オーバーロード 粘体の軍師   作:戯画

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~前回のあらすじ~
現場監督アウラ様休憩中


第38話 開戦

 森の中を小柄な人影が、シニョンの頭をメトロノームのように左右に揺らしながらちょこちょこと歩いている。首元で右前に重ねた布地、胴帯の上に大きな蝶々を作った赤縄が和装を思わせる。

 一方で肩口と大きく開いた袖口、膝丈のスカートの裾に付いたレースはこれがメイド服であることを頑健に主張する。

 膝あたりから下が覗く足には複雑な文字や印が書かれた長方形の札が何枚も貼り付けられているように見える。

 

「よい、しょっとぉ」

 

 自分の身長の半分くらいある荷物を運んでいるのは、エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ。戦闘メイド(プレアデス)の一人で、種族は蜘蛛人(アラクノイド)。軽い掛け声で荷を担いでいた肩を入れ替える。反動で振れた荷物は白い網状になっており、嵩高さの割には大した重量は無いらしい。

 彼女は至高の御方の命により、手伝いをするために現場指揮を執るコキュートスのところまで行く途中だ。今回は蜥蜴人(リザードマン)の集落が湖に接する森の中にあるので、そこから少し離れた場所に本陣を構えている。

 

 至高の御方々にまた呼び出されたときはおっかなびっくり部屋に伺ったが、話をするうちに緊張は幾分か和らいだ。いま思えば随分気を遣わせたのではないだろうか。畏れ多いやら申し訳無いやらで御礼の一つでも申し上げたいところだったが、いまは与えられた任務が優先だ。

 

「お腹空いたけどぉ、至高の御方々のご命令だから頑張るぅ」

 

 普段の話し方はこっちの甘ったるい口調であるが、至高の御方の前では許可が無い限りはキチッとしていた。ユリに姉妹の中で最も従順な二人のうちの一人と評されるだけはある。

 

「えっとぉ、どっちだっけ?」

 

 (みち)が複数に分かれたポイント、当然看板など気の利いたものは無い。左右のルートに顔を往復させ、少し考える。頭から伸びる触角をフリフリと揺らして進むべき方向を決めた。

 

「んー、こっちぃ。もうすぐもうすぐ」

 

 左の(みち)を長い袖に完全に隠れたままの指で差すと、再びエントマは歩き出した。空腹を訴えてはいるが、実のところは口寂しい程度のものである。ナザリックではいつでも簡単におやつが手に入ったので、つい際限無く口へ運んでしまう癖が付いていた。

 蜘蛛の性質も併せ持った蜘蛛人(アラクノイド)は絶食に対して強い。アンデッドのように完全に不要ではないため全く食べなければいつかは衰弱して死ぬだろうが、一ヶ月くらいはちょっとしたダイエット感覚で耐えられる。

 人間の肉と違っておやつはヘルシーなので大丈夫だとは言ったが、確かに無闇に食べない方が余計なカロリーを摂取しないという点ではダイエットに有益ではある。

 

 じゅるり。

 

 ああダメだダメだと欲望を振り払う。アインズ様と約束したのだから。叶うことならナザリックに帰ったその足で黒棺(ブラック・カプセル)に寄ってこの食欲を満たしてから報告にいきたい。でもそれは至高の御方に対して失礼だ。約束は守ってこそ意味がある。

 

「むむっ」

 

 突然足を止めてキョロキョロと辺りを見回す。頭の触角は忙しなく上下に動き、感知できる範囲を広げている。

 落ち葉を踏む音をエントマの聴覚が拾ったのとほぼ同時に、森の奥から飛び出してきたピンク色の塊が派手な砂煙を上げた。

 視界を遮るものが風で流れた先には膝まで覆う金属製のブーツと同じ素材でできているらしいスカート状のアーマー、左目にアイパッチを着け腰まで届く赤金(ストロベリーブロンド)の髪が眩しいメイドがいた。

