艦娘達の戦後   作:雨守学

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「響ちゃんのご両親が……ですか!?」

 

「厳密にいうと、両親ではないんだ。両親に繋がりはするのだろうがな……」

 

響が学校へ行っている間に、鳳翔に電話の事を話した。

響にはまだ言っていない。

言うかどうか悩んだ結果、鳳翔に相談することにしたのだ。

 

「それで、響ちゃんの両親に繋がる情報と言うのは?」

 

「まだ定かではないのだが、響の祖父母にあたる人がロシアにいるらしい。響の両親の行方について知っている可能性があるそうだ」

 

「ロシアですか……」

 

「確かに、国内で情報がないのなら、海外にいる可能性もあるな。もしかしたら、ロシアに響の両親も……」

 

「響ちゃんには……」

 

「言っていない。言うかどうか、迷っているのだ」

 

「情報が確実なものにならない限り、伏せておいた方が……」

 

「やはりそう思うか」

 

変な期待をさせるのも可哀想だ。

だからと言って、このまま隠し通せるものだろうか。

 

「とにかく、この事は二人だけの秘密にしてくれないか。俺は隠すのが下手だから、何とかフォローを頼む」

 

「分かりました」

 

響の両親が見つかるかもしれない。

良い事なのに、俺も鳳翔も素直に喜べないでいた。

 

「もし、ロシアに響ちゃんのご両親がいたら……」

 

会うことは、難しくなる。

下手したら、一生――。

 

「…………」

 

返事をする気にもなれなかった。

 

 

 

「ただいま司令官」

 

「おう、お帰り」

 

いつものように。

そう振る舞おうとすればするほど、不自然な動きになってしまう。

だから、俺は電話の件を忘れる事にした。

俺は何も知らない。

その方が、楽でもあった。

 

「ただいま鳳翔さん」

 

「え……? あ、お帰りなさい響ちゃん」

 

「大丈夫? ぼーっとしてたけれど」

 

「う、うん。ちょっとね……」

 

逆に鳳翔の方が意識しすぎているように感じた。

話さない方が良かったのかもしれない。

 

「響、手洗って来い」

 

「うん」

 

響が去ってから、鳳翔に近づく。

 

「大丈夫か?」

 

「えぇ……」

 

「響の事……意識させてすまない……」

 

「あ、そうじゃないんです。そうじゃなくて……」

 

そう言うと、鳳翔は俯いた。

どうやら響の件とは別に、何か思う事があるらしかった。

 

「鳳翔?」

 

俺の問いかけに、鳳翔は決意したように顔をあげた。

 

「後でお話があります……。響ちゃんも一緒に聞いてくれると嬉しいです……」

 

その目は、とても真剣なものであった。

 

 

 

夕食も済ませ、一段落してから、三人で居間のテーブルを囲んだ。

響は、何ごとかと心配そうに鳳翔の方を見ていた。

一間あった後、鳳翔は口を開いた。

 

「お二人にはお話ししておかなければならない事があります……」

 

「…………」

 

俺も響も顔を合わせた。

こんなに深刻そうな鳳翔の顔を今まで見たことが無かったのだ。

 

「実は、この生活の事を、私は両親に話してませんでした」

 

「……何故だ?」

 

「父です……。父は、私が一人で暮らす事にすら反対した人です。艦娘として戦いたいと言った時だって……」

 

「鳳翔さんはお父さんと仲が悪いの?」

 

「えぇ……。あの人は、私のする事のほとんどを否定して来た……。父から離れたい気持ちもあって艦娘になったし、一人で暮らしていたの」

 

「しかし、何故急にそんな事を……」

 

「実は……母にだけは、昨日電話で話したのです。母は私の良き理解者でしたから……。しかし、あまりよく受け取ってくれなくて……」

 

鳳翔の母親が具体的にどう良くないと思っているのかは、あえて聞かなかった。

鳳翔が話さないところを見ると、おそらくは――。

 

「父に理解されなくても、母には理解してほしいのです。なので――」

 

そう言うと、鳳翔は頭を下げた。

 

「どうか、私の両親と会ってくれませんか……?」

 

俺の答えは決まっていた。

響も同じようで、俺の顔を見て頷いた。

 

「当然だ。それに、近々挨拶をと思っていたところだ」

 

「鳳翔さんは私たちの家族だ。私に何が出来るか分からないけれど、少しでも力になりたい」

 

「ありがとうございます……提督、響ちゃん……」

 

