オーバーロード 粘体の軍師   作:戯画

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~前回のあらすじ~
ソリュシャンとセバスへの嫌疑が晴れた。


第50話 交錯

 再び転移門(ゲート)を抜けて訪れた屋敷の客室。パンドラズ・アクターの報告によってすでにセバスの嫌疑は晴れている。一時はどうなることかと思ったが、裏切り説に懐疑的だったアインズはすこぶる上機嫌だった。

 

「はは、私の言った通りだろう。セバスが裏切るはずがないとな」

「はっ、まさに深淵を見通す慧眼にございます」

「なに、当たり前のことだ。ははは……」

 

 カードゲームで一抜けをした子供のようにはしゃぐアインズ。ひとまず頭の痛い事案が1つ片付いたのは実に喜ばしいことだった。王都調査組で残る問題はセバスが拾ったと聞く娘だ。

 大した問題だとは思っていないが、事の発端である以上は処遇を棚上げにしておくわけにもいかない。話がアインズたちのところへ上がってきているのであればその判断は下す必要がある。

 取るに足らない小娘1人の処遇など好きにしろと突っぱねることもできるが、今回はそれに関係した脅迫を受けていることもありフォローするべきだと判断した。

 にべもなく断じては相当の覚悟で報告をしてきたソリュシャンに対して誠意に欠けるということもある。

 

 それにセバスが助けた娘という点に多少興味もある。単に運に恵まれただけの娘なのか、あるいは何かセバスの琴線に触れるものがあったのか。感覚としては珍しい動物を見てみたいというのが近いだろうか。心配させた代わりに少し好奇心を満たしても罰は当たらないだろう。

 

 「娘を見たい」というアインズの希望に若干の戸惑いを見せつつもセバスは指示を出し、連れて来られるまでのあいだに娼館潰しの詳細な報告を行った。

 

「なるほど、だがいまの話だとその男は毒に侵されたままのようだが大丈夫なのか? 娼館のこうりゃ……首謀者捕縛には彼の協力による功績も大きい。何かあってはナザリックの沽券に関わる」

「たかが下等な人間1人、大した問題では無いように思いますが……」

「この際彼が人間かどうかはどうでもいいのだデミウルゴス。私は恩には恩を返すべきだと思っている。セバスにはこの館内について聞きたいこともあることだし、お前の方でケアしてやってもらえないか」

「かしこまりました。では少々ナザリックの手の者を使いますがよろしいでしょうか」

 

 許可を求められたのは以前王国内でシモベは使わないという話をしたからだ。だが確かに警備兵がいるであろう城内で人目に触れることなく工作をするのはデミウルゴスだけでは難しい。というより律儀にあの話をいちいち許可を求めるレベルに受け止めていたとは思っていなかった。

 

「ああ、構わない。それにこの前の話は大きな問題を起こさないように干渉するなと言っただけで、それが分かっているならあまり気にする必要は無いぞ」

「かしこまりました。ではこの後すぐにでも」

 

 善性寄りのセバスやユリなど一部を除けばナザリックのシモベたちは人間に対する考えが浅いというか、ややおざなりに扱う傾向がある。だが最近それを根本的に矯正するのは時間が掛かるだろうなという思いと、そういう部分も含めて仲間たちが作ったアイデンティティの一部なのかと思うと変えることが必ずしも正しいとは言い切れず、とりあえずの対処として配慮が必要そうなところは適宜指摘することにした。少なくとも勝手にフラフラとナザリックの外へ出る者もいないことだし、現状これで問題は無い。

 

 ほどなくしてソリュシャンに連れてこられたのはカモフラージュのために用意していた何の変哲もないメイド服に身を包んだ金髪の娘。まだ怯えがあるためか伏せがちな碧眼と合わせて容姿について王国内で特に珍しいと感じる要素は無かった。だが顔立ちというか受けた印象として、アインズはこの世界でのとある知人を鮮烈に思い起こす。隣にいるぶくぶく茶釜もメイドを見てわずかに驚きの声を上げている。

 

「えっ、あれ? ちょ、ちょっとアインズさん、これは」

「ええ……似ていますね」

 

 2人の会話の意味が分かる者は誰もいない。不穏な会話とも受け止められるし、たわいない会話とも思える。セバスはまたも自分の胸が早鐘を打つのを感じる。横に控えるツアレもまた、自分に関した話が置いてけぼりで進行していることに不安と困惑を隠しきれない。胸の前で重ねた手に力がこもり、じっとりとした汗に濡れた。

 

「ツアレ、といったか。人間の娘よ」

「はっ、はい」

 

 不意に呼ばれた名に精一杯の返事をする。いまの状況で唯一理解できるのは自分の運命が不安定なロープの上にあるということだ。そして多分、命綱は横にいるセバスに繋がっている。元より死んだも同然の命、短い時間でもあの地獄と比べたら天国のような時を過ごせたのは救いだった。だがそんな自分を拾ったことが原因でセバスにまで不利益を被らせることなどあってはならない。何を言われるかまるで予想は付かないが、もしセバスを罰するような沙汰がくだるようであればツアレは己の命を差し出すつもりでいた。何ら特別な生まれながらの異能(タレント)も無い人間1人の生命に、果たしてどれだけ天秤にかけるだけの価値があるのかなどは一切考えから飛んでいる。

