砂漠の大きな島を横目に、より広い大陸との、国境をなす砦に着いた。
扉の奥に旅の扉が隠された、小さな海底トンネルになっている簡素な砦。
ただし、内海への出入り口でもあり、通行料だけでもかなりの収益となる。また、その大きな砂漠島も、中央には豊かな果樹の森が茂り、魚も豊富にとれる豊かな島で、テアハス王妃の出身地でもある。
その砦でも山彦の笛を吹いたが、こだまは返らない。
それから、狭い水道を抜けて広い内海沿岸に点在する、多くはムーンブルク領ですらない町々を回るハミマや船員たちと一時別れて、アロンドたち少人数だけがジジのアバカムで鍵を開け、旅の扉に入った。
ローラは道なき道を歩くのは辛いので、船に残り、野営のときだけサデルの魔力を借り、リリルーラでアロンドと合流する。
着いたのは、ベラヌール北のほこら。
三つの旅の扉がある。一つは進入禁止大陸につながるため厳重に封じられており、もう一つは〈ロトの民〉とも縁の深い炎のほこらに通じている。
そこでもアロンドは山彦の笛を吹いたが、ハズレ。
そして、そこを出たら、豊かな森が広がっていた。
高い木々と、むっと匂う花の香り。下草は豊かで、動物も多くいるようだ。土地の起伏の間には静かな水の流れがあり、岸辺にはつる植物がびっしりとはびこり、斧で切り払わなければ進めない。
時に、緑に混じって襲う毒蛇を剣で切り払うこともある。
人ではなく獣の頭を持つ、巨大な人型の魔物もいた。おとなしく、人を襲おうとせずむしろ食料を分けてくれるものもいたし、問答無用で襲いかかりアロンドたちの銃に蜂の巣になったのもいる。
大灯台の島にいる、人を襲わない魔物の同族もいた。魔王による命令がない世界では、自然発生する魔物と野獣はそれほど違わず、逃げることもあるし襲ってくることもある。
人々が森を切り開き、果樹や木の葉を好んで食べる家畜を育て暮らしている場もあった。
周囲の岩山にはよい銅鉱山や塩鉱山もあり、旅の扉を通じて交易もしているようだ。
木に這い登るつる植物の、大きな青みを帯びた実の、銅のポットで蒸留した酒と蜂蜜を加えた酒精強化酒が素晴らしくうまい。
「ルプガナで飲んだ、ベラヌールのメロワインという酒に似てるけど違うな」
「ここしばらくは、あれはできねえよ。あんなになっちまっちゃあね」と、森の人々は笑っていた。
アロンドたちは背負ってこれただけの、布などで払う。またルーラの応用でアレフガルドに往復し、亜鉛や錫を宿代として払った。
銅があっても、真鍮や青銅を作るための亜鉛や錫が手に入らない地域もあり、そうなるとせっかくの銅が活用しきれないので、とても感謝され、これからも取引してくれるよう求められた。
大灯台の島の竹綿も貴重な布だし、逆にこの地域の樹皮布と、赤い染料が取れる木でもいい取引になる。
アロンドはまた小さい息子や子供たちに振り回されながら、一行を率いて森の中の道を進んでいく。
南下すると、しばらくとても急峻な山道が続く。魔物に近い野獣も多く、かなり危険な道になる。
リリルーラで〈ロトの民〉の騎馬隊を呼び寄せ、替え馬多数とともにまたがると、一気に旅ははかどるようになる。
いくつか優れた鉱山があったが、それゆえにひどく汚染された水もあった。また人のいない温泉もあり、そこで皆でゆっくりできた。
山を下ると深い森がまた広がるが、街道がしっかりしている。
山から、南側に広い湖とそれを覆う森が見える。
湖のほとりには、かなり大きな、比較的新しい町がある。木造の急増家屋が多く、賑わっていた。
「新ベラヌールにようこそ」という言葉に、アロンドは驚いた。
残念ながら山彦のこだまは返らない。
〈ロトの民〉の商人や、〈ロトの子孫〉やガライ一族の、アレフガルド外探索組は知っていたことだったが、ずっとアレフガルドに閉じこめられて育った〈ロトの子孫〉には馴染みのない話だ。
湖の南には広い広い平原が広がっている。
牛に似た角のない獣の群れが駆け、それを牙の長い肉食獣や下位の竜が襲っている。
湖の恵まれた水利・水運・漁業があり、そして広い平原の動物という獲物もある。
魚や肉に恵まれた料理は素晴らしく、また山や北の、ほこら近くの森ではよい香辛料も得られる。とても料理がうまい町だ。
悩みの種は鉄不足で、アレフガルドやムーンペタとの交易がしにくくなったのが大変だそうだ。
アロンドたちが、ルーラで担いできただけの釘や斧頭、鋸などに、皆が大喜びし、よい皮や毛皮をたくさん売ってくれた。ちなみにその鉄製品は瓜生が出したものではなく、アレフガルドやムーンペタで作られたものである。瓜生が出した品に頼ると、土着の産業が衰退するため、自粛するときはする。
年代は若いし、何かが違うが、銘酒メロワインにとても近い味の酒もあった。
「ベラヌールに何が起きたんですか?」
「多分、あの旅の扉の封が解けたんだろうな。ロンダルキアだろう、とにかく半分近くは死ぬ、よりもっとひどいことになってる」
人々はその話はあまりしたがらず、強烈な恐怖が見られる。
アロンドたち、〈ロトの子孫〉は、故郷を追われ家族を失う恐怖と悲しみは、いやというほど知っていた。
「どんな要求なんだ?」と聞くが、それはまるっきり分からない言葉のように、聞いた人々は感情に胸をかきむしる。
「すまない、だが私たちもよくわかっているんだ。勇気を持って立ち向かわなければならないことも!」アロンドが真剣な目で向き合う、それに傷つき怯えた人が、混乱して苦しむ。
「すまない」と、アロンドがムーンペタ産の蒸留酒をさしつける。
「あ、ああ、ムーンペタの酒だな。昔は、海からいくらでも入ったんだがなあ」
「これ以上は、無理には聞かない。行って、この目で見てくる」というアロンド。
