ハイスクール・フリート・プラスワン・アンド・アザー   作:オーバードライヴ

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賽子を振ったのはだれか

 

「こんな時にライトもアウトか、まいったね」

 

 柳はレンズと発光体が破損したフラッシュライトを片手に笑う。眉の上あたりから血が流れているのを気にしながら顔を上げた。

 

「副長の腕の傷は大丈夫か?」

「私よりも教官の方が重傷でしょう」

「頭の傷は派手に見えるだけだ、出血量だけなら絶対副長の方が多いぞ」

 

 そう言って柳は傷には触れないように気をつけながら、流れる血をぬぐった。インフォメーションイルミネーターのプラスチックレンズの欠片が見事に顔を切り裂いたのだ。残った破片が目に刺さると危険ということで柳はライトの柄を使ってイルミネーター側に残ったレンズを粉砕して取り除いた。おかげで眼鏡のツルの部分だけが残って不格好な見た目になっている。それでも無線がそのツルに仕込まれているのだから仕方がない。それに柳は両耳の鼓膜が破れた都合上、集音マイクの音を骨伝導イヤフォンから流さなければ音がはっきりと聞こえない。必要な処理だ。

 

「暗闇で負傷、メインのロープは回収する前に切れた……控えめに言って絶望的だが、どうするね?」

「どうするもなにも、脱出するには……」

「崖上りしかないわなぁ……艦長、指定された04デッキまで来たがここから先はどうすればいい?」

 

 柳は目の前で上下に広がる廊下の前でそう言った。04デッキは平時なら甲板に一番近い上部デッキだが直立状態のため、最上部とは程遠い位置にいることになる。ここからいったいどうやって脱出させる気だ。

 

《落ち着いて聞いてください》

 

 明乃の至極冷静な声がインカムに届く。普通のマイクを使っているのか、周囲の音が混じる。海水が波打つ音。ウィングに出ているのだろうか、柳には判断がつかなかった。

 

 

 

 

《これから……新橋商店街船を撃沈します》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    †

 

 

 

 

 

 

 

《……なるほどな》

 

 黙りこくってしまった柳に作戦を伝えると、含み笑い交じりのその声がそう告げた。

 

《いいだろう。どうせこのままじゃジリ貧だ。暴れるだけ暴れてみろ。自信はあるんだな?》

「絶対の自信はないです。でも、これしかないと思います」

 

 そう告げれば、柳の高笑いが聞こえてくる。

 

《全く、さっきの今で切り替えが早くてほんと驚くぞ、艦長》

「へ?」

《なんでもない、コッチの話だ》

 

 柳はなぜか楽しそうな声色に変わっている。彼のどこか獰猛な笑みを幻視する。

 

「リスクを取った愚か者だと笑いますか?」

 

 明乃の頭の中に、彼が北条沙苗に放った言葉がリフレインする。何かを変えるためにたくさんの犠牲を強いる方法は間違っていると。

 

《まさか。それが君の選択の結果だろう? 晴風の艦長として、皆を救おうと足掻いた末の願いだろう? それを鼻で笑えるほど達観しているわけでもないし、まさか私は神ではない。それについてくる成果なんて知ったこっちゃない》

 

 それでも、と柳は続けた。

 

《やってみろ。すくなくともそれで私が死んでも、君を責めるつもりは毛頭ない》

 

 彼の言葉に明乃は頷く。見えているはずもないが、彼も頷いた気がした。

 

《実弾の装填を許可する。……私と副長の命、預けるぞ》

「預かります。……柳教官としろちゃんはそこで待機願います」

 

 無線を切り替えて振り返る。左ウィングから艦橋の中に戻った。

 

「マロンちゃん」

「浸水区画の割り出しと破壊目標は算出したけどさぁ、艦長、本当にやる気かい?」

「これ以外に方法がない。前部区画が変な形で安定しちゃってるから、これを崩さないと」

 

