瓜生は、男を見て一目でわかった。
(おれが、なりたかった存在だ)
(もう一人のおれ。彼なら、どの世界も簡単に救える。おれの故郷も。おれみたいに馬鹿でもないしヘマでもない。石を投げられるようなことにはならない。
おれは、こんな能力を持っていながら、自分の故郷を救うこともできない。故郷でも、目の前でたくさんの人を死なせている。異界を旅した仲間が何人かいるのに)
(剣の達人。全日本個人戦で優勝するような)
(女にもモテる)
(ジニ。おれみたいに苦労せずに、あらゆる科学や数学を理解できる。東大模試すら、教科書をきちんとマスターして一度参考書で勉強したら、簡単に全問正解した。機械操作だっておれよりずっと覚えが早く、正確だ)
(ミカエラ。正真正銘の勇者。剣と魔法の天才、おれは、どちらも遠く及ばない。しかも美しく、たくさんの人を思い通りにできるカリスマの持ち主)
(もう一人の、別のおれ。欲望のままに破壊と殺戮にふけり、ハーレムを作る。際限のない欲望と、それ以上に無限の憎悪。あらゆる世界を破壊する、破壊神)
昔からの、激しい自己嫌悪。黒い霧。
(英雄願望、劇症の中二病。ついうっかり、本当に妖精を助けて、別の世界で勇者になるといわれて、能力をもらって)
(そこで、何も知らず、妄想だけで)
胸を切り裂いて手を突っ込み、心臓を握る感触がよみがえる。
自分が引き起こしてしまった虐殺。それからの冒険でもたくさん失敗をした。たくさんの人を殺した。
絶叫が口から洩れそうになる、そのとき、瓜生の心にふっと光が浮かんだ。
光が、瓜生の心を満たしていく。静かに。
すっと、黒い霧の渦が消えていく。
(ああ)
ただ、瓜生は祈っていた。
(おれが殺してしまった一人一人)
たくさんの名前、そして名前を知る暇もなかった顔。死んだのだろう、という程度。
ただ、祈る。
(ルビス、ありがとう)
ミカエラと共にゾーマを倒した、その褒美としてもらった心の光。後悔や自己嫌悪に縛られず、今この時だけに生きることができる、光。
光が霧を払う。
そして静かに歩く。仲間を探すため、助けるために。
ジニは、ただ固まっていた。
自分を次々に蹂躙した、多くの邪悪。そして女が、子供が学ぶことを、工夫そのものを許さない、多くの人たち。
(一人では魔法が使えない)
(あるのは、銃だけ)
背の、肌身離さないAK-74を構える。
(人は、工夫と知恵、改良でこれを作り出すことができる)
それだけが、打ちひしがれた心の中に自信となる。
そして思い出す。ハーゴンにさらわれた自分を、助けに来てくれたケエラとダンカ。
(ケエラは、わたしを憎んでいた)
(ダンカの目。いつか殺して肉を食べ皮をはぐ家畜を見るのと同じ、注意深く不調を探っている、冷たい目)
その二人が、自分を守り命がけで戦っていた。
それから。治療され、リールとロムルの夫婦に、固く抱きしめられたことを思い出す。
『ごめんなさい、守ると約束したのに』
『ハーゴンは、ウリエルさまとジジ先生が封じてくれたって。今度こそ、もう大丈夫だ』
二人の熱い愛情が伝わってくる。
そして戻ってきた瓜生とジジ、それにアロンドも。工場の仲間や学校のクラスメート、教師たち……
満たされている、そんな感じがする。
(こいつらは死んでいる。そしてもし生き返って襲ってきたのだとしても)
支えられている、実感できる。一人でも、恐怖は感じない。
(戦える)
構えた銃を、そっと手が押さえた。
霧の中、瓜生の微笑がわずかに見える。
すっと霧が晴れ、亡霊たちが消えていく。
「大丈夫か?」
「はい」
言葉は必要なかった。愛されること、愛すること、信じること。そして加わり戦う勇気を、もう知っているから。
サデルにとって、目の前の……変わらぬ美しさで、首筋がしびれるほど邪悪な微笑を浮かべたアロンドこそ、最も恐れていた、そしてなりたかった存在だった。
小さいころから聞いていた、双子で駆け落ちしたミカエルとラファエラの伝説。二人のすさまじい強さ、デルコンダルを救ったいさおし。
サデル自身は竜王軍に両親を殺され、そして愛した男が竜王に挑んで死に、〈ロトの子孫〉のエリートとして子を育てつつ前線で活躍していた。コテツやムツキ、年下だが天才的なラファエラもいたが、勇者の最有力候補だった。
