竜王国の街へ商人を装ったセバス一行が到着。
情報収集のため冒険者組合へと足を運んだ。
「依頼さえ出せないなんて、どういうことだよ!?」
「いえ、先ほどから説明している通り……」
冒険者組合の扉を抜けた先のカウンターには受付嬢に詰め寄る男がいた。周囲には人垣ができ、同調の声が上がっていた。
彼らはどう見ても冒険者ではない。服装も戦闘を想定したものではないことが明らかな普通の服で、若者もいれば壮年の男もいる。
その表情には一様に不安と動揺が浮かんでいる。諦めきれない者がひとり、またひとりと波のようなうねりとなって再び押し寄せていた。
「何か揉めごとでしょうか」
「分かりません。私とツアレで話を聞いてきます。ソリュシャンとナーベラルはこちらで待機していただけますか」
「了解しました」
軽く頭を下げた二人は壁に背を預けた。この場において守るべき対象には彼女たちが束になっても敵わない人物が付いているのだから、べったり張り付いて護衛をする必要も無いという意思表示でもあった。
受付嬢に詰め寄る男の態度は悲壮感と焦燥感に満ちていた。溢れる感情を制御できず声を
すでに状況はカウンターの職員一人で対応できるキャパシティを超えようとしていた。
「ああっ」
勢い付いた人々にぶつかられて老婆がバランスを崩す。受け身を取れるような身軽さは無い。
あわや惨事となりかけたことに、その場にいた者のほとんどは気付いていない。なぜなら転んだ次の瞬間には、老婆は優しく抱きとめられていたからだ。
「お怪我はありませんか、ご婦人」
「え、ええ……。ありがとう」
老婆は何が起きたか分からないといった様子で、キョトンとしていた。
「ツアレ、この方と一緒に少し離れていてください」
「は、はい」
ツアレと老婆が充分に離れたのを確認し、セバスはその身を人波の中へ滑り込ませる。この喧騒では人垣の外から声を掛けても反応は薄いと判断した。
案の定、前へ進む者については誰も注意を配らない。目的のカウンター前までは何の苦労も無く辿り着くことができた。
「失礼、この騒ぎはいったい?」
「な、何だよ?」
カウンター前で最も声高に騒いでいたのは一人の男。無視されない程度の語調で投げかけた言葉に虚を突かれたか、勢いが止まったことで異様な間が生まれる。
水を掛けられた男は不満そうな目を向けてくるが、警戒に値する相手ではない。かすかな怒気は軽く受け流す。
「落ち着いてください。ただごとではなさそうですが、このままでは怪我人が出ます」
見るからに高級そうなダークスーツに身を包んだセバスの風体は、突如生まれた沈黙の中で注意を集めるのに充分な存在感を放っていた。
場の興奮が少し落ち着きを取り戻した頃合いを見計らって、同じ問いを重ねる。
「それで、何事ですか? あまり穏やかではないご様子ですが」
答えは無い。当然だ。この場においてセバスは闖入者に他ならない。注目を集めることが場の支配には繋がらないのだ。
王都でも学んだ。名の知れぬ何者かの言葉に力は無く、良くも悪くも力のある者の言葉にこそ人は初めて耳を傾ける。
必要なのは正確な情報を提示することではない。話を聞くに足る、力ある者なのかも知れないと相手に思わせること。そのための隠れ蓑を被ってここまでやってきたのだから。
「これは失礼致しました。私はとある旅商人に仕えております、セバスと申します」
誰かが割り込んでくる気配は無い。一拍の間を置いて話を続ける。
「近隣の様子を伺いにこちらへ参ったのですが、どうやらそれどころではないようです。どなたか事情を教えてはいただけないでしょうか」
「教えてどうなるものでもない!」
「そうでしょうか。では何故あなた方は冒険者組合へ集まっておられるのですか? 冒険者の方々の手であればどうにかできると考えたからでは?」
「うぐっ。それは……そうだけどよ」
「それに何も戦力だけではありません。できる範囲であるならば私どもも助力は
手詰まりになっているのなら、その打開が望める手札を提示してやればいい。事情が分からない内は伏せカードのままであっても、選択肢を広げること自体にデメリットを感じるものは少ないだろう。
