口だけで行動に移さないのは不戦敗って言うんだし。それより……嘘を吐かないのは、その時の経験と関係があるんだし?」

 

 一色が反論のために口を開こうとするのを目で抑えて、これ以上はこの場で争うつもりは無いという意図が伝わったのを確認すると、三浦は珍しく少し言い淀んで、しかし尋ねる機会は今しか無いと考え直して言葉を継いだ。問われた雪ノ下は一瞬だけ目を大きく開いて、そして静かに首肯する。

 

「ええ。決定的な偽りを口にして物事を収めるような真似はしたくないと、その時に決意したのよ」

 

「あーしも、その気持ちは何となく分かるし」

 

 二人の間で一つの想いが共有されて、こうしてこの日の女子会はその目的を果たした。

 

 

***

 

 

 急な女子会を開かせたお詫びという名目で、小町をアシスタントにした雪ノ下が残りの四人に料理を振る舞って。多少の無理矢理感はあるものの、比企谷家のリビングは明るい雰囲気に戻っていた。

 

 雪ノ下が調理している間は決して手を触れさせなかったが、せめて後片付けぐらいは一緒にとせがむ由比ヶ浜をようやく受け入れて、二人はキッチンに横並びになって手を動かしている。

 

「そういえばゆきのん、家で陽乃さんが待ってるんじゃなかったっけ?」

 

「ええ。だから由比ヶ浜さんのお誘いがあって助かったわ。小町さんの迷惑にならない範囲で、できるだけ粘りたいのが正直なところね。理想としては、今日は帰宅できないような急用でも入ると良いのだけれど」

 

 しれっと酷いことを言う雪ノ下もまた、普段の調子を取り戻している様子だった。微妙な表情でたははと笑う由比ヶ浜に、雪ノ下は事情を説明する。

 

「あの人も、もちろん私もだけれど、知るべきことや学ぶべきことはまだまだ沢山あるから、一人の時間を持て余すということがないのよ。だから一晩ぐらい待ちぼうけを喰らわせたところで、残念ながら意にも介さないでしょうね」

 

 理屈は通っているようでも、何だか色々とおかしい気がした由比ヶ浜だったが、それ以上の追求は避けた。代わりに聞いてみたかったことを思い出したので、それを尋ねることにする。

 

「あのね。陽乃さんが高校生の時の文化祭なんだけどさ。最近色々と噂で聞くことが多いんだけど、どんな感じだったのかなって」

 

「……そうね。私達にも関係のあることだから、これが終わったら全員の前で話しましょうか」

 

 そのまま手早く片付けを済ませると、二人はソファで寛いでいる他の四人に合流した。由比ヶ浜と座る場所を入れ替えて、オットマンに腰を下ろした雪ノ下は、高校時代の姉の話を語り始めた。

 

 

***

 

 

 高校二年の秋に実行委員長として文化祭を大成功に導いた雪ノ下陽乃は、しかしその結果に満足していなかった。自分が現場に出て指揮を執ればこのぐらいはできるだろうと予測した、その通りの結果に過ぎなかったからだ。

 

 せっかく自ら前線に出たというのに、予想外のことは何も起こせなかった。目論見通りに事を進められる時点で人材として一級品なのは理解しているが、自分がその程度で満足してしまうのは面白くない。予測を下回るのは論外だが、予測通りの結果しか得られないのも駄目だ。高校の文化祭ですら予測を上回る成果を出せない者が、社会に出てから大きな成功を収められるはずがない。

 

 正直に言うと、親の取り巻きが口にした最後の所論に対しては異論があった。だがそれはそれとして、結果に満足していないという事実は変わらない。陽乃は自らの行いを顧みて、そして改善点を見出した。

 

 陽乃にとって人材とは、こちらの意図を忠実に履行できる者を指していた。文化祭の実行委員会の規模なら当然のこと、たとえ親の会社で一番大きな部署であっても、その隅々までもを把握して動かしていけるだけの自信を陽乃は既に有していた。ならば陽乃に必要な人材とは、動きの予測できる駒に他ならない。

