夏休み。
司令官に買ってもらった夏用の服を着て、私は少しだけご機嫌だった。
「暁と遊んでくる」
「おう、気を付けてな。門限までには帰ってくるんだぞ」
「分かった」
「はい、水筒よ。今日は熱いから、水分補給をしっかりね」
「ありがとう、鳳翔さん。行ってきます」
「行ってらっしゃい」
暁とは公園で待ち合わせだ。
お小遣いを持って集合! って言われたけれど、一体何をするつもりなんだろう。
「あ、来たわね」
「おはよう暁。ラジオ体操、今日は来なかったんだね」
「ちょ、ちょっとね……。それよりも、ちゃんとお小遣い持ってきた?」
「持って来たけど……何するつもりだい?」
「ズバリ、向日葵を見に行くのよ!」
「向日葵? 向日葵なら、学校にも咲いてるけど……」
「あんなの咲いてるうちに入らないわ。昨日、テレビで見たの。一面に咲く向日葵……黄色い海をね……。はぁ……素敵だったわ……」
「向日葵畑か」
「そうそう、それ。でね、その向日葵畑、電車とバスで行けるのよ!」
「それでお小遣いか。でも、私たちだけで行っていいのかな……。電車とバスを使うんでしょ? 遠いんじゃないかな」
「大丈夫よ! 私たちは他の子供とは違って、艦娘なのよ? それに、レディじゃない? 電車もバスも乗れないなんてお子ちゃまよ」
「そうかもしれないけど……」
「ほら、行くわよ? 大丈夫、いざとなったらこの暁が守るわ!」
頼もしいんだか危なっかしいんだか。
暁に手を引かれながら、駅へと向かった。
駅で切符を買い、電車に乗った。
夏休みだと言うのに、車内はがらんとしていた。
「なんだかワクワクするわね。まるで冒険だわ」
「そうだね」
きっと、朝のラジオ体操に来なかったのは、寝過ごしたからだろう。
今日の事でワクワクして、眠れなかったとか、そう言う理由だろう。
「響のお洋服、可愛いわね」
「司令官が買ってくれたんだ」
「司令官と仲がいいのね。でも、喧嘩とかしないの?」
「喧嘩っぽくなったことはあるけれど……怒られたことはないかな」
「司令官が怒った所、見たこと無いものね」
他人の子だから怒れないのかなって最初は思ったけれど、よくよく考えれば、鎮守府でも怒ったの見たことないし、ただ優しいだけなのかもしれない。
電車とバスを乗り継いで行くと、段々と建物が少なくなってゆき、やがて野原や牧場が現れ始めた。
遠くには山も見える。
ずいぶん遠くへ来たようだ。
「こんなに遠くに来ちゃって大丈夫かな……」
「大丈夫よ。向日葵畑を見たら、すぐに帰るから」
「……そうだよね」
心の奥底に芽生える不安。
司令官と鳳翔さんの顔がちらつく。
「もうすぐ着くわ!」
バス停を降りると、向日葵畑までの案内板があった。
徒歩15分と書かれた看板の先は、少しだけ傾斜になっていて、鎮守近くの丘を思い出させる。
「もう少し歩くのね。響、大丈夫?」
「うん」
「危ないから、手を繋ぎましょう」
「そうだね」
暁の小さい手を繋ぐ。
危なっかしいところが多々あるけれど、暁型一番艦を務めただけあって、頼りになる。
「響の手、汗でぬるぬるじゃない」
「暁の手だってそうじゃないか」
「私のはクリーム! 保湿クリームよ」
「夏はいらないと思うけど」
「へ? なんで?」
「…………」
きっと、誰かがつけていて真似しただけなんだろう。
戦時中だって、見よう見真似で化粧して、とんでもないことになったっけ。
「ふふ」
「どうしたのよ?」
「なんでも。行こう」
「えぇ」
緩やかな坂を二人して登ってゆく。
「ふぇぇ……どうしてこんなに蚊がいるのよぉ……」
「虫よけスプレー、持ってくればよかった」
「って、どうして響は刺されてないのよ!?」
「それは……暁の血の方が美味しいとか……?」
「嬉しくないー!」
そんなやり取りをしている内に、遠くに黄色い畑が見えてきた。
「向日葵だわ!」
「もう少しだね」
お互いを励ましながら、少しづつ向日葵畑の方へと向かった。
「ついたわ!」
一面の向日葵畑。
黄色い海という表現は、本当に正しかった。
「凄い……」
「みんな同じ方を向いているわ」
「太陽の方を向いているんだ。だから、向日葵なんだ」
「し、知ってたわ。それくらい……」
「そっか」
しばらく、私たちは向日葵に見とれていた。
それから、自分達の身長よりも高い向日葵のトンネルを進んだり、花粉を集めるミツバチを見ていた。
「なんだか大きい蜂もいない?」
「あれはクマバチだね」
「え、ミツバチじゃないの? だ、大丈夫かしら……。刺されない?」
「刺す事はないと思うけど、刺激することは止した方がいいかも」
