第三次スーパー宇宙戦艦大戦―帝王たちの角逐―   作:ケット

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銀河英雄伝説/時空の結合より1年4カ月

 銀河の人類を統一したローエングラム銀河帝国。

 ラインハルト・フォン・ローエングラム皇帝は病気治療のため、ガルマン・ガミラスを通る長期間の行幸に出た。ヤン・ウェンリー夫妻も同行している。

 その間はアンネローゼ・フォン・グリューネワルト大公妃が摂政となり、ロイエンタール・ミッターマイヤー・オーベルシュタインの三元帥を中心に統治することとなった。

 ゼントラーディとの大戦で戦死したシュタインメッツが元帥に叙された。ほかにも賞罰はある。

 シュタインメッツ、生者では旧領土(アルターラント)を守ったメックリンガー、イゼルローンで戦い抜いたルッツ、そして戦死したアレクサンドル・ビュコックにジークフリード・キルヒアイス武勲章が与えられた。ヤンの身びいきではない、彼が全権を三元帥に返し、帝国同盟問わずすべての地位を捨てて時空からも消えてからだ。

 ほかの上級大将たちも文官たちも、ゼントラーディやガルマン・ガミラスの技術を入手したことによる、急速な人類の生活圏の拡大に対処するため、忙しく働いている。

 

 三元帥は本格的に遷都を進めたフェザーンに。

 ビッテンフェルトが三元帥の下で、引きしぼった弓につがえられている。というのがたてまえで、全滅に近かった……旧同盟やゼントラーディの生き残りで、帝国で軍務に就くことを希望した者も艦船ごと入れて、艦隊を作り直している。

 アイゼナッハは全体の兵站・物流を担当。大型輸送艦を多数指揮していたので、後にガルマン・ガミラスが災害にあった際に急行した。

 ケスラーは引き続き憲兵総監として、帝国全体の治安を担当する。

 ルッツが、新技術を用いた人類領域の拡大にあたることになっている。ゼントラーディとのかかわりも深い。

 メックリンガーはオーディンに本拠を置き、引き続き旧領土を守る。

 ファーレンハイトは旧領土のエックハルトを拠点に、〔UPW〕との外交と、戦禍がひどいイゼルローン回廊周辺の復興にあたる。

 ワーレンはウルヴァシーを拠点に、ガルマン・ガミラス帝国との外交と、地球教対策。新領土・イゼルローンへの予備軍でもある。

 ミュラーはハイネセンを中心とした新領土(ノイエ・ラント)方面軍。ただしレンネンカンプとは異なり、彼の仕事はほぼ軍事に限定されている。新技術のおかげで政治の多くは、フェザーンから見ることが可能になっているからだ。エル・ファシルの民主自治政府との外交も担当する。

 距離の暴虐は軍事において重大だが、平時でも中央集権を不可能にし、割拠の元となる……だが通信速度・輸送速度ともに速くなれば、大領土の中央集権も十分に可能なのだ。

 明治日本の中央集権は、電信・鉄道・汽船によってなったのでもある。

 また、旧同盟対策の困難さはレンネンカンプの自死で証明された。ロイエンタールならば単独でも、という声もあったが、ラインハルトの不在を補うには三元帥の総力が必要、と判断された。

 三元帥はフェザーンにありつつ、事実上直接ハイネセンを治めているのだ。

 

 

 これまでイゼルローン回廊・フェザーン回廊にはさまれていた宙域だけでも膨大な星があり、短期間で入植できる星も何百もある。

 さらに、プロトカルチャーの兵站技術を利用すれば、太陽系で言えば金星や海王星のような住めない星から、数年で何万隻もの巨大艦と莫大な食糧を作りだすことができる。

 巨大艦は改装すれば巨大な、宇宙に浮かぶ集合住宅都市となる。衣類や自動車の類もほぼ無限に生産される。

 それで人間の仕事はなくなる、ということはなかった。たとえば、ゼントラーディの兵糧も人間は食べられるが、それだけだと飽きる。兵糧をブタやニワトリなど雑食性の高い家畜のえさにして、料理にする。

 そうして作られたうまい料理は、文化がなかったゼントラーディはとびついた。二流の料理人でも高給を得られる……空前の好景気が、銀河全体をかけめぐっているのだ。貴族の没落で職を失った料理人などが不満を持つこともない。むしろ彼らは自由と富をともに得ることができた。

 戦闘集団のゼントラーディだが、金はいくらでも入ってくる。フェザーン・イゼルローン両回廊に挟まれた宙域に行けるのは、新しいエンジンのついた艦船が増えないうちはゼントラーディ艦船のみ。さらに従来は不可能だった近道航路が、フォールドなら可能というケースも多い。ゆえに、今フォールドエンジンを使えるゼントラーディ人に多額の金が入る。