 

「お前にこれから1つ質問をする。お前の答えが私の望んだものでなかったとしても罰を与えたりはせん。私がお前に求めるのはただ1つ、真実を答えることだ。心して答えよ」

 

 充分プレッシャーのかかる言葉だった。

 ツアレはこの数年の地獄での記憶を一瞬に詰めこみ頭の隅へ追いやり、セバスに助けられてからの数日を噛みしめて記憶の戸棚を開ける。

 走馬灯のように巡るシーンは(にじ)んだ揺らめきの中で何よりも鮮やかな輝きを放っていた。

 長く長く忘れていた、思い出という名の尊い記憶。セバスに手を差し伸べられてからの日々は、人生において間違いなく幸せな時間だった。セバスはそれを勘違いだと言ったが、愛する人がいることは目に映るすべてを彩り華やかなものにした。

 だからこそ、恐ろしいものがある。自分のせいで愛する人に害がおよぶこと。それこそこの世界と引き換えにしてでも忌避するべき最悪の未来だ。

 

 口に出すことはしないが、セバスの主人(あるじ)と思われる異形に対して嫌悪や恐怖というものはあまり感じなかった。こちらに向けられた視線にはどろどろした欲望といったものがまったく含まれていない。人間とはまったく違う種族だからなのかは分からないが、怯えて顔色を窺うばかりの日々を年単位で過ごせば誰だって他者の感情に敏感になる。それに何より大きな理由は、ツアレを一個人として対話の場に引っ張り出したことだ。

 質問はまだしも、圧倒的に強い立場にいる者が弱者への保証を口にする必要などまるで無い。希望を持たせるためだけの嘘だと言われた方がどれだけ信憑性があるだろうか。

 だが骸骨の容姿を持つ支配者には嘘をついている様子は無い。

 それもまた、ツアレを混乱させる。

 

 精神の揺らぎは視線の揺らぎとなって頼れるものを探す。目に留まったのは力強く大きなセバスの背中だった。

 振り向くことはなくとも、その背中が語っている。信じろと。

 

 都合よく自分が作り出した幻覚かもしれない。しかし同時に思う。あの慈悲の心に満ちたセバスが、災厄を振り撒く存在にこうべを垂れるだろうかと。とても考えられない。何か逆らえない理由でもあるのかと勘繰っても、主人(あるじ)を前にしたときのセバスは心底からの敬意を持って接していたように思う。だとしたら自分がセバスの主人(あるじ)に疑いの心を向けるのは失礼というものだ。

 

(私は、セバス様を信じます)

 

 ツアレの心は決まっている。セバスが死ねと言うなら死のう。答えろと言うなら答えようと。

 まっとうな人生を歪められ奪われた少女は、まっとうな人生を取り戻してくれた存在に尽くすことでしか自分の存在意義を確かめることができなかった。

 それをある人は不幸だと言い、ある人は幸せだと言う。少なくともこの場においてその選択は正解だったと言える。

 

「では、聞こう。ツアレ、お前のフルネームはなんと言う?」

 

 質問の意図は分からなかったが、心臓を握られた気持ちだった。

 

 ツアレと言う名は当然フルネームではない。かつて自分にも父がいて、母がいて、家族がいた。

 

 でも、奪われた。何もかもを。幸せも、家族も、人としての尊厳も。

 

 心が壊れないようにするために、ツアレという仮面を被った。本当の名を厳重な誰も開けられない秘密の小箱に入れて心の底に沈めた。

 もう見て見ぬフリはできない。自分の家族はきっと、もういないのだから。呪いともいうべき未練は断ち切らなければならない。そして許されることなら、愛する人のそばでこれからの未来を生きたい。

 

 ああ、もう自分はこの人がいなければ生きていけないのだと強迫観念にも近い思考に行き当たるとともにツアレは決意を込めて答える。

 家族に本当の別れを告げ、いまここで初めてツアレは悪夢から目覚める一歩目を踏み出した。

 

「私の名前は、ツアレニーニャ。ツアレニーニャ・ベイロンです」

「ツアレ、ニーニャ……」

 

 告げられた名をアインズは噛みほぐすように復唱する。漆黒の剣のメンバーでニニャだけが唯一姓名ではない、ただのニニャだった。いまも探している姉の名を借りていると言っていたが、キレイに姉と半々に分かれていたとは。

 あとはニニャ本人に直接確認すれば確実だが、状況からいってほぼ間違い無いだろう。アインズの冒険者としての仔細な情報は王都探索組へは伝わっていないので、完全な偶然によってセバスは大海に浮かぶ木の葉を見付けたのだ。

 

(どんな神引きだ……)

 

 夏のボーナスを突っ込んだ課金アイテムをギルメンにあっさり引かれて苦い思いをした身としては、ヒキの強い人物には思わずおよび腰になってしまいそうになる。上位者としてみっともないから部下の前では我慢するが。

 アインズの沈黙をどう受け取ったのか、ツアレニーニャは少し落ち着かない様子だった。

 

 名前を聞いたことが不可解なのは何もツアレニーニャだけではない。護衛のコキュートスとデミウルゴスも顔を見合わせて不思議がっている。

 

