なんだか、突発的に短編が書きたくなりました。
長ったらしい、冗長な文章で書いてありますので、あらかじめご了承ください。
太宰治先生の「女生徒」を読んで感化されただけなんです(小声)

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排他的経済水域

 あの涸れた井戸なんかに、埋蔵金が眠って居るだなんておとぎ話、私は信じちゃいない。そりゃあ、私たちにとっては一円あれば飛び上がって喜ぶというのに、「埋蔵金」だなんて、金額もわかりもしない曖昧な表現で、私と、母と、姉を、惑わさないでほしい。もしかしたら、昔はお金だったけれど今ではなんの役にも立たぬがらくたかもしれない。いつの日か読んだ挿絵付きの書物のように、硬い環状の石ころかもしれない。

 あれに、水でも張っていれば、母と姉は飛び込もうなんて考えやしないだろう。飛び込んで、骨折り損の草臥れ儲けとかになって、死なれてしまったら、私には何も遺らぬ。私は何も出来ぬのだ。いやでも、長年使われていないと聴く。私も母も姉も使わぬ。ひょっとしたら今やあれは虫の巣になっているやも。ああ、虫と一緒くたにするのは失礼だ。蚊の、幼虫。あれは、確か、ぼうふらだったかしら。であれば油を垂らさなきゃ、蚊は嫌いよ、何せ、私の血を吸うもの。寝ている間にぶんぶん飛び回られて、一晩寝付けなかったことだってあるのだから。蚊は、潰してしまいましょ。邪魔、邪魔。姉は

「可哀想ね。みごもった腹の子のために、血を欲しているだけなのに、潰されてしまうなんて。」

 だなんて、仰るけれど、姉は優しいから、蚊にも血を分けてやることができる。私が、私だけが、出来ないのかしら、蚊を不快に思うのかしら。それとも、私ではなく、姉が、おかしいのかしら。いや、きっと、姉がおかしい。父から引いたお人好しが、災いする日が来なければいいけれど。夏の間、壁に止まる縞蚊を麻布か何かでくるむと、姉は、決まって、

「おやめ」

と叱る。私はそれに腹がたって、少しだけ、ぼやく。善い姉を卑下しようとする。

「お姉様。此奴の所為で私は眠れないの」

「だからって、殺してはいけないわ」

「鶏を飼って、肥えたら捌くじゃない。それと同じよ」

「そういうことではないの」

「お姉様、それではいつか馬鹿を見るわ。──ときに、お姉様、お母様はどちらに?」

 姉は、はぁ、と息をついて、「あら、貴女、まだ寝ていた頃かしら。」と、なんだか、馬鹿にするように、言った。それにも、腹が立ってしまった。でも、母の居場所を教えてくださったのだし、それに、敬愛する姉に少しでも腹を立ててしまった自分が、とことん恥ずかしい。お姉様、なんなら昼の下ごしらえするその刃物で、私の心臓をえぐってくれていいのよ。かっとなって、ごめんなさい。そうよね。殺生はいけないわ、みだりに生物を殺しては、いけないわ。

「街に行ったわ。どこへ行かれたかは知らないけれど、なんだか、お母様、焦っていらしたわ」

「焦っておいでで? どうなさったかご存じありません?」

「さあ。よくよく、お母様は、変な方ね」

「私も思います。ところで、外に出てきます。街のほうに行きますの、お姉様もご一緒にいかが?」

 姉は、濯いだ庖丁を振り上げて、見てのとおり、と言った。そういえば、お料理中だったわね。野暮なことをしてしまった、ごめんなさい。また今度、何処かへ行きましょうね。サンルームの卓においてある布財布を掴んで、お姉様に、言ってきますと告げて、家を出た。古びた戸が軋んで、外へ出るたびに、なんだか、やるせなさを感じるのはご愛嬌。

 ああ、いやだ。街はいやだ。人がいっぱい居る。歩くのは疲れるから、家の近くの郵便局で俥を呼びつけて、それに乗り込み、えっちらおっちら言う車夫の広い背中を見つめる。お姉様、お料理は順調かしら。先刻、苦瓜を切っていらしたから、昼はきっと、苦瓜の炒め物ね。でも、苦瓜も嫌い。なにせ、苦いもの。それ以外に理由なんてないわ。しかし、姉は、姉の料理は、偏食気味の私が食べやすいように調理してくださる。だから、どんなものでも、美味しいの。嗚呼、想像したら、お腹がすいてきた。もう出来上がっている頃かしら。ごめんね、お姉様、すぐ帰ります。