 柳原麻侖が溜息をついて大きな紙を艦橋の後部の壁に張った。A4用紙をたくさん張り合わせて作った、新橋商店街船の詳細な艦内図だ。

 

「作戦には晴風のほかに短艇一隻とスキッパー二隻が必要でぃ。特に一号スキッパーは商店街船沈没直前まで近づいている必要があるから、相当な腕とスキルが必要となんだが……誰がいく?」

「登録通りならりっちゃんだけど、短艇の方が適任だよね……」

 

 明乃はそう言ってからしばし逡巡。答えを出す。

 

「私が一号スキッパーに乗務、現場指揮をとります。タマちゃん、いい?」

「うぃ」

 

 ヘッドセットとヘルメットで完全防備状態の立石志摩が大ぶりなハードケースを手に頷く。

 

「なら、一号スキッパーには私とタマちゃん。二号スキッパーにはサトちゃん。短艇にはりっちゃんかよちゃんとマッチで展開。晴風自体の指示はリンちゃんお願い。全体統括は私がやるから従ってほしい」

「わ、わかりました」

 

 知床鈴が緊張の面持ちでそういう。

 

「大丈夫……?」

 

 納紗幸子が心配そうに、明乃に声をかける。明乃は笑みを浮かべようとしたが、その笑みを消した。

 

「大丈夫かどうかは自信がないけど、今はやらなきゃ。しろちゃんたち助けないといけない。弱音を吐いてる余裕はないから」

 

 そう言ってそっと艦長の象徴である制帽に触れる。

 

「それに……神様はサイコロを振らないんだ」

「え……?」

 

 明乃の声に幸子はどこか戸惑う。これまでの明乃なら言わないであろう言葉が飛び出してきたからだ。

 

「きっとあの人は私たちを試してる。だからギリシア語のメッセージを残したし、あんなことを言ったんだ」

 

 あの人というのが消えた北条であることは容易に想像できた。明乃の目線は鋭く、どこか遠くを見ているようにも見えた。

 

「神はサイコロを振らない。……お父さんがそう言っていたんだ。神様はいるかもしれないし、全てを決めているかもしれない。人間にはわからないかもしれないけど、きっとすべてに理由があって、それを知ることで道ができる。それを解き明かすのは、神様の仕事じゃなくて、人間の仕事だって」

 

 明乃の目線が一瞬落ち、再び上がった時、彼女の目はちゃんと今を見ていた。

 

「だから、神様はサイコロを振らない。振るのは私たちなんだ。神頼みにしちゃだめだ、運に任せちゃだめなんだ」

 

 明乃はそう言って、艦橋を見回した。西崎芽依が、立石志摩が、納紗幸子が、知床鈴が、明乃の指示を待っている。彼女たちの部下もまた、指示を待っているはずだ。

 

 

 

「助けるんだ――――私たちで」

 

 

 

 皆が頷く。明乃は震えそうになるのを堪えた。一人ではない。皆が、不安なはずだ。それを押し隠して、指示を待っているのだろう。だから、明乃もそれを押し隠す。

 

「状況を開始します。ココちゃん、情報統合をお願い。マロンちゃん、攻撃箇所の指示は一任します」

 

 幸子と麻侖が頷く。

 

「メイちゃんは艦砲の照準指示。専門じゃないのは知ってるけど、お願い」

「しろちゃん助けないといけない訳だし、大丈夫、ヒカリちゃんたち砲術部は優秀だし何とかなるでしょ」

 

 芽依がそう言って笑う。

 

「リンちゃん、商店街船の周りを一周て距離を調整して。艦尾側、三番主砲を使用するから進路の固定を」

「りょ、了解です!」

「タマちゃん、いこう」

 

 頷いた志摩を連れて、艦橋を出る。かけた統合型情報表示装置(インフォメーション・イルミネーター)が状況を伝え続ける。

 

「いま、助けますから」

 

 無線を切り、呟いた言葉がどこにも届かず空に溶ける。いつの間にか月明りが覗き始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

