「帝国は、三つに分裂していますな」
オーベルシュタインの大胆な言葉に、ラインハルトは軽くうなずいた。
(何を当たり前のことを……)
言い返そうとしたミッターマイヤーだが、中耳内の超小型スピーカーに怒鳴られる。
『口に出す前に考えて』
一瞬考え、オーベルシュタインとラインハルトの真意を悟って凍りついた。
(ゴールデンバウム帝国領・フェザーン・自由惑星同盟の三つを征服した……)
話がそれでないことに、気がついたのだ。
あまりにも恐ろしいことに。
また、ミッターマイヤーはふと思ってしまう。帝国の約6%、10億をこえる人がコンピュータを常に身に着け、常に同じものを見、同じ音を聞き、血液検査もしてもらい、人間特有のバイアスで言動する前に警告してもらうサービスを使っている。スケジュール管理などもしてもらっている。
それどころか、脳~コンピュータ直結をおこなった者も億をかぞえる。
久々に故郷の時空に戻ったオーベルシュタインの発言が、核どころか惑星破壊がつきそうな爆弾発言であった……
オーベルシュタインは今も帝国元帥であるが、ずっと〔UPW〕に出向している。多数の時空をつなぐ〈ABSOLUTE〉と、現在最高の技術を持つダイアスパーをつなぐ道を築くという大事業のために。
この道はローエングラム帝国にとっては、以前のガルマン・ガミラス帝国を経由してバラヤー・ダイアスパーに至る道の価値が下がるため不利益となる。だが、その道はより大きく見ればどんな言葉も足りぬほど重要であり、最新技術の集積、最新技術を入れた社会の試験ともなる。
道づくりに関わることは帝国の国益から見てもはかりしれぬと、ラインハルトもオーベルシュタインもわかっている。
多人数の帝国の上級官僚や軍人が道づくりに出向して学び、学んだことを持ち帰っている。ほかにもレンズマン養成校に行く者もいるし、無人艦隊の運用を学ぶ者、人型機の操縦やメンテナンスを学ぶ者もいる。
もうひとつ、ヒルダやミッターマイヤーが警戒していることがある。オーベルシュタインは、ローエングラム朝の軍務尚書などより今のほうが桁外れに巨大な力を持っている。いや、ローエングラム朝を動かす力としても現状のほうが大きいほどだ。連合軍の兵站の中核も担い、時空間交易のシステムを一手に握っているのだから。
美しい顔に笑みを浮かべた皇帝は、音楽的な声を奏ではじめた。
「予は、人を三つに分けた。
一つは、向上心と才のある者。多くはない。予が引き受け、ひたすら向上する。それによって帝国にはあまりある富が生じ、下の者を養うゆとりが生じる。
一つは、忠実で実直な者。皇后とミッターマイヤーに預けた、半分から八割ほどの、もっとも多い者たちだ。公平であること。わかりやすい命令と規律に従えば食と安全が得られること。極端な変化はないが昨日より少しでも良い暮らしができること。……そのためならば勤勉に働き、法を守り、満足できる普通の人だ。
いま一つ。真に弱い者だ……少なくもないが多くもない。それを姉上に預けた。
そう、帝国は三分されている。代案はあるか?」
ラインハルトの冷静すぎる言葉に、オーベルシュタインは無表情を保った。
オーベルシュタインの、平らかな声が出る。
「真に弱い者を皆殺しにすることを除けば。そして姉君が絶対に信じられるのならば。最も費用対効果が高いかと」
ラインハルトの瞳がわずかに鋭さを増す。普通の人間なら気死しかねないものだが。またジェダイであれば、剃刀より鋭利な刃が数ミリ首筋に食いこんだのと同じだろう。
ヒルダの背にもじっとりと冷たい汗がにじむ。
オーベルシュタインの目が開かれる。義眼ではない彼を見ることに、ラインハルト以外はなかなか慣れない。ナノナノ・プディングとヴァニラ・H、マイルズ・ヴォルコシガンらが時間をかけて説得し、治療に同意させた。
ちなみにとどめを刺したのはマイルズの母、コーデリアである。
「忘れるな、最大でもあと7年で貨幣は無意味になる。惑星連邦とやらのように」
皇帝はさらに爆弾を投下した。オーベルシュタインはわかっており、このことばはヒルダたちに向けたのであろう。