「デミウルゴス、何か言いたいことでも?」

「はい、ぶくぶく茶釜様。このような下等生物をも有効に使おうとなさるアインズ様の器量に打ち震えておりました。しかしながらいったいどのような利があるのかと卑小の身ながら思案していた次第です」

「フ、デミウルゴスよ、お前が思いつかないのも無理はない。だがこれはセバスに罰どころか褒美を与えなければならないかもしれんぞ」

「な、なんと!?」

「ムゥ……」

 

 アダマンタイト級冒険者に登りつめた漆黒のアインズとレジーナ。いまなお他者の追随を許さないスピードと確実性で数々の依頼をこなし続けているが、名声が伝説のものとなるにはそれだけでは足りない。

 しかし依頼とて無限ではなく、万人の尊敬を集めるためにはあまり下級の依頼を根こそぎにして他の冒険者の飯のタネを潰すわけにはいかない。そうすると必然的に依頼が無い空白の状況が生まれる。

 インターネットなどが発達しているはずもないこの世界においては、情報の収集と拡散は主に人から人へと口伝いになる。

 だからこそなんの見返りも求めない人探しは当のニニャは言うに及ばず、漆黒の剣のメンバー、彼らと接する他の冒険者や依頼人を渡り歩いて漆黒の名声、主に好感の持てる人柄であることを広めるというはたらきをしてくれるはずだ。

 

 発見する手段のコストとリスクとリターンが釣り合わなかったために本腰を入れなかっただけで、労せずして手に入った場合の価値は思わず諸手を上げてセバスを讃えたいくらいだ。

 

「ツアレニーニャ……いや、いまはツアレと呼ぶべきか。お前は何を望む? もちろん対策は打たせてもらうが、このまま解放してもいい。生きる(すべ)を知らぬなら平和で安全な村に居場所を作れるよう取り計らい、食うに困らぬ生活を保証しよう。なんなら家ぞ……」

 

 ぱしん、と口をスカスカの骨の手が塞ぐ。してやれることを言い並べるのはいいが、ここで「家族のもとへ送ってやる」なんて言ったらどう考えても怪しい。なぜツアレの家族を知っているのかという話になるし、だいいち姉探しの頼みを引き受けたのは漆黒のモモンであって墳墓の支配者アインズではない。

 

「まあ、とにかくだ、望みを言ってみろ。できる範囲で叶えてやる」

 

 フルネームを答えただけで異常ともいうべき厚遇の提示に、ツアレはただただ困惑する(ほか)ない。

 周りの者たちが何も言わないのは提示された内容に偽りがないか、もしくは意見を差し挟む余地がないほど絶対的な存在による意見だからか。

 正直に答えろという命令は、いまも続いている。ツアレは自分の気持ちに素直な答えを述べた。

 

「ゆ、許されるのなら、私の望みはセバス様のおそばにいたいです」

「うわー、セバスやるねー」

「ちょっと、茶釜さん、茶化さないでください。んんっ、えー、……人の世に未練は無いのか?」

「家族は…………妹が一人、いました。会いたいという気持ちはありますが、辛い思いをすることになりそうで……怖いです」

 

 哀しそうな表情とか細くも絞り出すような声は、隠しきれない妹への情。

 ツアレが貴族に攫われたのは13歳のときだ。幼くして両親を失い、唯一の肉親である姉をも失った妹はどうなったのか。同情は集まるかもしれないが、孤児(みなしご)を1人抱えこむ余裕など隣人にはなかった。生きていると考える方がもはや不自然だ。

 妹と過ごした村へ連れていってほしいといえば、叶えてくれるのかもしれない。だがそこには絶望が大口を開けて待っているだけではないのか。

 

 人は守るものができると臆病になる。再びすべてを失ったならば、今度こそ自分は手にした自由によって死を選ぶだろう。

 

「妹は私の中で小さいまま、時間が止まったままなんです。でも、私は……っ!」

 

 頬に濡れた筋を作りながらも訴えた本心はアインズのあげた片手で押しとどめられる。

 

「……そこまで思い詰めさせるつもりではなかった。許せ」

 

 もやもやと湧きあがっていた妹への愛情と憐れみと罪悪感はあまりに意外なアインズの言葉に霧散する。

 やはりセバスの主人(あるじ)はツアレの知る「えらい人」とは根本的に違う。連中は攫ってきた女たちをモノとしか考えていなかったし、間違っても謝意を示すことなどあろうはずがなかった。

 人間ではない存在が自分を人間らしく扱うことがなんだか不思議だった。

 こういうのを器が大きいというのだろうか。周りの者たちが忠誠を捧げているというのも腑に落ちた。同時にそんな主人(あるじ)(いただ)くセバスへの心酔はさらに加速していく。

 

「アインズ様、ツアレを保護しているあいだ分かったことですが、彼女は料理を作ることができます。また協力的な姿勢も見せておりますので今後の活動において現地の一般的な認識を知るという点もナザリックに有益な……」

「分かった、分かった。そう焦らなくともよい。セバスも異論が無いのなら何も問題は無い。……茶釜さん、いいですよね?」

「んー、あけみちゃんの例もあるし、いまの状況で目くじら立てることもないでしょ。だいいちそれ言いだしたら第6階層でよく死にかけてる彼もアウトでしょー」

 

