第三次スーパー宇宙戦艦大戦―帝王たちの角逐―   作:ケット

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いったい何があったのか自分でもわからないぐらい筆が動かず。
真夏に台所の換気扇が壊れ、見積もりから修理に三か月かかってその間飯も炊けず味噌汁もつくれずだったり…読んだスコーリア戦記や星系出雲をどう使えばいいかわからなかったりしたからでしょうか。

こちらで筆が動かなければ、いっそ今までの作品とはつながりが薄いところで、低技術水準のミリタリSFを集めてドンパチさせてみるのも面白いかとは思っています。


銀河戦国群雄伝ライ/時空の結合より3年半

 泥の星。そこは天下を争う動乱からも離れるほどの田舎である。

 泥ゆえに交通は不便で、病も多い。砂金鉱脈も帝国時代の半ばに尽きた。ほかにもいくらか、泥から得られる贅沢品もあるが、動乱の時代には需要も減る。

 贅沢な商人などが観光に訪れることもない。異様に飯がうまいことは知る人ぞ知るだが、そのために単調な眺めに何日も耐えるのはつらい。

 

 長い乱世。弾正の伸張と死、骸羅の短い暴政を経て雷の統治、さらに時空の門が開かれたことによる、新技術と富の流入も、ここにはそれほどは届いてはいない。

 旧式の巡洋艦、中身別物の艦にも、怪しまれぬため乗せた便乗客は何人かいる。里帰りをする者もいるし、交易をする者もいる。

 そのような奥地に、そのような艦が訪れるのもまれなことだ。

 旧式とは言え重武装の巡洋艦、それだけに安心である。恐れる者もいるが……二度ほど、海賊が粉砕された。

 中身は確かに別物だが、偽装は徹底している。限られた者しか入れぬ区画、また厚い壁そのものの中に多くはある。

 元気に料理を作り、二人の幼児を育てている美女が練の皇后とは、船客たちも知らぬ。新聞やラジオは普及してきたが、それもまだ領主・地主・庄屋・富裕層だけだ。

 

 旅人は美味しい食を楽しんでいる。

 ロイエンタールもシューマッハも、時代が加速し始めるまでは食を楽しむゆとりもあった。

 士官学校を卒業し、士官として帝国軍に奉職し同盟軍と戦っていた日々。軍のまずい食の愚痴、あてにならぬ休暇、傷病休暇、ときにある長すぎる待機。

 金はあるロイエンタールは休暇中、贅沢で趣味の良い食事もしていた。

 ロイエンタールがラインハルトに忠誠を誓い、それ以降は何かを楽しむ余裕もなかった。

(昨日と変わらぬ明日ではない……)

 何があるかわからぬ、激動の日々。新帝国の誕生、同盟の征服、そして時空の扉が開かれうち続く激戦。大戦の後、息子を探すための旅……

 文化を求めるゼントラーディのために、高い趣味を生かしてできる限りの艦隊食を供給した。無論それは人間の、末端の二等兵までも味わい、帝国の徳とロイエンタールの名望となった。さらにそれは、新帝国の食文化ともなる。

 多くの星、開拓船を見た。流れの最低労働者に身を落とし、とんでもない食事や酒を迷わず口にした。貴族には汚物以下に思える食のうまさに驚きを押し殺したことも多い。

 泥に暮らす、様々な生き物が様々に調理される。這う魚、甲羅が柔らかいカメ、巨大なウナギ、泥から美しい花を咲かせる植物の種。

 

 

 ぼろ元巡洋艦に声をかけてきて、別の航路に別れた船もある。

 巨大な、戦闘にも航宙にも向くと思われない船体。多くのシャトルが発着できる、港湾機能が非常に高い。小さい移動可能コロニーにも見えるが、あまりにも強く多くの光、光で描かれた絵と文字の広告が輝き、通信に音楽が割り込む。

 

 デパート船の模倣だ。〔UPW〕の母体トランスバール皇国のブラマンシュ商会が以前から運営していた宇宙のデパートの。

 

 デパートも、〈共通歴史〉では近代そのものを形作った概念の一つだ。ゾラの名作『ボヌール・デ・ダム百貨店』に描かれたように。

 貴族や聖職者だけでなく、膨大な数の平民がかなり豊かになる。

 その贅沢品を買うのがデパート。デパートメントストア。百貨店。

 貴族の買い物は、商人の方からワイロさえ払い血縁に頼ってやっと出入りさせていただくものだ。自分から訪れ入るなど、下賤のすること。ツケが当然であり、見栄と借金の悲喜こもごももある。

