「一週間の旅行に出る」
そう言った俺に、鳳翔は理由や行き先を求めなかった。
船に揺られながら、海を眺めていた。
「あん時のあんちゃんか」
船長が言う。
ぼんやりとした記憶ではあったが、確かに見覚えのある顔だ。
「覚えてねぇでしょうが、あっしは、あんちゃんが島ぁ行く時と、帰る時に、船を出した者なんよ」
そう言うと、船長はカラカラと笑った。
「よーく覚えてませぇ。あん時ゃ、まだあんちゃんも青く見えてよぉ。それが、帰る時んなって、一枚めぇも二枚めぇも男前んなってさ。女でも出来たみてぇによ」
船が大きく揺れた。
こんなにも揺れるものだったか。
船を見送り、あの日と同じように、島の砂を踏んだ。
「変わってないな……」
かつて、大和と過ごした島に、俺は来ていた。
施設には、やはり砂が入り込んでいた。
ここに滞在できるのは、今日と明日の夕方までだ。
それ以降になると、強風で海が荒れ、帰れなくなってしまうらしい。
「とりあえず、執務室だな」
執務室の扉を開けると、長年使われていないにも関わらず、とても綺麗に整った部屋が目の前に広がった。
あの時感じたワクワクが蘇る。
「ふふふ」
この椅子よりも上質な椅子に、幾度となく座って来た。
しかし、それ以上に、この椅子は特別な物に感じた。
「○○艦隊、出撃だ!」
そう叫んでも、今度は本当に誰も見ていなかった。
それでも、俺の目には、あの時の光景が、鮮明に映し出されていた。
「静かだ……」
執務室の窓を開けると、潮風と、波の音が入り込んできた。
それらに混じり、大和の笑い声が、段々と、大きくなって聞こえてくる。
『提督』
『もう、提督!』
『提督……』
『貴方が……』
『貴方が好き……』
この島に来た目的。
それは、提督で無くなった今だからこそ、どういう気持ちになるのかを確かめる為だった。
あいつの言葉を、この島で聞いてみたかったのだ。
「…………」
ここに来て、俺は初めて――いや、最初から気が付いていたことだったのかもしれない。
俺は、大和が好きだった。
ずっと、一緒に居たいと思っていたんだ。
「そうだ……」
一人の男として……。
ボートに乗り、海に出た。
大和の乗っていないボートは、幾分か漕ぎやすく感じた。
「これ、今思えば、役に立つ訓練とは思えんな」
よく大和も付き合ってくれたもんだ。
いくら出撃出来ないとはいえ、こんな事――。
「でも……」
楽しかった。
同じことの繰り返しで、退屈なはずなのに、俺たちの笑顔は絶えなかった。
きっと、どんなに意味の無い訓練であっても、俺たちがそれをやめる事はなかっただろう。
そうしていることに意味があったのだ。
一緒に笑いあう事に意味があったのだ。
そこまで考えて、はっとした。
「そうか……」
今なら分かる。
どうして大和が俺を好きになったのか。
提督としてではなく、一人の男として好きでいてくれたのか。
「ん……」
いつの間にか寝てしまっていたのか、俺はベッドに寝っ転がっていた。
窓の外は、もうすっかり暗くなっていた。
「星……今日は見えるかな……」
海辺へ出ると、やはり満天の星空がそこに広がっていた。
「あの時と同じだ……」
「そうですね」
大和の声。
寝起きの俺には、はっきりと聞こえた。
目を擦り、伸びをすると、残った眠気は全て吹き飛んでいった。
それを思い知らせるように、冷たい風が吹いた。
「寒……」
この季節の夜は、もう肌寒いくらいになる。
「風邪ひきますよ」
また大和の声。
それと同時に、俺の体に羽織ものが被さった。
「?」
「目、まだ覚めてませんね」
振り向くと、大和がいた。
幻覚などではない。
本物の大和が、そこにいた。
「お前……!」
「さぁ、施設に戻りましょう。温かい食事を用意してますから」
そう言うと、大和は施設へと戻っていった。
俺は、頬をつねったりしてみたが、夢ではなさそうだった。
「どうぞ」
大和に勧められるがまま、食事を取った。
あの時と変わらない味に、少しだけ感動した。
「いかがですか?」
「美味い」
「良かった」
安心したのか、大和も食事に手を付け始めた。
「不思議ですか?」
「え?」
