ジジが石になって一月、初夏。開戦から半年近くたち、戦闘では常に勝っているが勝利が見えない。
ローラの門が開通し、キラーマシンやキラーマジンガが大陸内にも出没している。
「デルコンダルが和平を申し出てきた」
などと新聞には載るが、誰も信じていない。
(やはり、海底洞窟に行くしか)と思うのが、特に若者に多い。
サデルは、そちらに行きたがる者をリリザに送って仕事を与えることでそれどころでなくしている。
二十万人以上の避難民をムーンペタ、ムーンブルクの東(レアヤの所領)などムーンブルク各地から受け入れたリリザ。
それ自体が大戦争だ。
今は備蓄と、瓜生が残した食料が頼り。膨大ではあっても、十万以上の口はそれ以上に膨大だ。
膨大な人数を暴れさせず、食料と水を与え、清潔にさせ、糞尿を処理する……それは、避難民自身の労働力を使っても簡単なことではない。
ロト一族は、サマルトリアが丸ごと霧に呑まれて合計でも四万人いない。働けるのは二万人以下。
戦争、開拓農地を維持する、子供の教育や老人・病人の介護、大灯台の島などのさまざまな産業などの人数を差し引くと、一万人もいない。
二十倍以上の人間を管理するのは、不可能にさえ思えた。
だが、ロト一族には豊富なノウハウがある。アレフガルドの再開拓。ベラヌール戦役。新大陸の開拓。ロト一族とは異質な人々を指導し、操ることには、十分な経験がある。
互いに経験を分かち合う。失敗も成功も情報を共有し、よりよい方法を模索する。
その仕事は特に重要なので、アロンドが自ら買って出た。
(強制収容所、でもあるからな。それを人道的にやることができれば、少しでも罪滅ぼしになるかもしれない)
と、ガライの墓での経験も活かしている。
基本的には、元住んでいた人間集団をそのまま、できるだけ職業別に活用する。また生活面はロト一族が、十進法で集団を作って指導する。
もちろん最初に、ヤフマはじめムーンペタの主要人物とは緊密に連携を取り、彼らの地位と権力、権威は保っている。
「石像に戻ってしまったジジを、避難中はお貸しします」
アロンドに言われたヤフマは大喜びした。
巨大な豪華客船の倉庫。その広さと膨大な物資にあきれ返りながら。
「わしとジジさまの像があれば、ムーンペタの誰もが、街にいたときと同じように落ち着くでしょう。さすがですな」
「なによりも、安定することが最優先ですから」
(虐殺だけはしたくないからな)と心の中でつぶやく。
「全員、避難の時には、備蓄食糧・布類・生業に必要な道具はできるだけ持ってくるようにしてください。多少の荷物は運べます」
ムーンペタからは何人かローレシアに留学している者もいたし、即位式を客船から見ていた金持ちも多い。ある程度、ロト一族のやり方は知っている。
「あなたたちは、体を洗ったりきれいな服を着たりすることにこだわるようですな。まさか、全員に、あなたが即位されたとき、あのすばらしい船で教わったように体を洗え、と?」
「はい。そうしていれば、伝染病は最低限ですみます」
「ならばそうさせてもらう。そのほうが快いしな」ヤフマの鋭い目には、(これは拒否できない)ことが浮かんでいる。
「必要な水や燃料、石鹸は十分にありますので、ご安心を」
と、今度はとてつもない規模の上水タンクを案内する。
「これほど大量に」
「この程度、一万人が二十日程度です。より価値があるのは、この水浄化設備です」
「だが、人は水と食事と屋根があればそれで満足、というものでもありませんぞ、アロンド」
ヤフマが思慮深く、鋭い目で言う。
「はい」
アロンドは先人の知恵を伺う、謙虚な態度を取る。ヤフマはそれが演技だとわかってはいるが、それでもうれしい。