いつまでも頭を下げ続ける鳳翔をなだめ、その日の話は終わった。

 

 

 

数日後。

前日に買った手土産を持って、俺たちは家を出た。

俺も響も、余所行きの服に身を包んで、身形を整えた。

 

「そこまでなさらなくても……」

 

「いや、少しでも誠意を見せれたらと思ってな。な、響」

 

「うん。私もいい子だって思われるように努力するよ」

 

「響ちゃんは普段からいい子よ。だから、あまり緊張しないでね」

 

「大丈夫」

 

そうは言っても、緊張はするものだ。

昨晩は、今日の事を考え過ぎて、あまり眠れなかった。

 

「すみません……。こんな事になってしまって……」

 

「気にするな」

 

重苦しい空気が流れる。

それを察してか、響は俺と鳳翔の手を取った。

 

「三人でのお出かけ、嬉しいな」

 

それは本心か、はたまた気を遣ったのか。

 

「だな」

 

「――そうね」

 

どちらにせよ、俺と鳳翔はその言葉に救われた。

 

 

 

列車に揺られて二時間ほどすると、田畑広がる田舎の風景が、車窓から望めた。

そんな景色に、響は夢中になっていた。

 

「いいところじゃないか」

 

「何もない田舎です。狭くて、世間知らずの集まる所なんです……」

 

「だが、お前はここで育ったのだろう? なら、いいところなんだろうと思うがな」

 

「過大評価ですよ」

 

そう言って俯く鳳翔。

これからの事が不安なのだろう。

返答が一々悲観的だ。

 

「大丈夫か?」

 

「えぇ……」

 

鳳翔は俺の手をそっと握った。

慰めの言葉もなく、俺は、それを握り返すことしか出来なかった。

 

 

 

駅からバスを乗り継いで、やっとのことで鳳翔の実家に着いた。

 

「…………」

 

家の敷地に入ろうとした時、鳳翔の足が止まった。

 

「鳳翔」

 

「鳳翔さん」

 

響と俺とで手を差し伸べてやった。

 

「……ありがとうございます。大丈夫です」

 

そう言って、鳳翔は俺たちを後ろに、玄関へ入っていった。

 

「――ただいま」

 

待っていましたと言わんばかりに、玄関から鳳翔の母親と思わしき人が駆けてきた。

 

「お母さん……」

 

鳳翔の母は、久しく見るであろう娘の顔を言葉なく眺めていた。

 

「――お帰りなさい」

 

そして、安堵の混じった声で、そう言った。

 

「電話でも話したけれど、紹介したい人が居るの。お父さんは……?」

 

「お父さんはまだ畑で仕事しているわ。とにかく、あがってちょうだい」

 

鳳翔の母親に促されるまま、俺たちは居間へと向かった。

 

 

 

居間の振り子時計は12時過ぎを指していた。

畳の居間には、丸いちゃぶ台が置かれていて、その上に稲荷ずしやら素麺やらが、蚊帳を被っていた。

縁側からの風を扇風機が運んでいる。

まさに田舎の風景そのものだった。

 

「ようこそいらっしゃいました」

 

「いえ、ご挨拶が遅くなりまして……。これ、つまらぬものですが……」

 

「あらあら、わざわざすみません」

 

「この度は申し訳ございませんでした。ご両親の許可も得ずに、同棲を……」

 

「まあまあ、その話は後にしましょう。お嬢ちゃん、お腹すいたでしょう?」

 

そう言うと、響は小さく頷いた。

緊張しているようだ。

 

「お昼はまだでしょう? お口に合うか分かりませんが、どうぞ食べていってくださいな」

 

そう言うと、ちゃぶ台の上の蚊帳を外した。

 

「すみません。いただきます」

 

 

 

食事中は、他愛もない会話が続いた。

ここの地域の事や、昔の鳳翔の話など。

時折、響に対しても話しかけてくれて、お互いの緊張は徐々にほぐれていった。

 

「そう、響ちゃんって言うのね。貴女も艦娘だったのよね?」

 

「うん」

 

「通りでお利口だと思ったわ。さ、いっぱい食べてね」

 

「とても美味しいです。さすが、鳳翔さんのお母さんだ」

 

「あら、ありがとう」

 

対して、鳳翔の表情はずっと暗かった。

時折、縁側の方を見たりしている。

父親の事が気になるのだろう。

 

「鳳翔」

 

「あ……はい」

 

「母親譲りなんだな。お前の料理」

 