 私の家は郊外にあるから、ものを買いたいときは、近場に商店はありますけれど、特別なものや、どっさり買い込みたいときは、わざわざ、俥を呼んで、街まで行かなくてはならない。といっても、私ではなく、母が、あるいは姉が。ときたま、お遣いや女学院の学友と店巡りをするけれど、お遣いのときは、母は俥を使わせてくれぬ。昨年の夏なんて、暑い中、じりじりと灼かれて、せっかく歩いて買ってきた食料を駄目にしてしまったことがあった。そのときは三日くらい、母にずけずけ、文句を言われた。そんなに言うなら、俥を使わせてくれてもよかったじゃない。

 ここには、こぢんまりとした店々が、店番を同業者同士で交代し合って、日中、大声を張り上げながら、質素な看板を立てて、軒を連ねている。

 母は、よくここで、食料と、水と、油と、調味料を買ってくる。母の真似事をするのは無愛想で無能な、浅ましくも誇らしい、私の唯一の特技でございましたので、母に買っていただいたばかりの下駄を、からころ鳴らしながら、ひとつの店の近づきました。無精髭をたっぷりと生やした男性が、樽に入った油を、柄杓で掬っては落とし、掬っては落とし、を、繰り返してございました。

「油を、ひと瓶、くださいな」

 そう、話しかけると、おじさま、いや、たしか、この方は、父の同輩であったはずだから、お兄さんとはいかないにしても、おじさまはかわいそう。

「おお。若宮ンとこの嬢ちゃんじゃねェか。今日はどうした?」

「いや、ですから、油を買いたいのですけど……駄目かしら? ランプオイルと天麩羅油が切れてしまって」

「……あー。ランプオイルはたんとあるんだが、天麩羅油は売れちまったんだ、悪ィな。ランプオイルは八厘とちと高ぇが、どうだ?」

「私は構わないのですけど、どうしても、天麩羅油は売ってもらえないのですか? そこの小瓶には──」

 快活なお兄さんの笑顔が、吹き飛んだ瞬間でございました。そういえば、

「商店街に行くことがあったら、油屋の店主を怒らせてはならぬ。あれは、気前はいいが、煮えやすい。決して機嫌を損ねるな」

 と、再三言いつけられてはきましたので、私は、背中に冷や汗の感覚を感じました。気に障るようなことを言ったつもりは無いのだけど、ほら、みるみる、ご主人のこめかみに、青筋が浮かんでくる。この私を叱るつもりなら、脳みそ中の毛細血管が破裂するように、呪いをかけるわよ。あらいけない。また、やってしまった。悪い癖ね。ごめんなさい、いつも油を売ってくださるのに、そんなこと、言ってしまって。そういえば、先刻から思っていたのですけど、油で遊んでらっしゃるご主人の奥の棚に、大ぶりの筆でなにやら書かれた緋色の札が貼り付けられた、壺があるのですけど、あれはなにかしら。私はそれを小瓶と表現しましたけれど、あれの中には、ご主人が売れたと仰っていた、天麩羅油が、入っていたり、しないかしら。そのつもりで訊いたのだけど、どうやら鬼門だったようで、

「安くしといてやらァに、とっとと帰んな。おめえに売れる天麩羅油は、ねえんだよ」

 と、言われてしまった。私は、もう、いい、と言って、差し出されたランプオイルを受け取らず、そして、からころからころ、歩き出す。おい、おい、なんて言うご主人なんて知らないわ。ランプオイルはともかく、天麩羅油を売ってくださらない油屋に用は無いの。なあに、あれ。せっかく来て差し上げたのに、天麩羅油も無いだなんて。というか、なぜ、こんな昼に、油が売り切れるのかしら。それは、そりゃあ、誰かが買っていったのでしょうけど。

 ああ、もう、当分は、勉強出来ないわ。私の通う女学院は、学費の割に、いい授業が聞ける。覚えの悪い私は、夜中、ランプを点して、それを振り返るのだけど、その所為で、ランプオイルの減りが早い。このままでは、いけないわ。後日、お母様に買ってきていただかなければ。そうしなければ、史上最年少で私の通う女学院を主席で卒業したお姉様に、追いつけない。ごめんなさいね、お母様、馬鹿な娘で。ごめんなさいね、お姉様、馬鹿な妹で。私、早く、貴女達に見限られて、路上に棄てられる前に、死にたいわ。

 だなんて、とうとうと思いふけっているうちに、もう、商店街へ出向くときに俥を呼びつけた、郵便局。おなかが空いたわ。

 また、やるせなさを感じる。この扉、そろそろ替えたらどうかしら。サンルームの卓には、もとはその上に載っていたほのが掃けられて、予想通り、苦瓜の炒め物が置かれている。けれど、卓には、誰もいないわ。

