起きた。時計を見る。左向きの直角三角形が出来上がっていた。
「九時過ぎ……サボり決定ね」
さようなら仮初めの優等生像。
「随分遅いお目覚めだな、お姫サマよ」
こんにちは聖杯戦争のマスター。
「まあ、無理もないかねえ。昨夜の召喚がよっぽど応えたんだろ。喚んでもらった身としては、文句は言えねぇさ」
そう嘯く寝坊の元凶がわたしの目の前にひとり。こいつは……キャスター。第一志望の三騎士に見事落第した、哀れなわたしのサーヴァントだ。そんなのが今、わたしの部屋にいた。少しは乙女のプライバシーとか考慮してくれてもいいじゃない、と恨めしげに見やる。
「おいおい、ひっどい顔してんぜマスター。とっとと顔洗ってシャキッとしな」
逆効果だった。朝はいつもひどい顔なのがわたしである。
遅めの朝食、もといブランチを摂る。正直あまり食欲もなかったけど、それを無理やり食後の一杯で押し込んだ。
「本調子じゃなさそうだな、マスター。どうする、今日いっぱいは引き篭もってるかい?」
……確かに、今のわたしの魔力は普段の出力の半分くらいだ。こんな状態で敵マスターに襲われたら、ひとたまりもないだろう。
「戦闘はなしね。サーヴァント戦になりそうだったら、撤退しましょう」
「ほう? その言い方だと、別に出歩かないわけじゃないんだな?」
「ええ。 聖杯からの知識だけじゃ、土地勘は身につかないでしょう?」
そう。襲撃のリスクを負ってでもすべきなのは、主だった戦場予定地の下見。地の利を制すれば、不利なセイバーやランサーにも一矢報いることが出来るかもしれない。
「確かにその通りだな、マスター。それでこれから出かけるってのか?」
「そ。早く支度なさい、キャスター」
「でもよ、もっと手っ取り早い方法があるぜ」
そういって彼は居間においてある鏡の前に立つ。そして鏡面に指を添え、唱えた。
「
刻まれたのはルーン魔術。すると鏡の中身は移す世界を変えた。
「……冬木市。俯瞰してるのね」
「『遠見』のルーンさ。これでこの街全域が見渡せる」
さすがは魔術師の英霊。
「……飽きた。やっぱ外行こうぜ」
唐突に映像を打ち切った。
「結局そうなるんじゃない。……でも、まさかその格好で出歩くつもり?」
連れ出すとなれば、当然キャスターの姿も周囲に晒される。せめて、そのいかにも魔術師って感じのローブじゃなくて、現代風なファッションをしてほしい。
「はあ? アンタ何言ってんだ?」
「だって服の替え持ってなかったじゃ――――まさか、ここで全身青タイツが!?」
「昨夜からしつけえんだよ、そのネタはよぉ! ……そうじゃなくて、霊体化できんだよ、オレ達は」
あ、そっか。サーヴァントはあくまで霊体。その肉体はマスターの魔力で維持してるんだ。
「そしてレイラインも繋がってるから、姿が視えずとも意思疎通は出来るのさ」
「へえ、便利なモノね、サーヴァントって」
「……ま、もっとも実体化して街を練り歩くのも悪かないがね。オレらの頃から随分様変わりしてんだろ、今の世は?」
興味津々といった素振りを見せるキャスター。そりゃコイツがいた頃から二千年以上経ってんだから気にもなるか。……別に、着替えてくれるなら彼を伴って冬木を歩くのに問題はない。ないんだけど……。
「それは次の機会になさい。今日は出来るだけ魔力を温存するんだから」
「へいへい、っと。構わねえさ」
こんな男と学園をサボってデートしていた、なんて噂が流れるのは優等生の沽券にかけて阻止したかった。
冬木の街は主に開発地区の新都と、住宅街の深山町の二つから成り立っている。東の新都と西の深山町を二分するように未遠川という川が流れており、そこに二つの街を繋ぐ冬木大橋が架けられている。わたしが住んでいるのは深山町。古くに移住してきた外国人が多い南側に位置する。洋の趣が色濃いこちらと違って、北側は純和風の邸宅が多い。そして北と南に挟まれた中央の住宅街は
