俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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非常に長くなってしまったので、ご注意下さい。

以下、前回までのあらすじ。

 雪ノ下も由比ヶ浜も居ない月曜日のお昼休み。八幡は独り部室にて今学期のあれこれを振り返って、あの二人がやる気なのだから自分もと気合いを入れ直した。

 だが午後に行われた文実の全体会議は遅々として進まず、雪ノ下が健在の折にはついぞ見られなかった勝手気ままな雑談が会議室内に飛び交っていた。委員長の相模もそんな雰囲気に押されて、仕事を延期しようと言い出す始末。かろうじて副委員長の藤沢が待ったを掛けたものの、状況は手詰まりだった。

 八幡は会議室内の空気をぶち壊すことを企てて、機会を捉えてそれを実行に移した。平塚先生と城廻がその後の混乱を収拾してくれて、何とか今日の仕事を進められる目処が立ったと思ったのも束の間。今から一時間後に、現地マスコミによる合同取材を行うために、現実世界と映像通話(注)を結ぶという通知が運営から届いた。

(注)前話の後書きにも書きましたが、初稿で「音声通話」とあったのは作者のミスです。この時点で映像通話を避ける必然性は全く無いのに、読者様を混乱させかねない表現を見落としたまま長く気付けず、申し訳ありませんでした。



13.ぐだぐだした空気すらも彼女たちは一変させる。

 現地テレビ局と新聞社による合同取材が行われるまで、あと一時間。

 

 比企谷八幡は、もう一度その現状を頭の中で自分に言い聞かせて、そして順繰りに教室内を見渡した。意識を自分の内面から戻して、焦点をまずは遠方に合わせる。正副委員長と生徒会長が顔を突き合わせて話し合っているが、その会話は途切れがちに見える。

 

 視界を左右に広げると、ただならぬ雰囲気を全員が感じ取っているのだろう。会議室内のほとんどの生徒は、主に生徒会長の城廻めぐりに視線を当てて、話し合いの結末を待っている。そして少数ではあるものの、八幡を始めとした渉外部門が妙に浮き足立っていることに気付いて、こちらのほうに訝しげな目線を送ってくる生徒も居る。

 

 意識を自分の周囲に向けると、雪ノ下雪乃からのメッセージに自分の名前が書かれていたからだろうか。渉外の面々が指示待ちといった様子で、ちらちらと八幡の様子を窺っているのが見て取れた。

 

 先程あれだけ空気の読めない発言をした自分が、こうして普通に近い扱いを受けられるのは、やはり雪ノ下のお墨付きのお陰なのだろうなと八幡は思う。それに加えて、ほんの数日ではあるが先週から一緒に仕事をしていることも影響しているのかもしれない。だが今は理由を追及できる状況でもないので、八幡は遠慮なくそうした扱いを利用することにした。

 

 

「んじゃ、ちょっとすんません。渉外全員で話し合いをするので、近くに集まって貰えますか?」

 

 他人に指示を出し慣れていない八幡の声は、それほど大きくはなかったものの、幸い聞き返されることはなかった。言葉が明瞭ではなくとも、八幡の身振りだけで言いたいことが伝わっていたせいもあるのだろう。

 

 自分たちの行動に目を向ける生徒の数が少しずつ増えているのを視界の端で確認しつつ、八幡は近くに集めた同じ部門の生徒たちを見渡して、そして口火を切った。

 

「えっと、雪ノ下が送ってきた内容以外に、何か情報を知ってる人って居ます?」

 

 全員が首を横に振るのを確認して、そのまま八幡は話を進める。本来であれば、先程の全体会議で進捗を説明して貰った先輩に進行役を譲るべきなのだろうが、今は時間が惜しい。こんな程度で怒るような性格ではないことを願いつつ。同時に、怒られるならその時は大人しく怒られようと考えながら八幡は言葉を続ける。

 

「たぶん委員長とかの様子を見る限り、今のところ判明しているのはあれで全部みたいですね。じゃあ……合同取材がどれほどの規模か分かんないですけど、正副委員長以外に誰かを同席させるべきなのか。それから、想定される質問と模範解答を検討して。あ、運営の人も同席するのか確認もしておきたいし……」

 

「それに、雪ノ下さんになんて言って返事をしたら良いのか……」

 

「いや、それはもう少し後にしようぜ。最悪、雪ノ下に出て来て貰うことになるが……雪ノ下の知恵を借りるにしても、俺らが混乱したまま何を相談して良いのかすら分からん状態だったら話にならんからな」

 

 取材の光景を想像しながら、思い付くまま課題を口にしていた八幡だが、そこで雪ノ下と同じJ組の実行委員が口を挟んでくれた。このまま独白を続けるべきかと思い始めた矢先のことゆえ、意見を出してくれて助かったと内心では思っているのに、やはり八幡にも焦りがあるのだろう。提案を頭から否定してしまい、もしかしてやらかしてしまったかと心の中では冷や汗の八幡だった。

 

 だが幸いなことに、別の生徒が続けて発言してくれた。全体向けに発表してくれた例の先輩だ。

 

「そういえば、今日の会議でも話題に出なくて、どうしたもんかと思ってたんだけどな。今年の文化祭のスローガンって、まだ決まってないよな。取材で聞かれたら……?」

 

 その他の生徒たちも「そういえば」と口を開き始めるのを見て、八幡は内心で胸をなで下ろしていた。確かに先輩の指摘は緊急の課題なのだが、有益な指摘をしてくれたと同時に他の面々が口を開きやすい環境を作ってくれたのも大きいと八幡は思った。これなら、何とか話を進められそうだ。

 

「逆に、取材の時に発表すべく温存してたって形にしたら効果的かもですね。っておい、なんか『うわぁー』って目で見られてる気がするんだが」

 

「いや、悪知恵が働くもんだなって思ってさ。じゃあ今からスローガンを考えるってことだよな?」

 

「だな。こういう面での雪ノ下のセンスは期待できねーから、この場で考えたほうが……いや、他の部門も巻き込んで相談した方が良いな。この中で顔が広い人って誰か居ます?」

 

 気安く合いの手を入れてくれるJ組の実行委員に少し驚きつつ、内心で「ふっ、好感度を上げてしまったか」などと馬鹿なことを考えて平静を取り戻して、八幡はそう問いかけた。

 

「じゃあ、わたしが。暇そうにしてる他の部門の人たちを集めて、スローガンの相談をしたらいいんだよね?」

 

「ですね。さっき会長が『各々がやるべき仕事を考えて、それをどんどん進めてくれ』って言ってましたし。首脳陣は取材の対策だけで余裕がなさそうですし、勝手に進めて良いんじゃないですかね」

 

「でもさ、雪ノ下さんの意見を聞かなくても本当に大丈夫?」

 

「なんか難しそうな四字熟語とか出して来そうですしね。それが『一意専心』ぐらいならともかく、『八紘一宇』とか『上意下達』とか『絶対服従』とか言い出しかねないですし」

 

「ちょ、雪ノ下さんにそこまで好き放題言えるのって、君ぐらいしか居ないよね」

 

