春も近いある日。
朝点検する家畜の数がおかしいと思ったら、化けた竜がしれっと混じっていた。
寄生虫取ってもらったり洗ってもらったりするのが気持ちいいから、という竜にケエラは、誇りはないのかと怒ったりした。
実は前からそんなことはちょこちょこあり、今朝初めてケエラが気づいた、ということだ。
そんな朝、ザハンから耕していた子供たち、ディウバラともう一人の女の子が、学校に行くことを拒んだ。
「どうしたのよ」
「どうしたんだ」
ケエラとダンカが咎めるが、ディウバラは黙って首を振っていた。涙で赤く腫れた目、青く殴られた頬で。
頷きあう。
「おととい、知らせがあったんだ。ザハンの人たちの間で、学校に反対する人がいる、と」とダンカ。
「学校には行かなきゃ。子供を教育するのは、ロト一族の義務なんだから」とケエラ。
「おまえは学校に行きたいか?行きたくないか?」ダンカが一人一人の目を見る。
そして、ケエラが、ディウバラが背中に隠した何かを素早く取る。踏み潰されたバイオリンのケース。
「アテェヘね」と、ケエラ。神殿の私生児であるディウバラは、ザハンから耕していたアテェヘネという女性の養子のような形だった。ただし養育費の一部は国が負担し、また村全体で世話や家事を協力している。
「ディウバラ、ロト一族は、他の人たちとは違う。親が、保護者が……ロトの掟に背いたとき、教育や養育の義務を果たさないとき、暴力をふるったとき、全滅したときなどは、どこにでも行ってそこで新しくやり直せる」と、ダンカ。
「確かよ。両親を失い、別の人たちに育てられた人は、あたしたち〈ロトの子孫〉の間には何百人もいる。サデルさまだって、マサクニやアルメルスも」とケエラ。
「虐待の心配はない。誰かが必ず見ている」と、ダンカ。
「そういえば、昨日の夜兄さんが出かけてたっけ……それでね。殴るの止めるために」とケエラ。
「でも、最初の一発は止められなかったんだな」とダンカ。
「何かしたら見えちゃうもの。きえさりそうは高いし」ケエラが、最近使えるようになったレムオルを編んでみる。
「それにしても、アテェヘは、ずっと村にいたはずなんだけどなあ。誰がザハンの人たちの話を連絡したんだろう」ダンカが年長の人々を見る。
かすかにケエラがびくっとした。
(そう、ハーゴンさまはいっていた。これもひいては、ロト一族のため、正義のためなんだって)ケエラは、ジジに習った方法で表情を消す。
(「〈ロトの民〉と〈ロトの子孫〉の反目、またサマルトリアとローレシアが争うのを防ぐには、一番少ないザハンの人々を共通の敵にするのが一番ですよ。反目がひどくなったら、これまで普通だった結婚が認められなくなるかもしれません」)
(一言も、バイオリンのことは言わない)
(だからこそ怖い、ダンカに嫌われたら)
(ダンカと結婚できなく……いや、もうなに考えてるの。またからかわれる)
(それに、ダンカはムツキ先生についてサマルトリアに行ってしまうかも)
(ジニとダンカ、仲がよすぎるわよ、最近)
そう、ケエラが唇を噛んでいる時に〈ロトの子孫〉〈ロトの民〉の大人たちが集まってきた。
「面倒ね」と、ケエラの母親。
「アテェヘさん!子はちゃんと学校に行かせてください。何らかの用事で手が必要なら、わたしたちで協力します」
「工夫すれば、少ない人数でも何とかなります」
「就学義務は国民投票で可決されているんですよ」
ロト一族の大人たちが説得するが、ザハン出身のアテェヘは怯えきって、泣くか怒鳴るかするだけだった。
「この人に言っても無駄ね。たくさんの大人が、つながりの中で命令系統を作ってる。彼女だけが無視したら、村八分にされるだけ」
