ハイスクール・フリート・プラスワン・アンド・アザー 作:オーバードライヴ
自慢をすれば、貶める
謙遜すれば、持ち上げる
そしてあくまで逆らいつづける
彼がついにはおのれを
不可解きわまる怪物だと悟るまで。
――――パスカル『パンセ』ファイルA七より一三〇節 塩川徹也訳 岩波文庫
船出のラッパは鳴り響く
西洋において、船はいつの時代も女性名詞だった。船が前に進むために櫓や櫂で水を掻く必要があったころ、その乗り手は男性のほうが有利だった。男が乗り回して、コントロールするのが船だ。下世話な話ながら、男が『乗る』なら男同士よりも断然女の方がいい。船が女性名詞である理由はおそらくそんなところだろう。言語学者ならこのあたりは詳しいのだろうが、生憎船乗りにとってはそのあたりはいらない知識なので詳しくは知らない。それでも、いつだって船が女で、乗組員が男だった。海はいつだって男のものだった。……と聞いている。
それはもう百年も前に廃れた話だ。今の日本においては多少の例外があるが、国有艦船に配置される艦長・船長は基本女性だ。それも、若く柔軟な思考を有する優秀な女性が充てられる。男が海上の主導権を握ることはなくなった。野郎は精々スキッパーの艇長が関の山、そこから先は陸上勤務でのし上がるしかないのが現状だ。
「世知辛い世の中になったねぇ……」
「何かおっしゃいましたか、柳先生?」
「いや、なにも」
「そうですか。……煙草なら喫煙所でお願いします。くれぐれも子どもの前では吸わないように。陸上勤務者用の職員室は子どもも入るのをお忘れなく」
「へいへい」
「子どもの模範になるような言動を心掛けてください」
「はいはい」
「はいは一回」
「はいっと」
同僚の口うるさい女性から逃げるように職員室を出て屋上に向かう。どうも海上職の部署は男性の肩身が狭い。男女共同参画社会が叫ばれて十幾年経ったが、女尊男卑の風潮は御免被りたいところである。
「……まぁ、教育専門の部署は、肌には合わないんだろうなァ」
生徒がいないことは既に確認済だ。最も、普通教育校の高等部にあたる横須賀女子海洋学校の喫煙所に生徒がいたら
「……」
紫煙を吐いて、口から放す。垂らした右手で煙草を叩き、灰皿に灰を落とした。
「ったく、難儀なもんだよ。こうなっても海にしがみついてなきゃいけないんだ。救われねぇなぁ、俺も」
愚痴が出る。良くない兆候だ。この後は入学式の後二十一期生を迎えなければならない。愚痴っている余裕は残念ながらない。
目を細める。
「……らしくねぇな、全く」
もう一度煙草を口元に当て、かなり短くなっていることを知る。もったいなかったか。一息吸いこめば、フィルター直前まで赤くなって、灰となる。
「らしくねぇ、ほんと」
灰皿に煙草を落として、伸びを一つ。屋上から視線を下ろせば、教育艦用パースに泊まった船が良く見えた。艦番号Y467、艦名『
あれに、乗るのか。
それを思うと少々気が急く。2年ぶりの海上勤務だからだろうか。それで気分が高揚するほど単純ではいられないことはわかっているはずだ。それを教えていかなければいけないことも、わかっているはずだ。
「……全く、俺らしくねぇよ」
屋上から背を向ける。入学式開始まで後20分を切っていた。
†
「おー、揃ってるか」
晴風の食堂兼集会室に入ってきた先生を見て、宗谷ましろは一瞬、うっ、と言いたげな表情をした。クラスの中も、男の人……? と言いたげなざわつきがある。
ましろが「うっ」と言いたくなったのはその風貌のせいだ。長身を持て余すように若干猫背で入ってくるその男は背広タイプの教員服のワイシャツの第一ボタンを開け、だらしなくネクタイを締めている。髪と髭は整えた跡があるものの、普段はあまり手入れをしていないのか、痛んでいるのがわかる。女子高に出入りするのに適切な恰好かと問われれば、答えに窮するレベルであるのは間違いない。
「頭数は揃ってるな、優秀優秀」
そういう声は疲れているのか、少しテンションが低い。落ち着いているというよりは、ダルそうという雰囲気だ。ましろにとっては……教官としてはあまり相応しくない印象を持った。
「艦長、号令を」
「あ、はいっ! 起立!」
その掛かった声にましろは立ちつつ、もう一度驚愕。『アレ』が艦長なのか。私を海に突き落としたあの子が。立ち上がってから声の出どころを確認する。明るい茶髪のツインテール。間違いない、アレが艦長だ。
