奇妙な味のドラクエ1   作:ケット

3 / 10
第3話

 すぐにサデルに、ルーラで山奥の、とても小さな村に連れて行かれた。岩山の中に小さいが頑丈な砦が、見えないように築かれていた。谷間が水田になっており、周囲の木の多くはトチ・クリ・カキ・ナラ・カシなど実が食べられる木だった。

 サデルをはじめ二人の大人が私と、他二人の孤児の面倒を見ていた。サデルは赤ん坊を産んでから一年もしておらず、大変そうだった。

 他二人は年上のシモツキというジパングの血が濃い男と、まだ五歳ぐらいのラグエラという女の子。

 まず日本語の読み書き、ソロバンを用いた計算などいくつかの問題をやらされた。懐かしくて、とても楽しかった。

 サデルが驚いていた、「これで11歳、一年以上勉強もしてなくて?15歳水準じゃない」と。

 サデルの、小さい子の面倒はすぐ見るようになった。孤児たちの中で、リールに言われて何度も手伝ったことはあった。

「勉強は問題ないけど、これまでずっと便所と水路、肥料つくりの仕事しかしてなかったって? それも〈ロトの子孫〉の大切な仕事だけど、あたしたちは小さい頃からたくさんの仕事を学ばなきゃいけないの。もちろん読み書きソロバン、剣や魔法や銃も」

「竜王を倒すんだ!」シモツキが焦って叫んでいた頭を、サデルが軽くひっぱたいた。

「まずあたしに勝ってからね。あたしだって候補なんだから……おっと、おっぱいの時間ね。よしよし」

 と、赤ん坊を抱き上げたものだ。サデルの魔術はとても優れていて、学ぶことは多かった。

 ちょうど秋から冬になる頃で、山肌を切り開いて、四メートル四方程度でしかないが田を作ることを、皆でじっくりとやった。

 元々水路は両親を手伝っていたのでまずやったが、「得意なことだけじゃなく他の仕事もあるの」と、あぜを積んだりいろいろやった。

 冬は冬で、土でかまどを作ったり、木を削って桶や樽を作ったり、藁を叩いて俵や縄、わらじを編んだり、やることはたくさんある。

 いろいろなことを教えるため、何人かやや老いた、ジパング系の人も時々訪れていた。

 その人たちも私を見ては驚いていた。

「おお、まるっきりミカエラさまの写真そのまんまだ」

「あのミカエルの坊やとも。あの子もすごい子だったけどねえ」

 シモツキはすぐに、私が「禁断の、双子近親婚の忌み子」と口に出そうとしたが、そのたびに誰か大人が厳しく稽古をつけていた。

 そして、直接稽古をすれば私より全然弱かった。それに、私には学ぶべきことがたくさんあった。

 小さい頃から、わけもなく攻撃されることには慣れていたし、「天才なんだから当たり前だ」と、天才という言葉の意味も知らず思っていた。

 イシュトやリールの、隔てなく暖かく扱ってくれる温もりは懐かしかったがね。

 

 突然ルーラでガライに連れ出され、船に乗せられることがあった。

 そのときにはまた、知らない子が何人か集まることになる。

〈ロトの子孫〉子どもたちはみんな、最初は奇妙な目で私を見るが、イシュトをまねていればすぐ親しくなれることがわかってきた。

 船の経験はなかったが、紐の結び方は習っていたし、両親が本で船の動かし方を話してくれたことがある。

 何もわからないのを教えてもらう、自分が下手だ、というのはその時が初めてだった。

 なにをすればいいかもわからない。言葉で知っていても、体が動かない。

 まねをして失敗し、恥ずかしさに死にたくなる、その繰り返しだった。ただ、少なくとも命令に従うことは学べたと思う。

 誰だったか忘れたが、「全員が船長に従う船でなければ沈むんだ!たとえ船長が間違っていても、服従や規律がないより港に着く可能性はある。何が正しいのかは、誰にもわからないんだから」そういわれたことが、いまだに頭に焼きついている。

 あと、名前はあえて言わないが、明らかに邪悪なやつがいた。人を痛めつけ壊すことしか考えない。何かというと、すぐ私の出自を出して、皆を巻き込んで侮辱する。仕事はまるでできないのに。やってもいない罪を着せられたことすらある。

