アレフガルドの中央、ラダトームの対岸にある魔の島。今は城はなく、季節おかまいなしに花が咲き乱れている。
かつてゾーマ、そして竜王が居城を築き、民に恐れられてきた。魔が倒され、城が消えうせ浄化されても、この島に住む人などいない。人を襲うのをやめた魔物の、楽園となっていた。
だが、かつて城だった花園の地下。ルビスの祝福による封印をこじあけた竜神王子が、半ばこの世ならぬ混沌の迷宮に滑りこんでいた。
もう何ヶ月も、竜王やゾーマの城以上に複雑な、人には入ることもできない迷宮を、黄金竜は配下の竜族と彷徨っていた。
もう一人の父である竜王の面影を求め、そして竜王を穢したゾーマの邪霊を滅ぼすために。
竜の口から、繰り返し激しい光があふれる。
それは、人間が迷宮を探索するのとは全く違っていた。もはやうつし身も半ば捨てていた。
アロンドが、勇者の盾を手にした時に襲われた、内心の激しい葛藤とも似ていた。怒りや憎しみ、罪悪感など、感情を桁外れに増幅されたら、人はどうなるか……人の正気の心がどんなに脆いか。人は頑張ることはできる。だが、激しすぎる感情には抵抗できない。
アロンドは乗り越えた。だがまだ幼く、元から激しい感情を抱えるヤエミタトロンには、過酷だった。
自らの中の強大すぎる、激しい魔性が底なしの闇になる。悪に対する激しい怒り、正義感さえ、歪めば激しい憎悪になる。
ガライの墓で人間としての一生を経験して、感情を制御できずに後悔することが何度もなければ。支えられること、愛することを知っていなければ。そして毎日、肉体を限界まで酷使し強い意志を身につけていなければ……この魔の島地下の隅々まで染みた邪悪に穢され、新たな魔王と化していただろう。
「父さん、母さん、なぜ僕を捨てたの」
「竜王とアロンド、どちらが父さんなの」
「竜王を悪に染めたゾーマとシドー、殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
「僕は魔だ!ローレルは今も母さんに抱かれ大切に育てられているのに」
『ヤエミタトロンよ、なにゆえもがき生きるのか?滅びこそわが喜び。死にゆくものこそ美しい。さあ、わが腕の中で息絶えるがよい』
『われはシドー、すべてを破壊する。わが糧となれ。われが現世に蘇るための』
『竜王はだめだったが、お前はあるいは』
『憎め。人を、魔を』
『人でも魔でもある者など、あってはならない』
絶望に魂を食い荒らされ、黄金の鱗すら黒い闇に染まろうとしていた……その時だった。神々の武装が、竜神王子の両腕に舞い降りたのは。
人の手で作りなおされ、老い錆びてはいるが、ゾーマと竜王の血に染まったオリハルコンの神剣。
魔王の爪痕、そして海底洞窟で邪気を食い、そしてミカエラとアロンド二人の神勇者から神力を吸っていた勇者の盾。
竜神王子も、神々の武装に選ばれる資格のある、勇者だった。
『私はアロンド!わが愛する息子よ、ローラと竜王の子であり、私の子でもあり、ローレルの兄でもあるいとし子よ』
『愛している!』
『ローラも、いつだってお前のことを思っているんだ!』
『お前も〈ロトの子孫〉だ!』
アロンドとローラから継いだ、人の血と心が目覚め輝き、人の姿を取り戻したとき。
実体を半ば取り戻したゾーマと、激しい闘いになった。ヤエミタトロンにとっても先祖である勇者ロト、ミカエラとゾーマの戦いを、くり返した。勇者の盾と王者の剣を両手に。幾多の、強大な魔物を率いて。
激しい戦いは、どれほど続いたのだろう。時には竜の姿で、その身の一部となった剣と盾の力を借りて。時には竜鱗をもつ人の身で。
絶望の冷気と、光焔のブレスが激しくぶつかり続ける。まさしく、あの戦いだった。