ついてない、ほんとついてないと人生何度目になるかわからない嘆きを心の中で叫びながら教卓に立つ先生を見る。右手に持っていたタブレット端末を教卓に乱雑に置くと一瞬目礼をして、着席してよしと号令をかける。左手をポケットに突っ込んで、黒板に軽く寄りかかる。
「まずは入学おめでとう。晴風クラス担当教官を務める
ラフな口調でそう言って教卓に置いたタブレットを操作する柳を見て、ましろは軽くイラついてくる。担当教官が乗り組むのは必要なことだし、必要以上に壁を作りたくないのはわかるが、顔合わせぐらいはかちっとした方がいいと思うのだ。もしこれでかちっとしているつもりなのだとしたら、……教師としては如何なものだろう。
「入学して早々の航海は『船乗りは海から学ぶしかない』という海洋学校の教育方針によるものだ。この時期ではどんなに優秀な生徒を集めても、必ずトラブルが発生する。今回の晴風クラスでも何らかのトラブルが発生することになるだろうが、各員に配布されたマニュアルを参照し、どんなに時間が掛かっても安全に切り抜けることが今回演習の目標となる。決して航行速度を競うものでも、攻撃の正確性を競うものでもないことを肝に銘じてくれ。まずは安全な航行を身につけること、話はそれからだ」
柳の言葉は正しいが、どこか軽薄に見える。マニュアルを参照すればおそらくその服装はアウトだ。
「……不服かい、宗谷ましろさん」
そう思っているといきなり声をかけられた。
「……いえ、なんでもありません」
「教官なんだから入学式後の初顔合わせの時ぐらいしっかりと服装を整えてくるなりなんなりしろ、とか思ってそうな顔をしているが?」
「……なんでも、ありません」
目ざとく言い当ててきて、少し居心地が悪い。
「そうか、残念」
「……はい?」
ましろが狐につままれたような顔をする。柳は肩を竦めた。右手でタブレットをなぞり、時計を見る柳。
「出港用意までまだ時間がある、5分ほど話をしようか、海洋学校を卒業した先、君たちはどういう進路に進む?……じゃぁ、知床さん」
「ひゃいっ!?」
席の後ろの方でいきなり驚いたような声がする。
「えっと……その、ブルーマーメイド、です」
「そうだね。その養成校の一つが横須賀女子海洋学校だ。ここに入学した段階で君たちは学生という身分ながら、国土交通省の一般職国家公務員という立場を得る。では
話を振られて淡いブラウンの長髪を揺らす納沙
「海上における船の行き来の安全を確保することです」
「具体的には?」
「航路維持業務と警備業務、救難業務の三つに分けられ、それぞれシーレーン確保に係る航路の啓開、海上における犯罪行為の取り締まり、要救助者の救出などが当てはまります」
「百点満点の答えだ、その通り。それで海上交通の維持管理を行うことになる。実務を行うのは安全監督隊のブルーマーメイドとホワイトドルフィン、それらをすべて掌握するのが国土交通省の内部部局である海上安全整備局だ。君たちがブルーマーメイドとして配属された暁には、その最前線に立つことになる。海上警察としての役割を担うことになるから、特別司法警察職員としての役割、そして救難員としての役割。その二つを担うことになる」
難しい言い方をすればそうなるわけだ、と言って柳はタブレットをいじる手を止めた。プロジェクターが起動し、黒板に何かの投影を始めた。
「君たちは安全な海の往来を守るため、皆の命と安全を守るため、誰かの自由を制限する立場になる。そしてそのために君たちが乗る船は諸外国で軍艦と呼ばれるような、重武装の艦艇だ」
投影されたのは晴風と同じ陽炎型航洋艦の図面だ。
「実弾を使えば、普通の船なら一発で沈む。装甲を持つ船でも技術さえあれば、沈めることが可能だ。やろうと思えば乗員もろとも海の藻屑にすることもできる。……それだけの権力を君たちは近い将来、手にすることになる。その時には誰に対しても公正に、かつ厳格に対処を求められることになる。したがって、服飾規定を守っていない柳教務主任補に注意をすることは間違っていないし、的確な判断だ。そして、それを指摘することは職務に忠実であり、推奨されることだ」
柳はそう言って襟の第一ボタンを留め、ネクタイを締め直した。それだけでかなり印象が変わる。
「多分これなら及第点に収まるかな……っと。宗谷さん、なんだか悪者みたいにしてしまってすまなかった」
「いえ、こちらも申し訳ありませんでした」
ましろが頭を下げる。柳は肩を竦めた。