 

 経済的には開放的で市場を重視し、抑えられていた平民の活力を引き出すローエングラム朝の統治は、平和において爆発的な好景気につながっている。それは王朝への、旧領土・新領土問わぬ支持率の高さにもなる。

 帝国側の教育水準の低さは労働力としての質の低さでもあったが、クリス・ロングナイフがもたらした先進個人携帯コンピュータのおかげで、低教育の労働者でも複雑で大規模な仕事ができるようになっている。半年もすれば、R2-D2やC-3POをリバースエンジニアリングし、より高度なコンピュータを載せた産業用ロボットが次々と加わった。

 プロトカルチャーの量産技術は、製造工程さえプログラミングすれば短時間で、個人携帯コンピュータを何百億個も複製できた。

 帝国の旧貴族、同盟の腐敗に依存していた者など、自力では生きられぬ人たちであっても、新しい生産技術で衣食住は一応受けることはできた。

 だが、同盟の軍関係者など失業者の多くは、無限の開拓に向かっている。

 また同盟では、これまで過剰な徴兵・戦死によって社会が維持できなくなりかけていた、そこに必要だった人々が帰り、社会が円滑に回るようにもなった。ロイエンタールを中心に、同盟も帝国も、腐って社会の動きを阻害している部分を手早く取り除いたことも、さびついた機械を掃除し修理し油をさしたように社会をよくした。

 また、〔UPW〕やガルマン・ガミラス帝国との貿易も、徐々に収益が増えていく。新しい文化が流入し、旺盛な文化需要を持つゼントラーディ人がむさぼるのだ。

 それもまた、新帝国の支持率を高めることになる。

 

 新技術の影響はほかにも多くある。

 通信と情報処理能力の爆発的な向上は、軍事にも大きな影響を与えずにはおかない。

 ただでさえ、巨大要塞ごとワープする技術とヤンによる〈アルテミスの首飾り〉の破壊により、補給不要で敵要塞・惑星を粉砕し進撃する、移動要塞を中心とした艦隊の構想があった。並行時空のつながりがなければ、それが有効な敵が存在しないので没になっていた構想だが……

 それに、並行時空の技術が次々と加わっていく。ガミラス式波動エンジンとデスラー砲。フォールド航法。ハイパードライブ航法。クロノ・ストリング・エンジン。バーゲンホルム。新しいシールド。アンシブル。分子破壊砲。

 順次、新技術を搭載した試験艦を運用し、それが次々と新しい技術で時代遅れになる。

 帝国暦三年の新型艦は、百隻で従来の十万艦隊をやすやすと壊滅できる。

 旧同盟から接収した艦も含め、どの艦に新兵器を載せ、どの艦は武装を外して輸送艦や宇宙都市にするか、その判断だけでも大事だ。

 生産力に余裕があるからこその、ぜいたくな悩みともいえるが。

 それ以前から、帝国の新艦建造設計思想には長い戦いがあった。

 門閥貴族が好んだ巨大艦の流れと、ラインハルトの美しき旗艦ブリュンヒルト、ミュラーのパーツィバルに代表される流線形傾斜装甲。ちなみに同盟は、多砲門のトリグラフが最後の建艦となった。

 しかし、並行時空の新技術はそれらすべてを吹っ飛ばした。新しいシールドと砲に比べればいかなる装甲も無意味。そして数カ月に一度、とんでもない新技術が手に入る。

 宇宙以前の、船が海に浮かんでいた人類史でも何度も繰り返された、悪夢だ。スクリュー、ドレッドノート級、空母、イージス……二十年の年月をかけ国家予算の何倍も叩きこんだ建艦計画が、計画の半分しか完成せずしかも時代遅れ、というオチが何度繰り返されたことか。

 だからといって、旧式化した艦隊のままでいるわけにもいかない。並行時空はその間にも分け合った技術で進歩しているのだ。

 とりあえず、古い艦に新しいエンジンを追加したやっつけ艦を多めに作る。エンジンだけでいいので安くあがる。

 同時に、今あるだけの技術での試作艦も少数作り続ける。〔UPW〕がミレニアム・ファルコンとワスプ号を、ヤマト地球がヤマトを新技術テスト用にしているように。ヤマトを援けたワーレン艦隊のように、試作艦だけの艦隊で訓練もしておく。