「どうして大和がここにいるのか」
「あ、あぁ……。まだ夢なんじゃないかと思ってるほどにな……」
「提督の元上官に聞いたんです。この島にいるって」
「それで追って来たのか?」
「えぇ。どうしても聞きたい事がありましたから」
「……返事の件か?」
お互いに、食事をする手が止まる。
「今の提督に返事が出来るとは思えません。それを見つける為にここに居るんだって、分かってますから」
「では……」
「一緒に住んでいる女性……提督の……大切な人のことです……」
大和の目が、徐々に真剣になっていった。
「聞きました……。提督には……一緒に住んでいる女性が居るって……」
「…………」
「どうして……大和が気持ちを伝えた時に言ってくれなかったんですか……? すぐに断ってくれればよかったのに……」
「隠すつもりはなかった……。だが、俺はそれを言えなかった……。分かっているんだろ……? だからここに居るって……」
大和は、少しだけ複雑そうな顔をした。
喜んでいいのか、いけないのか分からないような顔だった。
「美味い料理が冷めてしまう。食べよう」
それから、食べ終わるまで、俺たちは無言だった。
まだ夢の中にいるかのような感覚を残して、俺は執務室で過ごしていた。
大和はまだ皿洗いをしているのか、遠くで皿の重なる音がした。
「…………」
この島に来て、大和の気持ちに気が付いて、その後の俺に何が出来るんだろう。
だからどうなる?
本当は気が付いていた気持ちに、今更、改めて気が付いただけ。
俺の気持ち。
俺の決断はどうなる?
そう考えている内に、執務室の扉がノックされた。
「どうぞ」
「失礼します」
大和はそのまま、近くのソファーに座った。
「…………」
「…………」
耐えがたいほどの静寂が続いた。
「提督と一緒に住んでいる女性……」
大和は、目を伏せたまま、言った。
「鳳翔さん……ですよね……?」
窓の外で、風に揺られた木々が騒いでいた。
「提督の元上官に聞きました……。名前は言わなかったけれど、すぐに鳳翔さんの事だって分かりました……」
「そうか……」
「驚かないところを見ると……提督は知っているんですね。鳳翔さんと大和の関係……」
「ああ……。鳳翔には……お前の事を話したからな……」
それには流石の大和も驚いた様子を見せたが、すぐに平生を取り戻した。
「鳳翔さんはなんて……?」
「自分の気持ちを大切にして……とだけ……」
「自分の気持ち……」
鳳翔は俺に選択を迫った。
だが、自分を選んでほしいとは言わなかった。
それが、更に俺を迷わせた。
俺もあいつも、積極的に自分を売る事はしない。
相手の意見を尊重したいという気持ちと、自分から行った時に、傷つくのが怖いという気持ちがあるからだ。
分かってる。
分かってはいるけれど、あいつも俺も、即決出来なかった。
答えから、逃げた。
「それでも……提督は決断できなかった……」
「そうだ……」
「それは……大和が好きだからですか……? それとも……」
そこに、全ての答えがある気がした。
「……なんて、分からないからここに居るんですよね。でも……もし鳳翔さんが……自分を選んでって言ったら……提督は……迷わなかったんじゃないですか……?」
「!」
「もしそうなら……」
そう言って、大和は立ち上がり、俺の前に立った。
「大和と鳳翔さん……どちらが本当の愛を貴方に持っているのか……賭けませんか……?」
「賭け……?」
「もし……鳳翔さんがこのまま、提督に気持ちを伝えなかったら、大和の気持ちに応えてください」
「何を言って……」
「大和は……鳳翔さんに勝てないって分かってます……。でも、その鳳翔さんの気持ちが分からないから、提督は迷ってる……。大和の気持ちもあるけれど……」
「…………」
「鳳翔さんが提督に気持ちを伝えないなら……それが彼女の答えという事です……」
同意していいのか分からなかった。
しかし、俺の口は自然と動いていた。
「分かった」
自分でも驚いた。
こんな事、気軽に受けていい訳がないはずなのに。
「……潔いですね。きっと提督は――」
そこまで言って、大和は言葉を切った。