ある日、〈ロトの子孫〉たちが孤児に紛れて暴れていたアロンドを捕まえ、自分たちに加えた。
そのアロンドの、彼の両親の伝説からイメージした以上の、子供離れしたすさまじい強さ。
十三歳程度なのに、〈ロトの子孫〉の大人の平均以上。それが、ものの半年でトップレベルに達してしまう。
彼が勇者に名乗り出たときには、実際には〈ロトの子孫〉の誰一人かなわない強さになっていた。
〈ロトの子孫〉を滅ぼしかねない、竜王より大きな禍になりかねない恐ろしい存在。そう、長老たちも噂し、若くして長老に近い立場だった自分も同様に怯えていた。
組むようになってから、最初は自分のほうが上だった。姉ぶっていた。だが、あっという間に追いつかれ、追い抜かれた。
そして、ローラ姫がさらわれて、彼が勇者として立った時。そのすさまじい気迫とカリスマに圧倒され、押し流された。
ただ、意地だけで自分も勇者になると叫び、それからの試練に耐えた。
だが、ガライの墓……瓜生の故郷を模したような幻夢で生きた。優秀な成績を収め、政府機関でも出世して有能な対テロ捜査官として、ウォーターボーディングという名の拷問を繰り返した。ロトの掟に縛られた、サデルとしての人生は夢だと思ったまま。
目が覚めて、別の人生ではロトの掟を守り自殺したアロンドにあらためて圧倒された。
憎いほどにうらやましかった。まぶしかった。人間じゃない、そう叫びたいほどに恐れた。
だがそれも、ひたすら続く戦いに紛れ、自分の感情と直面することもなかった。悪夢を見る暇もないほどだった。
そしてアロンドが竜王を倒した時の体が飛んでいきそうな高揚感と、(なぜ、そこで牙を掲げているのがわたしではないんだろう)という強い思い。
それから、アロンドはローラ姫と結婚し、瓜生を連れてきて、〈ロトの民〉と再び連絡し統合、そして国の建設に向けて容赦なく歩き始めた。
誰にも彼を止められなかった。
ロト一族の変化に、長老たちはみな怯えていたし、その恐れはサデルにも伝わっていた。ひたすら隠れる民から、隠れながらも外の世界の人々と仕事をする経験を積む。〈ロトの子孫〉と〈ロトの民〉を多くの事業で、そして学校制度の改革を通じて統合し、ついに禁断大陸を解放して入植……
さらに、瓜生が次々と出してくる近代機械。その一つ一つが、社会を変える力がある。
変化についていくだけで精いっぱいだった。
ジジやゴッサ、ロムルやハーゴンなど、次々と出てくる新しい人材と交渉し、〈ロトの子孫〉の誇りを守るため、ロト一族のためにと必死で働いた。
そしてついに、戦争で勇者の立場を……だが、その戦争自体が、ハーゴンをだまし邪神の徒を引きずり出すための茶番でしかなかった……
何より、竜王を倒し、また瓜生と共に二度目のガライの墓の試練をきわめ、さらに満月の塔で修行したアロンドの、すさまじいカリスマと強さ。それは神そのものに他ならなかった。
見れば見るほど、知れば知るほど、その強さもカリスマも、政治力も人間とは桁が違いすぎる。
そんな、あこがれを通り越し、憎み恐れる存在が、自分に剣を向けている。
昔、アレフガルドで竜王軍の魔物たちと戦っていた時のように冷徹な殺気を噴き出して。
サデルは剣を構えたが、恐怖と、直視してしまった激しい憎悪に、手と足が震え剣尖は振り子のように揺れている。
「身の程知らずが」
普段のアロンドとは全く違う、傲慢な口調で、まるでなぶるように手を、足を切り刻んでいく。そして顔を。胸を。
激しい苦痛と、憎悪と恐怖に絶叫し、技も忘れて体ごと突き刺す……貫いて、顔がくっつきそうにせまる。
その顔は、自分自身の憎悪と傲慢に歪んだ表情だった。アメリカの某対テロ組織で、まさにその表情で出世していた。
絶叫し、心が折れた……その瞬間、サデルはなぜか冷静に剣をおさめ、複雑な呪文を唱え始めた。ザメハとシャナクの応用。
呪文を唱え終わると、目の前の影は、鏡のような石の塊でしかなかった。
「ジジさまの魔法、ね。事前に、心が壊れたら決められた通りの動きをするように、ってかけてくれてた」