「そ、そうね……」
それから暁は静かになった。
刺激って、触ったりすることなんだけどな。
でも、ちょっと面白いから黙っておこうかな。
しばらく遊んでから、木陰で黄色い海を眺めていた。
「はい、暁。お茶だよ」
「ありがとう響。鳳翔さんが作ってくれたの?」
「そうだよ」
「いいなー。鳳翔さんのご飯を毎日食べれるなんて」
そうか。
鳳翔さんのご飯を毎日食べられるって、他の艦娘達からしたら羨ましい事なんだ。
「暁も今度おいでよ。鳳翔さんのご飯、一緒に食べよう」
「本当? 約束よ」
「うん」
「指切りげんまん」
「嘘ついたら」
「ハリセンボンのーます!」
「ハリセンボンじゃなくて、針千本だよ」
「え!? そうなの?」
「ちなみに、指切りは小指を切る事。げんまんは一万回殴る事。針千本はそのままの意味かな」
「そんな恐ろしい約束出来ないー!」
そんなやり取りをしている内に、いつしかぽかぽかとした陽気の中で、暁はウトウトし始めた。
「眠いのかい?」
「うん……」
「しばらくお休み。私が起こしてあげるから」
「でも……」
「ちょっとだけさ」
「でも……でも……」
そのまま暁は眠った。
私は、時折吹く風を感じながら、夏の音を目を瞑って聞いていた。
「ん……」
虫の鳴き声で目を覚ました。
黄色い海は、朱色に染まっていた。
「……――!」
一気に冷や汗が出た。
空はもう夕方だった。
「暁!」
「ん~……なによぉ……」
「もう夕方だよ! 寝過ごしちゃったんだ!」
「ふぇ……ふぇぇぇ!?」
「どうしよう……急いで帰らないと……」
「は、早くバス停まで行くわよ……!」
「うん……!」
「はぁ……はぁ……」
来た道を走って戻る。
昼間と違い、暗くなった道は、より一層私たちを不安にさせた。
「うっ……!」
木の根に足をとられ、暁は転んだ。
「だ、大丈夫かい!?」
「うぅ……痛いよぉ……」
よく見ると、膝から血がにじんでいた。
「大変だ……」
周りを見渡すと、少し離れたところに小川があった。
「ちょっと待ってて」
暁を後ろに、小川へ向かった。
「…………」
少しためらった後、洋服の端を思いっきり破いた。
その布を水に浸し、暁の元へと戻った。
「ちょっと染みるかもしれないけど、我慢して……」
傷口をそっと拭いてやる。
「うぅ……」
汚れが取れた後、もう一度洋服の端を破り、傷口に巻いた。
「これで大丈夫。歩けるかい?」
「うん……。ごめんなさい……お洋服……」
「いいんだ。さ、行こう。今度はゆっくり」
暁の手を握り、ゆっくりとバス停へと向かった。
太陽が山へと沈んでゆく。
辺りは暗くなって、街灯が私たちを照らしていた。
バスは一時間に二本しか来ないようで、幸いにも十分後には来るらしかった。
「ごめんね響……こんな事になるなんて……」
「ううん……私が悪いんだ。起こすから寝ていいだなんて……」
「私たち……帰れるのかな……。お父さんとお母さん……心配してるかも……」
「……そうだね」
今にも泣きだしそうな暁の手をぎゅっと握った。
正直、私も不安だった。
「足、痛むかい?」
「ちょっとだけ……。けど……そんな事より……」
そう言って、暁は破れた私の洋服を見た。
「司令官に買ってもらったお洋服なのに……ごめんなさい……」
暁は我慢できなくなったのか、ぽろぽろと涙を流し始めた。
「暁……」
ぎゅっと抱きしめると、暁は声をあげて泣きだした。
私も泣きそうになったけれど、ぐっと涙を堪えた。
バスを降り、駅で電車を待っていた。
「お腹……空いたな……」
「うん……」
暁はハッと何かを思い出すように、バッグの中を探り始めた。
「金平糖があったわ。食べましょう?」
「ありがとう」
二人して金平糖を食べた。
「金平糖ってね、飴と違って、夏でもベトベトになりにくいんだって」
「そうなの?」
「テレビでやってたの。水分が少ないからなんだって」
そんな話をしている内に、段々と不安が和らいでいった。
お腹は膨らまなかったけれど、暁の金平糖はほんのりと甘くて、安心できる味だった。
電車に揺られながら、帰った時の事を思っていた。
帰りが遅くなった事、暁が怪我をしてる事、洋服を破いた事……司令官は許してくれるかな……。
「響……」
そんな私を心配してくれたのか、暁は手を握ってくれた。
「大丈夫……」
「そうよね……。司令官……優しいものね……」
「うん……」
そんな不安をよそに、電車は駅へと着こうとしていた。
電車を降りて、急ぎ足で家へと向かう。
「走れるかい?」
「うん、大丈夫」
その時だった。
「響!」
