俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

65 / 170
お久しぶりです。少し余裕ができたので、本日から数話連続で更新します。よろしくお願いします。
以下、前回までのあらすじ。

 妹と一緒に来た東京わんにゃんショーの会場にて、八幡は奉仕部の2人と出会い、由比ヶ浜と差し向かいで話をすることになった。最初のうちはともに気まずい気持ちを引きずっていたものの、お互いのことを思って意見をぶつけ合った結果、双方にとってひとまず納得できる形に落ち着いたのであった。



18.がっちりと彼女は自分の気持ちを知る。

 比企谷八幡との対話を終えて雪ノ下雪乃に再集合のメッセージを送った由比ヶ浜結衣だったが、先程まであった張り詰めた気持ちが一気に失せたことで、何を話せば良いのか困ってしまった。別行動だった2人が合流するまで時間はかからないと思うが、その短時間に横にいる男の子と何を喋れば良いのだろうか。

 

「あ……。ゆきのん達って、どっちから来るかな?」

 

「さ、さあな。……ま、まあ、ここにいたら勝手に見付けてくれるだろ」

 

 それでも由比ヶ浜は持ち前の高いコミュ能力を活かして、会話を途切れさせることはない。一方の八幡にも照れ臭い気持ちは残っているのだろうが、傍らの彼女が頑張って話題を振ってくれていることを今さら気付けない彼ではない。ゆえに彼もまた、何とか話を中断させないようにと精一杯の受け答えを続けるのであった。

 

 

 話をするために移動した会場の隅のほうから先程2人と別れた付近まで戻って、八幡と由比ヶ浜は周囲の人の迷惑にならないように大きな柱に並んでもたれかかっていた。別々の方角を向きながらぽつぽつと話を続けていると、由比ヶ浜の視界の中に見覚えのある女の子2人組が姿を見せる。

 

 仲の良い姉妹のように見える2人だが、なぜか小柄なほうの少女は口に右手の人差し指を当てて、由比ヶ浜に何かを訴えながら近付いて来ていた。どう見ても兄を驚かす気が満々の比企谷小町を微笑ましく眺めながら、由比ヶ浜は声のトーンを変えることなく隣の男の子と会話を続ける。彼はまだ何も気付いていないようだ。八幡にとっては、恥ずかしいがゆえに由比ヶ浜とは逆側ばかりに視線を固定していたのがあだになった形である。

 

 そうこうするうちに、こっそりと2人の間に滑り込んだ小町は、触れるか触れないかという絶妙な力加減で八幡の肩を叩いた。思わずびくっと反応してしまった八幡は、ちょうど会話が途切れてしまったこともあって、仕方なく由比ヶ浜に顔を向ける。その結果、妹の人差し指に頬をめり込ませる八幡の姿が、写真のシャッター音とともに観察されたのであった。

 

 

「お前らな……」

 

「お兄ちゃん、話は終わった?」

 

 人をだしにして楽しそうに笑っている3人の女の子をじとっと眺めながら文句の1つでも言ってやろうと口を開いた八幡だったが、残念ながら妹が一枚上手だった。見事に機先を制せられて絶句する八幡に代わって、由比ヶ浜が嬉しそうな口調で質問に答える。

 

「うん。ヒッキー、次の依頼でちゃんと結果を出して、奉仕部で役に立つって証明をしてくれるんだって」

 

「そう。戸塚くんが引き出したのは『次の依頼まで辞めない』という言質だったから、更に一歩前進というところね。そのまま残留宣言まで取り付けてくれても良かったのだけれど……」

 

「そこまで行けたら良かったんだけど、ヒッキーだからさ。最後のところで手強いっていうか……」

 

「そうね。どうでもいい事だと頓着しないくせに、変なところで意地を張るのだから困ったものね」

 

「こんな兄ですが、たまに良いところもありますので、なにとぞ……」

 

「ええ。小町さんに心配をかけないように、私たちが責任を持って矯正するわね」

 

「だからお前ら、ちょっと待て」

 