 アーマーの内側には持ち運びに適したブルパップ型の銃が吊られているのが見える。

 

「……エントマ」

 

 ポツリと呟いた言葉は警戒して損したとでも言わんばかりの調子を隠そうともせず、無表情さも手伝ってエントマの機嫌を害するのには充分過ぎた。

 

「シズぅう……」

 

 互いの名を呼んだきり沈黙する二人。交差する視線は火花を散らしている。

 

 すでに勝負は始まっていた。視線を逸らした方の負け。どちらかが言い出さなくとも互いの目を見れば一歩も譲る気は無いのが分かる。

 いつも通りの小競り合いになるのを予感させるように二人の距離は縮まりつつあったが、突如シズが目を伏した。手をついていた壁がいきなり消失したような肩透かしを食らった気分のエントマは疑問を含んで訝しい目を向けた。

 

「今日……ユリ姉いない」

「あ」

 

 少ない言葉でもシズの言いたいことは伝わってきた。

 多少エスカレートしたところで姉にたしなめられて手を打つ。そんなお約束とも言えるやり取りを何度も演じているのだが、止める役目がいなければどうなってしまうのか当の本人たちにもまるで想像がつかなかった。

 

 加えてエントマは至高の御方から直々に命を受けた身であり、いくら寂しかったのだろうとは思ってもこれ以上()の相手をして予定が遅延する可能性を高めるのは好ましくなかった。

 

 かたやシズもアウラの手伝いなどを除けば、ナザリックの外へ用事も無いのに出ることはない。珍しい外出の際にたまたまエントマを見掛けたので、緊張で失敗したりはしないか様子を探りに接触したのだ。なにせ自分と違ってこの()はナザリック外での初任務なのだから。

 

 互いに届くことのない姉としての一方的で自分勝手な愛情と憐憫を込めた視線を交わす。それはそれは生温かい視線を。

 

 戦闘メイド(プレアデス)は姉妹であるが、三女が二人。末妹を除いた下二人の序列が定められていないという異様な構成だ。明確にどちらも三女として仲良くやっているソリュシャンとナーベラルに比べて、なまじ揃って五女なのかどうかすら明確になっていないシズとエントマの姉妹格付け闘争は全く決着を見ることなく今日(こんにち)を迎えていた。

 そのためことあるごとに相手に『妹』の称号を押し付けあっているのだが、気心の知れた相手との悪乗りみたいなもので心底からの怒りや憎しみがある訳では当然ない。よって止める役目がいないという事態を理解した二人はこの場に他には誰もいないにもかかわらずアイコンタクトで暗黙の合意に至った。

 

「……もう行く。しっかり。エントマ」

「そっちこそぉ、至高の御方々のために頑張ってよねぇ。シズぅ」

 

 手甲付きの迷彩柄グローブを軽く引っ張って、シズは再び森の奥へと走っていった。途中で同じく迷彩柄のマフラーに触れたことで織り込まれた魔法が発動し、森の中では目立ちそうな赤金(ストロベリーブロンド)の長い髪はすぐにエントマから見えなくなる。

 

 思い掛けない邂逅だったが、ちょっと退屈気味だったところへ活が入った。自身の立場は結果で示せばいい。ナザリックには戦闘メイド(プレアデス)が束になっても敵わない強者がいくらでもいる。にも関わらずこういった任務を与えてもらえるということは本当にありがたいと言う他無い。羨ましくも外の世界で至高の御方の従者の役目を与えられた姉が貢献度という点において現時点では姉妹の中でも頭一つ抜きんでていると思うが、その選出から自分が外れたのは至高の御方が潜入する先が人間の社会だったからという理由が大きい。最初は残念にも思ったが、その陰気はすぐに晴れた。

 

 偉大な御方々がいずれ世界を手中に収めるのは既定の未来だ。エントマはそう信じているしナザリックに属する者達は生意気なバードマンを除けば全員が首を縦に振るだろう。ならば表舞台に立てないのは一時的なことであって、こうして舞台裏とも言える仕事に従事して期待に応えることは決して無駄ではない。