 

 だが予想以上の成果を求めるのであれば、こうした人の使い方そのものを見直す必要がある。そう考えた陽乃は、やはり青かったと言うべきなのだろう。予測そのものを高める方向性に陽乃はもちろん気付いていたが、更に上を、今までに見たこともないような地平を陽乃は求めてしまった。

 

 七面倒くさい生徒会長などを務める気はさらさらなかった陽乃は、文化祭で自らの忠実な代弁者として働いた生徒にその名誉を与えた。今まで通り意外性のない退屈な高校生活を過ごして、気付けば陽乃は最終学年に進級していた。

 

 三年になっても、日々は淡々と過ぎていった。面白いことを求めて周囲にもそれを強要する陽乃は、しかし取り巻きの生徒達が楽しく過ごしているのとは裏腹に、何をしても楽しめなかった。全ては実行する前に結果が見えていたし、それを確認するだけの退屈な日々だった。

 

 そんな陽乃の無聊を慰める唯一の存在は、生活指導の教師だった。意味なく問題行動をしようとは思わないが、妥当な理由があれば校則を無視するのも当然と考えていた陽乃は、それでも一年や二年の頃は面倒を避けて過ごしていた。教師からのお小言というこの上なく無駄な時間を避ける為には必要な手間だと考えていたからだ。だが三年になって倦んだ日々を過ごしていた陽乃はその教師の厄介になることが増えて、そして少しずつ彼女との縁を重ねて行った。

 

 互いの理解を深め合っていた二人は、しかし教師と生徒の関係に束縛される。それ以上は踏み込めないと哀しそうに告げる教師に、陽乃は皮肉な表情で応えるしかなかった。もはや陽乃にとっては、かつて思い描いた理想を求めて最後の文化祭を待つことしか、楽しみは残っていなかった。

 

 その年の文化祭実行委員には、陽乃が面白いと思う人材が二人参加していた。一人はおでこが目に付く一年の女子生徒で、物事の本質や他人の性格を捉えるのが上手い割にはまるですれていないのが印象的だった。もう一人は二年の女子生徒で、この高校には珍しく正面から陽乃の言動を否定してくる行動力に恵まれていた。

 

 陽乃はその二人を文化祭の正副委員長に誘導して、しかし二人の仕事内容に関してはノータッチを貫いた。委員会では陽乃派の大多数の生徒と委員長との間で何度となく激しい議論が交わされたが、完全な決裂に至ることは一度もなかった。それは副委員長の資質の賜物と言って良いのだろう。

 

 委員長の意見には頓珍漢なものが多く、彼女は残念ながらその行動力に見合った思考力は持ち合わせていないようだった。高校内をほぼ完全に掌握している陽乃と正面切って対立している時点でそれは予想できたが、だからといって彼女の発想が全て無駄だという話にはならない。試験で満点を取るのは難しいが、同様に零点を取るのもまた難しいものなのだ。

 

 陽乃が見たいものはきっと、そうした答案の中にある。低得点者がたまたま書いた、模範解答とは異なるルートの正解にこそ、陽乃が求めるものがある。そうした自分の直感に従って、陽乃は少しずつ、自由な動きかたをする生徒を増やしていった。秩序の中に混沌を、そして混乱の中には規律を。

 

 結果としてその年の文化祭は、陽乃の予測とは少し違った面を持ち合わせたものになった。もちろんそれは、自由に動いて良しと陽乃が解き放った生徒達のことを、陽乃が深く分析しなかったことに原因がある。いかに陽乃とて、知らない要素までを組み入れた形で未来を予測するのは不可能だからだ。

 

 ともあれ陽乃の目的は果たされた。だが、やはり物足りなさが残る。文化祭の正副委員長から、生徒会長と書記へと肩書きを変えた二人の後輩を見て、自分が最後にこの高校に残すもののことを陽乃は考える。面白い後輩を残すという発想は陽乃にとって、最近の思い付きの中では飛び抜けて魅力的なものに思えた。

