休日だったので、響と一緒に出掛けようと声をかけたが、どうやら用事があるらしい。
ならばと鳳翔を誘ってみたが、こちらも用事があるとの事。
仕方がない。
たまには一人で出かけてみるか。
そうだ、ついでに車を見に行こう。
響も鳳翔も乗れて、荷物がうんと詰めるやつを。
町は休日という事もあって賑わっていた。
路面電車も満員のようで、外側の手すりにぶら下がる輩がいるほどだ。
「ちょっとやめてよ!」
聞き覚えのある声。
声の方を向くと、ツインテールの少女が年老いた男に手を掴まれていた。
「やめねぇよ。お前、俺の靴をわざと踏んだだろう!?」
「満員だったからしょうがないじゃない! それに、わざとじゃないし……」
「うるせぇ! ちゃんと謝れ!」
「さっき謝ったでしょ!」
「それくらいにしておけ」
たまらず声をかけていた。
「なんだアンタ?」
「あ……」
少女の顔を見て、やっと分かった。
「瑞鶴……?」
「提督さん!?」
「あ?」
年老いた男が俺の顔を睨み付けた。
こちらも睨み返してやると、男は目を伏せた。
「友人が失礼を働いたのなら謝る。だが、彼女も反省しているのだ。許してはくれないか?」
「……チッ、気をつけろよ……」
そう吐くと、男は去っていった。
「大丈夫か、瑞鶴」
「う、うん。ありがとう、提督さん」
「久しいな。元気にしていたか?」
「見ればわかるでしょう? 絶好調よ!」
「助けなくても良かったかもな」
「何それ、ひどーい!」
瑞鶴の笑顔は、あの頃と比べて何一つ変わっていなかった。
お互いに急ぐ予定もなかったので、近くの喫茶店で話し込むことに。
「ここ、私のお気に入りなんだ」
「いい趣味しているな」
「でしょ?」
店内はアンティーク雑貨で溢れていて、セピア色の壁と、オレンジ色の白熱電球で、ノスタルジックな雰囲気を醸し出していた。
「そう言えば、提督さんはコーヒー苦手だったよね」
「ああ」
「大人なのにコーヒー飲めないなんて……って、暁ちゃんに馬鹿にされててさー」
「元と言えば、お前が言いだしたんだぞ。鎮守府中に「子供提督」だって言いふらして」
「そうだったっけ? まーいいじゃない。どっちだって」
「お前なぁ……」
「にひひ」
瑞鶴は鎮守府の中でも、俺と冗談を言い合うほど仲が良かった。
友達のような、そんな存在。
提督と艦娘だったとはいえ、そんな事はお構いなしにズイズイくるのが瑞鶴だった。
「お前って奴は、全く変わらんな」
「でも、安心したでしょ?」
「ああ。安心したよ」
「私も安心した。提督さん、大変だって聞いてたから」
「大変?」
「響ちゃんの事、聞いたよ。まだ見つからないの?」
「ああ……」
「そっか……」
「でも、あいつも心を開いてきてくれている。もし見つからなかったとしても、俺があいつを独り立ちさせてやるって、決めたんだ」
「……提督さんは優しいね」
「そんな事はないさ」
沈黙。
変な空気になってしまった。
「そう言えば、お前はどうなんだ? 学校、行ってるんだろう?」
「うん……」
一瞬、瑞鶴の顔が暗くなった。
「学校、上手く行ってないのか……?」
「ううん。学校は順調よ。毎日が楽しいし……」
「じゃあ、何かあったのか?」
瑞鶴は、一間空いて返事をした。
「――何でもない。そうだ、車見に来たんでしょ? 私も見たいな。一緒に行っていい?」
「あ、あぁ」
「やったー!」
そう言って、コーヒーをグイッと飲み干した。
何か、隠している言葉と一緒に。
中古車販売店にずらりと並んでいる車は、中古とは思えないほどに綺麗だった。
「もっとボロボロだと思っていたが、そうでもないのだな」
「そりゃそうでしょ。中古車を何だと思ってたの?」
車の事はてんで分からない。
ずっと海軍であったし、車を運転する機会があっても、精々軍用車だった。
「車ってさ、十万キロ走ったら替え時って言うよね。長く乗る気があるなら、値段は高いけれど、距離を走ってないやつの方がいいんじゃない?」
「そうなのか?」
「提督さん、何も調べないで来たの?」
「あ、あぁ……」
「まあいいや。どんな目的で車を買うの?」