 コキュートスがアインズの護衛で外出しているあいだ、ブレインはつかの間の休息。を与えられるわけもなく、今頃アインズ謹製のデスナイトを相手に死線をくぐっているはずだ。一応事故防止のためにペストーニャとマーレが監督している。

 

 ぱん。

 

 注目を集めるため軽く手を打つアインズ。その一拍で室内には静寂が満ちる。

 

「決まりだ。ツアレはアインズ・ウール・ゴウンの名の(もと)に保護される。客分としてもよいが望むなら何か仕事を与えよう」

「は、働かせてください!」

「ではセバスの直轄に仮メイドとして配置する。メイドとしての教育はペストーニャの裁量に任せようと思う。以上だ。何か意見のある者は?」

 

 ただの人間をナザリックに招き入れることへの反発が予想されるとデミウルゴスが述べたが、すでにブレインという存在がいることや異議のある者は直接説明するから至高の御方に聞けと指示を出し落着した。

 ツアレを得たことは僥倖だが、問題なのがいまの彼女の行動はナザリックへのというよりセバスへの傾倒が考えの軸であるということだ。ニニャと会わせることは簡単だが、おそらくともに生きることを望むであろうニニャとセバスのそばにいたいというツアレの望む未来は交差すれどもあまりに遠く、方向性もまるで違う。双方が満足のいく折衷案などそう容易く出てこないだろう。

 となるとせめてツアレの無事をニニャが知ってもその生き方を肯定してやれるだけの状況が必要だ。

 ニニャがモモンに頼んで良かったと思える結果でなければ思った通りの評判効果は得られない。

 

(それならいっそ人目につくことのないナザリックに置いてるほうが安全かな。問題の先送りと言えなくもないが、急いで結論を出す必要もない)

 

 セバスから上がってきている報告のいくつかはアルベドから耳に入っているが、テーブルの上には急遽まとめたのであろう未報告の資料が山を作っている。

 ツアレの件がひとまずの結論に至り、アインズの指示でそれらに猛烈な勢いで目を通していくデミウルゴス。みるみるうちに山が左から右へと移動していくが、量が量だけにもうしばらく時間がかかりそうな雰囲気だ。

 

 ぶくぶく茶釜はツアレにあれこれ話しかけている。コキュートス以上に人間のシルエットからほど遠い粘体相手に最初は困惑の色がありありと出ていたが、声は人間の女性と変わらないことも手伝っていまでは普通に話している。ぶくぶく茶釜の話術が巧みというのもあるが、どうやらこのツアレ自身異形に対する嫌悪感などといったものが非常に希薄に思われた。

 アンデッドが生者を憎む存在だなどとする世間の一般常識がいかに作られたイメージなのかがよく分かる。先入観が無ければ案外こんなものなのだ。人間にだって悪人はいるのだから、ひと括りに断じるのは軽率な考えだと改めて感じる。

 

「セバス」

「はっ」

 

 まさに完璧な執事といった雰囲気で応えるセバス。デミウルゴスの確認する資料を運び終わったタイミングを見計らって声をかけたのはこれからの行動指針を伝えるためだ。

 静かに護衛役に徹していたコキュートスはもとより、書類の束を整えていたデミウルゴスもセバスの後ろに控えていたソリュシャンも、この場にいる全員がアインズの言葉を一言一句逃すまいと傾聴する。

 

「王都での情報収集は終わりだ。この館を撤収し、ナザリックへと帰還せよ」

「かしこまりました。……ひとつだけ。それは私が失敗したからでしょうか」

「そうでもあるし、そうではないとも言える。さっきも言ったように今回の件でお前を責めるつもりは無い。撤収の主な理由は王都における情報の動きがここ最近停滞しているためだ。少なくとも民衆に表面化しているような大きな問題はない。ある程度の手駒は潜らせたままにしておくが、過剰とも言える戦力を常駐させておく理由は無いからな」

 

 細かい動きがどうかなどアインズもぶくぶく茶釜も帝王学の素養もないのに分かるわけがない。王都の動向はアルベドが所見も添えて報告してくれるのをいいことにほぼ彼女の意見を採用している。最近はときおり含みのある言い方をすることで問題点をあぶり出すという我ながら小賢しいテクニックを覚えてしまい、少し罪悪感がある。

 そんなことは毛ほども考えていないセバスがまるでアインズの深い見識に感じ入っているような反応をするたびに良心をつつかれている感覚に襲われた。

 

 撤収とは言ってもセバスとソリュシャンがこれまで商人を装って作り上げてきたコネクションを破棄するのは惜しく、2人へは商談のため遠方へ行くことになったと伝え回るよう指示をした。館の中には収集した巻物(スクロール)や資料、書物などがあり、それらの片付けもとなるとやはりどうしても多少の日数はかかってしまうとのことだった。情報収集は秘密裡に行ってこそ価値がある。それなりに立派なこの館の住人がある日こつぜんと姿を消せば、近隣の住人のいらぬ関心を引かないとも限らない。退去のタイミングは早いにこしたことはないが不自然なほど早いのはいただけない。

 

 だが人手が足りないことは最初から分かっていた。念のためアンデッドの気配を遮断するアイテムを屋敷全体に使用してから、本日四度目となる≪ゲート/転移門≫を発動させた。

 空間に生じた楕円形の平面。そこから現れたのはアインズと同じく肉のない骸骨の頭部を持つ6体のアンデッドだった。

 