戦いに勝利し、多くの新技術がより普及しつつあるローエングラム帝国は、すさまじい経済成長を続けている。
人口増があるとともに、実質人間と同様に行動できるドロイド、バガーも多数入っている。
それは一層の変化を強いるものでもある。
ゴールデンバウム銀河帝国、いやそれ以前の連邦、それ以前の時代より、人類による宇宙進出には大きなゆがみがあった。
それは大規模な核戦争で人類が死滅しかけたからかもしれない。
単に技術の神の気まぐれかもしれない。
端的に言えば、ワープ以外の技術がほとんど進歩しなかったのだ。さらにゴールデンバウム帝国が、自動化と遺伝子の技術を完全に叩き潰した。
銀河の恒星は千億以上。ルドルフの時代に行き来できた旧帝国領だけでも、何百億か数え尽くされてすらいない。明るく輝く星より暗い星の方が多い。
だが、人口は最大で数千億。せいぜい万の惑星にしか、人は住んでいなかった。
惑星をくりぬいたり、より小さい彗星・小惑星を材料に巨大な恒久居住船を作ったりを、あまりしなかったのだ。
本来なら、冥王星ひとつを素材としても兆におよぶ豪華客船を作り、兆の上の京におよぶ人口を養える。冥王星が大きすぎるなら、数キロメートル程度の小型小惑星を用いればいい。
重力制御技術と核融合技術がある……恒星から遠く離れた、氷でできた十キロメートル大の小惑星・衛星でも、核融合の熱で穴をあけ、内部を温めて重力を制御すれば、容易に膨大な人口を住まわせることができる。
昔のワープで行ける数百億の恒星どれにも、その程度の氷と鉄の塊はごまんならぬ五万と転がっている。
だが、この時空の人類は徹頭徹尾それを拒んだ。
訪れた時点で酸素を含む大気と水の海があり、高々百年のテラフォーミングで住める、地球と重力も自転周期もさして変わらない星にしか、興味を持たなかった。
ルドルフが出る前、民主主義が衆愚化した連邦も、テラフォーミングをする資金すら動かなくなったのだ。それは帝国に発見され長い戦争に首まで漬かった自由惑星同盟も同じことだった。
ほかにも多くの時空の人類が、容易に住める惑星にこだわることで少ない人口しかいない星間文明を作ってしまっている。ガミラスなどはマゼラン雲から地球を攻めたほどだ。
技術も、人の心も、氷小惑星を掘って住むより海のある惑星に住む方向に向かわせることが多いのか。
宇宙服という本質的な欠陥品も重要な要素だろう。人の身体は、特に股間と脇に装甲を許さぬ急所がある。宇宙線や極低温、化学物質から十分に人を守れないのなら、環境の良い惑星だけしか使わなくなる。大きい地球型惑星でなければ大気がないので使わない、というわけだ。
〈共通歴史〉や、宇宙に本格的に出られなかったある時空の地球で、多くの人が巨大都市の汚いスラムに住んでいたことも思わせる。海水で育つ作物を考えない……砂漠である沿岸を水田とすることをしない。軌道エレベーターの繊維や核融合に恵まれない。核兵器開発の都合、いや権力者の気まぐれで溶融トリウム塩炉を封じる。ゆえに河川水と化石地下水に依存し、スラム生活が多数となる。
が、新技術はその生き方を大きく変えさせようとしていた。
何よりも、活力に満ち挑戦を好む指導者、ラインハルト・フォン・ローエングラム皇帝が率いていることで。あたかもエンリケ航海王子が日の沈まぬ帝国の卵を温めたように。
いくつもの時空で、条件のいい惑星に頼るよりも船を作り氷をくりぬく生き方を選ぶきっかけがあった。
大きいのは、トランスバール皇国を襲ったネフューリアが、破壊され漂っていた〈黒き月〉のコアを拾って、資源小惑星から短期間で多数の艦隊を作ったこと……艦隊ではなく客船を作れば、何万、何億でも暮らせる。工場船を作れば、利子を再投資する複利、指数関数となる。
メガロード01や基幹艦隊を通じて、地を踏まず多数の巨大艦を作り、そこで暮らすゼントラーディの生き方を学んだこともある。
ガルマン・ガミラス帝国とボラー連邦の戦いが、惑星破壊プロトンミサイルの応酬となった……可住惑星に住むのは危険が大きすぎるようになったことも大きい。さらにガトランティスから、《皇帝と将軍》ジレンマに苦しまず戦い続けられるあり方も学んだ。