 さらに、ゼントラーディの生き残った艦船も数百万を数える。それらは技術的に枯れており、新しい技術で改造するには適していない。元が巨人用で何かと不便でもある。だが、信頼できるという長所と、圧倒的な数がある。

 ある時代の戦車の計画で、一つの車体に戦車砲・自走砲・レーダーと対空ミサイル・歩兵戦闘車の機関砲と人員箱・戦車回収用のクレーン・渡河用の橋などなんでも乗せ換えて費用を節約する構想があった、それと同様に何が来ても乗せられるような、大ぶりの船体をゼントラーディの古い艦につけ加えることも、大規模に行われた。追加のほうが主力になれば、古いゼントラーディ艦は生命維持装置と脱出装置となる、というわけだ。

 同様の思想で、とにかく大きい船体だけ作っておき、とりあえず今ある技術を乗せるという船も大量生産が始まっている。

 武装を外し、民間の輸送船として活躍することになる艦も勢力を問わず多い。

 新技術で作られた艦船の運用も頭を絞るところだ。新しい艦を古い戦術で使っては意味がない……新しい技術には新しい戦術が必要だ。マニュアルから訓練から、悪夢だ。

 それを動かすのは人材……特に留学が問題になる。中でも、ジェダイやレンズマンの修業に誰を出すか。たとえばケスラーがジェダイやレンズマンになれば、どれほど仕事が進むか……だが、体が百あっても足りないのに留学する時間などあるはずがない。部下たちでも、留学させたい素質のある者こそ、忙しいのだ。

 そして何よりも、新しい科学技術を理解し、つがわせることができる、科学力の優れた技師こそ求められている。

 となれば、教育や配置転換。軍の中の、優れた人材の活用。……将官の過労はますます激しくなる。

 

 新帝国は、常に陰謀にさらされていた。地球教のド・ヴィリエ、そしてフェザーンの自治領主だったアドリアン・ルビンスキー。

 地球教はボスコーン=ピーターウォルドの支援も受け、強力な麻薬も用いる。

 ルビンスキーも、まったく独自に様々な陰謀をめぐらしている。

 だが、どちらもある意味手詰まりだった。ラインハルトを暗殺するにも、ロイエンタールに反乱させてラインハルトを暴君にするにも、ラインハルト本人が別時空で入院中だ。

 ロイエンタールは帝国中枢におり、反逆する必要などない……いつでも自分が皇帝になる、と宣言すればなれる状態なのだ。

 一時帝国全権を握っていたヤン・ウェンリーが去り際に、ロイエンタールの誇り高い性格を読み切って仕込んだことだ。

(ラインハルト陛下の留守に乗じるぐらいなら、ロイエンタール元帥は自死を選ぶだろう)

 と。

 ゼントラーディと人類の間で再び戦いを起こさせようとしても、ボスコーンによって戦わされた両方は、二度と同じ過ちは犯さないと固く決意している。そっちはレンズマンの協力も得て、徹底して防止されている。

 最大の弱点、ハイネセン……だがそこも、かなりの距離をとって宇宙空間から惑星破壊可能な銃口を突きつけられ、細かな行政単位に分割されている。

 起こせるのは暴動だけであり、それも新しく手に入った非致死性銃のスタナーで制圧される。

 何よりも、三元帥の巧妙な統治と新技術による急速な経済成長で、不満はない。公正で、しかも経済成長の希望がある。

 

 ケスラーがトレゴンシーの協力を受け、読心による即決裁判を公開で行ったことで、多くの人は心の中までお見通しだと芯から恐れた。

 マイルズ・ヴォルコシガンが提供した、スタナーと絶対自白薬の即効性ペンタも、捜査の幅を大きく広げている。

 また、出かける前にヤンは、ユリアン・ミンツが持ち帰った情報をそのままいくつかコピーし、オーベルシュタイン・ロイエンタール・ミッターマイヤー・ケスラー・ワーレンに配った。

 それにも重要な情報が多くあった。

 

 

 旧同盟軍の数少ない生き残りは、

「全員、人類のために戦いぬいた名誉ある者である……」

 と、昇進の上帝国軍に編入されるか、または十分な恩典を受けての退役を選ぶ権利を与えられた。

 それまでの帝国との戦いも含め、戦傷者・戦死者遺族に対する恩典も継続される。戦士に対する寛大さはローエングラム帝国共通の心のあり方である。

 

 メルカッツとフィッシャーは三顧の礼を受け、帝国軍士官学校に招かれた。メルカッツは校長として、フィッシャーも艦隊運用の最高権威として後進を教えることになる。それは将来の、帝国の健全な民主化にもつながるとまで説得された。ミッターマイヤー、ミュラー、ワーレンらが何度も何度も頼みこんだ……最後は懇願と脅しを混ぜていた。

