オーバーロード 粘体の軍師   作:戯画

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~前回のあらすじ~
隣町への馬車が消息を絶ち、向かった人々も帰って来ない。
途方に暮れる人々の前に、異様な風体の男が現れた。


第66話 遭遇

 山間部に通った道を、長い縦列を形成した馬車が進む。手綱を握る者のほとんどは同行を志願した街の人間だ。

 

 カッツェ平野を無事に抜けてきた腕利きのボディーガードという美女二人は列のやや後方寄りでの護衛をしてもらっている。

 先頭を行くのはアダマンタイト級冒険者チーム、クリスタル・ティアだ。

 

 彼らはある任務のため多くの空馬車を連れてこの街へ来たという。

 

 主たる仕事は例に漏れずビーストマンの撃退だが、最高峰の実力を持つアダマンタイト級であれば敵陣深くに食い込むことも多い。ビーストマンに奪われた街や拠点では捕らわれている民を発見する公算が高く、空馬車は体力も精神も疲弊していると予想される人質を無事に安全な領域まで連れ帰るための用意だ。

 多くが生かされている可能性が高い理由は、噂話に(うと)い者でなければ予想がついた。

 

 わざわざ人間を殺して運搬に手間が掛かるうえに鮮度も落ちることをやる理由が無い。もっとも、食料目的ではなく単に娯楽のために追われる者はこの限りではないが。

 落とされた街に元々いた住民がそのまま生活しているとは考えにくい。どこか一箇所にまとめられているか、別の場所、例えばビーストマンの本国へ向けて連行されているか。その場合でも街を出たのが数日前くらいなら追いつくことは不可能ではない。

 魔法を使わないビーストマンは≪フライ/飛行≫や≪フローティング・ボード/浮遊板≫に代表される運搬方法を持たない。そのため、街ひとつ分の人間を動かすには直接歩かせる必要がある。何なら数人を見せしめにすれば、恐怖という鎖で繋がれた人々は沈黙をもって従う他無くなるだろう。そんな精神状態の者たちを乱戦に巻き込んで「逃げろ」と言ったところで、果たして何人が動けるだろう。精神的に弱り追い詰められた人間が無意識に選ぶのは自己の防衛行動であり、逃避行動だ。積極的行動をしないという点では保留による現状維持さえも選択肢に入る。問題なのはベクトルだ。

 そこまで予想しているからこそ、これだけの馬車を率いてきた。「馬車に乗り込め」ならば多くの者が行動できるはずだ。いくらアダマンタイト級冒険者であっても、ビーストマンを相手取りながら戦闘能力の無い一般人を馬車へ詰め込むのは無茶が過ぎる。

 乗り込んでしまいさえすれば、その場のビーストマンを倒し切る必要は無い。退路だけ確保して撤退すれば、ビーストマンの脅威から離れることさえできれば、恐怖に痺れた者たちの思考も元に戻るだろう。

 

 そういう作戦のため空馬車が本来の働きをするのは最前線にぶちあたってからの話であって、隣街までは空のまま引いていくことになる。

 そこでクリスタル・ティアが条件付きで提案したのは、隣街までしか護衛はしないし、帰りの足の保証はしないということだった。

 要は片道切符だけの提案だ。

 

 帰りの足に困ることは明白なのだから、眉をひそめる者もいた。一方で、彼の提案がそう悪くはないと考える者もいた。

 行きは大きな問題が一気に片付く。馬車は用意されているうえに護衛に付くのはアダマンタイト級冒険者チーム。思い付く限りこの上無い安全度だ。

 

 帰りについても、足は不安材料ではある。だが隣街まで辿り着けば充分な食料が手に入る。最悪、食料と防寒具さえ確保できれば自分たちの街へ帰還することはそう難しくない。何しろ道中に危険なモンスターなどがいても、それらは往路でほとんど叩き潰されているはずなのだから。

 

 

 

 大雨によってビーストマンの脅威度は大幅に減少する。身体的な能力の差は五感にも言えることだからだ。視界、音、匂い。人間側にもマイナスの影響はあるが、格差の埋まる幅を考えれば大きな利と言える。