「響たちを旅行に連れていってやりたいんだ」
「レンタカーじゃダメなの?」
「レンタカー……そうか! レンタカーか!」
「……もしかして、今気が付いたの?」
「……スマン」
「ぷっ……あはは! 提督さん、マヌケ~」
「悪かったな……」
「あ、ごめんね。笑いすぎちゃった。でも、レンタカーでいいなら、わざわざ車買う必要もないね」
「そうだな」
「ね、まだ時間ある?」
「ああ、大丈夫だ」
「じゃあ、デートしよう?」
「デ、デート!?」
「何々? 意識しちゃった?」
「帰るぞ」
「あ、あぁ待って。ごめんなさい。お願い、せっかく再会したんだし、もうちょっと遊んでよ!」
「夕方までだぞ」
「やったー! にひひ、行きたいところあるんだ」
そう言うと、瑞鶴は町へと走り出した。
「提督さん、早くー!」
「そう急かすな」
こいつの笑顔を見ていると、なんだかこっちも元気になってくる。
戦争中も、よくこいつの笑顔に救われたっけか。
生意気な奴ではあるけれど、誰よりも元気だった。
そんなあいつが見せた、あの暗い顔。
あれは一体――。
「ほれ、買ってきてやったぞ」
「ありがとう。ここのアイス、高くて普段は食べられないのよね」
「これ見よがしに俺を利用するのだな」
「車代が浮いただけでも感謝してほしいのだけれど?」
「ちゃっかりしてるぜ、全く」
ベンチに座り、二人してアイスを食べた。
確かに、これは美味い。
響にも食べさせてやりたいな。
今度連れて来てやろうか。
「提督さん、なんだか優しい顔になったよね」
「ん、そうか?」
「うん。なんだかお父さんって感じ」
「お父さん……。なんだか複雑な心境だ」
「まだ若いもんね。ねぇ、私と提督さん、今、他の人から見たらどう思われてるかな?」
「どうってお前……」
「恋人かな?」
「兄妹だろ」
「じゃあ、こうしたら?」
そう言うと、瑞鶴はピタリと体を密着させてきた。
「おいおい」
「にひひ」
生意気だったとは言え、こんなに甘えてくるところを見ると、親からの愛情をしっかり受けているのだな。
艦娘は愛されることに疎い。
親から離れ、過酷な戦場を駆け、時として残酷な運命を見届ける。
愛から最も遠い場所にいたからこそ、今が幸せなのだろう。
「て、提督さん……?」
気が付くと、瑞鶴の頭を撫でていた。
「お、スマン。つい」
「そんなに撫でたいなら、もっと撫でていいよ。ほれほれ」
「いや、もう大丈夫だ」
「えー、撫でてよー」
「何なのだお前は……」
俺も、響に与えられるだろうか。
親にしか与えられない、深い愛情と言うものを。
それからは瑞鶴に引っ張られて色々な所を回った。
あれを食べたいやら、ゲームセンターへ行きたいやら。
もうヘトヘトだ。
だが、いい気分転換になった。
久しく、こういうのを忘れていた。
たまにはアクティブに遊ぶのもありかもしれないな。
「もうすっかり夕方だね。楽しい時間が過ぎるのは早いなぁ」
「そうだな」
「提督さんも楽しかった?」
「ああ、楽しかったよ」
「そっか……にひひ、良かった」
夕日に照らされた瑞鶴の顔は、笑ってはいたけれど、どこか寂しそうだった。
俺は、鳳翔のあの顔を思い出していた。
「また遊びに行こう。今度は響も一緒にさ」
「本当? また遊んでくれる?」
「ああ」
「えへへ……ありがとう、提督さん」
夕日が、かすれた雲をオレンジに染め上げた。
その隙間からのぞく空は青い。
「私ね……」
意を決したように、瑞鶴が口を開いた。
「今が幸せ。学校も楽しいし、親と一緒にいれるし。友達もたくさんできたし……。でもね、不安なんだ」
「不安?」
「将来の事。学校を卒業したら、私はどうしたいんだろうって……。今まで、戦いしかしてこなかったから……。それに、学校は元艦娘ばかりだからいいけれど、将来的には社会に出る。その時、一般の人とどうやって付き合えばいいのかなって……」
そうか。
ああは振る舞っていても、こいつも元艦娘なのだ。
其れ故の不安もある。
こいつだけではないにしろ、そうやって悩むのは意外だった。
「……なんて、私らしくないか」
「そうだな。だが、気持ちは分かる」
「え?」