「やめろ!あの街に近づいて、帰ってきた人なんていないんだ」何人かが叫ぶが、
「私は竜王の城からも生還した」そう、笑うアロンドに、絶望と恐怖に惑いながら人々は魅せられる。
彼が掲げる竜王の牙、そして屈強な人々と多くの竜馬に、かすかな希望すら生じる。
平原の東を覆う、広く低めの山々を抜けると、小さく本土につながった細長い島があり、それが橋のようになって南ベラヌール大陸に抜けられる。
その島も充分に大きく、多くの人々が暮らしていた。
やはりベラヌールから逃げた人々が多く、だれもがベラヌールを恐れている。
島から出ると、まばらな草と潅木が茂る、かつては豊穣だったが乾燥しつつある丘陵地帯が広く広く広がっていた。
そのところどころにあるオアシス、遠くの山から水路を掘り、それで豊富な農業をしている。
高度な水路の技術は、〈ロトの子孫〉にとってはこれ以上ないほど興味深いものだ。
そして、その砂漠で水を得たときの豊穣!〈上の世界〉の、勇者ロトが愛したイシスの豊穣を思わせる。
その、砂の中を這うつる、灼熱の日光を浴びたみずみずしい葉の陰の、大きく房をなす青い実からできる酒精強化酒こそが、世界に知られる銘酒ベラヌールのメロワインなのだ。
砂漠の中央は巨大な果樹園で、かなりの規模のオアシス都市となっている。そこに、ベラヌールから逃げた人々が一番多くいた。
ガライ一族の吟遊詩人もいて、かなり詳しいことを教えてくれた。
竜王が出現した前後に、死人が起き上がり人を襲い、また封じられた旅の扉からおぞましい魔物も多数出現したという。
「ロンダルキアと言われていますが、それも詳しくは。それより、竜王が倒されアレフガルドの封印が解けたのですか、なら一度ガライの街に戻らないと」と、その一座はあわただしくキメラの翼で跳んだ。
「まあ、見てみるのが一番いいな。その前に、ここと交易しておくか」と、ルーラでアレフガルドや大灯台の島と連絡を取り、四人で持てるだけの荷物を持って、砂漠の人々と売り買いをした。
アレフガルドの品そのものが貴重で、とても喜ばれるのはいつものことだ。
そして、その広い宿に、次々と客が増えていく。街の外の砂漠にも、何百頭もの竜馬と天幕。次々とルーラで集まり、また大型船でガライから海岸に乗りつけ集まるロト一族。
海岸側、南東側は広い草原や耕地、南には森も広がり、それだけに人口も多い。たくさんの人々が集まっても、問題なく食糧を買い宿で休むことができる。
街の人々が怯えるより前に、アロンドがベラヌールを指した。
「ベラヌールは我ら勇者ロト一族が救ってみせる!」その叫びと共に、多数の騎兵と、大型の盾と長剣を構えた戦士たちが湖に突進していった。
何人か、若い砂漠の民が叫んだ。「われらが故郷は、俺たちで取り戻す!よそ者に負けるな」
大喜びで、アロンドたちのスピードにおいていかれながら、ついていく人々。何よりも、アロンドが放つ雰囲気に魅せられて。
砂漠と草原を分ける境界、広大な湖の中央の島は、繁栄を極めるこの大陸最大の都市だった。
だがそれを覆うのは、アロンドたちには見慣れ嗅ぎなれた魔の気配。
それを、切り崩された橋、広く腐った塩水がかろうじて内にとどめているが、それもいつあふれ出るか……
「いくぞぉ!」
アロンドの号令、同時に手甲に覆われた右拳を天に突き上げる。稲妻!
雷神剣。勇者ロトがいくつも手に入れていた、その一つを瓜生がムーンブルク近くに隠していた。
閃光の嵐が瞬時に、白銀色の刃と固まり、右手の延長のように伸びる。手を開けば刃は霧散し、銃の扱いを全く妨げない。
道具として命じたときの攻撃力も、最上位呪文に匹敵する。勇者ロトが、アレフガルドの過酷な戦場で長く愛用していた。
いつもアロンドの背を守っているサデルは、子の病気があって今回は休み。かわりに、普段はアレフガルドのある廃村を再開拓している、サラカエルの妻でもあるムツキという女がつき従っている。
彼女もアロンドと共にガライの墓の試練を受けた、優れた武闘家だ。ジパングの血が濃い、黒髪黒瞳の美女である。
入った瞬間、「血」「のうみそ」などとだけおめく、飢えた腐った死体が襲う。
それを、まずアロンドの雷神剣から放たれる雷炎が焼き払う。
その影から襲ってきた、象の巨体を持つ不気味な色の猿に、ムツキが一瞬でとびこんで鮮やかな螺旋で鉤爪をかわし脇に一撃。拳と共に走る閃光、命中した周囲が瞬時に光を発して溶け崩れる、その時にはもう膝にもう一撃、動けなくなる。
そこに、〈ロトの子孫〉の銃弾が注がれ、頭をぐちゃぐちゃに粉砕されて行動を止める。
「焼き尽くす!離れろ」瓜生のメラゾーマがその体を焼き尽くした。
気がついたときには、膨大な大軍が襲いかかろうとしている。
「騎兵は後退しろ!ゴッサ、後は任せる。盾を持つ者は守りつつ順次後退」アロンドの命令。
銃弾の嵐が膝の高さを切り刻み、時に上昇しようとするバピラスの類は呪文と銃弾が撃墜する。
そのまま、固まった徒歩の集団がゆっくりと後退し、砂漠に歩み入る。
追って伸びた敵を分断するように、〈ロトの民〉の騎兵が剽悍な声を上げ、襲いかかる!
スピードと高い機動性、敵の炎や呪文の射程をかすめつつ、鉄槍の雨が次々と、空から敵を貫く。
「ウリエル!」
アロンドの叫びを、上空からAC-130ガンシップの轟音がかき消す。
魔剣の力で空中にルーラ、その場で巨大な改造輸送機を出すと同時にドラゴラムの変形呪文で融合。動物が教えられなくても走るように、竜の魂がその体の一部として、エンジンとラダー、多数の武装が兵員なしで使いこなされる。必要なところに弾薬や燃料が出現し続ける。
左旋回しながら、二門の20mmバルカン、ボフォース40mm機関砲、105mm榴弾砲が次々に火を吐き、不死の兵団に着弾する!
