オーバーロード 粘体の軍師   作:戯画

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~前回のあらすじ~
帝国・・・皇帝ジルクニフの元に世界一嫌いな女から書簡が届いた。
竜王国・・・いやー、体力レッドゲージって感じっすね。


第64話 雨に打たれて

 速度を落とした馬車が止まる。進行方向には通行を妨げるための簡素な障害物が置かれており、街中に入るためにはそれを()けてもらう必要があった。エ・ランテルのように規模が大きく有事の際の戦略要所も兼ねている都市と違い、備え付けられた格子などは無い。外壁についても一見すると高さこそ立派だがその厚みは貧弱と言わざるを得ず、壁際の戦闘を想定したものではないことが窺える。

 

 手振りで誘導する門番にはさしたる警戒心は見られない。

 

「こんにちは。やあ、これは立派な馬ですね。貴ぞ……どこかにお仕えの方ですか?」

 

 馬車は所有者を(はか)るための分かりやすい物差しだ。艶のある毛並みは素人目に見ても上等な馬。御者台に座る人物は汚れ一つ無い黒のスーツに身を包み、老いを感じさせない鋭い眼光は常に緊張の中に身を置く者特有のそれだ。

 一方で馬の引く荷車は地方に打ち捨てられていたものを拾ったと言われても信じてしまうくらい、言葉を選ばなければボロかった。門番が一瞬言葉に詰まった理由でもある。

 

 貴族が直接乗る馬車にはその家の紋章が描かれていることが多い。女王が国のトップとはいえ、実質的な支配階級として貴族の影響は大きい。権力を笠に着た横暴を平然と行う者も一定数いる。門番が第一に警戒しているのはそれだ。扱いに注意するべき貴族が来訪した場合などは上長へ速やかに報告しなければならない。それがこの街が脅かされないために必要なことだからだ。

 

 過去、疑いを持った表情が気に入らないと門番の役割を理解しているのか問いたくなるような文句を付けられたこともある。こればっかりは事故みたいなもので、当たった奴は運が悪かったと酒の肴にされて気を紛らわせるのが定番になっている。

 仲間内のフォローがあるのはありがたいが、なるべくなら面倒事は避けたい。そのため、警戒心を気取られにくいようにまずは人物ではなくセオリー通りに乗ってきた馬車や身に着けているものを観察するのが習慣になっていた。

 

 困ったことにどう見ても貧相としか言いようのない荷車に貴族の紋章が刻まれているとは思えなかった。かといってただの民間人がこれほどの馬を二頭も所有できるものだろうか。何よりわざわざ馬車を降りて、穏やかな笑顔を向けてくる老紳士。その物腰は礼儀作法がしっかり身に付いた人物に思える。

 

「私たちの主人はとある旅商人でして」

 

 (いぶか)しんでいるのを見透かしたように、老紳士はにこやかな雰囲気を崩すことなく口を開いた。

 門番は内心で安堵の溜息を吐く。貴族でなければそうそう厄介ごとにはならない。

 

「そうでしたか、ではそちらの立派な馬も売り物ですか? 荷車に比べると随分……あ、いや失礼」

 

 安心したせいか、つい口が滑った。商人とて場合によっては広い交友関係と強大な力を持つということを失念していた。安全を確認したはずの橋を踏み外してしまったような不安感が門番の頭を急激に冷やしていく。

 

 無用な心配であるというように老紳士は笑みを浮かべた表情を崩さない。むしろ言い留まった言葉の続きを汲んでくる。

 

「傷みがひどいでしょう? ですがこれは主人の意向なのです。馬も売り物ではありません。長く使う物は大切に、使い切る。それが商人の鉄則だと」

「なるほど、それで……」

 

 生き物である馬を大切にするということは、細やかな世話をしてコンディションを保つということ。モノである車を大切に使い切るとは、本当に文字通り壊れるまで使うということ。

 商人の生き方というものは知らないが、この人物が言うとそういうものなのだろうと納得させられてしまう。厳密には彼の主人の言葉という話だが、実は商人の世界では常識的な考え方なのかも知れない。

 

「そのお蔭で、馬たちの世話も気が抜けません」

「はは、商人の方々も大変ですね。こちらへは物売りに?」

「そんなところです」

 

 見えないところで苦労をしているのはどこの誰でもそう大差は無いらしい。

 