そして自己増殖性全自動工廠……中規模小惑星や多少の衛星があるガス惑星から、指数関数で超絶な数の船……惑星サイズの超巨大要塞から手足のある1LDKまで……作れるシステムが稼働を始めている。さらに将来は、恒星を絞って元素番号を転換する技術により、材料は実質無限となることが見えている。
技術の普及と平行して、帝国の組織も変化がみられる。
ゼントラーディ戦役直後、皇帝の療養から大戦にかけて、上級大将級が「方面」を支配する事実上の軍政をとっていた。特に旧自由惑星同盟領は、各星の政治が以前と変わらないように配慮してきた。それを、中央集権の官僚制に変えていかねばならぬ。
圧倒的な速度と大容量の即時通信という技術に、社会を合わせる。はるか昔から文字や駅伝、舗装道路や縦帆、腕木通信や電信が帝国の規模と政体を左右したように。
急すぎる改革は社会に負担をかけるが、総力戦による変化を既成事実化する場合には例外的にうまくいくもの。
(軍から政府へ……)
を象徴するのは、ラインハルトが抜擢したケスラーとアイゼナッハの退役だった。
ケスラーは警察・諜報を、アイゼナッハは物流兵站……宙図航路、交通に関するすべてを総括する。どちらも、部下であった軍人の多くを連れて退役し全員を公務員としている。実質的には大行政改革でもある。
どちらも実力は元帥どころか帝国軍三長官すら、
(しのぐやもしれぬ……)
ものだ。まだ省庁名ははっきりしていないが、変化があることはだれにもわかる。
旧領土と新領土の区別も無意味になっている。新しい航法で従来航行できなかった地域に行けるようになったし、従来は利用できなかった恒星や自由浮遊惑星も利用できる。
イゼルローン回廊とフェザーン回廊に挟まれた、従来の航行不能宙域だけでも、新領土をしのぐ恒星数があるほどだ。さらにバーゲンホルムなどを用いれば、隣の銀河にも行ける……まだそこまでは食べきれないが。
そう、ジークフリード・キルヒアイスの最後の言葉……
「宇宙を手にお入れください」
銀河を、でも、全人類を、でもない。
ちなみに『すべての宇宙を……』でなかったことに、多くの者は胸をなでおろしている。
それはさておき。
外交の概念が新しく作られたこともある。人類唯一を標榜するゴールデンバウム帝国も、銀河連邦の後身を標榜する自由惑星同盟も、本質的に外交はなく、外務省もなかった。どちらも、双頭の鷲を掲げるスペイン・オーストリア・ロシアなどの帝国が、鷲すなわち古代ローマ帝国の最大領土を得なければならぬ、と無理をし続け衰退したように、人類唯一という呪いをかけられていたのだ。
士官学校・軍学校で将校を再教育し、もって第一次タネローン攻防戦における最高殊勲を認められたメルカッツも退役し、新帝国の教育すべてを総括する立場となった。これもまた尚書級の権威を持っている。また天才たちと過ごすラインハルトともきわめて近く、ジェダイやレンズマンの訓練にも深くかかわる。
その手は長く広い。
まだ、旧同盟・フェザーン・ゼントラーディすべて巻きこむ省庁再編は無理だ。あと十年はかかろう。だが、職掌としては……
大きく分ければ内の暴力・外の暴力・税・外交・教育・地理物流・生活生産開拓・科学技術・その他となろうか。
治安・諜報、裁判所、軍、財、外交、教育、地理・物流・交通、生活・医療保健衛生、年金・福祉、生産・開拓、科学技術研究、宮内典礼、電脳、自治……
地域や種族にも省・尚書が必要だという声もある。旧領土・新領土(旧自由惑星同盟)・フェザーン・開拓領土。ゼントラーディ、バガー、ドロイド、ジェイン、ほか別時空からの移民。
こう、流動性はありながら分かれつつある。ガス円盤がいくつもの惑星に分かれるように。厄介なのは、従来のカテゴリーが通用しないことだ。たとえばジェイン航法や転送は、情報処理技術がそのまま移動になるのだ。
トイレひとつとっても、イゼルローンより大きな要塞、惑星上都市、軍艦、民間輸送船、軌道エレベーター宇宙港、氷惑星開拓都市、全自動工廠の有人部、ゼントラーディ要塞、学校、それぞれのトイレをどの省が担当するのだろう。一つの省にするわけにもいかない。軍・生活・物流・交通インフラ・教育それぞれの省にわけるとしても、めちゃくちゃになる。水道にも同じことが言える。コンピュータにも。食物にも。以下すべて。