 一方的に見付かって襲撃を受ける心配は減っても、リスクを完全に無くすことはできない。クリスタル・ティアの配置は偶然の鉢合わせを想定してのものだ。

 警戒をしながら進んでいるため、仮にたまたま出くわすにしても多い数ではない。彼らであれば仲間を呼ばれないうちに対処が可能だ。

 

 ビーストマンの撃退実績が多いことは冒険者組合のお墨付きであり、戦闘に関する知識も乏しい街の人々からは布陣に関する異論が出るはずも無かった。

 

 手綱を握る者だけではなく、人手が必要になったときのために募った有志の男たちが数人ずつに分かれてそれぞれ幌車に乗り込んでいた。他に比べると車内の雰囲気や会話の空気に重苦しさは無く、持て余している時間はもっぱら口を動かすことになった。

 

「ちらっとだけ見たけどさ、やっぱ違うなぁ。なんて言うのかな、"格"みたいなやつがさ」

「それにしても分かんねえよな。アダマンタイト級冒険者っていったら依頼料めちゃくちゃ高いはずだよな?」

 

 答える者は無く、全員が頭を(ひね)った。同じ疑問を彼らも持っていたためだ。

 アダマンタイト級冒険者への依頼料が高額なのは分かっていたことだ。と言っても冒険者に依頼を、それも白金級より上位のランクにすることなど街に生きる彼らがそう日常的に経験のある話ではない。

 

 せいぜいが王都に行くときの護衛程度。金級と言わず銀級の冒険者でも十分に務まる仕事だ。

 王都へと続く平野部にはさほど脅威となるようなモンスターがいない。主要な街道は地方の都市へ向かう冒険者たちが頻繁に往来するため、危険度が高く好戦的な個体の多くが排除されたからだと主張する者もいるが、本当のところは分からない。だが結果として庶民の財布でも何とかなる銀級冒険者を護衛に付けることで安全に移動することができるし、銀級冒険者もまたそこそこ安定的な収入を得ることができている。

 

 当然だが、街道付近の警戒対象としてビーストマンは考慮されていない。考えるだけ無駄だからだ。銀級程度で撃退はまず不可能、複数人が命を賭ける覚悟でやっと足止めができるかもと言うのだから、そこまで考え始めると街の外へ出ることすらできない。

 幸いなことに王都方面にビーストマンの姿が認められたことはなく、これは次々送り込まれる冒険者たちが前線を東に押しとどめてくれているのが大きい。

 

 今回こんな地方でアダマンタイト級冒険の姿を見ることになったのも彼らが何らかの依頼を受けているからこそであり、当然そこには冒険者組合で規定された依頼料が発生しているはずである。

 

「やっぱあれかな、この依頼は表に出したくないんじゃないか」

「どういうことだ?」

「元々受けてた依頼が国からの依頼だとしたら、他の依頼を重ねるって普通やらないだろ?」

 

 ただでさえアダマンタイト級冒険者はその知名度から人目を引きやすい。断りも無く別の依頼を入れて対応していたと知られれば依頼主の不興を買うことになりかねない。後に回した分だけ優先度を下げたということなのだから。

 

「隠しておきたいんじゃないか?」

「いや、おかしくないか。それなら最初っから追加の依頼なんか受けなきゃいい。だいいち受けたこと自体を隠してるなら組合から金も出ないだろ」

「だよなあ……」

 

 そんなことは無いだろうと思っていても、正規の額を払ってくれと後になって言われたらどうしようという不安は尽きない。それに、事情を知らない街の人に説明するときにも色々と困る。

 

「そんなに心配しなくてもいいだろ。あれこそ英雄のあるべき姿だと俺は思うね。ボウエンとこの娘を見てられなかったんだろ」

「ああ、姉の方が戻ってないんだってな。あの子も随分懐いていたみたいだ」

「そういや何か渡してたよな」

「別に報酬って(てい)なら何でも良かったんじゃないか」

 

 冒険者組合を通す正規の依頼は、当然ながら依頼主に対する事前の調査が入る。組合と冒険者を守るために必要なことなのだが、即応性が弱い原因のひとつでもある。

 調査項目は、依頼に嘘や人同士の争いに発展するような競合要素が無いかなど。詳細を言い出すとキリが無いが、社会的信用に欠ける依頼主はこの時点でほぼ取り除かれる。その中には年端もいかない子供も含まれる。