「深山町はざっとこんな感じよ。とはいっても、さっき貴方が見た通りなんだけれど」
「確かに地理は頭に入ってるが、実際の雰囲気は足を運ばなきゃ判らんモンさ」
次は新都を回ってみるか。
橋を渡ると、景色がガラッと変わる。ある事件を境に発展してきたこの街には今や多くの高層ビルが建ち並んでいるのだ。ある事件、それはもう十年前の話になる。大火災。死者五百余名という悲劇を生み出したソレは人の営みを根絶やしにした。そのための再開発。今となっては当時の陰など視る由もない。
――――この場所を除いては。
「で、ここが冬木中央公園。キャスター、ここまでで何か質問は?」
「公園なんて名前のクセして、まったく一息つけそうな場所じゃねえな。……曰くつきなんだろ、ココ?」
「……ええ。ここは十年前の第四次聖杯戦争終結の地。聖杯が降臨したと
「
「知らないわよ、だって結局その聖杯を手に入れたという魔術師なんて現れなかったもの。わかってるのは、ここに聖杯の中身と思われる膨大な魔力の痕跡が残ってるコトだけ」
当時の聖堂教会の残存スタッフから伝え聞いた数少ない情報である。まあ、そんなこと言われるまでもなく、この場所からは魔力の残滓をもりもり感じ取れるんだけども。でも問題は、魔術師ですらない一般人の目から見てもこの公園は一種異様に映るらしいこと。そんな場所をサーヴァントなんて規格外の存在が読み取れば当然――――
「……淀んでるどころの騒ぎじゃねえな。この分じゃあ、めったに人も寄り付かねえんだろ?」
「さすがにお見通しよね。キャスター、貴方の眼からはどう視える?」
「怨霊どもで満員御礼って感じだ。しっかしここまでヒデェのはめったに見れねえぜ。これも聖杯の御業、ってか?」
聖杯。確かに残留する怨念と魔力を結びつければ、かの惨劇は聖杯が引き起こしたことになるかもしれない。……もしかして、聖杯ってロクでもない代物なんじゃ?
「ま、別にいいわよ。わたし、聖杯なんて使うつもりないし。危ないモノならさっさと捨てることにするわ」
「……ほう。いいのかい、マスター? 聖杯とやらは夢や願いをなんでも叶えてくれる、って触れ込みのはずだぜ?」
「そういうのは誰かに叶えてもらうんじゃなくて、自分でカタチにするのが筋ってモノでしょう?」
「なら、何のために? この闘いに臨むに至る目的は何とする?」
「決まってるじゃない。勝つためよ。目の前に戦いがある限り、わたしは勝って勝って勝ち続けるんだから」
キャスターが目を丸くする。モノを知らない小娘の戯言と思われたのかもしれない。でもまあ、コレがわたしの信条。他の誰に言われたって、改める気は毛頭な――――
「――――は、ははははッ! イイねえ、アンタやっぱ最高の女だわ!」
コイツ、人の誇りを盛大に笑い飛ばしやがった。
「し、しし失礼ね、笑うんじゃないわよっ! なら、そういうあんたは何のために戦うのかしら!」
「あん? んなの戦って、勝つ。この二つに決まってんだろうが」
当たり前のようにキャスターは言った。あまりの荒唐無稽さに呆然として、直後理解する。
「キャスター。貴方最高のサーヴァントね」
「だろ?」
わたしとの相性で召喚したわけでもないのに、ここまで噛みあうことってあるのだろうか? それとも古代ケルト人、それどころか名を遺した英雄様って皆こうなのかしら? 淀んだ空気に沈む心へと、心地よい一陣の風が吹いてくる。
「キャスター、そのクラスはともかくとして貴方を喚んだのは正か――――ッつ……!?」
右腕、ひいては手の甲に違和感アリ。令呪がじくりじくりと警告を発している。
……敵マスターだろうか? 視える範囲に人影は……いない。
「……キャスター、敵かもしれない。貴方に見つけられるかしら?」
「任せな。――――
実体化したキャスターが足元の小石に『探索』のルーンを刻む。するとどこを目指しているのか、ひとりでに動き出す石ころ。急造の神秘を纏ったソレが辿り着いた先には、なんと目玉が転がっていた。