 すっかり自分を抜きにして話を進める女性陣に内心恐々としながらも、妹がこの2人と仲良くしている光景を見て、少し誇らしげな気持ちも抱いていた八幡であった。

 

 彼にとって小町は、どこに出しても恥ずかしくない自慢の妹である。残念ながら友達がいない身なので自慢する相手はいなかったが、八幡が言って回るまでもなく、小町は自らの価値を自然と周囲に知らしめていた。だが八幡にとっての有象無象に評価されるよりも、彼が認める少数の人たちに妹が評価されるほうが、やはり嬉しさは段違いである。

 

 そうした八幡の心境は当然ながら3人には伝わらなかったが、苦言を呈しながらも彼がそれほど機嫌を損ねていないのは明らかであった。中でも八幡の心情理解に長けている小町にとっては、兄の様子は望ましくも嬉しいもので、つい彼女は軽口を叩いてしまう。

 

「お兄ちゃんもさ、さっさと観念して、奉仕部に居たいですって早めにお願いしたほうが良いんじゃない?」

 

「まあ、あれだ。俺にもこだわりってのがちょっとあるんだわ」

 

 週の初めの余裕がなかった頃の八幡であれば、妹の軽口に過剰な反応を示していただろう。しかし今の穏やかな心境の彼は、この程度の挑発など軽く流してしまえるだけの余裕があった。とはいえ、それはもちろん程度の問題であり、今の彼をしても聞き流せない発言というものはある。

 

「では、そんなこだわり谷くんに、お願いがあるのだけれど」

 

「ん?お前がそんなことを言うなんて珍しいな」

 

 何やら楽しそうな眼差しの小町と、不思議そうな顔の由比ヶ浜を尻目に、雪ノ下はゆっくりと口を開く。

 

「わ、私と、その……付き合ってくれないかしら?」

 

 

***

 

 

 時間は少しだけ遡る。同じ部活の男女2名と別れた雪ノ下は小町と並んで歩きながら、にゃんにゃんコーナーの最奥に向かっていた。さりげなく彼女の近くに控えていた運営スタッフが先導しているので、道に迷う心配もない。

 

「じゃあ、第1希望は決まってるんですねー」

 

「ええ。他の人に連れて行かれたら大変だから、候補が繰り上がるたびに運営に命じて確保してもらっていたのだけれど。せっかくなので全ての猫を見ておきたいと思って」

 

 気のせいか運営を下僕扱いしている感のある雪ノ下だが、そうした細かなことを気にする小町ではない。

 

「うちのカーくんとも、ここで会ったんですよー。だから、遠い親戚みたいな感じで……」

 

「ええ。困ったことがあれば、いつでも連絡してくれて構わないわ」

 

 猫を飼うのは初めてだというのに、自分が困ることはないという前提で話をする雪ノ下であった。彼女の豊富すぎる猫知識にも、ゲームマスター(GM)は苦言を呈しておくべきだったかもしれない。

 

「あれ?……でも雪乃さんって、というかさっき運営って……。係の人って、NPCだけじゃないんですか?」

 

「あまり大きな声では言えないのだけれど、私は運営に招待されてここに来たのよ。私達の前を歩いているあの人が担当なのだけれど、他はNPCだと思うわ」

 

「あー、なるほど……」

 

 雪ノ下の思考にまだそれほど慣れていない小町は、彼女の返答をすぐには理解できなかった。まず最初に「困った時には買ったお店に相談するか運営に連絡すべきでは?」という疑問が湧き、その次に「雪乃さんは猫を飼った経験が豊富なのだろうか?」という疑問が湧き、それらが引き金になって先程は流した彼女の一言が気になり始めて、最後に出た質問に繋がったのである。

 

 だが質問への返答を聞きながらも、小町の思考は別の方向に飛んでいた。少し慎重に話題にすべき内容だとは理解しつつも、兄にも関係することだけに知りたい気持ちを抑えきれず、小町は遠慮がちに話を進める。

 

「その、兄から聞いたんですけど、雪乃さんも職場見学でGMに……」

 

「ええ。恥ずかしい話なのだけれど、不覚を取ってしまったわね」

 