「でもね、言っておくわ。わたしたち、ロト一族の側に忠実であれば、たとえあなたたちの故郷の同胞に村八分にされても、わたしたちは必ず守る」
と、ケエラの母親が断言した。アテェヘは首を振って泣くだけだったが。
そのとき、ディウバラがダンカのほうにかけ出した。
「バイオリン」それだけ叫んで。
ケエラはアテェヘの手を見て、とっさにディウバラとの間に割りこみ、叩きつけられるシャベルを腕で受け止めた。
その瞬間、閃光。
回復する目が見る。アテェヘの右腕が、むしろゆっくりと溶けて消えていく。足が妙な形にひしゃげていた。
絶叫とともに体が崩れ落ちる。ケエラの父がとっさに長柄剣鉈を抜いて溶けていく切り口を切り落とし、ベホマを唱える。
「わしの魔力では、全回復に半日かかる」
ケエラとディウバラを抱いて飛びのいたダンカも、ケエラにホイミをかける。
ダンカは自分がしたこと、烈光拳の凄まじい威力に驚きつつ、瞬時に覚悟を決めて目を据える。
「う、うわ」
ケエラは、自分を抱く腕の強さに恐怖した。
「お、折れちゃうよ」
「な、なんてことを」
そして、ケエラは思い出す。
数日前から、夜中、覆面をしてあちこちに、数人のザハン貴族を連れて飛びまわった。
(「よいな、たとえ子を傷つけてでも、子を学校にやってはならんぞ。学校は子を怪物にしてしまうのだ」あの人はそういった。でも、本当にこんなことに)
(思う壺なんですよね、ハーゴンさま。ザハンの人と、ロト一族が争えば)
「人を傷つけようとしたのを、止めるのは当然だ」
大人の叫び。
「怪物、怪物よ」痛みと恐怖でかすれ崩れた声で、アテェヘ。「正しかった、ディウバラも、うちの子も、こんな怪物に」
ロト一族の大人たちが顔を見合わせる。
「そうかもしれない。でも、竜王を倒すにはその力が必要でした」
「それに、これは半分でしかありません。集団での戦いでは、もっと怪物なんです。でもそれも必要なのです、虐殺せずに自衛するには、それほどの力が」
「怪物が力をあわせれば、これほどのことができるんです」と、一人が周囲を手でさしまわす。「あの荒野が、たった二年、今は三十人ですが、それだけで」
豊かな森も多くあるが、見渡す限り広がる素晴らしい田畑。いくつものドーム家屋と風車。
「ケエラ、あなたたちはもう学校へ。どんな理由があっても、戦場での遅刻は敗北を意味するわ」
母親の言葉に、ケエラは呪文を唱えはじめた。
ローレシアの都では元老院が急遽集められ、昼食ついでに話し合いが始まった。
ロムルは「その子たち、みんな連れて来い。うちの子として育て、学校に行かせてやる」と言った。
多くの孤児や、弱者を多数引き受け、うまく里親と仕事を割り振って家庭の温もりを与えながら育てる、夫婦の能力には定評がある。
ハーゴンは「分断統治です。ザハンの人々にも、色々な勢力があるはず。それを争い合わせれば、統治するのはたやすいですよ」といつもどおり不気味に笑いながら言う。
サデルが、「ザハンの人々はもう一年以上バラバラにされ、特に身分が低かった大半は開拓地で生活の基盤があります。ひどいことにはならないのでは」と、〈ロトの子孫〉の長老を代表していった。
アムラエルは、「ザハンは小さく、人口こそ少ないですが宗教的に重要です。その神官たちに反感をもたれてはなりません」と案じている。
「人数を分けて、口をきけなくして土木作業をさせ、決められた身振りだけでもあればどれほど有利か見せる、とかは?」という意見もあったが、
「利害では動いてない。意地とプライドだけだ」とアロンドが否定した。「そうでしょう?」
視線を向けられたザハンの代表者は、青ざめた表情で下を向き、話に加わろうとしない。
「こちらの水準を満たし、共同作戦が取れる教育システムをそちらで独自に作ってくれるなら、それでもいいんですよ」とサデルが言うのも、かたくなに目を上げない。
