戦争が続いている。それ以上のことは、子供たちには知らされない。
新聞に戦局は出ているが、授業では「政府は戦時中は嘘ばかりつくぞ」とやっているのだから誰も信じていない。だがそうなると、何が本当なのかは誰にもわからないのだ。信じたいものを信じるしかない。
そして、生徒たちと、体が不自由な老人や身障者、幼児が集まって、監督する大人たちと共同生活をするようになってきている。
あちこちの開拓村には、戦闘で足手まといになる子を置く余裕がないのだ。
年長の子供たちが料理や洗濯をし、小さい子供たちは掃除などできる手伝いをする。魔法を使える子は魔法で。瓜生の世界の近代教育とはやや異なり、得意なこと、実際にできることを多くやる。
全員が二つ下の子に勉強を教え、いじめをしないよう見張る。その年長の子はより年長の子が見張る。
毎日激しい戦闘訓練がある。朝昼晩、給食のような食事になる。
授業も以前とはかなり変わっている。特に魔法は。長老による教育と違い、〈上の世界〉で学んだジジと瓜生は禁呪も含めた上位呪文が前提だ。ラファエラらはそれを前提にした初等魔法教育を作っている。
それら、急に変わっていく学校制度をうまくまとめているのがアムラエルだ。アロンドも熱心に金も口も出す。
朝。夜明け前にトランペットが響き、4人1組のテントから起きる。毎朝のレバーソーセージ、レモン・オレンジ・バナナ・アカビタシー(元鬼ヶ島原産の果物)のミックスジュースが配られる。ハンモックを片付け、4人で並ぶ。
そこに上級生が来る。
1人ずつ、叫ぶ。全力で腹から。わずかでも手加減があれば、4人とももう一度と言われる。
「さんじゅう、よばん、ケエラーっ!
わたしのーっ!武器はーっ!準備ぃー!できてるーっ!
わたしとーっ!仲間にーっ!牙をむくものーっ!殺す!
むかない!ものはーっ!殺さぬーーーーーっ!
アロンドーっ!ロトーっ!」
全員、喉がかれているのが当たり前だ。ダンカは声変わりもあるが。
それから30mほど、テントが円形に囲む中心にある、巨大な岩に向かって走る。
岩を覆う分厚いふとんに体当たりする。
大声・ダッシュ・体当たりの三つとも、全力でやる。見ている上級生が全力じゃないと判断したら、四人とももう一度やらされる。
『まず、十秒でいいから全身全霊全力で頑張ってみろ』が朝の標語だ。
それが済んだら、衣服を整えテントとハンモックを片付け、水場で顔を洗い、もう一度上級生の前で4人直立不動、服装や武器を細かく点検される。
剣を研いでなかったり、銃内部が汚れていたりしたら、みんなに笑われ一日中武器を没収される。
特に土木用具の手入れはサボりがちになり、「シャベルこそ歩兵の最大の友だ!きちんと磨き研いでおけ」「ノコギリが切れなければ、戦場で遮蔽物を作れず死ぬぞ」などと厳しく言われる。
それから、銃がない状態での敬礼と行進、銃がある状態での敬礼と行進を練習し、最後に徒手と剣を、48式太極拳と太極剣のように全員で。
行進などの間、鼓笛隊で小太鼓のディウバラが、丁寧に叩いていた。
やっと朝食。もう全員、腹がぐうぐう言っている。上級生たちと、器用な下級生も手伝って協力して作った食事に、味も何もなく子供たちがむしゃぶりつく。
ライ麦・オーツ麦・大麦・大豆・インゲンマメの粥に、砂糖入りヨーグルトと油少々。ベーコンエッグ。タケノコ・厚揚げ・〈下の世界〉原産の巨大なコンブのような海藻・小魚の煮物。春野草とコンビーフの味噌炒め。
粥と煮物は食べ放題だ。
調理班は同時に、昼の弁当のための固パンも二度焼きしている。
ケエラたちはかなり睡眠不足だった。昨日の夜、チーム対抗訓練があったのだ。
ロト一族は睡眠時間を大切にするが、どうしても夜間行動が必要なことはある。翌日から数日間、確実に十時間の睡眠時間を確保することで補うが、ランダムな夜間訓練や、家畜の急病などはどうにもならない。
昨夜ケエラたちは、分隊でとある森を、夕方から夜中までパトロールさせられた。そこまで実践的な訓練は、ケエラの学年には初めてと言っていい。
徒歩で、暗い森の中。銃には実弾を装填し、研ぎ上げた真剣を腰に、動くものがあれば攻撃してよいといわれている。
「う、うっかりしたら味方を撃っちまう」
「どうすれば、味方を撃たずに敵だけ見つけられるんだよ」
子供たちは半ばパニック状態だ。銃の威力は泥人形や煉瓦でよく知っている。
子供も大人も、戦時中の今はいつも集団で行動する。
学校では、支配関係が固まらないよう頻繁な変更はあるし、上級生や大人が時には透明化して見守っている。
〈ロトの民〉は騎馬10人が一つの生き物となり、〈ロトの子孫〉は魔法の都合上4人一組が基本だ。
普段の行動などでは、4人+班長1人を2組の10人分隊で行動することも多い。サマルトリアが霧に呑まれ行方不明だが、もはや伝説となっているゴッサの精鋭17人も模範とされている。
が、17人編成は特殊部隊と言っていい精鋭で、普通の人たちは〈ロトの子孫〉と〈ロトの民〉の人数比も考え、合計43人を一個小隊とする。
〈ロトの民〉10人の分隊が3、〈ロトの子孫〉4人、重火器を使う6人、指揮官・副官・通信の3人だ。全員が馬に乗る訓練をしている。
まず全体の指揮官。卒業したばかりの若者が、教師見習いの仕事としてやっている。
補佐する副官。大人の軍隊では軍の背骨である下士官、子供たちの場合も人望のある上級生だ。一人は通信担当、無線機や手旗信号を使い、本隊に報告書を書き送り、命令を持ち帰ることもする。
小隊長に直属する、〈ロトの子孫〉の4人1組。全員がAK-74も持っており、強力な魔物を魔法・銃・格闘で粉砕する。さらに今は全員が乗馬も学んでいる。主に後方の僧侶がRPG-7も担いでいる。魔法使いが多く教育水準が高いので、小隊長を補佐し魔法を使ったり難しい計算をしたりもする。
火力分隊。砲身・二脚・底板の三つ各7kg弱に分割した60mm軽迫撃砲と、2挺のFN-MAGを竜馬の力も借りて6人で運ぶ。こちらも小隊長直属で、小隊に大火力を添える。