「えぇ、ずっと母と一緒に居たので……」

 

「お母さんっこだったのよ、この子」

 

「鳳翔さんのお母さんって、なんだか不思議だ。私にとって、鳳翔さんがお母さんだから」

 

「なら、私は響ちゃんのおばあちゃんかしら?」

 

鳳翔の母親がそう言うと、鳳翔も少しだけ笑った。

それでも、どこか不安を残した顔である事に変わりはなかった。

 

 

 

食事を済ませ、くつろいでいると、鳳翔の父親が帰って来た。

 

「あ……」

 

挨拶する間もなく、一目こちらを見ると、そのまま風呂場へ向かっていった。

 

「ちょっとアナタ。もう、ごめんなさいね。あの人、人見知りでね」

 

「いえ」

 

「ああ見えて、本当は心配性なんです。この子の事だって……」

 

「そんなんじゃないよ、お父さんは……。私の事なんて、なんにも考えてないんだから……」

 

鳳翔と父親の間に、一体どんな事があったのかはわからない。

けれど、俺が思うに、鳳翔の父親は不器用な人なのかもしれない。

 

「提督、まずは両親と私の三人で話しをさせてください」

 

「そうね」

 

「分かった。俺たちはしばらく外すことにしよう。響、少し出るか」

 

「うん」

 

「ごめんなさい……」

 

 

 

響を連れて、鳳翔の実家を出た。

田畑と、遠くに見える山しか、この辺りにはなかった。

所々に家はあるが、「お隣」というには距離がありすぎるほどに、点々としている。

 

「何もないね」

 

「人っ子一人いないな。さて、どうやって時間を潰すかな」

 

「司令官」

 

「なんだ?」

 

「肩車、してほしい」

 

「いいけど、急にどうした?」

 

「普段出来ない事をしようと思うんだ。ここには、私の知り合いはいないしね。人の目を気にしないで甘えられるかなって」

 

「普段から人の目なんて気にせず甘えていいんだぞ」

 

「恥ずかしいんだよ」

 

「恥ずかしい自覚があるのか」

 

それでも甘えてくるところを見ると、やはり子供なのだなと思う。

きっと、そのことを言ったら怒るだろうな。

 

「ほら、よっと!」

 

響を抱きかかえ、そのまま肩に乗せた。

 

「しっかり掴まってろよ」

 

「うん」

 

そのまま田舎道を歩いた。

目的もなく、何も考えずに。

 

「鳳翔さんのお母さんのご飯、美味しかったね」

 

「ああ」

 

他愛の無い会話。

目的地の無い散歩。

何でもないような時間が、今の俺にはとても大事に思えた。

 

「やっぱり、鳳翔も人の子なんだな。ああいうところを見ると」

 

「司令官の両親は?」

 

「いないよ。俺が中学生くらいの時に死んじまった。親父は戦死で、母は病死だ」

 

「……すまない」

 

「なに、気にするな」

 

「司令官には、私がいるよ」

 

「――ああ。ありがとう」

 

心から喜べない自分が居た。

 

 

 

時間が大分経っていることに気が付いて、鳳翔の実家へと引き返した。

 

「もうそんなに経ったんだね」

 

「楽しい時間はあっという間だな」

 

「肩車して歩いてただけだけどね」

 

ここまで来る間、誰一人にも会わなかった。

店も無ければ、公園も無い。

車すら見ていない。

 

「まるで私たちだけの世界みたいだね」

 

「一緒に住み始めた時の事を思い出すな」

 

「……そうだね」

 

そう言うと、響は俺の頭に頬を乗せた。

 

「ねぇ司令官……」

 

「なんだ?」

 

「どうしたら……司令官とずっと一緒にいれるかな……?」

 

俺は何も答えなかった。

 

「鳳翔さんの実家、結構遠いところにあるね……。もし、私の両親が見つかって、住んでいるところがとても遠かったら、司令官とは滅多に会えなくなっちゃうのかな……」

 

「響」

 

「なんだい?」

 

「その話、もう止してくれないか?」

 

「え?」

 

「頼む」

 

俺の気持ちを察してか、響はそれっきりその事を話さなかった。

 

「降りるよ」

 

「そうか?」

 

降ろしてやると、今度は抱っこをせがんできた。

抱きかかえてやると、そのまま俺の首に手をまわして、頬を摺り寄せた。

 

「…………」

 

お互いに無言のまま、鳳翔の実家を目指した。

 

 

 