「俺も、自分が将来、どうなるのか分からない。今は響の親を探して、あいつの親代わりになってやっているが、あいつの親が見つかったら、俺はどうなるのかなって」
「提督さんも同じなんだね……」
「でもな、今はそれでいいんだと思う。将来の事なんて、誰にも分からない。今の自分がどうしたいか、どうなりたいかが分からないなら、分からないままでもいいんじゃないかな」
「…………」
「いつか、俺もお前も、どうしたいのか見えてくる時が来るはずだ。それを待つのも、悪くないだろう」
「提督さん……」
「お前が俺にレンタカーという手段を思い出させてくれたように、お前もいつかは何かに気が付かされることがあるだろう。だから、今はお前らしく生きて見ろ。間違っていたら、誰かが教えてくれる。最初から間違っている事なんて何一つないんだ。一般の人間と付き合う事だって、艦娘だからってものじゃない。俺だって、他人と付き合う時に、どう振る舞えばいいのか分からない時がある。他人の事を考えるのは立派だ。だが、他人の心までは読めない。相手だって、同じだ。だからこそ、他人に自分を知ってもらう必要がある。私はこういう人間だってな。そうしたら、相手だって、きっと心を開いてくれるさ。人間も艦娘も同じだろう?」
「私らしく……」
「少なくとも、俺はお前のその素直な性格が好きだ。お前がそうやって心を開いてくれるから、俺もこうやって心を開けるんだ。お前には、他人の心を開かせる魅力があるよ」
「そうかな……」
瑞鶴は恥ずかしそうに頬をかいた。
「そうさ。だから、心配するな」
そう言って頭を撫でてやる。
「えへへ……。ありがとう、提督さん。なんだか、スッキリした。私、自分らしく生きてみるよ」
「ああ」
夕日が沈むのと同時に、温かい風が瑞鶴の髪を揺らした。
すっかり遅くなってしまった。
響はまた不安になっていないだろうか。
急ぎ足で家へ向かうと、家の明かりがついていた。
なんだかいい匂いがしている。
「ただいま」
玄関には見知らぬ靴。
「お帰りなさい」
そう言って迎えてくれたのは鳳翔だった。
「ごめんなさい。お邪魔しています」
「あ、あぁ……それは構わないが……。どうしたのだ?」
「まずは上がってください」
「あぁ」
居間に行くと、そこには豪勢な料理が並んでいた。
真ん中には好物のコロッケが盛られている。
「これは一体……」
「おかえり司令官。待ってたんだよ」
「響。これは……」
「提督、今日は何の日かご存知ですか?」
「?」
「司令官」
響の方を向くと、何か包みを持っていた。
「いつもありがとう。お父さん」
カレンダーを見ると、父の日と書いてあった。
「本当のお父さんじゃないけれど、私にとって、司令官はお父さんのような存在だから」
「響ちゃん、今日の為に前から張り切っていたんですよ。今日だって、私と一緒に買い物に行ったりしたんだもんね」
「うん」
それで用事があると……。
「そのプレゼントも、自分のお小遣いで買ったんですよ」
「喜んでくれると、嬉しいな……」
自分の為に使えと言ったのに。
「司令官?」
「提督?」
俺は泣いていた。
自分でも驚いた。
どうして泣いているのか、自分でも分からない。
とにかく、嬉しかったことは事実だ。
だからって、泣く奴があるか。
戦争中ですら、こんなに泣くことはなかった。
「し、司令官……どうしたの? どこか痛い?」
「提督……」
鳳翔も涙ぐんでいた。
「響……ありがとう……。嬉しいよ……」
そう言って、響を強く抱きしめた。
「司令官、痛いよ……」
「スマン……」
「料理が冷めちゃうよ。鳳翔さんと一緒に作ったんだ。食べよう?」
「ああ」
料理は最高に美味かった。
俺の好物ばかりなのもそうだが、やはり愛情がこもっている料理は違うと、はっきり分かる。
「美味しい?」
「ああ、ありがとう。響、鳳翔」
「いえ、良かったね、響ちゃん」
「ハラショー!」
夜も遅くなったので、駅まで鳳翔を送る事に。
「今日はありがとう。鳳翔」
「いえ、喜んでくれてよかったです。響ちゃん、心配してたから。喜んでくれるかどうか」
「自分でもびっくりするくらい喜んじまったよ」