 むしろ支配が広がればやるべき仕事はどんどん増えるだろうし、バランス的にもエントマやシズが表舞台で至高の御方々のお側に付いて活躍する光景も夢ではない。そして正妻は流石に身の程を越えているので側室あたりに召し上げられちゃったりなんかして。

 

(きゃゎー! い、いけないいけないぃ、お仕事に集中しないとぉ)

 

 妄想に舞い上がってもちゃんと任務への意識は薄らがない。仕事のデキる女エントマ・ヴァシリッサ・ゼータは今度こそ荷物を担いで再び歩き出した。

 

「んしょ、んしょ」

 

 未練を断ち切るかの如く先を急ぐ。いまは任務が最優先、あとのことはあとで考えることにしよう。

 コキュートスの構える本陣はもう目と鼻の先だった。

 

 

 

 森の中の簡素なログハウス。人里から離れたこの場所にポツンと建っているそれは、避暑地の別荘などではもちろんない。

 内部はこれまたシンプルに机と椅子があるだけで、それ以外に生活臭のある物は全くと言っていい程無かった。机の上には直径一メートルくらいの大きな鏡が設置されているが、他にはベッドも無ければキッチンも無い。小屋、机、鏡、椅子、以上。

 それもそのはず、この場には料理をする者もいなければベッドで布団を被って寝る者もいないのだ。蟷螂(かまきり)のような者、蟻のような者、巨大な脳みそのような者。皆一様に昆虫や幼虫を想起させる外見をしている。その中でも、奥の椅子に威風堂々と腰を下ろした者は別格であった。

 

 冷ややかな冷気を吐き出すライトブルーの外装。ナザリック地下大墳墓第五階層守護者であるコキュートスは(あるじ)から拝命した任務を果たすべく、蜥蜴人(リザードマン)攻めの指揮官兼任として待機していた。

 その張り詰めた気は供をしていた三体のシモベたちも声を掛けるのが(はばか)られるほどで、無意識の内に周囲に氷を張っている彼がこの作戦に懸ける覚悟が伝わってくるようだった。

 このまま自分たちまで氷漬けにされるのではないだろうかとシモベの一体が恐怖を感じた頃、戸をノックする音が軽く数度聞こえた。近くにいた蟷螂(かまきり)のような者が素早く迎えに出て、程なく報告のためにコキュートスの前に戻ってきた。

 

「着イタカ。上ガッテモラエ」

「もうお邪魔してまぁす。ぴゃぁあ、寒ぅい〜なにこれぇ」

「ム、冷気ガ漏レテイタカ。済マナイ」

 

 スタスタと現れたと思ったら縮こまって寒さに震え出すちびっこいメイド。やっと室内の温度に気が付いたコキュートスは自動発動特殊技術(パッシブスキル)<フロスト・オーラ>を解除する。見る見るうちに室内の温度が正常になり、冷気の残滓がいい感じに涼しい快適な空間になった。

 丸まっていたエントマは触角を一本ずつピコピコ動かし、恐る恐る顔を上げた。どうやら脅威は去ったと判断したらしく、大きく伸びをして部屋の奥へ入ってきた。

 

「アインズ様からの物資をぉ、持ってきましたぁ」

「礼ヲ言ウ」

「どういたしましてぇ。はぁい、そこちょっとぉ、のけてくださいねぇ」

 

 コキュートスのシモベに遠慮無く指示を出すエントマ。彼らもそれに諾々と従っている。ちなみにこの三体はレベルだけで言うとエントマ以上だ。だがナザリックの上下関係は単に強さだけが基準ではない。

 まず至高の四十一人、そして次に来るのは至高の御方によって作られた者達。これには階層守護者であるか、戦闘メイド(プレアデス)であるか、レベルが高いか低いかは関係無い。