「……あなたは!」

「久しいな。セバス。息災そうで何よりだ」

 

 驚愕を含んだ声が漏れる。対照的に落ち着いた様子で再会を喜んだのは、鮮やかなサフラン色のヒマティオンで総身を包み頭からは2本の立派な角を生やしたスケルトン・メイジ。腕には7色の宝石が埋め込まれた白銀のブレスレット、首からは黄金のアンク十字を着けている。そして腰には複数の巻物(スクロール)入れを提げているが、どれも中身は入っておらず(から)の状態だ。

 レベルこそナザリック内では下から数えたほうが早いくらいだが、彼こそは第10階層に存在する至高の41人が世界中から蒐集した書物などを蔵した大図書館(アッシュールバニパル)を管理する司書長である。

 後ろには緋色のローブ以外に目立つ装飾はない5体のアンデッドが同じ姿できれいに並ぶ。

 

「偉大なりし御方々、お召しにより参上致しました」

「うむ、ご苦労。ではさっそく取りかかれ」

 

 素早く慣れた調子で部下に指示を出すスケルトン・メイジ。命を受けた5体のアンデッドたちは静かに頷くと奥の部屋へと消えていった。自身はそれに続かず、唖然とするセバスそしてツアレを見た。

 

「ふむ。娘、私はナザリック地下大墳墓第10階層の大図書館(アッシュールバニパル)で司書長を務めているティトゥス・アンナエウス・セクンドゥスという。見知りおくがいい」

「あっ、わ、私はツアレ、ツアレニーニャ・ベイロンです。よろしくお願いしますっ」

 

 まさか自分が話し掛けられるとは思っていなかったツアレに不意打ちの自己紹介。焦った返しはやや早口になってしまった。謝ろうかと思ったがすでにティトゥスはセバスとの会話に移っていた。

 

「司書長が出てこられるとは……。大図書館(アッシュールバニパル)はよいのですか?」

「至高の御方々のご下命とあらば是非もない。大図書館(アッシュールバニパル)なら心配無用だ。運営は司書Jに任せてある」

「屋敷内の撤収作業はティトゥス指揮のもと進め、セバスとソリュシャンは他者との関係整理を進めよ。他のシモベは最低限の人員を残してナザリックへ引き上げる。私の≪ゲート/転移門≫で帰還するとしよう」

「アインズ様。セバスの報告で気になったことがございましたので、私は少し遅れて帰還させていただいてもよろしいでしょうか。それとお許しいただけるならば司書長にも協力してもらおうと愚考しております」

「ナザリックノ警備ガ手薄ニナルノデハナイカ?」

 

 ただでさえ2人の階層守護者、同格の強さを持つセバスが王都へ来ているのだ。コキュートスの懸念はナザリックに名を連ねる者としてごく自然なことであり、デミウルゴスもそれを否定はできない。

 だが誰もが思うことだからこそ代案の用意はあった。

 

「協力と言っても、数時間程度の話さ。もちろんコキュートス、君の懸念は至極もっともだ。だが入れ替わる形で君は第5階層へ戻るのだろう。私も第7階層へ戻る。用が済んだらすぐにでも帰還するさ。シャルティアには少し手間を掛けるがね。それに……」

 

 わずかに流した目。優れた動体視力を持つコキュートスにはその先に見たものを即座に理解する。セバスの嫌疑が晴れた以上至高の御方々がここにいる理由はなく、すぐにでもナザリックへと帰還するはずだ。

 守護者数人が不在だとしても至高の御方が2人も拠点にいる状況で、あるかどうか分かりもしない敵の襲撃が不安だなどと不敬以外の何物でもない。

 武人としての矜持が女々しい小言に蓋をした。

 

 

 

 司書長への頼みは四半刻もかからないが、彼の手を借りているあいだは撤収要員として影の悪魔(シャドウ・デーモン)を提供した。室内の影の一部が音も無く伸び、立ちあがる。そこには細身ながらも屈強な肉体を持つ漆黒の痩身に背中からは蝙蝠(こうもり)にも似た飛膜を持つ翼が生えている。緋色のローブを着たアンデッドたちに遅れる形で彼もまた奥の部屋へと姿を消した。

 

 アインズとぶくぶく茶釜がコキュートスや余剰のシモベを連れて魔法で帰還すると、デミウルゴスは早速行動を起こした。隠密能力に長けた八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)影の悪魔(シャドウデーモン)に指示を出し、闇夜に溶けて消えた彼らは隠密能力が高く人目につく心配をしなくてもよい。偵察にはうってつけのシモベだ。

 

「私は明日以降訪ねる相手のリストアップをしておきます」

 

 上機嫌な声音でそう告げるとソリュシャンは軽い足取りで自室のある2階へと階段をのぼっていった。

 セバスもソリュシャンと相談して、より効率的に有用な人脈を残す手を考えなければならない。当然だがツアレを連れていくわけにはいかない。場慣れしていない、いってしまえば平凡なメイドを連れ歩いたところでなんら有益に働くところがないからだ。外出を(かたく)なに恐れる彼女を無理に引っ張りだして心労を掛けるのも忍びない。

 