 八幡としては真顔で言ったつもりなのだが、三年の女性の先輩には冗談として受け取られたみたいだ。いずれにせよ、前向きに動いてくれるのなら、発言をどう解釈されようとも構わないと八幡は思った。渉外からも何人かを引き連れて、他の部門の生徒にどんどん声を掛けている先輩を頼もしく眺めて、八幡は頭を切り換える。

 

「んじゃ、雪ノ下に何て言って報告して指示を仰ぐかだが……。委員長を無視するのは問題だろうし、誰か二人組で状況を聞きに行って貰えませんか。俺が行くのは問題だと思うので」

 

「ぷっ、あんなパフォーマンスをしちゃったら無理ですよね。えっと、二人組の理由を聞いてもいいですか?」

 

「あー、えっと。一人が委員長たちに張り付いて、一人が定期的に報告に来て欲しいって感じなんだが。とりあえず最優先で、運営に連絡を取ったか確認して欲しいんだわ。連絡してたらその内容を、取ってなかったら大きく×印でも出してくれ」

 

 先程の行動によって、実行委員から総スカンを喰らっていると思っていた八幡だが、意外に好意的な後輩女子(わりと可愛い)の反応に少しドキドキしてしまった。だが、あの二人は勿論のこと、どこぞやのあざと可愛い後輩と比べてもまだまだだねと奇妙な口癖を内心で呟いて心を落ち着けて、八幡は具体的な指示を出した。

 

 それに応えて、後輩の男女二人組が動き始める。息の合った様子の彼らを見て「あれっ、もしかして?」と思わなくもない八幡だったが、犬に食われるのは嫌なので思考を戻す。程なく、彼らから大きな×印が送られてきた。

 

「んじゃ雪ノ下から運営に連絡を取って貰って。運営からも同席者が居るのかから始まって、搾り取れるだけの情報を搾り取って貰うのと。取材に来る連中についても事前情報を知りたいよな。後は……」

 

「先の話だけど、取材の結果がどんなふうに報道されるのかも気になるな」

 

「あ、ですね。正直、取材の後のことは考えてなかったので助かります。とりあえずそんな感じで雪ノ下にも動いて貰うので、平行して想定問答集の作成に入って貰って良いですか?」

 

「オッケー。そっちは俺が主導するから、雪ノ下さんへの連絡を頼む」

 

 今日はこの先輩にお世話になりっぱなしだなと思いながら、八幡は群れから少し離れて、雪ノ下に音声通話を申請した。

 

 

***

 

 

『比企谷くんね。今、何か見られて困るような状況には無いわよね?』

 

「まあ、会議室の隅に居るだけで、別に見られても大丈夫だとは思うが」

 

『なるほど、定位置というわけね。何か問題を起こしたのでなければ良いのだけれど……その話は後にして、会議室の様子も見たいので、すぐに映像通話でかけ直すわね』

 

「おい……って切りやがった」

 

 何を根拠にそう考えたのかは分からないが、現状を正確に推測してくる雪ノ下に八幡は苦笑いするしかない。今日も丸一日は休ませることができなかったが、八幡に斬りかかる言葉の刃は鋭い。どうやらかなり回復したみたいだなと、少しだけ肩の荷が軽くなった気がした八幡だった。

 

「ん、てことは、雪ノ下も人前に出られる格好になってるってことか」

 

 そう呟いた八幡に応えるように、映像通話の許可を求めるポップアップが眼前に提示される。それを受諾すると、八幡の身体の正面に、相手の上半身を原寸大に表示できる程度の大きさにまで画面が広がった。

 

『お待たせしたわね。会議室の中を見渡せるように、少し身体の位置を……ええ、それで大丈夫よ。混乱が酷いのではないかと危惧していたのだけれど、幾つかのグループにまとまって話し合いをしている様子だし、指揮系統は維持できているみたいね』

 

「まあ、下の勝手な判断で動いてるだけなんだがな。つーか制服姿なのな」

 

『ええ。いざという時にはすぐに動けるようにと着替えてみたのよ。一日中ずっと寝ていられるわけでもなし。午後からは由比ヶ浜さんと一緒に運動をしていたので、気にしなくても大丈夫よ』

 

 ずっと寝ていられないとは、たしか昨日も言っていたなと八幡は思い出す。体調を回復させるために一日をどう過ごすべきか、その行動規範もさすがは雪ノ下だと言うしかないのだろう。これなら、ずっと一緒に居るはずの由比ヶ浜結衣も元気を取り戻しているはずだ。

 

 先程の発言の切れ味から雪ノ下の回復具合を実感できたこともあり、少し気の抜けた八幡は話を聞きながら思わず、二人がくんずほぐれつな運動をしている様を想像してしまった。慌てて頭を振ってそのイメージを追い払う(なお八幡の名誉のために明記しておくが、想像の中の二人はあられもない姿ではなく、Tシャツにブルマー着用という実に健全な身なりだった)。

 

「もしかして、フィットネス用のマシンとかも家にあるのかよ。まあ確かにお前はもう少し鍛えたほうが良いとは思うが……って雑談してる場合じゃねーな。結論から言うと、お前が知ってる以上の情報はこっちには無い。だから運営と連絡を取って、同席者の情報とか取材に来る連中の情報とか、色々と仕入れて欲しいんだが」

 

『そこは予想通りね。既に運営とは連絡を取ったわ。同行者は、職場見学の時に私の相手をしてくれた人と、貴方の相手をしてくれた人の計二名よ。運営も気を遣ってくれたのかしら』

 

「あー、あの人か。先月も一般公開直前に千葉村を案内して貰ったし、顔見知りが来るのは助かるな。んで、取材陣は?」

 

『今回の取材を主導しているのは、国営放送の現地支局から一名、地元ローカルのテレビ局と新聞社から各一名の計三名よ。国営放送の千葉放送局はFM放送のみだったと思うのだけれど、ニュース媒体もその三つだと考えるのが自然かしら』

 

「FMってことは『昼どき情報ちば』で紹介されるんだろうな。ラッカ☆人に呟いて貰えるとか、想像したらちょっと胸熱なんだが!」

 

『貴方の千葉好きには、時々ついて行けないと思う時があるわね……』

 

 画面の向こうでは雪ノ下が頭に手をやっているが、その所作はすっかり普段通りのものだ。そもそも、こちらが連絡する前に現場の状況を推測してここまで動いている時点で、雪ノ下の体調はほぼ回復しているのだろう。とはいえ雪ノ下を呼び出さずに済ませられるのなら、今日ぐらいは家で過ごさせたいと八幡は思う。

 

「んじゃ最後な。今回の取材、お前が出て来るべきだと思うか?」

 

『正直に言うと、その程度なら正副委員長で何とかして欲しいのが本音ではあるわね。ただ、取材に来る人たちの性格次第という部分があるのと、答えに詰まった時にフォローできる人材が居ないのよね。城廻先輩はフォローされる側が合っていると思うのだけれど、他に適任が居るかというと……』

 

 だから後輩から温かく見守られるのではなく後輩を温かく見守る先輩になりたいのにと、城廻がぽわぽわ怒っている姿を想像してしまった八幡だった。

 