鳳翔の実家に帰ると、親子三人での話しは済んだようで、何とも言えない雰囲気になっていた。

鳳翔の父親が縁側で煙草をふかしていたので、その場で挨拶をすると、父親は小さく頷くだけだった。

 

「提督、お帰りなさい」

 

「ああ。どうだ?」

 

「とりあえず、状況は分かってくれたみたいです。お母さんは、悪い人じゃなさそうだし、安心したと……」

 

「……親父さんは?」

 

そう言うと、鳳翔は分の悪そうな顔をした。

 

「反対されたのか?」

 

「いえ……勝手にしろ……との事でした……」

 

「そうか……」

 

「……お父さんの事はもういいんです。お母さんに認めてもらえれば、それで……」

 

そうは言っているが、父親にも認めてもらいたかったのだろう。

鳳翔は横目で父親の背中を見た。

 

「こんにちは」

 

そんな父親に話しかけたのは響だった。

 

「……こんにちは」

 

怠そうな父親の声が返す。

 

「響って言います。鳳翔さんと一緒に住ませてもらってます」

 

それから響は、自分の事や、俺の事、鳳翔の事や、家族の事、何でも父親に話していた。

そんな響を、父親は静かに見守っていた。

時折、相槌を打ちながら。

 

「だから、私は両親が見つかるまで、お世話になっているんです」

 

そこまで言い終えた時、父親が重い口を開いた。

 

「響ちゃんは……今が幸せかい……?」

 

「うん。司令官が居て、鳳翔さんが居て……。二人は私にとっての家族……大切な人達です」

 

「そうか……」

 

煙草の火をもみ消すと、重そうに体を立たせて、俺の方へ向いた。

 

「帰ってきてばかりで悪いが……少し、歩かないか……?」

 

鳳翔が心配そうに俺の方を見た。

 

「はい」

 

「支度してくる……」

 

そう言うと、ゆっくりと居間を去っていった。

 

「提督……」

 

「大丈夫だ。行ってくる」

 

響に鳳翔と待っているように伝え、外で父親を待った。

 

 

 

日が傾き始めている。

空の色は段々とオレンジ色を含んできて、その中を悠然とトンビが飛んでいた。

 

「待たせたかな……」

 

「いえ」

 

そのまま、ゆっくりと歩き始めた。

昼間と同じように、目的地はない。

 

「君の事は、あの子から聞いた……。あの子の提督だったそうだな……」

 

「はい。娘さん、そして、響と共に戦いました」

 

「あの子は役に立っていたかね……」

 

「秘書艦として、私のサポートをしてくれました。もちろん、戦いにおいても優秀でした」

 

「そうか……」

 

その時の父親の顔は、どこか嬉しそうだった。

 

「昔から……よく頑張る子だった……。とても優しい子でね……」

 

それから、鳳翔に関する昔話を淡々と聞かされた。

まるで自分の自慢話でもするかのように、父親の顔は、どこか誇らしげに見えた。

 

「大事にされて来たのですね」

 

「だが、あの子は俺の事を嫌いなんだろうな。なんたって、厳しい事ばかり言って来たからな……」

 

「でも、それは、お義父さんが鳳翔の事を大事に思ってやったことじゃないんですか」

 

「本人がそれをよく思ってなかったのなら、私のしたことは無駄だったという事だ……」

 

「そんな事は……」

 

「……君は優しいね。私が持っていないものを、君は持っている」

 

俺を見るその瞳は、とても穏やかなものだった。

 

「あの子が君を連れてくると聞いた時、絶対に殴ってやろうと思っていた」

 

俺も、殴られるだろうと覚悟していた。

 

「しかし、あの子の話を聞いて、君がいい人なんだと分かった。私とは違う、いい人なんだと。それに、あの子は言っていた。「恋人なんかじゃなくていい。あの人達と家族になりたい」と……」

 

父親は天を仰いだ。

 

「あの子には、理想の家族像があるのだろう。幼い頃から夢見た、家族像が。君はそれを、あの子に与えられる。もちろん、響ちゃんにもな……」

 

「お義父さん……」

 

「あの子を……よろしくお願いします……」

 

深々と頭を下げた背中で、夕日が山の方へと沈んでいった。

 

 

 

夜も遅くなるといけないので、俺たちは早々に帰る支度をしていた。

父親は、鳳翔の顔も見ず、先ほどと同じように縁側で煙草をふかしていた。

 

「またゆっくり出来る時にいらしてください」

 

「はい、是非」

 

「またね、響ちゃん」

 