「ツアレ、今日は疲れたでしょう。もう先に休んでいてください」

「でも……」

「聞いていた通り、私とソリュシャンは明日から忙しくなります。留守を任せてもよろしいですね?」

 

 ツアレとて自分ができることとできないことくらいは分かっている。有無を言わさぬセバスの言葉は少し寂しかったが、しばしの逡巡の(のち)深々と頭を下げてツアレは自室へと戻った。

 

 それらのやりとりをしているあいだも、司書長ティトゥスは室内の装いや素材や様式などを無言ながらも熱心そうに調べていた。一段落したらしく手に持っていた羊皮紙の1枚を慣れた手つきで丸めると腰のホルダーへと収納する。

 

「司書長、何か気になることでも?」

「うむ、知識で知っているということと実際に見て触れることには近しくも大いなる隔絶がある。あるいはそれらの空白を埋めることが巻物(スクロール)作製の一助になるかと考えたのだが」

 

 未知の素材による巻物(スクロール)量産化計画は一定の成功を収めつつも、ある程度以上の位階魔法封入にはまだまだ解決するべき課題がある。専門家であるティトゥスをもってしても手探りで進むしかない状況だった。

 だが彼の知識欲はこんなことで立ち止まったりしない。むしろ自身に与えられた重責は心地よくすらあり、問題の解決がナザリック全体に大きく寄与することを考えれば趣味と実益を兼ねたまさに天職ともいうべき仕事だ。

 

「ふむ、そろそろ違ったアプローチを考えるべき時期にきているのかも知れないね。しかし、申し訳ないがいまは王都でやるべきことを優先させてもらいたい」

「守護者デミウルゴス。私に頼みがあると言ったな。先に聞こう」

「ああ、助かるよ」

 

 書斎の位置を聞くと階段をともに上がっていくデミウルゴスとティトゥス。どちらも知力に優れた者同士、巻物(スクロール)量産のための協力体制を敷いてからの相性は悪くないようだった。

 2階へ上がりきる数歩前のところでティトゥスは肩越しに振り返り、骨の指をピッと立てる。

 

「セバス、見たところ君もあの人間の娘に負けず劣らず疲弊しているようだ。リストアップはソリュシャン・イプシロンに任せて休息を取ることを勧める」

「……そうですね、そうさせてもらいましょう」

 

 トラブルの肥大化、八つ当たり混じりの娼館襲撃、至高の御方を前に裏切りの嫌疑にツアレの処遇と撤収の指示。確かに王都に来てからのあらゆることが収束した1日だった。人間より遥かに高い体力を有するセバスであっても、精神的な疲労を感じずにはいられない。ティトゥスに指摘されたことでさらに自覚が強まりどっと疲れを感じる。

 もう失態を演じることのできない身としては、わずかな綻びも無くしておきたい。そんな心境だった。

 

 

 

 

 

 

 視界は暗闇に包まれている。徐々に目が慣れるとベッドの天蓋、視界の隅には天井から吊るされたシャンデリアの一部が見えた。もぞもぞと寝返りを打って目を閉じてみるが、瞬間的に飛んでいってしまった眠気はすぐには戻ってきそうにもない。ふかふかの布団は朝に寒い思いをまったくさせなかったが、中途半端に目が覚めたいまでは少し寝苦しさを感じるくらいに熱がこもっていた。十数分ほどそうしていたがやはり睡魔が襲ってくることはなく、諦めたツアレは布団をめくってベッドから足を下ろす。

 あの日から連日、セバスたちは付き合いのあった商人を訪ねるために朝から晩まで留守にしている。そのあわただしい様子は相当な心労を伴うものであろうとは推察できた。音が聞こえるとは思わないが、なるべく静かにするよう気を付けて枕元を手で探る。

 

「光れ」

 

 硬い感触のランタンを手に取り発動キーになる言葉を口にした。するとそれは辺りを照らし、動き回るのになんの問題もない明るさがもたらされる。≪コンティニュアル・ライト/永続光≫という魔法を込めたマジックアイテムであり、頭上にあるシャンデリアの他屋敷内の照明は基本的にすべてこれが使用されている。簡単に点け切りができて、補充も必要なく、燃料が存在しないため煤汚れや火災の心配もない。まさに理想の灯りと言える。

 だが当然その値段はこのランタンサイズでもそこそこの値が張り、市場にも流通はしているが庶民が軽々と手を出すようなものではない。それを屋内の照明すべてに使っているとなれば総額がどれほどのものになるのか見当もつかない。

 

 台所は日頃使っていることもあり、ランタンの明かりでひっそり照らす程度でも足下に危うさは無かった。

 こくりと空けたグラスは軽くすすいで乾燥棚へ。

 

 横に置いた水を生み出す魔法道具(マジック・アイテム)にふと目が止まる。飲み水に生活用水とこれ1つがあるかないかで必要な作業量は天と地の差だ。魔法のランタンと同様にこれも相当な品だと思うのだが、厳重に保管しておこうという気が微塵も感じられなかった。

 こう言ってはなんだがせいぜい10日前かそこいらに転がりこんだ縁もゆかりもない人間にこんな値打ちものを使わせて、あまつさえ無造作に台所に置いておくなど普通は考えられない。

 壊されたり盗まれたりすることは考えていないのか、あるいは『あの方々』にとってはそうなったところで痛くも痒くもない程度の品なのか。

 