「人は誇りで動く。自分たちは劣っている、そう思ってしまうと、特に身分の低い者や若者は、満腹であっても不満を抱くものです。ロト一族の前ではなあ。
そして『ロト一族さえいなければ』と思うことも」
アロンドはしばし沈黙した。ヤフマは迫力に圧され、
「まあ、わかっています。そなたたちがいなくても、ムーンブルクがあれほど邪神教団に冒されていては……」
もう一拍沈黙したアロンドが口を開き、ヤフマはほっと息をついた。
「それも考えてあります。忙しく働いていれば、そのようなことを考える余裕はありません。そちらの若者で、学ぶ力の高い者を選んでこちらのやり方を伝え、指導させればいいでしょう。
敵の存在も忘れさせない。そして時々大きな祝宴をやる」
「そなた、結構悪党だったのですな」
ヤフマが冷汗を隠し、愉快そうに笑った。
「悪党どころではないです。ああ、仕事はしても、死ぬほどではないように注意して管理していただけますか。塩水、休みと睡眠はしっかりと」
「われらは人を働かせるのは、家畜と同じように使い捨てるものだがなあ」
ヤフマは眉一つ動かさない。
「実は、そのやり方では、働かせるほうが損をします。家畜も同じですよ。
ウリエルがいれば、こう言ったでしょう……『故郷に、自動車を作った事業家がいた。彼は大きい工場でたくさんの自動車を作り、働く者に高い給料を与えた。高い給料をもらった工員が自社の車を買った。従来の貴族だけのための車より、ずっともうかった』とね」
「ほう!それにしても何度か見せてもらったが、自動車というのも恐ろしい技術ですな」
「まだわれわれだけでは作れません、もらいものです。あれを自分たちで作れるようになるためにも、高いコストをかけて教育し、死なないように働かせて長く果実を得るのが、われらのやり方なのです。
でも、人を使い捨てないほうがお得になるのは、伝染病が克服されていれば、の話です。まずそのために、水とトイレ、教育。そして蚊帳とビタミンも必須ですね」
避難民が上陸したらまず健康診断。伝染病患者・保菌者は別に隔離し治療する。
150人程度に分け、広い原野に大規模な仮設住宅を作る。中隊と同様のその人数なら、無理なく組織できる。
二十万人が生きるのに、最優先されるのは水とトイレ。水は、元々大都市候補だったリリザ、ふんだんにある。トイレは防水した紙袋に出して堆肥場に運べるようにする。それ以外の排水は専用の畑に流し、人の口に入らない繊維作物を育てる。
そのあたりのノウハウも、開拓やローレシア・サマルトリア都を作った経験で豊富にあった。
大きい都市を作っていたムーンペタ出身者は、少人数の集団に広い地域を割り当て、農地と伐採禁止の森を定めるロト一族のやり方には戸惑っていた。
人口密度の高い都市より移動距離は長くなるが、馬車をバスのように使っているので問題はない。
測量が済んでいた状態で、最初に避難した五千人に仮設住宅を建てさせる。
第二陣はトイレ用の穴を掘る、その間にも仮説住宅建設は続いている。
第三陣は上総掘りで井戸を掘り、水道も作る。
第四陣は道路。
そんな感じで、どれだけ人が集まっても仕事は常にある。また、生業に必要な資材は持ってこさせており、さまざまな生業も続ける。
生業を続けることは、社会組織と人心を安定させる効果もある。
そして避難のために必要な膨大な物資の一部が、たとえば布を織ったりすることから供給され、黄金を支払われ、経済が回る。
娯楽もある。ガライ一族があちこちの集合仮設住宅を回っては、劇やショーを上演する。少人数でも可能な映画や、高級オーディオと発電機による音楽演奏も楽しまれている。
また、簡単に覚えられるポーカーの大会を開いたりもする。
燃料も森林伐採は最低限。ローレシアから大量のコークスが常に送られているし、効率が高い二次燃焼ストーブなどを仮設住宅にあわせて大量生産している。