「うん!」

 

「貴女も、体に気を付けるのよ。困ったことがあったら相談しなさいね」

 

「えぇ、お母さんも。ありがとうね」

 

鳳翔がちらりと父親の背中を見た。

 

「いいのか?」

 

「……えぇ」

 

そのまま、鳳翔の実家を出た。

 

 

 

バス停に着き、バスの時刻を確認すると、幸いにもあと少しで来ることが分かった。

これを逃すと、もう二時間は来ることが無いようだ。

 

「鳳翔のお母さん、いい人だったね」

 

「私の目標だもの。私も、響ちゃんにいいお母さんって言われるように頑張るね」

 

「鳳翔さんはもういいお母さんだよ」

 

「ありがとう」

 

俺はずっと父親の事が気がかりだった。

これでいいのだろうか。

あの人は、俺以上に鳳翔の事を考えている。

あんなに優しい父親はいないだろう。

なのに、報われなくていいのか?

 

「鳳翔……あのさ……」

 

そう言いかけた時、息を切らしながら、父親がバス停へと走って来た。

 

「お父さん……?」

 

「はぁ……はぁ……」

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

「あ、あぁ……」

 

父親の息が整うまで待った。

 

「もう大丈夫だ……」

 

「……どうしたの?」

 

鳳翔は目も合わせないで、冷たく聞いた。

 

「これ……」

 

そう言うと、幾分か分厚い封筒を鳳翔に手渡した。

 

「なに……これ……?」

 

「お前の為に貯めた金だ」

 

「え……?」

 

「いつか……こんな日が来ると思っていた……。親の元を離れて、自分の見つけた大切な人と家族となる日を……」

 

父親の目は、あの時の穏やかなものと同じ目をしていた。

 

「お前が子供の頃から、ずっとこの日を想い続けた。私は不器用だから、お前に沢山迷惑をかけてしまうと分かっていたんだ……。良き父親になれないと分かっていた……」

 

鳳翔は初めて父親に向き合った。

 

「だから……こんなことしか出来なかった……。ごめんな……こんな父親で……。こんな事しか……出来ない父親で……」

 

父親の目には、うっすらと涙が溜まっていた。

鳳翔が子供の頃から、コツコツと貯めてきたのだろう。

封筒はボロボロだった。

 

「……なんでよ」

 

封筒を持つ手が震えていた。

 

「なんでよ……。どうして……」

 

鳳翔の目から、一筋の涙が零れ落ちた。

それと同時に、バスが近づいて来た。

 

「バスが来たな……。どうか、この子をよろしくお願いします……」

 

そう言って、また俺に頭を下げた。

 

「響ちゃんも、またな……」

 

「……うん」

 

バスが俺たちの前にとまった。

 

「さ、早く行きなさい……」

 

「お父さん……私……」

 

「じゃあな……」

 

そう言って、父親は実家の方へと歩いて行った。

 

「お父さん……!」

 

追いかけようとする鳳翔の手を掴んだ。

 

「放してください……!」

 

俺は無言で首を振った。

鳳翔はそのまま大粒の涙を流して、項垂れるままバスへと乗った。

 

 

 

バスには俺たち以外に乗客はいなかった。

あれから鳳翔はずっと泣いている。

運転手が心配そうに、ミラー越しにこちらを見つめていた。

 

「……俺と話したときも言っていたよ。ずっと、お前の事を思っていたんだそうだ。自分はいい父親になれなかったと言っていたが、俺はあんな父親になりたいって、そう思ったよ。立派な父親を持ったな……鳳翔……」

 

「お父さん……」

 

泣き止まない鳳翔の肩を抱いて、目的地に着くまで寄り添ってやった。

 

 

 

帰りの電車で、泣き疲れた鳳翔は眠ってしまった。

 

「よく眠っているね」

 

「安心したのもあるのだろうな……」

 

「……やっぱり、本当の家族って、私たちには無いものを持ってるね」

 

「……そうだな」

 

改めて気づかされる、本当の家族の存在。

俺たちに無いもの。

本当の家族になるには、それが必要なのだろう。

 

「私たちも、あんな家族になれるかな?」

 

「なれるさ……きっと……」

 

それは、寝て見るような夢のように、儚い希望なのかもしれない。

だけれど、俺はそれに縋りたい気持ちでいっぱいだった。

 

「きっと……」

 

 

 

そんな希望も虚しく、別れの時は刻一刻と近づいていた。

 

 

 

 

――続く。

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