ついにゾーマを、絶望をすべて熾光が焼き払ったとき。その邪悪を食いつくし、自らの血潮とし、それで正気を失わず耐え抜いたとき。大魔王の邪悪の痕跡が、竜神王子に呑み尽くされたとき。
そこは広い海の底の、小さな島だった。
本来なら闇の底。だが、まばゆい光に照らされている。
アレフガルドの王室が取り戻した光の玉は、きわめて複雑な魔法的な、樹木の根や水流に似た流れから、ヤエミタトロンにも光を与えている。
光の玉は本来、竜王の母である竜の女王の瞳。勇者ロト・ミカエラの血筋との縁も深い。そして、ミカエラから当時のアレフガルド王に与えられているので、王室の血筋ともつながりがある。
ローラ王女。ミカエラの直系子孫であるアロンド。そして竜王。三者とも、光の玉と深い血縁でつながっているのだ。
三つの血筋は魔法の水脈となり、今はラダトーム王宮の宝物庫に眠る光の玉から、ヤエミタトロンの血に光を運んでいる。
それが自然と、彼が征服した世界を……魔の島の地下、魔城の底からかつて竜王がつなげた、海が大半である別の世界を照らしている。ゾーマの邪悪な霊を、竜王の悲しみと恨みを清め、祓っている。
時間はかかるだろう。まるで大蛇が鹿を呑みこみ、何ヶ月も寝たまま消化吸収するように。
神官が長い時間をかけて歌い踊り、複雑な魔法図を描き、身を清めたまま儀式を続けるように。
人々が竜王の恐怖を忘れるまで、十数年……魔の島は、人が立ち入ることはないが危険もない、魔物の楽園だった。
新しくそこに城が建つのは、子の代だろうか。
アロンドは次に、炎のほこらの島からロンダルキアの崖を左手に見ながら北上、風の塔に行き、山彦の笛を吹いたが、こだまは返らなかった。
塔の北方に所領を持つ、ムーンブルク貴族のレアヤに誘われる。饗応を受けて病人を癒し、ガライ一族の素晴らしい歌を贈った。幼い王太子も、アロンドの忠告どおりレアヤの城で療養しており、ずいぶんと元気になっていた。嬉しそうにアロンドに抱きつき、話をせがむ。
多くの橋が架かった、森の中をくねくねと通る川。塔の側に突き出す広い半島は豊かな水田地帯で、膨大な木材を水運で運び、銅や鉛、ガラスも産出している。昔は少し砂金も出た。川魚も豊富だ。
そしてレンガと木材を贅沢に使った、水で守られた邸宅がある。樹皮布を着た領民たちも肥え身なりもよい。豊かな地だ。ただ、少し蚊による伝染病が多かったので、すでに〈ロトの子孫〉は使っている除虫菊の種や、より簡単で強力な蚊帳を教えた。
ごちそうは亀と川魚、川蟹が多く、ムーンブルク王宮よりうまかった。特に大きな川魚の卵の酢漬けが極上だった。
それからレアヤたちを船近くの大天幕に誘い、ロト一族の……瓜生の技術を背景にした、素晴らしいごちそうと酒で饗応をお返しした。
瓜生の世界の文化をあらためて学んだ、〈ロトの子孫〉〈ロトの民〉の人たち、そしてレグラントやリレム。彼女達の確かな舌と美的感覚、優れた器を作り布を織り染める職人たちが、素晴らしい場を作り上げた。
茶道の野点のように、野の花園によい景色を見出し、美しく着飾って貴族たちを出迎えた。
〈ロトの民〉の遊牧民由来の肉料理・乳製品の多様さ。酒で野菜と骨付き肉を長く煮込んだソースをかけた塊肉のローストも、酸味のきいた馬乳酒に漬けた薄切り肉をさっと焼いたのも。大理石の桶で香草と塩漬けにした脂身がまた極上。酸味が強いヨーグルトと果物のフローズンなど、最上のデザートにもなる。
瓜生由来のアブラナ・ヒマワリ・ピーナッツ・アブラヤシ・(麻薬成分抜きの)大麻、こちらのアブラマツ・トゲマメ・オオタネスイカなど複数の油糧作物を育てており油には不自由しないため得意とされる多彩な揚げ物。レシピとしてもフライ・天ぷらなどいろいろあり、特に串揚げはうまいのを少しずつ多様に楽しめる。薄切り肉に梅干肉を巻いて揚げたのが特に人気だった。