 イシュトやハーゴンと出会っていなかったら、そしてドムドーラで、公衆便所を整備しながらあらゆる人の悪徳を見ていなければ、追い詰められ自滅していただろう。

 イシュトには、「悪い奴はいるし、そっちに力があることは仕方ないこともある。やったかやらないか決めるのだって力だ、剣だ。だから相手のゲームだけはするな。誰もが裏切るが、それがあたりまえだ、動かされるな。怒ったら負けだぞ」、ハーゴンには「悪い、というのは弱みなんですよ。飢えてるんですよ。何に飢えているかを見抜いて引っ張れば、こっちが支配できるんですよねぇ。金に飢えた人には金を、血に飢えた人には血を、権力に飢えた人は権力を、ね」と、教わっていた。

 今も正直に言えば、あまり船の仕事はやりたくない。

 

 といっても、学んでいる時間はそれほどなかった。

 時々、突然誰かに呼び出され、剣と少しの弾薬を与えられて、町や村を襲う魔物を撃退したり、一人でも多く逃がすために戦うことが多かった。

 私ほど幼いのに戦っている子はほとんどいなかった、血に酔うことを恐れられてだ。だが、私はずっと一人で戦っていたから大丈夫だろう、ということになっていたらしい。

 そのため、私の勉強はいろいろな点で、不完全なんだよ。〈ロトの子孫〉が必要とされる最低限の知識をきちんと修了したのは、竜王を倒してかなり経ってからだ。

〈ロトの子孫〉たちの中で戦うのは、奇妙な経験だった。

 訓練から一人で、山の中で身を守るだけの戦いが続いて。

 それから、イシュトの指揮で孤児たちを守りながら戦ってきた。

 どちらとも違う。少なくとも、自分と同等かそれ以上の腕の持ち主と、肩を並べて戦うのは初めてだった。

〈ロトの子孫〉のことは知られてはならない。守っている当の村人たちにもだ。

 戦いの時には服従と規律、それは両親にも教わっていたが、実戦でのそれは全く違う。

 規律、といえば船でもそうだ。

 今となれば、大人の〈ロトの子孫〉が、私の、両親だけに教育され一人で戦っていた面をどれほど危ぶんでいたか、よくわかる。

 

「あなたの両親の、最期を見た」

 サキエルという、長い黒髪が印象的な男に話しかけられた。

 戦いがやっと一段落し、食事の準備。新しい仲間たちに馴染むため、またイシュトのように明るく飛び出そう、と思ったその矢先だった。

 私は疲れきっていた。血に酔わないように、そしてイシュトのふりをして明るく振舞いながら戦い続けることに。

 そして、実力では同じぐらいなのに、すぐ集団で『近親相姦の忌み子』と陰口を叩く連中に。

 規律ではなく、ただのサディズムだ、嫌な奴らだ、と思っても従わなければならないことにも。

 いっそ一人で、この多数出てくる魔物たちと剣になりきって戦ってしまいたい。

 疲れていた。だから一瞬、その言葉が耳に入らなかった。

「アロンド。あんたの、両親が。ミカエルとラファエラが、竜王に殺されるのを見た」

 気がついたとき震えて、腰が抜けた。

「ドムドーラに、竜王が全軍を向けてくるとは誰も思ってなかった。ルーラを封じられて、とにかくまず〈ロトの子孫〉の子供たち、そして町の人を一人でも逃がすために集まった。老人から先に死ぬ、子を逃がすと」

 それで、初めて彼がかなりの年齢だと気がついた。美しかったから。

「わたしのグループにも、子がいた。でも、逃げ切れないと覚悟した。巨大な竜が、群れをなして襲ってきた。そこに、あの二人がいた」

 私は呆然と聞いていた。

「何人も、近所の人を鍛えていた。一人でも逃がすためと。戦いながら時間を稼ぎ、後退する。その繰り返しで。わたしたちも、すぐにその指揮に従った。ミカエルには幼い頃拳を習った、最強だった。ラファエラの医術と銃、剣の腕、そして美貌は、わたしたちの憧れだった。悪い噂はあったけど、それより昔の印象が強く、そのときも相変わらずの強さだった」

