閑さや
岩にしみ入る
蝉の声
松尾芭蕉の俳句が、幾度となく頭の中に浮かぶ。
蝉の鳴き声よりもうるさく。
「暑い……」
パラソルの下、海ではしゃぐ響と鳳翔を見ていた。
鳳翔の定食屋は、一週間の夏季休暇に入っており、響の学校も夏休みに突入していた。
せっかくだからどこかへ行こうという話になり、こうして海へとやって来たのだった。
「司令官~!」
手を振る響。
新しい水着は、今どきの子供に人気なのか、ちょっと大胆なものだった。
鳳翔も同じく。
「はしゃぎすぎるなよ」
「うん!」
変な奴に絡まれなきゃいいがな。
しばらくすると、響も鳳翔も戻って来た。
「ちょっと休憩しますね。はい、響ちゃん、お茶よ」
「ありがとう。ん、冷たいな」
遠くには、積乱雲がチラホラ。
海の向こうでは、雨が降ってたりするのだろうか。
「司令官は泳がないのかい?」
「荷物があるからな。それに、お前らが楽しんでいるのを見ているだけで、満足だ」
「本当は泳げないだけなんですよね、提督」
「おい」
「そっか、司令官、泳げないんだ」
「悪かったな」
海軍だからとは言え、海に入る事なんてない。
元々、船が好きで入ったのが始まりであるし。
「俺は荷物番か買い物係がお似合いだよ。ちょっとなんか買ってくる」
「行ってらっしゃい。うふふ、提督、拗ねてるわ」
「そうなの? 悪いことしたかな……」
そんな会話を後ろに、俺は海の家へと向かった。
海の家へ向かう途中、砂浜を歩く犬を見つけた。
首輪が付いているから、どこかの犬なのだろうが、飼い主らしき人はいなかった。
「迷子犬か」
その犬は俺をちらりと見ると、そのまま歩き出した。
時折、足を止めると、俺の方をちらりと見た。
俺がそれを追いかけると、歩き出し、止まると、犬も止まった。
「ついて来いって事か?」
もしかしたら、何かあるのかもしれない。
犬ってのは賢いから、人間に助けを求める事があると、どこかで聞いたことがある。
とりあえず、犬について行くことにした。
しばらくすると、人気のない入り江へと着いた。
「こんなところがあるのか」
混雑した向こうと違い、ここはちょっとした穴場かもしれない。
犬の方を見ると、岩の近くに座り込んでいた。
その岩には、女の子の服が綺麗に畳まれて置かれていた。
「ぷは……!」
その時、海から突然、女の子が出てきた。
「やったー! コロ、潜水新記録だよ!」
裸だった。
隠すものは何もない。
「コロ? あ……」
俺は咄嗟に目を伏せた。
「す、すまない……。人が居るとは知らなかったのだ……」
「…………」
女の子は、俺に近づくと、じっと俺を見つめた。
「提督……?」
「え?」
小麦色に焼けた肌。
髪を下ろしているから分からなかった。
この女の子は、しおい(伊401)だ。
「しおいか……?」
「そうだよ。やっぱり提督だ! 久しぶりだねー」
しおいは、この前の鎮守府同窓会には来ていなかった。
「えへへ、こんな所で会えるなんて、なんだかドキドキしちゃうね」
「ああ、それよりも、まず服を着てくれないか? 目のやり場に困る」
「あ、そうだよね。ごめんね、すぐ着替える」
そう言って、服がかけてある方へと走っていった。
しおいが着替えている間、犬は大人しく俺に撫でられた。
「お待たせー。もういいよ」
「人が居ないとはいえ、あまり裸で泳ぐもんじゃないぞ。俺だったから良かったものの……」
「うん、気を付けるね。えへへ」
怒られてもニコニコ笑ってるから、いつも気が抜けてしまう。
「全く」
「旅行で来たの? それとも、しおいに会いに来てくれたとか!?」
「旅行だよ。まさか、お前がいるとは思わなかったけどな」
俺は、響・鳳翔と暮らしていることから説明した。
しおいは知らなかったのか、大変驚いていた。