一旦静まった興奮は中々戻らない。
集まっていた者たちは、ある共通点を持っていた。
ある者は親が、ある者は弟が、ある者は子が。隣街まで行ったっきり帰ってこないと言うのだ。
出掛けた理由は様々だ。仕事や物の売り買い、知人を訪ねて。などなど。
隣街までは二日もあれば着くはずなのに、連絡のひとつも無いと皆が口を揃えた。
「それに、定期便だってここ二十日くらい動いているのを見てないぞ」
「定期便とは?」
「三日おきに隣街に出ている乗り合い馬車だよ」
それぞれの街から決まったルートで出発し、到着した日と翌日は馬を休ませ、また出発する。小規模ながら物流も担う手段のひとつであり、二つの街の資源最適化に重要な役割を果たしていた。必然、住人同士の交流も盛んに行われていた。
予定していた馬車は街に戻らず、さらに三日が過ぎたが一組の馬車も戻ることは無かった。
荷台や馬に問題が発生すれば便の運行がズレることもあるが、普段なら六往復しているだけの日数が経っても誰も戻らず連絡も無いのは何か重大なトラブルがあったと考えるのが妥当だろう。
実際、二台の馬車両方ともにトラブルが発生した可能性を懸念した若い男衆数人が調査のために定期便のルートを追って街を出ている。調査とは言っても実際には即席の救助隊だ。
彼らが出てから十日が経過しているが、戻った者はいない。
この街から最後に出た便。その乗客の家族たちが情報を求めて駆け回ったところ、似たような境遇の話が出てきた。馬車を待たずに自分の足で向かった者もいたようだ。
人数が膨らむに連れて、ことの重大さは得体の知れない恐怖に変貌した。馬が怪我をした、荷台が壊れたといったようなトラブルであれば手分けをして対応すれば済む話だ。定期便の本数を減らすことがあったとしても男衆が戻ってこない説明にはならない。
何かがいる。隣街へ向かった連中は帰らないのではない。何かの理由で帰れないのだ。あるいは最悪の事態さえも連想した集団は一種のパニックを起こし、この街で最も力の集まる場所へ殺到した。
受付嬢に感情の矛先が向いたのは彼女の不運だったと言うほか無いが、住人の感じた不安はもっともなものだ。
「それで、捜索にあたって護衛に冒険者を雇おうとした訳ですか」
「そうさ! だのに依頼を出すこともできないなんて言われたらどうしようもねえよ!」
「焦るお気持ちは分かりますが、現在冒険者組合は全員出払っています。依頼を貼り出したとしてもご希望されているような即日出立は難しいと言わざるを得ません」
受付嬢が申し訳なさそうに弁明する。信用を重視する冒険者組合としてはできないものをできると言う訳にいかない。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
人垣から出てきた男の目はセバスに向けられていた。釣られた周りの者の注目が再び集まる。
「あんた、余所から来たんだよな? どこから来たんだ?」
「王国……失礼、リ・エスティーゼ王国からですが」
ざわつきとともに再び場の空気が変わった。あちらの王国とは定期便も無く、人の往来はそう頻繁にあるものではない。
帝国から抜けるルートもあるが、何処を通っても安全と言える道中ではない。
その帝国回りのルートにしても、いまごろは例年の戦争の準備をしているはず。物価が値上がりして他国からの来訪者は補給のコストも跳ね上がるうえ、怪しい動きはスパイの疑惑を掛けられて捕縛される危険すらある。
怪しまれる行動と言えば様々あるだろうが、竜王国へ向かうことはその内のひとつと言って差し支えない。
こんな時期にわざわざ足を運ぶ理由が無いというのは国民としては悲しい話だが、資源が豊富なわけでもない。
むしろビーストマンによる長年の被害で青息吐息のこの国に用事があるのは奴隷商くらいのものだ。
「何か、いらぬ疑念を持たせてしまったようですね。通ってきたルートは平野を抜けてきたのですが、見掛けた風景でもお話ししましょうか?」
「はああ!? カッツェ平野を抜けてきただって? あそこはアンデッドが頻繁に出現する危険地帯だぞ!」