 

 端の方へ遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)が寄せられたのを確認してから、エントマは背負っていた網袋を机の上に置き、風呂敷のように開いた。中から出てきたのは山盛りの巻物(スクロール)と、鞄が一つ。

 

「あややや、いけなぃいけなぃ」

 

 開いた拍子に種類が混ざってしまったらしく、その場で手早く整頓し直す。十秒も経たないうちに、種類ごとにまとめた巻物(スクロール)が小高い山を作った。満足そうに頷くと、次は鞄からまた巻物(スクロール)を取り出し、別の山を作る。

 

「これわぁ、デミウルゴス様が見付けてきた素材で新しく作った巻物(スクロール)ですぅ。使ってみてぇ、問題が無いか感想を聞かせてほしいとアインズ様から伺ってますぅ」

「デミウルゴスガ……フム、承ッタ」

 

 ちょくちょく姿を見ないと思ったら、このために東奔西走していたということか。周到な彼のことだ、実験は既に十二分に行ってから今回の実用に投入したのだろう。いわば単なる成果のお披露目だ。

 同輩の成功は嬉しく思うとともに、少々羨ましく感じる点もある。成果が目に見える形になるのは誰の目にも分かりやすい。

 自分とて今後のナザリックのために役立てなければならない人間を一人預かっているが、すぐ形となって表れてくるものではないのだ。

 

 そこまで考えてコキュートスは頭を振り、余計な思考を追い払う。まるでこれでは見えない成果に至高の御方々が気付かないと言っているようなものだ。デミウルゴスを以ってして掌で踊らされていると言わしめる叡智の持ち主に、そんなことはあり得るはずもない。

 不敬な考えを無意識とはいえ一瞬抱いてしまった自分に反省し、目の前の任務遂行に集中する。

 

「至高ノ御方々ヘハクレグレモ感謝ノ言葉ヲオ伝エシテモライタイ」

「それがぁ、コキュートス様の近くに居るよう言われてるのでぇ、ちょっと無理ぃ、ですねぇ」

「……ソウカ。デハ戦勝報告ト合ワセテ自分デオ伝エスルトシヨウ」

 

 お目付役か。純然たる戦士であるコキュートスは戦闘の観察眼において他の追随を許さない見識を持つが、多数の個によって構成される軍隊とは勝手が全く違う。要求される技能は別物だ。

 今回コキュートスに課せられたルールがある。それはコキュートス自身とそのシモベが直接戦わないこと。つまり指揮官に徹しろとのお達しだ。

 

 蜥蜴人(リザードマン)たちの戦力はお世辞にも脅威とは言い難い。個々の戦闘力も、物量も。

 コキュートスがナイト・オブ・ニブルヘイムの特殊技術(スキル)である<フロスト・オーラ>の力を解放すれば、もののたとえではなく指一本触れずに全滅させることも可能だろう。

 圧倒的強者に、弱者の知恵を警戒せよというのがそもそも難しい話なのだ。この認識においてはコキュートスが取り立てて浅慮であったという訳ではない。

 

「イツデモ進軍デキルヨウニ、隊列ノ確認ヲシテオケ」

 

 新しいアンデッド兵の中隊が到着するごとに待機隊列に組み込む。飲食不要なアンデッド兵には基本的に兵站を確保する必要が無い。そして細やかな指示はできないため、個別に行動内容を詰めることもできない。

 結果として、せめて栄光あるナザリック兵たちを整然と美しく並べるくらいしかいまのコキュートスにはやることが無かった。

 

 そんなコキュートスを遠目に見ていたのは小柄なシニョンを頭に乗せたメイド。少し距離を取ると、鞄のさらに奥から取り出した数本の巻物(スクロール)を広げた。発動と同時に青い炎が上り、瞬く間に燃え尽きる。