「――提督の気持ちも……考えてくださいね……」
「ああ……」
それっきり、船に乗り込むまで、大和と顔を合わせる事はなかった。。
翌日の夕方。
船に揺られ、遠くに見える夕日を眺めていた。
大和は、俺と目を合わせようとしなかった。
船長も空気を察したのか、黙って目的地を目指した。
船を降りると、大和が振り返り、やっと目を合わせた。
「提督はこれから……どうするんですか……?」
「俺は……元いた鎮守府へ行こうと思う……」
「鎮守府へ……?」
「お前の気持ちを考えるのと同じで、鳳翔の気持ちも考えたいんだ……」
「……そうですか」
「一週間の旅行としているから、残りは向こうで過ごすつもりだ」
「分かりました……。では……」
そう言って去る大和の背中に、何か悲しいものを見た。
「大和!」
大和は静かにこちらを向いた。
「何でしょう?」
何かを伝えたかったわけじゃなかった。
ただ、悲し気なその背中に、思わず声が出た。
「提督……?」
「――楽しかったよな。あの意味のない訓練」
自分でも訳の分からない事を言い出したと思った。
けれど、大和は少し驚いた顔をした後、笑ったのだ。
「えぇ、とても」
そうして、そのまま去っていった。
「やっぱり……」
お前もあの訓練……意味ないと思ってたんだな。
鎮守府に着いたのは、3日目の夜だった。
この時間は誰もいないらしく、消灯された廊下を月明かりを頼りに歩いた。
「夜中まで仕事していたことを思い出すな」
あの頃は仕事に手一杯で、艦娘達と関わる事が少なかった。
大和の件もあったし、そこまで重要視していなかったのもあるが。
「……懐かしいな」
執務室に着き、すぐ床に就いた。
船と、ここまでの移動に、心も体も疲れ切っていた。
その日、俺は夢を見た。
昔の夢を。
…………「提督、ちょっとよろしいですか?」
…………「なんだ? 鳳翔」
…………「実は、響ちゃんが初めてMVPを取ったんです。駆逐艦でMVPは快挙です」
…………「ほう」
…………「それでなんですが、提督から響ちゃんに労いの言葉をかけてあげられないかと思いまして」
…………「俺がか……?」
…………「いつも加賀さんに言ってあげてるじゃないですか」
…………「同じような言葉で良ければ良いが」
…………「頑張った駆逐艦に「よくやった。次回も期待する」だけですか?」
…………「俺はこういうのは苦手なんだ。それに、子供に笑顔を振る舞えるほど、俺は艦娘達と――」
…………「これを機に関わっていけばいいじゃないですか。提督、何故か避けてますよね。お祭りとかも来ませんし」
…………何も言えなかった。
…………過去の事を言いたくなかったし、忘れようとしていた。
…………それでも、鳳翔は何か分かっているかのように、俺を説得し続けた。
…………「分かったよ。響を連れて来い」
…………「はい!」
…………しばらくして、響が来た。
…………その顔は、酷く緊張している様子で、敬礼する手が震えていた。
…………「響ちゃん、どのように活躍したか、提督に報告しましょうね」
…………「う、うん……。あの……えと……こ、この前の作戦で……」
…………響の言葉は全く頭に入ってこなかった。
…………それほどに、目の前にいるこいつの事が心配になっていた。
…………尋常じゃないほどの冷や汗に、震えている体。
…………ちぐはぐの言葉に、合わない目線。
…………正常とは言い難いほどのに緊張をしていた。
…………「お、おい……。大丈夫か?」
…………「だ、大丈夫……」
…………「そんな訳ないだろう……」
…………「響ちゃん、緊張しちゃったのかな? 大丈夫よ、大丈夫」
…………鳳翔が撫でてやっても、響の緊張は取れなかった。
…………仕舞には、鳳翔すらも困った顔を見せた。
…………「…………」
…………いつもなら、このまま「下がれ」と言ってしまうところだ。
…………しかし、相手は子供。
…………いくら大和の事があったとは言え、流石にこの状況で冷徹でいられるほど、俺の心は腐ってなかった。
…………「一旦、緊張が解けるまで報告は中止だ」
…………「ご、ごめんなさい……」