 

 もっとも、社会的地位も支払いのための金銭も充分に有している貴族の子息とかなら話は別だが。

 単なる平民の、十歳にも満たない幼子に支払い能力があるとは認められない。つまり彼女とアダマンタイト級冒険者のあいだで物品の授受があろうともそれは単なる貸与や譲渡であって、何らの対価や義務が発生する訳ではない。当然、正規の依頼人として認められないのだから組合が少女やその親に依頼料の請求をすることもあり得ない。

 屁理屈じみているが、理屈は理屈だ。特にアダマンタイト級冒険者ともなれば妄言として一蹴するのは躊躇われるのだろう。最高位である彼らを軽んじることは組合にとって自傷にも似た行為なのだから。

 

「確かあの人って聖騎士か何かだったよな? 依頼を受けた直後に祈りを捧げてたし。こうやってさ」

 

 両手を重ねて小さな室を作り、鼻先を埋める。独特で印象に残ったポーズを再現した。

 

「普段からやってる訳じゃないだろ。あれは組合に対するアピールだよ」

「組合が黙認するって踏んでたのか」

「そう思っていても中々あそこまではできんぜ。それだけ本心からなんとかしてやりたいと思ってたってことだ」

 

 口々に形を変えて出てくるのは英雄に心酔した男たちの称賛。無力感に苛まれていた彼らにとっても行き詰まった状況を打破してくれた人物は感謝と憧れの対象だった。

 

 相変わらず外は篠突く雨が降り続いている。中からでは荷車を引く馬の鼻先より向こうはほとんど見えない。それでも一団が慎重ながらに歩を進められているのは、風がほとんど無いからだ。お陰で風雨が吹き込むことは無く、ただただ激しい雨音と揺れる馬車のわずかに軋む音だけが耳を突いた。

 

「ところでさ。護衛に着いた姉ちゃんたち、何もんなんだろうな。冒険者じゃないらしいが」

 

 天候に引っ張られる気分を振り払うように話題を振る。恐らくこの場にいる男たちが食い付くであろうことを確信して。沈黙を嫌ったのは他の者たちも同じだった。恐らく平時であっても夜の酒場で似た会話が飛び交っていたとは思うが。

 

「見た見た! すっげえ美人だよな」

「雇い主? のじいさんは王国から来たと言ってたから、あの二人も王国出身なのかな」

「さてな。黒髪なんてそう見ないからもっと別の所から流れてきたのかも知れん」

 

 直接話したりはしなかったし冒険者組合でちらりと見ただけだったが、ただでさえ人目を引く美貌に特徴的な黒髪は全員がはっきりと覚えている。

 

「はー、あの二人とお近付きになれねえかな」

 

 ポツリと漏らした願望に向けられた視線は呆れと哀れみをたっぷりと含み、同じ感情を抱いていた男たちは思い思いに苦笑混じりのため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

(特に動きは無い……。距離も問題無し)

 

 容赦無く全身に打ち付ける雨を意にも介さず、ソリュシャンは考える。顔の半分に当てられた手は雨を遮るためでもなければ怪我をしたわけでもない。

 その目は眼前の景色とは違うものを見ていた。

 

 双子が側に付いている以上何も心配するようなことは無いが、だからといって注意を怠ってよいということにはならない。特に≪フライ/飛行≫が使えるナーベラルに比べて機動力で劣る分は注意力の質と範囲で補う必要がある。とはいっても注意の多くを向けるのは至高の御方周辺であって、目の前に列をなしている馬車群ではない。こちらは片手間程度で問題は無い。

 

 この雨では余程探索に特化した人間でない限り警戒が利く距離はゼロに等しい。そこまでの能力持ちがいないのは昨夜の簡単な打ち合わせで確認済みだ。だからこそソリュシャンとナーベラルが後方の警戒役を任せられた。

 

 護衛対象が縦に長い場合、気を付けなければならないのは側面からの強襲だ。特に馬車であれば小回りも利かず後退もできない。十分な道幅が無ければ前方へ駆け抜けるしか逃走手段が無いのだ。

 

 街を離れて起伏が大きくなってきたルートのほとんどは斜面に沿う形の山道で、反対側は深い木々の密生する谷へと繋がっている。

 ソリュシャンが警戒を担当しているのは谷側だ。

 