 

 だから陽乃は二人を鍛えることに決めた。大学入試は目前に迫っていたが、陽乃の学力に見合った志望校(この国の最高学府)に進学する案は親に却下されていた。地元の国立大学のしかも医学部以外と来れば、陽乃にすれば落ちるほうが難しい。ゆえに時間の余裕はたっぷりとあった。

 

 高三の秋というこの時期に、陽乃は新たな部活を設立した。顧問に件の生活指導の教師を据えて、来年度以降もこの部活は必ず存続させるという約束を生徒会と文書で取り交わして。巷の男子高校生が耳にしたらあらぬ希望を抱きそうな名前の部活は、こうして産声を上げた。

 

 生徒会の手に余る仕事を積極的に引き受けたり、時には生徒会や教員たちとの対決も辞さず、生徒達の自由な発想を面白い形で実現させるために陽乃は動いた。生徒会長との間の溝は更に深まったが、なぜか書記からは懐かれてしまった。にもかかわらず、生徒会長と書記の仲はその後も良好に見えた。それもまた彼女の資質がなせる業なのだろう。

 

 自由登校の時期になってからも最後まで部活動を続けた陽乃は、親が指定した大学・学部に難なく合格して卒業式の日を迎えると、潔く総武高校から去って行った。陽乃が発足させた部活は、四月に新入部員が入るまでの間、しばしの休眠期間に入った。

 

 

***

 

 

「じゃあ、陽乃さんが奉仕部の創始者ってことですか?」

 

 既に誰も歌わなくなって久しい室内で、カラオケ店お薦めのメニューで夕食を済ませて。お腹が膨らんで気分が落ち着いた八幡たちは、城廻めぐりが語る昔話を傾聴していた。総武高校の歴史の中でも屈指の盛り上がりと言われた二年前の文化祭と、それを裏から指揮した存在について、城廻は知っている限りのことを後輩三人に伝えた。

 

「さっきはるさんが楽しそうに、『こんな名前の部活を、雪乃ちゃんが設立するわけないよねー』って言ってたよ」

 

「それ、俺が質問するのを予測して、前もって答えを城廻先輩に伝えてたように聞こえるんですけど……」

 

 あの人は何でもありだなと呆れる八幡だった。

 

 当時の陽乃が何をどこまで考えてああした行動に出ていたのか、それは城廻ですら完全には把握しきれていない。そのため聞き手側で補完する必要があったのだが、だいたいこんな感じだろうと八幡は結論付ける。陽乃の行動原理を「退屈な日常に飽きた大魔王のお遊び」と仮定してみると、一応の筋道が立つような気がしたのだ。このことを知ったら陽乃はきっと、わざとらしくぷんぷん怒るのだろうが。

 

「ふむ、創作意欲の湧く話よの。八幡よ、原稿の初読みは週明けぞ。刮目して待つがよい!」

 

「雪ノ下さんとはちょっと違った、あのお姉さんらしい話だったよね」

 

 材木座義輝が何やら高笑いしているが、戸塚彩加にこそっと耳打ちされて八幡はとても寛容な気持ちになれた。今なら誰がどんなにうざい行動をしても、見逃してやろうと思えるのが不思議だ。

 

 程なく材木座が息切れを起こしたので、八幡は城廻に話の続きを促す。それを受けて、彼女は再び話し始めた。八幡たちが高校に入学した後の話を。

 

 

***

 

 

 ようやく陽乃が卒業したと思ったら入れ替わりで妹の入学が決まって、彼女が当然のように一人で奉仕部の活動を再開すると聞いて、報告を受けた生徒会長は椅子に座ったまま挙動不審に陥っていた。入学前のオリエンテーションを受けていた彼女から、誰かが無謀にも部活の希望を聞き出したらしい。

 

 実際に見もしないで、妹もきっと陽乃と同じ性格なのだろうと決めつけた生徒会長に非があったのは確かだが、同情の余地もまた大いにあったと言うべきだろう。それほどまでに、陽乃から受けた被害は甚大だった。主に生徒会長の精神面で。