 だが、宮殿を模したような重厚な建物を華麗に飾ったデパートは、貴族とは違うことを誇りとしつつ同時に貴族に憧れる、金がある新興階級を惹きつけた。同時にそれ以前からの経済構造も破壊したが。

 いい暮らし。いい服装。いい内装の家。いい寝具。首都の最新流行。それを知るには、デパートを歩くのが最高だった……セレブ生活紹介テレビと直結した通販がない時代には。またその階層の社交にも、百貨店の多くの近くにある劇場・美容院・高級酒場とつながって中核となった。

 国中・世界中から人々がデパートを訪れたのも、港湾・馬で船を引く運河・航海術・鉄道などの進歩がなければ不可能だった。それ以前は当然、大抵の人は故郷から10キロも離れずに生涯を終えていた。

 満艦飾を可能にしたのも、ガス灯・鯨油・電気と発達していく照明技術のおかげでもある。

 現金で払うデパートは、現金そのものの権威も増やした。それは金融・徴税、現金を発行する国家の権威にもつながった。

 デパートには多くの従業員もいた。貧困と重労働ではあったが、厳しい近代規律、徹底した清潔とかなりいい制服はあった。村の、血縁・地縁・教会の論理から切り離され、高く異質な近代的倫理が求められ、読み書きも含め訓練され、耐え抜いた者はそれなりに高い給料も受け取った。

 それは下からも近代的な生活水準を浸透させ、中層階級を増やしもした。

 農村を出て都市の搾取工場で酷使されぬき若く無残に死ぬ女も、親に決められた結婚を逃れ高い確率の餓死を免れ、自分は死んでもわが子は読み書きを学び中産階級となれる希望があるように。

 戦後日本での話だが、阪急の小林一三が作り上げた、都市のデパートから鉄道沿線住宅地を経て宝塚大劇場を終点とする都市システムは多くの私鉄に模倣され……劇場の代わりに野球場であることも……国そのもの基幹システムとなった。数々の逸話を持つ阪急最上階レストランが食文化に与えた影響も、とてつもないものがある。

 

 トランスバール皇国でも、ブラマンシュ商会のデパート船には同様の価値がある。

 帝政・貴族制を保ちつつ、多くの星は再開拓時代を終え、ロストテクノロジーを活かして中産階級が育っていた時代。新興の下級貴族も含め、多くの人々がデパートで首都の流行・生活様式に触れ、とりいれた。

 それを知ったヤン・ウェンリーは、ローエングラム朝帝国を支配していたわずかな間に、デパート船を旧帝国・同盟・ゼントラーディ問わず巡回させるようにもした。

 生活様式を通じて旧帝国の、特に旧門閥貴族領の新興階級に目標とライフスタイルを与える。さらにゼントラーディに文化的な生活とはどのようなものか、わかりやすく見せて忠誠を得る。

 

 近代化には慎重でもある新五丈の竜我雷も、デパート船を積極的に入れている。

 商品は別時空からの、高度技術で大量生産された輸入品はあまり入れていない。制限している。自分たちの時空で作られたもの、ただし規格大量生産は要求している。

(生活を便利にする。父親が薪を割り、母親がかまどの前で火を吹き、子が家畜を追い回す、だったら誰が兵隊に出て戦艦工場をやるんだ?働き手を奪ったら母も子も飢えて、無人になるだけだ。

 生活が便利になれば、父親は工場で働き、母親も服を縫って売り、子も学校に行って育てば有能な技師や将校にもなる。それは大きな国益になる……父の権威が、と文句を言う儒者や坊主はいるだろうが知るか。

 不潔な暮らしは伝染病のもとでもある。

 便利で清潔な生活を教えるのに、デパート船にしくものはない。

 それに全国の人が同じように服を着て、レストランで食べた料理をまねた冷凍弁当を食べ、同じ度量衡で考える……国家そのもののこころも築ける)

 軍師の大覚屋師真も、そういって勧めた。

 