「セバスさ……ん、何か問題でも?」

 

 幌のかかった荷台から出てきたのは深い茶色のローブに身を包んだ女性。異彩を放っていたのは、門番が一瞬職務を忘れて見惚れるほどの美貌だ。もし他の門番でトラブルに巻き込まれた奴がいたら悪いが、今夜の話題は彼女の魅力で持ちきりになる。

 御者台で待機していたメイドが身を固くしたのも無理はない。まるで子供が思い描く一国の姫、常識の外にある美しさ。鋭く引き締められた目元と冷ややかな無表情が周囲との隔絶を一際大きなものにしている。異様な美とは相対する者を緊張させてしまうものだ。同性だからこそ感じる気後れというのもあるかも知れない。そう考えるとあのメイドには少々同情してしまう。

 

「いいえ、少し話し込んでしまいました。大丈夫ですよ」

「そうですか」

 

 ポニーテールにまとめた黒髪が風を受けて横に流れる。染め上げた絹糸を束ねたように、曇り空の下でも埋没しない鮮やかな存在感を放っていた。

 返答を受け取った彼女は門番に一瞥もくれることは無く、荷台の中へと戻っていった。

 

「そういうことなので街の中へ入りたいのですが」

「え? あ、ああ、すみません。通行証をお持ちでは……ないようですね。では通行料をお支払いいただきます。二頭立ての馬車一台と、ご自身を入れて三人ですか?」

「四人です」

 

 規則のため街に入る者は目視で確認をしている。呼ばれて幌馬車から顔を出した女性はさっきの黒髪に負けない美人であり、夜の話題の種がもう一つ増えることになった。

 そのまま通したら感謝の笑顔を向けてくれるだろうかと愚にもつかない思考を頭の片隅に追いやり、門番は一覧表を片手に通行料の総額を算出した。といっても大して難しい計算をする訳ではないのだが、基準を明示しておかなければ不正に繋がったり通行者から苦情が出たりといったことが予想されるための仕組みだ。

 

「ええと、四人なのでこれを足して、通行料はこちらですね」

 

 対象の内訳と総額を手持ちの紙にその場で書き、渡す。

 紙を渡された老紳士はしばらくそれを見詰めていた。馬車があって人数もそれなりとなれば通行料もはした金という訳にはいかないため、もしかして手持ちが無かったのだろうかと思っていると懐から片眼鏡を取り出した。大きな文字で書かなかったのは失敗だった。だがこれは街が通行料を領収するという正式な書類なのだ。単なる親切心で易々と新しく切り直すことはできない。

 

「支払いはこの場で?」

 

 中身の確認もせず取り出された袋には相当な重量感があったことに門番は内心胸を撫で下ろす。誰しも好き好んで善良な人々を追い返したりはしたくないものだ。

 

「いえ、もう少し詳しく確認をするので、あちらの門の前まで馬車を進めてください。積荷があるならそちらで申告をお願いします」

「分かりました。ご丁寧にありがとうございます」

 

 深々と頭を下げた老紳士は手綱を握ると会釈をして門の方へと馬車を動かしていった。

 

 

 

 大通りを進む。街並みは王都の前に一時滞在したエ・ランテルに似ているが、街の規模はその半分といったところだろうか。

 馬車が珍しいということもなく、ぶつからないように避けていく住民たちも慣れたものだ。

 

「セバス様、これからどこへ行くんですか?」

 

 隣に腰を下ろしたツアレが小首を傾げて質問する。彼女もセバスと同じく商人に仕える立場ということにしてある。ナザリックにおける関係性と大きな違いは無いため、王都でのソリュシャンのような演技力は不要だ。

 手解(てほど)きを受けたことで歩き方やお辞儀などの基本中の基本部分は辛うじて形になりつつある。それでもナザリックのメイドとしては最低限のラインに届くか怪しい。他の仕事もこれから教えるという中途半端なところで教育は一旦切り上げることになったが、商人に仕えるメイドという立場であれば現在の練度であっても問題は無いはずだ。

 

 むしろ、メイドとしての能力を上げるよりは何かしらの形で至高の御方の役に立って実績を作った方がツアレの今後にとってはいいのではないかと出立前にペストーニャも言っていた。セバスも薄っすらとは耳にしていたが、ツアレへ向けられる一般メイドたちの目があまり好ましいものではないのだ。