「艦娘と提督が家族かぁ……。いいなぁ、提督の家族。しおいもなりたいな」
「お前には家族がいるだろ。民宿か何かやってるんだっけか」
「そうだよ。ほら、あそこに見えるのがそう」
「あそこだったのか。今晩泊まるところだ」
「本当!? 嬉しいなぁ。それじゃあ、めいっぱいサービスしないとね! 楽しみだなぁ~えへへ」
本当に嬉しそうに笑う。
瑞鶴とは少しだけ違う素直さがある。
喜怒哀楽がはっきりしていて、分かりやすいのがしおいだ。
「そう言えば、響ちゃんたちは?」
「あ……」
すっかり話し込んでしまった。
「すまん、そろそろ行かないと……」
「うん、また後でね、提督」
「ああ」
そう言って、しおいと分かれた。
響たちのところへ帰ると、響が怒っていた。
「司令官、遅いよ」
「す、すまない……実はだな……」
しおいと会ったことを説明する。
「しおいちゃん、元気そうでしたか?」
「ああ。後で民宿で会えるよ。今晩泊まるところが、しおいの家らしいんだ」
「それは楽しみですね」
「ああ」
響の方を見ると、むすっとしていた。
「響?」
「しおいと話してたから遅くなったんだね……。そうか……ふーん……」
「なに拗ねてるんだ?」
「別に……」
「響ちゃん、提督と海で遊べるようにって、浮き輪を一生懸命ふくらまして待ってたんです。」
「俺の為にか?」
「えぇ」
「響、すまん!」
「しおいの方がいいんでしょ……。しおいと遊んできなよ……」
「提督」
鳳翔が小さく耳打ちした。
「響ちゃん、妬いてるんですよ。うふふ」
そう言えば、響のこんな顔、初めて見たかもしれない。
笑ったり泣いたりはあったけれど。
「響」
「なに……?」
「よっと」
そのまま響を横抱きした。
お姫様抱っことかいうのだったか。
「な……降ろして!」
「機嫌直してくれたら降ろしてやるよ」
「……ふん」
結構強情だ。
「鳳翔、悪いが荷物番頼む」
「分かりました」
「このまま海行くぞ」
「え……!? は、恥ずかしいよ……」
「なら、機嫌直してくれるか?」
「…………」
「響」
「司令官と遊びたかったんだ……なのに……」
「俺も響と遊びたかったよ。浮き輪、ありがとうな。これでお前と存分に遊べるよ」
「……降りるよ」
響を下ろしてやると、そっと手を握って来た。
「いっぱい遊んでくれる……?」
「ああ」
優しく笑ってやると、響も優しく笑い返した。
「行ってくる」
「行ってらっしゃい」
鳳翔に見送られ、俺たちは海へと飛び込んだ。
「ごめんください」
民宿に着いた頃には、肌がヒリヒリするほどに焼けていた。
「あ、いらっしゃーい」
しおいが元気に迎えてくれた。
「鳳翔さん、響ちゃん、久しぶりー」
「しおいちゃん、元気そうで安心したわ」
「しおいはいつでも元気だよ」
「…………」
響はじっとしおいを見ていた。
まだ思うところがあるのかもしれない。
「お部屋へ案内するね。ついてきてー」
しおいに案内されるまま、荷物を持って二階へとあがった。
部屋は海が見渡せる良い部屋だった。
「良い部屋でしょー。私のお気に入りの部屋なんだ」
窓を開けると、冷たい潮風が入って来た。
「クーラーいらずだな」
風鈴も相まって、理想の夏がそこにはあった。
「お夕食の準備してるから、お風呂入って来なよ。海入って来たんでしょ?」
「そうしましょうか。響ちゃんも」
「うん」
「家のお風呂は露天風呂だよ。温泉じゃないんだけどね」
「それは楽しみだ」
「えへへ、ゆっくりしてってねー」
そう言うと、しおいは階段を元気よく下っていった。
「いいところですね」
「ああ」
「しおいもいるしね……」
「ん? 何か言ったか響?」
「別に……? 鳳翔さん、お風呂行こう」
「えぇ」
そう言うと、二人して風呂へ向かっていった。
「俺も行くか」