そして3組の10人。馬術に優れ、10人が一つの生き物のように高速で多量の荷物を運びつつ走る。敵の手が届かない遠くから旧来の投槍や刃ブーメラン、新しく学んだAK-74の火力を叩きつける。反動が小さいAK-74は馬上でも問題なく使える。RPG-7とRPK-74も10人につき各2挺、分隊の火力を高めている。
全員が騎兵というのは食料などが余計に必要になるが、戦車と共に行動できるし運べる荷物も多い。まだ乗馬が下手なザハン出身者や〈ロトの子孫〉は、中隊以上にある重火器小隊、戦車隊、海軍などに入る。
ちなみに小隊と学級の違いは、小隊はさまざまな年齢の子が集まっていることと、数日に一度ランダムに何人かメンバーを変えることだ。あまり人が固まって固定的にベタベタするといじめが起きるからだ。
急な山でしかも森だから、馬から降りて徒歩で、2個分隊でパトロールした。
馬を下りても、〈ロトの民〉は10人で固まっている。5人ずつ2班に分かれ、一方が前進し止まって周囲を警戒して、その援護でもう半分が前進する。特にRPG-7を負っている子は重さにヒイヒイ言っている。他の子もRPG-7の弾や寝袋や食料、荷物は決して軽くない。
その後ろから、〈ロトの子孫〉4人チームと、一人7kg弱の迫撃砲部品と砲弾、10kgのFN-MAGが2人、その予備銃身・弾薬を担ぐ合計6人が続く。撃つ時には迫撃砲を二人で扱い、FN-MAGは射撃手・装弾手に分かれる。
全体を小隊の副官が率いている。
五歳から十五歳までの子供たちが21人。それは、単なる夜の遠足だった。
小さい子はあちこち冒険したがる。歩きながらケンカし、木登りのうまさを自慢する小さい子を大きい子がとがめ、しかりつける。
「訓練は実戦だと思わなきゃいけないんだ、真剣に敵を探せ」
「だって」
「戦場にだってはない」
「かあさん、にいちゃん、いつ帰れるの」と泣く子もいる。突然家から離れ、子供たちだけでの不安な共同生活が、いつ終わるかと知れず続いているのだ。
「ばーんばーん!」と実銃を手にはしゃぐ子は、容赦なく大きい子が関節技をかけ縛り上げる。原則として体罰は禁止だが、暴力を止めるためは例外で、上級生は発砲すら許可されている。
小さい子の腰に縄をかけて引っ張る上級生もいるほどだ。それぐらいしないと、小さい子を含めた一隊が、行方不明者を出さずに歩くこと自体が無理だ。
「なにあれ、まるっきりだめじゃない」と、ケエラたち〈ロトの子孫〉4人組はそれを見て笑っている。
「そうそう、この枝はかむと甘いよ」ケエラが枝を折り取って配る。
「さすが開拓でなれてるね」と、仲間たちが喜び……小さい子が真に受けて口に入れ、苦さと渋さにあえいだ。三人が罪なく笑う。
「ケエラ!木の枝をうかつに折ったりしたら、敵はそれを手がかりにするぞ」と隊長が叱りつけるのを、神妙に反省したふりをして、また楽しく小声で話しながら目標に向かう。
「何が来たって、あたしたち〈ロトの子孫〉4人チームに勝てるわけないわよ」
「ケエラはもうベギラマが使えるんでしょ?」
「あたしだって剣術では」
と、楽しげに歩いている。
遠くでディウバラが、重いFN-MAGを担いで急な坂をすべりながら這い登っているのが見え、思わず指さして笑ってしまう。
そして小休止、地面に穴を掘って空気が抜ける別の小穴を掘って、いくつか枯れ枝を燃やして暖をとる。寒いのでみんな大喜びだった。
お茶を飲み、お菓子を配る。疲れきったディウバラは崩れるように伏せた。
そして目的地に着いた彼らを、ダンカを含む騎馬分隊が笑っていた。寝ていたはずの子が他にも百人近く集まって、泥・つる草・竹で人形を作っていた。
「なに笑ってるのよ!」ケエラが怒る。
大人の教師が、「さて、どのタイミングでどうやったか、見てもらおう。ニセアカシアの谷間に戻るぞ」と声をかけた。
「えー、やっと眠れると思ってたのに」
「疲れてるのに」
「なんで谷間を通ったって知ってるの」
ぶつぶつ文句を言いながら、みんなでそこにいく。
「さて、第二・第三騎馬分隊、標的を置いてから今検討した急襲配置につけ」
教師の命令で、ダンカたちの分隊があちこちに人形をうずくまらせる。
「あ、あれ」
「そう、二一三五時点でのパトロール隊の配置だ。ここで全員が休憩に入ろうとしていた、間違ってるか?」教師の言葉に、ケエラたちがしぶしぶ頷く。
「間違ってません」
「じゃあ、みんな安全な場所から見るんだ。第二騎馬分隊、攻撃開始」
同時に銃の連射音。人形の頭の泥が次々と、弾け飛ぶのが銃口炎に照らされる。手榴弾で、火を囲んでいる5体がまとめて消し飛ぶ。
「発砲中止!近接白兵」叫びと同時に、40人が絶叫すると銃に安全装置をかけ、長柄剣鉈を抜いて襲いかかる。
真っ先に素手で、音もなく木の枝から飛び降りたダンカが一つの人形の首を蹴折り、着地と同時にもう一体の股間を殴って瞬時に首をねじ折りながら投げる。頑丈な竹が完全に折れている。
人形は銃に見立てた木の枝を、負うか近くの木に立てかけている。それも先ほどの再現だ。
次々と二人一組が人形を襲う。一人が長柄剣鉈で胴体を貫き、別の一人が首を叩き切る。
自分たち全員が数秒で、声も立てられず殺されるところを見せつけられたケエラたちは、声もなかった。
特にケエラたち4人は、固まってのんびりしている頭が4つまとめて、瞬時に吹っ飛んだ。
「さて、何が悪かった?言うまでも無いな、何から何まで、だ。あと、笑ってる側も。おまえたちも今日、パトロールしろと言われたら同じようなものだったろう?」
教師の言葉に、人形とはいえ殺戮に酔っていたダンカたちも我に返った。
「さあ帰って、少しだが眠ろう。帰り道でみんな、やられた側の立場で考えろ。どうしたら、逆に倒すことができたか」
先生に言われ、みんな一言もしゃべったりせず、びくびくしながら歩き始める。なんとなく行進隊形をとって。