    †

 

 

 

 

 

 

 

「水飲んどけ、この後はきっとランニング大会になる」

 

 応急パックの中に入っていたパウチの水をましろに投げて、そう言った。

 

「はい……」

 

 柳は壁に背中を預けて座り込むと、ショットガンに弾薬(ショットシェル)を詰めていく。明るいところだと緑色のプラスチックのスリーブが見えただろう。ドアの蝶番や錠前の破壊に使うスラッグ弾だ。

 

 ましろは反対側の壁に寄り掛かるようにして座り、その様子を窺っている。それを多門丸が見上げて、気遣うようににゃぁと鳴いた。

 

「……なんでこんな時にそんな楽しそうなんですか?」

「焦ったって仕方がないからな。それに主導権は今、岬艦長が握ってる。うまく合わせるしかないが、いいもんだろう」

 

 ましろの声はどこか非難じみていたが、柳はどこ吹く風だ。

 

「精神状況は表情や行動で制御できる。辛くても楽しくなくても、笑えばドン底感を少なくするくらいはできる。無理にでも笑った方がお得だ。それに、今晴風クルーが私たちを助けようとしてくれている。その艦長が待てと言ったんだ。岬明乃はかなり無茶な指示を飛ばしてくるだろうし、それに答えるためにも休んどこう」

 

 そう言った柳がパチンと装填口(ローディングゲート)を閉じた。

 

「……教官は、慣れてるんですね」

「場数は踏んでいるが、慣れてはないよ。慣れていいものではないしね」

 

 柳はそう言ってごそごそと何かを捜しているようだが、諦めたように肩を竦める気配。

 

「煙草でも持ってくるんだったか、口が寂しくなるな」

「こんなところで吸って引火したらどうするんですか」

「それもそうだな」

 

 背中を壁に預けるようにして柳は手にしたショットガンを確かめるように振った。

 

「……私は以前、官僚だった」

「いきなりなんですか?」

「口が寂しいと言ったろ。暇つぶしに付き合ってくれよ」

 

 柳の声にましろは黙る。それを認めて、柳はなぜか、ありがとうと謝辞を述べた。

 

「日々書類と格闘し、英語をフル活用しながら諸外国とメールで()()する。中央官公庁の中に国防専門部署を持たない日本において、国土交通省は実質的な領土防衛の最前線だった。物流を維持し、国土を維持し、人の安全を維持する。国交省はそのために存在している。北条の言う通り、私は確かに紙とペンで武装した戦士だった。書類で国民全体の生活を守る、一騎当千の騎士だった」

 

 柳はそういうとどこか影のある声を漏らした。

 

「勉学・身体技術ともに、人並み以上に優秀な自覚があった。実際に私はなんの不安もなく国土交通省に入省した。海事局安全政策課に配属になり、外国政府と直接やり取りする国際業務調整官組織に配置され、私は太平洋島嶼部担当として書類を捌いて、電話をかけ続けた。それが国防に、この国の誰かを救うことになると信じてね」

 

 柳の言葉は乾いている。諦めたような、哀しい色を帯びた、無味の言葉。

 

「海上輸送の安全確保のために様々な書類を作った。各国との通商協定を順守しようとすれば数百枚単位で書類が飛ぶ。占領地域開発援助政府間協定……ガドゥリオア協定に基づく安全監督隊の国際警備派遣の手配なんて大仕事もしたな。……それをこなしているうちに、安全監督隊への出向命令が出た。いきなり一等海上安全整備士相当官としての仕事だ。……そこで、現実を見た」

 

 ショットガンが抗議するように音を立てた。柳がそれを抱く。

 

「報告書に上げられる数字がどう生まれるのか、知らなかった。頭で分かっていても、肌では知らなかった。文字どおりの命がけで紡がれた状況が、A4書類片面一枚になって報告に上がることから目を逸らしていただけだ。それに気が付いたら、戻れなかった。だから今、俺はこうして銃を握っている」