ジパング由来の刺身や多様な大豆発酵食品などもある。
ジュースも工夫されている。ビタミンCをとるため毎日飲む、だから少しでもうまい物をと、地域ごとに工夫している。
料理を少しずつ多様に、数々の美しい器で供し、その器もまた土産として持ち帰らせた。身分の低い従者たちも、こちらは量優先の肉と酒で存分に楽しませ、良質の布を与えた。
景色の美しさに客が飽きようとした時に、突然リレムやラファエラら若く美しい少年少女が華やかな歌とダンス、それから『シェルブールの雨傘』の曲で〈上の世界〉のエリックとオリビアの悲劇をミュージカル化した作品を上演し、楽しませた。
元々男装していたミカエラによく似ているラファエラの男役は無論素晴らしかったが、オリビアを演じた、ジニに顔だけモシャスしたケエラも熱演していた。
リレムはジニに出演させたかったが、彼女はいろいろな金属をいろいろな工具で切削し、断面を顕微鏡で調べるのに夢中で、断固無視した。
まだレベルの低いケエラが、彼女には困難な呪文を身につけたのには、こんな話がある。
ある日、ラファエラを通じて瓜生に面会を求めたケエラが、モシャスを教えるよう懇願したのだ。
「むろん用途は広いけれど、きみにはまだ無理だよ」
「どんな修行でもします、なんでも」と泣き崩れかけている少女に、瓜生が困っていると、ムツキとジジがやってきた。
「教えてやるよ」と、ジジがにっこり笑う。
「だめです!ケエラ……ダンカに聞きましたよ。一昨日、天空の勇者の歌劇の授業で、シンシアが勇者に変身して犠牲になるところを、すごい目で見てた、って」と、ムツキが悲しげな、厳しい声。
ケエラが絶望に打ちひしがれる。
「それならよけい教えるわけにはいかないよ、〈ロトの子孫〉一人の命にどんな値打ちがあると思ってるんだ」と瓜生。
「同じ体重の黄金より、とアロンドが言っていました。竜王との決戦を前に」と、ムツキ。
「そういうことだ。というか、モシャスができたならまともに戦っても善戦できただろうし、バシルーラだって……」瓜生が脱線したのを無視してジジが、
「教えてやる。いい、こういう目は、娼婦の子がしてたら気をつけなきゃいけないんだ。で、うまく操れば簡単に命捨ててくれるから、べんりっちゃ便利なんだけどね」
というのにムツキがあきれ返った。
「お、教えてくれるんですか」ケエラは嬉しそうにジジを見つめている。
「ああ。一ヶ月もあれば顔ぐらいは化けられるようにしてやるよ。……いっそ殺してくれ、っていうだろうけどね」
「お願いします!」と叫ぶケエラ。ジジは任せておけ、という目を瓜生とムツキに向けた。
……
「あとは、ロンダルキアですね。ベラヌールから行けます」瓜生が地図に印を付ける。
炎のほこらの島からベラヌールは近い。再建真っ最中のベラヌールは景気もよく、工事の音が常に響いている。
感謝を全身に出してアロンドたちに近づこうとする有力者たちに誘われ、あちこちの大きな建物を見たり、久々に極上のメロワインを味わったりしてから、アロンド自らが封印した旅の扉に向かう。
アロンドたちの実力を知り尽くしている街の有力者は、止めもしなかった。無論、アロンドは通ったあとはちゃんと封じると保証している。
常人は触れただけで即死する結界と絶対に開かない扉、だがトラマナやロトの鎧とアバカムは、それをものともしない。
そして旅の扉から出たのは、山に囲まれたほこらだった。
そこでも、笛にこだまは返らない。それから、瓜生とアダンが大口をあけた洞窟が見えた。