 息ができない。血に酔いそうだ。熱い茶を飲む。

「二人で、激しく竜と戦っていた。ミカエルの、芸術といわれた拳が、一瞬銃弾でつくられた隙に竜の懐に飛びこみ、一撃とともに閃光が迸り、巨大な竜の半ばが溶け崩れ横倒しになる。

『戦うぞ!一人でも逃がせ!未来を、希望を、若者を、子を!』そう、叫んでいた。

 そこに、それが来た。平然とした、一人の男。一目見ただけで、わたしは恐怖に崩れ落ちた。そのわたしたちをかばって二人が、わたしが見ただけで崩れ落ちたそれに、激しく打ちかかった……

 杖一つで、あの触れられただけで何度も気絶した拳が、『あたしの剣からは輪が出る!』と叫ぶ閃光の剣が、打ち払われた。

『トゥルヤル、左側を死守! サキエル、子供たちを守りメルキド方面へ後退!』命令に、やっと立ち上がりながら叫んだ。

 トゥルヤルのように、死ねと命じて欲しかった。

『サキエル。命令を復唱し実行しろ』

 昔と変わらない、最高の〈ロトの子孫〉の命令。そうするしかなかった。

『子供たちを守り、メルキド方面へ、撤退します』

 後ろ姿だけ、襲ってくる敵と戦いながら、必死で見ていた。トゥルヤルが突撃し、相打ちに倒れたのも見えたが、うらやましかった。

 二人は決して諦めなかった。自分の命も、傷の痛みも度外視して、かばいあって戦い抜いた。

 ラファエラの銃剣が貫き、そこに拳が輝き、決まったと思った。そうしたら、海がのしかかるかと思う笑いとともに、ラダトームの城より大きな竜に……その炎が、二人を焼き尽くした。

 でも、それでもあの二人は立ち上がり、戦い続けた。消し炭のように全身焼かれても。片腕が焦げ落ち、足を失っても支え合って。

 巨大な口に食われてさえも、その中から稲妻と、拳の光が輝き、竜王さえしばらくひるみ、動きを止めた。

 その、命で稼いだわずかな時間に、わたしもふくめて何人助かったか……」

 いつしか、私は泣きじゃくっていた。

「みんな、あんたをどれだけ羨んでるか!ばばあどもは、わたしの報告を聞かなかった。みんなはあんたを恐れてる」

 熱い腕が、強く私の首に巻きつき、ぐっと力がこもった。

「負けるな。あんたが生きてる、そのためにあの二人は死んだ。あんたは最高の血を引いた、間違いなく勇者だ」

 激しく泣いていた。泣いて泣いて、泣きつくした。

 翌日目が覚めてから、サキエルは昨夜が嘘だったように厳しく命令した。戸惑いはしたが、すぐ戦いで忘れた。

 その翌日には、もう私はガライに帰って船の勉強を再開させられた。それ以後、サキエルには会うことがない。後に、ある戦いで戦死したと聞いた。

 

 

 そんな日々にも、慣れた。二年ほどは、魔物の跳梁もそれほど激しくはなかった。

 そんなある日、ラダトームを訪れた。

 魔物たちに大きい動きがあった、と聞いて。

 ラダトームに来たのは、あの時以来だ。イシュトが死んだ、郊外の窪地に花を手向ける。

 そしてその周囲にいる、難民たちを見る。

「だめ、今やってる別の救い方を教えるから」

 と、サデルに言われた。

「ラダトームの貴族どもに期待しても無駄だ」と、長髪の男、オサミツが言う。

 若手の〈ロトの子孫〉で最強の魔法使いの一人サデル、年長で射撃と徒手格闘がうまいオサミツと、私はしばしば組んでいた。

 城壁の外には、相変わらずぼろを着た人々が、恐怖と絶望、不潔の匂いを放っていた。

 私の目には、人目を避け物陰を駆け巡る孤児たちのかすかな影や足跡が見える。ドブネズミの兄弟、ゴキブリの姉妹。

 吟遊詩人の詩や歌芝居から偉そうで強そうな名前を取ってまとまり、その中でもしょっちゅう裏切り、今日一日生き延びようとあがいている。

 見なければ見えないのだろう、サデルたちには。

 だが、私たちの仕事は、そこではなかった。

 城下町の隠れ家で、サデルは化粧で顔を変えて重苦しく優雅な貴族服に着替える。私とオサミツはその従者だ。

 化粧のやり方は、〈ロトの子孫〉がそんな仕事をしていると聞いて、私がハーゴンから聞いた方法を教えて改良させた。あの少し前のことだ。

「あなたたちの美しさは、金にもなりますが災いにもなるんですよねぇ。でも、美しさってのは変なもので、ほんのちょっとの違いで、誰にも気づかれない目立たない存在にもなれますよ」