 

 一人称が切り替わった。それに気がついて、ましろは目を伏せる。

 

「俺は、馬鹿だっただろうか。目の前で失われる命に拘泥し、権力を捨てた自分は、愚かだっただろうか」

 

 柳の言葉はそこで途絶えた。重い沈黙、金属が軋む音が間を埋めた。

 

「……悪い。脱出前の気合を入れるべき時に聞くべきではなかったな。忘れてくれ」

「いえ……」

 

 そうだけ答えたましろは、必死に言葉を捜す。答えにはならなくとも、言葉を返さなければならない気がしていた。

 

「それでも……教官は間違ってないと思います」

「……だと、いいがな」

 

 そう返したタイミング、無線が入感。

 

《そろそろ行きます。床側の方に寄っておいてください》

「了解。次の指示を待つ」

 

 柳はそう返して、無線を切る。背中を預けている方向がもともと床であることを確認してからましろにこちらに来るように手で招いた。

 

「さて、目の前の命に拘泥した人間が、どういう結果を残すのか――――――始まるぞ」

 

 直後、足元から轟音が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

    †

 

 

 

 

 

 

 

《こちら野間、離脱完了。無事ワイヤーを設置しました》

 

 無線がそう告げる。それを聞いて明乃は無線のトークスイッチを操作した。

 

「わかった。もう短艇に戻った?」

《戻ってます》

「なら短艇は一時離脱。晴風の射線から離れてください。りんちゃん! メイちゃん! 用意は?」

 

 明乃が乗ったスキッパーは既に海上に出ている。後ろのスペースには立石志摩が完全防備で乗っていた。丁度新橋商店街船の甲板が見える位置にスキッパーを進め、エンジンをアイドルに絞って停止していた。晴風は新橋商店街船を挟んでちょうど反対側にいる。新橋商店街船を照らす探照灯の影で、黒く沈むデッキを見上げる。

 

《こちら知床、よ、用意できました……!》

《こちら西崎。ヒカリ・みっちん・じゅんじゅん全員用意よし、いつでもいけるよ!》

「ありがとう! 避難の人たちは全員艦内に収容してるね?」

《うん。確認した》

「オッケー。……ここから先は麻侖ちゃん、お願いできる?」

 

 明乃が話題を振ると、緊張でカチコチの声が返ってくる。

 

《が、合点でぃっ!》

《ちょっとマロン大丈夫?》

《く、クロちゃんには言われたくねーってんでぃっ!》

 

 無線に割り込んだのは艦橋に呼び付けられていた麻侖の代わりに機関室を取り仕切っている黒木洋美の声だ。

 

《これくらい計算できなくて機関長が務まるわけねぇ。応急部門を抱える機関科の意地を見せてやんよぅ!》

 

 普段より硬いながらも威勢よく帰ってくる答えに明乃は笑った。

 

「よし、じゃぁ準備よーし! 始めよう!」

《おう! 主砲目標、新橋商店街船、船底12ブロック左側!》

 

 麻侖の声が無線に乗る。

 

《照準よーし!》

 

 無線に乗ったのは日置順子の声、砲撃手の彼女の声はいつものハリのある声に戻っていた。その頬にはガーゼが張られ、痛みもまだ残っているはずだ。それでも任務に就いてくれている彼女を思い、明乃は気を引き締める。けが人に鞭打ってまで行っている救助活動だ。失敗などしてたまるものか。

 

《――――撃てっ!》

 

 芽依の声。同時に爆炎、轟音。新橋商店街船が大きく揺れた。

 

「晴風機関前進! 前進第三船速!」

《前進よーそろー! 第三せんそーく!》

《第三船速!》

 

 明乃の指示に合わせて鈴と洋美の声が返ってくる。晴風の機関が唸る音が聞こえてきた。そしてそのまま機関の回転数が上がり、速度が著しく落ちる。金属の悲鳴が響く。

 