 シェーンコップ、アッテンボロー、ポプラン、バグダッシュらかなりの人数は、これからそちらが楽しくなりそうだ、と常時人材急募の〔UPW〕に行くことを決めた。もちろんローエングラム帝国に敵対しないと誓約を入れて、だ。

 ポプランはそれまでのスパルタニアンだけでなく、コスモタイガーや量産型紋章機ホーリーブラッド改も乗りこなして見せ、さっそく教官兼エースパイロットに収まってしまった。残念ながらジェダイの素質はなく、シェーンコップに笑われていたが。

 民主主義での自治が許されたエル・ファシルに移住した者も多い。

 ムライは半ば引退し、エル・ファシル近くの、不毛だった星の開拓に赴いた。

 

 

 ユリアン・ミンツはエル・ファシルで民主主義運動の先頭に立つと決めた。

 帝国軍からも招聘され、ルーク・スカイウォーカーからも名指しで呼ばれたが、決意は固かった。

 出かける直前にその決意を聞いた、保護者であるヤン・ウェンリーは条件として、とんでもないことをした。

 銀河一多忙で銀河一恐れられ嫌われている、パウル・フォン・オーベルシュタインに、留守中ユリアンを教育してくれ、と依頼したのだ。

 気でも狂ったのか、と多くの人が言った。ミッターマイヤーやロイエンタール、ミュラーやワーレン……その誰でも喜んで引き受けただろう、と。

 ユリアン自身も、軍人になるために訓練に耐えたし、帝国の、前線の軍人たちは心から尊敬している。どんな厳しいことでも大喜びで耐えたろう。

 ただ、フレデリカとキャゼルヌは、難しい顔でうなずいた。

 ヤンは、ユリアンが問い返す前に、

「本当に民主主義のために働きたいなら」

 と、いつになく真剣な目で言った。

 ユリアンは黙って従った。軍入隊以上の、死ねといわれれば自殺する覚悟、どんな拷問にも耐える覚悟でオーベルシュタインの課題を待った。

 文書で簡潔な連絡が来ただけだった。

『ヨブ・トリューニヒトについて調べ、卿自身が彼を演じた映画を三千人以上の映画館で上演せよ。同時に、添付するレンズマン訓練校の学科および体育課題を通信課程で修めよ。

 以上』

 であった。

 

「あれをか?」

 キャゼルヌも、元薔薇の騎士連隊(ローゼンリッター)の猛者たちもあきれた。

「レンズマン訓練校の課題自体は、帝国同盟問わずあちこちのジムにできた。近所のジムにもある。でも人間がやるものじゃないぞ、あれは」

「シャレで置いてるだけですよ」

「ローゼンリッターのオレでも五日でつぶれた」

「帝国軍でも、志願者のみ……何万に一人しかできないことを軍がやるわけにはいかない」

「実際、レンズマンの合格率はそんなものだそうです。でも、もう一つの課題の方がよほどひどい。

 どんなことでもやると覚悟したんです、挑戦のしがいがあります」

 そういったユリアンの若さに、キャゼルヌはため息をついた。その課題の恐ろしさを理解していた者も、特に老練な者に何人かいて、ある意味覚悟を決めていた。

 ユリアンは、別のことで歯を食いしばっていた。

 トリューニヒトのことなど、知りたくもない。激しい嫌悪感、憎悪といってよい。援軍のデスラーがトリューニヒトを一目見て射殺したとき、ヤンたちに帝国の上級大将たちも加わって踊り回り快哉を叫んだのはつい最近のことだ。

 だが、

(だからこそ……オーベルシュタイン元帥は……)

 ボリス・コーネフなどには、

「若さがないぞ」

 と揶揄されるユリアンの賢明さは、理解した。

(民主主義の天敵。人間を支配し、組織を動かす達人。人間の弱点。それを知らずに、民主主義をよみがえらせるなんて、できるはずがない。一番の敵から学べ。そういう、ことですね)

 あらためて、オーベルシュタインの底知れぬすごみも感じていた。

 

 さらにこの課題の困難さ……調べるだけ、学ぶだけならできる。

 だが、映画。スタッフと資金を集め、撮影し、上映する。それも大きい映画館で。

 一介の退役軍人・退役奨学金学生である彼には、不可能と言っていい課題だった。

 商売の、ビジネスの世界に参加せよ、ということだ。大きいカネを、多数の人間を動かせということだ。ヤンの名前を、カネのために利用しろということだ。

 ヤンが、仲間たちが、自分が心から軽蔑している側の人間になるということだ。

(人を動かし、カネを動かせ。きれいでいることなどあきらめろ。というわけか)

