あれから、鳳翔が俺を避けている気がする。
連絡をとっても、仕事が忙しいの一点張りだ。
俺がいないところで、響とは会っているらしい。
「鳳翔さん、司令官の事は一切話さないんだ。まるで避けているみたい」
「そうなのか……」
「何かあったの?」
「ああ、実は――」
「えー!? ほとんど告白だよそれ! ね、響ちゃん!?」
「そうだね」
「なのだろうか……と言うか、何故お前もいるのだ、瑞鶴……」
「にひひ。偶々、響ちゃんと町で会って。ねー?」
「ね」
「……まあいい。俺としては鳳翔と会って、ちゃんと話がしたいのだが……」
「何故か避けられてるって訳ね」
「私が鳳翔さんに話してもいいのだけれど……余計かな……」
「余計ではない。だが、これは俺とあいつの問題なのだ。どうして俺を避けているのかは分からないが、ちゃんと話さないといけない」
「提督さんはどうしたいの? 鳳翔さんの事、好きなの?」
「……好きとかそう言う問題なのだろうか?」
「そうだと思うよ? 鳳翔さん的には、提督さんに告白したようなもので、それで気まずく感じているんじゃない?」
告白。
恋とかそう言うのは全く分からない。
しかし、俺があいつに特別な感情を持っていたのも事実だ。
いつか訪れるであろう別れ。
それを考えると苦しかった。
「俺はどうしたらいいのだ……」
「司令官の気持ちを正直に話したらいいと思う」
「え?」
「鳳翔さん、司令官を避ける前は、司令官の事たくさん知りたがってた。本人に聞いた方がいい事もたくさんあったけれど、私に聞いて来たんだ」
鳳翔が俺の事を。
何故、俺に聞かないのだろう。
「司令官は、自分の事、あまり話さないよね。一緒に住んでる私でも、知らない事はたくさんだ」
「そう言えば提督さん、ミステリアスな部分ありすぎて、よく青葉に尾行されてたもんね」
「そうか?」
「鳳翔さんは司令官の事、もっと知りたいんだと思う。司令官からの気持ちを知りたいんだと思う」
「俺の気持ち……」
「なるほどね……。鳳翔さんは勇気を出して、そう言ったけれど、提督さんの気持ちは分からないもんね」
「だから、今は一番苦しいんだと思う。司令官、鳳翔さんに正直な気持ちを教えてあげて欲しい。私は、司令官が「家族でいい」と言ってくれたの、凄く嬉しかったよ。それは、司令官の気持ちを知れたのもあるんだ。だから……」
響の目が、本気で訴えかけてきている気がした。
それほどに、響にとって鳳翔は大切な人であるのだろう。
「本音を言えば、鳳翔さんの気持ちに対して、良い答えをしてくれたらとは思う。けれど、司令官も一人の男だ。誰の気持ちも気にせずに、自分に正直な答えを出して欲しい」
「響……」
「響ちゃん……」
「私は、司令官がどんな答えを出そうと、それを受け入れるよ」
「そうだね……。私も、提督さんがどんな答えを出そうと、いいと思うよ」
別に、響や瑞鶴の目を気にしたわけではない。
けれど、心の奥底で、将来に対するぼんやりとした不安があった。
そして、その将来に、必ず響は関わってくるのだ。
俺の手を離れようが、俺と共に生活していようが。
鳳翔に対する気持ちに嘘はない。
だが、響の背中を前に、立ち止まっている自分を認めたくなかった。
響のせいにしたくなかった。
だからこそ、俺は俺の気持ちのせいにしていた。
鳳翔に対する気持ちに、疑問を持っていると嘘をついた。
「お前たち……」
だから、嬉しかった。
響も瑞鶴も、俺の為に道を開けてくれた。
その先にいる鳳翔の背中を見せてくれた。
俺を、一人にしないでいてくれた。
「ありがとう二人とも。俺は、鳳翔に正直な気持ちを伝えてくる。どんな結末だろうが、俺を待っていてくれるか?」
「うん!」
「大丈夫だよ、提督さん!」
頼もしい二人の顔がそこにはあった。
分かっていたことじゃないか。
いつだって、俺を助けてくれたのはこいつらだった。
絶望の最中、一筋の光を与えてくれる存在。
それが艦娘だった。
それは、人間に戻っても、変わりはしないのだ。
小さな定食屋は、ランチを終えると同時に、暖簾を店にしまった。
次の開店は、夕方の四時頃らしい。
「お先に失礼します」
そう言って店から出てきた鳳翔は、俺の姿を見て固まった。
驚きを表した眉毛が、どんどん力を失って行き、悲しさを表していった。
「提督……」
「少し、歩かないか?」
曇天の空の下、大きな公園内を二人してゆっくりと歩いた。
湿った匂いが、雨を予感させる。
「洗濯物、大丈夫か?」