 晴風が前に進めない理由は単純だ。新橋商店街船の天空を向いた舳先に、太いワイヤー結わえ付けられており、それを引っ張っているからだ。水の抵抗を著しく受ける商店街船の形は晴風一隻で楽に引っ張れるものではない。そしてそもそもとして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

《12から13ブロック浸水、主砲目標15ブロック右!》

《射角調整、左1.2、下0.5!》

 

 麻侖と芽依の声に合わせて主砲が角度を変えているのだろう。明乃からは新橋商店街船が邪魔になって見えない。だけれども、きっとこれは間違っていない。

 

「タマちゃん、多分そろそろ」

「うぃ」

 

 明乃に答えて、志摩が後部シートでごそごそし始める。彼女の手に握られているのは……大口径の、狙撃銃。

 

「使い方は大丈夫なんだよね?」

「大丈夫」

 

 半開の位置で止めたスキッパーの姿勢安定板(スタビライザー)を足場にして、座席に銃を預ける。そして、その銃を構えた。

 

《タマ! 用意はできてんな?》

 

 麻侖の声。それに頷いて答えた志摩の様子を見て代わりに明乃が答える。

 

「一号スキッパー、用意良しだよ!」

《甲板上左舷10ブロックに露出してる配管の分岐弁、破壊できっか?》

 

 そう言われ明乃も目を凝らした。統合型情報表示装置(インフォメーション・イルミネーター)が場所を示した。目を向けると丁字型の配管の分岐が見える。

 

「タマちゃん!」

「うぃ」

 

 破裂音がすぐ後ろでして、肩を跳ね上げる明乃。その一瞬後には配管の分岐は過たず撃ち抜かれていた。志摩がコッキングレバーを操作し空薬莢を排出しながら疑問を述べる。

 

「……今撃ったのは?」

《船底側に通じる換気用の空気弁。船底には大穴をいま追加で開けたし、空気の逃げ道を作ったから船底側はバラスト代わりの海水が入りたい放題って寸法よう。上部階層の防水壁は脱出時にみんな閉めてっから、船底側だけが重くなる》

 

 麻侖の声に混じってマジックペンが紙を滑る音が聞こえる。張り出した紙の図面に、リアルタイムで浸水域を書きだしているらしい。

 

《そうしてバランスを崩した新橋商店街船は重たい側を下にして沈没を始める。沈むのは早くなっけど、甲板は上を向いて傾斜は元の方向に戻ろうとする。そうなれば上面にあるハッチが使用可能になるから……》

 

 

「そこから柳教官たちは脱出できるはず!」

 

 

 明乃がそう言ったタイミング、新橋商店街船がゆっくりと傾斜していく。海面に赤く塗られた船底を近づけるようにゆっくりと傾斜を大きくしていくのだ。それを急かすようにワイヤーが鳴った。晴風が力づくで海面に船底を叩きつけんと引っ張っていた。

 

《09ブロック左端! 景気よくかませぇ!》

《撃て撃て魂全開でいっくよー! 射角調整右0.3、上2.0!》

 

 その傾斜をさらに早めんと主砲の再装填が急がれる。テンションが上がっていても指示は適切だった。船の動きからどこまで浸水しているのか、浮力はどれくらいの余裕があるのかを判断し、状況を動かしていかねばならない。それを読み、動かしていけるのは、現状では機関長たる柳原麻侖だけだ。

 

 トータルで五回発砲し、8ブロックを浸水させた。志摩もまた、浸水させるべき場所に繋がる排気弁を正確に破壊していった。弾倉を交換し、撃っていく。

 

「急ごう。沈むのが早い」

「うん!」

 

 明乃は志摩の声に頷く。無線をオープン。

 