 

 ユリアンはその日から、取り組んだ。ただ、やるだけだった。

 軍の新兵訓練など、それに比べれば幼稚園だった。

 

 運動が、毎日一時間。

 筋肉トレーニングと格闘基礎動作の反復練習、休憩なしで多人数相手の白兵戦訓練、ハーフマラソンなどを日替わりで。

 どれだけやれば『今日で失格』にならないかは非公開。これだけやれればいい、という線はない、毎日本当に限界まで頑張らなければならない。人間の記録に近い一時間でハーフマラソンは、最低限だ。

 さらに定期的に予定を作り、何日もぶっ通しで地獄の特訓を課せられる……のちには何日も不眠不休、命にかかわる低温や溺水も含めた激しい訓練。地球時代のSASやSEALSと同様だ。

 加えて一日二時間、数学などの学科。大学+修士三つ分を三年で、というぐらいだ。ヴァンバスカークのように、体力と精神は卓越していても数学で落ちる者も少なくない。

 高校スポーツのスター選手であり、勉強でも軍のあらゆる訓練でも卓越していたユリアンですら、自分の限界に毎日直面した。死にもの狂いだった。IQ130以上限定の学校に入ったような、初めての体験だった。

 どちらも、もう一つの課題に比べれば喜びでしかなかった。

 故トリューニヒトの記録を、目に消毒液を注ぎたくなる思いで調べ、存命の人々に取材した。死んだばかりの故人を知る人はたくさんいた。

 それは同盟の政治・軍・経済のさまざまな人と会うことだった。政治そのものだった。内臓がまだ色鮮やかに湯気を立て液を吹くほどに生きた歴史だった。ユリアンも多くの人に誤解され、汚いと後ろ指をさされるようにもなった。

(戦艦ユリシーズの汚水のほうがどれほどきれいか)

(男娼になるほうが、人糞を食うほうがましだ!)

 そう、内心で叫び続けながら、もっとも軽蔑する人間を理解する努力を続けた。

 歴史の勉強もした。多くの書を読んで歴史上の扇動政治家たち、民主主義や革命運動の失敗の歴史を学ぶことで、間接的にトリューニヒトを学んだ。

 耐えた。毎日、限界をはるかに超える思いだった。通信課題は毎日送られ続けた。

 

 激烈な運動と勉強。さまざまな人たちの取材。本を読み映画を見て、トリューニヒトや周辺の人間を歴史上の人物と比較する。そして民主主義復興運動に参加する……いつしか、ユリアンは気づいた。

 人間なのだ。同盟の、名を聞くだけで耳を洗いたくなるような悪徳政治家も。

 まさかと思うような人に、信じられないような面があることを知った。

 悪の権化と思っていたハイドリッヒ・ラングが匿名で高額の寄付をし、家庭ではこの上なく愛情深い夫であることもあった。

 かのウォルター・アイランズが、国家危急の時に精力的に活躍したのも、驚くべきことではないと理解した。

 それを悟れば、自分を八つ裂きにしたくなるような後悔もした。

(イメージだけで決めつけ、レッテルを貼って裁き、自分が悪いのに相手のせいにしたんだ)

 それからは多くの人に会う、それ自体が喜びとなった。

 それに気づけたのも、ユリアンは知情ともに天才的に高かったからだ。その卓越した知性と強い意思は、感情とは別に、不都合な真実を直視する、という困難すら可能にしたのだ。

 時間をかけた、積み重ねの成果でもある。

〔UPW〕経由でもたらされた、(初代)死者の代弁者=アンドルー・ウィッギンの『覇者(ヘゲモン)』『窩巣(ハイブ)女王』『ヒューマンの一生』を読んだこともある。

 特に〈覇者〉……エンダーの兄でもある、宇宙進出時代の人類を支配し平和をもたらしたピーター・ウィッギンの、善も悪もありのままに描かれた姿は、膨大な洞察を与えてくれた。他の二書、人類とはまったく違う知的生命のあり方も、間接的に人間を教えてくれた。

 レンズマンの通信課題で、数カ月に一度三日から十日にも及ぶ、特殊部隊のような不眠不休の激しい運動と試験の連続で、精神が崩れかけたこともあるかもしれない。

 殺されかけたことも、変化のきっかけかもしれない。

 シェーンコップ直伝、同盟軍でもトップクラスの白兵戦技術と実戦経験さえあり、超人的なまでの格闘訓練を毎日こなしている彼が、危うくルイ・マシェンゴたちに救われたのだ。