そうして歩いていると、わずかな音や明かりがどんな遠くまで届くかわかる。
ケエラは、その屈辱で頭が一杯。朝の儀式も習慣だけでやっとこなしただけだ。
そんな爆発寸前の頭で、必死で計算をしていると、前席のジニが別のことに手を動かしていることが気になる。
「手が止まっているぞ!この計算は、実際の兵站を処理する帳簿なんだ。公務だぞ、二人で検算しあって、間違えるなよ。間違いが戦争の敗北につながるんだ。だから無制限に紙を渡しているんだぞ」
教師が言いながら見回って、計算法がわかっていないと思われる子を探す。
公文式に似たやり方でわからないところがないように教えてはいるが、特にザハンから教育されていない子を受け入れているし、〈ロトの子孫〉と〈ロトの民〉も教育水準が微妙に違うので、なかなか難しい。
ジニはあっというまに自分の割り当てを片付け、今は戦車のエンジンを修理するためのマニュアルを書いている。
戦争。彼女を含め何十人もの優れた技師が、瓜生が残した膨大な近代兵器をとにかく使おうとしている。マニュアルはあるが、載っていないコツを教えてくれる熟練者やメーカー技師はいない。マニュアルも英語だったりする。
事故や、使い方がわからないという現場の報告。それらをまとめ、失敗した者と共に実物に触れて見直す。いじり、分解し、破壊し、計測し、破断面を分析し、組み立て、動かしてみる。
ジニ自身も危険を冒す。超名門校を卒業したアンリ・ポアンカレが、鉱山技師として爆発事故直後の危険な炭鉱を調べ、見事な報告書をまとめたように。同様の調査で事故死した、同じ学校の卒業生もいる。
そして大量のマニュアルを書く。普通の……読み書きは学んでいるとはいえ、馬と剣で暮らしてきた人が短期間の訓練で兵器を扱えるように。そして兵器を修理し、部品を作るための工場の機械も使いこなせるように。
一日に十時間は戦場に近い野戦基地、大灯台の島やローレシアにあるいくつもの工場、空母などを飛びまわり、さまざまな機械を調べる。製鉄所での仕事も多い。
そして、六時間以上の授業の間は、ひたすら考えをまとめ、マニュアルを書いては印刷に回す。学校の授業としてクラスメートたちが版を削ることもあるし、大人が仕事でやっているところもある。
睡眠と運動だけは絶対に欠かすな、と瓜生に厳しく言われており、親代わりのロムルもその点は容赦が無いので、仕方なく眠っているが、起きている時間は常に機械をいじるかマニュアルを書いている。
ケエラたち女子には癪にさわる眺めだった。そして男子たちにとっては、その人間離れした美貌がただまぶしかった。
算数の次は天文。天文は航海や農業にも関わるので必須だ。
「さて、この世界そのものが、どんな形をしているでしょう?
今もアレフガルドは公式には、平面世界説をとっています。ムーンブルク宮廷医師教団は考えることを禁じていますね。邪神教団は世界は大鍋に沸く泡だと語っているそうです。ザハンは公式に平面と言いつつ、幹部はロト一族の結論をうのみにしています。
われらロトの…もといロト一族は、ウリエルさまの故郷の科学を学んでおります。ウリエルさまの故郷は、巨大な球の表面で生活していると解明されています。
この〈下の世界〉、そしてミカエラさまがいらした〈上の世界〉もそう、と思われるでしょうが、われらは科学的に考えねばなりません。科学とはなんでしょう?」
「え、ええと、ウリエル様の本に載っていること」
「結構ウソの物語もあるって話だよ」
生徒たちがざわざわと色々言う。教師が教卓を叩き、「それでは神が言ったから全部正しい、と同じですよ。いいでしょうか、科学とは、全部自分で確かめる、ということなのですよ」と言って、少し息を入れた。
「まず、どんな形の世界に住んでいるか、自分で証拠を探して、確かめてごらんなさい」
「どうやって?」
「平らにしか見えないよ」
「そう、自分の目で見るだけじゃわかりませんね。なら、どうしましょう?」
ケエラが衝動的に手を挙げる。
「はい、ケエラさん」
「この世界は球形なんですから、船で一周すればいいんです」
眠気をこらえながら自信満々に言ったケエラ。
〈ロトの民〉の男子がダンカに「ダンカ、ホントかどうか、ジニに聞いてみろよ」という。
ダンカに話しかけられたジニがうるさそうに、口で言うかわりに図を書く。
それを見た〈ロトの民〉が、「ドーナツでも一周できるよ」と叫んだ。
「穴が二つのドーナツでも」という子も、ジニが書いた図を見ている。ジニは完全に関心を失いマニュアル作成に戻った。
「そういうことです、残念ですが」教師がすまなそうに言う。
ケエラと、仲のいい〈ロトの子孫〉の女子たちがジニをにらむ。
「でもいい答えですよ。まず、平面には、水平線や地平線があるという否定する証拠があります」教師が広い板と、短い棒と長い棒を取り出した。
短い棒を、板に垂直に立てる。
「集まって、見てください」と言って生徒を集め、長い棒の一端が板に、そして立てた短い棒の、板から離れているほうの端にも触れているようにする。
「この短い棒が、わたしたち人間の高さです。そして長い棒は、視線です。
こうして棒をいっぱいに使っても」と、長い棒のもう一端が、短い棒の上端に触れるようにする。板・短い棒・長い棒が直角三角形になる。
「こうして、いつでも棒の端は板に触れています」と、今度は黒板に、大きい三角定規二つで平行線を引く。
「これが平行線です。平行線でなければ」と、少し傾いた線を引くと、平行線の両方に交わる。上の線と交わったところから、垂線を引く。
「こうして、かならず直角三角形を作ります。さっきの、人の頭と地面と視線の関係になるんです。だから、この世界に地平線や水平線がある時点で、ここは無限の平面ではない、といえるんです。有限の平面であれば、最後まで船の喫水が見えるでしょう。