その破壊力は、ゾンビであろうと何であろうとお構いなしだった。
恐怖を知らない不死者の敵より、味方のほうが恐怖は大きいかもしれないほどだ。
「ここだ!振り返れ、突撃いいいいいいいいいいいっ!」
その爆音すら貫いて響く、アロンドの叫びと雷鳴。全員が、出会ったばかりであるベラヌールの民までが、その命令に瞬時に服する。
激しい戦いの渇望と、圧倒的な悦びが全身を満たす……そして、爆発的な活力となり、砂漠の土を蹴る足に力がこもる。
心も体も天を駆けるような。
〈ロトの子孫〉の剣と銃が、〈ロトの民〉の馬蹄と刃ブーメランが、ベラヌールの勇士が振るう大金槌が、腐った死体の大群を次々と粉砕する。異臭も恐怖も、すべてが心から消し飛ぶ。
その先端にいる、アロンド。乱射する銃が味方を助け、自らに迫る死体があれば瞬時に銃を腰の袋に差し、突き上げた拳に稲妻が凝って剣刃となり、敵を一撃で屠る。
盾と長剣を持つ異形の骸骨が、瞬時に両断される。
魔法を使おうとする奇妙な目玉も、マホトーンで魔法を封じられて撃ち抜かれる。
そしてムツキとアダンが、その左右を守り戦い続ける。
ポニーテールにまとめた美しい黒髪がひらめくと、螺旋を描く手から白い閃光が走り、敵が次々と溶け崩れる。
アダンの巨体がひときわ大きな竜馬の鞍にそそり立ち、幅と高さ5cm、長さ5.5m、重さ30kg以上の鋼鉄レールに握り皮を巻いた、常人にはハイクリーンすらきつい代物が隆々とした筋肉の躍動とともに軽々と振るわれる。イノシシの頭を持つ、巨大なオークのゾンビが、駆け抜けざまのバットスイングで槍ごと両断され腐った挽肉と化す。
ゴッサに指揮された騎兵たちは一つの生き物のように、敵を蹂躙しては離れて鉄槍の嵐を放ち、凄まじいスピードで離れると別方向から襲う。
鎧は軽く動きやすい皮衣だが、魔力で鋼の鎧並みに強化されている。長い三角形の頑丈な盾と、身軽さによるスピードこそが防具。
魔力のこもった投槍具で加速された槍の威力はバブーンやオークの巨体をやすやすと串刺しにする。
竜馬が疲れれば替え馬に乗り換え、恐ろしい速さで走り続けながら鉄槍を雨と降らせる。
接近すれば魔力で手元に戻る刃ブーメランの旋風が吹き荒れ切り刻み、ぶつかれば巨馬の体当たりや蹄、突進力を乗せた長柄剣や槍で蹴散らす。
瓜生は人間の姿に戻り、味方が危ないときに出現しては両手剣を軽々と振るい敵を切り捨て、礼も聞かずにかき消えては補助呪文を唱える。ゾンビに噛まれ感染した負傷者はホイミのみならずシャナクで浄化する。
〈ロトの子孫〉のほぼ全員、そして〈ロトの民〉も多くは魔法使いであり、スクルト・ピオリム・バイキルト・フバーハで強化され、傷つけばベホイミやベホマで瞬時に癒される。
ベラヌール周辺に逃れた人々には、神々に見えた。
見ただけで悲しみと恐怖にすくむ、そして常人の何倍もの力があり痛みも死もない腐った死体を、麦でも刈るように刈り倒していく美しい人々。
騎馬を率いるゴッサは、背こそ低いが凄まじい迫力と指導力で、アロンドの指示を待たずに群れを一つの生き物のように操り、アロンドが必要なところを襲う。まるでアロンドの、もう一つの離れた手のように。
盾と剣を持つ人々は剣技にも優れ、多くは優れた魔法使い。何人かが剣を呪文と共に使うと、刀身が紅く燃え石肌の魔物もやすやすと切り裂き、柄から放たれる魔法の火球がまだ動く腐った死体を灰に焼き尽くす。
彼らの持つ奇妙な武器が火を吹き雷鳴とも思える音を放つと、遠くの敵が次々と崩れ落ちる。不死の動く骸でも膝を砕かれれば、もはや歩くことはできず焼かれ葬られるだけだ。
素早く陣の乱れに走りこむ、素手軽装の戦士たちの手足は当たれば光を発し、強靭な魔体が溶け崩れる。
そして時々、奇妙な大鳥が天を舞うと、凄まじい爆発が次々と生じ、人間の何倍もある巨獣やそのゾンビすら粉砕するのだ。
その全てを率いる若き勇者アロンドは、ベラヌール勇者隊も優しく鋭く叱咤し導き、多くの使者と常に話して陣を自在に操り、最前線では常に雷鳴をひらめかせもっとも強大な敵をこともなく斬り捨てる。神々しいまでの美しさと迫力が、その背から稲光の翼のように輝いていた。
「出た連中は片付いたな」アロンドが勇士たちを振り返り、微笑む。
腐汁にまみれた、凄まじい姿。
「全員、今日は休むぞ。体を清潔にしてゆっくり休め。勝利を!」アロンドの声に、誰もが万歳を絶叫する。
アロンドの目に瓜生はうなずき、瞬時に膨大な鉄塊で壁を作って皆を守る。
塩湖の水を調べてうなずきかけ、何人もの人々が素早く粘土を運んで土を固め、そこに塩水を引いて小さな池を作り、火炎呪文で加熱した岩を放り込んで即席の風呂にし、皆が入浴して全身にこびりつく汗と腐肉、魔血を落とす。
そして豪快に、瓜生が出した大量の肉やパンを焼いては食い、塩と蜂蜜を混ぜた水を飲み、一口だけ強烈な蒸留酒を飲んで、歌い騒ぐ。
何人かの軽傷者が、油断なく機関銃を手に壁の隙間から周囲を狙い、残りの者は充分に暖かいよう、持ち歩ける軽い毛皮にくるまって砂漠に眠る。
水から離れたところにテントを張ってトイレとし、そこでは草の葉で身をぬぐい、蒸留酒で手を洗うよう準備されている。
街と変わらず清潔に暮らせるよう、瞬時に準備するロト一族の周到さにも、ベラヌールから逃れた勇士たちは驚嘆した。
そして、清潔に身を清めることをしてしまうと、水の都ベラヌールでの暮らしが強烈に懐かしくなるのだ。
「つれえんだよ、舷側から尻を出し、波でちゃぷちゃぷ洗う清潔が、砂町での暮らしにはねえんだ」
「それはきついよなあ。風呂なんて贅沢、砂漠の町では難しいだろう。私もアレフガルドの、砂漠の町ドムドーラ出身だからよくわかる」アロンドが、一人の勇士と暖かく酒を酌み交わす。
「まあ、砂で体や服を洗うことはあるけどな」
「それに、湿度の低い砂漠の住民は比較的清潔だ。伝染病も少ない」と瓜生がつけくわえる。
「またきれいな暮らしをするためにも、ベラヌールは取り返そう。明日は市街戦だ、今日のようにはいかない」
「あれだけ強いのに?」
「竜王の軍勢との戦いでは、アレフガルドの貴族と傭兵の軍では魔物の幻に翻弄され、圧倒されました」目が据わっているムツキが言い続ける。「ですが、〈ロトの子孫〉なら魔法戦闘では互角。でも軍を打ち破ることはできても、竜王と戦える勇者がいなければ次々と新手を繰り出す魔軍相手にはジリ貧になるだけ。だから軍を組織しての集団戦はせず、一人でも逃がし守る撤退戦に徹したのです」