すでに旧同盟全体を統治していた、各分野の委員会には後身はなく、方面軍司令官に各星の地方自治が付属するのみだった。
中央集権と地方分権……これにも問題がある。
収容人数が10億を超える超巨大船がいくつもあるのだ。新開拓地も把握するのが難しい。
西暦2000年前後、ニューヨークのマンハッタン島は人口150万、長さ20キロ幅4キロ。それを全部エンパイアステート級高層ビルにして10枚重ねるぐらいの艦船は、ゼントラーディの生き残りだけでも何千もある。
ヴェスターランドの人口は300万だった。それより人口の多い船は多くある。
小惑星や氷惑星、恒星から遠い闇惑星の開拓も進んでいる。
迫害される側になってしまった門閥貴族の者……特に下級の軍人や官吏……の人数も多い。迫害がひどい者は別時空に逃げるが、比較的近くの氷惑星に穴を掘ることも多くなっている。
思いがけないところに、300万人以上の人が暮らしていたりする。
冒険的だったり逃げたりする人が、ほんの数人でそれまで到達不能だった星系に逃げこんでいることもある。
新式のコンピュータ、ドロイドやバガーなどがいれば容易に連絡がつき把握できるが、あえてそれらを避ける者もいる。
行政改革を急がないことには、他にも理由がある。今強行しても、数年後には無意味になる。自己増殖性全自動工廠、原子転換、恒星絞り、レプリケーターとホロデッキ、脳~コンピュータ直結……まもなく、生産は事実上無限大、貨幣が古語辞典送りになる。
最初はゆっくりとしか増えない指数関数が大爆発を起こすのは、ほんの数年後だ。
今苦労して省庁再編をしても、数年後にはすべての前提が消し飛ぶ。
大きな変化はそれだけではない。もはや人間だけの国ですらない。
以前からの話だが、ゼントラーディという第四の国内国がある。さらにバガー・ペケニーノ・ジェイン・ドロイドなど、別のラマンも多数入ってきている。
コンピュータ網全体にジェインとバガーが深く食い込んでいる。アンシブル網に発生した人格であるジェインはそれなしにコンピュータが動かぬほどのもの。またバガーは生まれつき体内アンシブルで単一のハイブ精神となり、さらにコンピュータと直結する個体が多いこの時空の窩巣女王もコンピュータ網、ひいてはジェインと深い結びつきを持つ。人類やゼントラーディにも多くの脳~コンピュータ直結者がいる。
劣等遺伝子排除法は廃止されたとはいえ、まだその影響を恐れる家族は、心身が悪いものに深い脳~コンピュータ直結をさせて帝国にとって価値ある者とさせ、それで迫害をまぬかれようとする。
新しく作られる超コンピュータに、新しい疑似人格ができることもたびたびある。
それら、桁外れの能力と実質的な権限を持つコンピュータ精神も国家のシステムを大きく変える。
だが、それらもオーベルシュタインにとっては些細なことだった。
ラインハルト・フォン・ローエングラム皇帝の仕事の比重が、国民の多数ではなく少数の天才に偏っていること。
アンネローゼ・フォン・グリューネワルト大公妃/皇帝直属聴聞卿が面倒を見ている弱者たちが、国家の主流と大きく乖離していること。
それによる国の三分こそが、国家の統治という視点では最大の変化なのだ。
ラインハルトは400億国民から集めた天才たちと共に過ごし、学んでいる。
四歳の幼子もいるし、老人さえいる。
試験は完全だった、エンダー・ウィッギンの母校バトルスクールの入試。警察と軍人と行政官を兼ねたレンズマンを選抜する訓練校。とてつもないコンピュータそのものが行う、意味不明の試験。帝国と旧同盟、双方の士官学校試験。フェザーンの一流商科大学や工科大学の試験。様々なノウハウを集め、試行錯誤を続けている。
ラインハルト自身の選抜もある。数百億から、奇妙な基準で選ぶ。
基準に疑念を抱かせるほど平凡な者もいた。むしろ愚鈍に見える者もいた。
天才たちと過ごす時間は、ラインハルトの傲慢な部分を大きく削った。普通の試験知能でラインハルトを圧倒的にしのぐ幼子も、何百人もいるのだ。