 ものめずらしさに、練皇后の邑峻や監視役の女官たちも飛びついた。

 商人が布地を持ってきて、採寸してオーダーメイドが当たり前の生活だった彼女たちにとっては、膨大な種類と数の服やカバンを、金で買うということ自体が物珍しかったのだ。

 そうしている間も、レンズマンであり言語の問題がないシューマッハが土地の支配層と接し、勧められた予言者についての情報を集めている。

 

 

 デパート船の許可・建造支援ひとつをとっても、雷たち幹部の苦慮と苦闘がある。

 どのように、あまりにも技術水準・文明水準が違いすぎる〔UPW〕と関わるか。

 かれらは、見てしまったのだ。

 竜我雷ら、新五丈の幹部の多くが第一次タネローン攻防戦で混乱時空を訪れ戦った。

 また大覚屋師真らは、『道』建設や建設しながらの大兵站を通じ、パウル・フォン・オーベルシュタインをはじめ多くの能史たちと難事業を共にした。

 それは、留学でもあった。〈共通歴史〉の江戸時代日本の岩倉使節団のように。

 

 明治維新からまだ間もないころ、明治政府の最高幹部と若者たち百人以上が、当時もまだまだ危険な船で欧米への旅に出た。二年近い年月、国を開けて。

(この船が沈めば、新政府もおしまい……)

 というほどの幹部たち。岩倉具視、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文……

 船に揺られ、大陸を横断し、汽車に乗り、さまざまな人に会い、工場を視察した。不平等条約改正という目的こそ果たせなかったが、日本の成功の多くはその旅にこそ依る。

 その後も日本の権力を長く独占した最高指導者たちが、

(西洋文明というもの……)

 を肌で、全身すべてで、五感すべてで感じ尽くした。

 だからこそ、うぬぼれに負けず、生きている間は正しく国船の舵を切ることができたのだ。後継者たちに、

(それ……)

 を伝えることこそできなかったが、それを責めるのは酷にすぎよう。まさに奇跡を成し遂げたのだから。

 また多くの留学生が残って学び、帰って国家に巨大な貢献をした。

 

 ロシア帝国もピョートル大帝が造船所で働いてまで西洋を学んだ。

 日本とロシアが成功し、中国・インド・オスマントルコなどはだめだった。むなしいプライドを捨て積極的に学びに行く最高指導者の有無が、それを分けたのだろうか。

 

 雷たちもそのように、多くの将兵を連れて超絶な文明に触れ、多元宇宙の群雄たちと共に戦い深い信頼関係を結び、新しい、違う文明を学んだ。

 文明そのもの、近代そのものを。

 多くの戦史を。歴史の本質を。

 

 ガルマン・ガミラスやローエングラム帝国、バラヤー帝国、デビルーク王国、トランスバール皇国にある膨大な戦史。

 ラインハルトが宇宙を手に入れた戦も。ヤン・ウェンリーの芸術的な戦いぶりも。

 ヤン・ウェンリーの活躍は、ローエングラム帝国にも、また〔UPW〕艦隊の主力をなす元自由惑星同盟の軍人たちにも、遠い過去に至る戦史を学ぶことを重要と知らしめた。

 ヤンが学んでいた士官学校の戦史研究科を廃したことこそ、まさに同盟滅亡の始まりだったのだ。

 

 そこから、雷たちは学んだ。別の歴史、別の文明での、栄枯盛衰を。文明とは、天下統一とは、帝国とは何かを。

 だからこそ、いきなり全技術を導入し、すべてを変えることはしなかった……〈共通歴史〉でオスマントルコや戦後の独立国が、それをしようとしたときの失敗すら学んだのだ。

 少しずつ。肝心なところを。たゆみなく。

 もちろん、ローエングラム帝国の時空の銀河連邦や自由惑星同盟の歴史を知った彼らは、急すぎる民主化などという愚はしっかり否定できる。

 一気に最高技術を手にし、臣民の多くを切り捨ててまで順応した、智の正宗とは対照的に……彼女は比較的少数の忠実な民を率い故郷を捨てての乾坤一擲、かなり事情が異なる。

 

