「おいしくないわ! セバス、私は部屋へ戻ります。それともうこれ以上待つのはまっぴらよ。準備ができ次第出発します」
「お嬢様、しかし……かしこまりました」
華やかなドレスに身を包んだ若い女性。不満の声を白髪頭の執事にぶつけると、席を立って階段を上っていった。この光景はまるで劇の一幕のようにここ一週間ほど毎日繰り返されている。連日叱咤を受ける男性執事には、同情の視線が集まっていた。そしてこのあともいつもの展開ならばと、それぞれにテーブルを囲んだ者たちからの期待が高まる。
「皆様、失礼致しました。この場の支払いはお詫びの代わりに持たせていただきます」
深々と頭を下げた執事は慣れた様子で精算の手配を支配人に伝える。ワッと沸く場を尻目にセバスはお嬢様を追い、滞在中の部屋へ入る。
壁際で恭しく礼をしてセバスを迎えたのは金髪の縦ロールが美しい、お嬢様もといソリュシャン・イプシロンである。
「先ほどは失礼致しました」
「役柄上必要なことです。気になさらず」
部屋の中央に集めてあったダミーの荷物を軽々と持ち上げ、外の馬車へ運ぶ。手伝おうと動きかけたソリュシャンを制し、偽装身分に綻びが出ないようにする。至高の御方々が立案された作戦行動に、万が一も失敗があってはならない。それを理解しているからこそ、ソリュシャンもまた貴族の令嬢を演じている時は手心無くセバスを自分の執事として扱うのだ。
セバスが部屋に合流する前に≪メッセージ/伝言≫で連絡が来ていたらしく、部屋を出る前に同道者がこちらへ着いていることを伝えられた。
宿の前に停められた馬車に近付くと、中の会話が漏れ聞こえてきた。常人には分からずとも、セバスの鋭敏な聴覚はソナーのように中の様子を把握する。
至高の御方から釘を刺されたというのにユリにちょっかいを掛けるのは、同じ至高の御方々の1人であるペロロンチーノにそうあれと作られたが故の性質とも言うべきもの。セバスが軽々に否定してよいものではないのだが、同じく至高の御方に作られたユリを蔑ろにしてよいはずもない。
一線を越えなければとりあえずは許容範囲かとも思ったが、これ以上ユリに精神的負担を掛けるのは好ましくない。一言声を掛けてから、セバスは馬車の中へ入った。
横付きの扉から客車に入ると、前後に
セバスへ黙礼するその表情には微笑が湛えられており、見るだけで人を穏やかにさせるような雰囲気があった。よく見ると顔が紅潮して少し涙目になっている。
右手の座席中央には、ナザリック地下大墳墓第1〜第3階層守護者であるシャルティア・ブラッドフォールン。青白い肌は差し込む月光を受けて、幼い容姿と裏腹な妖艶さが滲み出ている。こちらもよく見ると頬をほんのり染めて濡れた視線をユリに送っている。
「シャルティア様、お戯れはほどほどにお願い申し上げます」
「ん……釘も刺されている事だし、仕方無いでありんすねぇ」
やっと身の危険が去ったユリはホッと小さなため息をついた。
荷物の運び込みが完了し、この街で手配したザックという名の御者に伝えた出発時刻にはまだ四半時ほどある。ソリュシャン扮する貴族の令嬢をエスコートし、そのまま馬車内で待機する。
なお、ザックへはお嬢様はプライベートな空間を人に見られるのを非常に嫌い、機嫌を損ねては報酬無しでお役御免になるかも知れないからこちらが許可する以外は馬車内の様子を探らないようにと言い含めてある。貴族に気難しい者が多いのはザックもよく承知していたようで、元よりそのつもりだったらしい。それで報酬がたんまり貰えるならと二つ返事で了承した。
「シャルティア様、お待たせ致しました。皆揃いましたわ」
首肯で応えたシャルティアが≪ゲート/転移門≫を使用すると軽く伸ばした手の先に闇の色をした平面的な楕円が生じる。
「控えなんし」