短時間で能力を大幅に高めた天才が、何人も研究機関や省庁に出て、最新技術を駆使して文明水準を大きく高めている。小惑星開拓におもむき、わずか数カ月で莫大な生産性を上げている。コンピュータと語り合い、兵站の効率を桁外れに高めもした。
脳とコンピュータを直結させて、次々と新技術を生み出すようになったものもいる。
まだ時間は短いが、すさまじい勢いで新技術・新科学が生み出されつつある。
それは、国家にとって異質な何かですらあるのだ。
国家というものは人間によって構成される。一つの種族のみで。それが、異星人のいないこの時空では当然であった。
だが今のローエングラム帝国は、それが完全に崩れている。
ゴールデンバウム帝国は、イデオロギーとしては遺伝子的に優れた者の支配を標榜し、実際にはそれが退廃してルドルフに認められた者・人種が優れるとされた。
優生思想自体は論理的に正しく見えるが、人は常にそれを誤って運用する。権力者のひいき、人種差別、国家・民族・宗教、戦場や市場におけるほぼ運に他ならない実績、不完全な人間の知性で作られた知能検査……それらが「能力」となれば、誤った遺伝子を優れていると判定してしまう。
階級社会そのものが人間に合っていたためかろうじて機能したことは確かだが、自由惑星同盟を倒すこともできなかったし、もし真の外敵と接していれば、弱かったろう。
またゴールデンバウム帝国も、人間に差があり身分があるとしただけであり、人間を種として分化させることはしなかった。劣悪遺伝子排除法と帝政が遺伝子技術を消し去ったことで、新種が出現して分化することを防止したともいえる。
だが、ラインハルトがしていることは。天才たちを完全に人間から遊離させている。多種のラマンが共存する帝国を築いてしまっている。
総力戦経済と高度成長が、人々の目を曇らせているだけだ。
桁外れの知性を持つ様々な存在が、帝国のあちらこちらで動いている。普通の人間には理解できない手を打ち、結果的に効率を高めている。
特に半飢餓状態にあった帝国の農奴層の生活水準を大幅に高め、安全の実感を与えることと、桁外れの技術水準の試験的な開拓船を多数作りだして主に旧同盟やゼントラーディの人々の度肝を抜くことは、しっかりと結果を出している。
普通に生活する平凡な臣民……外から見れば彼らこそが帝国である。
それをほぼ支配するヒルダとその父、軍を支配するミッターマイヤーの高い能力が、人々が必要とする仕事と生活を与え、導いている。
生産力の核心は天才が握っているにしても、生き、言葉を交わし、徴兵に応じるのは最大人口の彼らだ。
中でも軍隊の背骨である下士官たちのことは、ラインハルトをはじめ最上層も深く尊敬している。彼らなしに勝利はあり得ないことをよく知っている。旧自由惑星同盟の下士官たちも、生き残り共に戦った者は深く尊敬している。
民間も、多くの下士官のようなベテランたちが支えている。
あらゆる地味な仕事をこなし、社会を構成する人たち。国家の背骨、もっとも大切な地の塩だ。
今は。
不要になる可能性を、ラインハルトもオーベルシュタインも見ていた。
もうじき、レプリケーターが普及する。指数関数グラフの傾きが1、45度になる……爆発よりもすさまじい増大がはじまる。
またラインハルトやオーベルシュタインには、普通の人間を憎むこころもある。
ラインハルトは無能を嫌う。ほとんどの平凡な人間は、かれの基準では無能に他ならない。また大衆はルドルフの暴走を止めなかったし、自由惑星同盟の有権者として愚行の限りを尽くした。不正に立ち上がらなかった凡人は、彼から見れば罪人でもある。
オーベルシュタインの原点は、生来の障と劣悪遺伝子排除法……法を定めたルドルフを憎む。だがそれと同等かそれ以上に、実際に彼を迫害した普通の人こそ憎い。
そして弱者を見ているのは、アンネローゼ・フォン・グリューネワルト大公妃。皇帝直属聴聞卿。
第一次タネローン攻防戦では、自ら紋章機を駆って最前線で戦い抜いた。一個艦隊に匹敵する戦力を、弟ラインハルトとの息もぴったりに精密に運用した。あらゆる軍人の絶対的な尊敬をもぎとった。