「一応こっちで想定問答集を作ってはいるんだが。城廻先輩も含めて、みんなアドリブに弱そうなのがちょっと心配ではあるな」

 

『家に居ながらでも、その問答集の添削ぐらいならできると思うのだけれど。決め手に欠けるわね』

 

「ま、今日は休むって話だったし、ひとまず自宅待機で良いんじゃね。取材の面々を見て、やばそうだったら即連絡するけどな」

 

『ええ、お願いね。問答集は、グループ内で共有する形で』

 

「はいよ、了解。んじゃ、お前を呼ぶ呼ばないにかかわらず、取材開始の時間ぐらいにまた連絡するわ」

 

 しっかり頷いた雪ノ下としばし見つめ合って、恥ずかしさから先に目を逸らした八幡は、そのまま通話の終了を選択した。

 

 

***

 

 

 雪ノ下の容赦のない添削をくぐり抜けた想定問答集を、取材を受ける三人に送り届けさせて。再び教室の隅に戻った八幡は、入り口付近の一角を眺めて過ごしていた。椅子を六つほど並べられる長さの机を向かい合わせにして、取材を受けるために急遽作られたブースには、既に五人が腰を下ろしている。

 

 机の両端には、運営から派遣された二人が座っていた。こちらの姿を認めて片手を挙げる旧知の男に、八幡は軽く頭を下げかけた後で、彼に倣って片手を挙げることで応えた。

 

 その彼の隣には、城廻に代わって生徒会を代表する形で、本牧牧人が控えていた。苦労人の気配が漂う本牧だが、だからこそ縁の下で誰かをフォローする役割には適していると城廻から推薦を受けて、今日は一行に名を連ねることになったのだった。おそらく、その城廻の評価は正しいのだろうと八幡は思う。

 

 本牧の横には副委員長の藤沢沙和子が。更にその横には委員長の相模南が。そして一つ席を飛ばした横では、職場見学や東京わんにゃんショーで雪ノ下の相手を務めた運営の女性が、旧知の生徒との再会が叶わず目に見えて落ち込んでいた。子供のように喜怒哀楽が素直な彼女を見て、大人にも色んな人が居るんだなと八幡は思う。願わくば、今日の取材陣がまともな人たちばかりでありますように。

 

 

「ふーん、まあまあ凄いね」

「本当に、現実と言われても違和感がないぐらいに精巧な世界だな。ワシの想像を超えとるわい」

「みなさーん、こんにちはー!」

 

 唐突に、五人と向かい合った席に三人の大人が姿を現した。いずれも座った姿勢になっているが、現実世界でもそうとは限らないと運営の人が先ほど説明してくれた。夏休みに現実世界の両親と食事をした八幡は、そう言えばあの時もずっと座ったままだったよなと、その説明に納得している。とはいえタブレットなり既に教室に備え付けられているというモニターなりを、彼らが食い入るように覗き込んでいるのは確実だろう。

 

 正式な取材開始に先立って、ブースではお互いの自己紹介が行われている。最初に発言した男が少し嫌な感じだなと思いながら、八幡は雪ノ下に連絡を取るべく、今度は最初から映像通話を申請した。

 

「どうだ、見えるか?」

 

『ええ。……アラサーぐらいに見える男性記者が、少し嫌な感じかしら』

 

「なんか検察みたいにネチネチ言いそうな感じだよな。初老の男の人は温厚っていうか『ホトケの何とかさん』って感じだし、もう一人の女性記者は年相応にミーハーな感じで扱いやすそうなんだけどな」

 

 そう言い終えて、気付けば画面の向こうでは、すぐ近くに置いてあったらしいお盆で顔を隠して雪ノ下がぷるぷる震えている。やがて身震いが止んでお盆が視界から消えると、そこには喜色で頬を少し上気させ、口元をほころばせる雪ノ下の顔があった。ぷっくりと膨らんだ血色の良い唇が動く。

 

『比企谷くん……採・用』

 

 嬉しそうな顔で「却・下」とか言われるよりはマシかもしれないが、何だかここまで受けると却って気恥ずかしい。そう思いながらも八幡は、念のために雪ノ下の意図を確認する。

 

「んじゃ、あいつらのコードネームは、ケンサツとホトケとミーハーな」

 

『そんな昭和のセンスも、たまには悪くないわね』

 

 あれっ、と思っていたのとは違う反応が返ってきたことに戸惑う八幡だが、既に正式な取材が始まってしまった今となってはお互いのセンスを競っている場合でもないので話を進めることにする。

 

「今のところ、台本丸読みだけど話は進んでるな。相模が一行飛ばして読んだ時も、すかさず本牧がフォローしてたし」

 

『相模さんは緊張しすぎる時があると思うのだけれど、それは何とか改善できないのかしら?』

 

「どうだろな。失敗を重ねるほどに緊張するって悪循環だよな。でも由比ヶ浜が、相模は不幸体質だって言ってただろ。それなら日頃から身構えてるぐらいでちょうど良いのかもしれんし、何とも言えんな」

 

『もしかしたら、第一歩に問題があるのかもしれないわね。たとえ小さなことでも、成功の一歩を踏み出せれば違ってくるような気もするのだけれど』

 

「それもどうかね。目標とか理想が変に高いのが問題って気もするけどな。……って、ちょっとやばいな」

 

 二人が相模の改善案を検討している間に、取材はいつの間にか熱を帯びたものになっていた。問題は、記者が問うているのが文化祭に関するあれこれではなく、この世界に巻き込まれた事件についてのものだったことだ。

 

「本当に、この世界に閉じ込められて悔しいとか哀しいとか腹立たしいとか、そうした気持ちは無いんですか?」

「まあまあ。そうきつい口調だと、生徒さんも返事をしにくいだろうさ」

「でも、現実とは違った体験ができるんでしょ。みんな揃ってアリーナ最前列でライブを観たりとか、羨ましいなー」

 

「そんな気楽なことを言っている場合じゃ無いですよ。これだけの数が年単位で捕らわれている事件なんですよ!」

「まあまあ。千葉に着任して早々という話だし、義憤に燃えるのも分かるが、ワシらの間で揉めても仕方が無かろう」

「最近では保護者も、全寮制の学校に行かせてるような感覚になってるって言いますしねー」

 

 要するに、ケンサツだけ意識のズレがあるのだなと八幡は思った。その正義感は結構なことだが、今更この環境に巻き込まれたことへの怒りを表明しろと言われても、既に自分たちは半年近くをこの世界で過ごしているのだ。いつの間にかすっかり適応していたのだな、とは思うが、嘆くような段階はとっくの昔に終わっている。この記者は、被害者はいつまでも哀しみを湛えているべきだ、とでも考えているのだろうか。

 

 ホトケもミーハーも、ケンサツとはまともに話をしたくないように見える。おそらくあの二人は、先程まで相模が読んでいた台本のコピーが手に入れば、すぐにでも退席したいと言い出すのではないか。だが、ケンサツにお帰り頂くのは骨が折れそうだ。