テント・ストーブ・圧力鍋・簡易風呂などは開拓のためにも必須だったし、戦争でも需要は多かったので大量生産が始まっていた。
仮設住宅の資材も、ローレシアが提供している。大量のセメントや、工場で作られた部品を運んで現場では組み立てだけというシステムもあり、建築は早い。
プレハブ材料もとんでもない量が備蓄されており、戦争にも使っているが、リリザにも回される。
できるだけ木を切らず、生きたまま木を活用する方法はムーンペタの人々も驚いた。邪魔になるほど低い枝葉だけを切って、太い布バンドを幹に巻き、丈夫な布で二重にした部屋を宙に吊るす。二重構造で高いところにあるので防寒性も高い。
ほかにも竹でドーム構造を作り、草原を草の根ごと掘ってかぶせ、生きた丈夫な屋根にするなど、状況に応じて多様な方法を使う。
また周辺ではエンジンを用いて強引に開拓して広い農地にし、半分は特に成長が早いソバを撒いている。去年のソバの備蓄の大半を種籾として使っている。残り半分はトウモロコシやジャガイモ、野菜を植えた。
雑草でも、食べられるものは多くあり、それは開拓前に収穫して避難民の食事に回している。
「ムーンペタの皆様に開拓に協力いただいた地域は、避難中はすべて皆様の食料とします。
そしてこちらに留まるならば、そのまま私有地でかまいません。ただし、自治は広く認めますが、われわれのルールをかなり受け入れていただきます。
またムーンペタに帰る方々は、開拓費用として金貨と布を受け取るか、または百年間1%を受け取るか、選んでください」
アロンドの言葉に、多くの人は大喜びで働いている。
その報酬で買えるゴムボールやルービックキューブ、折りたたみナイフにも、熱狂的に喜ぶのだ。
瓜生がいないのに資材も食料も出てくるのには、ロト一族も驚いた。
「ウリエルが元の世界に消えたのに、どこから出てくるんだろう」
「前に十分、アロンドさまに預けてあったんだよ。銃とかみたいに」
と、何人か膨大な軍需物資備蓄を見ている人は言う。
「でも、こんなのが必要になるなんて事前にわかったか?」
「サデルがモシャスでウリエルに化けてるって」
「ラファエラだって噂もあるぞ」
などと、色々な噂が飛び交っている。
そのままではすぐ疫病が蔓延するだろうが、十人に一人ずつロト一族を張りつかせて清潔な生活習慣を覚えさせる。
トイレ、服を洗濯する、トイレの後や食事前に手を洗う、食べたら歯を磨き食器を洗う……そんなことも、近代以前の暮らしをしている人はできていないことが多い。伝染病は何より恐ろしいので、アロンドもその点は譲らなかった。
飴と鞭……といっても、ロトの掟が禁じるので暴力は使えない。最低限の配給はあるが、砂糖・蒸留酒・娯楽用トークンは全員が指示を守った十人組だけに与える、それを徹底した。
監視する理由は他にもある。都市貧民であった者はすぐ人の集まりに、むしろ損するとしても向かいたがる。
何より厄介なのが、『竜を殺すな』という掟を守らせることだ。時々竜が出てきたとき、特に小型だと、避難民はすぐパニックになって戦おうとして、管理するロト一族は銃を使って手足を傷つける必要すらできる。
大半の人はムーンペタの暮らしを懐かしみ、しかし故郷の貧しい暮らしより量は多い食事を堪能している。そして砂糖や蒸留酒を激しく求めている。
中には、ロト一族のやり方を学びたいと望む者もおり、そのような人々には学校を作っている。
逆に、犯罪者もいる。単に邪悪で乱暴な者もいるし、人から奪う以外の生き方を知らない小集団もいる。どちらも、十人単位でロト一族に監視され、悪行を止められる。特に豊かで美しいロト一族の監視者が襲われることも多いが、魔法が使えない〈ロトの民〉でも武術と銃で圧倒してしまう。