無限平面の場合、遠くの船はひたすら遠くなりますが、決して消えません。曲面の場合だけ、ここで現実にそうなるように、まずマストの上が見えて、それから帆、船体と見えるようになります」と、黒板に曲線と、そこに立つ小さい人、その視線が曲線に接して水平線になること、徐々に下が見える船の絵を描いた。
水平線、地平線という言葉が、懐かしい船や草原を思い出させる。この、学校に閉じこめられるような暮らしはいつまで続くんだろう。
「さて、ウリエルさまは勇者ロト、ミカエラさまと共にこの世界を旅しながら、星や大地も測量しました。それで、この世界はドーナツでも平面でもなく、大きい球の一部だと確認されています。
一部、です。球形であれば、ウリエルさまの故郷のように、どこから北を目指しても一点に着くはずです。南も同じです。ですがこの〈下の世界〉は、たとえば北のお告げ所から北に行けば暑いままザハンに着き、ガライ港から北上すればベラヌールに着きます。
おかしい、実はドーナツなんじゃないか、という説もありましたが、その場合には反対側が見える場所があるはず、などから否定されています。
やはり球形の惑星の上で、表面積の半分程度の地域が切り取られ、その一番北に行くと同じ経度の南側に、南に進むと同じ経度の北に。また西に行くと同じ緯度の東側に、東に行くと同じ緯度の西に、瞬時に移動させられる結界が張られている、というのがロト一族の、今の結論です。
それは、その後の研究や調査でも常に正しいと確かめられています。いいですか、科学ではみんなが確かだと言っている説も、一つでも否定する証拠が見つかったら、それで間違いになるんです。
ここはウリエルさまの故郷とほぼ同じ恒星のまわりを、楕円を描いて回っています。一年の長さ、一日の長さはウリエルさまの故郷とほぼ同じ、一日はウリエルさまの故郷の時間で23時間51分13秒、一年はこちらの一日の364倍と2時間12分45秒。自転軸の傾きも31度です」
と、黒板にコンパスと、円穴の開いた板を使って図を描く。
「これらのことは、ちゃんと調べて確認することができます。自分で観測して証拠を集めることもできます。なんであれ、うのみにしないように」
と、教師は時間を気にした。
「ついでに。ウリエルさまの故郷と、この〈下の世界〉は、とても似た宇宙にありますが、少なくとも近くではありません。星空も違います。魔法があるかないかという大きな違いもあります。今日の授業はここまで、宿題に、『この実験でこの結果が出たら、今日習ったことを否定できる』実験を考えてください」
授業が終わった。
ケエラはジニを激しくにらみつけている。
次は本来は体育だが、昨日徹夜したので今日は三十分昼寝をしてから、ここ数日やっている洗濯や家畜の世話の仕事を皆で少しやった。
子供たちの共同生活で、家事も多くは生徒達で分担し合っている。
本来は洗濯のような重労働は上級生の仕事だが、ここ数日は、最上級生が何人か特別な授業をしているようで、仕事ができないのだ。
「ケエラ、きみたちは少し看護をするように」教師の命令で、洗濯しないですんだと喜びながらケエラは上級生のテントに向かった。
そのテントに入り、ケエラが驚いた。
ケエラの兄イスサ。十代後半の上級生、もう半ば働きながら学校にも通っている。ベッドに縛られ、呆然としていた。
他にも何人も、壊れた目でベッドに縛られ、激しい自責と後悔に泣きじゃくっている者も、うつろな目でじっとしている者もいる。
ケエラは、この状態を覚えている。共に預けられていたラファエラが、ジジの特訓で心身ともにボロボロになっていた。
「彼らの下の世話を。どんな動きもできる状態じゃないんだ」と、教師。
「はい」と、ダンカが率先し、ケエラを目で呼びイスサのところに向かう。
普段はダンカが障害のある兄マロルの世話をやっていて、ケエラもたまに手伝うことはある。
だが、健康で強い兄が…
「に、兄さん、何が、何があったの。どうしてそんな、ラファエラおねえちゃんみたいなことに」
と、ふとケエラが、戸口からのぞいているラファエラに気がついた。
そちらに行くと、「わたしがそうしたの」と、ラファエラが言う。
その声に気づいて、イスサたち拘束された上級生が、奇妙な絶叫を上げた者もいる。泣きじゃくる者も、激しく詰め寄ろうとして拘束衣で動けない者も。
「鎮静作用のある薬湯を作ってきたわ。飲ませてあげて」と、外でラファエラ。
「おねえちゃん!お兄ちゃんに何したの」ケエラが細く張り裂けそうに声を上げた。
「それより仕事だ」とダンカが、すさまじい力で大人に近いイスサの体を抱え、動かして尻を拭き始める。いつもやっているので慣れている。
プライドが高いイスサが、今は抵抗もしようとしない。
「ちょっとダンカ」とケエラが言うが、「手伝ってくれ」とだけ。
それから、さらに数人の体を拭いた。
一段落して、別室で。休憩にとラファエラがビワの茶を淹れてくれた。
「よく手を洗いなさい」
「何をしたの」ケエラが厳しい目でラファエラを見る。ラファエラは視線をまっすぐ受け止めた。
「もうすぐ戦場に出る年の最上級生を、二組に分けたの。捕虜と見張り。見張りは決まりを作って捕虜に守らせる。
そして課題を出させる。その課題ができなければ、捕虜を別室に入れて……看守がハンドルをひねると、別の声だけの人が、悲鳴を上げる演技をする」
スタンフォード監獄実験とミルグラム実験……通称アイヒマン実験の複合。
「ひどいものよ。見張りはすぐに、どんどん残酷になる。捕虜もどんどん卑屈になる。間違いなく死ぬような悲鳴でも、白衣を着た大人が罰を続けろと命令すれば、続けてしまう……ロトの掟だから、と拒否したり自殺しようとする子なんて、ほとんどいない」
「な、なんでそんなこと」小さい子供たちは激しいショックを受けている。
「ウリエルさまが消える前に、若者を戦場に出す前に必ずやっておけ、って。ロトの掟がどんなに無茶か、人間は集団になるとどんな簡単に堕ちるか、知らせておけ……って。人間が、自分が何なのか。だからこそ、ロトの掟が大切なんだ、ってことを。それを思い知るまで、戦場には出すな、って」