 相手の愚かさ、凶暴さが想像を超えていた……そんな人間がいると考えることもできなかった。理由も何もない、獣の反応で体と心を粉砕して奴隷にしよう、と。布をかぶせられればどんな技も役に立たず、多人数に金属パイプで全身を殴られ八か所骨折し、拷問で指を二本潰された。

 

 地球教徒すら「取材」した。トリューニヒトの、地球教やフェザーン、帝国内部にすらつながる腐った陰謀の網は恐ろしいほどの深さだった。そしてそちら側の人たちの方が、怪物の別の面も知っていた。知る必要があった。

 トリューニヒトを知ろうとすることは、銀河の陰謀網全体を知ることにほかならなかった。同盟の権力網全体を知ることにほかならなかった。そして人間の弱点を知ることにほかならなかった。

 取材で陰謀を聞きつけて知己のワーレンに通報し、テロを未然に防いだことも何度もあった。

 ケスラーなどは、

「それを見越して指示したのか、オーベルシュタイン元帥は……」

 と思うほどだった。

 

 民主主義のための勉強会にも参加し、ヤン・ウェンリーの思想を主張することもした。若く純粋な主張は、トリューニヒト関係の人に会い取材する中で、急激にこなれていった。

 人間がありのままに見えるようにもなった。トリューニヒトの真の恐ろしさも、少しずつ見えていった。

 映画つくりも民主主義運動の一環だと気づいた、キャゼルヌが悟ったように。若者の、映画や演劇……それは政治との縁が深い。それを通じて知り合った人々も、民主主義再興運動のさまざまな結節点につながっていた。

 その人たちは、ユリアンが知っている人たちとはまったく違った。ユリアンは、ヤンと不正規隊、そして帝国軍の前線上級士官しか知らなかった。狭い世界、ほぼ同じ価値観の中で生きていたのだ。かれらにとって、ユリアンにとっては、トリューニヒト派や憂国騎士団、金持ちや権力者たちなど、のっぺりした射撃標的に「汚」「悪」と書いた紙を貼りつけただけの存在だった。

 民主運動家たちも、大衆も軽蔑すべき人形、抽象的な言葉、感情とレッテルの混合物でしかなかった。

 実際、とんでもないほど無能な人間ばかりだった。幼児にすら見えた。

 ヤンや、ユリアンさえ崇拝する者もいた。崇拝を勝手に憎悪に変え、ストーカーと化す者もいた。何度も殺されかけた。あらゆる誹謗中傷を受けた。

 イデオロギーで脳が固まった、思考停止と権威主義の権化が多くいた。

 すべてを他人に任せて文句しか言わない、責任逃れ人間も山ほどいた。

 純粋すぎてすべてを破壊してしまう者もいた。

 百万の人命より抽象的な言葉を、そして勝利よりも派閥抗争と私的な恨みを優先する者もいた。

 高学歴高IQなのに、呆然とするほかないほど無能な者もいた。

 知的障害を疑うほど愚かなのに、高い地位にある者もいた。

 単純な暴力と罵声で、人間集団を残酷に支配する獣のような者もいた。

 教条主義者は無能だった。草の根と称する、小さい組織で感情だけで固まる変種宗教団体も無能だった。社会正義を求める集団は、すぐどちらかに暴走して固まってしまう。

 おぞましい人間の世界だった。人間の愚かさ、欲深さ、凶暴さには底がないように思えた。

 その誰もが人間だった。

 トリューニヒトを、歴史上の多くの扇動政治家を、先進的な心理学を学ぶことで、人を操る技術も身につけていった。

(言葉、内容は有権者を動かすことはない。トリューニヒトは無意識を操っていたんだ、機械を操るように)

(言葉も態度も、解釈する人の感情が、真実なんだ。血の通った人間を相手にしているんだ。正しく伝わらなければ、悪いのは僕だ)

(人は信じたいことを信じ、見たいものだけを見る)

(動物なんだ。感情に支配された。僕だって、誰でも同じなんだ)

(僕も、愚民を軽蔑する愚か者になるところだった。あの戦場より危なかった)

(愚民を責めるのも愚かだ。どんなに善意で頑張っても、その努力が悪い方向に力を与える、歴史の局面がある)

(民主主義はきれいな理想じゃない。この上なく汚い、生きた人間の営みなんだ)

(下水処理には近づきたくない……でも下水処理は現実の、必要なことなんだ)

(それでも、決して譲ってはいけないこともある。現実を見ない教条主義者にも、トリューニヒトにもならない!)

