私がまだ小さくて、幼稚園に通っていた頃、友達を鋏で切りつけて酷く怒られたことがあった。
さすがに十年も経てば、なんでその時私が叱られたかなんて簡単に分かるけど、その時の自分は、ただ仲が良かった友達に「人の身体は切りつけると赤い水が出てくるんだよ」というのを教えたかっただけだった。でも、友達の反応は自分が思っていたものとは大分違っていた。痛がり、拒絶し、泣き叫び、傷口からは赤黒い血が流れ、喚き散らしていた。その頃の自分は、純粋過ぎた故に、他人の痛みに気付けなかったのだろう。
今思い返すと、本当に狂ったことを考えていたと思う、でも、まだマルもバツも分からない頃だったら、そんなことを考えていても当然なのかも。
本当に、狂っていて、残酷なコト。でも、でも、何故か、周期的にその頃の残虐な心が蘇ってくる。血を見たくなる。誰かを傷つけたくなる。自分を傷つけたくなる。そして、その度にこの事を思い出して、ますます惨殺衝動が抑えられなくなる。
私はその度に黙って部活をサボり、商店街へ行く。そして、精肉店、鮮魚店、手当り次第に巡り、手頃な「肉」を探す。鞄の中のサイフには、千円札が二枚と小銭が少し。ちょっと高級な肉や魚を買うには十分な額が入っているから金銭面での心配はない。早速、鮮魚店でいい大きさの鰹を見つけたので、迷わず買った。鮮魚店の人から「今日はお祝いか何か?」と聞こえたので「はい」と適当に答えて店を後にした。ここから話し始めるとキリがないからだ。
そして私は、鰹が入ったビニール袋を片手にまっすぐ家に帰った。靴を脱ぎ捨て、リビングのソファーに鞄を放り投げて、鰹と共にキッチンに向かう。
生きる気力が抜けきった屍のような人間を指す言葉に「死んだ魚の目をしている」というのがある。まさしく言葉の通りだと、目の前の鰹の死体を眺めながら一人で感動していた。
鰹を眺めている今でも、まだ、誰かを斬りたいという衝動に襲われる。
私は、食器棚の引き出しに仕舞ってあった出刃包丁を手にし、鰹の頭を切り落とした。ザクン、と、肉と骨を切断した感覚が、手から腕に伝わり、身体中に染み渡った。
気持ちいい。
腹部を裂き、腸を抉り出す。
たまらない。
誰にも邪魔されずに、肉を貫き、切り刻んでいる。この瞬間。この世の快感の中でも、耐えられないほど気持ちがいい。肉を骨から剥がし、細かく切っていくその度に、全身に電流が走るかのように、快感が駆け巡り、身体が震えてしまう。白いまな板と、自分の白い手が、真っ赤な血で染まっていくのを眺めていると、ますます残虐な気持ちに支配され、気持ちが昂ぶってくる。
「頭とアラはお味噌汁にしよう」
恨めしそうにこっちを見ている鰹の頭を掴んで、煮立っている鍋に突っ込んだ。赤い肉がみるみると白くなっていく。
適当な頃合いで味噌と乾燥ワカメを投入し、それで味噌汁は完成。別に料理人を目指している訳ではないから、手の込んだことをする気はない。でも、家族にはこれが好評だ。母も、父も、兄も、おいしいおいしいと言って残りカスで作った味噌汁を食べている。料理なんてそんなもんだろう。
「ピンポーン」
玄関の呼び鈴が聞こえたその時、やっと我に返った。目の前には、真っ赤に染まったまな板と、私の手、そして、見事な鰹のお造りがあるだけだった。
料理は完璧に完成された。まるまると太った一匹の鰹の姿はどこにもなかった。それでも、自分の欲求は満たされずにいた。まだ足りない、何かが……。
モヤモヤを残しながら、私は玄関へと向かった。
ドアを開けたら、同じクラスで同じ部活に所属している鵜久森くんがいた。手にはスーパーのビニール袋が握られていた。
「う、うわああああああ!」
鵜久森くんは、私の姿を見た瞬間、青ざめた顔になって後ずさりをした。それと同時に、手にしていたビニール袋が地面に落ち、真っ赤なリンゴが袋から零れた。不思議に思い、視界を真下に落としたら、血に濡れた両手と、そこに握られた包丁が視界に入った。
「ごめん、今まで料理してたから」
私は、手を拭かずに鵜久森くんに手を差し伸べた。鵜久森くんの顔は驚きと恐怖がない交ぜになっていた。
そんな鵜久森くんを眺めていると、何だか彼が愛おしくなってきた。
何故彼がここにいるのか、大体理由は分かっていた。部長に命令されて私の様子を見に来たのだろう。いや、命令されて、というのはただの口実だ。鵜久森くんは私に気がある。断言できる理由は上げたらキリがない。授業中、チラチラこっちを見てきているのに気付いていないとでも思っているのだろうか。地面に転がっているリンゴもそうだ。私の体調が悪いと思って買ってきたのだろう。好意がなければここまで気が回らない。
鵜久森くんは不幸だな、と思った。
怯えている鵜久森くんを見ていると、鰹を捌く前の何倍も気分が高揚してきて止められない。いつまでも彼が怯えている姿を眺めていた。手に残っている血のぬらぬらと、肉を裂く感覚が心地よい。
もう身体を欲求に任せることしかできなかった。
もっといい女の子はたくさんいたのに、なんで私を好きになったんだろう。
真っ赤な赤い血が大好きな私を……。