「ああ、確かによく遭遇しましたね。護衛のお陰で危険はありませんでしたが」
「護衛って、冒険者か? だとしたら
冒険者の手が埋まっているのなら、余所から来た者を雇えばいい。普段なら組合を通して報酬の詳細などを決めて、依頼が冒険者の手元に届くまでは数日かかるのが通例だが、今回は大急ぎの緊急だ。多少割高になっても仕方がない。特に商業的な中心地というわけでもないこの街までしか護衛の話が付いていないとは考えにくかったが、微かな可能性であっても追い求めずにはいられなかった。
「いえ、冒険者ではありません」
「もしかして
「おい」
誰かがつい口に出した言葉を咎める。ワーカーとは依頼を受けて様々な仕事をこなす、冒険者とは似て非なる存在。彼らは冒険者のような組合を持たず、コストが高い。依頼の調査から何から自力でやらなければならないため理屈としては当然なのだが、トラブルが元で冒険者をドロップアウトした者や非合法な依頼も請け負う連中がいるため総じて好意的に見られてはいない。
特にワーカーは軍隊が充実していて冒険者の地位が低い帝国に多い。カッツェ平野を抜けてきたのなら、近隣の帝国から流れてきたワーカーを雇ったと考えれば不自然な話ではなかった。
「護衛は何人だ?」
「二人ですが」
「ふた……! 魔法詠唱者ならあり得るのか? いやそれにしても金級どころじゃ……」
カッツェ平野における護衛の依頼は金級相当だと言われているが、一括りに冒険者のランクさえ合っていればこなせる訳ではない。個人の能力には戦士、
そのため同じ金級の冒険者であったとしても三人のチームと六人のチームを比較すると、前者の方が個々の能力は高く後者の方が対応できる引き出しが多いというのが一般的だ。
護衛の仕事というものは難しい。単に湧いたゴブリンの群れを掃討するのとはまるで勝手が違うのだ。この辺りで護衛を要するというのはほとんどがカッツェ平野絡みと言っていい。つまり警戒する対象はアンデッドだ。
通常アンデッドに対処する場合は夜の警戒を強めていれば問題は無い。だがカッツェ平野だけは別だ。あの地は日中でも突如濃霧が湧き出すことがあり視界を奪われる。その上、霧の中では夜と変わらない頻度でアンデッドが発生するのだ。
カッツェ平野で護衛に付くということは、いつ襲ってくるか分からないアンデッドに備えて寝ずの警戒を強いられるということであり、元々一人や二人で受けられるような依頼ではない。
単純な戦力で考えても同じだ。馬車の護衛であれば襲撃を受けたときに最低でも四方を囲めるだけの人数がいて然るべきなのだ。アンデッドに限らず野盗が相手であってもこのセオリーは同じだ。
つまりカッツェ平野の護衛をたった二人でやりおおせたとしたら、近接物理が主力になる戦士などではなく多くの手札を持てる魔法詠唱者以外には考えにくい。アンデッドに対して特効の攻撃手段を持つ
裏付けは無い。だがセバスがこの場で嘘を吐く理由も無いことを告げると人々の顔には納得と安堵の色が浮かび始めた。
それは同時に横たわっていた問題を解決させる捌け口を見付けたということでもあった。
「と、隣街まで行きたいんだ。ここにしばらく滞在するならその間だけ護衛の人たちに仕事を頼めないか!」
「それか、もし元々隣街まで行く予定だったのなら俺も連れて行ってくれ!」
「俺もだ!」
堰を切ったように、口々に押し寄せる。冷静に考えればどれも無茶な話だ。
セバスは軽く白髭をしごいて思案する。彼らはただ救いを待ち、祈るだけの者とは違う。惜しむらくは力が無かっただけだ。
放った言葉に嘘は無い。このときセバスは助けの手を伸ばすかどうかではなく、その先のことを考えていた。
同時に、己の中にまたも湧き出した気持ちがあった。似た感覚を過去に二度経験している。いや、似ているのではない。これはあのときと全く同じものだ。
決してセバス自身の意思と相反するものではない。そのはずなのに、どこかとても遠い感覚にも思える。
一度目は単なる情けだと思った。二度目はそこに加えてひとつまみの怒りがあった。三度目は?