 ラインハルトたちが民主主義を否定するのも、いやというほど理解できた。レンズマン制という、きわめて有効な代案すら提示された。

 もともとユリアンには人望……カリスマ性もある。それが人の群れを操る技術を学び実行し、ヤンの名前も使って、汚れることも恐れず励むのだ。

 みるみるうちに、質のいい人の集まる、小さいが誰もが一目置く集団ができていった。

 暴力沙汰でもすさまじい強さを発揮した。暴力を未然に防ぎ、集団を説得することも何度もあった。どんな犯罪者でも受け入れ、極悪人にも会った。

 清濁併せのむ懐の深さは、中傷の種にもなった。誰にどう思われても流されぬ強さも、いつしか身につけた。いろいろな人が、いろいろな評価をする存在になった。

 資金も集まり、多くの人が様々な思惑で近づいた。それに溺れることもなく、巧みに使いこなしていった。

 

 ユリアンにとって、実戦よりよほど恐ろしく困難だった。耐えられないほど自分を汚し、人間を知ることは。変わることは。何も知らないまま、穢れないままでいたかった。

 ヤンの、不正規隊の元で、暖かな家族に守られ、固まったイメージにしがみついていたかった……半分しか帰らないスパルタニアン乗りの日々のほうがよかった。

 ミッターマイヤーの帝国軍で、メルカッツの帝国軍士官学校で、また〔UPW〕でシェーンコップやルークたちと……価値観を同じくする、尊敬する人たちと励むことに、どれほどあこがれたか。善と悪がはっきりした、子供の世界に。

(選んだのは、僕だ。思い通りでない現実の世界を、現実の人間を直視する。何度でも自分が砕かれることを、変わることを、恐れない。選んだんだ)

 彼は、吐くほどわかっていた。

 しかも、エル・ファシルも含めて急速に変化していく中で、それらの活動を行ったのだ。唯一の民主主義の種火として多くの人が集まり、ゼントラーディや〔UPW〕の技術で不毛の惑星をいくつも開拓し、次々と古い仕事がなくなり、新しい仕事が生まれ、新しい文化が流れ込む、変化の時代。その不安と恐怖を若者たちの激情が増幅する濁流に、まともに飛びこんだのだ。

 

 ユリアンの成長は大きかった。若すぎる身で軍を率いて戦うよりも、経験の幅は広かったかもしれない。

 彼に直接会った人間も彼の文章を読んだ人間も、誰もが強い印象を受けた。

「最近会ったが、ユリアン・ミンツという、ほらヤン元帥の被保護者の目、とてつもないぞ。皇帝陛下とはまた質が違うが……

 なんというかな、旧知なのに、そう、人類ですらない、初めて会う異星人を見るような、好奇心と情熱に満ちた目だ。地位も、昨日までの俺のこともどこかに置いて、まっすぐありのままに見られてる……そんな気がした。

〔UPW〕のアンドルー・ウィッギン提督の、底まで理解されたと実感させる目に似ていた。

 たとえ殺そうとしても、武器でも素手でも無理だ、という空気もあったな。あのアイラ・カラメル女師に感じたような。

 一度は傷を負ったことがあるが、それ以来、信じられないような武勇伝をいくつかやっている。本人を見ればそれ以上だとわかるさ。

 帝国軍に来てくれれば、将来は元帥が務まる」

 のちの、ワーレンの言葉だ。

 

 

 

 ブリュンヒルトに乗ったラインハルト皇帝一行は、ガルマン・ガミラス帝国、ヤマト地球を経由し、エスコバールに着いた。ヤン・ウェンリー夫妻も同行している。

 身分はお忍びだが、マイルズ・ヴォルコシガンの手紙はバラヤー大使館とローワン姉妹を動かせる。バラヤーにも手紙は届き、グレゴールはかなりの国力を割いた。

 そしてデスラーからの手紙を受けたヤマト地球の政府も、恐怖半分で全力で支援している。白色彗星帝国、そして脳以外の機械化を達成していた暗黒星団帝国の技術を手に入れているヤマト地球の医学水準は多元宇宙で見ても高い。