 憎悪とまではいかないが、どちらかと言えば突然現れた異物に対する免疫反応に近い。

 

 ナザリックの者たちはそれぞれの役割と立場を至高の御方々から与えられたものとして非常に大切にしている。それは一般メイドたちも同じことだ。そこへ偶然拾われた存在であるツアレが並べられると面白くないのだろう。至高の御方の命によって保護されていることはナザリック全体へアルベドから通知されているため否やも無いが、個々人の感情までは抑制できない。いずれは慣れるとしても、それなりの時間は必要だ。

 だがいつになるか分からないものを待ってもいられない。ましてや一般メイドたちが嫉妬していてツアレがナザリックに馴染めていませんなどと報告できるはずもない。

 

 折しも今回の旅への同行を提案してきたのはぶくぶく茶釜だった。これは一般メイドたちの態度が耳に入ったということではなく、ツアレの希望を忠実に叶えているだけに過ぎない。外界での潜伏経験のあるメンバーを選出した際にセバスが含まれており、ツアレの望みはセバスの側にいること。戦闘能力も皆無なツアレを同行させるメリットはほぼ無いにも関わらず、その心を汲んでくれたことにセバスは深い感謝を覚えた。

 旅の道中で何も無くとも、無事に帰還さえすれば至高の御方の(とも)回りを務めたということでナザリック内でのツアレの評価は上がるだろう。少なくとも一般メイドたちの心証は和らぐはずである。そのため、ツアレについては同行が確定した時点で目的の大半は約束されたも同然の状況と言えた。

 

「そうですね、まずは冒険者組合へ行きましょう。情報を集めるには便利です」

 

 張り出されている依頼を見るだけでも周辺に出没するモンスターの種類や量、所属冒険者の大体の腕前まで予想は付く。仮に凄腕の冒険者が所属しているなら、エ・ランテルにおけるモモンがいい例だが、高難度の依頼はそれなりに受注消化されているはずである。最近出された依頼や難易度別の受注数は受付で確認することも可能なはずだ。

 

 情報収集の経験がそのまま役に立っていた。王都での情報収集も最初から魔術師組合へ入り浸っていた訳ではない。魔法の調査も指示されていたからこそ足を運ぶことになったが、当初は地道な聞き込みなどが主流な方法になると想定していた。

 ところが組合で魔法の説明を受けたり巻物の購入を何度かした頃から、関連のある情報を教えてもらえるようになったのだ。単純に顔を覚えられたということと、毎回買っていくので上客を逃がさないようにするための営業テクニックだとは思われるが、集まってくる情報は存外多岐にわたるものだった。

 

 魔術師組合というからには話題に上るのは魔法に関連することばかりかと思いきや、そんなことはない。

 

 もちろん客の多くは魔法詠唱者だが、彼らの目的は千差万別だ。それは組合が取り扱っている巻物(スクロール)のラインナップを見ても推察できる。

 たとえばセバスも購入した≪フローティング・ボード/浮遊板≫は荷物の運搬に使うための魔法であるが、いま思えば珍しい客と認識されるのも当然だった。というのも、この巻物を買っていく客は滅多にいなかったからだ。

 

 半透明の浮遊板を術者の後方最大五メートル離して付いてこさせる魔法。

 板の大きさと最大積載重量は術者の力量次第だが、巻物を使用して発動させた場合はその限りではない。板の大きさは一メートル四方、最大積載重量は五十キロで一律だ。

 屋内で使うには場所が限定され過ぎるうえ、街中程度の運搬なら五十キロ程度、小分けにして運ぶなり荷車を使うなりすれば済む話だ。エ・ランテルから王都までなどの長距離なら馬車を使うのが無難だろう。

 結局、この魔法は土木作業関連くらいしか継続的な需要が無いのだった。土木作業の現場であれば汚れや破損を気にする必要が無く、掘り起こした木の根や土砂といったそこそこの重量を一旦横にのけておくといった用途にこの魔法はうってつけだからだ。

 

 さらには生活魔法と呼ばれるゼロ位階魔法。汎用性は位階の名の通りほぼゼロだが、そのお蔭で比較的コストも低く購入者が一定数いる。胡椒を作り出す魔法などは一般の料理店でも使われることがあるようだ。

 