 あのちょっと変な笑い声を思い出す。

 武器を持つにしても、長い銃はとても隠せない。こちらの鋼で筒を鍛え、弾薬を一発だけ入れてネジで留める、腕に縛って撃つ短い隠し銃を持つ。

 そして服の隙間に細く厚い刃の短剣を隠す。

「ウリエルの故郷には、拳銃とかいう便利なものがあるって、きいたことがあるけど」とサデルが言う。

「ウリエルが、拳銃は使いものにならないって、残さなかったらしいよ。今いるよ」私が言った。

「昔、焼けた家で見たウリエルの故郷のカタログには、ピーキュウジュウとかファマスっていう、すごく小さい銃があったって」サデルが、かすかな悲しみを口にのぼせた。

「そんなのがあったらいいよね」

 などと語りあいながら、経験のあるオサミツと詰め所に向かう。

「ここからは、完全に無知な従者になりきれ。名前もローだけだ。魔法も使うな、誰が見ているか分からない」オサミツの言葉にサデルとうなずき、城に侵入した。

 

 城内はとにかく臭い。腐った食物の匂い、ろくに洗っていない体の匂い、効率の悪い松明の匂い。

 足元がべたべたし、いつもネズミが走っている。

 ひどい。

 丸一日、ろくに食事もなく城中動き回った。

(リムルダール周辺で魔物と戦っているほうがましだ)と本気で思う。

 そして、周囲の人々、貴族や従者たち、衛兵たちを慎重に見ていた。

 全然変わらなかった、壁外の、難民や孤児、貧しい人たちの溜まり場と。

 贅沢な服で肉や酒がある、それだけの違いだった。

 まあ、ドムドーラの便所から、人間がどれだけ同じだかはいやというほど見て、いや嗅いでる。黄金の糞など一度も見ていない。

 嘘、支配、不満、噂。その匂いが、汚物よりきつく匂っている。

(イシュトやハーゴンはそれをうまく使った)思い出して、さりげなく会話や、人が誰をどう見ているかを見て、覚えておく。

 誰が誰を嫌い、誰と誰が敵なのか。

 ゴーラの一人だったときのように、じっと周囲を見る。

 

 三日後、いきなりだった。

 ローラ王女の一行と廊下で行き会い、ひたすら貴族とその従者の演技で、丁寧に儀礼を守り顔を上げないように必死でいた。

 いきなり、目の前に強い驚きと恐怖の気配と、懐かしい香りがする。

 つい、顔を上げてしまった。

 美しかった。

 美男美女ぞろいの〈ロトの子孫〉たち、またドムドーラの高級娼婦たちとは、まったく違う美しさ。

 森の花園に舞う紫と金の、はかない蝶。

 熱かった。目が、頬が。炎が少女の形を取ったようだった。

 その、真紅の厚みのある唇が、音を出さず『ロトさま、助けて』と、はっきり動いた。表情を変えず、目だけで、悲痛なほど必死に。

 私は当然のように、決意していた。

 素手で戦うための、足音を立てず素早い歩法。サデルも含め人の死角をかわして抜け、彼女が入った便所に向かう。

 ある時点で、歩き方と姿勢を変える。

(今私は便所掃除人だ、誰に見られても誰も意識しない)

 そう、誰も気がつかない。姫を守っている初老の女官も、衛兵も。姿を隠そうとすれば逆に目立つ。

 そして、そこだけは一人だ。

「ローラ姫さま」彼女も、私の言葉で初めて気がついたように、私を見る。

 その大きな目が、みるみる涙で潤む。

「あ、ああ……ロト、さま……夢じゃ、なかった。お願い、助けて、助けて」

「誰に追われていますか?」

「わたくしではありません。リレム、リレム・ベエリ・ド・リムルという」

「リムル卿の三女、お遊び相手の一人でしたね」ラダトーム貴族のことは教わっている。貴族の割に行動的で、難民も受け入れ、傭兵を雇って民と国を守る姿勢があるとのことだ。ただしちょっと手段を選ばないところがあるとか。