 金持ちや貴族の考えは分からないし分かろうとも思わなかったが、これまでとはまったく違った方向性でこの屋敷の主はツアレの理解を超えていた。

 もちろんツアレに盗む気などないが、もし盗人などが入ればとても危ない。それをしっかり伝えるべきなのかどうか迷う。下手なことを言って機嫌を損ねたら非常にマズいし、しかし何も言わず貴重な品々を持っていかれたらそれはそれでバツが悪い。

 

(明日セバス様に相談してみようかな)

 

 夜の空気に触れて身体の熱っぽさも取れた。これで幾分かは楽に寝られるはずだ。寒さを感じる前に自室へ戻ろうとしたツアレの耳が、カタリと何かの動く音を拾った。

 この屋敷は風で窓が揺れるような安普請ではない。よくよく耳を澄ませてみると、やはり同じような音がかすかに聞こえてきた。

 

 2階で寝ているセバスに知らせるには階段を昇って、外から彼を起こす必要がある。時間がかかるというのもあるが、もし盗人だったらノックの音で逃げてしまうかも知れない。どっちにしても正体がはっきりしていないのに真夜中に起こすのも悪い気がして、素人なりの抜き足差し足で音のした方へと進む。

 もちろんランタンは消したままだが、ある程度の間取りは頭に入っているため慎重に進めば躓いたり不意に大きな音を立てたりすることもない。

 

 壁に片手をついて進むと、倉庫代わりになっている一室にたどり着く。ここにはセバスが外で買い集めてきた巻物(スクロール)や書物が保管されている。分類などはお嬢様もとい本名はソリュシャンというらしい彼女の書斎を通しているが、分類が終わった品とまだ未分類の品の2種にざっくり分けてひとまず置いてあるのだ。

 魔法の巻物(スクロール)などはモノにもよるが非常に高価と聞く。あの部屋なら盗む品には困らないだろう。ますます危険な香りが濃くなり思わず息を潜める。

 

 決して大きくはないが、いまも断続的は音は確実に部屋の中から聞こえてくる。

 

(! 扉が……)

 

 無造作に開け放たれたままの扉。身を(ひね)らなくとも部屋に入れるくらいの余裕がある。

 

 そろりと頭だけを入れて様子をうかがってみるが整理のために所狭しと並べられた本棚はどれも自分より背が高く、背表紙に書かれた難しそうな本のタイトルくらいしか得られる情報は無い。

 日中のメイド服では足音も立つし素早く動けばスカート部分がバサバサしてしまうところだった。全身を室内に音も無く滑りこませたツアレはふとそんなことを思う。

 ここまで来たら音の正体を自分で確かめなければいけない。そんな思いこみにも近い心理が働いていた。

 

 そろそろと慎重に移動し、本棚の陰から誰もいない擬似的な通路の向こう側を見てはまた移動する。そんなことを繰り返して最後の通路。ついにツアレは音を出していた犯人を目視する。

 多少暗闇に目が慣れてきたとはいえ、特殊な能力もない人間の肉眼である。闇の中にいたそいつはローブのようなものを頭から被っているらしく、立ち上がったりしゃがんだりしていた。そのときにさっきからツアレの耳に届いていた音がはっきりと聞こえる。トン、パタパタ、パタン。それは本を閉じたりする音や、ゴソゴソと本棚から取り出す音。中には分厚く重い本もあるため、そういったものから出た少し大きめな音がツアレの耳に届いたのだ。

 

 本棚に身を隠して接近できるようひとつ隣の筋を進む。途中で本棚は途切れている。横に通れる隙間を挟んで同じ型のものが並んでいるため、こっちから行けばギリギリまで姿を隠して近付けるはずだ。

 

 セバスたちを起こしてしまわないようにと裸足のまま降りてきたのは幸いだった。足下に敷かれた絨毯はさらさらふわふわと触り心地は最高で、歩くだけで軽く沈むほどの柔らかさは専門的な心得などまるで無いツアレの足音を完璧に消し去ってくれる。

 

 本棚の陰から覗きこむと、やはりローブらしきものに身を包んだ何者かはごそごそとこちらに背を向けたまま何かの作業に没頭していた。

 一向に振り向く気配がなく、接近が気付かれていないことに安心するとともに次の手に困ってしまう。

 

(どうしよう。ずっとこうしているわけにもいかないし)

 

 ついついここまで来てしまったが、結局まともな情報は手に入らなかった。放っておくわけにもいかないならやはりセバスを起こすしかない。どうせそうなるのなら慣れないことはせずに大人しく呼びにいくべきだった。

 

 内心でため息をついて、部屋の出口へ向かうため振り返る。

 

 その瞬間ツアレの視界は暗闇の中でもはっきりと分かる緋色で埋まった。ゆっくり上げた視線の先には虚無を(たた)えた(から)の眼窩、肉の無い骨がむき出しの骸骨────。

 

「……☆¥$○×〆%!!!!」

 

 叫ぶという行為を身体が忘れてしまったかのように文字通り飛び上がるほど驚いたツアレは思わず手に持っていたランタンを取り落してしまい、底から落ちた勢いで把手が半回転して台の腹をカシャンと叩く。部屋の角にいた何者かは音に反応して、一歩ずつ近付いてくるたびにローブが絨毯に擦れる音がする。