 何かを話しているようだったが、認識阻害や盗聴対策を施されていたために内容を耳にした者はいなかった。やがて通信を終えたエントマは鞄の中身がまだ充分にあるのを確認し、小屋の方へ戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 ぶくぶく茶釜の宣戦布告から八日目、蜥蜴人(リザードマン)たちの集落はなおも慌ただしい様子で防衛力強化のための泥壁を作る作業に追われていた。

 前線で直接戦うのは部族でも戦士階級の者たちであり、彼らは村の入り口近くに集まり日々着々と数を増やし続ける死者の軍隊を()め付けている。その中には"緑爪(グリーン・クロー)"族の旅人、ザリュースの姿もあった。(そば)には全身が雪のように真っ白なアルビノのメスが顔を並べている。

 

 この七日間、ザリュースは控え目に言っても蜥蜴人(リザードマン)の歴史に名を残すに値する働きぶりであった。分かれた部族をまとめたと言うとあっさりした感じだが、問題はその原因だ。

 元々は食糧難のために争いが生まれて部族が分かれた。つまり食糧問題が解決しなければ根本的解決にはならないのだが、目の前に迫った危機を乗り切らなければそんな心配をするまでもなく蜥蜴人(リザードマン)の未来は無いと根気強く説明し、一部の例外を除いた全ての族長を説き伏せたのだ。

 

「おう、なんだ二人してサボってイチャイチャしてんのか」

「お前なぁ……」

 

 ドス、ドス、とおよそ繊細さとは程遠い足音をさせながら現れたのは、説き伏せられなかった一部の例外、"竜牙(ドラゴン・タスク)"族の族長ゼンベル・ググーだ。ザリュースが子供に見える程の巨漢であり、隆々と肥大した特徴的な右腕(うわん)と潰れた尻尾、欠損した左手の二指は彼が歴戦の勇士であることを如実に物語っている。

 "竜牙(ドラゴン・タスク)"族は蜥蜴人(リザードマン)の中でも実力至上主義の部族であり、ザリュースの呼び掛けにも強者のみに従う価値観のために初めは耳を貸さなかった。

 それが彼らなりの流儀に基づいたものであると理解したザリュースは、族長にして"竜牙(ドラゴン・タスク)"族最強の戦士であるゼンベルを一対一で正面から打ち破った。

 

 他の部族も力を合わせて脅威に立ち向かうことに同意し、ゼンベルを始めとした各部族の戦士達は最前線である"緑爪(グリーン・クロー)"族の集落まで出張ってきているという訳だ。

 

 隣にいる、クルシュ・ルールーもまたその一人だ。ただしこちらは戦士ではない。"朱の瞳(レッド・アイ)"族の祭司として優れた力を持っているが、非常に珍しいアルビノの白鱗は周囲の者からは忌み嫌われ、地位の高さと相反して腫れ物に触るような扱いをずっと受けてきた。

 きっと自分はこのまま老い果てていくのだろうと諦観にも似た確信に縋って日々を過ごしていた。だが、そんな未来はあまりにもあっさりと砕け散ってしまった。

 

『────結婚してくれ────』

 

 思い出すだけで白い頬に紅が差すのを感じる。全ては隣にいるこのオスのせいだ。交渉に来た第一声で面識も無い相手に求婚する使者がどこにいようか。少なくとも他には聞いたことも無い。

 狼狽していたのは自分だけではなかったので返事はあとでいいと言われたものの、前言を翻す気は全く無いらしかった。つまり求婚はからかっている訳ではなく本気だということだ。

 種族全体の危機を前にしてなんと呑気な話だとも思うが、年頃の娘として逸る気持ちは少なからずあった。しかしそれらは全てこの窮地を乗り切ってからのこと。茶化すゼンベルは努めて無視して、将来の旦那になるかも知れないオスの横顔を見る。

 

「そうだ、クルシュ……どうした?」

「い、いえ、なんでもないの。気にしないで」

 

 不意にこちらを向いたものだから少し声が裏返ってしまった。ゼンベルからの茶々が入らないということは見られていないようだ。内心胸を撫で下ろす。

 