「教官、しろちゃん。もうすぐ傾斜が45度を下回ると思います。前部備品倉庫の荷役ハッチまで移動の用意を」

《了解、脱出後は?》

「舳先側に晴風に繋いだワイヤーがあります。そこをスライドして渡れますか?」

《懸垂降下に比べれば楽勝だが、晴風の硬い甲板に飛び込みキスは勘弁願いたい》

「大丈夫です、ヒメちゃんたちがウィンチのところでクッション用意して待機してます。海上に落ちた場合は短艇とスキッパーで回収します」

《相変わらず一発勝負の作戦だ》

 

 柳が無線の奥で笑った気配。おそらく新橋商店街船は完全に水平になるよりも早く海底に向け沈没する。だから急な坂を上ってでも出口についてもらわなければならない。滑り止めが効いているとはいえ、45度近い傾斜の坂を上るのは危険が伴う。危険な指示だと言われても仕方がないのは確かだ。

 

《いいだろう、とっくに艦長に預けた命だ。指示に従うさ。移動に入る》

「第3階段からは15メートル登坂すれば商業区画の最前部です。左右に渡る廊下があるのでそこの真ん中まで進んでください」

《オーケー。信じるぞ、行動開始》

 

 ここからでは柳の動きは見えない。それでも明乃は彼らの動きが視えていた。

 廊下の傾斜は厳しいが安全に登坂する方法がないわけではない。船の廊下には手すりがついている。そこにロープとカラビナで即席の安全柵として使用しているはずだ。艦内図で見る限り、三メートルごとに手すりに支えがついており、ロープの掛け換えが必要になる。それをこなしながら15メートル上るのには……おそらく2分半。その間にもどんどん傾斜は緩くなっていく。速度が上がるはずだ。

 

「撃ち方やめ! 浸水が早い!」

《もう撃たないし大丈夫でぃ! 最低でも5分は浮かんでられる空気は持たせてる!》

 

 無線越しの麻侖の声は自信満々。そこに被るように柳の声が乗る。

 

《渡り廊下到達。中央のドアだな?》

 

 柳の声にスキッパーの時計を見る。2分11秒、想像より早い。

 

「中央のドアを通ってください。通って左側にハッチ。ラッタルがあるはずです」

《了解》

 

 直後、無線の奥で衝撃音。

 

「大丈夫ですか!?」

《すまん、ミュートにしてなかったか。鍵が掛かってたからドアぶち抜いただけだ。安心しろ……無事備品倉庫到達。荷役係に後で文句言ってやる》

 

 どうやらショットガンでドアを破壊して進むことになったらしい。救助だというのに火薬の大盤振る舞いだ。

 

 その後に続いた文句云々はおそらく傾斜したときに零れた段ボールが山になってたまっていたのだろう。それを掻き分けるか足場にしながら登っていっているはずだ。

 

「抜けられそうですか?」

《絶賛登山中だ。中身がジャガイモのおかげで箱が潰れなくていいな》

 

 軽い言いぐさに少し救われる。ましろを呼ぶ声。直後に、柳が「よっ」と声を出したところを見るとおそらく山に上るましろを助け上げた形だろう。

 

「ハッチは片側ヒンジで、ロックは内側からレバーを動かせば外れるはずです」

《最新の電気錠じゃなかったことを感謝だな。停電になったら全く動かん》

 

 ラッタルを登る音が無線越しに響く。カンカンと脳に響くような音だ。直後に、ガン、という重い音がした。その音にはっと顔を上げる。

 

「……教官! しろちゃん!」

 

 甲板に立つ柳の姿を見て、思わず叫ぶ。よかった。無事だ。彼らはまだ死んではいない。

 

《喜ぶのはまだ早い。すごい勢いで中から外へ空気が抜けてる。急ぐぞ》

 

 柳がすぐそう返し、ましろを外に引きずり出すように引っ張り上げた。それを見て、明乃はその位置からゆっくりと方向転換、晴風が見える位置へと移動する。

 

「晴風機関中立、牽引やめ!」

 

 柳たちがなおも舳先の方に登っていくのを見ながら明乃は指示を出す。牽引に使用していたワイヤーの張力が下がり、軽く上弦の弧を描いた。ワイヤーの端までやってきた柳がましろをその傍に座らせ、何か作業している。