「酔ってるだろ、ムツキ。一杯だけって言ったのに、明日に響くぞ」アロンドが言い終える前に、彼女は眠ってしまった。
「やれやれ」アロンドがため息をつき、ムツキに毛皮をかけると、自分は離れてまた男たちの間を回る。
アロンドは戦いながらよく見ていた。一人一人、まるでずっと隣で戦っていたような気にさせた。一番欲しい褒め言葉をくれ、肩を叩いてくれた。
特にベラヌールから逃れた勇士たちにとって、報酬はそれだけではなかった。
何より、卓越した医療技術。
戦いで傷ついた者は、単なる怪我でもガス壊疽や破傷風で、手足を切り落として助かれば幸運。まして動く死体に噛まれれば自分も同じようになるのが常識なのに、アロンドが率いる戦士たちの多くは優れた軍医となって針一本刺せば痛みは消え、傷口を切り裂き洗浄すれば熱も出ない。
そして動く死体に噛まれた者も、皮ポンチョの男やその周辺の彼から教わる男女の、きわめて高度な魔法により次々と助かる。
重傷者は集めて、アロンドの呪文で瞬時に全員が全快する。
そして、かつてのベラヌールに匹敵する多様な、強烈な蒸留酒や芳醇なワイン、甘い貴腐ワインにいたる多様な酒、さまざまな菓子と肉料理もふんだんに提供され、快適で清潔な寝袋とテントが配られる。
「メロワインほどじゃないよな、このポートってのも」
「似ているけどかなり違う、マディラ?」
「トカイ・アスー・エッセンシア、これはまた強烈な甘味だが。どうやって作ったんだろう」
「いや、あんたらのところのメロワインだって素晴らしいよ。これからも取引したいし、またベラヌールが復活したら、楽しみにしてる」
「またこの、ナポレオンって酒はそれからも欲しいな」
空の星を見て、夜が明ける直前にアロンドが目覚めた。
周囲の勇士たちが相次いで目を覚まし、静かに朝の支度をする。
瓜生の出した大量の食料と燃料を配給する。地面に穴を掘り、別に空気が出入りする穴を掘って鍋を吊るしているので燃料効率もよい。その配給組織を作るのも、前のムーンブルクでの穴掘りの経験もあり手馴れたものとなっている。
やや煮すぎのマカロニに、チーズ・蜂蜜・クルミ・レーズン・ニンニク・オリーブ油を好きなだけ。
腹ごしらえし、トイレを済ませて埋める。
全員がアロンドを見る。
「今日はベラヌールに突入する。
未確認だが、生きている人がいるという情報もある。遠距離攻撃は必ず確認してからすること。
市街戦では騎馬隊の能力は半減するから、いつでも突進できるよう待機、剣術に優れる者や魔法使いは、馬から降りていいなら加わってくれ。連絡や物資運搬に、多少騎兵も必要だ。
歩兵は四人一組。ベラヌール勇者隊も道案内として加わってください。
全員、一日分の食物と水、医薬品を確認。行動準備ができた者からこの線を越えて集合」
〈ロトの子孫〉の、竜王軍との、特に洞窟や廃墟での戦いで磨かれた四人一組。
大半が勇者の血を引き、剣と魔法を共に使える者も多くいる。専門の僧侶や魔法使い、武闘家もいる。
必ず回復呪文を使える者を後方に置いて指揮させ、盾と剣の戦士が前面にいる。
その二人以外はさまざまだ。
そして、一番前の戦士以外は銃も持っている。それも瓜生から豊富な弾薬や焼夷手榴弾を与えられ、ラファエルの怪力を継ぐ者はKord重機関銃を前から訓練されているし、AKと操作が同じサイガ12散弾銃を持つ者も多い。
アロンドたちが大灯台の島に来てからは、〈ロトの民〉の多くも銃器の訓練を受けている。
アロンドは頑丈な盾を手にしたアダンを前面に出し、ムツキと、ベラヌールの元長老の息子ゲテアを加え、騎馬のゴッサを連絡将校としてそばに置くことにした。
〈ロトの民〉も、ああいわれて引き下がる連中ではない。皆が剣や魔法に優れている、と主張し、愛馬から降りても志願した。
逆にゴッサが、馬群を率いて待機する側を選ぶのに苦労したほどだ。
湖の中央、大きな島に向かう細い道をなす陸に、瓜生とジジがまず先行して罠を解除してあった。
そこに、徒歩の兵団が押し寄せ、かつては華麗な水上都市だった廃墟に、次々とトベルーラを使う魔法使いが飛び、四つ爪錨を壁に投げる。
爆薬に砕けた門から、まっさきにアロンドたちが侵入し、同時に腐った死体の出迎えを受け、銃声と呪文が咆哮し雷電がひらめく!
アダンの盾に、恐ろしく太っているが機敏な骸が激突し、彼の巨体が衝撃を受け止めた、瞬間にムツキの拳が輝くと巨体の上半分が溶け崩れる。
遠くから襲うもう一人の膝、そして空を飛んで襲ってくる、翼持つ人のような魔物をアロンドの銃弾が貫き、めげずに襲うのを雷神剣が貫く。
複雑な回廊、壊れかけた船がつながった街。重い鎧を着て海に引きこまれ、瓜生の助けがなければ確実に溺れていた者もいる。
〈ロトの民〉の刃ブーメランも、狭い廊下ではほとんど使えず近接格闘を強いられる。だがみな竜馬を下りても長剣の腕も優れ、刃ブーメランの幅広く重い刃は近接戦闘でも充分に威力があり、素手の技も全員学んでいる。また新しく支給され、習い始めた銃も使って戦い続ける。
特にサイガ12の、スラッグやOOバックショットの連射は凄まじい威力で、三発もぶちこめば太った死体の上体がなくなる。AK-74やRPK-74の取り回しのよさと集弾性能、そして腕や足を吹き飛ばす鋭い威力もあちこちの廊下で確実に発揮される。
そして、あちこちの閉ざされた、小さな要塞に生存者が見つかる。
「撃つな、生きている人間だ!助けに来た」
「あなたは」
「前長老の息、ゲテアだ!アレフガルドの、勇者ロトの子孫アロンドさま。レオル、生きていたのか……」
「あ、あなたは」
「他の生存者について、教えてくれ」
アロンドの声に、やつれはて垢にまみれた男が泣き崩れ、あちこちを指差す。
襲う、恐ろしく動きの早い翼を持つ人と、そして首のない斧を持つ巨漢。
巨漢とアダンが一瞬力比べになり、拮抗している間にアロンドの雷神剣が巨漢を十字に四断。
そして生存者を襲おうとした翼の人を、それ以上のスピードでムツキが蹴り倒し、超高速の格闘戦から光の拳が奔る。
飛んでかわそうとした、その翼はアロンドに切り落とされており、足を溶かされてうめくのを銃弾がずたずたに撃ちぬく。
直後に出現する、顔がなく金属質の奇妙な人型の姿が高速で襲う、それをアロンドとムツキが、ともに劣らぬ速度で剣や拳をかわし、吹っ飛ばしたところをゴッサの巨馬が、報告ついでに踏み潰す。