 魔法による攻撃手段を豊富に持つナーベラルと違って、ソリュシャンがいま使える主武装は片手サイズのナイフだけだ。投擲することもできるが、それなら下から上に投げることになる山側よりも上から下へ投げることになる谷側を担当した方がよいという話になった。

 実際のところは多少の高低差など不利にならない戦い方もあるが、正体を隠す前提であれば取れない手段も多い。目撃者をすべて消してよいなら話は別だが、人間たちの行動に紛れ込んでいる以上そうもいかない。

 

 周囲への警戒については特殊技術(スキル)も使用せず、単純に五感だけを頼りに見ている。種族由来の能力を使うことで無用な関心を集めることを防ぐためだ。正体を疑われるようなことはしてはいけない。個人的には余力を至高の御方のために使えるというのは魅力的だ。

 問題があるとするなら折角の幸せな時間にちょこちょことノイズが入ることくらいだろうか。

 

 目は谷側を向いていても、時折御者がこちらの様子を窺う視線を向けてくるのを感じる。側に危険があるかどうかを確認する手段としては正解のひとつではあるのだが、果たしてそんな意図があるのかどうか。

 

 視界の端で雨が乱れ、山側から列に沿うように飛ぶ影が近付く。ソリュシャンの隣に降り立つと無言のまま幌車の中へ。足取りに少しばかりの粗さを見たソリュシャンもその後に続く。

 

 雨を吸って重くなったフードを(まく)り、軽く頭を振る。ただでさえ並々ならぬ美しさを湛えた髪が濡れ、黒檀を思わせる(つや)やかさを放つ。

 人の寄り付かない森の泉にも似た冷たく沁み入る雰囲気と混ざり合って、見た者が背筋を震わせるような氷の魅力がそこにはあった。

 

「何か異常はあった?」

「いいえ、何も。……この警備に意味はあるのかしら?」

 

 警備と言いながら、ナーベラルに人間たちを守る気などさらさらない。いっそ襲われて数が減った方が飛び回る範囲が小さくなって楽だとでも言いたげである。

 

「警戒されていると分かれば襲ってくる可能性は減るわ。それだけの知能があるなら、だけど」

「あると思う?」

「あってほしいわね。その方が愉しめるじゃない」

「……私には分からない感覚ね、それ」

「あら、残念。まあそうよね」

 

 こればっかりはエントマであっても共感を得られなさそうではある。ルプスレギナと足して割ってくらいでちょうどいいといったところだろうか。

 

「ぶくぶく茶釜様は?」

「アウラ様とマーレ様とご一緒に、私たちの後方にいらっしゃるわ」

 

 戦闘に特化した能力とはいえ、戦闘メイド(プレアデス)とて根っこは主人に(かしず)くメイド。遠出の供を命じられている身として主人を気にかけるのは当然のことだ。

 

 一見無表情に見えるナーベラルだが、ソリュシャンに向けた視線は複雑な感情の色が含まれている。

 

 至高の御方の供をしているという実感と、即答したソリュシャンがぶくぶく茶釜の様子を遠視できることへの羨望だ。

 魔法にせよ特殊技術(スキル)にせよ能力自体は創造主によって与えられたもの。己の内から湧いた欲のために無いものねだりをするのは不敬にあたる。

 そう理解しているからこそナーベラルが不平を口にすることは無い。彼女の葛藤はともすれば自分にも起こり得ることと知っているソリュシャンもまた、言及はしない。

 

「そう。それにしても酷い雨ね。もしかしてマーレ様が≪コントロール・ウェザー/天候操作≫でも使っているの?」

「これだけの規模は流石に難しいんじゃないかしら。魔法の扱いに長けた至高の御方ならあるいは……」

 

 ≪コントロール・ウェザー/天候操作≫の魔法は以前蜥蜴人(リザードマン)勢力併呑の際に使用されたことがある。あのときは暗雲を集めることで陰鬱な雰囲気を作り、蜥蜴人(リザードマン)たちの恐怖をより煽るための演出だった。

 集落の上空をすっぽりと覆うくらいの有効範囲は広域の部類に入れて異論は無いだろう。

 