この場にいる、家族や友人を心配する人々は卑劣な白刃に襲われている訳でもなければ口も利けないほど衰弱している訳でもない。
抱いているのは大切な人を助けたいという想いだろう。何らセバスが不安に思う要素は無いはずだ。
取り留めない思考を踏ん切るために目を閉じる。自身の周りに問題はあるか。否、だ。それであればいまやるべきことだけをシンプルに考えればよいだけだ。
まず人々の希望に適った対応が可能か。商人としての身分を元に検討してみるが。
「……無理ですね。私たちの馬車に乗せることはできません。かと言って歩いていく訳にもいきませんし、ずらずらと列を作っていては護衛二人の負担が大き過ぎます」
「それは……」
護衛対象をカバーできなければ、たとえ個々の強さが白金級だろうがミスリル級だろうが関係無い。単純な人手不足はどうしようもない。
人々のあいだに暗雲めいた空気が漂い始める。ただ待つという最初からあった選択肢を選べなかったからこそ、何か手が無いか探していたのに。手詰まりの先には結局元の選択肢しか残されていなかった。
「お姉ちゃん、帰ってこないの……?」
子供は言葉が足りない分、感覚による部分は非常に敏感だ。
沈黙する大人たちは答えを持たない。
「か、帰ってくるとも! 天気が崩れそうだったから帰るのを遅らせただけさ」
父親の希望的観測は白々しく、痛ましくさえあった。きっと、口にしている本人さえ信じてはいないのだ。娘を抱き締めた背中は泣いていた。
もう誰一人として、組合に抗議の声を投げつける者はいない。
場を重苦しい沈黙が支配した。
静寂を破れば渦巻く無力感が見付けた矛先に一気になだれ込む、罪悪感と鬱憤が
銀色に輝く軽装鎧、鞘に納められたロングソード。純白のマントは羽根でできているかのように僅かな空気の流れに翻弄されて音も無く翻る。
首には冒険者であることを示す金属製のプレートが提げられていた。
◆
セバスの指示を受けて返事はしたものの、ツアレは迷う。何しろ右も左も分からない冒険者組合なんて場所で、どう振る舞っていいものなのかなど考えたことも無かった。
(ソファーに座らせてあげられたら……)
待合のためと思われる長椅子がロビー内には八脚ほど設置されている。だが完全に空いている椅子は見当たらず、腰を下ろしているのはことごとくが武器を携えた者たちだ。彼ら冒険者は仕事柄多少の荒事には慣れているはず。もし下手にソファーに座らせて難癖を付けられたら対処できない。その想像はツアレにとって接近を躊躇うのに充分な理由だった。
(怖い……。でも、ずっとここで立ち止まっていたらお婆さんも不安に思うだけ……)
任された以上無責任なことはできない。すでにカウンター周辺からは充分離れているためぶつかられる心配は無いが、当の老婆は騒動の行方が相当気になるらしく、ツアレに手を引かれながらも後ろを気にしていた。これでは側を離れた途端にまた自らあの人波に寄っていってしまいそうな危うさがあった。
(せめて落ち着くまでは見ておかないと。……そうだ)
思い付いたのは護衛を務めている二人。とりあえずはぐれたりしなければ変に迷惑を掛けることも少ないだろうと思ったのだ。
「あ……」
思わずツアレの足が止まる。ナーベラルとソリュシャンに対する苦手意識ではない。それはさっきの馬車の一件で随分和らいだ。
二人が待っていたはずの場所を中心に、片手で数え切れない数の男たちが輪をなしていたのだ。
理由は彼女たちの容姿を思えばごく自然な状況とも言えるだろう。雰囲気からしても物々しい感じではない。
頭で理解していることと裏腹に、ツアレの足はその場に釘でも打ちつけられたのかと思う程動くことを拒否していた。
心の傷だ。さっきのように記憶を掘り返さなければ大丈夫かと思っていたのは間違いだった。
メイドとしての
彼らを統率しているエクレアも性別的には男なのだろうが、見た目がかなり鳥? なので意識しろという方が無理な話だ。
うん、とツアレは心の内に湧き立ちかけた弱気を押し込める。
誰の助けも得られず、自分を脅かす存在しか周りにいなかった娼館とは違う。助け出してくれたセバスのためなら一度は死さえも受け入れる覚悟をした。それと比べれば大抵のことは恐れるに値しない。はずだ。
「あ、あのっ……ひっ!?」
通してもらえるよう声を掛けようとしたと同時に、男たちで出来た人垣がツアレのいる方に向かって開いた。注目が集まったような気がして背中にどっと冷や汗が流れる。
「いいところへ戻ってきたわ」
「ソリュシャンさま……?」