ラファエラの表情は凍り付いていた。ラファエラ自身も実戦経験があるし、ジジが課した試練で、普通の人の残酷さを思い知っている。
ケエラは思わず、ラファエラの手を握った。彼女が苦しんでいたとき何もできなかったことが悔しかったことを思い出して。
「ありがとう、ケエラ。……ケエラこそ、大丈夫?さ、仕事を続けてちょうだい。わたしは別の仕事があるから」と、ラファエラは出ていった。
昼食は保存食。昼ごろにできて、全員に配られる。
豆粉やふすまも入れて、石のように固く二度焼きしたパン。普通の乾パン。チーズの燻製や固いソーセージ。レーズン・ナッツ・干した小魚。肉の脂を溶かし、砕いた干肉とドライフルーツを混ぜたペミカン。そして、飴。
どれも日持ちし、緊急時にそれだけ持っていれば何日か口を慰めることはできる。
ただ、朝と同じ麦と豆の粥、馬乳酒、ホットミルクは飲み放題。
そんな食事では、飴をめぐって争いも起きる。
「ふざけないでよ!」ケエラの怒鳴り声がする。
飴が大きかったか小さかったか程度のことが、男子と女子のいつもの争いもあり、一気にエスカレートした。
実は最近、従来の麦芽酵素でジャガイモ・サツマイモ・キャッサバなどのデンプンを分解する飴から、シュウ酸を用いるメーカーができた。安いがまだ技術が未熟で、味も劣るし大きさも不ぞろいなのだ。
「負けたおまえらは小さい飴でいいんだよ」
「冗談じゃないわよ、あんたたちバカ男子に負けるもんか!」ケエラが屈辱に真っ赤になって怒鳴りつける。
「ケエラ、やっちゃいなさい」女子たちがけしかける。
ダンカとジニが、配膳箱をのぞいた。
ダンカに「なんとかならないか?」といわれたジニが争いの元になった飴をじっと見た。
「一度溶かして棒状に成型するか、細かく砕いて重量で量れば容易に等分できる。粉末を気送しつつ等分する技術を六十二日前やった」
ジニは相変わらず何の感情もなく言う。瓜生に莫大な資金を与えられ、製鉄所や学校を動かしている彼女にとって、贅沢は問題にもならない。
「いやよそんなの。そんな問題じゃないのよ、あんたもあんたよ」と、激しくダンカを小突く。「ジニに助けを求めるなんてさいっていよ!こいつは」
「ケエラ!」ダンカが激しく怒鳴る。ケエラが{人間じゃない}など差別的な言葉を言ってしまう、と思い、先手を取った。
一瞬絶句したケエラ。
「ジニ、あんたものすごい金持ちなんでしょ?でっかいケーキをみんなに配るぐらいできるでしょ」ケエラと仲がいい〈ロトの子孫〉の女子が叫んだ。
「客船にある技師学校、こいつが資金出してるって噂よ」
「ウリエルに託されている財産は、すべてロト一族の技術水準を高めるため、教育や工業基盤の整備に使うよう言われている。私の欲望で使ってはならない」ジニが冷静に言うのが、余計に怒らせる。
「冗談じゃないわよ」
「よせ」とダンカがジニを守ろうとしたのが、火に油を注ぐ。女子がしっかりとスクラムを組む。
「ケエラ、やっちゃいなさいよ」
「直系〈ロトの子孫〉の力、この二人に見せちゃえ!」
「ダンカ、なんでゆうべ、一番強力なあたしじゃなく、ディウを狙ったの」と、喧騒にまぎれてケエラの声が絞られる。
「ただ一人周囲を警戒し、銃を叩いて音を鳴らす準備をしてたからだ。わずかでもあいつを生かしておいたら、戦闘のリズムを鳴らされ全員が応戦していた」ダンカがはっきりと説明する。
ケエラの表情が激しい怒りに燃える。男子たちには、それが奇妙なほど魅力的だった。
「あたしたちがついてる」
男子も男子で、ダンカのうしろにつく。
「ダンカ、おれたちがついてるぞ」
「ムツキ先生の直弟子、最強の武闘家なんだから。懐にさえ入ればおまえらなんていちころさ」
「許さない」ケエラの目に殺気がこもり、魔力がふくれあがる。
そこに、大きい手が割り込む。
「待て!暴力で争っちゃダメだ」と、見張っている上級生が銃に手をかけつつ叫ぶ。
飛んできた教師が場を引き取り、力強い声を出す。
「構えよ!武器を構えよ!武器がない者はその場にある物を武器とせよ」
教師の叫びに、とっさに銃を持っている者は伏せ、銃床を肩につけて安全装置を解除、ボルトを引く。持っていない者は椅子だけでも構える。
「深呼吸!吸って、ゆっくり吐いて!」
周囲の子供たちが息を深く吸い、ゆっくりと吐く。
「全員集中して聞け。もう一度深呼吸」
深呼吸を確認した教師が、ゆっくりと話し始める。
「われわれはみんな、簡単に人を殺せる武器・呪文・武術を手にしている。その暴力は自分のため、自分たちの問題を解決するために使ってはならない。
大人たちも同じだ。人は争うものだが、暴力は許されない。暴力は国家が独占し、国家の許可がなければ使ってはならないのが、近代の、法の国だ。ムーンブルクやアレフガルドのように、貴族どうしが戦ってばかりいる国にしたいのか?
自分の怒りで仲間と戦ってしまうのは、臆病者だ。命令に従い、国が命じる敵とロトの掟にしたがって戦うのが勇気だ。
でも、不満や怒りがあるのは当然だ。ちゃんとそれは解決しよう。ケエラ、ダンカ、昼休みが終わったら軍事教練の予定だったが、その時間に代表として勝負しなさい」
「はい」
「やってやるわよ!」
ダンカは落ち着いた声で。ケエラは絶叫に近い。
わあっ、とクラスメートが喜び騒ぐ。
「いつもどおりだ。計算、息止め、目隠し片足立ち、1500m走、射撃、集団競馬、破壊」
「勝負なら実戦みたいに試合させろよ」
「そうだそうだ」
無責任なクラスメートの声に、教師は声を強めた。
「そこらの大人より強い魔法使い寄り勇者のケエラと武闘家のダンカ、どちらも手加減なんてできない。どちらかが確実に死ぬぞ。戦時中に世界樹の葉の無駄遣いはできない。
それに、真剣実弾を認めても、試合と現実の戦争はまったく違う。実戦では禁じ手はない、落とし穴を掘っても砂を投げてもいい。そしてケエラは遠距離、ダンカは近距離だ。どの距離から始める?