「あの子が、あの子が生贄にされてしまいます。ツッセエ卿が、生贄を捧げれば竜王の災いはおさまる、と」

「そんなわけがないでしょう。それで、どうしろと……助けろ、ですね」

「勇者ロトさま」彼女が、広い便所にひざまずこうとするのを押しとどめた。

「私は、勇者ロトでは」言おうとして口をつぐんだ。〈ロトの子孫〉のことは絶対に秘密だ。イシュトに話したことすら狂気の沙汰だった、ましてラダトーム貴族の頂点、ラルス十六世王の一粒種!ありえない。

「言えません。何も。調べます、助けます」

 そう、言うしかなかった。時間がない。

 気持ちを、ただの便所掃除人に切り替えるのにかなり気力が必要だった。

 

「どういうつもりだ、メタトロン」オサミツの強い言葉。本名メタトロンは、私が好まないことを彼は知っている。

「アレフガルド貴族との、個人的な接触は〈ロトの子孫〉だけじゃない、〈ロトの民〉までも危険にさらすものよ!」サデルも強く言う。

「小さい頃、彼女を助けたことがある。そのことは報告していますね?」確認を求め、二人がうなずく。「勇者の子孫が助けを求められた。応じるのは義務です」

「美女なら、〈ロトの子孫〉にいくらでもいるのよ。そして誰もが、ミカエル直系のあなたの子を、喜んで産むわ」サデルが、母親の顔で……母親の、理不尽な叱責を必死で抑える表情で圧をかけてくる。

「近親相姦の子である、私の精は穢れているかどうか、議論になっていますね」オサミツが目を少しそらす。「それとこれとは関係ない。まずすべきことは、何が起きたか調べることです」

「私情をはさむなよ。もし任務に耐えられないようなら、早めに言うことだ。お前の視線一つ、動き一つが、〈ロトの子孫〉全体を危険にさらしていることを忘れるな。王族や貴族どもにとっては、竜王などより〈ロトの子孫〉のほうが脅威なんだ」オサミツが厳しく言い、サデルにもうなずきかける。

 

 ツッセエの家は悪い噂もあり、魔法使いを多く雇っているのは事実。うかつに近づけない。だが、私は別の手があった。

 全身に汚物を塗り石鹸のにおいを落として孤児のふりをして身を潜める。

 井戸に水を汲み、溝にごみを捨てに来る使用人たちの話を聞く。

(食べられるもの、売れるものがないか必死で探せ。それが今夜の食事、そしてアルヘシが死ぬかどうかの境だ)自分の心を、あの日々に戻す。

「さ、ごちそうだぞ」と、おそろしく残酷な男が、首を折られた高級な子犬を私の足元にほうった。

 私は目を輝かせ大喜びでとびつき、警戒した目で見上げながら、その死体を抱え尻をはしょって必死で逃げた。

 孤児にとってはこれは、まぎれもなくめったに手に入らない、自分も満腹でき弟妹の餓死を一日伸ばせる、ありがたいごちそうなのだ。

 だがそれを餌にして、捕まり、楽しみでなぶり殺されるかもしれない。逃げろ!心から必死で逃げる。

 後ろから笑い声が響く。

 また、素早く戻って話を聞く。

 女の声、「生贄を出すために、犬に毒針を打って姫様を噛ませるなんて」

「証拠を隠すためにその犬は盗んできて、さっきベメが野良犬の餌にした、って」

「生贄になるのもどうせ貴族だけど、わんこはかわいそうだ」

「そうだねえ」

 それで充分だった。犬の死体を、群がってきた腹ペコの孤児たちと奪い合いながら走りぬけ、昔の隠れ場所に飛びこんで着替える。

 体を清め、着替えて荷物を抱え、城壁の崩れ目から城に戻る。

 