「まぁこんな感じで、適度な礼節を保ちつつも上下をあまり気にせずに行こう……しかし、これから先の航海では相手が委員だからとか、教官だから、相手の方が偉いからというだけで意見しないというのは許されない。そのミスや甘えがトラブルを生んでいく。艦長・副長をはじめとした委員は自分の指揮下にあるクルーが意見をしやすい環境を整え、その声に耳を傾けることが求められる。それをおろそかにしたら、ミスがミスで済まなくなり、結果として周囲を盛大に巻き込んで破滅する」
黒板に投影される情報が切り替わった。いきなり文字が大量に表示される。
「『なつしま』沈没事故、殉職三十一名。『かざなみ』の二重遭難事故、殉職十五名。『ちばや』船内火災、殉職三名……君たちが飛び込む世界は一つのミスを見逃したら、文字通り人が死ぬ世界だ。自分のミスで誰かが死ぬ世界だ。助けるべき人を目の前で失う世界だ。それでもそれを少しでも減らすため、海の安全を守るため、誰よりも危険な現場に飛び込むことを求められるのが、我々海上安全整備局の職員であり、ブルーマーメイドだ。君たちはその覚悟をもって志願したものと信じている」
そう言って映像を切った。場が静まりかえっている。誰かが息を飲むような音が響く。
それを聞いて柳は表情を緩めた。
「まぁ、いきなりそんなヤバイことにはならないだろうから、ガチガチに緊張しなくても大丈夫。適度にリラックスしていこう。なにか質問は? ……何もない? では、出港用意にかかろうか。各員持ち場について」
そう言って、柳は集会室に入ってきた時と同じようにどこかダルそうに出ていく。右手に下げたタブレットを気にしながらドアを潜るのをましろはどこか呆けたように見送った。
掴み所が全くない人だ。真面目なのか不真面目なのか、どういう人なのか見当もつかない。
なんだか面倒なクラスに配属されたかも。
クラスの艦長がなぜか走って集会室から出ていくのを見ながら、ましろはそう思っていた。
†
「柳教官!」
廊下の角まで走ってなんとか声をかければ、柳教官はゆっくりと振り返った。昔に本で読んだようなちょい悪の先生といった雰囲気の柳を前に明乃は息を整える。
「どうした、岬さん」
「あの……どうして私が艦長なのでしょう。その、私は……艦長になれるほどの成績では……」
「気になるかい?」
当然気になる。航洋艦とはいえ、艦長には成績優秀者が就くはずなのだ。明乃自身、成績優秀な自覚はこれっぽっちもない。テストは直前で確認したところがことごとく出題されるという、一生の運を使いつくした感もあるラッキーによるものだ。それでも入れたのが奇跡といえるレベル。中学の担任には何度も制止を受けての受験だったわけだし、とにもかくにも艦長となるような成績は治めてないはずなのだ。
「成績か……一つアドバイスをするなら、あんな意味のない試験は全部忘れた方がいい」
「へっ!?」
教師と思えぬ爆弾発言に素っ頓狂な声を上げると柳は人差し指を唇に当てた。
「宗谷校長とか古庄教官に聞かれると大目玉喰らうんだけどな、私的にはあんなぺラいマークシートで船乗りの素質が見極められるならとっくに海は楽園になってると思うぜ。勿論最低限の知識があるかと目標に向かって努力できるかの指標にはなるけど、まぁそれぐらいしか意味がないやつだから、アレで君たちの役職を決めてるわけではないことだけはわかってくれ」
そう言って笑みを浮かべる柳。いきなりそんなことを言われたせいで理解が追い付かないが、とりあえず試験の成績で決まった訳ではないらしい。
「えっと……なら、なぜ……?」
「君はどういう艦長になりたい? 理想の艦長はどんな人だ?」
質問で返されて少し戸惑うような表情を浮かべた明乃。その答えを柳はゆっくりと待った。
「えっ……それは、船の中の……その……『お父さん』みたいな人……その、海の仲間は、家族なので!」
自信がなさそうな物言いから、後半に行くにしたがってどんどん明るくなる明乃の声。それを聞いて柳はどこか嬉しそうに顔を緩めた。
「なら、そんな艦長を目指せばいい。それに、艦長とかの組織の長に求められるものは実は本人が仕事をできるかどうかじゃない」
そう言うとタブレットを下げた右手で頭の後ろを掻いて柳は言葉を続けた。
「仕事には向き不向きがある。それを補えるのがチームだ。今回は晴風のクルーだな。その向き不向きを把握して的確に指示を出すことができること。それが艦長に求められる素質だと私は思う」
そう言うと柳はくるりと背を向けた。