 ヤンの、

「二つの高い技術を組み合わせればとても高い技術になる。それを両方が使えば、両方大儲けだよね」

 という言葉が、真田とローワン姉妹を動かした。

 さらに、〔UPW〕からマイルズ・ヴォルコシガンを仲介し、ナノマシン技術も届けられた。ローワン姉妹はそれも研究し、応用している。

 何より、ラインハルトの圧倒的な美貌とカリスマで動かせない人間はいない。特に女性は。

 それでも、活動できるようになるまで一年はかかるといわれ、ラインハルトの落胆は深かった。

「いっそ機械の体でいい」

 といったが、かえって時間がかかるし、第一そんな美しい機械は作れない、もったいないとローワン姉妹が悲鳴を上げた。

 ラインハルト自身は自分の美しさには何ら価値を感じていないが、なんとか医学的なリスクを挙げて説得した。

 故郷が心配なわけではない。ロイエンタール・ミッターマイヤー・オーベルシュタインの三人と、マリーンドルフ父娘がいる。心配なのは地球教やフェザーン残党の陰謀だが、それは自分がいてもどうにもならない。

 ひたすら、激しい活動を続けてきた彼には、静止そのものがつらいのだ。

 会話さえできない時間……ひたすら自分と向き合うしかない孤独は、治療の苦痛よりも悲惨だった。

(痛い治療は今日はないのか)

 と思い、自らの弱さを否定しようと苦悩したこともあった。

 敗北と死に、これ以上ないほど近く直面したときも、そのような辛さはなかった。むしろそのときは、無我夢中でありこの上なく幸せな時間だったと言っていい。

 ある程度治ってきても、動けない時間は長かった。できることは、学ぶことだけだった。

 膨大とも何とも言いようのない科学技術。多くの社会制度、それぞれの結果の比較。

 その美貌と偉大な功績は、それだけでも名士として歓迎されてしかるべきだが、病気療養中でもありほとんど社交はしていない。ひたすら学んでいる。

 ラインハルトを看護しつつ医者の勉強を始めたエミール・フォン・ゼッレ少年は、主君に負けじと励んでいる。

 

 反面、のんびりと様々な星の紅茶を楽しみ、歴史を学んでいるヤン・ウェンリーと新婚旅行を満喫しているフレデリカは、幸せの絶頂であった。

「どこの宇宙も、歴史は歴史なんだ。人間はみんな同じだよ」

 嬉しそうに語りつつ、また新しい本を手に取る。

 本だけでなく、エスコバールの町に出てみると、急激な変化と混乱も感じられる。

 智の様式の超光速船や、波動エンジンの輸送船が行かい始め、プラチナチケットの争奪戦が繰り返されている。

 超光速通信がものすごい金額で、金持ちの楽しみのために使われている。

 次々と、新しい装身具……携帯コンピュータが流行している。

 どう見ても詐欺だろう、というような開拓団に人々がわっと集まっている。

「まるっきり、この本にあるミシシッピとジョン・ローじゃないか」

 と笑ったものだ。

 

 ラインハルトが入院して間もなく、病院で奇妙な出会いがあった。

 バラヤー帝国出資の、難病・高プライバシー病棟。入れる人は限られている。

 二人の女……智の正宗、人質のコーデリア・ヴォルコシガン国主夫人と、廊下ですれ違った。

 ほんの数秒、立ち止まって視線をかわす。

 言葉はなかった。

「面白い。まだまだ、この多くの並行時空は面白い」

 ラインハルトは楽しげに笑っていた。

「恐ろしい英雄がいるものだな」

「別の時空の、皇帝だと聞いています」

 二人の女傑も、その出会いを忘れることはなかった。

 無論どんな女も、ラインハルトの美貌を忘れることはない。だが二人には、たとえ顔を焼きつぶしても変わらぬ帝王の迫力もしっかりと見えていた。

 その一度きりだった。会おうと思えばどちらも会えただろうが、どちらも何もしなかった。また、正宗たちは無人銀河の開拓で忙しい身でもあった。

 会う必要すら感じなかったのか、それとも健康体で、軍を率いて激突したかったのか……どちらも語らなかった。両方、多くの情報を集めたことはまちがいない。

 

 多元宇宙を直接旅した一行はみな、はっきりわかった。

 あたりまえは簡単に崩れること。

 どれほど異質な、優れた技術が存在し得るか。

 それがどれほど社会を変えるか。

 人間の能力が、ある意味ではどれほど限られ、時にはどれほど高くなるか。

 そして、どこであっても人間は人間であり、どれほど変わりがないか。

 ユリアンが肥溜めに頭まで沈めて学んでいることを、別の形で知ったのだ。

「人類を統一してしまえば、つまらなくて死んでしまうかと思っていた。病はそのためではないかとも。

 だが、これほど多くの宇宙があり、すべきことは多くある。楽しくて死んでなどいられぬ」

 それが、ラインハルトの熱すぎる魂を支えていた。




銀河英雄伝説
超時空要塞マクロス
レンズマン
ヴォルコシガン・サガ
銀河戦国群雄伝ライ

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