「え……? あ、今日は……干してませんので……」
「そうか……」
弾まぬ会話。
どう切り出せばいいのか分からなかった。
鳳翔は鳳翔で、俺を避けた事を悪いと思っているのか、黙ったままだ。
「……紫陽花」
「え?」
「そこです……」
鳳翔の指さす先に、色鮮やかな紫陽花が咲いていた。
「綺麗だな」
「はい……」
ふと、子供の頃に聞いた話を思い出した。
「紫陽花には色んな花言葉があるが、その見た目から、一家団欒という意味もあるらしい」
「一家団欒……」
「言われてみれば、そうも見えるよな」
「そう、ですね……」
鳳翔の顔が暗くなってゆく。
一家団欒という言葉の中に、お前は何を思うのだろうか。
「――俺は、将来が不安だった」
「え……?」
「いつか、響もお前も、どこかへ行ってしまう。そうなった時、俺はどうなるんだろうって……」
「…………」
「俺は響もお前も失いたくはない。だが、俺はどちらかを選ぶか、どっちも失うかしか無かったんだ……」
「どうして……ですか……?」
「お前の事が好きだからだ。愛しているからだ」
時が止まった気がした。
俺も鳳翔も、表情は変わらなかった。
「響のせいにしたくはないが……俺は響の背中の先に行けなかった……。その先にいる、お前の所へ行けなかった……」
「…………」
「俺は響の親だ……。だから、一人の男にはなれない……。そして、一人の男となってしまえば、響の親になれないのだ……」
「……分かりません。何故、そうなるのかが……」
「俺が……響の本当の親じゃないからだ……。本当の親ならば、あいつに無条件の愛を与えてやれるのかもしれない……。だけど、俺は他人だ……。あいつに与えられる愛は、一つしかない……。男としての愛、ただそれだけだ……。親の愛は、本当の親にしか与えられないんだよ……」
「提督……」
「それでも……あいつは道を開けてくれた。お前に、本当の気持ちを打ち明けて来いと言ってくれた。俺はそれに応えて、お前に気持ちを打ち明けに来た。でも、やはり迷いがあるのだろうな。その先が見えない。打ち明けたところで、不安は消えてはくれないのだ……」
その時だった。
鳳翔の小さな手のひらが、俺の頬を強く叩いた。
「鳳翔……?」
「響ちゃんだって……同じ気持ちです……! 貴方は本当の親じゃないから、自分のせいで苦しませたくないと、響ちゃんは思ってます……! 貴方が本当の親であるのなら、響ちゃんだってそんな事は言わなかったはずです……!」
いつの間にか、「提督」から「貴方」に変わっている。
気を遣わない本音を言う時、彼女はそう言うのだ。
「響ちゃんは分かっていたんです……貴方が一人の男として生きる意味を……。きっと、苦しい決断だったはずでしょう……。それでも、貴方の幸せを選んだのです……」
俺は、そんな事には気が付けなかった。
響が俺の気持ちを……?
俺は、単に鳳翔の事を思っているだけだと思っていた。
けれど、もし鳳翔の言うように、響も俺と同じ気持ちを持っていたのなら……。
「俺は……俺は……どうすれば……」
鳳翔の両手が、俺の手を掴んだ。
「……家族じゃ……駄目ですか?」
「え?」
「私が家族じゃ……駄目ですか……?」
鳳翔の目から、涙が溢れていた。
その意味が、最初は分からなかった。
「貴方の気持ちも、響ちゃんの気持ちも、私は受け入れられませんか……? 私じゃ、家族になれませんか……?」
「鳳翔……?」
「どちらかにしかなれないのなら、私と貴方が家族になれませんか……? そうすれば、響ちゃんを愛すことが出来るはずです……」
「家族……」
「恋人とか、好きとか、そう言うのじゃなくていい……。私は、貴方と響ちゃんと家族になりたい……。ずっと、三人でいたいんです……」
そうか……。
そうだったのか……。
「提……」
鳳翔の体を抱きしめた。
小さな小さな体だった。
「俺も……同じ気持ちだ……。お前と一緒に居たい……。家族として……未来にお前がいて欲しい……」
恋人だとか、好きだとか、そういう気持ちもある。
けれど、それ以上に、俺は鳳翔と一緒に居たかった。
響と一緒に居たかった。
三人で、一緒に居たかった。
家族に、なりたかった。
「提督……」
泣きなれていないのか、鳳翔は声を漏らしながら泣いた。
俺の胸の中で、たくさん泣いた。
鳳翔が落ち着くまで、俺たちはベンチに座り、寄り添っていた。
戦時中も傍にいたはずなのに、こんなにも近づいたことはない。
心も、体も。