「まあ、遅い帰りね。冷めた昼は食いたく無いだろうが、お前、おなかを空かしているだろう? 私たちもこれからだ、たんとお食べ。といっても、冷ましたのは他ならぬお前だがね。お前のかえりが遅いものだから。──おねえちゃんの料理は、当たり前だが、出来立てがいっとう旨いというのに。どこの令嬢だい、お前? ええ?」

 ほら、こんなにも、冷え切ってしまった。と、お母様はぶつぶつ文句を垂れながら、おそらく、苦瓜の炒め物を調理していた菜箸で、まだほんのり温かいそれを私の口に突っ込んだ。突然のことでむせかえってしまう。苦瓜と、豆腐を手の中に吐き出してしまった。私の唾液で濡れそぼったそれら。可哀想にね、ごめんなさい。本当はおいしく食べて差し上げるつもりだったのに、母が、あなたたちを乱暴に、私の口に押し込んだものだから、吐き出してしまったわ。お上がり、と言われたので、下駄を脱ぎ捨て、上がる。

「こら、靴は脱いだら揃えろと言っているでしょう」

 飛んでくる叱咤に唯々諾々としたがって、下駄をそろえる。ああ、面倒。

ああ、美味しかった。やはり、姉の料理は格別だ。私、料理が苦手なものだから、こんなに美味しい料理が作れるお姉様が羨ましいわ。私、お姉様がお嫁に行ったら、どうすればいいのかしら。私も、いずれは、お嫁に行くことになるのでしょうけど、でも、私、何もできないわ。料理はおろか、洗濯や掃除、そして、他人の意思を汲み取ることもできないんだもの。ああお母様、姉がお嫁にいったら、私だけ、此処に留まることをお許しください、お赦しください。私、何でもしますから。苦手なことが山ほどありますけど、お姉様みたいに、働きますから、どうか、私を棄てないでくださいませ。

「雪枝、花、留守番をお願い。晩の食い物を買ってくるわ」

 母が、こんな風に、名前を呼んだあとに何かを言いつけると、たいてい、「よくお聞き。」という意味になる。私たちはそれを悉知しているから、はい、と応えて、母を送り出す。姉の名は、雪枝という。母は、一人ずつの用事で無い限り、お姉様のを、先に呼ぶ。それは、きっと、生まれた順なのでしょうけど、時折矢っ張り私、お母様から、どうでもよく思われているのね、だなんて、思ってしまう自分がいる。差し出がましい、お姉さまがいる限り、私はお母様の一番にはなれない、けれど、姉を殺す勇気なんてない。ならば、じっと、耐えるしかないの。お姉様は類を見ないほどの品行方正で、あんなにも人望が厚いのに、私という劣化品を産んでしまって、その懸隔に、お母様は大いに悩まれた。どうして、花はこんなにも愚鈍なのかしら。ひょっとすると、病院で、取り違えてしまったのかもしれない、と。でも、そんなことはないわ、ないと思う。だって、お母様と、私と、姉は、ほら、よく見て、目元が、似ているでしょう。私たち、目元が同じなのよ。これは、私が貴女の娘である証明にならないかしら、お母様?

「花、皿を片づけてちょうだい」

「ああ。はい」

 卓に積まれた皿を、もとあった戸棚に戻す。かちゃん、かちゃん、なんて、煩い陶器の音。姉は、食器を仕舞っただけでも、誉めてくださる。それは、私が自信をなくさないように、らしいけれど、心配しないでも、お姉様、私に貴女という姉が存在するそのときから、私の自信なんて、既に、無いに等しいのよ。

 ああ、なんだかもう、疲れてしまった。不幸なのは、私だけではないことなど、知っている。存じている。でも、私、自分が世界で一番、不幸なんじゃないかしらって、思ってしまうの。生きているだけで、それで幸せな筈なのに、それ以上を求めてしまうの。これが、学校で習った、「マズローの欲求」ってやつかしら。世の中には、生きられずに死んでしまった方もいるというのに、なんて、いけずうずうしい。

「お姉様、私、ちょっと寝てきます。起こさないでくださいませ」

「ええ。お休みなさい、いい夢を、花」

 お姉様、疲れたときに、夢なんて見たら、私は、壊れてしまうわ。

 視界がまどろんでいる。白い靄でできた布切れがかぶさったみたい。ふわふわして、なんだか心地よい。でも好きにはなれないわ。私の胸に溜まる、形容し難いわだかまりみたいですもの。忌々しい。だからあまり、眠るのは好きじゃないの。今は疲れてしまったから、特別。