「提督が泣いているところなんて貴重でしたから、写真でも撮っておけば良かった」
「おいおい」
「なんて」
水銀灯が二人の影を伸ばしたかと思うと消え、また伸びては消えを繰り返した。
それを二人して見ていた。
――いや、と言うよりも、二人してうつむいていた。
なんだかこうして肩を並べて歩くのが、恥ずかしかったのだ。
「そう言えば、今日はどうしていたんですか?」
「ああ、実は瑞鶴に会ってな」
瑞鶴に会った経緯から、色々買わされたこと、悩みを聞いたところまで話した。
「そうだったのですか。あの子も意外と繊細ですからね」
「そうなのか?」
「えぇ、よく相談を受けてました」
俺の知らないところでそんなことを。
戦時中は、心配をかけないように、明るく振る舞っていたのだろうか。
「でも……私も分かります。将来がどうなるのか不安です……」
「お前はいつか店を持つのだろう。立派な目標があるじゃないか」
「えぇ……でも、その気持ちも、最近は揺らいできてるんです……」
「ほう。やりたい事でもできたか?」
「私も女性ですから……。やっぱり……」
そう言って、鳳翔は自分の左手を握った。
俺にはその意味が分かった。
だが、あえて口にしなかった。
口にできなかった。
それもまた、鳳翔がどこかに行ってしまうという不安の為だった。
不安からの逃げだった。
「……そうだよな」
それからは、二人とも黙ってしまった。
「ここで大丈夫です」
「そうか。今日は本当にありがとう。気を付けてな」
「はい」
「また」
「また」
電車に乗るまで見送ろうすると、鳳翔はその場から動かなかった。
「どうした?」
「あ、見送ろうかなと思いまして」
「今日は俺が見送るよ」
「そんな、悪いですよ。見送らせてください」
「いやいや。それに、早く電車に乗らないといけないだろう」
そう言っても、鳳翔は動こうとしない。
「そんなに見送られるのが嫌か」
「え? そういう訳では……」
「では、何か特別な理由でもあるのか?」
「…………」
鳳翔がうつむく。
別れ際になると、いつもお前は悲しそうな顔をするな。
「提督が帰ってくれないと、私も帰れないんです……」
「?」
「帰る決心がつかないんです……」
「スマン……どういうことだ?」
そう言って顔を覗きこむと、鳳翔の顔は真っ赤になっていた。
「ど、どうした?」
「……お別れしたくないんです」
「え?」
「ずっと、一緒にいたいんです! お別れする決心がつかないから、提督が帰ってくれないと、帰れないんです!」
涙を浮かべながら、真っ赤な顔をして、そう言った。
「鳳翔……」
「は、早く帰ってください……。響ちゃんが待ってますよ……」
「あ、あぁ……しかし……」
「電車が行っちゃいますから!」
「わ、分かった……。気を付けてな」
そう言って、足早に駅を後にした。
振り向くと、鳳翔はまだうつむいていた。
家に帰ると響が居間で寝ていた。
「俺を待ってる間に寝ちゃったのか……」
この日の為に、色々考えてくれたのだろう。
一生懸命、プレゼントを選んで、料理をして、俺を喜ばせようと頑張ったのだろう。
「響……俺はお前のお父さんになれるのか心配だ……」
瑞鶴が、鳳翔が悩んでいたように、響もいつか、将来に不安を持つだろう。
そんな時、元司令官として、家族として、父親として、俺はこいつの為に何かできるだろうか。
「司令官……?」
「起こしちゃったか。部屋で寝ろ」
「……だっこ」
「はいよ」
響の体は温かくなっていて、もう完全におねむモードだった。
抱き上げると同時に、また眠ってしまった。
「ははは。こうしてると、本当に親父になった気分だ」
「お父さん……」
「!」
寝言か。
やはり、父親が恋しいのか。
「愛情は、本当の親にしか、与えられないのかもしれないな……」
ならば、俺にできる事は、早くこいつの親を見つけてやることだ。
それが、俺がこいつの将来の為にしてあげられる、唯一の事なのかもしれない。
「お休み……響……」
オレンジ色の光の中、眠る響の顔をずっと見ていた。
今なら、鳳翔のあの言葉の意味が、はっきりと分かる気がした。