 

「あれだな。短期決戦で叩き返した方が良いのかもな」

 

『その後で全体会議を行えば、貴方の今日の行動に対しても、少しはフォローができると思うのだけれど』

 

「げっ。お前、誰かから何か聞いたのか?」

 

『さあ、どうかしら。比企谷くんの自己申告を楽しみに待っているわね』

 

 やっぱり、あのケンサツよりも、もしかしたら本物の検察よりも、万全の状態で本気モードの雪ノ下のほうが怖いかもしれないと八幡は思った。

 

 だが、覆水は盆に返らない。知られてしまったことは覆せないし、お盆の向こうに隠れていた雪ノ下のあの表情を見たこともまた、無かったことにはできない。怖いことや嬉しいこと、悔しいことや楽しいことを積み重ねた先に、今の自分があるのだと八幡は思う。だからこそ、あの記者の戯れ言をこのまま聞き続けるのは御免こうむりたい。

 

「あのな。今回の取材に対して、俺が出張ってもできることは無さそうなんだわ」

 

『そうね。でも私なら、上手く対処ができると思うわ』

 

「だろうな。ところで、由比ヶ浜はどうしてる?」

 

『できれば今日も一日休ませたいと思って、貴方と通話をした後で客室に移動して貰ったのだけれど……どうかしたのかしら?』

 

「お前ら二人に頼みがある。由比ヶ浜を呼んでくるか、客室まで移動してくれるか?」

 

『そうね……昨日と同じ形だし、良いでしょう。客室に移動するわ。少しだけ待っていて欲しいのだけれど』

 

 一時的に画面が暗くなって、音だけが聞こえてくる。昨日お邪魔したばかりなので鮮明なままの記憶を脳裏に蘇らせて、八幡は雪ノ下の後を追って客室に移動している自分を想像する。

 

 だがそれをぶち壊すかのように、会議室の前のほうからは、感情的に声を荒げてケンサツが何やら偉そうに演説をしているのが聞こえてくる。高校生を相手に、そして犯罪を起こした組織に属するという弱い立場にある運営の二人を相手に、随分とご立派なことだ。

 

『ヒッキー、やっはろー!』

 

「おう。かなり元気になったみたいだな。んで、早速で悪いんだが、お前らに……」

 

『ヒッキーがお願い事をするなんて珍しいし、大丈夫だよ。何でも言って!』

 

 昨日と同様にベッドに伏せっているか、あるいは玄関までお見送りに出て来てくれた時の格好なのかと思いきや。意外にも制服姿で、由比ヶ浜が雪ノ下と並んで画面に映っている。おそらくは雪ノ下にとっても想定外の姿だったのだろうが、これが由比ヶ浜なのだと八幡は思う。強くて優しい女の子。そして、優しくて強い女の子。

 

 この二人を、結局は今日一日すらも休ませることができなかったなと思いつつ。それでも八幡は自分のために、そしてついでに有象無象の連中のために、現状の最適解を選択する。

 

 この世界に対する想いは、あんなぽっと出の記者に偉そうに語られるほど軽いものでは無い。そんな自分の中にある嫌悪感を第一に。そしてついでに、同じ環境下の生徒たちならきっと、あんなふうに言われたら何かしらの葛藤を覚えるだろうから。個人的な願望のあくまでもおまけとして、それを解決するために、二人を頼る。

 

「雪ノ下には、取材を受けてるあいつらの助っ人に来て欲しい。んで、由比ヶ浜も一緒に来て貰って、雪ノ下の活躍ぶりを、俺と一緒に見届けて欲しいんだわ」

 

 由比ヶ浜だけを蚊帳の外扱いにしないために。そして、この世界に巻き込まれた意味を再考せざるを得ない現状において、俺が二人に、側に居て欲しいと思うがゆえに。

 

 これは別に男女のあれこれ的なあれではないと八幡は思う。そうではなくて、あるいはそれよりも、この世界に巻き込まれてからの長い時間を共に過ごした仲間と一緒に、同じ仲間があのくだらない記者を返り討ちにする姿を見たいという我欲によるものだと八幡は思う。

 

 そして、長く虐げられた環境で過ごして来た者として、この世界に巻き込まれるという不運を共有した連中のことを見捨てたくないという気持ちも八幡にはあった。別に良い子ぶりたいわけでは無い。ただ、カースト底辺の自分を見下して悦に浸っていたような連中と同じにはなりたくないから。だから、自分の要望を叶えるついでに、他の生徒たちが抱いているであろう陰鬱な気持ちも吹き飛ばしてやろうと八幡は思う。

 

『了解。今すぐ個室から移動して、数分で会議室まで行けると思うわ』

『あたしも一緒に行くから。待っててね、ヒッキー』

 

 このようにして八幡は、雪ノ下と由比ヶ浜を会議室に召喚した。

 

 

***

 

 

 二人の女子生徒が会議室に姿を現すと、記者の演説によってざわついていた教室内に、涼やかな風が流れ込んだような錯覚に陥った。自分で呼んでおいて変な話だが、登場しただけでここまで劇的な反応を得られるのかと八幡は思う。

 

 二人は入り口で顔を見合わせて頷きを交わすと、一人は教室後方隅に向けて、そしてもう一人は取材が行われているブースに向けて動き始めた。問題など最初から何も起きていないとでも言いたげに、見る者を安心させる静かで深みのある笑顔を湛えて由比ヶ浜が近付いてくる。それを待てず、気付けば歩き出していた八幡は、教室の真ん中辺りで部活仲間と合流した。

 

「失礼します。所用で遅くなりました。()()()()()()()()()()()()()……」

「あ、別に名乗らなくていいよ。最近は個人情報が煩いし、名前は出さないからさ。それよりも今、どうして君たちが犯罪組織の連中と仲良くしてるのかって話をしてたんだけど、って君もか」

 

 発言を遮られても雪ノ下は反応を見せず、流れるような所作で空いている席に腰を下ろした。そして隣に座っている運営の女性に軽く頭を下げて挨拶をしたところで、その行動を咎められてしまった。可愛らしく首を傾げる雪ノ下に矛先を向けて、記者が語る。

 

「あのね、君たちは知らないだろうけど、ストックホルム症候群ってのがあるのね。犯罪者と長い時間一緒に居ることで情が移るっていうビョーキなんだけどさ」

 

 第一印象からして嫌な感じを受けたが、こちらを小馬鹿にするような言い回しや、妙に舌っ足らずな話し方や、病気をわざわざビョーキと発音するなど、どうにも嫌悪感が止まらない。とはいえ発言の主旨が把握できないので、もう少しだけ待ちの姿勢を維持しようと雪ノ下は思う。

 

「子供ならそうなっても仕方がないけど、君たちは高校生だろ。ビョーキを自覚して、犯罪者をやっつけようとか思わないのかな?」

 

「それを思わないのが、ストックホルム症候群の特徴だと思うのですが?」

 