 だが馬車の一団は街を出て目的地へ向けて進み続けている。多少の蛇行はあっても元の街からは既に距離が離れていて、通ってきた道をすべてカバーしようとすれば必要な有効範囲は蜥蜴人(リザードマン)のときの数倍では済まない。

 

「ちっ」

 

 不意にナーベラルが苦い表情を作った。ソリュシャンが軽く視線を向けると御者は慌てて正面を向き直す。

 

「いちいち気にしていたらキリが無いわよ」

「不快なものは不快よ。下等生物(アブ)風情が……煩わしい」

 

 はっきりと見下しながらも、ナーベラルの表情から言葉ほどの嫌悪感は窺えない。御者がこちらに干渉してこないと踏んだからなのか、黒曜の瞳から読み取ることはできないが。

 

(人間の村にいたせい……いえ、お陰と言うべきかしら? アインズ様とぶくぶく茶釜様が御自らお救いになったとは聞いたけど、少し興味深いわね)

 

 ソリュシャンを含め姉妹の大半は人間と寝食を共にしたからといって友好的になるようなタイプではない。ナーベラルもこちら側に入るはずだ。

 目の前を飛び回る羽虫を鬱陶しいと手で叩き払うのと何一つ変わらない感覚でナーベラルは人間を扱う価値観の持ち主であり、はたき落とされた羽虫の生死など知ったことではない。むしろ死んでくれていた方が二度と邪魔にならない分好ましいとさえ考えるだろう。

 

 もちろん余計なごたつきを起こさないのは賢明と言えるが、威嚇さえもしないのは冒険者組合で見せた態度と併せて少々意外に思えた。

 

 彼女の中では僅かな心境の変化、湖面がたまたま波立たなかっただけなのかも知れないが、影響を与えた要因として(くだん)の村のことを考えずにはいられない。

 

「ソリュシャン、何か聞こえない?」

「え? いえ、周りに近付いてくる生物の気配は無いけれど……」

 

 鋭く細めた真剣な眼差しは冗談を言っている表情には見えない。

 

「≪ラビッツ・イヤー/兎の耳≫」

 

 ナーベラルが魔法を発動させると頭の上に二本の長耳が生える。

 周囲の音を探るために機敏に左右を向く様子はウサギのそれと酷似している。

 

「不快な音がするわ」

 

 伝えるということを放棄したかのように淡々と放たれた一言を諌めるより先に、ナーベラルの言う『不快な音』は形を変えてソリュシャンにも聞こえてきた。

 

「何……!?」

 

 (うごめ)く雷雲にも似た不規則な音。幌を、荷車の板を叩く雨音など比較にもならない振動が肌で感じられるほどの低く重い(うな)りが腹に響く。

 

 近付いてくる。そう感じてからの変化は枯れ草に点いた火が燃え広がるよりもあっという間の出来事だった。

 

 雷鳴かと思ったのは濁流に乗った岩同士が激しくぶつかり合い割れる音だ。介入する余地が一切無いタイミングで、悪意も何も無い自然がもたげた凶悪な牙。

 

 土石流が馬車団の横腹に襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 ≪フライ/飛行≫を発動させたナーベラルは高度を取り俯瞰する。馬車の数台は流されてしまっており、残った分も土石流の轟音に馬が興奮しているようで落ち着くまで動くことはできなさそうだった。

 見知った白髪頭を見付けて高度を落としていく。

 

 荷車を引いていた馬の一頭、気持ちを鎮めろと言い聞かせるように首を数度軽く叩いて振り向いたセバスの眼は真っ直ぐにナーベラルを射抜いた。思わず息を飲んでしまうほど痛烈に。

 

「ツアレが流されました。馬も一頭荷車ごと」

 

 感情を乗せずに事実だけを述べたセバスの言葉を踏まえて、ナーベラルは周囲を改めて観察する。

 

 残った馬の足元には取り外したハーネスが降ろされていて、荷車と繋ぐための木製のシャフトは破砕したように折れていた。

 岩の流れてきた上流を見ると、土砂が残されただけの山肌が痛々しさをそのままにしており、上部の岩場が歪な形を作っていた。大雨の勢いに負けて崩落した岩が下部にできていた自然ダムを打ち壊して一気に流れ出たらしい。