…………「いや、いい。それよりも、お前、羊羹は好きか?」
…………「え? う、うん……」
…………「これは内緒なのだが……MVPを取ったお前には特別にやろう。ほら、提督にだけ支給される特製羊羹だ」
…………響は、特別と言う言葉に魅かれたのか、目を輝かせて羊羹を受け取った。
…………「鳳翔、お茶を用意してくれないか?」
…………「はい」
…………「それ食ったら、幾分か落ち着くだろう。ここで食っていけ」
…………「い、いいの……? 執務室で食べて……」
…………「特別だ。それに、他の者に見つかったら困るからな。俺とお前、二人の秘密だ」
…………「私もいますよ。提督」
…………「そうだったな。三人の秘密だ」
…………「秘密……」
…………それから、三人で羊羹を食べた。
…………最初こそは緊張していた響も、段々リラックスしてきて、やがて目を合わせて話してくれるようになった。
…………「美味いか?」
…………「うん、美味しい」
…………「そりゃよかったな」
…………気が付くと、微笑んでいた。
…………俺も響も、そして鳳翔も。
…………「提督、笑っている方が素敵ですよ」
…………「そ、そうか……?」
…………「響ちゃんもそう思うよね?」
…………「うん。あまり司令官の事知らなかったけれど、今日こうしてお話し出来て、凄く嬉しかった。皆も、もっと司令官の事知りたいと思ってるよ。だから、もっと私たちとお話ししてくれないかな?」
…………あまり乗り気ではなかった。
…………けれど、子供の頼みだと思い、「分かった」と返事をした。
…………報告が終わり、響は執務室を去っていった。
…………「お疲れ様です」
…………「馴れないな……」
…………「でも、あんなに嬉しそうな響ちゃん、久しぶりに見ました。やっぱり、提督は優しい人ですね」
…………やっぱり、か。
…………こいつは俺を優しい奴だと思ってたのか。
…………あんなに不愛想にしていたつもりなのに。
…………「それで、提督。さっきの事、もちろん実行するんですよね?」
…………「?」
…………「もっと艦娘達とお話しするって。分かったって、言いましたよね?」
…………「あれは……」
…………「子供だから、とりあえず適当に返事したんですか? そうだったら、響ちゃん、きっと悲しみますよ。大人に嘘をつかれたって。しかも、それが自分の提督だなんて……」
…………「……分かったよ。ちゃんと実行する」
…………「なら、今夜の食事ですが、いつもの執務室ではなく、食堂でいたしましょう。きっと、みんな驚きますよ」
…………「今日からか?」
…………「有言即実行。仕事の早い提督なら、分かりますよね?」
…………秘書艦が提督を追い詰めるとは。
…………だけど、俺がいくら逃げたところで、鳳翔はどこまでも俺を追いかけてくるだろう。
…………何故だか、そう思った。
…………「なら、夕食までに仕事を終わらせる。有言即実行だ。手伝ってくれるか?」
…………「はい!」
…………あの頃からだったな。
…………俺が徐々に自分を取り戻していったのは。
…………艦娘達と心から関われるようになったのは。
目を覚ますと、時計は10時を指していた。
戦時中のいつもの癖がまだ残っているのか、そのまま机へと向かい、椅子に座り込んだ。
「お茶を頼む」
それも癖だった。
当時、俺が起きると、鳳翔は既にお茶を準備していたのだ。
「…………」
自分でお茶をいれ、それを啜りながら、ふと机の上にある写真立てを見つめた。
着任した当時の写真。
まだ初々しい俺の隣に写っているのは、鳳翔だ。
思えば、戦時中はずっとこいつと一緒だった。
思い出一つ一つに、必ず鳳翔がいた。
あの時も、あの時も、あの時ですら――。
いつの間にか、一緒にいる事が当たり前になっていた。
こんな一杯のお茶ですら、あいつに頼るほどに。
それから昼も夕方も、ずっと執務室に篭りっきりだった。
あいつと二人でいたことを思い出そうとすると、場所は必ず執務室になる。
こんな狭い場所で、特別な事もなく、ただ仕事と、適当な日常会話を交わすくらいしかしなかった。
いや、それ以上はいらなかったのかもしれない。