「私、寂しかったのです……」
「寂しい……?」
「提督がどこかに行ってしまう気がして……。離れたくなかったんです……」
別れ際に見せる悲しそうな顔は、そういう意味だったのか。
「私も貴方が好きです……愛しています……。だからこそ、貴方の気持ちに寄り添っていたい……。貴方と居たい……」
「鳳翔……」
「だから、今が一番幸せです……。こうして、貴方と居られる……。貴方も同じ気持ちでいてくれる……」
俺の気持ちが分からないという事で悩んでいたことも間違いではなさそうだ。
「後は……響ちゃんが私を家族として受け入れてくれるか……ですね……」
「受け入れてくれるさ……。そうなったら、一緒に暮らそう……」
「一緒に……本当ですか……?」
「ああ、だって、家族だろう?」
「提督……」
そう言うと、また鳳翔は泣き出した。
「泣き虫だな、家のお母さんは」
曇天の空に、一筋の光が零れて、それがどんどん広がってゆく。
その先にある空は、温かいオレンジ色をしていた。
温かい風に吹かれた紫陽花が、小さく揺れた。
鳳翔を見送り、家に帰ると、もう瑞鶴はいなかった。
響はと言うと、居間で好きなテレビ番組を見ていた。
「ただいま」
「お帰り司令官」
響はテレビに夢中なのか、テレビに視線を向けたままだった。
そんな響の背中に話しかける。
「鳳翔に気持ちを伝えたよ。好きだ、愛しているって」
「そっか。鳳翔さん、何だって?」
「私も、だってさ」
「そうか」
テレビがCMに移っても、響はテレビから視線を離さなかった。
「響」
「なんだい?」
「こっちを見てくれないか?」
テレビの音がうるさく聞こえた。
「響、こっちを見ろ」
小さな背中が震えていた。
俺にはその意味が分かっていた。
「響」
瞬間、響は立ち上がり、自室へと走り出した。
「響!」
咄嗟に響の腕を掴んだ。
「放して……!」
「放すもんか!」
強引だが、腕を引っ張り、肩を掴んで正面を見た。
「……っ!」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった響の顔が、そこにはあった。
鳳翔の言ってたことは正しかった。
「響……」
「ぅ……く……ぅ……」
きゅぅ……と言うような、子供特有の嗚咽。
それを堪えようとしているのか、顔が力んでいる。
「し、司令官……ぅ……鳳翔さん……っ……と……幸せに……なって……」
「…………」
「わ、私……は……大丈夫……だから……っ……」
「ああ……幸せになる……」
響は、あふれる涙を、服の裾でゴシゴシと拭いた。
「赤くなるぞ、やめておけ……」
「……ぅ……っ……」
「響、俺はな、お前の本当の親にはなれない」
「…………」
「でも、家族にはなれると思うんだ。艦隊にいた時だって、みな家族だったろう?」
「う……ん……」
「お前と俺、そして、鳳翔。瑞鶴が居たっていい。暁だろうが誰だろうか、居たっていい。ずっと一緒に居れれば、それはもう家族だ」
「…………」
「俺は鳳翔を愛している。鳳翔も俺を愛してくれる。そして、俺も鳳翔も、お前を愛している」
「司令官と……鳳翔さん……が……?」
「ああ。ずっと一緒に居たいと思っている。家族になりたいって、思っている」
「……!」
「ずっと一緒に居たいって言われた。家族になりたいって言われた。俺もそう思うし、一緒に住もうと言った。そこに、お前もいて欲しいと言われた。俺も、そう思った。三人で、住もうと言った。あいつも、そうしたいと言った」
響の顔が、先ほどと同じように崩れてゆく。
「お前さえよければ、三人で住まないか? 三人で、家族にならないか? ずっと、出来る限りずっと、一緒に居てくれないか?」
響は、今まで聞いたことないくらい大きな声で泣いた。
あの時見せた涙とは、比較にならないくらい、大粒の涙を流していた。
それが響の答えだった。
響の不安の全てだった。
俺の体がそれら全てを包み込むことが出来るのならば、平気で差し出そう。
それを頼ってくれる人が居る。
それだけで、俺は幸せになれる。
俺は本当の親でも、本当の家族でもないけれど、響が必要としてくれる限り、俺はそれらになることが出来る。
俺があって、響があって、鳳翔があって――。
それだけで、十分。
それだけで、家族になれるのだ。
「これからもよろしくな……響……」
「うん……司令官……。ありがとう……」
今日、俺には、家族が二人出来た。
よく泣く、泣き虫な家族が。
――続く。