 待ちの姿勢を維持できなかった雪ノ下だった。とはいえ雪ノ下にも言い分はある。どう贔屓目に評価したところで、この記者が聞きかじりの生半可な知識に振り回されているのは明白なのだ。他の生徒たちに変な誤解をさせないためにも、誤りは正しておくべきだろう。

 

 既に他の記者二人は匙を投げているのか、傍観を決め込んでいる様子が窺える。ならば別に論破しても構わないだろうと雪ノ下は思った。

 

「へえ。聞いたような口を利くけど、君はストックホルム症候群の何を知ってるって言うんだい?」

 

「そうですね。例えば大人であってもそうした感情は芽生えるという話ですし、そもそも病気というよりも環境に対する適応行動だと主張する意見もあったと思うのですが」

 

「だから高校生なら仕方が無い、無罪だ、って言うんだろ。でもさ……」

 

「それが大人であっても、仮に精神科が専門の医師であっても起こりうるという話を私はしています。責任の話はしていません。貴方はよど号の事件を知っていますか?」

 

「あ、ああ。もちろんさ」

 

「では、ストックホルム症候群との関連を説明して頂けますか?」

 

「いや、それはあれだ。今は関係ない話だよ。それよりも君たちが犯罪者である運営の連中と……」

 

「私たちをこの世界に閉じ込めるという犯罪行為は、運営のごく一部、上層部のほんの一握りが決定したと伺っています。犯罪者を出した組織の全ての人員を犯罪者扱いなさるのであれば。もしもマスコミが、貴方の同僚の誰かが犯罪を犯した時には、貴方も犯罪者扱いされるのを受け入れるのですか?」

 

「そんなわけないだろう。それとこれとは話が違うよ。そもそも今の議題はね……」

 

「今の議題は文化祭についてだと、私は考えていたのですが。ところで、取材が始まってからの全てのやり取りは、運営に依頼して、この世界の視点で録画している形ですよね。運営を悪く言ったからといって動画を渡して貰えないとは思いませんが。運営も動画をノーカットで公開する用意があると聞きましたし、そうなると貴方がたの手による修正は不可能です。貴方はもう少し、発言に気を遣われた方が良いのではないでしょうか?」

 

 雪ノ下がそう言い終えると、ようやく状況を把握できたのだろう。今までの威勢の良さはどこへやら、記者はがっくりと肩を落とした。そんな彼に向かって、初老の記者が話しかける。

 

「お前の負けだな。雪ノ下のお嬢ちゃん、ワシに免じて、この場はここまでで許してくれんか?」

 

「げえっ。まさか、雪ノ下?!」

 

「転勤してすぐで、世間の耳目を引くような記事をものにしたかった気持ちは分からんでもないが……お前の手に負えるような相手ではなかったな。記事はきちんとしたものにするから、ワシらはこの辺りでお暇させて貰おうか」

 

「じゃあねー、雪ノ下のお嬢さん。お父様によろしくねー。スローガンが千葉音頭だし、文化祭、応援してるね!」

 

 そう言い残して、三人はこの世界から去って行った。

 

 

***

 

 

 記者を撃退して湧き上がる実行委員たちの声を背に、雪ノ下は引き続いて全体会議の開催を要請した。今日は既に会議を終えていると、少しだけ渋る相模だったが、雪ノ下に「仕事を倍にする」と脅されるとあっさりと陥落した。外に出ている者も戻って来られるように会議まで少し待ち時間を設けたので、八幡たちは三人で集まってその余暇を過ごしていた。

 

「ゆきのん、なんとか症候群なんてよく知ってたよねー」

 

「たまたま、そんなタイトルの曲を知っていただけなのだけれど。だから大したことでは無いのよ」

 

「つっても、普通なら意味を調べるまではしないだろうからな。やっぱあれか、途中からドラムの右足が攣りそうな……」

 

 八幡からの予想外の質問に目を丸くしながら、雪ノ下が答える。

 

「貴方もあの曲を知っているのね。とはいえ、バスドラを連打するのはコツがあるのよ。また今度、教えてあげるわね」

 

「あー、ちょっと夏休みに興味を持ったバンドだから、あれだ。俺もたまたまだな」

 

「ゆきのんが知ってる曲なら洋楽なんだろうけど、ヒッキーが聴くのって珍しいね。もうちょい早く分かったら、それを課題曲にできたかも?」

 

 三人でバンドの課題曲を話し合っていた時に判明したのだが、雪ノ下は留学していた頃に馴染んだ洋楽を、八幡はアニソンやボカロを、由比ヶ浜は売れ線の曲を主に聴いているので、三人どころか二人が共通で知っている曲すら珍しいという事情があった。

 

 幸いなことに課題曲は由比ヶ浜が提案した基準に沿って確定できたが、もしかしたら別の選択肢があったのかもと由比ヶ浜が首を傾げている。そんな無邪気な反応を前にして、内心で焦っている二人だった。

 

 何故ならば、二人が話題にしている曲は、千葉村で雪ノ下が歌っていた曲と同じバンドの作品だったから。自分の影響で八幡がこのバンドの曲を聴き始めたのだと知った雪ノ下も、そしてそれをつい口にしてしまい雪ノ下に知られることになった八幡も、長く友人が居なかっただけにこうした経験は初めてなので、照れ臭さが半端無い。結果、慌てて話題を逸らす二人だった。

 

「いや、今の課題曲で充分だと俺は思うぞ!」

 

「そ、そうね。色々とレパートリーを増やす前に、今の曲をしっかりマスターできるように考えたほうが良いと思うのだけれど。と、ところで、スローガンが千葉音頭ってどういう意味だったのかしら?」

 

「な、なんか話し合って貰った結果、そういう事になったみたいだな。まあ良い曲だし良いんじゃね?」

 

 そんな二人を、ますます不思議そうな目で眺める由比ヶ浜だった。

 

 

***

 

 

「では、全体会議を開催します。まず初めに、先程の取材に参加する際に、私は皆さんに無断で副委員長を名乗りました。改めてこの場で立候補したいと思うのですが……」

 

 すっかり相模を差し置いて、当たり前のように会議の進行をしている雪ノ下だった。本来であれば越権行為だが、先程の全体会議での失態に続いて取材でも目に見えた結果を残せなかったことで、相模に対する風当たりは一段と厳しいものになっていた。

 

 雪ノ下が臨席している状況ゆえに変な雑談が出ることもなく、表立って批判が出る段階にも至ってはいないが、何か問題が起きた時にはどうなるか分からない。そうした状況を鑑みて、本日二回目の全体会議は雪ノ下主導の下に行われる運びとなった。ちなみに藤沢は目を輝かせて、今や完全に前面に出た雪ノ下の一挙手一投足を見守っている。

 

 割れんばかりの拍手で認証を受けて、雪ノ下は改めて副委員長として口を開く。

 

「では副委員長として、今後の方針を提案します。まずは委員長の相模さんに。私たち奉仕部は、『助けを求める人に結果ではなく手段を提示すること』を理念として掲げています。ゆえに個人のやる気に関しては深入りを避けていたのですが」

 