 そのせいか土石流の割には幅の被害が少ない。削れた地形から推測すれば、他に巻き込まれた馬車はせいぜい三、四台だろう。

 

「セバス様であれば咄嗟に引っ張り出せたのでは?」

「人目が無ければそうしましたが、状況がそれを許しませんでした」

 

 巻き込まれなかった者たちの注目が直撃を受けた箇所に集まるのは明らかだ。偶然であったとしてもセバスの身体能力をこの場で披露する訳にはいかない。ただの商人を装っているからこそナーベラルとソリュシャンの立場があるのだ。疑問と好奇の目はすぐ恐怖と嫌悪に変わる。

 アダマンタイト級冒険者が先頭を進んでいても、名目上全体の護衛を共同で行う二人の雇い主が行方不明になってしまっては流石に足を止めての捜索が行われるだろう。それはセバスたちにとって望ましいことではない。

 状況がツアレに助けの手を伸ばすことを許さなかった。まさにセバスが口にした通りだった。

 

「ぶくぶく茶釜様へは≪メッセージ/伝言≫で報告済みです。あちらでツアレを回収なさるので、我々はこのまま進むようにと」

「承知致しました」

「おおい! そこは危ないぞ! 早くこっちに来るんだ!」

下等生物(ミノムシ)が騒がしい……」

 

 前方にいた者たちが流された地帯の向こう側に集まってきたが、無力な人間たちはわぁわぁと慌てふためくことしかできない。そこに何の価値も見出せなかったナーベラルはさらに周囲を観察する。今度はさっきよりも広く遠い視野で。

 

 詰まっていた雨水と土砂は流れたためすぐに第二波が襲ってくるということはないはずだが、いまも降り注ぐ大量の雨をたっぷりと吸い込んだ地面は普段よりも緩く、崩れやすくなっている。険しい山肌はあちこちで地滑りが発生してもおかしくない、予断を許さない状況だ。

 忌々しいがすぐにこの場を離れるべきというのは正しい判断といえた。

 

 

 

「間違いないな?」

「ああ、点呼も取った。巻き込まれたらしいのはミルトとカーヴス、マイソン、オルバーの四人だ」

 

 らしい、というのは現時点で彼らの所在が分からないためだ。

 報告を受けたのは最も年長という理由で街からの有志のリーダーを任された男だ。小柄ながらも引き締まった肉体は二十歳年下の若者と比べても遜色の無い逞しさがあった。

 だがいまその矮躯はいつにも増して縮こまって見えた。

 

 行方不明になっている隣人を探したいが、その選択はほとんど好意によって同行してくれているアダマンタイト級冒険者の意に沿うものではないはずだ。

 まだ隣街までは丸一日ほどの距離があり、日が沈めば天候の悪さも重なって身動きが取れなくなる。

 

 多少揉めることになっても足を止めての捜索を提案するべきか。

 人命が掛かった状況判断。即断できるだけの経験を持つ者は多くない。リーダーを任された彼もまた同じだ。

 

「進みましょう。お辛いでしょうがこの大雨の中、捜索は危険です」

 

 拠り所を持たない男の左へ右へと彷徨っていた視線が止まる。

 

 同僚のメイドと同じ馬車に乗っていた老紳士。名をセバスといったか。荷車部分にいたのか御者台にいたのかという紙一枚の違いが彼らの命運を分けた。

 

 薄情な人物とは思わなかった。提案はまさしく自分も考えていたことだったし、誰かが決断しなければならなかったことだ。

 

「……分かりました。なるべく早く出発できるようこちらに渡した馬車から順に再編成しましょう」

 

 足下には上流の泥砂を多く含んだ濁水が流れており、大半が水の勢いに持っていかれたとはいえ視界は悪く不安定な状況といえた。

 

 谷側の道は一部が崩れて危険な状態だ。そのため斜面寄りに馬車を慎重に渡らせている。荷車の壊れた箇所は応急修理か、パーツを組み替える必要がある。少なく見積もっても一時間はかかる。

 

 出発までに時間があるなら何名かを捜索に回してもよい気がするが、セバスの言葉にはどこか確信めいた強さがあった。

 遠方から来た商人であれば、トラブルの経験や対処の引き出しはずっと街の中で生きてきた者よりも豊富なはずだ。

 