脱衣所は、レトロチックな作りになっていた。
こういう民宿の脱衣所って、なんだか好きだ。
「いてて……」
シャワーを浴びると、焼けた部分がヒリヒリとして痛かった。
体を洗うのは大変そうだ。
「洗ってあげる」
声の方を見ると、水着のしおいがいた。
「な……!?」
「えへへ、サービスだよ」
本当、こいつには恥じらいと言うものがないのか。
「お前な……」
「ちゃんと水着来てるから大丈夫だよ。提督もタオルで隠してね」
「あ、あぁ……」
「背中、流してあげるね」
そう言うと、背中を洗い出した。
「痛くないでしょ? あまり染みないボディーソープ使ってるんだ。家、海水客が多いから」
確かに痛くない。
垢すりのようなゴワゴワしているもので洗っているのではなく、スポンジのようなもので洗ってくれているようだ。
「提督の背中、大きいね」
「そうか?」
「戦時中も提督の背中、たくさん見てたよ。しおい、あまり提督とお話しできなかったから……」
潜水艦チームと関わる事は少なかった記憶がある。
俺が泳げないから、海中にいる潜水艦たちと関われなかったのが大きいかもしれない。
「同窓会も行けなかったなぁ。民宿が忙しかったんだ」
「そうだったのか」
「こうして提督と会えて嬉しいなぁ。えへへ」
「偶然とはあるものだな」
「今日はいっぱいしおいとお話ししてくれる?」
「ああ、いいよ」
「やったー! えへへ、約束だよ?」
背中を流し終わると、しおいは戻っていった。
あんなにはしゃいでるんだ。
本当はもっと同窓会で皆と話したかったのだろうな。
同窓会に来れなかった分、俺がたくさん話してやろう。
そう思った。
夕食の時も、しおいは食べるのも忘れて話した。
時折、母親に怒られたりもしたが、それでも止むことはなかった。
「お前は本当に楽しそうに話すな」
「だって楽しいもん。ね、もっともっとお話ししようよ」
「分かったよ。とりあえず、飯食ってからな」
「うん!」
まだまだ喋りたいことがたくさんあるのだろうな。
夏休みなんて、一番楽しい時期なのに、民宿は書き入れ時だから大変なんだろう。
だから、こうして楽しめることも少ないのだろうな。
食事を済ませ、部屋へ戻る。
「しおいちゃん、ずっとお話ししてましたね」
「たまにしか会えないだろうからな。楽しいのだろう」
「…………」
「響はまた拗ねてるのか?」
「ちょっとね……。でも、しおいの事を考えると、気持ちは分かるんだ」
「ほう」
「私も、しおいと同じ立場だったらって考えたら、なんだか寂しくなっちゃって……。司令官に会えない苦しみは、この前ので嫌と言うほど味わったから……」
「響……」
「だから、今回はしおいに譲るよ。私はいつでも司令官を独り占めできるしね」
「偉いわね、響ちゃん」
鳳翔が撫でてやると、響は恥ずかしそうに俯いた。
「みんなー!」
窓の外を見ると、しおいが大きく手を振っていた。
「花火やろうよー!」
庭には既に消火用バケツなどが並んでいた。
「行くか」
「うん!」
花火なんて何年ぶりだろう。
鎮守府で一回やったきりだったかな。
「見てみて~! 二本同時だよ!」
「あまりはしゃぐなよ。転んで怪我するぞ」
「あはは、ほら、響ちゃんもやろうよ!」
「うん。じゃあ、これ」
「あ、それは……」
響が火をつけたのはネズミ花火だった。
「わ!」
響がネズミ花火を放ると、そのまま俺の方へと向かって来た。
「おわ!?」
「あはは~提督、ネズミ花火に好かれてるね」
逃げても逃げても俺の方ばかり。
「なんで俺ばかり狙ってくるんだこいつは!?」
「ごめん司令官。でも、ちょっと面白いかも……」
鳳翔の方を見ると、明らかに笑いを堪えていた。
「おわー!」
最後は線香花火と打ち上げ花火をやって、花火は終わった。