 正宗の苦労、また学んだことを参考に、雷たちも土豪たちを弱めできれば官僚・将校階層とし、政府は直接資本家、のちには力をつけた民とつながる近代国家化も見据えている。

 ただし、大覚屋師真は雷が骸羅を倒した時から、理想に焦る愚は犯していない。慎重に、できることを一歩一歩少しずつする。現実に実現でき、弊害が少ないことをする。

 その上で民の生活水準をわずかずつ向上させる。

 だからこそデパートには高級品だけでなく、相当生活水準が低い民向けの、たとえばロケットストーブを作るための鉄缶と断熱材なども用意している。

 それだけでも大違いだ。石を三つ三角に並べて鍋を置き木の薪を燃やすだけの室内炉では煙で目を悪くしてしまうし燃焼効率も悪い。暖炉だと熱の大半は煙突から逃げてしまう。ロケットストーブなら煙の中の燃える成分を有効に燃やし切り、熱の大半を床下暖房にできる。

 

 

 ロイエンタールたちは、そのような新五丈の変化も横目に見ている。

 ロイエンタールは政治家の能力もあり、竜我雷も戦友として認めている。またライバルのオーベルシュタインが『道』を作る大業をなし、自分たちの戦いを支えたことも、意識せずにはいられない。

 視野の広い彼の眼には、新五丈の変わりようも見えているし、

(ローエングラム帝国がどうすべきか……)

 についても多くの示唆を与えてくれる。

 

 シューマッハは新米レンズマンとして、つい麻薬の臭いをかいでしまう。デパートがあれば、そのどこで麻薬を取引するかを考えてしまうのが性だ。

 

 羅候にとっては豊かさや文化など、将兵が破壊と略奪を楽しむためでしかない。だがそれでも、彼もまた多くの世界を見てしまった。平和で精神が発達したリス、呆然とするほかない超文明である第二ダイアスパー、超巨大要塞が守るゲート、大重力ですさまじい力の男たちと過ごしたヴァリリア……

(野蛮であれ、ひたすら強くあれ、力こそすべてだ、帝国の文化人など害虫以下だ踏みにじれ……)

 と育った彼も、感じ入らずにはいられないものがある。

(何が力になるのか……)

 考えてしまうのだ。

(竜我の、正宗の、ヴァンバスカークの……)

 強さ。

 姜子昌が口を酸っぱくして言っていた……右耳から左耳に流してきた、国の強さ。自分が受けた帝王教育にもなかった。

(どうすればより強力な戦艦、より精強な将兵、その食べ物着る物をたくさん作れるか……)

 それは、帝王たるものが考えることではない、と教わってきた。

 ヴァリリア星で出会ったヴァンバスカーク。初老になりかけではあったが、

(練にも南蛮にも、ここまでの力持ちはそうはいねえ……)

 ほどの力とまっすぐな気性。気に入り、ついて来いと命じたが、彼にはすでに忠義を誓った主がいた。なら拳で、という羅候の挑戦を受けてくれた。

 思い出しただけでも頬が緩むほど、見物した無数のヴァリリア男が体から火を噴くほどの死闘があった。

 そしてヴァリリアの大重力と奇妙な宗教を信じる怪力男たち、すさまじい強さの酒。言葉などいらなかった。すさまじい激しい肉体訓練を共にこなし、拳と酒で語り合う日々だった。だが、それでも本当に自分が、

(竜我の前に立てる、大きい男に……)

 なれたか、実感はない。実感のなさがあったからこそ、

(ロイエンタールの息子を探す……)

 旅に加わることを承知し、戦いと旅を続けている。故郷、姜子昌と同じ時空にいるのに会うこともせず。

 

 旅のあいだは、どうしても考える時間がある。ぼろ元巡洋艦の旅。そして泥の星に降りてからの、巨蛇に曳かれ泥の上をすべる船の旅。

 単調な景色。食事だけが楽しみ。……泥の上を走る船に、現地民の平底小舟がつき、食物も真水も燃料も、春も売りに来る。

 ロイエンタールたちは関心なく避けることもあるし、現地に溶け込むため、怪しまれないようにあえて買うこともある。

 それで多くの情報を抜かれていることも知っているし、逆に多くの情報を得ることもできる。

 長い退屈と短い死闘の繰り返しが軍務、そのことは四人とも知っている。それを楽にするために、また兵に反乱を考える暇を与えぬために、膨大ないらぬ仕事があるのだとも。

 シューマッハにはレンズを通じて仕事が入っている。

 羅候は飽きもせず、今の状態でできるトレーニングをしている。銅骸骨がその細い、それでいてどれだけのパワーか上限が見えない手足で、その負荷となっている。

 ロイエンタールも時々、剣の相手をしている。

 四人旅。

 羅候は、さすがにこの辺境では敵国の主の顔を知る者はいまいが、かなり厳重に変装している。

 巨大な車つき箱を引きずる銅骸骨も、体の線が見えない衣類を着、顔に布を巻いて姿をごまかし人のふりをしている。

 シューマッハにとっては、かつてのランズベルク伯との旅も思い出されるものだ。愚かではあっても、平民も……ラインハルトも、軽蔑せずに接する度量はあった。それだけでも貴族の中では貴重な存在だった主。