それ以前からも、特に身分財産を問わず苦しむ弱者を見出し救う手腕……そのために運用する情報は、対テロに駆け回るケスラーすら頼りにするほどである。
ミッターマイヤーが献納した人工子宮の資金と情報も握っている。
また皇帝直属聴聞卿の筆頭でもあり、すなわち帝国内で活動するレンズマンの長でもある。この時空ではグレー・レンズマンすら、ラインハルト皇帝と同時に彼女にも報告はしなければならない。
なによりも、オルタンス・キャゼルヌやビュコック夫人をはじめ、多くの世に隠れた有能な人々を使いこなしている。
「現実の人間をありのままに見る」
それが、アンネローゼの基本方針だ。
彼女は見てきた。味わってきた。
愛妻を奪った犯人が身分ゆえに裁きをまぬかれ、無力に焼かれ酒に溺れる父。じり貧になっていく貧家を維持した市井の苦労。
フリードリヒ四世の寵姫として、宮廷の腐臭を嫌というほどかいだ。
愛ゆえの妄執で自らを滅ぼしていくベーネミュンデ侯爵夫人を見つめ続けた。本人や側近より、シュザンナという一人の女性の心を知り、愛してさえいた。のちに、コンピュータ教育で『死者の代弁者』の資格を取り、彼女を代弁もした。その、
(良きことも悪しきこともありのままに……)
語り弔ったことばは、エンダー・ウィッギンにも迫ると評された。
寵姫としてはひたすら身を慎み情報を集めた。多くの人の為人(ひととなり)、心を理解した。
ひたすら目を光らせ、耳を澄ませ、あらゆる人の心を見、彼女の立場でしか学べない歴史を学んでいた。ラインハルトと同等の知能すべてを注いで。
フリードリヒ四世も、その才を見抜いたか最高の教育を与え、のちには自ら総覧するすべての書類を見せた。皇帝蔵書の、貴族でも所有がばれれば族滅ものの禁書も読ませた。
さげすまれる老帝と傾国の美女ふたりは、一言の意見も出さず沈黙を守り通し、ひたすら帝国の滅びを、同盟の滅びも見つめた。そしてアンネローゼは、学んだ。
ラインハルトの生存、栄達に、アンネローゼの力がどれほど大きかったか……オーベルシュタインやヤンはわかっている。ラインハルトは、まだ理解しきっていない。
資金と権限を得た彼女。特に旧同盟領の生産力が、効率化だけでも大きく高まっていったことで、物質的な不幸の多くは短時間で解決できた。
貧しい者には衣食住、開拓や軍需産業。教育を受けていない者には教育。奴隷は救出し、安全なところに送る。虐待されている者を救い出す。
無限と言っていい金と無制限の権力がある。レンズマンすら必要なら手足としている。
借金で首が回らない。借金できなくて商売を始められない。借金で家族を奪われた。横暴な姑に苦しめられている。夫の暴力。恋人と引き裂かれている。親に虐待されている。教育を受けていないため就職できない。遺伝子異常のある、体や精神がまともではない子を隠している。寝たきりになった親を見捨てられない。戦傷で体が不自由、しかも冤罪で不名誉除隊となったので年金もない。
…………
金と力で解決できることは、多くは改善されつつある。それは旧同盟人さえも、帝国の慈悲の偉大さに深く感謝するほどだ。まして旧帝国の農奴層には、姉弟は神も同然だ。
彼女自身は、
「総力戦と高度成長のおかげ、皇帝陛下のお力……」
と言うが、刻々と恐ろしい勢いで変化する時代の波に柔らかく乗って、多くの人に必要な物資や資金を与える能力は、わかる者は空恐ろしいとさえ思っている。
それらが一段落していくと、衣食住は足りているのに不幸な弱者が出てくる。アンネローゼはそれも救う努力を始めていた。
特に女が作る情報網に深く菌糸をおろし、レンズマンたちが集める情報も参照して。官僚との軋轢を起こさず、それどころか存在自体を気づかせずに。
問題なのは、実際には権力者や金持ちでありながら、オーベルシュタインが言ったカテゴリーの『真の弱者』である者たちだ。
金で解決できる不幸など大したものではない。人類最金持ちであるフリードリヒ四世に侍った彼女こそ、誰よりもよくわかっている。
まずみもふたもない現実・真実。
現実に、特に人の上に立つ仕事は、すごく理不尽。思い通りにならない。
使えない人間は、要するに人の上に立つ仕事をしたがる。同時に思い通りになることも求める。両方得られないことを理解できない。