戦争を遊戯化して実戦能力を落とすな、もロトの掟だぞ。見てるみんなも、縄跳びと腕立てスクワット、徒手武術をやりながらだ」
皆教室に戻る。教師に言いつけられたクラスメートが計算問題を持ってきた。ケエラとダンカは席についてソロバンを手にし、二人で計算を始めた。
「やめ」といわれるまで、約5分。
「運動場に出るぞ。ゲラ・フェルバラ・レエラ・ミナヅキ、検算し採点するように」と言われ、運動場に向かう。着替えは必要ない。常在戦場のロト一族、走れない服装など論外だ。
ジニを除いた皆、興味本位で見に来ている。
まず、二人の前に水がいっぱいに入った大きい桶が持ってこられる。二人共何度か深呼吸して、顔を水に漬ける。
ダンカが先に顔を上げ、激しく息をついた。ケエラはそれからかなり頑張ってやっと顔を上げ、苦しみながらも勝利にガッツポーズをする。
次いで、目隠しでの片足立ち。こちらはダンカがどっしりと耐え抜き、先にケエラが倒れる。昨夜の疲労もあり、かなりきつい競技だ。
そして1500m走。
「最近の記録から10秒引いてケエラは3分47秒、ダンカは5分11秒を目標にしなさい。マホトーンをかけるぞ」
単にどちらが速いかでは、アリアハン王家の怪力をラファエルから受け継いでいる者がいたり、幼児期の栄養状態が違うザハンからの子もいる以上、不公平といえる。それで期待できる自己ベストとの比を競い合い、どれだけ全力を出したかを競う。
でもスタートは同時なので、優劣もはっきりする。
ケエラは勇者ロトの直系で、運動能力も優れている……瓜生の故郷では高校男子の記録級が出せる。
ダンカは普通だが、ケエラは明らかに1500m走のペースではなく、最初から全力で走りダンカを大きく引き離した。
歓声が上がる中、無理なペースで走り続ける。後半はやや失速し、最後に少し足がもつれたがそのままゴールした。
「3分39秒、見事だ」
ケエラは地面に倒れ、激しく息をついている。教師が四つんばいにさせた。
ダンカが遅れてゴールする。
「5分13秒。この勝負はケエラの勝ちだ」
ケエラは激しく顔を上げたが、まだ立ち上がれない。かなり無理なペースで走ったのだ。
わあっと、縄跳びをしながら皆が歓声を上げる。
「すぐ射撃だ!」教師の声に、ケエラは激しくあえぎながら気力で立ち上がって銃置き場に走り、AK-74を受け取る。
ダンカも銃を受け取り、射撃場に走って伏せた。
にらみつける、あちこちの穴からふっと標的が持ち上がり、それを素早く射撃していく。
号令を受けて、伏せる姿勢から素早く起き上がって数十歩走り、また伏せて射撃、指示に従いほふく前進して射撃。いくつかの的は500mの遠距離に出て、目で距離を概算しタンジェントサイトを調節して射撃する。
ほんの五分ほどだが、二人とも泥だらけで疲れきっていた。
「ケエラ、30発中24発が致命範囲。ダンカ、30発中19発が致命範囲。ただし、ダンカのほうが、的が出てから射撃するまで素早いし、きちんと頭も肘も下がっていた」
教師の評価に、ケエラが歯を食いしばる。女子たちは縄跳びをやめて拍手したが、ケエラは余計悔しがっている。
それから二人のそばに、学年もばらばらな9人ずつが馬を引いて集まる。
競馬は集団競技だから、10人で分隊を組み、競い合う。そのために、教師がバラバラに9人ずつ選んだ。
ダンカ、ケエラそれぞれの竜馬も引かれてきた。ダンカは大型、ケエラの馬は小さいが、その父は竜だ。
3000mの、多数の障害がある厄介な道。
ダンカは優しく竜馬の首を叩き、なでてやっている。
ケエラの小竜馬は激しく角をふりたて、闘志を燃やしている。口から激しく吐く息が炎になりかかるほどだ。
決闘の競馬は、決闘する本人が臨時の分隊長になる。ただしそれを濫用しないよう、次にローテーションで上の仕事をする機会を消費させられる。
「わたしたちはメーダ!鋼の甲殻のようにひとつ!」ケエラがかれた喉から雄叫びを上げる。
「ケエラ臨時分隊長に従う!負けないぞ!」9人の声がそろう。
「馬に塩と水は十分にやったな?みんなも水分補給はできているな?トイレには行ったか?」ゴッサが9人をゆっくり見回す。
一人一人、「はいっ」と大声を上げる。上級生も、率先して。
「おれたちリカント。さっきのようにメーダの柔らかい腹を食い破る」ダンカが、ゴッサを真似て落ち着いた声を出す。
「いつもダンカが従っているように、われらダンカ臨時分隊長に服従し駆ける!」
「おおおおおっ!」ダンカの属する分隊が絶叫し、彼を先頭にぴたりと隊伍を整える。
空砲の銃声とともに、二つの集団が駆け出す。複雑な地形の原野に、通るべきチェックポイントを決める。道は競技の都度変わるし、チェックポイントさえちゃんと越えればあとは自由だ。
100m。ダンカの巨大な馬が額と耳の後ろの角を揺らし、力強く地面を蹴る。ケエラが乗るポニーの短い脚がリズムよく踊る。
一気に加速し、最初の障害を同時に踊り越える。巨大な馬がやすやすと藪を飛び越すのも、小さな馬が凄まじい勢いで飛び上がるのも、どちらも素晴らしい迫力だ。
ディウバラなど、まだまだ乗馬が下手な子もいる。小さい子もいる。助け、また乗馬が得意な子を先行させてルートを確かめさせながら、隊が崩れないように馬を駆けさせる。
一対一で馬を駆けさせていれば、もちろんダンカの圧勝だったろう。
だが、ケエラは魔法使いで、遠くを見通す魔法も使えるし、地図を読むのもうまい。
「もっと速く!」叫び、馬と分隊のメンバーに怒鳴りつけて、激しく馬を煽り茂みに向かう。
ダンカにとって、集団で馬を走らせるのは歩くより多くやってきたことだ。
時々振り返り、軽く手振りをして間隔を調整する。全員をよく見ている。
ちらちら、と隣を走る最上級生の目を見る。そのうなずきと指示に、
「右へ」と、手でしっかり指示し簡潔に命令する。無駄な言葉を口にしないのも、〈ロトの民〉皆が尊敬するゴッサを模倣している。
障害に向かうのに、あえて遠回りのゆるい道を選んだ。