シャルティアに倣い、他の三人も居住まいを正して首を垂れる。階層守護者がこのような態度を取る相手は二人しかいない。闇から現れたのは粘液質の肉塊がごとき見た目の、至高の四十一人の一人ぶくぶく茶釜であった。
◆
揺られる馬車の内部はぶくぶく茶釜を中心に非常に盛り上がっていた。一緒に付いていくことはできないが、道中だけでも守護者やプレアデスと話したいとぶくぶく茶釜からの提案を受けた時には望外の光栄に全員が滂沱の涙を流した。
その実、アインズがモモンに扮して出掛けているのを羨むぶくぶく茶釜の暇潰しだったのだが。
「なんと、ぶくぶく茶釜様とペロロンチーノ様はご姉弟だったのですか」
「そゆこと。だからシャルティアは私にとっては姪みたいなものかな。いや嫁とかほざいてたから義妹……?」
「そ、そそそそんな恐れ多い! よ、嫁……うへへ」
至高の御方々の話には例外無く食い付き、一喜一憂レスポンスも良好だったため、ぶくぶく茶釜の言葉も自然に多くなる。アインズから預かっている
「これを使うと、不可視の目を動かして屋内も自由に見れるはず。ついでに音も拾える
至高の御方を覗き見するなど不敬な行為だが、同じ至高の御方からの提案とあれば是非も無し。立場の建前を除けば何を置いても拝見したい。特にセバスはアインズのパートナーに連れたルプスレギナがしっかり役目を果たしているかプレアデスのリーダーとして大いに興味があった。
ここはアインズが冒険者として受けている仕事の依頼主の店だ。ルプスレギナの定時報告によれば依頼を完了させてそろそろここへ戻ってくるはず。
身を乗り出して
裏口の扉の動きにその場にいた全員が再び映像を注視すると、そこから入ってきたのは荷物を運び入れる数名の人間。期待を裏切られたシャルティアは瞳孔の開いた目で呪詛の言葉を吐いている。片やユリとソリュシャンは至って大人しい。
「報告にあった依頼を一緒に受けた人たちかな。確か漆黒の剣とか言ったっけ」
「ぶくぶく茶釜様、これは……」
思わず声を上げたセバスの視線は
「なんか変な雰囲気だね。これアインズさん知らないんじゃ……」
「たかが人間の四、五人が殺されたところで、どうと言うことはありんせんのでは?」
「ただのモブならね。ん……っ! シャルティアっ!!」
「はひぃ!」
いきなり名を呼ばれた
「あっちに繋いで! はよ!」
「は、はいっ! ≪ゲート/転移門≫っ!」
キャビンの中央に渦巻く闇。それと全く同じものが
◆
おかしい。人を刺す感触は幾度と無く味わった感覚。相手はロクに反応出来ず一秒としない内にその生命を散らすはずだった。だが手に伝わるのは噛み切れない牛の腸を殴りつけるが如き鈍い弾力。何より、刺突が刺さっていない。
背中をぞわりと心地悪い寒気が走る。戦場で培った勘の冴えの赴くまま即座にスティレットを引き抜き、バックステップで距離を取った。
闇が晴れたあとにはローパーのような粘液質のモンスターが一体、黄金色の触手をくねらせていた。
冒険者チームの切り札かと視線を流すが、どうやら違うらしい。突然のモンスターの出現に警戒しながらも戸惑っている。
「姉を慕う弟を脅かすのは誰だぁああああ」
「し、喋った!?」
人語を解すモンスターは知能が高い種族が多い。言語が使えることで高度な魔法を操るなど、リッチなどがその最たるものだ。だが今はそんな理屈抜きに、クレマンティーヌの警戒センサーはガンガン鳴り響いていた。目の前のモノから感じるプレッシャーは掛け値無しにヤバい。少なくとも対策無しに対峙するべきモノではない。
遊びの思考を瞬時に切り捨てたプロフェッショナルの行動は早い。混乱に乗じて本来の目的だけを達成させるべく反射的に体が動く。