 連れ出した幼帝エルウィン・ヨーゼフ……放置され、エゴを無限に肥大化させ荒れ狂っていた幼児。そうなって当たり前であり、周囲の大人が悪いと今はわかっている。再教育には時間がかかっているし、それはメルカッツにゆだねてしまった。

 ロイエンタールのさらわれた息子。ラインハルトとヒルダの皇子、人工子宮で生まれた弟妹たち。

(幼い子がこれ以上犠牲にならない……)

 そのことを願わずにはいられない。だからこそ、今は慎重に周囲を観察し、少しでも情報を得、そして油断しない。それしかできない。

 

 

 五虎将の生き残りが書いた紹介状と地図。広すぎる泥という単調な、目印のない地形をたどり、目的地に向かう。

 宇宙も単調だが、星々という目印がある。それも見当たらない暗黒星雲やガス雲もあるが、それらは難所であり航行不能であることも多い。特殊な戦場としてそこが選ばれることもあり、難戦となる……ロイエンタールもシューマッハも、何度となく死にかけたヴァンフリート星のように。

 あのガス雲のように広い広い泥原。

 黒い泥、白い泥、緑の泥、黄色の泥、赤い泥。様々な匂い。

 時に海水の泥となり、ときに真水の泥となり、時には強アルカリの泥となる。同じ泥でも毒ガスの泡がわき、船が踏み込むだけで死に至ることもある。船が浮けない泡の泥もある。

 30メートルはある巨大な、頭が二つあるのが標準の無毒蛇が泥を這い、舟を曳く。

 泥は見えにくいところで豊かな生命をはぐくむ。不足するのは木材や石材。

 砂漠のオアシスのようにたまにある岩島に木が茂って舟の素材となる。また岩を足場に泥炭を干して燃料として泥を焼き固め舟とする。時には泥の流動が止まり、表面に水がたまったところに無数の枝根に支えられた森が茂り、その木の上に人が住む地域もある。

 時には泥そのものが燃料……原油が大量に混じっている……になるが人は近づくだけでも危険な地域もある。

 木材を節約するため、泥の中で暮らす足のないワニの皮革を木の骨組みに張った船もある。

 

 広すぎる範囲人が暮らせない泥を抜け、蛇も入ることを拒む原油混じりの泥を避け、狭い回廊を通る。

 小舟の物売りから聞いた情報を照合し、ある地点途中からは舟も返し、歩きになる。

 泥の中のわずかな道。ふとももまで沈む泥。一歩ごとに体力を根こそぎ吸い尽くす泥。そして一歩でも踏み外せば、それは底なし沼に永遠に引きずり込まれる死を意味する。

 何十キロもある荷物を頭に乗せ、腕で支える。すさまじい負担に腕が悲鳴を上げ続ける。

 時にその泥の上をおぞましい虫が群れ、虫にたかられながら我慢して歩き続ける。

 下手なマラソンより体力を絞りつくされる旅が、まる42時間続いた。

 ロイエンタールもシューマッハも、士官学校での調練でも膨大な実戦でも、ジェダイの教育でも、ここまでの苦痛労苦が続いたことはなかった。

 耐え抜く。歩き続ける。

 足場の感覚が変わる。

 泥が固くなり、かなり広い島となっている。木はない。

 そこに高い柱が立っている。木か、石か……

(鉄)

 ロイエンタールの目が驚きに変わる。古い古い、極端に高い技術で作られた錆びぬ鉄の巨柱。

 そのてっぺんに、人の気配を感知した。

 近くにいた……よそ者に警戒しつつ、何事もないような態度をとる人たちに、ロイエンタールは紹介状を示した。

 泥人形のようなロイエンタールとシューマッハを羅候は遠慮なく笑い、銅骸骨はジーニアスメタルの小さなヘラで瞬時に泥をすべてかき落とした。

 