 ザリュースは、"朱の瞳(レッド・アイ)"族のところへ来たメッセンジャーが"竜牙(ドラゴン・タスク)"族のところへ現れたのと同じだったのかをゼンベルに確認した。ザリュースは実物を見ていないので、クルシュに絵を描いてもらったのだ。

 地面にはもこもこと雲を集めたような本体にいくつもの顔を埋め込んだようなモンスターがかわいらしいタッチで描かれている。

 

「ああ、確かにこんなやつだったらしい」

「らしい、とは? まるで噂話を聞いたみたいだな」

「村の奴にあとから聞いたんだよ」

 

 俺ぁそのとき寝てたからな、と大笑いするゼンベルに呆れつつも、下手に手を出す者がいなくてよかったとザリュースは思った。

 

 このモンスターは精神異常を引き起こす絶叫を発し、非実体の本体には魔法の掛かっていない武器による攻撃は無効化される。凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)を所有しているザリュースでも戦う必要がなければ逃げ出すだろうし、仮に戦ったとして半死半生がいいところだ。

 四至宝の一つを持ちゼンベルを下した、実質的な蜥蜴人(リザードマン)最強の猛者が出した恐ろしい評価。"朱の瞳(レッド・アイ)"族の集落でこれを初めて聞いたとき、クルシュは絶句していた。いま聞いたゼンベルも流石に多少驚いたらしく、新たに生まれた疑問を探り探りといった様子でザリュースに投げ掛ける。

 

「待て待て、じゃあお前のとこに来たっていうワケ分からんヤツらはどうなんだ。さっきの話だと他の二部族にもそのモジャモジャした奴が来たんだろ?」

「あれは……態度からして他のとは別物のように感じる。そいつらが口にしたという『偉大なる方々』とやらかも知れないな」

 

 無意識のうちに言葉を濁した。実力を見たことが無い相手ではあるが、通告に現れたときはまるで威圧感のようなものは感じなかった。それが逆に空恐ろしくもある。計れない未知がこれほど精神を脅かすものとは、久しく忘れていた。

 

 突如、ガシャガシャと乾いた音の波が遠くから聞こえる。見れば、アンデッドたちのことごとくが膝を突き(こうべ)を垂らしている。音の元は恐らく骸骨(スケルトン)か。整った隊列が一斉に動く(さま)はそれ自体が一つの生き物じみた錯覚を感じさせる。

 

「噂をすればお出ましかよ」

 

 平伏すアンデッドの群れの前を横切り、こちらへ距離をやや寄せてきたのは八日前の魔獣と謎のモンスター。闇妖精(ダークエルフ)の子供たちの姿は見えないが、前回のことがあるので警戒はしておくべきだ。

 あの日のデジャヴの如く、ピー、ガーと耳障りな音に続いて声が響く。

 

『あーあー、マイクテストマイクテストー。えー、蜥蜴人(リザードマン)のみなさーん、約束の八日目でーす。話し合いの代表は決まりましたかー?』

 

 話し合いなど元からする気などないくせに。クルシュはムッとして眉間に皺を寄せる。

 

「行ってくる。ロロロ!」

 

 後ろに控えていた多頭水蛇(ヒュドラ)のロロロがザリュースの呼び掛けに応じて近付いてくる。その背に飛び乗ると、敵陣を向いて走り出した。

 

 口上を述べる者は真っ先に死と対峙しなければならない。一挙手一投足が全体の士気に影響を及ぼし、人望や名声があればあるだけその余波は大きくなる。

 近付けば近付くほど濃密になる死の気配の中を冷静な観察力を持ったまま進むことのできるだけの精神力があるザリュースは、(まさ)しく適任だった。

 

 ロロロが走る先に罠がないか、後方に見えるアンデッドの軍団が突如動き攻めてはこないか。万一のときには即座にロロロを転身させられるように走る速度を調整して、できるだけ敵を観察するための時間を不自然ではない程度に作った。