≪能力向上≫発動と同時に女は跳ねた。音も無く描いた放物線の着地点は相手の最奥、裏口の前に退がっていたンフィーレア。両手で彼の肩を掴んでロックし、着地の勢いのまま鳩尾に膝を入れる。かすかな呻き声と共に意識を奪われた体は脱力して崩れ落ちる。それをすかさず抱きかかえるように右腕で拾い、≪能力超向上≫を発動させる。人間の領域を半歩飛び出した身体能力を得たクレマンティーヌは裏口の扉を破壊し、そのままンフィーレアを夜の闇に攫い去った。
「ンフィーレアさん!」
「ペテル! こ、こっちはどうする」
立て続けに起こった事態に対応できている者はこの場に一人としていなかった。ずるりとこちらを振り返ったモンスター。何故いきなり現れたのかも分からないが、こんなモンスターは見たことが無い。冒険者稼業において、未知のモノとはそれだけで最大級に警戒するべきなのだ。即死級の猛毒を撒き散らすヤツとかだったらなす術無く全滅しかねない。
触手を向けてくる動きに反応し、ペテルとダインが武器を構える。隙があればニニャを逃がそうと考えているが、靄がかかったように相手の技量が見えない。
モンスターと言うより、達人級の戦士と対峙しているような感覚だ。動けば即座に致命的な被害を受ける。そんなイメージがどうしても拭えず、動けないのは他のメンバーも同じらしい。背に嫌な汗が滲む。
そして生物は緊張し続けられるようにはできていない。一瞬意識を切った直後、ニニャを蠢めく触手が包んでいた。得手ではないが、仲間のピンチにルクルットも腰に付けたダガーを抜き放つ。
「っ野郎!」
「触手だけを! ニニャに当たります!」
「承知である!」
仲間を救出するべく武器を振りかぶり、一斉に触手目掛けて振り下ろす。切断さえ出来れば引き剥がせるが、毒を打ち込まれたりしていたら即座に処置をしなければ命に関わることもある。
鋼鉄の塊を叩くような感触、切断どころか刃が入りもしない。
「ウソだろ!?」
彼らも裕福ではないにしろ、武器は自分たちの命を預ける重要な物だ。決して安物で妥協することは無く、ときには懐が寒いのを承知で無理を押して手に入れたこともある。普段は弓をメインに使用するルクルットも、サブで携帯しているダガーの手入れや切れ味のチェックを欠かしたことは無かった。
その武器が爪の先ほどの厚みすら通らないとは。自分より近接戦闘に長け、膂力のあるペテルとダインも同じようだ。全員の背に寒気が走る。自分たちが無力であれば、襲われている仲間を助ける術が無く、毒を打ち込まれようが絞め殺されようがされるがままをただ指を咥えて見ていなければならないと言うことだ。
モモンに助けを呼びに行くか、間に合わないならこの場で救出を続けるべきかの悩みがペテルの脳裏をかすめた時、渦巻く触手は音も無く引き、驚きに目を見開いているニニャが立っていた。
「「「ニニャ!」」」
「……怪我は無いみたいね?」
「……え?」
その声が目の前の存在から発せられた物だとは思えず、意表を突かれた漆黒の剣は思わず硬直する。
「お姉さん見付かるといいね。≪メッセージ/伝言≫」
またも部屋の中に出現した闇の穴にモンスターは消える。後に残されたのは荒れた家具と破壊された裏口、事態を飲み込めない冒険者チームであった。
「……なんだったんだ」
「今はそれは置いておこう。それよりンフィーレアさんだ。まずモモンさんと合流しよう」
リーダーの提案に満場一致で賛成し、壊れた裏口を飛び出す。冒険者組合の方へ向かうと程なく魔獣の登録が終わったと思われる森の賢王に跨るモモンと横にレジーナ、それに同行する老婆を見付けた。
例え策士であっても我を忘れる事ってあると思います。だって(中身は)にんげんだもの。
7/3 感想でご指摘あった部分を修正しました。色々考えたけど音が拾える巻物を捏造せざるを得ませんでした。力不足を捏造で補うのは残念ですが今後の反省に活かしたいと思います。指摘してくれた方ありがとう!
2018.11.3 行間を調整しました。