 それが雪ノ下が手加減していた理由だった。本人にやる気が無いのに何かを強制することは、本来的には奉仕部の主旨に合致しないのだ。更には相模が早々に倒れたこともあって、どうしても無理強いを避けるという選択になりがちだった。だが、それはもう通用しないと雪ノ下は思う。

 

 副委員長の肩書きに加えて、相模の依頼を受けた奉仕部の名前を出すことで一時的に委員長以上の立場を確保すると、雪ノ下はそのまま上意下達で相模に通達を送る。

 

「日程がここまで迫ってくると、そうした悠長なことは言っていられません。実行委員長としてきちんと仕事をして貰えるように、教えるべき事は教えますが、ノルマを減らす事は以後無いと考えて下さい」

 

 それを聞いて、可哀想なぐらいに相模がビビっている。とはいえ雪ノ下のことだから、相模にこなせない量の仕事は出さないだろうと八幡は思う。もちろん限界ギリギリまでは出すだろうが、それをクリアできれば確実にスキルアップはできるはずだから頑張ってくれと、すっかり他人事のような顔をしている八幡だった。

 

 それに、決して人望があるとも有能だとも言えない実行委員長にもきちんと仕事をさせることで、相模の株をこれ以上は下げないようにしながら同時に他の実行委員にもサボる口実を与えないという効果が期待できる。俺も気を抜けないなと八幡は少しだけ背筋を伸ばして、続く雪ノ下の発言を待った。

 

 

「そして、今までは全体会議の結論に従って各自が動く形でしたが、城廻先輩の提案を私も踏襲したいと思います。我々の指示に従って仕事をするだけではなく、各自の判断でどんどん仕事を進めて下さい。こちらが後からフォローできる場合はそうします。委員長以下の首脳陣と皆さんとがお互いに率先して仕事を見付けて、お互いにそれを助け合うような有機的な関係を目指したいと思います」

 

 何だか、真・実行委員長の所信表明演説みたいになって来たなと思う八幡だった。

 

 とはいえ実際には、雪ノ下が仕事を先導する形がほとんどになるのだろう。誰かが勝手に仕事をして失敗して、それの尻拭いも増えるのだろう。だが、サボりたいとか楽をしたいといった後ろ向きの原因で仕事が増えるよりも、前向きな失敗の埋め合わせをするほうが遙かにマシだと八幡は思う。

 

 どんな仕事であっても一定の質を期待できる人材は少ないが、たとえどれほど拙い人材であっても出せるものがある。それは仕事に対する熱意とも、前に進む意思とも呼べるもので、それらが無いと大きな仕事ほど上手く行かないし人材も育たない。なぜなら、大きな仕事になるほど人が多く必要だし、誰しも最初は拙い仕事しかできないのだから。

 

 現実を無視して感情論や精神論だけで先走るのは論外だが、先ほど雪ノ下も言及していた個人のやる気という要素は決して侮れない。特に上の立場の者にやる気が無いと、それは簡単に組織全体にまで伝播してしまう。自分たちのやる気を上は掬い取ってくれないのだと失望してしまうからだ。だが逆に、下の立場の者たちの熱意を汲み取って、存分に活かしてくれる存在がトップに君臨すれば。

 

 先程の会議の途中で、「雪ノ下の手助けがあれば仕事ができる連中」を、もっと増やすべきだと八幡は思った。だが献策するまでもなく、雪ノ下はそれを知っている。ならば俺が果たすべきは、雪ノ下を他方面に回せるように自分の身の回りの仕事をきちんとこなすこと。そして正攻法では対処が難しい時に搦め手を提案することだ。

 

 気が付けばいつの間にか、奉仕部の三人で役割分担が確定しているなと八幡は思った。雪ノ下が正攻法で、俺がそれをフォローしつつ奇策で、そして由比ヶ浜が二人を背後から支えてくれる。この関係を、どう解釈すれば良いのだろうか。

 

 帰宅することもクラスに移動することもなく、今も自分の横で雪ノ下の発言を見守っている由比ヶ浜をちらりと見て、八幡は思う。もしかすると俺はもう、ぼっちの時の強さを失ってしまったのかもしれない。この二人に()()()()()()()しまったのかもしれないと。今日この場に雪ノ下だけではなく由比ヶ浜も呼び出したのがその証拠だ。

 

 だが、それこそが絆を作るということだ。かつて幼い八幡に、本の中からキツネがそう教えてくれた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()八幡はそれを心の中で繰り返す。あの作品で、王子さまがそうしたように。

 

 捻くれていた頃には、飼い慣らすという表現が、仲良し大好きな連中をあてこすっているように思えて痛快だった。だが、自分が飼い慣らされた今となっては、印象が違うなと八幡は思う。もしかするとこの先、我慢できなくなる限界が来るのかもしれないが、今のところはそれほど悪くは無い。個人の自由はぼっちだった頃と比べると制限されているが、それも苦痛に感じるほどでは無い。

 

 問題は、他人に認められるという成果を得てあの二人と向き合うルートが閉ざされてしまったことだが、本日最初の全体会議で人の字の話を披露したことに後悔は無い。あそこで実行委員を仕事に引き留めておかなければ、仮にその後で取材の話が発覚して雪ノ下が助けに来てくれたとしても、こうした盛り上がりを作ることは不可能だっただろう。つまり、やる気に溢れている今の実行委員会には、八幡に対する反感という要素も少なからずあると、八幡本人も自覚していた。

 

 

「だから、私がただ一方的に皆さんを支えるだけだと考えている委員が居るとすれば。それは誤解だと、私はその委員に伝えたいと思います。一週間前に、相模さんが倒れた時に私が言った言葉をここで繰り返します。『みなさんには、私が過労で倒れてしまわないように協力してくれることを望みます』と。私は最初から、みなさんの助けを求めて来ました。それは肩書きが加わった今も変わりません。とはいえ……私の身を案じてくれた委員の方々には感謝していますし、彼らも含め全員で、土曜日までの一週間を最高のものにしたいと私は考えています」

 

 だから、その気持ちは嬉しいが、と八幡は思う。由比ヶ浜や、もしかしたら城廻の影響も受けての発言なのだろうが、下手に異分子まで混ぜ込んで全員に拘るよりも、異物を明確に敵対者として扱ったほうが全体の意気が上がるはずだ。

 

 ゆえに八幡は無頼を気取るような声で、敢えて立ち上がることもなく口を開く。

 

「つっても、お前が倒れたのは、俺らが不甲斐なかったせいじゃね?」

 

 たちまち、会議室内の視線が集中する。だが、この程度の扱いなら、問題は無いと八幡は思う。すぐ横からは呆れているような気配が伝わって来るが、見捨てられるということは無さそうだ。さっきは割と普通に対応してくれた渉外部門の面々も、こうなっては俺を切り捨てるしかないだろうが、それも仕方が無い。先程の扱いがボーナスステージだったのだと思えば、それほど悪い気分では無いと八幡は思う。だが。

 

「比企谷くん。……却っ下」

 

 狙い通りの魚を見事に釣り上げたとでも言いたげな表情で、雪ノ下がそう宣告した。

 