今回はアロンド・アダン・瓜生、それに経験を積ませるためにとラファエラを含め、〈ロトの子孫〉と〈ロトの民〉のごく若い者を十人ほど率いていく。なぜかハーゴンも同行していた。
洞窟でもこだまは返らなかった。
「ここは、あちこち見たよ」と、アダン。
「ずっとここで修行させていました」と瓜生。
「なら案内はしてもらえるな。さっさと抜けよう、ローラの手術予定日も近いし」アロンドがうなずき、悪夢の洞窟にためらいなく足を踏み入れた。
といっても、確かに魔物もいるし果てしなく広い、が……今のアロンドが、魔物相手に苦戦することはない。ただ、アダンと組んで、彼を武器として使うことに徹底して習熟した。
破壊の剣と魔毒を取りこんだ、本質的には呪われた存在であるアダンだが、武器としての威力は凄まじかった。
あらゆる対象に、最適な毒を瞬時に合成し叩きこむ。実体のない炎や岩の魔物も含めてだ。それにアロンドの剣技が加わる。
アロンド自身はすでに雷神剣を吸収していたが、効果を敵に合わせることができるアダン/破壊の剣と雷神剣を使い分けることで、とても幅の広い戦術を取れる。
元々、戦士としてもアロンドとアダンの息は合っていた。さらにアダンはきわめて速い、馬に似た存在に変身しているので、機動性が高いのも魅力だ。
その二人の凄まじい強さに、若い勇者たちは激しい英雄崇拝を募らせていた。そしてハーゴンもアロンドの強さと美しさに酔いしれていた。恐ろしいほどに。
広すぎる洞窟だが、距離そのものも気にならない。馬のようになったアダンのスピードも速いし、開けたところでは瓜生のブラッドレーで一気に飛ばすからだ。
とはいえ、それでもこの洞窟は大変だ。とにかく広いし、道を間違えると気がついたら元の場所に戻っている。
魔物との戦いには苦戦しないが、瓜生がトイレと風呂の設置、食事の準備などに面倒な思いをする。まあ、軍の野戦用設備を使えばいい。メニューもその気になれば豊富で、簡単に百人以上の生活を安定させることができる。
かつて瓜生が、ミカエラたちといくつもの長い洞窟で、装甲車で寝ながら野戦食やレトルト食品を食べ比べてばかりいたことが懐かしく思い出された。
若い者たちにも、彼らに倒せそうな魔物なら任せる。特に馬から降りて銃で戦うことに慣れていない〈ロトの民〉に、自動火器があるのにあえて単純な、大口径のボルトアクションライフルで戦わせている。大灯台の島で、瓜生がいなくても銃を作りだせるように研究開発を進めているが、最初は火縄銃など単純な銃からになることを見越しているからだ。
だが、その旅は短いものだった。
ローラの帝王切開を気にしているアロンドが、早めに突破したがり、ほぼ最短距離で魔物ともろくに戦わず、装甲車任せに強行突破。ついに雪の魔境、ロンダルキアに足を踏み入れた。
その時点で、アロンド・アダン・サデル・ハーゴン以外はルーラで帰ることになった。ロンダルキアは生身の人間が足を踏み入れられる場ではないし、瓜生にはローラの帝王切開を、監督するようにアロンドが懇願したのだ。
「今回は元々、サラカエルと若手の医師団に任せるつもりですよ。監督もベルケエラが。万一があっても、世界樹の葉もありますし、間違いなく大丈夫です」
「だが……これはわがままだ」
「わかりました」と、瓜生は苦笑し、雪上車を出す。
「自動車と同じですね?それなら運転できます」と、サデル。
「私も、できるだけ早く行く!間に合ってほしいぐらいだ」アロンドが車に飛び乗る。
「方向はわかりますね?」瓜生が若者を集める。
「ああ」
と叫ぶと、もう大急ぎで吹雪の雪原を、アロンドたちは駆けていった。巨大な神々が渉猟する、高い極寒の魔界へ。