「地図の、このあたりは制圧したそうだ。死者はない」
「わかった。生存者を乗せて陣へ」
「承知」
そのまま、十人以上の生存者を二頭の巨馬は軽々と載せ、馬を下りて短い脚で走るゴッサについていく。
「ありがと」
「まだ、始まったばかりですよ」アロンドが厳しくゲテアと、生存者の一人を連れてその案内で、複雑な地下回廊を歩き出す。
突然出現する、魔物の鋭く高速の刃がアダンの盾を叩き、押し返され、飛び下がった瞬間銃弾を浴びる。
いつしか、目的はロンダルキアに向かう、封印された禁断の旅の扉となる。
そこには、一つ目のとてつもなく巨大な人型の、明らかに生きている魔物と、犬のようにも人のようにも見える毛皮の魔物がいた。
その横に、とてつもなく巨大な蜘蛛や、いくつもの頭を持つ半ば腐った巨大蛇。
「ケッケッェ、竜王は倒れたのか」毛皮の魔物が話し出す。「光の玉の、ムカつく力がここまでも響く。だが、竜王の邪悪に呼応し封印が解かれ、多くの生贄を捧げることができた。ハー……あのお方の指揮とロト一族やラダトーム王家の生贄があれば、シドーの復活も遠いことではない」
「たくさんだ。人を襲う魔物は殺す」アロンドが戦いの咆哮を上げる。
巨人が咆哮して、銃撃をものともせず身軽にジャンプし、巨大な木の柱を叩きつけるのを、アロンドがすれすれでかわして雷神剣の刃を手から伸ばす。
蜘蛛が襲いかかってくるのを、アダンの鉄棒が正面から叩きつける。
巨大な蛇の、恐ろしく機敏な動きをムツキが、丁寧な足つかいでむしろゆっくりと螺旋にさばく。
毛皮の魔物の前に、いつか瓜生とジジがいた。
「授業中なんだけどね」
「おれもだ。ま、さっさと済まして学校に戻ろうか」
微笑みあい、ジジと毛皮の魔物が次々と呪文を唱える。
マホトーンの応用が世界を塗り替える。
瓜生がメダパニで混乱させられ、ジジに銃を向けた、と思った瞬間、混乱した瞳のまま瓜生は正確な動きでデビルロードを撃つ。
デビルロード自身は、別の虚空に爪を振るった。
「先に魔法をかけておいたのよ、混乱したら決められたとおりの動きをする。あんたが見てるのも、幻」
ジジが笑いながら、メラゾーマの火球を、まったく見当違いの方向に放つ。
「そこ!」
その、何もなかったところが燃え上がる。正気に戻った瓜生が、ヴィーゼル空挺戦車を出すと飛び乗り、20mm機関砲の凄まじい火力を叩きつけ、魔物の形のない本体が絶叫を上げる。
「あぶない、メガンテ」
ギリギリでジジが唱えた呪文に、自爆による闇の嵐が封じられ、消え去る。
「うかつに攻撃するなんてバカ?」
「助かったよ」瓜生は一々反論しないでジジの頭を軽くなでる。
「子供扱いしないでよ!」
「ごめん」
一方、アロンドは燃え上がり断ち切られた巨木の一撃をかわし、巨人の腹を雷光の刃でえぐった。その太い毛に左手でしがみついたまま、刃を霧散させて銃を手にし腹の傷に突きこみ、フルオートで7.62mm×51NATO弾を二十五発ぶちまける。
そこに、瓜生の方からも機関砲弾が数発正確に命中し、大量の肉を吹き飛ばす。
絶叫して暴れつつ倒れたかに見える巨人。だが、アロンドは気を抜かず弾倉を交換し、雷神剣を構えなおす。
巨人はみるみるうちに姿を変えていく。五メートルはあったのが、せいぜい二メートル程度に。一つ目のおぞましい顔はそのままに。恐ろしいほど引き締まった、鋼を思わせる肉体美。両手には日本刀に似た、見ただけで吐き気がするが限りなく美しい、同じ長さの刀が一振りずつ。
「破壊の剣」
ジジが声を呑んだ。
そして、むしろゆっくりと、鋼の剣士が体で圧力をかけ、両手で斬撃と突きを繰り出してくる。
「悪魔の騎士以来か、これほどの腕と戦うのは……巨人よりこちらの方がずっと怖い」大きく飛び下がったアロンドが強く警戒しつつ、そして楽しげに銃と盾を置き、無造作に歩み寄る。
凄まじいスピードでの突きを、鋼の剣士が紙一重でかわして双剣を十字に振るう、その余波だけで壁の巨石が粉々に砕ける。
それから、凄まじい速度で動きながら、互いに強烈な一撃を、何十度も打ち合う。回避は最低限、むしろ相打ちでも渾身の攻撃を当てることしか考えず。
「すごい、一発でも」
余波だけで岩壁が、石の家が吹き飛ぶ威力に、ジジが驚く。
「アロンドも〈竜王殺し〉、神殺しだ。あの敵も神々のレベルだな」瓜生が巨大な鉄の塊を出して、ジジやムツキを守る。
蜘蛛の巨大な爪をこともなげにかわし、ジジと共に消えてすぐそばに出現する。
「人間、いや巨大な獣でも、あの一撃で即死するだろ。でも、神々としての力を瞬間的に生命力にして、ベホマを使う余裕を作り、何十度も打ち合える」
「あんたも、それに近いことはできてるじゃない。大魔王殺し、神竜倒しなんだから」ジジが文句のように。畏怖をわずかに声ににじませて。
「ミカエラのおまけでしかないよ」
どちらかの神力が先に尽きるか、そしてどれほど攻撃に徹し自らの体と武器を使いこなすか。
どちらの動きも美しく、無駄がなく正確だった。
「あそこまでとはね、アロンドの才能はカンダタに匹敵するかも。素晴らしいダンサーにだってなれる」
「ミカエラの再来としかいえないな」瓜生が苦笑する。「ま、他のみんなもすごいけど」と、キアリクを唱えてやり、毒に麻痺したムツキを癒す。
体が動くようになった彼女は、髪一筋切らせて飛びこみ前転で足の間を抜け、両手で巨大蜘蛛の腹に光を叩きこんだ。
「心のない、虫なのね。それは強みであり、弱み」ムツキは感情を殺して言うと、その恐ろしい速度で襲う爪と牙を紙一重でかわし、螺旋にそらして攻防一体の一撃を急所に叩きこむ。
アロンドと、鋼の剣士の戦いは短くも終わろうとしていた。
全身の力を抜き、柔らかく、それでいて重い突きが双剣を縫って鉄体をぶちぬく。完全に体全体で。
声にならぬ声。アロンドの咆哮と共に、宙に舞った右腕が風車のように回転し、全天を埋め尽くすような雷が唐竹割りに、まさに稲妻そのものとして叩き落ちる。
鋼の人型が消えうせるのを見ることもできず、アロンドは力尽きたように倒れた。そこに瓜生がベホマをかける。
その、消えうせた人型の跡に転がっていた一振りの刀を瓜生とジジが拾い、何かいじると、そのまま地面に放り捨てた。
巨大な、半ばゾンビ化した多頭大蛇と戦い続けているアダンに、蜘蛛を倒したムツキと回復したアロンドが駆け寄った。