「まあ、別にいい。歴史の歯車は止められないよ」と、軽くアロンドが笑うのに、全員がぞっとした。
少し間をおいたアロンドが、力強く話し始める。
「教育はまぎれもなく王国の基盤であり、これは深刻な危機だ!だが、われらには議会がある。元老院だけでなく、まだ選挙は行われていないが国民院の、くじで選ばれる者を今招聘し、熟議することはできる!」
その叫びに逆らえるものはいなかった。即座に魔法使いたちが国民から人をランダムに選ぶ作業を始めた。
結果的には、それどころではなくなったが。
学校に着いた、みな衝撃を受けている。いつもよりざわついている。
学校に来ていない子が多い、もちろんザハン出身の。
アロンドが仮の議事堂から飛び出して病院に向かった。
ローラ王妃の、三度目の帝王切開の予定日だ。
出生前診断で女児だと判明している。
ムーンペタや北のお告げ所の予言者たちが、世界一の美女となると太鼓判を押している。ローラの名を受け継ぐことも決まっている。
サラカエルが妻のムツキの縁でサマルトリアに行ってしまい、若い助手たちを瓜生が指導して手術にかかった。
だが瓜生はまだ完全には回復していない。座ってみているだけに近い。
もう、何十例も成功させている優秀な人たちだ。
手術は順調だった。
「呼吸正常。アプガースコア7」
「自信を持て!」瓜生の声。
「生命維持は問題ない、はや」
その時、突然闇、いや濃霧が手術室内を包みこんだ。
「非常用電源!」
「レミーラ」
「だめだ!」
ガタガタ、と照明を入れたり切ったりする音。
「闇の濃霧、照明は効きません」叫ぶ女の声が、パニックになりかける。
「患者最優先、なんとしても止血するんだ!」医師たちの叫びに瓜生がうなずく。自分は飛び出すのを抑える。
「うおおおおおおおおっ!」控えていたアロンドが、魔の気配に飛びこみ、剣を掲げて絶叫する。
それで霧は晴れ、全員が一瞬ローラ王妃の手術に戻った。
「出血は、大丈夫、心配していたほどじゃない」
「油断するな、見えないところからの出血もありえる!」
「血圧安定」
「自発呼吸、大丈夫です」
呼び交わされる声がふとやんだとき、キャスレアが絶叫した。
「ひ、姫、赤子が、赤子が」
全員が一瞬、呆然とする。
「赤ん坊がいない、だと!?」
「ローラさま……」
「全員落ち着け!」アロンドが鋭く叫ぶ。
「まず患者の生命維持を最優せ」瓜生の、声が終わらないうちだった。
瓜生の姿が、激しく揺れる。体が透けて壁が見え、そして激しい光と共に、消えうせた。
「き、消えた……ウリエルさま?」
「も、元の世界に戻ったのか?」
「静まれっ!」
またも場を収めたのはアロンド。
「いつでもその時は来る、とウリエルは言っている。何より今、患者の救命を優先しろ。ローラ、大丈夫だ」
アロンドの目に、局所麻酔ゆえにすべて見てしまって、そして体を起こすこともできないローラが、真っ青な目をアロンドに向ける。
「ゆ、輸血再開します」
医師たちがやっと動き出す中、アロンドはもう一度王妃にうなずきかける。
こちらから知らせよう、と思ったアロンドのところに、外からサデルが飛んで来た。
アロンドは緊急事態、と言おうとしたが、口をつぐんだ。サデルの表情も、緊急事態を告げるものだった。
「陛下。至急いらしてください、ムーンブルクで政変が起きた、という報告が」
数人の使者が次々とルーラで出現し、報告を始める。
「『ロトの医術は邪法だ』と叫ぶ暴徒が、離宮に押し寄せました」
「ほぼ同時に、王宮の奥にも王妃と、サマンエフ王弟の軍勢が攻撃を開始しました」
「王の、吹雪の剣が偽物にすりかえられています」
罠が閉じた。平和な日々が終わった。