人垣が割れた原因と思われるソリュシャン。その言い振りはツアレに用事がある、という感じだ。ツアレの頭には疑問符しか湧かない。特殊な能力も何も無い自分に、メイドとしても遥か高みにいるソリュシャンが求める何かなど想像もできない。
「敬称は……いえ、いまはその方が都合がいいかしら。ちょっとこっちへ」
「かしこまりました。でも、セバス様からこちらの方を頼まれているのですが……」
「ああ、それなら私が対処しておくから、貴女は先にナーベラルのところへ行っておいて」
そう言うとソリュシャンは老婆の手を取り、ツアレが来た方へ向かっていった。
セバスから任された仕事を自らの手で完遂できなかったのは残念に思う。だがそれは我儘であり、ツアレの個人的な独占欲だ。それに席を譲ってほしいという交渉も、声を掛けることさえ躊躇ってしまったツアレより自信に満ち溢れたソリュシャンの方がスムーズに進められるに違い無かった。
落ち込んではいられない。優先するべきことを決めてツアレはナーベラルの元へと足を進めた。
(どうしよう……)
ナーベラルは最初分かれたときと同じく壁に背を預けていた。ツアレが戻ったときもここまでの道中と同じ冷ややかな目で一瞥しただけだった。近くへ寄っていいものかとツアレは迷った。ナーベラルの周りには声を掛けて撃沈したと思われる男たちが何人もおり、現在進行形で増えている。ナーベラル自身の不機嫌そうな表情も手伝って周囲の空気は最悪だった。ツアレの体験した中ではセバスの主人と面会したときに次ぐ空気の重さだ。当然ムードメーカーでもなければあえて空気を読まない言動ができる度胸も無いツアレにどうにかできる問題ではない。
ナーベラルに声を掛ける者が途切れた隙を見計らって、おずおずと近くへ寄っていくのが関の山だ。
失礼が無い程度にナーベラルの様子を窺うが、両腕をどっかと組んだ態度はやはり不機嫌としか考えられない。周りに広がる死屍累々の惨状がストレスの原因であることは疑いようがない。
ナーベラルからすれば鬱陶しいものを払い除けただけであり、ツアレが「お手柔らかに」と諌めるのもおかしい気がする。
そうしてこの居たたまれない空間を変えることも逃げることもできないまま、無限に続くのではないだろうかという突飛な不安を抱えだした頃にソリュシャンが戻ってきてくれたのはツアレにとって本当にありがたかった。
「さっきの方は……?」
「ソファを空けてもらって座らせたら、すぐに眠ってしまったわ。あの騒がしいのが治まるくらいまでは起きないから、気にする必要は無いでしょう」
「そうですか。ありがとうございます」
やっぱり、任せて良かった。すぐに眠ったということは、疲労が溜まっていたのだろう。もしツアレが要領悪く体力の無い老人をさらに連れ回すようなことをしていたら体調を崩させてしまっていたかもしれない。
ソリュシャンは老人のことなどすでに完了した仕事として気にした素振りもなく、ナーベラルとツアレ、そして周囲を見渡すと満足そうに笑みを浮かべた。
「……何?」
それを見たナーベラルがやっと口を開く。
「その様子じゃ正解だったみたいね。声、掛けられなかったでしょう?」
「言われてみれば…………」
理由を探るように中空を彷徨わせた視線が、不意に引き寄せられるようにツアレへと向いた。
「え? 私……ですか?」
確かにツアレがナーベラルと再合流してか誰かに声を掛けられた記憶は無い。遠巻きに向けられる視線には何となく気が付いていたものの、ナーベラルの放つ重圧に包まれていたツアレには他のことを気にする余裕が無かったこともあり、言われてみればという感じだ。
「貴族絡みとかでもなければ、護衛の付いたメイドなんてそうはいないわ」
ツアレにとって貴族とは自分を
「貴族? 威張り散らしているだけの無能の寄せ集めとルプーが言っていたけれど……それが何だというの?」
直接会ったことはないが、共感できる言葉だ。
「冒険者への依頼は貴族が出すことも珍しくないのよ。余計なちょっかいを出したら思わぬ不利益を
「そういうものかしら」
ナーベラルの反応は薄いながらも感心しているようだった。ナーベラルの滞在していた寒村は冒険者組合の窓口があるとも思えない規模だったことに加え、貴族がわざわざ足を運びそうな場所でもない。この辺りは王都に滞在していたソリュシャンとの経験、環境による認識の違いということなのだろう。
ナーベラルと合流するために立ち寄った村のことをツアレは思い出す。不思議な村だった。まず目に付いたのは村をぐるりと囲う外壁の存在だ。それも大人が運ぶことさえ難しそうな丸太を数え切れないくらい使った立派なもので、少人数の野盗などであれば堅牢さと田舎の村にそぐわない異様さに恐れをなして近付かないのではと思えるほどだった。後であの外壁はナザリックのゴーレムを何体も使って築き上げたのだと教えられた。