本当に人の上に立ったら、何よりも本人が不幸になる。あらゆる人を不幸にすることはもちろん。……門閥貴族や、同盟の無能な政治家がそうだったように。
ゲームやスポーツは、適度に思い通りになる…努力が報われる。だが、本当に使えない人は努力もできないのだ。
さらにやっかいなのが、因習の奴隷である因業な家庭内権力者……帝国の多くの貴族、貴族に代々仕えてきたような家にも多い。また、新選組のように卑賎から引き上げられた者に狂気じみた保守派も多い。旧同盟にも、ユリアンの祖母のように門閥貴族と変わらぬ心を持つ鬼はいる。狭い人間関係で閉じこもり、実質カルト教団と化した者たちもいる。
幼いころから残虐にしつけられ、それを疑うこともせず次代を虐待する、悲劇の連鎖。
アンネローゼがそれに立ち向かうのは、むしろ戦争といってよかった。
巨大なリスクがあり、膨大な人手を必要とした。それこそ、帝国が同盟を滅ぼすよりも困難ないくさと言えよう。
正義感を持ちながらその戦いに反対する者もいる。
真に弱い人を操り「ベッドにつながれ、点滴で栄養と麻薬を注がれ、脳に直接快楽を流しこまれる」に等しい状態に追いこむ。それは悪魔の所業……ダスティ・アッテンボローの父親、パトリック・アッテンボローなどはそう書いた。
激しい批判的記事に眉をひそめたオルタンス・キャゼルヌを通じ、不敬罪が適用されない〈ABSOLUTE〉からのインタビューがあった。
ちなみにラインハルトは、自分の悪口や批判には実に寛大だが、姉の場合だけ暴走しては怒られることが多い。
「それで姉に甘えているんだあのガキは……」
アレックス・キャゼルヌなどはそういって、妻オルタンスに怒られる。
というわけでケスラーは、アンネローゼの不敬罪に関してだけはラインハルトの命令をわざと遅らせることにしている。必ずアンネローゼから寛大にと命令が来るからだ。
「人は自由であるべきだ!断じて、心地いい阿片窟に導かれるべきではない!」
「そうですか……では、現実のこの人を、あなたならどうするというのです?」
アンネローゼが差しだした資料。本人も苦しんでいるが、多人数の人を苦しめている。
オルタンス・キャゼルヌが苦笑と同時に顔をしかめる。パトリックは資料を見て、歯を食いしばった。
すぐにわかる。資料に書かれているのは自由惑星同盟の人間であり、その虐待と本人の苦悩は、同盟時代の官僚には法律のはざま・縦割り・予算不足その他諸々で手が出なかった。同盟の社会、隣人たちも手を出せなかった。
虐待される子を無理に助けようとしたら、それは過干渉になる。パトリックが非難するパターナリズムそのものになってしまう。
(では何人もの子が地獄のままでいいというのか……本人も地獄のままでいいのか?)
「代案を求めるのは権力者の暴力だ!強者の論理だ!」
「何もしないことも、一つの決定です。もっとも楽な。この子たちには苦しんでもらいますか?」
アンネローゼの口調はとても穏やかだが、特に優れた人々は、
(ラインハルト皇帝陛下の叱咤より恐ろしい……)
と首をすくめた。
「法律が誤っていれば法律を改正できるのが民主主義というものだ!」
パトリックが叫ぶのに、
「改正できませんでしたよ。その理由は調べればすぐにわかるでしょう?」
オルタンスが、夫の友人の一人の父親に容赦なく言う。
アンネローゼはごく穏やかで親切だった。人間とは思えぬ、女神か天使のようだった。
多くの人が好感を持ち、一部の人は激しく憎むものだった。
強くパトリックの誤りを指摘するのはオルタンスだった。
その対話は、パトリックらジャーナリストも、同盟の自滅の重要な責任者であることを浮き彫りにしていた。現実を無視し、ひたすら理念だけを主張する偽善。
(自分は絶対に正しい……)
と思うことが、それ自体ルドルフの同類になることだと。
ヤンもたびたび、ジャーナリストのそういう面は指摘していた。
アンネローゼの、有能すぎるぐらい有能な……見方によっては冷酷非情ともいえる手腕と、優しすぎる態度のほうがそれを残酷に暴いてしまう。