右腿と左半身を巨大な牙に噛まれ、どす黒く毒に犯され、普通なら死んでいる状態なのに阿修羅のように抵抗を続ける。
その胴に、長大な首の一つが巻きつき、締め上げる。そして別の首が左足に噛みつき、ワニが回るようにまわりちぎろうとする。
生者とは思えぬどす黒く弾けた顔で声も出ず、それでも抵抗し続けるアダン、そこに二発の閃光。
アロンドの雷神剣が胴を締め上げる首を破裂させ、ムツキの拳が足にくらいつく首を溶かす。
瓜生のショットガンから放たれる短距離メドローアがアロンドを襲おうとした首を消し去り、ジジのヒャダインが唱えられるとヒドラゾンビの全身が、内部から凍結し砕け散った。
倒れるアダンに、アロンドのベホマと瓜生のキアリーがかかる。
「後送」と、報告に駆けつけたゴッサに巨体を託すと、旅の扉の前で呪文を唱えている瓜生とジジに合流する。
「力を、こういうふうに」ジジが特殊な編み方を見せる。彼女自体にはできないものだ。「出して」
「ゲテアさん、この街への愛情と、失われた命への怒りを魔力にしてください」瓜生が編み方をやってみせる。
アロンドが手を天に掲げ、稲妻の嵐を巻き上げながら、複雑な呪文を唱え始める。
瓜生は旅の扉の周囲に、魔法円を丁寧に描き、アロンドが吹き上げる力を収束させる。
アロンド・瓜生・ジジ・ムツキ、ゲテアが、力の場を保ちつつ光を集約する。
「ミナカトール」
瓜生の呪文と共に、光の嵐が一点に集約し、旅の扉を封じていたダメージ床と壁、鉄格子の扉が再び形になる。
その壁の、崩れていたレンガ一つ一つに、各地の塔と同じ太古の呪紋が浮き上がる。崩れてはいるが、一つ一つのレンガは傷一つなく形を保っており、再び積みあがって組み合わさる。
五人とも、力尽きたように崩れ、激しく息をついた。
「ちくしょう……」目覚めたアダンが慟哭し、全身を襲う凄まじい苦痛に絶叫した。
「力が欲しいですか?」と、かたわらにいたハーゴンが、アダンの目をのぞいて気持ち悪く笑う。無人の病室。「アロンドさまだって、あんな素晴らしい剣を持っているから強いんですよ。先ほどの敵から手に入れた剣ですが、使ってみますか?アロンドさまのように強くなれるかもしれませんよ」
と、言って日本刀に似た剣を差し出す。こうして見ると、日本刀より幅はずっと広く掌ほどはある。何でできているのか、見ただけで心に秘めた最悪の何かを暴かれるような、吐き気がするような複雑な暗色、ところどころの刺激的な原色。汚物や内臓、激しく流動するスラグを思わせる。
その広い刀身のどこにも、ダマスカス鋼や日本刀のような調和や秩序はない。刃そのものも見れば不定形に近い、多くの直線や曲線で構成されているし、常に形を変える。
「う」硬直したアダンに、ハーゴンがささやき続ける。
「これは最高の攻撃力を誇る剣です。今のロトの剣なんかより、ずっと。これさえ手に入れれば、アロンドさまはもっとあなたを認めてくれるでしょう。あなたはとても強い、特別な戦士なのですから」
そして、巨体の傷ついた男が、悲しむ子のような表情で剣に触れようとした……人の気配を見、瞬時にハーゴンの姿が消える。
「手にするがいい」
と、瓜生。
激しい苦しみにもだえた。瓜生やロト一族が繰り返しキアリーやより高度な呪文をかけても、全身の細胞に染み入った毒と呪いを治療しきることができない。
「ウリエルさま」アダンが手にしようとした破壊の剣を、老いしなび、一生働きぬいたことの分かる手が、ひょいととりあげた。
「シシュンさん!」瓜生が叫ぶ。
「ほれ、ここを持つんじゃ」シシュンが、剣の柄の余った部分をアダンに握らせる。どす黒く染まる肌に、奇妙な生気が通い始める。
そして、シシュンの恐ろしいほど老いてはいるが、背筋の伸びた気品のある体に、凄まじい邪悪な気配が駆け巡る。
「ウリエルさま」と、彼女がアダンの胸をなでながら、瓜生を見た。その目は、もう蛇のそれに変わっている。
「破壊の剣は呪われた魔剣。その力で命を長らえても、魂そのものが食い尽くされ、これを渡した誰かの操り人形となる……でも、剣にあなたが瑕を入れていて、アダンが操られてアロンド様を裏切る瞬間死なせることができる。違いますか?」
瓜生はうなずくしかなかった。
「小さい小さい頃、ジジさまにデルコンダルから逃がしてもらってこの島で、百年以上幸せに暮らしてきました。満足しています。そしてこのアダンは、ひ孫たちの中でも、一番バカで、伝え聞くカンダタそっくりで、特別に可愛い子なんですよ」
瓜生が、罪悪感の表情に打ちひしがれる。(助けられないんだ、せめて)言い訳を口にするのは抑えた。
「いいんですよ。賢者さまは、魔法使いは、いつもクールであれ、です。クールに、戦いを後ろから見て。でも、この子のかわりに、わしが死ぬのは、さしつかえないでしょう?」
と、シシュンが笑う。
「わしもカンダタの娘、それなりの魔力はありますよ。修行もしてきましたしね。でも寿命はもうほとんどない、だから剣の呪いはわしの魂を食えばいい。そしてこの子はわしの生命と剣の力で、せめて自分の意志で生きられるよう」
そういうと、凄まじい魔力がアダンに注がれる。メガンテと同様の。
二人で握っている破壊の剣がゆらぎ、アダンの体に入りこみ消える。
シシュンの目が突然暗くなり、全身の皮膚が一気に変色し、体全部が奇妙な色の粉と化して崩れていった。
最後の最後まで、笑顔のまま。
瓜生は、罪悪感に打ちひしがれつつ、ニフラムで危険な呪いに満ちた粉を消し去った。
補佐していた医者や魔法使いたちが駆け込み、瓜生とアダンを怯えた目で見ていた。
アダンは、皮膚が変色したまま眠り続けている。深く、何日も。
ゴッサが渡す何通かの手紙を読んだアロンドが笑顔で、ゲテアに読み聞かせる。
「南の船上都の掃討はほぼ完了。魔法で封じた大型船の倉庫で、二十人が生きていた」
「中央牢獄にたてこもっていた三十四名を説得、周囲をうろついていた死人を焼く」
……あちこちで、戦いが終わり生存者が生存者の居場所を指し、ベラヌールの街の安全域が広がっていく。
「む」アロンドの顔が引き締まる。
「どうかしましたか?」ゲテアが、すっかり恐れ入った表情でアロンドを見る。
「周囲の、ベラヌールから逃げていた人々が、別に武器を取って押し寄せてきている」
ゲテアの表情がぱっと輝くが、アロンドは厳しい表情のままだ。