「ありがとうございます。私は馬が暴れないよう渡しの手伝いをしてきますので、こちらの準備はお任せ致します」

「分かりました。気を付けてください」

 

 雨など意にも介さないように洗練された動作で頭を下げ、セバスは戻っていった。

 

 馬の渡しは思いの外スムーズに何事もなく進み、見積もっていた一時間を少し切るくらいで再出発の目処が立った。

 雨はなおも強く降り続けているが、馬車の歩みはむしろ速くなっている。皮肉にも馬車が減り、護衛の範囲が狭くなったことで警戒の密度が上がったためだ。

 

 口数少なくなった人々を乗せた馬車はさながら葬列のごとく、陰鬱な空気に包まれていた。

 雨だけが変わらず、全てを洗い流すように地を叩く。

 

 なまじ天候に回復の兆しがあれば、多少の無理をしてでも捜索をするという選択肢を捨て切れなかった。破壊の跡を追って何人かは危険な谷側へ下りていただろう。

 

 それは一行にとっての幸運だった。

 

 

 

 

 

 

 ぼやけた視界。じわりと滲んだ世界が輪郭を取り戻し、耳朶を叩く音が外は大雨だったことを思い起こさせる。

 

「っつ……!?」

 

 手足の先へ血が通っていく。全身の感覚が覚えの無い痛覚を連れて戻ってきた。

 

(何が、起きたの?)

 

 片腕は血の巡りが悪いのか鈍い感覚しかない。大きな怪我をしているのかも知れない。物凄い音の直後に激しい揺れ。そこで記憶は途切れていた。

 

「起きたか」

「はっ……!」

 

 獣特有の生臭さを帯びた吐息が顔にかかる。濡れた毛は艶を失い、宝玉のような金目がまっすぐにツアレを見据えていた。

 

 ビーストマン。

 

 人間の何倍もの身体能力を有し、精神性は極めて凶暴かつ好戦的。竜王国を(おびや)かす存在であり、生来の狩人(ハンター)にして捕食者(プレデター)。それがいま、ツアレの目の前にいた。

 

 頼りない浮遊感。身の自由が利かないため振り向くことができないが、すぐ背後にも誰かの息遣いが感じられた。

 

「あなたたちは……むぐ」

 

 開いた口を大きな手が強引に覆い塞ぐ。たとえ両手を使っても微動だにさせられない、込められた力は生き物としての絶対的な力の差を雄弁に語っている。

 

「目を覚ましてくれて嬉しいぜ。やっぱり抵抗してくれた方が『狩ってる』気分が出るってもんだ」

「なんか反応薄いな。本当に起きてるのか?」

「見間違うかよ。あっちの奴らも似たようなもんだったろ」

「それもそうだな」

「降ろせ。腕は放すなよ」

 

 会話はツアレを挟んで行われている。

 正面にいるビーストマンの口元からは溢れた舌が牙を舐め、凶悪極まりない鋭利な爪がツアレの目の前に突き出された。

 決して指先を守るためのものではない、獲物に突き刺し引き裂くための武器。牙と爪は強者の象徴であり、狩られる獲物にとっては恐れるべき対象だ。

 

(セバス様……)

 

 真っ先に考えたこと。同じ馬車に乗っていた彼がこちらに手を伸ばしていたのを覚えている。

 彷徨う視線が周囲を一回りしたところで、ここがさっきまでいたはずの場所と違うことに気が付く。それと大量の土砂と割れた岩石。ちょうどビーストマンの背後に盛り上がった塚は雨で洗われ、痛々しくへし折れた生木やらがあちこちから飛び出ている。割れた車輪や千々に裂け切れた幌布は馬車の残骸だ。

 

 恐ろしい想像が湧き上がるが、信じる気持ちが不安に蓋をする。

 セバスはツアレよりも身を躱しやすい御者台にいた。うまく巻き込まれずに済んでいると思いたい。

 彼が無事であれば助けに来てくれる。なんて、三度目を願うのは傲慢だろうか。それとも自惚れだろうか。それでも心の中では望まずにいられない。この温もりを愛おしいと思うならば。

 

 唸り声にツアレの意識は引き戻される。鋭く野生的な視線が自分を真正面から射抜いていた。

 