 どういった層が、どういった用途の魔法を欲しているか。糸を辿るように調査を進めていくと、それまで見えていなかったことが見えてきたものだ。視野を広げるという意味においても、組合に足を運ぶことで得られた利は大きい。

 

 今回魔術師組合ではなく冒険者組合へ行先を決めた理由はいくつかある。

 まず、王都にいたときも冒険者組合を訪ねたことは一切無かった。それはナザリックからの経由地点であったエ・ランテルにおいても同様だ。

 何故なら、至高の御方のひとりであるアインズが一足先に冒険者としての偽装身分(アンダーカヴァー)作りに着手していたためである。

 

 冒険者組合は各都市に独立運営という立場で拠点を置いている。とはいえ一部の情報交換やそれぞれ別の組合に所属する冒険者共同での依頼受注の調整など、組合間で業務上必要なことは連携をしているはずだ。つまり冒険者組合に関する事柄は情報収集を買って出たアインズの守備範囲ということになる。そこへ独自に探りを入れるような真似は、至高の御方を信頼していないも同義の不敬な行いだ。

 事実、異例の早さで最上位の冒険者となった『漆黒』の噂は王都までも届いていた。話を聞いただけでは懐疑的な者も相当数いたと思われるが、先日のヤルダバオト襲撃の一件でアダマンタイト級冒険者・モモンとレジーナの実力は王都でも揺るぎないものになっているだろう。

 

(デミウルゴスは、あのときからこうなることを読んでいたのでしょうか)

 

 目下ナザリックに最も貢献しているシモベと言っても過言ではない、気の合わない同僚。「当然だとも、セバス」などとこともなげにあの男は言うのだろうか。個人的な感情は別にして、彼が作り上げたヤルダバオトという虚像。その過程と手際は称賛に値する。とりわけ、王都に襲撃を掛けるということは最高位冒険者の立場であるアインズの領域に踏み込んでいくということ。下手を打てば至高の御方が積み上げてきた努力が水泡に()してしまうリスクもあったのだ。それが分からない男ではないが、だからこそ計画が万に一つも破綻しないように手を回したはずだ。そして結果、作戦は何の問題も無く成功した。

 

 喜ばしいことのはずだ。だというのに、やはり諸手を挙げて誉めそやすという気持ちにはなれない。ありもしない答えを求めるように見上げた空はセバスの心境を映すかのように濃い灰色が渦巻いていた。

 

 冷たい粒が頬を打つ。

 

「雨が……」

 

 いよいよ機嫌を悪くした空。大ぶりな雨粒が幌を叩き始めた。荷車に描かれた(まだら)は、あっと言う間に薄黒い色に呑まれていく。

 

「ツアレ、中へ入っていてください」

「えっ、でもセバス様は……」

「雨が激しくなりそうです。視界が確保できているうちに厩舎へ入れておかなければ、馬が弱ります」

 

 多少の雨なら気にしないが、豪雨ともなれば馬にストレスを掛ける。それに地面が泥濘(ぬかる)んでしまえば足を取られて事故を起こす危険性も上がる。

 

「さあ、中へ入ってください。メイドを雨ざらしにするひどい主人と思われるわけにはいかないでしょう?」

「……セバス様はいいんですか?」

「私は大丈夫です」

 

 優し気な口調でありながら有無を言わせない回答に、ツアレは少し不満げな表情になった。だがこれは仕方のないことなのだ。基礎的な体力がセバスと彼女では比較にすらならない。

 もし体調を崩したりしたら、ナザリック内におけるツアレの評価を引き上げる折角のチャンスを棒に振ることになりかねない。

 

 それを理解しているのかしていないのか、自罰的で自己犠牲的なきらいのある彼女をセバスはじっと見た。

 そして己の考えていたことに思わず自嘲的な笑みが浮かんだ。

 

他人(ひと)のことは言えませんね)

 

 ツアレを拾い、娼館を潰した。王都で反逆の疑いまで掛けられることになった自分の行動の根底にも同じ考えが無かったとは言えない。

 自分が断罪されてもソリュシャンや他の守護者たち、ナザリックのシモベたちに咎めが及ばぬよう取り計らってもらえるならば、最悪の事態が防げるならばそれでも、と。それこそが思い上がりだとさえ気付いていなかった。