 階段も何もないつるつるの鉄柱を、四人はやすやすと登った。常人は登れない。ただ、紐で吊り降ろされる桶に要求されるものを入れ、そのかわりに膨大な英知を受け取る。

 はるか昔、乱世となり五丈が勃興する前の帝国、それ以前からこの修行場はあった。

 常に、とんでもない狂人が柱の上で生涯修業し、かわりに奇妙な予言でこの地の支配者を助けてきた。帝国も、弾正もその英知の恐ろしさに手を出せなかった。

 人の気配、だったはずだった。だがそこにあったのは、箱だった。

 時たま、下から特殊な泥が桶に入ってウィンチで上げられる。箱から出ている機械の手がその泥を、箱の端子に流し込み、別の泥が吐き出される。

 脳。脳だけ。

〈生きている脳〉。

 サイモン・ライト教授という名が、シューマッハのレンズに伝わる。

「わしは、メッセンジャーでしかない。これを渡せば、役目は終わり仲間たちと別の役目に移る。飲め、真にそれを、知りたいのなら」

 そう、〈生きている脳〉は声を発した。同時にかたわらにある機械の腕が、ネジ蓋のある小瓶をロイエンタール、シューマッハ、羅候、銅骸骨それぞれに差し出した。

 

 

 一瞬のためらいもなく、三人は蓋を開き、干した。銅骸骨は本体が入っている大きい箱をいじって、液体補給素材を出し入れする穴を開き、そこに液を注いだ。

 味が何なのかもわからない。瞬時に意識が薄れる。

 

 四人は、同時にまったく別のところに入った。

 動物の内臓のような。植物のような。奇妙な岩のような。ねじくれた星雲のような。木星型惑星の縞のような。

 

 ロイエンタールの前に、のっぺらぼうの剣士があらわれた。

 切り結ぶうち……わかる。自分自身、それも自分よりはるかに上の。何十年も修行したのちの。

 

 またロイエンタールは、いつか艦隊を率いていた。

 艦隊から離れてしばらくたつが、その惑いも一瞬……即座にわかる。

 敵は、今も忠誠は変わらぬラインハルトと、魔術師ヤン、そして亡きはずのキルヒアイス。

 こちらの手にあるのはすべて無人艦、一人の人もいない。

 三人の名将は息もぴたりと攻め続ける。

(付けこむ隙も逃げる隙もない……)

 壁のごときキルヒアイス艦隊、やっと作り出した逃げ道にしっかりと罠を仕掛けるヤン、そして大上段の唐竹割のごとくしっかと戦力を集中するラインハルト。

 多くは〔UPW〕技術で大きく改造された、自らの艦隊。バーゲンホルムとフォールドと波動エンジン、クロノ・ストリング・エンジン装備が標準。

 計算は複雑だが、どんな場でも高速の超光速で動ける。至近距離から光速の何万倍になるバーゲンホルムミサイルを放つ。集団知能で極めて精密な集団機動をするダークエンジェル艦隊。

 それに対抗する、ヤンとキルヒアイスの艦隊も今のローエングラム帝国最新艦隊。高速で動き回りながら長い首が素早く、艦の真後ろであっても口を向け、デスラー砲やマイクロミサイルを放つ。ラインハルトと天才たちが、主砲の改良にも余念がないことを知っている……最新型がどれほど恐ろしい威力かも。

 そしてミサイルから艦を守り、強烈な攻撃をしてくる人型機。人型機としてもかなり大型であり、それが自分より大きな浮輪のような輪を持っている。波動エンジンを丸めたそれは、けた外れの機動力と火力をもたらす。こちらの小型戦闘艇をすさまじい機動性で追い詰め、精密にわずかなアウトレンジから仕留めてくる。波動砲よりも、波動エンジンの通常出力を用いた対空砲の弾幕こそ恐ろしい。

 ヤンとキルヒアイスの艦隊、それ以上に恐ろしいのがラインハルト親衛艦隊。帝国の基準で言えば小規模だが、帝国・同盟・ゼントラーディ問わずエース中のエースを集め、ダイアスパーで最高水準に改造した艦ばかり。