 雪ノ下の意図が解らず慌てる八幡は頭の中で、先ほど想像した「却・下」ではなくて「却っ下」だったかとどうでも良いことを考えながら。やっぱり想像よりも実物のほうがインパクトがあるなと内心で頷きながらも、予想外の展開に思考が追いついていない。その隙を突くかのように、雪ノ下が話を続ける。

 

「貴方が先程の全体会議で何をしたのか、詳しい話は分からないのだけれど。文実の嫌われ者を演じるのは、貴方には()()()よ。つまらない工作に励む暇があるのなら、今日以降の仕事ぶりで語って欲しいと思うのだけれど」

 

 そこまで言われて、八幡はようやく雪ノ下の意図を理解できた。雪ノ下は「みんなで仲良く」という形にすることで八幡の失態を覆い隠そうとしたのではなく、失態は失態として別の形で挽回しろと言いたいのだろう。

 

 先程も振り返った通り、八幡にはあの時の行動に悔いは無い。だが正確に言うと、手段には多少の悔いがある。もっと別のやり方があったのではないか。あるいは、自分の立場が今とは違うものであれば、取りうる手段がもっと沢山あったのではないか。だが、間違った答えを選んでしまった以上は、それを覆すことはできない。覆水は盆に返らない。

 

 だからこそ雪ノ下は、問い直してくれたのだ。他の実行委員に向かって、俺がどんな仕事ぶりを見せるのか。新たな問いがあれば、新たな答えを出すことができる。一度出してしまった間違った答えを取り繕うよりも、よほど健全だ。なぜならば、誰かのたった一つの行動によって、人は簡単に悪印象を持てるけれども。その悪印象を否定することは、時に百や千や万の言説によってすらも果たせない場合があるのだから。

 

 結局のところ、それは八幡が先ほど考えていたのと同種の結論だった。後ろ向きの失敗よりも前向きの失敗の埋め合わせをするほうが遙かにマシだと、八幡はそう考えていたではないか。あれは「何を」埋め合わせるかという話だった。そしてこれは「どうやって」埋め合わせるかという話だ。どちらにしても、後ろ向きよりも前向きのほうが良いのは当たり前だと八幡は思う。

 

 おそらく俺は、これからも失敗を重ねるのだろう。けれども、どうせならせめて前を向いて失敗したいものだ。そしてまた新たな問いを見付けて、新たな答えを出す。失敗したことをどう取り繕おうかと後ろ向きに考えるのではなく、前向きな行動によって汚名を返上する。

 

 過去のある時点で自分が前向きだったか後ろ向きだったかは、自分が一番よく知っている。その自分自身という厳しい観察者から合格を得られたなら。別に他人に認められるような成果を出せなくても、胸を張って二人と向き合えるかもしれないと八幡は思った。

 

「人使いが荒い副委員長様だな。んで、会議はこれで終わりなのか?」

 

「そうね。すぐにでも仕事に入りたいという貴方の希望を汲み取って、これでお開きにしても良いのだけれど」

 

「まあ、副委員長になったからには渉外に掛かりっきりってわけにもいかんだろうし、のびのびと仕事をさせて貰うわ」

 

「残念ながらその逆よ。へらず口をたたけるぐらいだから、もう少し仕事を増やしても大丈夫そうね。今から有志統制の見直しをするので、貴方も参加するように。もちろん、渉外の仕事は従前通りにこなして貰うから、時間配分を考えたほうが良いわよ?」

 

「ヒッキー。ゆきのんがノリノリだから、今は逆らわないほうがいいと思うよ?」

 

「マジか……」

 

「では、全体会議はここまでとします。みなさんも耳にした通り、比企谷くんですらこれほどやる気なのだから、全員で最後まで全力で走り抜けることができると私は確信しています。この世界に捕らわれたことなどは何らのハンデにもなっていないと示すためにも、過去最高の文化祭を我々は目指します。みなさんの力を貸して下さい」

 

 こうして実行委員たちは今までにないほどの大きな熱意を胸に、それぞれの仕事へと向かうのだった。

 

 

***

 

 

 そして八幡と由比ヶ浜もまた、会議の直後に教室前方へと招集を受けた。先程の発言通りに有志統制の見直しをするのだろうが、付近の委員たちは別の仕事に従事しているようで、二人は首を傾げていた。そこに雪ノ下から声が届く。

 

「すぐに済むから、二人にも横に座って貰えるかしら?」

 

 それに素直に従って、上座から順に雪ノ下・由比ヶ浜・八幡の順に座る。それ以上は説明することなく、黙って目を瞑っている雪ノ下を二人が訝しんでいると、廊下の辺りからざわつくような声が聞こえて来た。

 

「メッセージを見て、どうやら来てくれたみたいね」

 

 誰が、と八幡が問いかける前に、答えのほうが先に会議室内に入ってきた。葉山隼人が、相変わらずのにこやかな笑顔と共に登場した。

 

「俺にメッセージをくれるって、もしかしたら初めてじゃないかな?」

 

「かもしれないわね。とはいえ、仕事の話なのだけれど」

 

「だろうね。いきなり仲良くなれるわけでもないし、その辺りは仕方がないさ」

 

 他人に聞かれることを、どこまで意識しながら話しているのだろうと八幡は思う。密かに聞き耳を立てている周囲に向けて、二人は疎遠な関係を強調しているのだろう。この二人を取り巻く環境は昔からこうだったのだろうなと、八幡はひとまず現時点ではそこまでの解釈に止めた。

 

「共通の話題も特に無いし、雑談をしている時間も無いのだから、どうにもならないわね」

 

「陽乃さんに押し付けられた厄介事とか、そんな話なら長々とできそうだけど?」

 

 少しだけ苦笑いを浮かべて、雪ノ下は葉山の問い掛けに応える。話の先が見えないので、八幡も由比ヶ浜も二人の会話を見守るしかできない。

 

「どうせ未来の対策には繋がらないのだから、そんな話は止めておきましょう。貴方を呼んだのは、水曜日に備えてでは無いのよ」

 

「じゃあ後は、有志の出し物とか?」

 

「正解よ。結論から言うと、貴方のバンドは二曲で申請を出していたと思うのだけれど。それを五曲に増やして欲しいというのが本題よ」

 

「ご……五曲はさすがに、俺はともかく他の連中が厳しいからさ……」

 

 さすがに驚いて、雪ノ下に再考を求めようとする葉山だが、冷ややかな声がそれを遮った。

 

「貴方のことだから、せめて三曲、できれば四曲にまで増やすことを考えていたと思うのだけれど。内実は、毎日のように由比ヶ浜さんに仲裁して貰わないと、バンド内の雰囲気が保てない程の状態なのでしょう。私にもその責任の一端はあると思うし、貴方もそれを認識していると思うのだけれど。抜本的な解決をしろとは言わないわ。ただ、いがみ合う余裕も持てないほどのノルマを与えれば、当面の問題は先送りできるのではないかという、単なる提案よ」

 

 つまり、バンドのメンバーでもないのに連日彼らの練習に付き合っていた由比ヶ浜の負担を減らすべく、雪ノ下は葉山を呼び出したのだろう。ちょっと予想外の展開だなと思いながら、八幡は引き続き傍観者に徹する。思いがけず話題の人となった由比ヶ浜もまた、口を挟むことはしない。