 セバスがそのように訴え出れば、至高の御方々には聞き入れてもらえただろう。正直、いまでもそう思ってはいる。だがそれは甘えに他ならない。

 

 ツアレが幌の中へ入ったのを確認し、セバスは自戒を含めた思考を続ける。

 

 王都での一連の案件は結果として主人に貢献することができた。だが発端から途中までは我ながら杜撰であったと今更ながらに思う。

 より正確に言うならば、侮っていた。人間の中でも悪に近い、質の低い連中の執念を見誤った。

 砂漠に棲む生き物がわずかな水分を的確に集めるように、小(ずる)く奪うことばかり考えている者たちはその(すべ)に長けているということを痛感させられた。

 

 もしも至高の御方々が連れてきた緋色のローブに身を包む司書たちがいなければ、その名のもとに保護されているツアレに取り返しのつかない被害が及んだ可能性もあった。

 仮に命を落とすようなことがあれば、ツアレの魂は復活魔法の負荷に耐えられないだろう。

 

 失態を重ねずに済んだのは至高の御方のフォローがあってこその結果だ。

 叱責のうえ重要任務から外されていても、謹慎の沙汰が下っていてもおかしくはない。

 特に常にリスクを考慮するそつのない男、デミウルゴスは躊躇うことなく進言するだろう。

 

 何かと反目しあう相手だからということではなく、デミウルゴスの頭脳とナザリックに対する忠誠心は疑う余地の無い本物だ。その点において彼は信用できる。だからこそナザリックを、至高の御方々を害する可能性のあるものは決して許さず排除しようとする。それはシモベとして完全に正しい、模範的とさえ言える行動だ。

 協力こそすれ、止める者などいないはずだ。

 

 しかし現実は違った。謹慎どころか至高の御方であるぶくぶく茶釜の外出の供を拝命した。ソリュシャン共々、王都での潜伏経験を買われての指名だったが、そう単純に受け取ってよいものかと迷う。監視の目が足りているのであれば警戒の必要は無いと考えられているのか、もっと何か別の知らされていない理由があるのか。

 

 

 脱線しつつある思考を遮るように、セバスを打つ雨が途切れる。優しく掛けられたのはフードの付いた丈長のケープ。同じ物を着て少し丈を余らせたツアレが隣に腰を下ろした。

 

「メイドに雨具を与えるなんて、慈悲深いご主人様だと思いませんか? なんて…………」

 

 柄にもなくおどけたような言葉。恥ずかしかったのか蚊の鳴くような声を誤魔化すように紅潮した顔をプイと背けた。

 

「これなら、隣に座っていても構いません……よね?」

 

 肌触りから察するに、ケープの品質は市中に出回っているものとしては中の上。荷車と一緒に購入したものだ。

 何の魔法も掛かっていないただの外套だが、王都の商人相手ならば一瞥だけで見くびられない程度の品だ。要はソリュシャンが着ていたドレスなどと同じく偽装の一環であり、小道具と言ってもいい。

 

 矢や剣を防ぐことはできないケープでも、徐々に強くなっていく雨を遮ることはできる。返す言葉が思い付かなかったセバスは先の取り留めの無いものを含めた思考を頭の片隅へ追いやった。

 

 ささやかな勝利を収めたツアレの表情に喜色が広がる。保護した直後と比べればよい傾向なのだが、セバス以外の他者に対してはいまだ内向的な傾向が拭いきれない。ソリュシャンが言っていたように、彼女の心に深く刻まれた無数の傷は決して容易く癒えるものではないのだろう。精神操作系の魔法を使えば、辛い記憶をきれいさっぱり取り去ることができるかも知れない。

 だがその望みは実らない。実らせてはいけない。

 

 セバスの部下に記憶を操作できるほどの位階魔法を使うことができる者はいない。となれば、もっと上位の、最低でも第九位階以上の魔法が必要だ。その時点で選択肢はかなり限られてくるうえ、仮に巻物があったとしてもやはり起動させる術者は相応の者でなければ不可能だ。

 そして、アインズの名のもとに保護されているとはいえ、ナザリック内の位置付けは単なるいちメイドであるツアレに至高の御方々が集められた財を消費してまで記憶を消してやる必要性はあるのだろうか。自我の崩壊が危ぶまれるような状況であれば話は別だが、彼女が心に負った傷は深くはあっても不治ではない。時が流れれば少しずつでも確実に薄れていくものだ。にも(かかわ)らず即時の治療と言ってよいのか、処置を望むのは駄々を()ねる子供と何が違うのか。