 

《和住、青木、副長を殺すなよ!》

《はいっス!》

《飛び込んできてください!》

 

 晴風の甲板の後部で分厚いクッションを張りだしているのが見える。それめがけて、柳はましろを押し出した。ましろの甲高い悲鳴が響くが、それもつかの間。マットに受け止められてましろが晴風に到着する。

 

「あとは柳教官だけです! 柳教官離脱後にワイヤーを投棄します」

《言われなくても脱出するさ》

 

 柳がそう言ってワイヤーに取り付こうとした――――その刹那。

 

 ズドン、という音が響いた。柳が振り落とされそうなほど急速に商店街船が沈もうとしている。

 

《教官急ぐッス!》

 

 百々の声が無線に乗る。このままでは晴風もろとも海底に引きずりこまれかねない。

 

《ワイヤリール繰り出せ! 切り離すんだ!》

《ダメです! まだ副長が!》

 

 媛萌の声が柳の指示に待ったをかけた。いまワイヤーを切り離せば、ましろごと海の底という事だろう。

 

《……南無三!》

 

 柳はそう無線に叫ぶや、背負っていたショットガンを手に取り、ワイヤーにあてがうと、引金を引いた。直後、ワイヤーが重力に引かれて落ちていく。これで晴風と商店街船を結ぶものはなくなった。

 

《知床! 前進一杯! 急速離脱!》

《は、はいぃっ!》

 

 柳が叫んで指示を出し、荷物を捨てるや、助走をつけて海面に飛び出していく。可能な限り商店街船から離れるように遠くに向けて飛び出した。

 

 沈没しつつある船の周りはこれ以上ない程の危険地帯だ。沈んでいく大質量の物体に引きずられるように水が渦をなして沈み込んでいく。その流れに飲み込まれてしまえば生存の可能性は限りなく低い。

 

「柳教官っ!」

 

 明乃はスロットルを全開にして柳が飛び込まんとしている場所に向けて加速する。その視線の先で柳がキレイに頭から飛び込むのが見えた。救命胴衣の自動膨張装置は切っているらしくすぐには浮かんでこず、しばらくたってから商店街船から離れる方向へと泳いでいるのが確認できる。――――だがそれより早く、商店街船が沈んでいく。

 

「タマちゃん! 左舷側からピックアップ!」

「うぃ!」

 

 スロットルを戻して彼の斜め前方から近づく。商店街船を背景にした彼が驚いた顔で何かを叫ぶが、聞いている余裕はない。聞いたところで止まるつもりもない以上聞く必要もない。海流は読めた。舵だけを切って距離を寄せる。それはもうぶつけるつもりで近づける。

 

「……つかまって!」

 

 志摩がスキッパーの横のハンドルを頼りに大きく体を乗り出して彼の方に手を伸ばす。柳も彼女目がけて手を伸ばし――――掴んだ。

 

「―――――ふっ! ミケちゃん!」

 

 姿勢安定板(スタビライザー)の上に柳を引き上げると志摩が叫ぶ。それに応えるように明乃がスロットルを全開にした。彼が乗っていない右側のスタビライザーだけを下ろし一気に加速する。商店街船右側を抜けるようなルート。海流も使いスピードメーターが振り切れる寸前まで加速した。

 

「岬! 何やってる!?」

「しっかり捕まっててください!」

 

 加速の衝撃でスキッパーの座席に叩きつけられるような形になった柳の叫び声に岬も叫び返した。全速力の加速を持って、そのまま沈みゆく商店街船の脇をすり抜けた、強烈な加速度が三人を襲った。渦の中心からはじき出されるように、スキッパーが一瞬空中に飛び出した。着水の勢いそのままにスロットル全開のスキッパーは一気に暴力的な海流の上を水きり石のように飛び越えていく。

 