「リレム嬢の生贄は決定しているそうだ。その飼い犬が、ローラ姫に噛みついたことが決定的な理由だが、以前から噂が流されていた」オサミツが言う。

「犬を……ツッセエは以前から残酷なことをして人を陥れてきたけれど、汚いわね」サデルが子犬の死体を見、その毒針の傷跡を見て、怒っている。

「しかし、なぜそのリレムという子なんだ?家同士の争いか、だが特に聞かない?」オサミツが首をひねる。

「当事者に会ってみましょう。ツッセエに会うのは危険ですが」やっと微笑した。

「それ以外の仕事も、ちゃんとやれよ」オサミツが苦々しげに言う。

 

 レムオルで姿を消し、牢番を一時的にラリホーで眠らせて地下牢に近づく。

 足の踏み場もない、満員電車状態。不安に満ちた時代には、罪に落とされる人も多い。

 泣き崩れている女の子たちも、身分を問わずいる。

 その中、じっとうなだれながら、激しく周囲の女たちに脅され、小突き回されている子がいた。

 ほかとはかなり違う、気品と美貌。

 もう、涙も枯れて心がなくなったような表情。

 サデルが全員をラリホーで素早く眠らせ、取ってきた鍵で扉を開き、別室にその子を引きこみ、起こす。

「今だけは安全よ」と、サデルが強く抱きしめて、耳にささやく。

 私が犬の死体を抱かせてやると、凍りついた表情がゆがみ、激しく泣き出す。家族を失った子の嘆きは散々見ている、とはいえ辛い。

 しばらく泣かせて、サデルが甘い蜂蜜湯を与えて落ち着かせた。

「リレム・ベエリ・ド・リムルね?」うなずくのを確認する。「何があったのか、正直に教えて。今ここで何を言っても、絶対に誰にも言わない」

 ……いつもどおり、ローラ姫と遊んでいた時に、リレムの愛犬が突然暴れ、ローラ姫に噛みついた。そして、以前から生贄が必要だと言う話になっており、リレム自身が志願したという……

 その、彼女の話で気がついたことがある。恐ろしく客観的で、細かなところも良く見ているし、何も忘れていない。十歳前の知能じゃない。

「でも、でも、こんな」地下牢の悲惨と苦痛に、リレムは激しく泣き崩れていた。

「時間がない」と、首を軽く振った。

 サデルは唇を噛みしめ、「必ず助ける」と、彼女を眠らせて牢に戻した。

 

 その直後、入ってきたオサミツが意地悪な笑みを浮かべた。

「のぞき穴までは見ていなかったな、危なかったぞ。地下牢をのぞける隠し部屋があった」

 その言葉に、心底背筋が寒くなった。というかその噂があったのを孤児時代聞いたことがあったが、うっかり忘れていたのだ。

「ツッセエのじじいが、地下牢で苦しんでる女の子をものすごい目で見て、しこってやがった。変態だな」

 その口調に嫌悪感がむき出しになる。

「さいってい。絶対リレムは助けないと」

「それ自体は、アリーナ姫のあれでいいんじゃないか?生贄自体を中止させるのは無理だろう、彼女自身が志願したんだから」

 私の言葉にサデルがうなずく。

「ドラゴラムは、今誰も使えないか。モシャスも、弱くなら使える、あとは化粧でごまかせばいい」

「あたしがやるの?」

「いや、私がやるよ。女の子のふりをしたことも何度もある」つつもたせでね。

「まあ、それで魔物は片付けるとして。本物をかくまう、そして」オサミツがサデルを促す。

「ツッセエはあの子に執着している、なら今リレムを助けても、放っておいたら次を仕掛けてくるわね」サデルがうなずいた。

「それどころじゃないようにすればいいな。ラリホーで支援し泥棒を入れる、泥棒の知り合いなら多分一人か二人は生きてるだろ」私も、久しぶりに孤児たちと走り回ったことを思い出す。

「あの家は金持ちでも評判だからな、泥棒も喜ぶぞ」オサミツが微笑んだ。

「あと麦角の精製方。ウリエルの本ではLSDって呼ばれてましたよね」私が思いついた。「お抱え魔法使いの机に手紙で置いてやればいいでしょう。人間は本当に欲しいもので引きずりまわせる。金に飢えた人には金を、血に飢えた人には血を、権力に飢えた人は権力を、ね」