 

 どうして自分はこうなのか。受けた恩を返すどころかますます迷惑をかけてしまうと思うと視界が滲む。湧き出した涙は周りの状況など全く無関係に次から次へと溢れてくる。

 

「……コッケイウス、状況の説明を求める。それとも本人に聞くべきか」

 

 妙に落ち着いた調子の声が聞こえた。おそるおそるそちらを見ると離れた暗闇の中では分からなかったサフラン色のローブに身を包んだ骸骨がいた。こちらは緋色のローブに身を包んだものより小柄で、ひたいの左右からは立派なツノが合わせて2本伸びている。

 両手にはペンと数枚の羊皮紙を持っていた。

 

 その骸骨には見覚えがある。

 

「涙、か。ふむ……私の部下が何かしたか? ≪フィアー/恐怖≫などの魔法が発動したわけではなさそうだが」

「ぃ、いえ、何でもありません。ちょっと、いえすごくびっくりしましたけどそれだけです」

 

 確かに口から心臓が飛び出すくらいに驚きはしたが、コッケイウスと呼ばれた個体は何もしていない。ただそこにいただけだ。

 

「驚いただけ、か。ツアレよ、君は中々珍しい感覚の持ち主なのだな」

「ご、ごめんなさい。物音がしたので誰かなと思って。えっと……」

「私のことは司書長と呼ぶがいい。そう呼ぶ者の方が多いことだしな。名は知ってさえいればよい」

 

 数日この屋敷でメイドの真似事をしていたが、ツアレはメイドが本来求められることなどについて教育を受けたわけではない。

 たとえば屋敷の訪問者を取り次ぐこともあるメイドは、初対面の相手であろうとも1度聞いた名は必ず完璧に覚えなければならない。使用人の不手際は主人の不手際であり、間違えました忘れましたでは済まされない。

 だがいまのツアレの立場は『仮』メイドという中途半端な立ち位置である。それに初歩的な教育はナザリックに帰還しなければ本格的に行うことができない。

 

 それを知ってか知らずか司書長は気分を害した様子でもなく、手元にサラサラとペンを走らせると紙片を差しだした。受け取ったツアレには何か文字が書いてあるということしか分からない。

 文字の読み書きは誰もができることではなく、立派な技能なのだ。特に書く方は正式な文書の作法などを修めればそれで生きていけるくらいには需要がある。

 珍しさもあってつい紙を凝視してしまう。

 

「これを渡しておこう。現地の言葉で私の名を書いてみたのだが、うまく書けているだろうか」

「すごいです……! 文字を書くところって初めて見ました」

 

 残念ながら読むことができないので結局名前は思い出せないままだが、どうやらそれは司書長にバレていたらしく時間があれば大図書館(アッシュールバニパル)へ来ることを勧められた。なんでもそこには世界から集められた書物が無数に保管されているのだという。そんなところへ文字の読めない自分が行ったところで意味が無いような気もするのだが、新参の身ですげなく断るのも失礼なのでいずれ必ず伺うことを約束した。

 

 重ねた追及が無いため、コッケイウスと呼ばれたアンデッドはツアレと司書長の横を通って封のされた箱を持ち上げるとそのまま静かにどこかへと消えていった。

 

 司書長はおもむろに作業へと戻り、邪魔をしては悪いかと思いツアレはそれを黙って見ている。書物の中身を何ページかめくり、手に持った紙へ書き止めてはまた書物を手に取る。その繰り返しだ。

 

「ツアレ」

「はい?」

 

 新しく封をした箱が3つ目に差し掛かった頃、口を開いたのは司書長だった。作業の手を止めることはなく、澱みなく動いている。

 

「先の話では君がここへ来た目的は達成したのではないか?」

「そうですね。でもなんだか目が冴えてしまって。お邪魔でしたか?」

「いいや。私としては君の価値観には非常に興味がある。だがそのために休息が不十分となっては至高の御方々へ面目が立たない」

 

 司書長が気にしていたのはツアレの身のことだった。想像の埒外ともいうべき言葉を掛けられたツアレはなんだかその外見との妙なギャップを感じると同時に、会話をして受けた印象からはいかにも司書長らしい言い分にも聞こえた。

 

「じゃあこうしませんか? 私は瞼が重くなったらお部屋へ戻りますから、それまではここにいるというのは」

「なるほど、それは合理的だ」

 

 簡単な質問以外にも、やりとりの中でツアレは様々なことを知った。アンデッドは疲労しないこと、睡眠も不要であること。そのため撤収作業は昼夜を問わずにペースを落とすことなく進めることができること。そしてセバスたちが集めた書物はナザリック地下大墳墓の大図書館(アッシュールバニパル)へと収蔵される予定ということなど。

 どう分類するか、どのような内容なのかということはそこの管理者である司書長が把握しておく必要がある。そのために司書長自らが出張し作業の頭数として部下の司書である5体の死の支配者(オーバーロード)を連れてきたのだ。実際彼らも司書長と同様に昼夜を通して働いており、先に封した箱2つはすでにどこかへと持っていかれている。

 

 深夜の奇妙な世間話は日付が変わった後もしばらく続いた。




見直ししてると一話の中でも矛盾した描写してしまっていたりしてビビります。

2018/11/9 行間を調整しました。
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