 竜王国への道中何度か話には出てきていたが、実際に見るのは初めてだ。動物と人間を合わせたような存在だと聞いていたのでメイド長のペストーニャに近い姿を想像していたのだが、似ても似つかない。

 毛並みひとつ取ってもそうだ。ペストーニャのボリュームのある黒髪は濡れるとむしろ煌めくような(つや)やかさを放ちそうな雰囲気がある。それに比べると柔らかさの欠片も無い、無数に束ねた藁を思い起こさせる。

 

「なあ、やるならさっさとやっちまおうぜ」

 

 背後から急かす声が掛かる。

 

「ああ、そうだな。分かるか? 人間。お前はこれから食われるんだ。抵抗してもいいんだぞ? 俺の手が緩んで逃げられるかもしれん。この雨だからそのつもりが無くても滑り落としてしまうかもな」

 

 にちゃりとした笑みは過去に何度も見てきたが、それは全く異質なものだった。肉欲に支配された、弱者を甚振る快感に溺れる者の眼ではない。

 ただの肉。野を走るウサギやイノシシに向けるものと同じ、捕食者の眼だ。

 こめかみに感じる圧力は期待を持たせる言葉が嘘であることを確信させる。

 

「妙に落ち着いていやがる。おい、そのまま腕を握り潰せ」

「いいのか?」

「構わん。こうやって口を押さえていれば静かなもんだ」

 

 人間の、それも女性の細腕など彼らにすれば小枝と大した違いは無い。

 抵抗しないことで身を守る。それがある程度有効なのは加害者もまた一定の枠組みに収まっている場合に限る。それは人間であっても同じだ。大貴族が使い捨ての娼婦を殺しても正当な罪に問われる可能性は低い。非合法な裏の娼館ならばなおさらだ。ヒートアップしてしまった結果の事故とでもされて、事実は闇から闇へ葬られる。ツアレもそうなるはずだったのだからよく分かる。

 そして知っている。弱者は抵抗してもどうにもならないから弱者なのだと。思い通りにならないことで加虐者の満足感を減らすことはできたとしても、振り下ろされる拳を止めることなどできはしない。

 

「……あ?」

「どうした、早くしろ」

「いや、それが何か思ったより硬……がっ!」

 

 何かが弾けるような音がした。それと同時に持ち上げられていた腕が解放され、視界の下から出てきた小さな皮手袋がビーストマンの手首を掴んだ。

 

「何だ貴様!」

「あーあ。予定は変更するしかないかな」

 

 とぼけた様子も緊張感も無い声が誰へともなく投げられた。金色に揺れる髪は豊潤に実った麦穂にも似ている。

 ビーストマンの表情に怒りと困惑の色が浮かんでいたのは当然と言えた。介入者はあまりにも小柄で、無邪気だった。

 

 ツアレは彼女を知っている。明るくまっすぐな性格で、ペストーニャの友人。幼くも整った顔立ちは将来間違いなく息を呑むような美人になる。現在()の地ナザリックに座する支配者の一人であるぶくぶく茶釜を創造主に持つという双子の闇妖精(ダークエルフ)、その姉。第六階層守護者の地位を弟ともども与えられており、至高の御方々に忠誠を誓っている。

 

 「逃げて」と伝えたくとも、声を発することはできない。向き合ったビーストマンが何倍も大きく見える。もはや二者の比較は体格差などという域を超えている。ツアレの腕と同じく、あの細い腰もビーストマンにとっては容易くへし折ることのできる枝に過ぎない。そしてついさっき実感したが、捕食者たるビーストマンには慈悲や良心による目こぼしは期待できない。仔ウサギを捕まえたからといってわざわざ逃がすキツネがいるだろうか。

 次の瞬間にも凶悪な爪が、牙が、この小さな身体に突き立てられるのではないか。

 ビーストマンが振りかぶった。どうやら彼は爪を選択したらしい。数瞬後に訪れるであろう悲劇的な光景を想像して、ツアレは反射的に強く目を瞑った。

 

 ツアレは知らない。

 彼女が従える魔獣がどれほどの強さを誇るのかを。自身に劣る者を魔獣が主として決して認めないことを。階層守護者という地位は決して創造者の欲目だけで与えられる地位ではないことを。




王都での経験からセバスはより慎重になっているようです。
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