 

 結局罠などは無く、分かったのはぶくぶく茶釜たちは力で蜥蜴人(リザードマン)を屈服させるつもりだということだ。情報が増えるのは悪いことではないが、手放しには喜べない。いい情報なのか悪い情報なのか判断できるのは蓋を開けた後だろうから。

 

 足元には水が流入して、泥状になった窪地。一方には守るべき集落を背負い、また一方には(おぞ)ましい死者の軍団を背負って二者は対峙した。

 主に骸骨(スケルトン)によって構成された軍団は泥の中に膝をついたままの姿勢で一体も微動だにしない。先の騒がしさが白昼夢だったかのように辺りは静まり返り、風に揺られる木々のわずかなそよめきの音を意識するほどだ。

 生命(いのち)無きアンデッドには体力という概念が無い。そのため冷たい水に文字通り骨身をさらそうとも何ら問題が無いのだ。

 

 この近距離において肌で死者たちの持つ雰囲気を感じたザリュースには、いままで考えなかったのが不思議なくらい根本的な疑問が浮かんだ。

 

 何故、このアンデッドたちは統率されているのか。

 ザリュースとて旅の途中で何度か目にしただけだが、基本的にアンデッドには種としての集合的な組織が無い。新たな生命を育まず同じ種族であってもそれぞれが独立した個なので理に適ってはいるのだが、そのために複数人で組んだチーム相手には特効持ちの神官などがいなくても結構あっさり滅ぼされたりすることもある。

 

 生物として最小の組織とも言える家族を持たない連中が、果たして忠誠の概念などを持つものだろうか。

 いや、持つのだ。目の前の光景が否応なしにその事実を告げている。不可思議なのは、死者たちを従えていると思われるぶくぶく茶釜だ。

 アンデッドを召喚する魔法があると耳にしたことはあるが、流石に軍団規模の数を呼び出すようなシロモノではなかった。

 

(何かの魔法道具(マジックアイテム)か?)

 

 可能性があるとすればこれだ。

 もしこの軍団がアイテムなどによる召喚ならば、そのアイテムを奪うことで無力化できるのではないだろうか。薄い可能性だが探る価値はある。そしてそのチャンスは戦いの火蓋が切られる前のいまこの瞬間しかない。

 思わず震えそうになる妙な感覚を押し込めて、ザリュースはぶくぶく茶釜を鋭く見据えた。

 

「俺は"緑爪(グリーン・クロー)"族族長、シャースーリュー・シャシャの弟ザリュース・シャシャ! (ゆえ)あって対話の代表を務めさせてもらう!」

「こりゃどうも。あ、そういえばまだ名乗ってなかったっけ? 私はアインズ・ウー……あー、えーと、ナザリック地下大墳墓のぶくぶく茶釜と言います。よろしくね。で、どう、大人しく(くだ)る気には……」

「腹芸は好かんので結論を言おう。我々蜥蜴人(リザードマン)は分かれた部族の力を今再び束ね、お前たちの侵略には断固抵抗する」

 

 ぶくぶく茶釜の動きが止まる。一瞬のことだったが、纏う空気が明らかに変わったのをザリュースは全身で感じ取っていた。

 

「ま、そりゃそうだよねぇ。少し安心したよ。じゃあ交渉は決裂、キミが向こうの陣営に戻り次第攻めさせてもらうからよろしく」

「待て」

「はい?」

 

 自陣に戻るために踵を返そうとしたぶくぶく茶釜を呼び止める。勢力下に置きたいと言っていたということは、形だけの交渉が決裂しても連中は蜥蜴人(リザードマン)を皆殺しにしたりするつもりはないらしい。こちらもそうやすやすとやられるつもりがないのはもちろんだが。