 故に、セバスは強く思う。ツアレをセバスの配下としたことこそが至高の御方の優しさでもあり、同時に底知れない恐ろしさでもある。

 

 双肩に掛かった大きな責務を噛み締め、セバスは馬車を進めた。

 

 

 

 

 

 

 冒険者組合の入っている建物の位置はすぐに特定できたが、なかなか辿り着くことができなかった。足下はすっかり泥水の川と化している。

 時間の掛かった原因は組合周辺に長蛇の列を作っていた馬車群だ。最後尾に着けたものの、一向に動く様子が無かった。

 

「先頭の方で何か問題でも起きているのかも知れません。少し見てきます。ナーベラル、ソリュシャン、周囲の警戒をお願いします」

 

 言うが早いか、馬車を降りたセバスの背中は雨に紛れてたちまち見えなくなった。

 入れ替わりで幌馬車から出てきたのは同性のツアレでさえも見惚れるほどの美を(たた)えた金髪と黒髪の美女二人だ。道中のメイドを連想するような装いではなく、さっきと変わらないお揃いの深い茶色をしたローブに身を包んでおり、ツアレと同じケープを上から羽織っている。

 

「どうしてこんなものを……」

 

 ケープをつまんで忌々しそうに顔を歪めても、醜さは無い。すでにそのことは知っていたためツアレに驚きは無い。

 

「仕方ないでしょう。これも偽装のうちよ。それともマーレ様に≪コントロール・クラウド/雲操作≫で雨雲をのけていただくようにお願いでもする?」

「それは……流石に言えないわ」

 

 青ざめたと言っても過言ではないくらいに顔色を変えたナーベラルが消沈する。

 

(ペストーニャ様が仰っていた通り、子供にはお優しいんだ……)

 

 魔法の知識などツアレには無いので細々(こまごま)としたことは分からないが、道中一緒だった人物くらいは覚えている。浅黒い肌に長い耳を持つ双子の闇妖精(ダークエルフ)。おどおどとした雰囲気に何となく共感を覚えて印象深い。

 確かに、あの気弱そうな子供に何か頼みごとをするというのは押し付けているような気がしてしまうだろう。

 階層守護者であることは教育係のペストーニャから教えられているので、立場上の理由からソリュシャンが敬称を付けて呼んでいることに疑問は無い。二者を頭の中で並べると違和感というかごっこ遊び感がとても強いが。

 

 ツアレの記憶の中にある子供は大抵が虚ろな目をしていて、体のサイズに合わない大きな一枚布の服を着させられていた。それが全身に付いた青痣や火傷を覆い隠すためのものだと知ったのはいつ頃だっただろうか。流れる時とともに自身への加虐が激しさを増し、いつからか他者を気にする余裕は無くなっていった。

 馬乗りになった男が抵抗も許されないツアレの顔面に容赦無く拳を振り下ろした。何度も、何度も。鼻の奥に芯を打ち込まれたような震えが響き、眼球の裏側から滲む波紋は世界をぐるぐると回した。遅れてくる痛みと同時にねっとりとした血が鼻孔を流れて呼吸を妨げる。(むせ)込んだ勢いで飛んだ血が顔に掛かると、不快そうな顔を作った男は再び拳を叩き付ける。まるでお前が悪いんだと言わんばかりに。ときには実際に罵声を浴びせてくる者もいた。意識が朦朧としてくると、奴らは反応を求めてより強い刺激を、新しい刺激を与えてきた。何が面白いのか、首を絞めてくるというのがいっとき多かった気がする。ただでさえ呼吸がやり辛いところへ絞めてくるのだから、すぐに意識が────。

 

(あ、だめ。いや……!)

 

 しまった、と思ったときにはもう遅い。

 

 手持ち無沙汰だったがためについ嫌な記憶を掘り起こし過ぎた。刻み込まれた恐怖が全身を弛緩させ、止めたくても止められない悪夢の記憶に引っ張られて世界が回る。

 意識ははっきりしているのに、突然宙に浮いたような感覚に襲われて身体を支えることができない。倒れる。頭で理解しても、抗う(すべ)は無かった。

 

 

(…………あれ?)