 次はないとばかりに闘志を燃やす雪ノ下だったが、そうした彼女の姿勢は小町にとっては頼もしく同時に不思議なものでもあった。兄が今週まるまるかけて悩んでいたことは、彼女には些細な出来事だったのだろうか。

 

「うちの愚兄が皆さんにも心配をかけてたみたいですが、けっこう落ち込んでたんですよ。雪乃さんは、その、大丈夫でしたか?」

 

「そうね。落ち込まなかったと言えば嘘になるし、私も由比ヶ浜さんや比企谷くんに迷惑をかけたと思うから、その辺りはお互い様ね。小町さんが気にすることはないのよ」

 

 雪ノ下としては小町を思っての発言なのだが、聞きようによっては相手を突き放す内容でもある。彼女の孤高な傾向が出た形だが、面倒な性格の肉親と長年接してきた小町はこの程度では怯まない。

 

「でも、職場見学から時間が経ってないのに運営の招待を受けて、その、無理してないですか?」

 

「確かに招待を受けた時には微妙な気持ちになったのだけれど、この程度で負けてはいられないと思ったら大丈夫だったわ。それに、今回のペット飼育に関するアップデートには私も少し関わったので、見届ける義務と責任があると思ったのよ」

 

 現実の世界で飼っていたペットをこの世界でも、という連続性だけではなく、この世界でのペットとの時間を更に現実世界でも引き継ぐという雪ノ下の発想は、この会場に集ったゲストプレイヤーの反応を見ても明らかなように多くの人に支持されている。

 

 雪ノ下は周囲を眺めて少し誇らしげに胸を張りながら、気負いのない自然な口調で心配そうな表情を浮かべる少女に答える。それを聞いた小町は話の内容よりも彼女の穏やかな口調を根拠にして、安心したように頷くのだった。

 

 

 気を利かせたのか会場の裏側へと姿を消した運営スタッフを見送って、2人は控え室で連絡を待つ。八幡と由比ヶ浜は今頃どんな話をしているのだろうか。

 

「あ、そういえば名前って決めてます?」

 

「猫の名前のことなら、なかなか決め手がなくて……。なにか良い候補はないかしら?」

 

 一瞬だけ兄の心配をしたものの、すぐに別の疑問が浮かんでそちらに意識を持って行かれる小町であった。雪ノ下としても初めての飼い猫ゆえに軽い気持ちで名前を付けたくはなくて、今に至っても悩み続けていたのである。

 

「うーん……。何かこだわりとか、大事にしたいポイントとかってあります?」

 

「そうね……。偶然とはいえ、今日はせっかく貴女たちと会ったのだから、何か関連する名前にできればと思うのだけれど……」

 

「あー、なるほど。奉仕部や小町に関連する名前……」

 

 優しい表情で答える雪ノ下を見つめながら、小町は何とかして期待に応える名前を提案できないかと頭をひねる。しばし考えて、しかし集中力が続かなかったのか、小町はとりあえず思い付いた名前を口にする。

 

「じゃあ、『はまち』ってどうですか?」

 

「猫に、『はまち』……?えっと、出世魚にあやかって、ということなのかしら?」

 

「あー、兄が昔そんなことを教えてくれた記憶はあるんですが、そうじゃなくてですね」

 

 珍しくきょとんとした表情の雪ノ下にニコニコと応えながら、小町は得意げに人差し指を立てて説明を行う。

 

「兄が『()ちまん』で、結衣さんが『ゆいがは()』で、小町は『こま()』なので、一文字ずつ取ってみたんですけど……」

 

「なるほど、それで『はまち』なのね……。小町さん、良い名前ね」

 

「いえいえー。って、本当にそれでいいんですか?」

 

「ええ。貴女が付けてくれた名前なのだから、大切にするわね。何かお礼ができると良いのだけれど……」

 

「じゃあ今度、うちのカーくんと遊びに来てもらえますか?」

 

「もちろん、喜んでお招きに預かるわね」

 

 こうして、八幡が知らぬ間に話が着々と進行するのであった。

 

 