「終わっちゃったね……」
「そうだな……」
「なんだか、寂しいかな……」
しおいは本当に寂しそうな顔をした。
本当に分かりやすいなこいつは。
響と鳳翔は、俺に何か伝えるようにニコッと笑って、そのまま部屋へ帰っていった。
しおいと俺は、そのまま縁側に座って、夜の虫の声に耳を澄ましていた。
「明日になったら、提督は帰っちゃうんだよね……」
「寂しくなるか?」
「うん……寂しい……。もっと提督と遊んでいたいな……」
その顔は、あの時の響の顔とそっくりだった。
「また遊びに来るさ。なんなら、俺んちに遊びに来い。書き入れ時が過ぎて、暇になったらさ」
「本当? また遊んでくれる?」
「ああ、その時まで、楽しみに待ってろ。寂しさよりも、次会う楽しみの方を大切にするんだ」
響との事があって学んだことだった。
「そっか……そうだよね。次があるもんね。えへへ、なんだか元気出てきた。ありがと、提督」
頭を撫でてやると、今日一番の笑顔を見せた。
「んじゃ、今日はもう寝るかな。お休み、しおい」
「うん。あ、提督」
「ん?」
俺が振り向くと同時に、しおいは俺の頬に小さくキスをした。
「えへへ、これもサービスだよ。お休み、提督」
そう言って、元気よく去っていった。
部屋へ帰ると、響はもう寝ていた。
「寝ちゃったか」
「部屋へ戻ってきたと同時にですよ。よっぽど疲れてたんでしょうね」
響の肌はほんのりと小麦色になっていた。
「提督」
鳳翔が珍しく、寄り添って来た。
「どうした?」
「私だって、響ちゃんと同じで妬いちゃうんですからね」
そう言うと、鳳翔は悪戯に笑った。
「案外子供なんだな」
「たまにはいいじゃないですか。ね……提督……」
そう言って、優しく口づけをした。
「新婚旅行みたいですね」
「そうだな」
鳳翔の左手には、まだケッコンカッコカリの指輪が光っていた。
いつか、その指輪を――。
「鳳翔?」
鳳翔は俺の肩で寝息をたてていた。
「そう言えば、お前もはしゃいでいたな」
窓からは相変わらず涼しい風が吹いていた。
風鈴は紐が抜かれていて、鳴っていなかった。
民宿の人が気を遣ってくれたのかもしれない。
「俺も寝るかな」
蚊取り線香の匂いがほんのりと香る中、鳳翔を寝かせて、俺も眠りについた。
翌日は朝食を頂いて、10時前には民宿を出た。
「また来てね。絶対だよ?」
「ああ。お前も、遊びに来いよ」
「うん! またね、提督。響ちゃんと鳳翔さんも!」
遠く、見えなくなるまで、しおいは俺たちに手を振り続けた。
帰りのバスの中、響はずっと俺の膝の上に座っていた。
「重いよ響」
「退かないよ。しおいに譲った分、私が司令官を独り占めするんだ」
「鳳翔」
鳳翔に助けを求めたが、鳳翔も俺の腕にしがみついた。
「私も提督を独り占めしたいんですよ。響ちゃんだけの提督じゃないのよ」
「む……鳳翔さんもライバルか……」
鳳翔はまたいたずらに笑った。
最近の鳳翔は、なんだかいじわるな感じだ。
でも、それがなんだか、娘に意地悪するお母さんみたいで、なんだか微笑ましかった。
「なに笑ってるの司令官?」
「いや、何でも」
「変なの」
車窓からはあの入り江が見えた。
しおいの泳いでいる姿が目に浮かぶ。
『潜水の新記録、また更新しちゃったよー』
そんな元気な声すらも、聞こえてくる気がした。
「良いところでしたね」
「ああ」
いつだって、遠く離れていたって、会いたいと願えば、必ず会える。
なんだかそんな気がして、遠ざかる海を横目に、次会える時が楽しみでしょうがない自分が居た。
それはきっと、しおいも同じなのだろう。
寂しくはない。
「来年もまた来ような」
「うん」 「えぇ」
トンネルに入ると、青い海は、遠く、遠く、小さな白い光となって、やがて見えなくなった。
――続く。