「あの程度のエセ魔法使いに、できたらいいけどね。酒を蒸留できるレトルトも売ってやろうよ。どうせ秘伝にして失伝されるだけ」サデルが笑った。

「宮廷にも噂を流すか。ツッセエの政敵には……」オサミツが薄い石板に石筆で図を書き始める。

「その手の変態は、自分が痛めつけるだけじゃなく、痛めつけられるのも好むわよ」サデルが人の悪い笑みを浮かべた。

「そっち専門の売春宿教えてやるよ」と私は微笑んだ。ラダトームの裏街は、短い間だったが知り尽くしている。

「よし、その線でいこう」

 

 泥棒になっていた昔の顔見知りは、二人見つかった。

 目隠しして眠らせたまま、ツッセエ館の宝物庫に放りこんでやったときの、二人の表情と言ったらなかった。

 もちろん、二人で腰を痛めるぐらいに持ち出して、そして派手に奪い合いを始めたのには困ったので、また眠らせて半分ずつ握らせ、町の反対側に放り出してやった。

 それから数日、城下街ではツッセエの私兵たちがえらい騒ぎを起こしていたっけ。

 

 儀式の前に、オサミツが担当者を、蒸留酒を混ぜた酒で悪酔いさせ、儀式の詳細を聞き出した。

 その日、ローラ姫とも綿密に打ち合わせて、私は彼女から借りたリレムの服をまとい、モシャスの下位呪文で背格好だけ変え、短剣一つを隠して、地下牢から引き出されるリレムと入れ替わった。

 牢番に扮しているオサミツとうなずき合い、祭壇に向かう。

 他にも、数人のもっと身分の低い生贄が、ラダトームからやや離れた、そこから見える祭壇に放置された。

 ツッセエの、汚く悦に入った、そして普通の人間との違いが見れば分かる目。麻薬と蒸留酒に酔っている。それが、ふっと貴族たちの列から消える。

 祭壇に放置され、むしろ寒さのほうがきつくなってきた……そこに、ゆっくりと魔物が出現する、ように見えた。

 奇妙な毛皮で魔物のフリをしている、男。吹き出したくなる。

(楽しんで自分の手で切り刻んで、楽しみを仕上げるってわけか。殺してやってもいいが)素早く考えをまとめた。

 左右で震える、別の生贄を眠らせ、怯えて声も出ない演技をしながら、引き寄せる。

 その瞬間、毛皮の塊が、何かに吹っ飛ばされて転がった。

(本物の魔物)と思う間もなく、襲ってくるリカント。短剣にギラをかけ心臓を貫いたのは、ほとんど体だけの反応だった。

 もう一頭は、影からの銃弾に後頭部が吹き飛ぶのが見えた。

 そこに、ローラ姫が飛び出す。さらに別の、貴族姿の二人が走り、絶叫を上げて混乱させる。

 ばたばたした中、オサミツが助け眠らせていたリレムと私が入れ替わり、私はサデルの従者に戻った。

 そして混乱を抜け出そうとしたとき。小さな少女を大切そうに抱き抱えていたローラ姫が、目の前にいた。

「ロトさま」

「礼は不要です。もう二度とお目にかかることもないでしょう。勇者ロトが再臨したのです、夢かもしれません、そう言いふらしてください」とサデルが強く言う。私に何か言わせないように。

 私は、その燃えるような目をひたすら、目に焼きつけていた。

 二度と会えない。会ってはならない。〈ロトの子孫〉とラダトームの王族、ロト一族の秘密。

 彼女の目の、炎。そして、運命が……恐怖に混乱し走った男が、ローラ姫を突き飛ばした。

 私の腕に飛びこみ、そのまま一瞬目を合わせ、どちらからともなく唇を重ねる。

 一瞬。そしてラリホーの呪文……二人とも、眠らされるのがわかる。

 ローラ。その名、温もり、瞳が、深く激しく心に焼きついた。

 

 目が覚めたのはメルキドだった。二度とラダトームには近づかないよう、厳しく言われた。

 そして、ラダトーム城では、ローラ姫は言いつけどおりに誰も信じない話を言いふらし、情報を混乱させてくれたと聞いた。

 リレムは、やはり罪は罪ということで生家の領土、ガライに移された、とも聞いた。

 その日以来、私の頭はローラ姫のことでいっぱいだった。戦っていても学んでいても。

 そして、あの運命の日、知らせ……

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。