 

 御者台の固い床に身を打つ覚悟をしていたのだが、予想していた衝撃と痛みは全くツアレを襲わなかった。

 

「敵!?」

「落ち着きなさい、ナーベラル。周囲に魔法の反応は無いわ。……人間でも時間を掛ければうまく仕上がるものね」

 

 穏やかな雰囲気を崩さないソリュシャンが笑みを浮かべる。

 

「……っあ、ありがとうございます。ナーベラル……様」

 

 辛うじて一部の感覚が戻ってきた。口に出したのは倒れそうになったツアレを支えてくれていた人物への礼の言葉だ。支えると言っても袖を掴んでいただけなので、背中側に仰け反る体勢になっていたツアレは面と向かうために全力で身体を起こす必要があった。

 向けられてきた視線は鋭く、射抜くようなものだったが。

 

「あまり手間を掛けさせないでほしいわ。治療が不十分だったのかしら?」

「も、申し訳……」

「私たちは雇われているということになっているのだから、様はいらないわ。それとナーベラル、治療が不十分なんてそんなことがあり得ると本気で思う?」

 

 ツアレの謝罪を遮るように断じたソリュシャンの声音は冷ややかで固い。

 

「下賜された巻物を使ってまで≪ヒール/大治癒≫を掛けたのよ?」

 

 視線を逸らしてナーベラルは小考する。

 

「≪ヒール/大治癒≫なら、毒の類いも治療できるから……遅効性毒の仕込みとか」

「対象にならないもので、可能性があるものは対応したわ! 外部の汚れとか、たい……!」

 

 ハッとなった表情のソリュシャンが言いよどむ。

 

(私にひどい姿だったことを聞かせたくなかったのかな……。ソリュシャンおじょ……いえ、ソリュシャン様もお優しい)

 

 初めて会ったときは高慢なお嬢様を演じていたせいで、当時は少し怖い印象があった。

 だが、後で聞いた話では拾われたばかりのツアレの身体をきれいに拭き、治療をしてくれたのは彼女だったという。

 治療が終わって真っ白なベッドで目覚めるまでの意識も記憶もおぼろげだが、セバスがそう言ったのならそうなのだろう。

 たとえ上司であるセバスに命じられたがための行為だったとしても、彼女に感謝することは的外れではない。あのときのツアレは同じ女性であれば嫌悪感に眉を(ひそ)めるほどの被虐と凌辱に晒された姿だったはずだから。

 

「とにかく、身体的な問題は解決しているわ。あとは精神的な問題だけど……」

「精神系の魔法でどうにかなるんじゃない? ≪ライオンズ・ハート/獅子ごとき心≫だったかしら」

「あれは内からの恐怖には大して効果無いでしょう。気休め……でも無いよりマシなのかしら」

 

 タイプが似ているのか似ていないのかよく分からない二人の魔法詠唱者は揃って思考の海に没してしまう。ツアレにはそれがなんだか微笑ましく見えた。

 

「……何か問題でも?」

 

 掛けられた声に振り向くと、セバスが戻って来ていた。懐に入れていた手を抜くと、御者台への上がり方にお手本があるとするならこれだろうと思えるスマートな身のこなしを見せる。

 

「いいえ、何でもありません。私が滑って転びそうになったところを助けてくださったんです。ありがとうございます、もう大丈夫です」

 

 余計な心配を掛けるようなことは言えない。

 

「それは……。ふむ、そうですか。何事も無いのであればそれで良いのですが」

 

 セバスが重ねて問わないのは、ナーベラルとソリュシャンを信頼しているからなのか、一見して問題が見当たらないからツアレの言葉を信じたのか。

 ナーベラルとソリュシャンから特に異論が出る様子が無いのを見るとセバスは得た情報の共有を始めた。

 

「先頭の方では数人掛かりで馬を厩舎へと繋ぎ直していました。ですが手元も滑りやすいうえ興奮状態の馬が多かったため作業が進んでいなかったようですね」

「それって……」

 

 ツアレの視線が眼前に並ぶ馬車へ向けられた。セバスは首肯しながら答える。

 

「ええ、動かしている馬はこれらの荷車を引いてきたものらしいのですが、どうやら持ち主というか使用者が全て同じのようでして」

 

 混んでいるから一部だけ他所へ持っていけとは言えないのだろう。

 