特別なことなど無くても、俺たちは――。
「鳳翔……」
俺はあいつに会いたくなっていた。
失って初めて気が付く大切さ。
それと同じような気持ちが、俺にはあった。
ただそこにいるだけでいい。
それほどに、大切な存在であり、かけがえのない存在であった。
鳳翔があって、俺があるような気がするほどに。
「俺は――」
その時、執務室の扉がノックされた。
その音にはっとし、周りを見渡す。
昼頃からずっと考え事をしていたせいか、いつの間にか暗くなっているのを忘れていた。
それに気を取られている内に、執務室に誰かが入って来た。
俺は、窓から入り込んだ月明かりの中に居て、執務室に入って来た人物が誰かが分からないでいた。
「…………」
やがて、そいつは月明かりの中に入り込み、その姿を現した。
「明かりも点けずに、どうしたんですか?」
「鳳翔……!?」
大和をあの島で見かけた時と同じように、俺は夢ではないか確認した。
だが、やはり夢ではない。
「お前……」
「どうしても……提督に言わなくてはならない事がありまして……。急いで来たんです……」
どうしてここに居る事を知っているのか、何を伝えに来たのか。
俺が考えている内に、鳳翔はゆっくりと話し始めた。
「覚えてますか? ケッコンカッコカリした日の事」
「あ、あぁ……覚えてる。忘れるわけがない」
「あの時、どうして自分なんだろうって、思ったんです。加賀さんや赤城さんの方が、もっとふさわしいのにって……」
「…………」
「でも、嬉しかった。どんな理由であれ、私を選んでくださったんだって」
そう言うと、鳳翔は指輪を天にかざした。
「思えばあの時からでした。本気で貴方を好きになったのは」
鳳翔の目が、真っすぐと俺を見た。
「あの時から、私の気持ちは変わってません。だからこそ、ここに来ました」
「鳳翔……」
大きく深呼吸をした鳳翔は、まるで勇気を振り絞るかのように、拳を握りしめて、大きな声で言った。
「私を……私を選んでください……! もっと、もっと一緒にいたいんです……! 貴方に愛されたい……愛したい……! ずっと……ずっと……」
鳳翔の顔が、徐々に赤くなってゆく。
力んだ表情は、あふれる涙を止める事はなかった。
「ごめんなさい……。どうして泣いているんでしょうね……私……」
きっと、胸に秘めていたものが、声となり、涙となり、あふれ出したのだろう。
それほどに、抑え込んでいたものは、とても大きなものであったはずだ。
「鳳翔……ありがとう……」
「提督……」
「俺も、ここに来て気が付いたことがあるんだ。ずっと一緒にいたから、中々気が付けなかったけれど」
「…………」
「俺には、お前がいないと駄目なんだ。何をするにも、お前の顔がちらつく。お前がいなければ、俺は俺ではないと思うほどにな」
そう言って、俺は鳳翔の指輪を外した。
「提督……?」
「これを渡す時に、お前に言えなかったことがある」
「私に……?」
「あぁ……。加賀でも赤城でもないお前に、どうして指輪を渡したのか。その理由も、その言葉に全て集約されている」
本当は分かっていた。
「お前が条件を満たしている」という理由だけを伝えて、鳳翔に指輪を渡した。
でも、それならば、加賀や赤城などを待っても良かった。
鳳翔も、それが疑問であったのだろう。
本当の理由。
それは――。
「お前に……してほしかった……。ただそれだけだ……」
月が雲に隠れ、執務室は暗くなった。
「今も同じだ」
月明かりが再び執務室を照らす。
「大和がどうだとか、どっちがどうだとかではない。俺はお前と一緒にいたい。これからの人生の全てを、お前と歩みたい」
「提督……」
「結婚しよう……鳳翔……」
その時だった。
執務室の扉が大きな音と共に開き、聞きなれた声で「あー!」と言う声がした。
鳳翔が慌てて扉へと向かう。
俺は執務室の明かりを点けた。
「いてて……あ……」
「…………」
瑞鶴と響だった。
「お前ら……!」
「ご、ごめんなさい……。執務室に来たら、提督さんと鳳翔さんが話してるの聞こえて……。聞き耳を立ててたら……」
「扉が開いちゃったんだ。瑞鶴がノブに手をかけてたんだよ」