「納得いかないこともあるだろうが、どんなに理由を並べたところで、ソレに自分が納得して、向き合わないことにはどうにもならない。ここから先は自分で答えを出しな。この晴風はお前の船だ、お前の指示で皆が動く、気張れよ、新米艦長」
手をひらひらと振ってどこかにふらりと歩いていく岬。明乃はそれをぽけっとした顔で見送って、数瞬考えを巡らせた。とりあえずは私が艦長に選ばれたのはミスでも何でもなくて、なんかよくわからないけど理由があって、それは自分で考えなきゃいけないことらしくて……
「結局、私は何をすればいいんだろう……」
「艦長さん、どうしましたー?」
「ふぇっ!?」
後ろから声をかけられて、明乃は慌てて振り返る。明るい色合いの髪がふんわりと揺れる女の子が小さく首をかしげていた。
「えっと……納沙幸子さん? 書記さんの」
「あれ、私名乗ってましたっけ?」
「さっき柳教官に当てられてすらすら答えてたから……」
そう言うと幸子はどこか納得した顔をする。
「そろそろ出港用意の時間ですし、艦橋に向かおうかと……」
「あ、そうだね。うん。行こう!」
そう言って幸子と一緒に歩いて右側舷のデッキを歩く。見上げる位置にある艦橋をちらりと見る。
「きれいでかわいい船ですよねぇ、晴風って」
「だねー。えっと、ココちゃん」
幸子がどこか頭にハテナを浮かべる。
「幸子ちゃんだから、ココちゃん。同じ船のみんなだし、納沙さんとか幸子さんとか、堅苦しいのはまずいかなぁって……嫌だった?」
「ううん、少し驚いちゃったけど」
「ならよかった! よろしくねココちゃん!」
そう言って艦橋に入ると羅針盤の上にでんと鎮座するそれを見て幸子と明乃は目をぱちくりとさせた。
「あれ、いそろく?」
明乃が丸い印象の三毛猫に対してそう言うと、左舷側から艦橋にやってきたましろが素っ頓狂な声をあげた。
「いっ!?……お前がっ……いえ、艦長が連れてきたんですか?」
「勝手に乗り込んじゃったのかなぁ、いそろくー、誰に付いてきたのー?」
明乃が三毛猫を撫でているとふいと顔を振ってましろの方を向く。
「しろちゃんに付いてきたの?」
「ないないないない! 絶対ないっ! あと『しろちゃん』ってなんだ!?」
「え、ましろちゃんだから、しろちゃん」
「そんな気安く……」
ましろが明乃に噛みつこうとしたタイミングでベルが鳴った。出港用意の鐘の音だ。
「あっ、出港用意しなきゃ」
「この猫も連れていくのか!?」
「降ろしてる時間ないし、猫はネズミを捕まえてくれるから大丈夫だよ」
「猫と一緒に航海……」
「じゃぁ、いそろくは大艦長ということで!」
「しかも私より階級が上……!?」
がっくりとうなだれるましろだが、明乃は気にした様子もなく、用意を進めていく。そこに飛び込んでくるのは黒い髪を二つ縛りにしたどこか気弱そうな女の子だ。
「すみません! 遅れました! わ…私航海長の知床鈴です!」
「うん、りんちゃんよろしくね。あとは……砲術委員の立石志摩さん……だよね?」
「うん……」
光の当たり方によっては銀にも見える白髪を僅かに揺らして志摩がうなずく、艦橋組はこれでそろったことになる。そこにひょっこり背の高い男が顔を出した。
「おー、揃ってるな」
「柳教官……」
「岬艦長、状況は?」
「総員配置についてます、今から錨鎖を仕舞うところです」
「了解了解、順調順調。何か困ったら言えよ」
柳はそう言うと白手袋を陽の光に翳すようにひらひらさせて、艦橋の壁に寄り掛かった。出港のラッパが鳴り響くが音程を外していて、柳がずっこけそうになっている。
「あとで練習させなきゃまずいか、あれ」
ぼそっと言った柳の声に納沙が苦笑いを浮かべる。
「……錨鎖収め、よし! 機関、前進微速……でいいですか?」
「おいおい艦長が指示を出すんだ。教官じゃねぇ、自信もってやりな」
「は、はい! 機関前進微速! 晴風、出港!」
明乃の声が響く。機関の振動が変わり、ゆっくりと晴風が動きだす。
4月5日午前11時24分。
横須賀を出た晴風は一路西ノ島新島沖を目指し、南に向かっていた。
初めてしまった感がヤバイですが、スタートです。
はじめまして、キュムラスです。
完全不定期更新になるかとおもいますが、よろしくお願いいたします。
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次回 理不尽な演習の火蓋が切って落とされる
どうぞ次回もよろしくお願いいたします