 

 可能ならば関わりたくないという生徒会長の希望とは裏腹に、顔合わせの機会は程なく訪れた。新入生代表として入学式で挨拶をする予定の彼女と、在校生代表として挨拶をする予定の生徒会長は当日の朝、式が始まる直前に相まみえた。

 

 初めて会った彼女は、他人をまるで寄せ付けないほどの冷たい迫力に満ちていた。それが彼女の余裕の無さを反映していること、彼女の乗った車がほんの先刻に事故に遭ったことを、生徒会長も城廻もこの時には知らなかった。それは不幸な思い違いだった。

 

 きっかけは些細なこと。彼女のちょっとした振る舞いを、生徒会長が軽く咎めた程度のことだった。しかし彼女は下級生にあるまじき態度で、その指摘がいかに無意味でいかに押し付けがましいものであるかを、最初から最後まで論理的に語った。

 

 彼女にしてみれば、余裕の無い状態で思わず口火を切ってしまったことを後悔しつつも、入学式早々から感情的にならないようにと必死で堪えた結果なのだが、一言も言い返せなかった生徒会長の印象は全く違った。

 

 二人の諍いの場には何人かの新入生が居合わせていて、噂はそこから広まった。妥協を知らない彼女の性格にも多少の批判が寄せられたが、彼女の論旨が明瞭だったこともあり、生徒会長の些細な指摘が話の発端だったこともあり、校内の世論は生徒会長に問題があったと結論付けた。彼女の姉と生徒会長の不仲が全校に知れ渡っていたことも大きかったのだろう。

 

 以来、生徒会長は彼女との関わりを徹底的に避けた。持ち前の行動力を活かして、奉仕部に依頼が行きそうな案件は最優先で対処した。時おり彼女が一年代表のような立ち位置で生徒会長の前に現れることがあったが、大抵は別の男子生徒が同じく一年代表として控えていたので、無難にやり過ごすのは難しくなかった。

 

 秋の選挙を経て城廻が生徒会長に就任してからも、推薦で進学が決まっていた前会長は奉仕部の仕事を肩代わりし続けた。自分や生徒会が迷惑をこうむらないように、奉仕部に仕事をさせないようにという前会長の本来の意図は、この頃には半ば忘れられていた。

 

 ただひたすらに己の為すべきことを果たし続けるその行動力はかつて、前会長が誇る唯一の長所だった。そんな前会長はいつしか、大抵の仕事をこなせるまでになっていたが、当人も周囲もそれを深く追求することはなかった。

 

 自由登校の時期になってもそれを続け、卒業式を境にぱったりと姿を見せなくなった前会長の行動は奇しくも、一年前の陽乃と重なって見えた。

 

 

***

 

 

「生徒会長と揉めた話は知ってたけど、事故の直後だったとはねー」

 

「貴女には少し前にも同じことを言ったと思うのだけれど、これも巡り合わせが悪かったのよ。だから、由比ヶ浜さんが責任を感じることはないのよ」

 

 雪ノ下が昨年度までの話を語り終えると、海老名が最初に反応を見せた。先程までの会話を振り返りながらそれに軽く応じると、雪ノ下は続けて海老名の奥に座っている由比ヶ浜を気遣う。

 

「誰が悪いかって言えば、車道に飛び出したお兄ちゃんですからねー。あの時に小町がどれだけ心配したか、お兄ちゃんってば今でも、分かってるつもりで分かってないんだろうなー」

 

 小町もまた由比ヶ浜を気遣ってか、軽い口調で兄をくさす。とはいえ、それは兄妹の間では決着した話なので、小町の口調は柔らかくそして温かい。それを真似るような声で、続けて一色がぼそっと呟く。

 

「なにげに先輩方って、入学直後から色々と複雑な関係になってますよね〜」

 

「あれ、でもいろはちゃんも入学式の日に……」

 

「結衣先輩、ストップです」

 