 上体を起こして、悪寝相のせいではだけた胸元を見る。大きなほくろだこと。ほんとうに、私とお姉さまは、似ても似つかないわ。なにせ、お姉様、こんなほくろなんてないもの。

 姉は、人望は厚いけれど、その分敵も多いそうで、女学院時代は、ひどいいじめを受けていたそう。お姉様、面倒見が良くてなんでもできるくせに、打たれ弱いから、たちまちこころを病んでしまわれた。食事はまともを喉を通らず、今では随分ましになられたけれども、がりがり痩せこけてしまった。可哀想なお姉様。その痛み、悲しみを、私が代わってあげられないかしら。とは、思いはしましたけれども、いくら、愛する姉のものとはいえ、苦しみを肩代わりだなんて、まっぴら御免蒙りますので、その、お姉様がやんでおられたあいだ、私はろくに、あの方とお話することができませんでした。縋られたら嫌だもの。鬱屈で病んでしまわれれて、それが溜まって吹き出してしまわれたとき、妹である私にすぐにわかってしまった。お姉様、爪を噛む癖があるもの。

「お姉様、白髪がありますわ」

「ああ。うん。抜いてちょうだい」

 ぷつんと白く染まった、言い方を変えれば色素が抜けた御髪を抜いて差し上げると、お姉様は私に倒れこんで、わんわんと声を上げて泣いてございました。

 それで髪は随分白くなってしまわれたけど、お姉様は相変わらずお綺麗であります。

「花、お母様が帰られたわ。起きなさい」

「起きています」

「顔洗って、降りていらっしゃい」

 むくりと起きると、首が痛んだ。きっと寝違えたのね。

「花、お前は手伝わなくていい、雪枝にやらせる。お前はもう少し休んでいろ」

 サンルームに出て行くと、厳しい口調でお母様がそう仰った。風呂敷包みから、何やらいそいそとりだして、火を起こし始めた。かまど、使ったことはないけれど、きっと扱いは難しいのでしょうね。

 サンルームのソファに腰を沈めていると、またぞろ、とろとろ、まどろんできてしまっって、そのまま眠りこけてしまった。

 *

「花、誕生日おめでとう」

「おめでとう、花」

 ソファから身を起こすと、満面の笑みを浮かべたお姉様と、依然むすっとした面持ちで、卓に皿を運んでございました。そういえば私、誕生日だったわね。最近疲れていて、気にもとめなかったわ。

「お母様、誕生日はめでたいものなのですか」

「普通はめでたいものだろう。一年生きた証拠なのだから」

「そうよ、もう笄年なのだから、祝わないと」

「第一、私が十五年生きてこられたのは、他ならぬお母様とお父様、お姉様のおかげですのに。私など、のうのうと生きているだけの無能で、何もしてはおりませんわ」

「いや、親の立場からすればね、何かを成し遂げて欲しいという思いはあろうが、それよりこうしてお前が生きていることが最重要だ。生まれてきてありがとう、花」

 お母様、お姉様は、御目からぽろぽろと涙をお零しになって、それでも、私には、おふた方がなぜ泣いているのか、理解できませんでした。

 布団に潜るときは、いつだって憂鬱だわ。『今日』と永遠にお別れだなんて耐えられないわ。ずっとここらをゆらゆら揺蕩っていたいわ。

「花、花」

 自室の戸が開いたかと思うと、そこにいたのは中年の男性でした。つまり父でした。散切り頭は好きではないけれど、人がよくて、私は大好き。お姉様は珍しく、『笑顔の裏に黒いものが見え透いてならない』と毛嫌いされていましたけれど。

「お父様。帰られたのですね。おかえりなさい」

「ただいま。雪枝に言われて今日はお前の誕生日だと思いだしてね。日付が変わる前に帰ってこられてよかった」

 お父様はお仕事が忙しいとのことでいつも日付が変わる頃にしか帰って来られないのに、今日は私のために早めに切り上げてくださったらしい。忘れっぽくってお人好しだから、朝にお姉様から誕生日のことを聞いたときに、早めに切り上げようと決心されたそう。翌日に仕事を繰り越して、大変になるなんて考えなかったのかしら。

「誕生日おめでとう。これはわたしからの贈り物だ」

 藁半紙で作られた小さい紙袋に、翡翠色の髪留めが入っていた。私にはそれがきらきらして見えて、すぐ髪につけたくて、お父様の手からひったくろうとした。

「だめだよ」

 とお預けをくらってしまった。寝しまだから、らしい。明日、早く起きて付けよう。お母様とお姉様に自慢しよう。

「もう遅い。呼び止めてしまった私も悪いがね。おやすみ、良い夢を」

「ええ。おやすみなさい」


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