「遠隔視の術か? 人間の眼ってわけじゃあなさそうだが……どれ」
キャスターが手に持とうとした瞬間、それはドロリと溶けて霧散した。
「……まずいわね。これじゃ一方的に情報を獲られたことになる。キャスター、まだ追える?」
「……いや、ちとキツイな。術者自身が対魔力じみたモノを持ってやがる。残滓程度からじゃ追えやしねえ」
……やられた。
サーヴァントという兵器を使う聖杯戦争において、情報とは通常の戦争と同様に勝敗を決する重大な要素となる。たとえどんな大英雄を喚んだとしても、それがジークフリートやアキレウスと露見されれば、背中や踵を集中砲火されて敗退せざるを得なくなる。今相手にバレたのはルーンを扱うキャスタークラスのサーヴァントだということ。真名がバレてないから大丈夫、なんて楽観視は以ての外。少なくとも、敵サーヴァントは直接肉体にルーンを刻まれないよう立ち回ることになるだろうし、高い対魔力持ちならば早速こちらが宝具を開放するハメになる。……わりと致命的一歩手前。
対してわたしが敵から得た情報は、相手は何かの目玉を媒介とする対魔力持ちの誰かだということ。さっきのは明らかに魔術。少なくとも三騎士や騎乗兵のような連中が片手間に行使するような術法ではなかった。だとすればキャスター……がありえないことは隣りにいる存在から先刻承知だ。ならば最後の選択肢、対魔力持ちのマスターか。
……もしかすると甘く見ていたのかもしれない。
否。このザマを見よ。部外者相手にまんまと出し抜かれているではないか。井の中の蛙が激流に打たれているのがこの状況だ。
「……上等。来るんなら来てみなさいよ」
「おいおい、血気盛んなのは結構なことだが、今日は本調子じゃないんだろ?」
「ここまでされたら相手の面拝まなきゃ割に合わないじゃない!」
「やれやれ……まあいいさ、オレもしてやられて腹に据えかねてたんだ」
今日一日、街中練り歩いて暴き立ててやるんだから――――!
新都を巡り巡る。倉庫街や外人墓地などの当初の目的も兼ねた、いかにも戦端が開かれそうな場所から、ビル街や
「……彼女、和久津さんかしら?」
ヴェルデの出入り口付近に見知った人影。手には服でも買ったのか、買い物袋をぶら下げている。そんな彼女に伴って歩くのは――――
「……桜もいっしょなのね。なんだ、結構楽しそうじゃない」
「知り合いらしいな、マスター。なら、挨拶の一つでもしてくりゃどうだ?」
「いやよ。わたし、今日は学校サボっちゃったんだし、彼女たちに合わせる顔がないわ」
お楽しみのところを邪魔するのも悪い。そろそろ河岸を変えるか、と思い立った時、二人のそばを一人の外国人の男が横切る。とても整った顔立ちだ。ともすればナンパか、とも思ったが彼の側は何のアクションも起こさず通りすぎようとする。
そう、行動に至ったのは男の方ではなく――――
「……桜? どうしたのかしら……」
あの一年生が外国人に詰め寄っていた。対する彼と和久津さんの表情には困惑しかない。……一応聞いておくか。
「キャスター。彼、人間?」
「見りゃわかんだろ。あんなモヤシがサーヴァントでたまるかよ」
そりゃそうだ。キャスターにも感じるようなサーヴァント特有の濃密な気配を彼には全く感じなかった。一瞬アサシンなら、とも思ったけど実体化して姿を晒していたなら言われずとも判断がつくだろう。……心配のし過ぎだ、アレは本当にただの一般人。
あちらの方は和久津さんが代わりに相手に頭を下げ、取り乱した後輩を連れて帰路に着いている。外国人の方は最後まで当惑気味で、けれど和久津さんの謝罪に対して柔和な笑みを見せていた。
探索を終える。結果として大した成果を上げられなかったけれど、わたしとしてはさっきの摩訶不思議な光景の方が胸に引っかかっていた。
……ほんと、なんだったんだろ、アレ。
冬木市の位置関係の把握については、FGOのzeroイベントマップが大いに役立ってくれました。