 小町の声を真似ていたのは一瞬だけで、由比ヶ浜の発言に言葉をかぶせて可愛らしく圧力をかける一色だった。養殖から天然への脱皮は、なかなか一筋縄ではいかないものらしい。

 

 とはいえ由比ヶ浜の意識を別に向けたことで、当人を含めた全員がほっとしたのも確かだった。気遣いの必要が無いのならば、素直に己の欲するところを為すべしとばかりに三浦が口を開く。

 

「んで、二年になってからはどうだったんだし?」

 

 三浦の催促を受けて雪ノ下は三たび、過去の話を語り始めるのだった。

 

 

***

 

 

 城廻が三年に進級してこの世界に捕らわれてからも、彼女との関係は冷ややかなままだった。ログイン当日の彼女の演説を契機に、非常時を理由に関係の改善ができないものかと模索したが、彼女の反応は芳しくなかった。

 

 城廻個人には問題がなくとも、前会長とも彼女の姉とも仲が良かったことは知られている。それでも生徒会と奉仕部の冷戦状態を放置するつもりのない城廻は、静かに次の機会を窺っていた。

 

 前会長の行動力も、そして陽乃の才覚も持ち合わせていないと自覚している城廻は、他人に頼ることに迷いが無かった。同時に、自らが動く前に情報を集めることを重視した。自分の能力や性格を考えると、アドリブで対応を求められる機会を減らすことが結果の向上に繋がると理解していたからだった。

 

 変化は急激に訪れた。奉仕部に男性部員が加わって、すぐさま女性部員がそれに続いた。どうやら依頼も舞い込んでいるらしい。彼女が入学してから一年以上に亘って閑古鳥だった奉仕部は、にわかに活況を呈していた。

 

 そうした情報を得ても、城廻は動かなかった。現時点では顧問の伝手によって依頼が続いているに過ぎない。それに、生徒会が奉仕部に関与するに足る理由も無い。彼女と直接向かい合った数少ない過去の記憶から、無用な介入は逆鱗に触れるだけだと理解している城廻は焦らず静観を続けた。

 

 この世界に巻き込まれてからの奉仕部の活躍は目覚ましく、発端は個人的な依頼に過ぎなかったというテニス勝負を一大興行として成功させた時点で、彼女の名は校内に燦然と響き渡った。だが城廻からしてみれば、彼女はあの陽乃の妹である。これぐらいの活躍は当然だと、なぜか当人以上に鼻高々な城廻だった。陰ながら見守るのが高じて、親馬鹿のような心境に陥りかけていたのだろう。

 

 そして、待ちに待った機会が訪れた。とはいえそれは、奉仕部の男性部員が悪い噂を流されているという、あまり好ましくはない形だった。情報を精査した結果、放置していてもそれほど害のない噂だと思われたが、早期の対処が可能であるならばそれを怠る理由もない。

 

 城廻は意を決して、自ら奉仕部の部室に赴いた。部室前の通路で一対一で向かい合ってみると、彼女は最大限にこちらを警戒していた。変な企みは逆効果だと考えた城廻は、苦手なアドリブに賭けることにする。それが一番、彼女の警戒を和らげるだろうと考えて。

 

 変な意図はないと幾度となく伝えて、部室に招き入れられてからも取り繕うことなく素直に接した城廻は、遂に彼女の疑いを晴らした。話の流れで、今まで誰にも告げたことのないはずの下級生への想い(先輩からして貰った事を後輩に返す)まで伝えてしまい、照れ臭さが最高潮に達した城廻だったが、自分を見る彼女の視線は温かかった。

 

 この時を契機に、城廻は彼女を陽乃の妹としてではなく、雪ノ下雪乃として見るようになった。

 

 

***

 

 

「あれ。もしかして私、また余計なことまで喋っちゃった?」

 

 できれば、後輩を温かく見守る先輩になりたいのになと城廻は思う。雪ノ下にしろ目の前の男子生徒達にしろ、この面々を相手にしていると、後輩から温かく見守られる先輩というポジションに陥ることが多いのはなぜだろうか。