 すさまじい腕、すさまじい精度で艦を操るエースたちを、ラインハルトはしなやかな猛獣、優れた剣客の細胞ひとつひとつのように精緻に操作する。

 自らの、バガーの制御によるダークエンジェル艦隊以上の、個にして全、全にして個の超精密集団戦。その戦闘力はその数からは想像もつかないほどだ。

 あまりにも美しい指揮、あまりにも強すぎる艦隊。ロイエンタールがラインハルトに忠誠を誓っているのは、自分より上だと認めているからこそだ。それをキルヒアイスとヤンが助けているのだ、これほどの絶望はその生涯で経験したことも……

 

 だが、その絶望も、さしたるものではなかった。

 瞬時に見てしまった、もう一つのロイエンタールの人生。

 時空の扉がなく、ラインハルトは要塞にこもるヤンを攻めてファーレンハイトとシュタインメッツを失い、ついに和を請う。その途上にヤンが暗殺された。

 それから、ロイエンタールが新領土総督となる。

 地球教などの策謀は続き、ラインハルトがウルヴァシーで襲われ、ロイエンタールはあえて背いた。鎮圧艦隊の指揮官は、親友ミッターマイヤー……

 激戦、小物の裏切りによる不本意な幕切れ。友は間に合わず、幼い息子を一目だけ見て、息を引き取る……

 胸を貫いた旗艦の破片の痛み。それ以上の痛み。

 

 シューマッハも、時空のつながりがなかった歴史での自らの生涯を見た。

 自分たちを負う厳しい捜査、特に旧同盟領で打ち続く混乱。純然たる事故と判明した大火、刑務所の混乱と虐殺、そしてルビンスキーの火祭り。

 幼帝を連れたランズベルク伯とはぐれた。主を守れなかったのは二度目。そのランズベルク伯は自らの狂死をもって幼帝を見事隠しぬいた。自分は何もできなかった。

 ラインハルト首脳部で地位を持っていた、ブラウンシュヴァイクの家臣たちのつてで、自分は准将の地位を得た。だが若くして、宇宙海賊との戦いで……

 

 羅候もまた、時空のつながりがなかった歴史を見た。

 巨大な帝虎級を多数含む、超絶な大艦隊。新五丈の何倍になるか。

 それで確信をもって押し出し、六紋海の決戦。圧倒的有利、それが大覚屋師真の策によって、とんでもない敗北に変わる。

 自らも、皇后邑峻も、あちらでも雷の情けを受けた。

 姜子昌は復命することなく、身一つで雷の命を狙いぬき、すさまじく戦いぬき、自らの首をえさに雷に毒刃を突き立てるを得た。

 姜子昌を、大軍を失った自分は荒れに荒れた末、再び決戦を挑み……破れ追い詰められた。そして舞う愛妻邑峻を自らの手で刺し、両手に双剣を握って星雲のごとき敵陣に切り込み……ひとり何千も切り伏せ、ついに竜我雷の刀に貫かれ死んだ。

 銀河を野望に燃やし尽くし、炎に焼けて焼き尽くされた……

(これほどの戦いで死ねたのなら、何の悔いがあるか!竜我の手にかかり腕の中で死ねた!万年に名を残した!妻も、最後まで忠実だった臣下もいた!友もあれほどに忠実だった!

 すべての武人がうらやましさに叫ぶ!)

 そう心が叫びつつ、何か別の言葉も心に湧いてくる。泥に浮かぶ泡のように。

『ほんとうに、これで満足なのか……』

 と。

『こうなることが、群雄たるものの、武人たるものの目標なのか……』

 

 

 ロイエンタールが気がついた時には、〈生きている脳〉の姿はなかった。

 なんとなくだが、赤毛の偉丈夫、人の姿だが異質な怪物、また人間の巨漢に似る機械の姿がまぶたに残っている。

(いずれ劣らぬ強者……)

 であると。

 動かぬ仲間たちを揺り起こす。そして柱を降り、母船を呼んで新たな旅に出る。

 ロイエンタールは、別の人生の記憶から地球教とルビンスキーの陰謀網の一端を見た。そして息子のありかも見えたのだ。

 




〈黒の剣〉入手としたかったのですが、それはまあ別の機会。というか今の時点でロイエンタールのライトセイバーは、あれの眷属かもしれません。
 さて、フューチャーメンたちは何をしているのか、どこでどんな活躍をしているのか……

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