「あれ、でも雪乃さんって、猫を連れ出す時に必要な物とか持ってます?」

 

「今から用意しようと思っているのだけれど……。そのキャリーバッグの中には何が入っているのかしら?」

 

「こんな感じですよー。ちょっと詰め込み過ぎちゃった感じですけど」

 

 てへっと可愛らしく舌を出しながら、小町はバッグの中身を見せる。雪ノ下はそれらを丁寧に確認して、自分が蓄えた知識と照らし合わせている。

 

「いえ、必要十分だと思うわ。これだけの用意があれば大抵の不測の事態には対応できそうね。でも……どこで購入したのかしら?」

 

「ららぽーとで大体は揃いますよー。何なら今から……っと!」

 

 どうやら用意すべきリストは簡単に諳んじられるのに、それらをどこで入手すれば良いのかが雪ノ下には分からないらしい。「お嬢様って感じだなー」と内心で頷きながら小町は返事をし始めて、ふと思い付いたことがあった。言葉を途中で止めて頭の中で少し検討をした後で、小町はこんな提案を行う。

 

「そういえば、うちのキャットフードも在庫が少ないんですよねー。でも小町はカーくんを引き取りに行かないといけないので、兄に買いに行ってもらおうと思ってたんですよ。だから兄を案内に付けますので、今からららぽーとに行ってみたらどうですか?」

 

「そうね……。小町さんを残していくのは心残りなのだけれど、由比ヶ浜さんとの話が上手くまとまっていれば、そのまま3人で行くのも良いかもしれないわね」

 

 雪ノ下には友人と遊びに行った経験が乏しいのだが、こんな場合には一緒に出かけるのが自然なのだろうと考えて、3人での行動を口にする。だがそれは小町の企みとは合致しない展開なので、彼女は慌てて口を挟んだ。

 

「あ、えっと……。結衣さんだけじゃなくて、雪乃さんは兄と話をしなくても良いんですか?」

 

「今の段階で彼を説得することは考えていなかったのだけれど……。そうね、でも明後日のことを考えると……。小町さん。ららぽーとで、その、同世代への誕生日プレゼントを購入することはできるのかしら?」

 

「あ、大丈夫ですよー。えっと、案内図を出しますね」

 

 どうやら雪ノ下にも別の思惑があるようで、由比ヶ浜を加えて3人で行動する線は上手く回避できそうな気配である。この流れのまま話を進めようと考える小町は速やかに雪ノ下の疑問に答える。

 

 いずれこの世界でも兄と一緒に行こうと思っていたので、小町はららぽーとの案内図をpdfで用意していた。それを書類フォルダから取り出して、雪ノ下にコピーを提供した上で、小町は丁寧な説明を行った。

 

「ペット関連だとこの辺りですねー。で、誕生日プレゼントだと、中高生向けならこの一帯を押さえておけば大丈夫かと。ただ、現実だとナンパとか変な人も多かったので、兄を魔除け代わりに使ってもらえたら……」

 

「なるほど。比企谷くんを控えさせておくことで、面倒な応対をしなくて済むのならありがたいわね。……その、お兄さんをそんな風に使って、小町さんには申し訳ないのだけれど……」

 

「いえいえー。小町が提案したって言えば兄も従ってくれるでしょうし、気にしないで下さいねー」

 

 内心で由比ヶ浜に頭を下げつつ、小町は首尾良く兄と雪ノ下とのお出かけをプロデュースした。3人の仲が深まって欲しい気持ちもあるのだが、同時に小町は兄に2人それぞれと関係を深めて欲しいとも思っているのである。

 

 奉仕部の3人で出かける案は潰したし、現地で別行動になるリスクは前もって対処した。更に一押しと考える小町は、こっそりと両目を輝かせながら口を開く。

 

「ではでは、あんな風に面倒なことを嫌がる兄ですので、雪乃さんから誘うというか、なんなら命じる感じでお願いしますねー」

 

「……えっ?」

 

 こうして、八幡が知らぬ間に話が着々と進行するのであった。

 

 

***

 

 