「危険ね」いつしか、ジジとハーゴンが傍らにいた。
「危険です。そのような、こちらの勝利を見て日和見する、しかも大衆。解放は彼らの手柄とされ、われらは悪とされかねません」ハーゴンが熱っぽく言う。
「そうだな。しかし妙に動きが早い……」一瞬考えて、目を上げ「ゴッサ、ロト一族を集めて、いつでも撤退できるように」
ゴッサは無言でうなずき、凄まじい速さで竜馬を駆けさせる。
アロンドは静かに山彦の笛を吹く。こだまは返らず、ただ音色は消えた。
静かに天を見つめたアロンドは、軽く足で地面にハーケンクロイツを描いて踏み消し、ハーゴンの背をにらむと広場に向かった。
素早くロト一族が集まっていく。
「あ」ゲテアが、アロンドに目を向ける。ゾンビと戦い続けている義勇隊は、今も血に酔って蕩けた目をしている。
(どうする?成り行きに任せたら、ロト一族まで争いに巻きこまれる、それが最悪だ。
ベラヌール勇者隊の側につくと余計な恨みを買うな、戦友だからロト一族の皆はそれを喜ぶだろう。
私たちが主導して、生存者を含めベラヌールから引き離し、折衝させるか?全員が怒るが、公平にやれる可能性はある。
ロト一族の圧倒的な力を見せつけ支配する……ヒトラーとして?バカなことを、その結果どうなる。私自身も、これ以上喜ばしいことはないがな。
このまま共に戦いつつ、新しい人も受け入れて、全員で何かを作るという実感を持たせる、アウトバーンのように。
目標を明白にしろ。街の再建・所有権・政治体制の確定・虐殺をさせないこと。
とにかく欲と戦いに酔った群衆をクールさせないと、都市攻略ほど人の魂を燃やすものはそうはない。
それに、そうだヒトラーとは別、勇者と認められたときの、新兵訓練……)
わずかな時間瞑目し、ガライの墓の底で見た、二つの別の人生の経験を噛みしめ、叫んだ。
「戦いはまだ終っていない!一時安全な地域に集合整列せよ!」
アロンドの絶叫と雷神剣が起こす雷鳴に、主にベラヌール勇者隊たちが恐怖と戦意に目を血走らせながら集まってくる。
ゴッサの号令に、集合した〈ロトの民〉、〈ロトの子孫〉もそれに従う。
「ロト一族は北方に向かえ!ベラヌール大陸のもの、生存者も勇者隊も、順次集合せよ!」
一言の反問なく、島を出る陸橋を駆けるロト一族。
「いくぞ!疲れないために、安定した歩調を保て。ベラヌールの歌を歌え」
その声に合わせ、ベラヌール勇者隊も生存者も歌いだした歌の旋律は、呆れたことにBOØWYだった。百何十年前、ゾーマを倒した後〈下の世界〉を勇者ミカエルが旅していたとき、ベラヌールの酒場で瓜生がCDラジカセで演奏しカラオケで歌ったのが大受けし、そのまま定着したのである。
まだ路地で戦っていた人々も含め、ベラヌールの人々は歌いながら歩き、徐々に歩調をあわせていく。
「なんのつもり?」突然、隣に出現したジジに、アロンドはいくつかささやいた。
「あんたも結構悪党ね、そりゃウリエルの故郷で最悪の人間を丸々ぶちこんだんだし。面白そうじゃない、いいわ。ウリエルにも伝えてくる」
ジジはさぞ面白そうに笑って消えた。
そして、アロンドのところに戻ってきた騎馬の伝令にも、アロンドは繰り返しいくつかの指示を出しつつ、メロディーに合わせ安定した歩調で歩き続ける。
大人数が、解放された故郷である廃墟を背に橋を渡り、砂漠に出る。そこに押し寄せてきていた、手に手に武器やわけのわからない道具、袋などを抱えた人々にも、アロンドが先んじて雷神剣の稲妻で轟音を放ち、瓜生に借りている拡声器で叫ぶ。
「ベラヌールのために戦いたい者は集まれ!こんなひどいことにした敵はロンダルキアにいる!ついてこい!」
と、歩調を速める。
走ると歩くの微妙な中間、歌声が出せるギリギリの速度。
それに、新しくベラヌールに押し寄せた膨大な人数も、まるで綿あめがからめ取られ膨らむように、雪達磨式に膨れ上がっていく。
戦いの絶叫が歌に集まり、歩調が合っていく。アロンドの強烈なカリスマと、群衆そのものの力、誰もが抱く怒りと欲望、戦いへの飢えに支配されて。
「あれだ!囲め!」
アロンドの叫びと共に、砂漠の砂から巨大な巨大なムカデが出現する。一本の足が巨木より長く太い。
「ひるむな!」
率先して襲うアロンド。さらに何人かの、実はベラヌールの服を着ているロト一族の戦士が立ち向かい、それに群衆も引きずられる。
ムカデの動きは鈍いが、攻撃が続けば動きが止まる。
「あっちだ!」
叫ぶ者がいて、そのままそちらに、日が落ちた砂漠が急に冷え込む中も歩き続ける。また、次々とベラヌール解放の知らせに、欲に憑かれて勇む人々が加わっていく。
今回は食事も出ない。水の持ち合わせも、あっというまに飲みつくした。
一睡もせず夜が明ける。興奮が疲労に押しつぶされる。
「砂漠の太陽は目に悪いぞ、目隠しして、布で前後左右とつながって歩け」と、目隠しで歩くこともある。そうなると、完全に見当識を失う。
丸二日、一睡もせず手持ちの水だけで、歩き続ける。疲労で体が崩れていく。
何人も落伍していく。弱いものから。だが、その落伍者は見えなくなってからロト一族に救助され、介護されてから暗黒に閉じこめられていることを、歩き続ける群衆は知らない。
三日半、一睡もせず歩き続け、やっとアロンドは休息を命じ、わずかな水と食物を配った。
実は、何度かモシャスでアロンドの姿になったロト一族の魔法使いが入れ替わって、アロンドはちゃんと睡眠・食事・水分補給はやっている。
だが群衆の睡眠は、ほんの二時間ほど。すぐに雷鳴が響き、身長の倍ほどのゴーレムが、多数襲ってくる。
ゴーレムの動きは非常に鈍く、やられることはほとんどないが、タフだ。
それに、疲労し、飢え、渇いた戦士たちは怒りをぶつけた。
終わればまた、別のどこかに走り、それが力尽きた時には倒れこみ、雷鳴に叱咤されて起き上がり、わずかな水の配給をむさぼり、重く足にまとわる砂に足を引きずり歩みだす。もはや、かつて倒した亡者たちのように。
それも、何年も前だったかのように。一体何のために歩いているのかも忘れて、ただ群衆の力だけで。
十日間。ひたすら激しい睡眠不足・飢えと渇き・単調な行進と時々の戦いは、続いた。心が擦り切れ、日にちも現実も分からなくなる。
いつしか、ベラヌールの入り口に帰っていた。
最後に、巨大な竜をふらふらになった人々が、倒したように思える。