上級生は一瞬疑問を持ったが、従った。下級生が駆る馬の一頭の蹄に炎症があり、右に傾いた下り坂を嫌がることを思い出した。
強引に小川を押し渡り、近道をして障害を越えるケエラ。だが小川越えで下級生二人が馬が別方向に行ってしまい、藪で一人が落馬した。
「分隊長、ヘロヤセフ落馬」
「ふざけるな、かまうな突っ走れ!」ケエラの怒りの叫び。メンバーは反感を感じたが、迫力と訓練に押され、長く伸びた列になって全力で最短距離疾走する。先頭のケエラの、小さい半竜馬が火を吹かんばかりに息荒く砂利道を蹴立てる。
反面、ダンカはややペースを緩め適度な間隔を保ち、上級生で前後を挟み下級生や乗馬が苦手な子を助けさせながら、楽な道を駆けている。
結果、かなり遅れてはいる……だが、上級生も文句は言わない。危なげなく障害をリズムよく、全員順番に越えてペースを乱さず駆ける。
ゴールが近づき、ケエラが何度も絶叫し、馬首をひっぱたいて加速させる。鞭があれば馬は血まみれになっていただろう。その激しさに分隊の全員も打たれ、激しく馬を駆っている。
だが、最後の障害で下級生がまた落馬し、それにつまずいて落馬する者がいる。
ダンカは「テエル、ラメ、先行して救助。ほかは並足」とだけ命令し、上級生と僧侶系魔術が使える同級生が先行して障害近くの人馬を助け、治癒呪文をかけた。
泣きじゃくる下級生と激しくいななく馬、だがそこにケエラが駆け戻る。
「はやく、はやくっこのグズ!バカ!」絶叫に近い声。そう、この競技は集団。分隊全員がすべての障害を越えてゴールして、はじめてゴールになる。
ケエラは激しい形相でおびえて泣き出す子を馬に引きずり上げ、馬の尻を引っぱたく。その脇を、ダンカの分隊の馬群が、順に美しく、適度な間隔を保って生垣をやすやすと踊り越えていく。
乗馬が苦手な子も、隣の上級生が「だいじょうぶ、馬に任せろ」と声をかけ、馬は群れで一体となり悠々と飛ぶ。
そして、ケエラと下級生たちが必死で追い、一度は追い抜く。
ぴたりと間隔を保つダンカたち10人がすっとゴールをくぐり……ケエラの馬が、遅れた。
「ダンカの勝ち」誰が見ても明らかだった。
ケエラが自分の馬に、また分隊の者に叫ぼうとするのを、本来の分隊長が厳しく、
「反省しろ!」
と言い聞かせる。ケエラは涙を抑え切れていないようだが、次の競技がすぐに始まる。
最後は、攻撃力。銃を使わず、束ねた竹や大きい石を破壊する、それだけだ。普通の子は長柄剣や長柄剣鉈で竹を一本ずつ切り、石は別の石をぶつけて少しずつ壊す。
ケエラは多数の竹束や、身長近い大きさの石を相手に呪文を静かに唱え始めた。
「ベギラマ!」
中位攻撃呪文。彼女の年で使えるのは、ロト一族全体でも少ない。
大気が800度の高熱に揺らぐ。竹を束ねている針金がまぶしく輝く。風が吹きはじめ、竹の上に激しい炎が燃え盛る。石がぱきんと音をたてて割れ、土がはっきりと色を変える。
上級生は拍手し、下級生は呆然と見ている。
ダンカはすっと前進し、大石の前に立つ。そして軽く触れて、そのまま手を引かずに、ゆっくりと押した。
パン、と小さな音と共に、大石が三つに割れた。
また、嘆息と歓声が上がる。
すぐさま、竹を一本一本、鋭い斧刃足で蹴り割っていく。だが、呪文一発で焼き尽くしたケエラより明らかに遅い。
それを横目に見たケエラは、まだ熱い石に近づいて、柄の長い鋼の剣を天に突き上げもう一つ呪文を唱え始める。
「あ」みんなが驚く。
「ライ…デ…イン!」
曇り空から、ケエラの掲げる剣に稲妻が落ち、彼女が剣を構える。
振り下ろせない。口から、奇妙な黒煙が上がり、体が激しく痙攣して、人間に可能なのかと疑えるほど反り返る。黒い煙が全身を覆う。
「まずい、黒魔炎症」教師の声。
「ケエラ!」ダンカが叫び、駆け寄って抱きしめようとし、激しい衝撃を受けて崩れ落ちる。
「引き離せ、黒魔炎症は」
「対処します!」そこにラファエラが走りこむ。「ジジ先生に教わっています」
と、素早く呪文を次々と唱える。
長く美しいブロンドが身振りについて舞うのに、皆が魅せられる。そのラファエラが上空を、弓を真上に引くように狙うと、鏡のようにケエラが同じ身振りをする。
矢を放つ身振り、奇妙な呪文と共に、凄まじい魔力が爆発する。
ケエラの左手の先、曇り空の分厚い雲が一瞬で消えて、青空が見える。とてつもない魔力。
ラファエラの金髪が、額に張りつく。呪文を唱え終わるとくずおれた。
教師や上級生が慌てて駆け寄り、三人ともにベホマをかける。そのまま担架を用意し、医務室に運んだ。
そのまま三人寝ている。呼吸と寝返りが、深い眠りを証している。だが、もしラファエラが起きていればわかったかもしれない……姿を消した気配がベッドから出て、寝ているのは幻だけだ、ということが。
ケエラが急いだのは、ジジの隠れ教室の一つ。この学校の近くの森に隠されている。
そこで、ケエラは何かをして、素早く王宮近くに向かった。
きえさりそうの効果はとっくに切れており、底の厚い靴で身長をごまかし、顔を隠せるフードと目出し帽をつけて、衛兵に身分証を出した。
「よし、通れ。ごくろう」
何の疑問もなく通された先には、ハーゴンの執務室。
無言の彼に、ケエラも無言で、一本の杖を差し出す。
「まさしく、ジジさまの杖。これが必要だったのです、勝利のための特殊な研究に」
ケエラは怯えきっている。
「だいぶよくなったようだな」
日が沈む頃、ケエラとダンカは目覚めた。同じテントだが別のベッド。
「大丈夫?」クラスメートが心配してのぞきに来た。
「それで、どっちが勝ちになったの」と、ケエラが聞く。
「総合点でケエラね」と言われ、寝たまま激しくガッツポーズをしていた。
ダンカは横になったまま、ほとんど表情を動かしていない、複雑な微笑でケエラを見つめている。
「ラファエラさん、すごかったよ。倒れちゃったけど、たいしたことないって先生たちが言ってた」
「怖かったよ、ケエラ。若い魔法使いが魔法を使いすぎるとあんなふうに時たま黒魔炎症になることがある、って先生が言ってた」