「響ちゃん!」
司令官と鳳翔さんがこちらへ向かって来た。
「司令官……」
「うわぁぁぁん……しれいかぁぁぁぁん……」
暁は真っ先に司令官の胸に飛び込んだ。
「馬鹿……心配かけさせやがって……」
「ごめんなさいぃぃ……」
「響ちゃん、大丈夫?」
「うん……ごめんなさい……」
「……とりあえず、家へ戻るぞ。暁のご両親にも連絡しないといけないからな……」
家へ向かう間、司令官は暁をおぶったまま、何もしゃべらなかった。
私の顔も見なかった。
怒ってるのだと、すぐに分かった。
帰ってすぐに、司令官は暁の傷の手当てをして、両親に電話した。
その間、私は鳳翔さんとお風呂へと向かった。
「響ちゃんは怪我してないのね」
「うん……。ごめんなさい……」
「ううん……無事でよかったわ。さ、頭洗っちゃいましょう」
いつも以上に、鳳翔さんは優しかった。
その優しさが、少しだけ心に染みる。
「……司令官、怒ってるよね……」
「少しだけね……」
そのニュアンスには、やはり優しさが残っていた。
「でも、響ちゃんが無事だったのだもの。提督も安心してると思うわ」
「…………」
「……大丈夫。私からも言ってあげるから」
「ううん……。ちゃんと自分で謝るよ……」
「そっか。偉いわね」
偉くなんかない。
皆に心配かけて、偉いわけがない。
でも、そんな事よりも、今はただ、司令官を怒らせちゃったことばかり考えていた。
お風呂を出ると、夕食が準備されていて、鳳翔さんに見守られながら、静かに食べた。
「美味しい?」
時折、私を安心させるように、鳳翔さんは笑顔を見せた。
「うん……。暁は?」
「ご両親がお迎えに来て、帰ったみたい」
「そっか……」
司令官は自室にいるようで、私が食事している間、出てくることはなかった。
夕食を済ませ、司令官の部屋を叩いた。
「入れ」
執務室の扉を叩いたときと、同じ返事だった。
扉をゆっくり開けて、中へと入った。
「…………」
司令官の厳しい目が、私を見ていた。
「まず言う事があるだろ……」
「……ごめんなさい」
「暁から聞いたよ……。行くのは構わない。だが、相談はしてほしかった」
「…………」
「夏だからって、少しはしゃぎすぎたな……」
私は泣きそうだった。
でも、それは、自分のしたことにじゃない。
司令官が怒っている事にだった。
「こっちへ来い、響」
俯きながら、司令官の傍に立った。
「お仕置きだ」
そう言うと、司令官は私の頭を優しく、拳骨で叩いた。
「…………」
「お仕置きはおしまいだ……」
「ごめんなさ――」
司令官はしゃがむと、そのまま私を抱きしめた。
体が震えている。
「馬鹿……俺がどれだけ心配したと思ってるんだ……」
「司令官……」
「無事でよかった……本当に……よかった……」
それを聞いて、私はとうとう泣いてしまった。
「ごめんなさい……ごめんなさい司令官……」
全ての不安が、涙となって流れて、その分だけ、私は司令官の胸の中で泣いた。
私が泣き止むのを待って、司令官は話し始めた。
「暁が凄く謝って来たんだ。響の洋服を破かせてしまったってな」
「私が悪いんだ……。せっかく買ってもらったのに……ごめんなさい……」
「服はまた買えばいいさ。お前の判断は間違っていない」
「司令官……」
また泣きそうな私をなだめるよう、司令官は私の手を握った。
「次気を付ければいいんだ。今日の事、忘れるなよ。俺との約束だ」
そう言うと、司令官は小指を出した。
「指切り、拳万、嘘ついたら針千本のーます」
随分と物騒な約束だけれど、それよりも何よりも、私は、司令官が怒るほうが怖いと思った。
愛想尽きる事が怖かった。
だから、心の中でそっと、「嘘ついたら司令官が愛想つーかす」と、唱えた。
司令官と部屋を出ると、鳳翔さんが不安そうな顔をしていた。
「もう大丈夫だ。ピリピリしてすまなかったな」
そう言うと、鳳翔さんはぽろぽろと涙を流した。
「よ、よかったですぅ……本当に……うぅぅ……」
私以上に、鳳翔さんの方が不安に思っていたようだった。
そんな鳳翔さんを司令官と二人でなだめた。
司令官が怒るのは怖いし、愛想尽かされるのはもっと怖い。
けれど、怒られている時、私はちょっぴり嬉しかった。
本当の子供のように、私を叱ってくれた。
他の子にはしない、私だけを。
「司令官、私が悪い子だったら、また叱ってね」
「ん? あ、あぁ……。変な奴だな……叱ってほしいのか?」
「ふふふ」
私たちは本当の家族になれたんだって、改めて感じた。
怒られるのも、たまには悪くないかな。
――なんてね。
――続く。