 

「いや、雪ノ下さんに責任は無いよ。陽乃さんには少し言いたいことがあるけどね。主旨は理解したし、ここは話に乗っからせて貰おうかな」

 

 つまり、葉山は当面、抜本的な解決をする気はないということなのだろう。何だかなと思いながらも、そうした問題を他人が強制できるわけもないので、八幡は口を閉ざしたまま隣席の様子を窺った。検討すべき情報が一気に押し寄せて、由比ヶ浜があわあわしている。とはいえ昨日今日と休養したお陰か、時間さえあれば上手く整理できそうに見える。由比ヶ浜のどこを見てそんな判断を下しているのか自分でも不思議に思う八幡だが、その直感はおそらく間違っていないと思えた。

 

「ただ、貴方にはまだ余裕がありそうよね」

 

「そ、それってどういう意味だい?」

 

 さすがに少し怯えた様子で葉山が問いかけている。考えてみれば、雪ノ下姉妹と一括りにした時に、その最大の被害者は間違いなくこの男なんだよなと八幡は思う。小学校が同じとか幼馴染みとか言われて嫉妬めいた感情を抱いたものだが、少なくとも姉のほうはノーセンキューだなと八幡は思った。

 

「それほど大した話では無いわ。有志の取りまとめは、卒業生については一括して姉さんが引き受けてくれているのだけれど。在校生の有志取りまとめを、貴方にお願いしたいと思うのよ」

 

「陽乃さんもそうだけど、それってお願いじゃ無いよね?」

 

「その代わり、貴方のバンドには有志の大トリを任せようと思うのだけれど?」

 

 葉山の問い掛けには答えず、雪ノ下は葉山にそう提案した。少しだけ時間を置いて葉山が口を開く。

 

「まあ、雪ノ下さんに期待されるのは悪い気がしないし、大トリはともかく有志の取りまとめは俺が適任なんだろうなって思うけどさ。ところで、奉仕部では出し物はしないのかい?」

 

「それは当日のお楽しみよ。現時点では秘密ね」

 

 なぜか、妹がかつて漫画の影響を受けて、”A secret makes a woman woman.”と繰り返していたのを思い出した八幡だった。おそらく雪ノ下は、由比ヶ浜が葉山たちにバンドのことを言いそびれていたのを逆手に取って、当日のサプライズを計画しているのだろう。昨日のお見舞いの際に、雪ノ下が()()()()()を確保すると口にしたカラクリが何となく見えてきた八幡だが、それをこの場で口に出すのは控える。

 

 結局、どうして俺たち二人を同席させたのか理由が分からないなと、そんな鈍感なことを思う八幡だった。それが八幡と同じ理由によるものだと、気付いているのはこの場には一人しか居なかった。

 

 

***

 

 

 その後、八幡は渉外部門に戻って仕事をこなした。他の委員たちの対応は以前と変わっていなかったが、それはもしかすると由比ヶ浜の存在も大きかったのかもしれない。由比ヶ浜は今日はクラスに行く気は無さそうで、八幡の隣で仕事を手伝ったり、雪ノ下と一緒に予算の見直しをしながら元気な様子を見せていた。

 

 雪ノ下は複数の部門を視野に入れて、必要があれば生徒会役員を伝令に出して仕事に微調整を加えつつ、委員長の仕事を監督しながら予算の見直しを行っていた。休ませたお陰で絶好調だなと呆れ気味に八幡は思う。

 

 そうして最終下校時刻を迎え、今日の実行委員会は解散となった。そのまま部室でバンド練習を行うべく、三人は会議室を後にした。特別棟の廊下を歩いていると、おそらく待ち構えていたのだろう。平塚静が部室の前に立っていた。

 

「雪ノ下と比企谷に用事があってな。順番に、少し時間を貰えるかね?」

 

「それは、時間が掛かる用事でしょうか。既に最終下校時刻は過ぎているので……」

 

 とっさに言い訳を口にして、雪ノ下は自分のその発言に少し驚いていた。できれば邪魔を避けて、早くこの二人と練習を行いたいという気持ちが出てしまったのだろう。

 

「なに、大した話じゃないさ。文理選択がまだ出ていないみたいだが、君は国際教養科だし、深く考えずに気楽に書いてくれと、それを言いに来たのだよ」

 

 雪ノ下がその手の提出物を出していないのは意外だなと八幡は思い、すぐに心当たりに行き着いた。やはりこれも、疲労が溜まっていた影響なのだろうと。とはいえ、自分はちゃんと私立文系で提出したはずなのだが、いったい何の用事だろうか。

 

「それと比企谷だが……。ついでだし、二人の居る場で尋ねようか。最初の全体会議での君のパフォーマンスについてだよ」

 

 あ、忘れてた、と内心で冷や汗を流す八幡だった。とはいえ八幡が心配するほどには怒っていないみたいで、平塚先生は苦笑交じりに話を続ける。

 

「君はあの時、千葉村での教訓をどこまで活かしていたのかね?」

 

 八幡を責めるつもりは無いと、その声音が言っている。だが真剣な話なのだと、その目が語っている。恩師の問い掛けを受けて、八幡は身を引き締めて、そして答える。

 

「強さこそが危ういから、限界を常に意識する事と。それから、こいつらとか戸塚とかに怒られるのは良いとして、失望はさせないようにって、そんな感じです」

 

「なるほど。あの時の君の行動を、二人なら許してくれると考えていたのかね?」

 

「ですね。これぐらいならと思って、行動に出ました。特に後悔はしていません」

 

 雪ノ下も由比ヶ浜も、詳しい話は未だ聞いていないのだが。悔しいことに八幡の行動は、確かに彼女らの許容範囲に収まっているように思う。そんな二人の様子も確認した上で、教師は大きく息を吐いてから口を開いた。

 

「ふう。ならば今日のところは、お小言は勘弁してやろう。二人に感謝するようにな。では、練習を頑張りたまえ」

 

 忠告すべきか、それとも様子を見るべきか。教師であっても悩みは尽きないなと平塚は思う。今回は、三人の仲に免じて様子を見ることを選択した。文化祭でこの三人がまた少し成長を遂げることを願いながら、教師はゆっくりと生徒たちの前から去って行く。

 

「ヒッキーは、もう少し怒られてもいいって思うんだけどな」

 

「そうね。私たちが休んでいる間に何をされるかと思うと、ゆっくり休めない気がするのだけれど」

 

「お前らな……。でもま、さっき雪ノ下が言った通りだろ。過去最高の文化祭にしてやろうぜ」

 

 八幡が話題を逸らそうとしているのは明白だが、それでも二人はその発言に応えて大きく頷く。そして三人は仲良く揃って、部室の中へと姿を消した。

 

 

 文化祭まで、あと四日。そして、雪ノ下陽乃が来るまで、あと二日。




次回は来週末に更新する予定です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
細かな表現を修正しました。大筋に変更はありません。(12/16)

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