「〈上の世界〉では、ジジ先生が対処法を見つけるまでは死んでたんだって」
「あ、午後の授業のノート、取ってきたよ」
と、クラスメート。
「ありがとう」
「やっぱりすごいよね、さすが直系の〈ロトの子孫〉」ケエラがにんまり笑って、ベッドから飛び降りようとしてふらついた。
「無理しちゃダメよ、ごはん持ってこようか?」
「おねがい」本当は外を出歩けるほど平気だが、演技だ。
「だいじょ(大丈夫な感じだけど、起きたらケエラも起きようとするからな、どんな無理をしても)…たのむ」と、ダンカは寝ていることを選んだ。
ケエラとダンカは病人だということで、パンは小さめで米だけの薄い粥をたっぷり作ってもらい、ゆっくりと食べている。
「今日、みんなが食べたの、なんだったの」ケエラが恨めしげに聞く。
「焼きたての、小麦パンとライ麦パン。あったかくておいしかったよ」
「たまらないよね、あの香り」
「新鮮なバターと蜂蜜、お好みでオリーブオイルに、リンゴやイチゴのジャムもついてた」
「キーモアのスクランブルエッグ、焼いた塩魚」
「スクランブルエッグ、塩が足りなかったよ」
「それにペッカーも混ざってなかった?ちょっと泥臭かった」
「コロッケとおからコロッケに、メンチカツもあったんだよ」
「メンチカツよりおからコロッケのほうがうまかったよ。ヘアエのやつ、何入れたんだ」
「春野菜をゆでたの、ちょっとまずかったな」
「え、おいしかったろ」
「あんなのが?」
「いつものタケノコと厚揚げの煮物に、ジャガイモもついてたよ」
「ちょっとだけね」
「揚げたてのおかきで、また騒ぎが起きそうになったんだよ。懲りろ、って先輩が怒鳴ってた」
「食べたかったなあ」と、ケエラが残念そうに言う。
食後は午後の分のノートを見せてもらい、宿題をやり、希望者は集まって、紙芝居のような形になったニュースを聞いたりする。
「みんなお風呂か」ケエラが残念そうに言った。
入浴も大きい浴場で、全員がゆっくり入れる。
「だれが体拭いたんだろ」と、ちらりとダンカが考えをもらしてしまう。ちゃんと着替えて体も拭かれていた。さっき自分たちがやったように、生徒たちが世話をしてくれたらしい。
ケエラが恐怖にはね起きた。(もし、外出してるうちだったら、ばれてる)
「けっこう調子よさそうだな」と、ダンカも大きく伸びをして体を起こす。
「え、いや」
「ちぇっ、なら起きて食べて風呂行けばよかった」
「え、もしかしてあたしにつきあって悪いふりしてたの?よけいなことしないでよ!」とケエラが怒りだす。
「しかし、誰かに世話されたんだ……くそっ、やられてみると悔しいな」ダンカがごまかすためにも、話を別の方向に向けようとする。
「そうよね、冗談じゃないわよ」ケエラが、内心の動揺を押し隠す。
「兄さんも、イスサさんも、辛いんだろうな」
「もしクラスの子だったら……生きていけないわ」とケエラ。
「まあ、前似たようなことがあったときは、二つ下と二つ上の子だったと思う」と、ダンカがケエラをなだめる。
(でも、誰かには見られたんだよな)と、かなり悔しそうだ。
「さっさと寝ましょ。それにしても、男の子が近いなんて何考えてるのかしら先生たち」
「去年はずっと、同じ大テントで寝てたろ」と、ダンカがケエラに背を向ける。そちらにはラファエラが寝ていた。
「そっち見るな!お姉ちゃんの寝顔見るな」
といわれてケエラのほうを向いたら、
「こっちも見るな!」
「はいはい」と、ダンカは仰向けに戻り、疲れもあってすぐ寝てしまった。
「まったく……」と、ケエラはダンカを見つめて、激しい動悸を必死で抑え、強く毛布を握り締め……そして、しでかしてしまったことの恐怖に今更気がついて、激しく怯えていた。
ハーゴンの命令。
いや、命令ではない。誰かが聞いていれば頼み、提案というだろう。
(一度も、脅されてない。ディウバラのバイオリンを壊したこと、ダンカにばらす、って)
そして、それからしたことを、教師や彼女の親、国に話す、とも。だからこそ恐ろしい。
何よりも、その言葉に従うのは心地いいのだ。ロトの掟に逆らう、と意識することはできない。そんなこと考えることもできない。ひたすら、それがロト一族の勝利に貢献している、というハーゴンの嘘にすがっている。
不安で不安で、それが気持ちいい。
それをやったあとは、いつも激しく勉強や運動、銃・剣・魔法の練習に打ち込み、ダンカとケンカする。
やみつきになっている。
翌日、アロンドすら飛び出す大事件が起きた。定期の情報報告に来なかったので、隠れ家に行ったトシシュとヘエルが、再び石化したジジを発見したのだ。
瓜生とジジ。ともに〈上の世界〉で修行し、勇者ロトを知る者。
最高の魔法使いであり、ガブリエラの判断で中位魔術しか教わっていなかったロト一族に上位魔術を惜しみなく教えてくれた存在。
「だいじょうぶ、われわれの上位魔法使いは、〈上の世界〉の最高水準まで達している、全部教えたと二人共おっしゃっていた」
とサデルが言うが、支えを失った恐怖は隠せない。
ましてジジは、それまでロト一族が築いていた諜報網とは別の諜報網を作り、情報を集めてくれていたのだ。
それが一度になくなった。
サデルたち中央司令部は、自らの軍がどこでどう働いているかも、くもりガラスを見るようにしかわからなくなった。
そして、不安も広がっている。
(叩いても叩いても、きりがない)
(敵の頭を断たなければ、アロンド陛下が竜王を倒したように)
さまざまな不安が漂っている。奇妙な噂がある。
(ローレシア南方の、海底洞窟に行けば勝てるらしい)
(勇者として。アロンド陛下は動けない)
(自分が行かなければ)
(みんなも行くんだから)
不安と恐怖が、噂を強める。
サデルらは、
「噂をコントロールしていたのはジジさまだったのね」
と、あらためてその存在の大きさを痛感し、戦争の激務と同時にガライ一族らを使って沈静化させようとしている。
そこで、傷癒えたリレムが大きい存在になってきた。