その時だった。花火が上がり、雷があちこちに落ち、激しい音楽が爆発する。
うまそうな肉の焼けるにおい。水と蒸留酒の匂い。
ロト一族が、瓜生の出した膨大な焼けた肉と水、酒を準備していた。
ふらふらになった人々の、最後の気力が爆発する。
ひび割れた唇から血を流しつつ水に倒れこみ、飲み、食い、眠る。目覚めれば体を清め、新しい、素晴らしい着心地の清潔な衣類が配られる。
回復した肉体と精神に、激しい音楽が凄まじい音量で鳴り響く。強力なエンジン発電機につながった大型野外用スピーカーの威力だ。
それに、疲労から飽食で崩壊した心身が、激しい歌と踊りとなる。理性の薄皮はとっくに擦り切れ、最も原初的な感情に支配される。
「さあ、ベラヌールを再建しよう!」
もう、名前すら混乱している神の絶叫に、誰も疑いも考えもせず滅んだ街に向かう。並べられた工具と資材、膨大な量の布を手に。
ゾンビたちに穢された街で、群集の圧倒的な力で瞬くうちに再建のための破壊が始まる。
崩れた頭脳が、つかれきった肉体が、とにかく単純な仕事を続ける。
いくつかの、残っている率の多い歴史的な街並みは、ロト一族が作業するふりをして侵入を拒み、すぐ別の仕事が指示される。
過酷な行軍の中で自然にリーダーシップを発揮していた人が何十人か、特別に長く眠るよういわれ、そしてアロンドたちロト一族と共に建築計画を練り始めた。ごく自然にロト一族は、計画する側からそれを補佐するだけになっていく。
「私たちはしょせんよそ者だからな、この街はこの街の人々が再建する、勇者ロトは祭りから消えるだけだ」と、アロンドはロト一族に何度も言っている。
そしてロト一族は皆、充分な量の金貨や美服、書物を与えられ、またアロンドは長い時間を使って一人一人話を聞き、ねぎらった。
アロンドは皆に、望むものを与えたのだ。戦いに酔う人には戦いと指導者を、飽食するほど。勇者であることを求めるロト一族には承認を。そして、欲がある人々には……
ベラヌールの指導者たちは自然に、再建事業を進めながら土地所有権を明白にした。
アロンドたちロト一族は、ごく自然に影を薄めていた。王になってくれなどと言われる前に、砂漠の行軍で指導力のある人が集まり、集団を自然にまとめていた。
生存者たちは、自分たちが守り生きた場の権利をそのまま認められる。
勇者隊は、ベラヌールが荒れ果てる前に持っていたと主張する土地を。生存者が占有していたら、同じ面積の土地を。
後から来た人々も、荒廃以前に所有していたという証拠があれば、少なくとも同じ面積を。
面積が限られていれば、分配に不満は出て、「生存者」「勇者隊」「後から来た人々」、さらにロト一族も含め泥沼の争いとなるはずだった。
だがそれはなかった……面積は限られていなかった。
ベラヌールは、元から比較的小さい島の周囲に、多くの船を強くつないで都市としていた。
その多くは、荒廃時代に朽ち沈んでいたが、以前よりずっと多くの頑丈な木造船が、ベラヌールの南岸から押し寄せたのだ。全て瓜生が出したものである……彼の故郷にも、完全な木造船は入手困難だったが、なんとか外国語のカタログから探し出した。
アロンドがやったことは、要するに興奮し戦いに酔った、危険な群衆の膨大なエネルギーの流れを操ったのだ。群衆の結束を強めつつ心身を消耗させ、興奮を発散させ考える力を失わせ、普段は理性や思考の下に隠れている獣をむき出しにさせた。
その状態でならどうにでも洗脳できる。それこそアロンド自身を神格化することも、キリスト教やイスラム教、ナチスドイツの狂信者にすることもたやすかったろう。だがそれはせず、差別・戦闘・虐殺・破壊を望む深い感情を、結束と再建に向かわせた。
また心が壊れるような行軍を強いて、その中で集団を率いるような、さまざまな役割を果たせる人材も見出し、地位を与えた。
戦いと欲望の興奮を歌舞で爆発させ建設に向け、神話の域に属するまとまりを自然に作るのに任せた。ついでに所有権と支配階層構造も明白にしたのだ。
ガライの墓で、アロンドは勇者となる試練として一新兵としての洗脳訓練を、また後にアドルフ・ヒトラーの生涯全体を経験している。
権力を得て自らも暴走することの至福と恐怖も、人間を洗脳する技術も、彼の天才ははっきりと理解していたのだ。
ジジとハーゴンの強力な幻術……もちろん、砂漠で戦った魔物はすべてマヌーサやドラゴラムの変形、メルキドで研究されたゴーレムなどだ……それを支えるロト一族の多数の魔法使いの魔力、そして瓜生の物資と機械、またゴッサがロト一族の指揮を確実にやってくれたからこその芸当だった。
瓜生が出した軍の訓練や、新入社員研修代行業者のマニュアルを利用し、「死なない程度」を徹底したため死人も一人も出していない。
そしてジジはリレムらに、「数人に幻覚をかけるより群衆にかけるほうがずっと楽。興奮し、疲れてる集団なんて何もしなくても幻覚起こすし、ちょっとそれを制御してやるだけ。魔法が使えないあんたにだって、充分な準備があればできる。どうやるか考えなさい」と教えていた。
「危なかったよ。危なくベラヌールを解放した結果、ひどい内戦を起こすところだった」
船に揺られているアロンドが、報告を聞いてほっとする。
「見事でした」瓜生の言葉に、ローラと見つめ合って微笑む。
「これもジジやウリエル、それにロト一族の素晴らしい魔法使いたちが、強力な幻術をやってくれたからだ。それに、興奮した人の集まりが何を求め、どうなるのか……それをどのように作りかえられるか、ガライの墓で経験したからだ」
アロンドの目に、混乱と悲しみがよぎり、ローラがその手を強く握った。
「あ、その、魔法使いと言えば」と、ローラはもうかなり成長している息子、ローレルの手を握り、緊張した目でジジを見た。
「この子は魔法は使えない、ロトの血を引いているけれど」ジジが平板な表情で答える。
「竜王の、神竜の血で、人間の体で普通に魔法を使うのは無理です。神々が封じたのですよ、自壊しないように。でも、彼の……彼の子孫の肉体の力は誰よりも強く、また一つだけ魔法と自覚せずに魔法を、それも魔法剣の形で使えます……ドルオーラ。それだけで、誰よりも強い」瓜生が畏れに満ちて少年を見る。
今回の敵の多くのイメージは「ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド」シリーズから。