「あの偉そうなやつをぶっちめてやれ、おれたち7人がかりなら」と襲おうとした、先頭を別の組のロト一族が銃で撃ち、ひるんだ隙に襲われたほうが素手で残りをなぎ倒す、それもよくあることだ。
ロト一族は大人として、本格的な仕事をしたり戦場に出たりする前に、ケエラの兄が経験したミルグラム・スタンフォード複合実験など過酷な試練を受ける。
中には多人数に襲われて殴り倒され、あとでじっくり考え抜くという過酷なものもある。
多人数に襲われれば確実にパニックになる。体が動かないことを一度体験し、あとで襲う側となって多人数の動きを経験すれば、統制されない多人数の隙もよくわかる。
動き続け、ひとつの技だけがとっさに出るよう反復練習し、多人数の敵が互いに邪魔になるよう地形を活かす。
逆に、こちらは少人数で、連携しての動きを体に刻む。
そこまでやっているからこそ、少人数で多人数を制圧することもできる。
無論ロト一族にも潜在的に邪悪な者がいるが、レムオル・きえさりそうを併用した相互監視が徹底している。
何より、時々少人数を前線に連れて行き、戦闘を見せる。帰ってロト一族の圧倒的な戦力が語られれば、大抵は逆らう気などなくなる。
文化も文明水準が違う集団を操縦し改善させること、それ自体慣れている。
彼らの中から人を選んで、体で新しい行動をなれ覚えさせ、その人を副官として指導させる。別民族であるロト一族の指導は聞かなくても、自分たちの一員の話なら聞く。
貴族出身の少尉と、たたき上げの軍曹による新兵小隊管理とも似ている。それは瓜生の故郷でも、軍に限らず植民地で異民族を支配する常套手段だ。
また、ロト一族のやり方にも固執せず、ムーンペタの伝統の中でもうまくやっている人を探し、その人をまねさせる手も使う。よそ者の先進技術を教わるのには反発があるが、自分たちの仲間がやっている工夫をまねることには抵抗は少ない。
ザハンから耕していた人たちも活用する。二年にわたってロト一族のやり方を学んできた彼らこそ、どんな不満を抱き何に喜ぶか、よくわかっている。
それまでの、飢え。ものの乏しさ。
不潔。疫病と産褥などの死。
極端な貧富の差と無知。奴隷制度、特に女と子供は家畜同様。
貴族同士の武力抗争・『ロミオとジュリエット』のような復讐の連鎖・山賊や海賊・公開処刑やモンスター闘技場など満ち満ちた暴力。拷問と冤罪が当たり前。
複雑な、服や食物のタブー、迷信。生贄。死に至る重労働と、極端な怠惰。
進歩というものはなく、奴隷を増やすことしか考えない。
ロト一族……残虐さを抜いた近代。それはすべてが違う。
食事は豊富。全員が馬と剣、豊富な服と靴を持っている。
徹底した清潔、疫病が事実上なく、妊産婦死亡率・乳幼児死亡率ともに少ない。
ある程度の富裕はあるが極端な貧困はなく、ほぼ全員が読み書きでき、奴隷制度や生贄は厳禁されている。
私的な武力抗争は厳しい相互監視で封じられ、山賊も海賊も圧倒的な武力と情報伝達・移動速度の前に存在せず、法の支配が行き届いている。モンスター闘技場さえ禁じられている。拷問もなく、指紋などの技術により冤罪もまずない。
質実剛健で迷信やタブーはほとんどない。精密な時計で厳しく管理され、勤勉だが労働時間は限られており、健康を損なわない。
そして何よりも、進歩して奴隷ではなく工夫を増やす。洗濯も人海戦術ではなく、風車で樽を回す。
そのギャップを一番理解しているのは、ザハンからの人々だった。そしてロト一族も、これまでの様々な事業で、多くのことを理解していた。
避難が一段落したときに、ムーンペタの伝統行事である祭りをそのまま避難所で行わせた。
華やかな踊りと食事、丸太を担いでの奇妙な競技。避難民たちは故郷を離れていることをひととき忘れて楽しんだ。