 京葉線に乗って、八幡と雪ノ下は南船橋へと向かっている。海浜幕張からそれほど時間がかかるわけでもなし、現実と同じように2人は車窓を眺めながら電車での移動を楽しんでいた。

 

 雪ノ下のお誘いは思春期男子なら挙動不審に陥っても仕方のない言い回しだったが、慌てたように怒濤の勢いで説明を行った彼女のおかげで誤解の余地は全くなかった。どうせそんなことだと思っていたぜと涙を堪える八幡であった。

 

 雪ノ下の思惑をはっきり確認したわけではないが、話の流れから考えると由比ヶ浜の誕生日プレゼントを買いに行く可能性が高い。そう思った小町は由比ヶ浜を昼食に誘って2人ずつに別れる形に持ち込もうとしたのだが、「昨日から緊張してたし、ヒッキーと話して疲れちゃった」と言う彼女に少し違和感を覚えつつ、結局はそのまま解散することにした。駅に向かう3人を見送って、小町はカマクラを引き取りに向かう。

 

 八幡は最後まで「小町が1人でカマクラを連れて帰るのは」と抵抗していたが、ペットを自宅に送り届ける無料サービスがあると雪ノ下に教えられて万事休す。普段なら元気に同行を言い出しそうな由比ヶ浜とも駅で別れて、こうして2人でお出かけをする構図が完成したのであった。

 

 

「ペット用品を買うことは、先ほど言った通りなのだけれど……」

 

「ん?他にも何か買うものがあるのか?」

 

 お互いに無言で過ごす電車内で、無理に話さなくてもいいのは気が楽だなと呑気なことを考えていた八幡だったが、雪ノ下は買い物の目的をどう説明したものかと悩んでいた模様である。刻々と近付く目的地に背を押される形で彼女は口を開いた。

 

「ええ。その、確定ではないのだけれど、次の月曜日は由比ヶ浜さんのお誕生日だと思うのよ」

 

「なにか根拠でもあるのか?」

 

「この世界で貴方に与えられた個室の部屋番号を、教えてもらえるかしら?」

 

「ん?ああ、8081だけど、それがどうした?」

 

「……貴方も素数なのね。誕生日は8月8日でしょう?」

 

 八幡の誕生日を言い当てたことを彼の反応から確信して、雪ノ下は悪戯っぽく微笑む。部屋番号の法則性に気付いていなかった目の前の男の子に向けて、彼女は簡単に解説を行った。

 

「上から3桁が誕生日で、下1桁はおそらくランダムに付けられた識別番号だと思うのよ。誕生日が同じ人もいるでしょうし。1月から9月生まれはそのまま3桁で、10月生まれは0で始まる形みたいね」

 

「んじゃ、11月と12月は?」

 

「例えば12月12日生まれなら、262xになるわ。月に31日が上限なので、百の位は4より上が存在しないじゃない。だから千の位を2にして百の位に5を足す設定にしたみたいね」

 

「……相変わらず、すげぇなお前。自分の部屋番号から法則を導き出すとか……」

 

 呆れるような打ちのめされたような気持ちで八幡は思わず呟くのだが、彼の認識には間違いがある。雪ノ下も自分と同様に他の生徒の部屋番号を知らない前提で考えてしまったが、数は少ないとはいえ最近の彼女には部屋を行き来し合う友人関係が存在している。

 

 とはいえ部屋番号は知っていても誕生日を気楽に教え合うような関係でもないので、雪ノ下はここ2ヶ月、部屋番号と誕生日の関係に気付けずにいた。法則を看破できた理由は別にあり、ここでまた彼を落ち込ませるのは得策ではないと考えた雪ノ下は、あっさりと種明かしをした。

 

「実は、先日の部長会議で名簿を作ったおかげで解読できたのよ。もともと1031という自分の部屋番号には引っかかる気持ちがあったのだけれど、素数だし良い番号だと喜んで済ませていたログイン初日の自分を悔やんだわ」

 

「いや、その、素数だから良いって思考も俺には全く理解不能なんだが……」

 