「ですが、交渉してあいだに入れさせてもらえることになりました。馬車を出しますのでナーベラルとソリュシャンは中へ入っていてください」

 

 再び御者台が二人きりになり、セバスの手綱に合わせて馬車がゆっくりと動き出す。最後尾から横を抜けて、一台、また一台と微動だにしない荷馬車の列を追い越していく。後列に近い馬車はまだ馬が繋がれたままになっており、途中からは馬のいない荷車だけが現れるようになった。

 

 先頭と思われる付近まで来ると、大雨の中で怒号を飛ばしている禿頭の男がいた。作業を急ぐよう言っているみたいだったが、雨音とひどいダミ声のためにいまいち聞き取れない。

 男の着ているベストのパターンが見えるくらいまで近付くと、向こうもこちらに気付いたようで足下の泥水を踏み飛ばしながら近寄ってきた。

 

「おっ、あんたか。なかなかいい馬だ」

「馬はあちらでよろしいのですか?」

 

 男の口調に演技じみた空気は無い。セバスが事情を聞いたのもこの男であり、馬を厩舎に入れる話はもうついている。セバスの振った手綱に応じて、馬車は緩やかな右曲がりで厩舎へ向かった。

 

 ずぶ濡れになった若者の誘導に従い馬車を進めたが、流石に荷車ごと置いておける広さは厩舎に無かった。そのため、荷車は裏手に回したあと外した馬を屋内に繋いでおくことになった。

 

 セバスは懐から取り出した、その場にいた若者たちと同じだけの数の銀貨を一人ずつに配って回った。無茶を言った礼として。そしてこうも付け加えた。出立の際には是非またお礼をさせてほしいと。

 

 これは保険だ。馬にしても荷車にしても、平民には決して安いものではない。盗みの手を伸ばしたり、嫉妬からつまらない傷を付けたりといった行動は警戒しておくべきだ。誰しも魔が差すということはあるのだから。

 平民にとって高くも安くもない額を渡したのは、実利を提示するため。セバスとて彼らが馬の世話をことさら丁寧にやったり荷車を清掃してくれることを期待している訳ではない。ただ、何事も無ければ再び労せずして金を得られる。その認識さえあれば、厩舎で働く彼らが滅多な愚行に走ることは考えられないからだ。

 受け取りやすいように口実も与えた。上司が共犯者であれば彼らだけが糾弾されることも無い。

 

 全員に銀貨が行き渡ると、深々と礼をしたセバスは大雨のカーテンの中へ消えていった。

 

 

 

「お待たせしました」

「どうぞ」

 

 差し出されたツアレの両手には真っ白なフェイスタオルがあった。厚みのある生地は白手袋越しでも繊維の一本一本を感じられるようにきめ細かく、濡れた顔を拭うと素早く雨を吸い取ってくれた。完全に乾燥させるほどではないが、滴らない程度には脱水できた髪を両手でかき上げる。額にべったりと張り付かせているよりはよほどいい。

 

「ありがとうございます。ツアレ。……ツアレ?」

 

 タオルを返そうとしたがツアレは反応しない。赤らめた顔でセバスを凝視しており、その全身はわなわなと震えている。

 つい、忘れがちになる。人間の肉体の弱さ、脆さというものを。特にツアレは過去の体験から、自身に関する問題を内に抱え込みやすい面があると知っていたはずなのに。

 

「旅の疲れが出たようですね。先に宿で休みますか?」

「えっ、あ、だ、大丈夫です! なんでもありません!」

 

 そう言うだろうとは思っていた。忙しなく両手を振っているのを見る限り体調が悪い訳ではないのだろう。

 

「そうですか。ですが、もし何かあれば些細なことと思わず言ってください」

「あう、はい…………」

 

 ツアレがタオルを受け取ると、セバスは浮かべていた笑顔を引き締める。感覚は王都の魔術師協会へ足を運んだときに近い。初対面の印象というのは極めて重要で、それは人から拾える情報量に直結する。信用できなさそうな相手にべらべらと話す者はいない。いたとしてもそこから得られる情報の精度は低いと考えざるを得ない。

 

「行きますよ」

 

 自分自身に言い聞かせる気持ちでそう宣言し、セバスは扉に手を掛けた。




2018/11/10 行間を調整しました。
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