 だが、それなら趨勢が決した場合に軍勢が引き上げないことには占領統治もまともにできないはずだ。そのままアンデッドが無秩序に行動すれば弱った戦士や戦闘能力を持たない女子供はまず間違いなく鏖殺(おうさつ)される。

 敗北する前提のような問いかけは旅人とはいえ戦士のザリュースとしては業腹だが、罪無き同族たちを想えば敵に軽く見られるなど大した問題ではなかった。

 

「あのアンデッドたちが散っては森の生態系が壊れる。負けるつもりは毛頭ないが、仮に我々を勢力下に置いたところで食わなければ生きていけん。我々が勝ったとしても同じことだ。だから(いくさ)の結果に関わらずアンデッドたちが問題無くこの地からいなくなるという担保がほしい。……たとえばアンデッドを統率している魔法道具(マジックアイテム)を渡すとか、な」

「ふーん……。てゆーかキミ交渉下手過ぎじゃない? それを聞いて、はいそうですかと合意する理由がこっちに無いとは思わないの? 別に私たちは蜥蜴人(リザードマン)という種族に執着してるワケじゃないんだよ?」

「確かにそうかもしれん。だがそのときはお前たちナザリック地下大墳墓はたかだか骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)どもも(ぎょ)しきれない無様な連中だということになるな」

「は……」

 

 ザリュースがクルシュたちに聞いた、まだ五つに分かれていた村々へ現れたメッセンジャーの話。偉大なる御方とは相手の組織の長を差すと思われた。そしていかにも壮大な修飾を添えた呼び名は、組織内において誇りや名誉といったものが機能していることを示している。蜥蜴人(リザードマン)の社会でも勇者と呼ばれる者は他の者たちから敬意を込めた眼差しを向けられており、ザリュース自身が旅人というアウトローでありながらもその立場にいるためよく分かる。

 あとは自分たちの例で考えればいい。客観的なメリットが無くても条件を呑まざるを得ない状況とは何か。それは、名誉を傷付けられたときだ。勇者の名に泥を投げつける者に対して、蜥蜴人(リザードマン)は戦士たちが中心となって強く反発するだろう。

 

 ナザリック地下大墳墓に叩き付けたのはそれだ。これでもし名を汚されることに憤怒を持たない精神性の集団ならばどうしようもない。ザリュース自身アンデッドを支配する魔法道具(マジックアイテム)の存在を確認するためにこんな姑息な手段を使うのもどうかと思うのだが、村と種族と好いた雌を背負って手を選り好みできるほど達観した精神の持ち主ではない。

 

(どうだ!?)

 

 一見滅茶苦茶なザリュースの主張を前に、ぶくぶく茶釜は触手で口を塞ぐようにして身を震わせていたが、やがて耐えられなくなって笑い声を上げた。

 

「あーっははははは! 前言撤回するよ。中々交渉上手じゃない!? でもさぁ、悪いんだけどあのアンデッド軍団は特別製で、魔法道具(マジックアイテム)で召喚したとか支配(コントロール)してるとかじゃあないんだよねぇ」

「く……」

 

 見透かされたか。相手の勢力を逆に奪うことは望めなさそうだ。

 

「……ロロロ、戻ろう」

 

 これで正真正銘交渉の余地は無くなった。ぶくぶく茶釜が背を向けたのを確認すると、ザリュースもまたロロロの鼻先を集落へと向けた。大将首をこの場で獲ってしまえばなどという発想は彼の頭には無い。愚直な性格である。村に戻ってからの動きをすでに考えようとしていたザリュースに後方から声が掛かった。

 

「あー、でもまあいいよ。あのアンデッド軍団が私たちの支配下にあることには違いないんだし、勝敗に関わらずあれらは引き揚げる。ナザリック地下大墳墓至高の四十一人の名に懸けて誓いましょう」

「っ! ……そうか」

 

 ザリュースが陣営に戻ったと同時に、死者の軍団は蜥蜴人(リザードマン)の集落へと進軍を開始した。




はぁ……エントマちゃんかわゆ。

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