 部長会議が終わった後の雑談で、9283という部屋番号は素数だからとにこやかに話していた旧知の男の顔を思い出しながら、雪ノ下は苦笑する。素数は喜ぶものという発想が周囲では当たり前だったので、それをあっさり否定する八幡に新鮮な印象を持ったのである。

 

「では、由比ヶ浜さんの部屋番号の良さは理解できるかしら?彼女の番号は6188なのだけれど」

 

「いや、まったく解らんが……。他の、6189とかと違いってあるのか?」

 

「618で始まる他の4桁の数字には、3桁か4桁の因子が必ず存在しているのよ。でも6188だけは、2×2×7×13×17というシンプルな形で素因数分解ができるの。多くの友人に恵まれている彼女にふさわしい数字だと思わないかしら?」

 

 とても楽しそうに解説をしてくれる雪ノ下だったが、もはや八幡は苦笑することしかできない。自分には数学の素質がないんだなと改めて自覚しながら、それでも彼は先程とは違ってなぜか悪い気はしなかった。こうした方面は雪ノ下に任せて、自分は全く別のことに詳しくなれば良いのではないか。

 

 そんなことを考える八幡の耳に、電車が目的の駅に近付いているというアナウンスが届いた。

 

 

***

 

 

 駅の前で2人と別れて、由比ヶ浜は独り帰路に就いていた。先ほど受けた衝撃は今なお彼女の中で燻り続けていて、容易には治まってくれそうにない。

 

「もし、ゆきのんとヒッキーが付き合ったら……」

 

 小さな声で呟いてみて、由比ヶ浜はその仮定を大急ぎで否定する。奉仕部で自分だけが役に立たない存在ではないかと、他の2人からも頼って貰えない程度の存在だと落ち込んでいた時も、彼女は疎外感に苦しんだのである。しかし今しがた想定した辛い未来は、疎外感という生やさしい表現で済むような状況ではなかった。

 

 

 改めて自分に問いかけるまでもなく、由比ヶ浜は彼に確かな好意を持っている。だがそれが恋愛感情と呼べるものなのか、今まで彼女はなぜかそれを断言することができなかった。彼ともっと話をしたい、もっと仲良くなりたいとは思うものの、それが恋だと言われるとぴんと来なかったのである。

 

 由比ヶ浜の恋愛観の源泉には彼女の両親が深く関わっている。今の自分と同じように、母もある時点までは恋愛というものが全く解らなかったと言っていた。だがある日、大きく育った自分の身体の一部分に向ける昔馴染みの視線を感じた瞬間に、彼女の母は恋愛感情というものを完璧に理解したのである。他の誰でもなく、彼に見られるのが嬉しいという自分の気持ちを自覚することで。

 

 だが、由比ヶ浜は母とは違って、そうした幸せな形での自覚には至らなかった。今の彼女が大切に思う特別な存在は4人いるが、その中の2人がもしも付き合うことになったら。その非情な可能性を思いがけず突き付けられて、彼女は自分の気持ちをようやく自覚したのである。凛々しさと可愛らしさが同居している大好きなあの女の子が相手でも、彼を決して渡したくはないという、醜い嫉妬の感情によって。

 

「恋愛って、もっと楽しいと思ってたのにな……」

 

 寂しそうに呟いて、由比ヶ浜は俯きがちになっていた顔を上げる。こうして自分の気持ちに気が付いてしまった以上は、望む得る最高の結末に向けて頑張るしかないのだ。

 

 どうか彼女が彼に異性としての興味を持たないようにと願いながら、由比ヶ浜はゆっくりと家路を辿るのであった。

 




この世界ではメールアドレスが必要ないので、ガハマさんの誕生日を推測する際には個室の部屋番号を使おうと考えて、それを4桁に設定したのが1巻5話でした。
9ヶ月も前にこっそりと用意していた伏線を無事に回収できて、何だかほっとしています。
その頃から本作を読み続けて下さっている方々には変わらぬ感謝を、そして新たに最近になって本作を読み始めて下さった方々にも同じく感謝を捧げたいと思います。

次回は明日更新する予定です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
細かな表現を修正しました。(2/20,3/2)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。