だがそのお返しに、パトリックもアンネローゼが、どれほど残酷か叫び続けずにはいられない……
ちなみに〔UPW〕艦隊の中軸となっている息子のダスティ・アッテンボローなどはそれを見て、快哉を叫んでいる。皇帝嫌いより父親に対する反抗が強いのも、彼の悪童たるゆえんでもある。
酒場のテレビのチャンネルが、アンネローゼに穏やかに諭されオルタンスに容赦なく矛盾を刺されて頭をかきむしるパトリックから切り替わる、ラインハルトの演説に。
娼婦たちの化粧と香水の匂い、強いカレーと蒸留酒の香り。常人にはわからないほどかすかなベントラムの香りが混じっている。
新帝国の中枢から離れ別の角度から新帝国を見ているのは、オーベルシュタインだけではない。オスカー・フォン・ロイエンタールの姿が、ある星にあった。
火星に似た、大気が希薄で人類の生存には適さなかった惑星。旧来のワープでは行きつけるかどうか。一応自由惑星同盟領だったが、フェザーンとの境界でもあり頻繁に海賊や帝国艦が利用していた。
それが、地下に大きな穴を掘って10万人近くが住んでいる。衛星である20キロメートル級の鉱山小惑星に、4キロメートル級のゼントラーディ艦が艦首をめりこませ、資源を吸い出して何種類かの軍需品・ハンモック・キッチンの流しなどを製造している。
ロイエンタールは、すぐにはわからないよう、顔も変えている。髪は金と茶の中間、瞳も左右同じ褐色だ。
第一次タネローン攻防戦中、さらわれた息子を探しさまよっている。皇帝ラインハルト自ら手作りした黒いライトセイバーを腰に、数種の銃を足首や背に。
いろいろな仕事を十日ぐらいしては、次の開拓地に行く。
できるだけ深い闇にもぐるため。できるだけ深く、できる限り汚れたヘドロの底にもぐるため。とりあえずは、ルビンスキーを探し出し、ボスコーンの麻薬商人(ズウィルニク)をケスラーやレンズマンとは別につかむ……ダークサイドのフォースの使い手や、太陽系帝国のサイオニックがいるという噂を追っている。
地位を事実上捨てた男が見上げる画面には、美しい皇帝の演説が映し出されている。
「『人類に逃げ場なし』。別時空の偉大な指導者ビアン・ゾルダークが、異星人による侵略を前に言った言葉だ。
だが余はあえて言おう。間違っている。
畑や家の害虫も、多数の子を産み、変異しつつ広がることで人からも捕食者からも逃れて生きている。宇宙に広がることで、人類は核戦争の脅威をこえて生存し続けた。
偉大なるアーレ・ハイネセンとその後継者たちは、逃げ場なしとしか思えぬ流刑星から逃れ、そして逃げ場なしと思われていた帝国領を逃れて、イゼルローン回廊と豊かな同盟領を見出した。
多元宇宙すべてに逃げ場なしと見えても、ハイネセンのごとく工夫と意思で、人は逃げ場を見つけ生き続けられるのだ!
そのためにはいかなる工夫もせよ。考え抜け。科学を進め数学を学べ。
心を固めるな!」
自由惑星同盟の祖、アーレ・ハイネセンの名を出した演説は帝国民にも旧同盟民にも複雑な感情を与えた。
(同盟を滅ぼしたおまえの口から言ってほしくない……)
という感情もあれば、
(同盟を、ハイネセンを認めてくれてうれしい……)
という感情もある。
帝国から見れば、同盟は、ハイネセンは軽蔑すべき叛徒であった。憎むべき虫けらであった。ともに戦ったことでかなり変わっているが、変化には個人差があるし変化しにくい心の道具もある。
チャンネルが切り替わる。マイクローン化されたゼントラーディが、歌番組に切り替えた。ルンの歌声が響く……別時空からもたらされた歌、文化が。
帝国貴族でもあるロイエンタールには、ただ下品なだけにも聞こえる。だが、意識的に偏見を除去し、純粋によしあしを聞けば、よいものだ。
そしてこの曲が帝国全体に与えている影響の強さも、理解している。
(デビルーク・アースには13日戦争以前の音楽もそのまま残っている……)
そして、酒を残したまま金を置いたロイエンタールは、ベントラム室から戻ってきた道連れにうなずきかける。
思いもかけぬ、四人での旅。それぞれ、深い闇の底に求めるものがある。
書きたいことはまだ大量に…開拓地での生活、生産、衣食トイレや音楽など。
でも次以降に回します。