 周囲の波が収まったタイミングで明乃はゆっくりとスロットルを戻していく。引きずられるようないやな流れはない。ホッと一息ついて、慌てて後ろを振り返る。

 

「柳教官!?」

「馬鹿かお前は!」

 

 大丈夫ですかと聞く前に怒声とげんこつが真上から落ちてきた。視界に星が散る。頭を抱えて撃沈していると志摩も同じ姿勢になっていた。

 

「わざわざ流れの強い渦の内側に飛び込んで加速で抜け出す馬鹿がどこにいる! 人工衛星のスウィングバイじゃねぇんだ! 死ぬ気かお前は!」

 

 抗議をする前に怒声が叩きつけられる。本気の怒鳴り声は首が竦むというのを初めて知った。

 

「で、でも……助かった」

「失敗したら三人そろって仲良く海底だ馬鹿野郎! こんなところで死ぬ馬鹿を安易に増やそうとするな!」

 

 志摩のささやかな抗議も叩き潰されるが、その言いぐさに違和感を覚える明乃。どうも歯切れが悪い。

 

「……で、でも、それを言い出したら柳教官も……」

 

 思ったことを恐る恐る口に出してみると、柳は怒るべきか呆れるべきか悩んだのか、複雑そうな――――否、傍から見ればすごく面白い顔をしていた。

 

「柳教官も……かなり無茶、してますよね……?」

 

 眉の上を切っているせいか、顔の左側をまだらに赤く染め、水を吸って黒くなってる作業着はところどころに引っかけて破けている格好でそう言われても全く説得力がない。眼鏡のようなアイウェアもどこかに消えている。

 

 追撃してわかった。図星なのだ。図星を突かれた時の表情というのはまさにこういうものなのだろうという顔をしている柳。

 

「ったく、いうに困って出てくるのはそれか」

 

 柳の手が上がる。とっさに目を閉じたがいつまでたっても衝撃は振ってこない。怪訝に思っていると、濡れてどこか熱い手が頭に乗った。

 

 

 

 

「―――――お前まで突っ走るな、馬鹿野郎が」

 

 

 

 

 そう言って、わしわしと乱雑に髪を掻きまわし、その手が離れる。

 

「艦長、人員の損傷具合を口頭で報告せよ」

 

 柳の声は取ってつけたように紋切型だ。……それが照れ隠しなのに気がついて、明乃は笑みを浮かべた。

 

「岬明乃、報告します。新橋商店街船の全553名中、重症8名、軽症54名、健常490名、行方不明者1名、死者ゼロ名。晴風乗員32名中事故者3名、死者ゼロ名。事故員はいずれも軽症です」

 

 報告を聞いた柳が頷く。

 

「現時刻をもって緊急救難を終了したことをを宣言する、不明者捜索および現場検証を所轄に任せ、第一特務艦艇群は収容した要救助者を最寄りの港に送り届けることとしよう」

「はいっ!」

 

 明乃が元気よく返事をし、柳はどこか呆れたように肩を竦めた。彼が呟いたように見えたが、明乃には聞こえなかった。

 

「なんですか?」

「何でもない、ほら、戻ってくれ」

 

 柳はそういうと後部座席にどっかりと腰を下ろした。その前、明乃にくっつくように志摩も座る。

 

 ゆっくりとスロットルを吹かせば、スキッパーは煌々と明かりを灯した晴風に向けて滑るように進んでいく。

 

 

 

 いつの間にか穏やかになっていた海に、月明かりが落ちていた。

 




……想像以上に長くなった1万1千字。いかがでしょうか。

これにて新橋商店街船編は一応の終了となります。もちろんこれから後始末があるわけですが……。ここまで長くなると思わなかったぜ、商店街船。なんとか全員(?)生還。やったぜ。

次回は少々オリジナル要素が強くなるかと思いますが、お付き合いいただければ幸いです。
そろそろ後半戦に向けて謎が収束していくころかと思います。
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

――――
次回 残されたモノ 残した傷
それでは次回もよろしくお願いいたします。
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