「だって、響ちゃんが乗っかってくるから……」
「二人とも、大丈夫? 怪我はない?」
「だ、大丈夫です。それよりも……邪魔しちゃった……よね……?」
「ごめんなさい……」
「い、いや……」
「そんな事は……ないわ……」
鳳翔も俺も、なんだか恥ずかしくなって、目を合わせることが出来なかった。
「えと……こんな雰囲気にして申し訳ないけれど……もう一度……どうぞ」
「もう一度って……お前な……」
「司令官」
「響、お前もか……」
鳳翔の方を見ると、俺と同じ気持ちのようで、気まずそうにしていた。
「提督さん」
「司令官」
困った挙句、俺は鳳翔に言った。
「鳳翔……」
「は、はい……」
瑞鶴も響も、固唾をのんで見守っている。
「月が……月が……綺麗だな……」
「へ?」
「え?」
一同、ポカーンとした顔をした。
しかし、鳳翔だけは気が付いたようで。
「私、死んでもいいわ」
そう言って、微笑んだ。
「え? 何々? なんで月の話ー?」
「???」
その光景が面白くて、俺と鳳翔はつい笑ってしまった。
「ありがとう、鳳翔」
「これからも、よろしくお願いいたします。提督」
「ああ」
「もー、何が何だか……ね、響ちゃん」
「よく分からないけれど、多分いい結果になったんだと思う。二人とも、泣きながら笑ってるから」
最後の最後まで、俺たちははっきりと物が言えなかったな。
けれど、それでも、分かり合えるのが俺たちだ。
二人で一つ。
俺はお前の為に。
お前は俺の為に。
お互いに支え合って生きていこう。
「えぇ、提督」
何も言わずとも、鳳翔はそう返事をした。
「というか、なんで瑞鶴までついて来たんだよ」
「なにそれヒドーイ! 私が居なければ、この状況は無かったんだよ? ね、鳳翔さん」
「そうね」
「ほれみれー」
「はいはい、ありがとう」
「もう! 全然気持ちがこもってないー!」
「響もありがとうな。これからは、もう何も心配しなくてもいいんだ。今まですまなかった」
そう言ってやると、響は胸に飛び込んで来た。
「良かった……本当に……良かった……」
鳳翔も響を抱きしめた。
「…………」
「瑞鶴も来るか?」
「え……私は……別に……」
「瑞鶴さんも」
「う……うん……」
3人で響を抱きしめた。
「なにこれ?」
「なんだか温かいだろう?」
「暑苦しくない? 響ちゃん、大丈夫?」
「ちょっと暑いかな……」
「ほらー」
「でも……ずっとこうしていたい。司令官も鳳翔さんも、瑞鶴も。ずっと皆でいれたら、嬉しいな」
「響ちゃん……」
「響……」
「よーし、なら、もう放さないぞー! ほれほれー」
「痛いよ瑞鶴……」
そうして、皆で笑いあった。
艦娘と提督。
越える事の出来ないその繋がりを越えて、俺たちは本当の意味での繋がりを手に入れた。
人としての繋がり。
ずっと変わらないであろう、繋がりを。
いつもの喫茶店。
俺はそこに、大和を呼び出した。
「待ちましたか?」
「いや、今来たところだ」
「答えが……出たんですね」
「あぁ……」
俺は大和に全てを話した。
「そうですか……。大和の負けですね……」
「…………」
「鳳翔さん、気持ちを伝えたんですね……。やっぱり、敵わないな……」
「どうしてだ?」
「え? だって、あんなに美人で料理も出来て――」
「そうじゃない。どうして、鳳翔に発破をかけたんだ?」
「…………」
「あいつから聞いたよ。帰った後、鳳翔に会ったんだろ?」
「……えぇ。でも、宣戦布告のつもりでしたし、諦めてくれたらって思ったんです。それが、焚き付けるきっかけになってしまった。あーあ、宣戦布告なんてするんじゃなかった」
「お前は嘘が下手だな」
「何を言って……」
「俺の知っているお前は、そんなは事しない。随分と鳳翔に言ったようだが、俺には、お前がこうなる事を知っていて、やったことだと思った」
「…………」
「どうしてだ……?」
「――私の好きな貴方が、そこにいたからです」
そう言うと、大和は窓の外を眺めた。
「元上官の人から話を聞いて、鳳翔さんと提督の姿が浮かびました。提督の笑顔。鳳翔さんの笑顔。全てが、鮮明に見える気がしました。大和はその幸せを崩したくなかった。大好きな提督と、大好きな鳳翔さんの笑顔を……」