 

「会長の気持ちは、雪ノ下さんにも届いていると思いますよ。ね、八幡?」

 

「だな。あれだけ寄らば斬るを実践している雪ノ下が、城廻先輩に対してだとなんと言うか、陽乃さんよりも身内みたいな感じの扱いなんだよなー」

 

「我なんて、斬られる以外の対応を受けたことが無いでござる」

 

 戸塚の呼びかけに応える八幡は、城廻を更に照れさせるようなことを口にした。とはいえ、よくよく聞けば各方面に喧嘩を売っているような内容でもあるので、この発言が彼女らに伝わらないことを八幡は祈るべきなのだろう。

 

「じゃ、じゃあそろそろ、今日はお開きにしよっか」

 

「ですね。なんか色々とありがとうございました。その、何かあったら頼るかもしれませんけど、俺よりも、できればあいつらをよろしくお願いします」

 

 城廻が解散を提案すると、八幡はそう言って頭を下げた。そんな自分の行動に自分で驚き、八幡は同時に納得してもいた。八幡がこれほど素直になる相手は他にはあの恩師ぐらいだが、彼女の前ですら多少の対抗意識というか、変な意地みたいなものを張ってしまうことがままある。だが目の前の先輩には、そんなものは必要ないのだと思わせてくれる何かがある。

 

 よくよく話してみないと判りにくいけれど、自分たちは地味に凄い生徒会長を戴いているんだなと、八幡はそんなことを考える。

 

「また集まるぞー。おー!」

 

 こうして唱和を強制するのは勘弁して欲しいけれど、と心の中で付け足す八幡だった。

 

 

***

 

 

 そして同時刻。

 

「じゃ、あーしらは帰るし」

 

「色んなお話も聞けましたし、雪ノ下先輩のお料理も、また食べさせて下さいね〜」

 

 三浦がそう宣告して立ち上がると、一色がそれに続いた。おいしいものが好きな可愛らしい女子高生を演じているのが丸分かりだが、雪ノ下が作った晩ご飯をまたいつか味わってみたいというのは本音のようだ。

 

「じゃあ小町は、皆さんをちょっと送ってきますねー」

 

「うん、お願いね。雪ノ下さんは、ちゃんとヒキタニくんに過去の話を説明しといてね。結衣が同席してたら大丈夫だろうし、いざとなったら小町ちゃんを頼ってもいいんだしさ」

 

「そ、その。やっぱり今夜中に話さないと駄目なのかしら?」

 

「だってゆきのん、さっき『小町さんの迷惑にならない範囲で、できるだけ粘りたいのが正直なところね』って言ってたじゃん。それに、こういう話は早いほうがいいよ。さいちゃんにはあたしかヒッキーが伝えておくけど、ヒッキーにはちゃんと直接伝えるのがいいと思う」

 

 解散直前に今日の話をざっと振り返った彼女らは、千葉村に集まった面々にはきちんとした情報を伝えておくべきだという結論に至った。誰か一人、お調子者の男子生徒が忘れられている気もするが、彼への説明には葉山が責任を持つべきだと、彼女らは考えているのだろう。たぶん、きっと。

 

 

 小町が三人を見送りに出かけて、家の中には雪ノ下と由比ヶ浜だけが残った。ソファに並んで座ってぽつぽつと会話を続けながら、二人は静かに同じ部活の男子生徒が帰宅するのを待っていた。




本話で書いた過去の話は原作とは違う可能性がありますが、続刊の内容に合わせた修正はよほどのことがない限り考えていません。この点ご了承下さい。

よろしければ、前回の女子会(4巻6話)や、雪ノ下視点で見た城廻との和解(2巻5話)も合わせてどうぞ。

次回は来週の木曜日、それが無理な場合はその後の数日内に更新する予定です。
更新時間は22時から深夜2時までの間で、それ以外の時間帯には更新はないとお考え下さい。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
少し説明を付け足して、細かな表現を修正しました。大筋に変更はありません。(10/29)

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