村の中へ入るとさらに驚愕の光景が広がっていた。
ナーベラルが出立することはすでに通知されていたらしく広場に村総出の見送りが集まっていたのだが、人間以外にもゴブリン、リザードマン、蛇の頭を四つ持つ大きな魔獣がいた。一人の女性の周りにやたらとゴブリンが集まっていたが、もしかしてあの人も人間ではなかったのだろうか。知識に疎いツアレには分からなかったが、ツアレの知る聡明なアンデッドであればすらすらと答えてくれるのだろうか。覚えていればいつか聞いてみてもいいかも知れない。
「それにしても意外ね。殺さないにしても多少痛めつけるくらいはすると思ったけれど」
「そうしたいのは山々だけれど、面倒なことになるでしょう?」
答えるナーベラルの表情はとても穏やかだ。刺々しさも無ければ冷徹な雰囲気でもない。反対にソリュシャンは何かが引っ掛かったのか、
「そういうの考えるタイプだったかしら」
「至高の御方々が望まれることであれば当然でしょ?」
「ああ……そういうことね。まあ、知らないことがあるのはお互い様かしら」
二人の会話の意味は分からないが、ナーベラルの言葉にはどこか誇らしさがあり、ソリュシャンの言葉には何とも言えない艶めかしさがあった。
至高の御方々。セバスの上司であり、ナザリック地下大墳墓を統べる存在。その力はツアレに計り知れるものではない。
身を包むメイド服。これもツアレがセバス付きのメイドとしてナザリック入りした際に改めて下賜されたものだ。寸法も図らず渡されたときは、入らなかったらどうしようと焦った。大墳墓内で見掛けたメイドたちはソリュシャンほどグラマラスではないにせよ、誰もが分かるくらいきれいに腰がくびれていた。血色も良く、痩せ細っている者は誰一人としていなかった。もし彼女たちのスタイルに合わせた寸法なら最悪服を壊してしまったり、もしくは内臓が圧迫されて吐きそうになるくらいコルセットを締めあげなければならない。
ところが、恐る恐る袖を通してみるとサイズはピッタリだった。気にしていた腰回りだけではない。肩幅、二の腕、袖丈、裾丈。どこをとってもまるでツアレのためにあつらえたようなフィット感だった。完璧に寸法を見抜いた先輩メイドもさることながら、そのメイド服が即座に用意できるというのもよくよく考えればものすごいことだ。少し触れただけでも分かる上質な生地で出来たメイド服は一着だけでもとんでもない金額のはずだ。少なくとも平民がおいそれと購入できるような品ではないと思える。ありとあらゆるサイズを網羅して所持しているとなれば、着数は十や二十ではきかないだろう。
貴重な品を新顔のツアレに易々と与えたばかりか、「セバスの側にいたい」という淡い願いまでも叶えてくれている。
不思議だ。支配者と呼ばれるものはもっと傲然としていて、弱者を甚振る自分勝手な存在ではなかったか。ツアレの中の支配者像に偏りがあるのは否めないが。
声を掛けることを諦めた男たちが散っていく。何人かは床にへたり込んだ者を引き摺って。ああも見事に心を折られた姿はさすがに少し可哀想と思わなくもないが、自業自得みたいなものなので何も言わない。ナーベラルとて悪意があった訳ではないのだろうから。手加減というものも無かったみたいだが。
人垣が晴れるとカウンターから戻ってくるセバスの姿が見えた。メイドとしての訓練を受けたいまだからこそ分かる、軸のぶれない美しい歩き姿。ツアレよりも遥かに洗練された動作は純粋に目を奪われる。足を止めた立ち姿も頭のてっぺんから踵まで一本の芯が通っているように────
「ツアレ? どうしました」
「はっ! なんでもありません!」
危ない。見惚れすぎて頭が動いていなかった。
深呼吸をしてぱちん、と痛くない程度の力加減で自身の頬を両手で叩く。気持ちを入れ直すためにある一般メイドがやっていたのを見た。きっと効果があるに違いない。
「よろしいですか? では────」
ツアレが落ち着いたのを見計らい、セバスは得た情報を共有するため口を開いた。
そろそろ今章のメインに入っていきます。
日常回ばっかりだと退屈ですよね。ていうかこのパーティだとついついツアレ視点にしがちなのでラブコメっぽくなってしまうなぁ。
「このシーン必要だったかな?」「ここの描写要る?」と毎話頭を悩ませていますが結局正解がよく分からないんですよね。
見せ方って大事だけど難しい。
2018/11/10 行間を調整しました。