「…………」
「貴方の事も、鳳翔さんの事も、大和はよく知っています。きっと、お互いの気持ちを伝えられないんじゃないかって。だから――」
そこまで言うと、大和は涙を流した。
「だから……大好きな二人に……幸せになってほしかったから……。大好きな二人であってほしかったから……」
「大和……」
「……もし、鳳翔さんと幸せにならなかったら許しませんからね。その時は、大和がもう一度、提督を奪いに行きます!」
「ああ……約束する。絶対幸せになってみせる」
「約束ですよ」
そう言って、指切りをした。
「これで、大和も前に進めます。ありがとう……提督……」
「お礼を言うのはこっちの方だ。ありがとう、大和」
涙はもう引いていた。
「最後に、一つだけ聞いていいですか?」
「なんだ?」
「もしあの時、提督と大和が艦娘と提督じゃなかったら、どうお返事してくださったんですか?」
今度ははっきりと、こう答えた。
「もちろん、俺は――」
家に帰ると、響が出迎えてくれた。
「お帰り、司令官」
「ただいま。よっと」
響を抱き上げ、そのまま居間へと向かう。
台所では、鳳翔が夕食を作っていた。
「お帰りなさい、提督」
「ただいま」
「ねぇ、司令官。今日、テストで98点取ったんだ」
「お、どれどれ。ほう、凄いな」
「この漢字がちょっと跳ねてないだけで、2点減点だったんだ」
「実質100点だな。よくやったな、響」
撫でてやると、恥ずかしそうに笑った。
「お夕食、もう出来ますよ。お皿の準備お願いします」
「よし来た。行くぞ響」
「うん」
夕食は響の好物が並んでいた。
「テストでいい点を取ったお祝いです」
「ハラショー!」
「本当、よくやったな。だが、勝って兜の緒を締めよ、だぞ」
「何それ?」
「良い点数とっても、油断しちゃダメって事よ」
「大丈夫だよ。もっと勉強して、学校の先生になるんだ」
「学校の先生か。そりゃいいな」
「なら、苦手な物も食べられるようにならないとね。先生が好き嫌いあったらダメでしょう?」
そう言うと、鳳翔は、響の苦手な食べ物を皿に盛った。
「う……頑張るよ……」
「よし、それじゃ」
「「「いただきます」」」
夜。
響の強い要望で、三人で寝る事となった。
「何気に初めてじゃないか? こうして寝るの」
「そうですね。響ちゃん、急にどうしたの?」
「なんとなく」
特に理由はない。
そうしたいからそうする。
響も、俺たちと同じで、一歩進むことが出来たのだろうか。
「司令官、鳳翔さん」
「ん?」
「なぁに?」
「ずっと一緒に居てね。これからも、ずっとだよ」
鳳翔と顔を合わせる。
「ああ、もちろんだ」
「ずっと一緒にいるわ」
「ありがとう、二人とも。えへへ……」
これからも、何かが俺たちを引き離そうとしてくるだろう。
「手、握ってくれる?」
「いいわよ。はい」
「司令官も」
「はいよ」
その度に、悩み、苦しみ、そして、涙することもあるかもしれない。
「鳳翔さんの手、温かいね」
「響ちゃんの手も温かいわ」
「司令官の手は……なんだか汗ばんでない?」
「風呂、最後だったからなぁ」
それでも、俺たちは三人で乗り越えてゆく。
「さ、もう寝ましょう。明日はお出かけよ」
「お出かけ……! 本当?」
「ああ、ワクワクして眠れないとかないように、気をつけろよ?」
「ハラショー!」
それが、家族の形であると信じて。
「お休みなさい」
「うん、お休み」
「お休み」
これからの生活に想いを寄せる者。
今ある幸せを噛みしめている者。
明日のお出かけを楽しみにしている者。
それぞれの思いは違えど、その先にあるものは、幸福な家族像であった。
終わり。
無事完結できました。
こんなにもたくさんの人に見ていただいたのは初めてで、ちょっとビックリしています。
ここまで見てくださった皆さん、本当にありがとうございました。
次回作の参考にしたいので、もし「こういうのが見たい」というのがあれば、是非教えてください。
本当にありがとうございました。
次回作もよろしくお願いいたします!