今になって魔法を使えば、ジジの魔法ははっきりわかる。
「そんな、そんなに弱かったんだ」
底なしの闇の中、自分だけと向き合う。
「〈ロトの子孫〉という、傲慢な誇りだけ、弱い。アロンドのことも、自分のことも、誰のこともちゃんと見てなかった。偽りの自分だけだった」
激しく泣きじゃくり、身もだえする。
十分に泣いたとき、自分自身が何度も言った言葉を思い出す。
自分以外にも、〈ロトの子孫〉の傲慢な誇りだけしかない、特にロトの掟を破って心がくじけた者は多くいた。彼らを励ましてきた。
「笑えるわよね、同じなのに」
ジジ、それにリレムやラファエラたちと塔を登ったことを思い出す。特訓で心がくじけた子供たちを励まし導いた、つもりだった。
ジニがハーゴンにさらわれた事件のケアにもかかわった。年端もいかない子供たちが自分の弱さを認めて、それでも戦い抜いた。
特にケエラは、当時は意識していなかったが、自分の鏡のようだった。ケエラも勇者ロト直系で、人一倍その血を誇っていた。
彼女は静かに呼吸を鎮め、瞑想した。訓練通りに体を動かす。
「弱い、でも戦える、一人じゃないから。そう、ローレルさまを探さなければ」
ローレルは、あくまで幼稚園児でしかない。ただ、すさまじい力があるだけで。
ただ遊ぶだけで、膨大な破壊力があるだけだ。
突然攻撃してきた何かに、ローレルは激しく恐怖していた。何をそんなに恐れているか、自分でもわかっていない。
泣き叫びながら、いつもやっている練習通り鞄から五寸釘を抜き、突き出す。
巨大な閃光が吹き荒れ、襲ってきた人影が消え失せ……同じ威力が、自分に返ってこようとした。
それをロトの盾とロトの鎧が受け止め、ローレルのすさまじい肉体的な力がダメージを軽減する。
だが痛みはあり、それが激しい感情になって、泣き叫びながら虚空に拳を叩きこむ。五寸釘を抜き魔力を通わせることもせず。
そんなことをしていたら、力が暴走するのは当然のこと。
巨大すぎる力が、さしも頑強な神の鎧と盾すらも通して、幼い肉体を破壊しようとしたとき。
瓜生とサデルの魔力をジニが編んだ、強力な精神支配呪文がその心をとらえ、父母の胸に抱かれているような安心感をもたらし……強すぎる幼子はただ泣きじゃくりながら、サデルの胸で寝入ってしまった。
アロンドの前の、霧が集った人影が、空に浮かぶ三つの月の一つに手を激しく伸ばした。
その肘から先がない。そして、長く黒い霧が天に一瞬で伸びあがる。
アロンドたちが生まれた〈下の世界〉にも、瓜生の故郷と同様に大型の衛星がある。
(この空には三つも衛星があるんだな)と、初めて気がついた。
同時に、なぜかハーゴンの声で、(ウリエルの故郷の、火星程度の大きさ。地球と月より離れている)と、アロンドとアダンの心にささやきかける。
その、天に輝く円盤が黒く覆われると、トマトでも握るように潰された。いくつかの破片が高熱に輝きながら飛び散り、黒い闇がそのあとにたゆたう。
そのまま人影が開いた、黒い虚空が開いた口に黒い霧が吞みこまれる。
「ほう」
アロンドは、静かに笑った。
人影は、今星を砕いた手を、瞬間移動としか言いようがない速度で接近し、叩きつけてくる。
アロンドがいつの間にかかわすと、見える大地の四分の一ほどが黒い霧に包まれ、握りつぶされた。
その、穴とも何とも言いようがない……明らかに地平線の形が大きく変わり、底なしの穴になっている、その光景にアダンはただ驚嘆していた。
アロンドは驚いてもいない。ただ、剣も構えず自然体に、だらりとしている。
ふわり、とぎりぎりでよける。むしろゆっくりした、美しい動きで。
そうしているなか、アロンドとは別に影が、やわやわと形になっていく。
それは、アダンの巨体にも似ていた、だが顔はアロンドのようだった。
「お、おれか」
剣から人間の姿になったアダンが、すさまじい速度で襲う人の姿をした影に応戦しようとしたが、呪いで硬直する。
動けないまま、アダンは見ていた。
それは、アダン自身の影だった。その殺気と生命力が、何万倍にもなって襲ってくる。
(こいつは強ぇ)
そう、はっきり感じる。
(底の知れないアロンドとは、違う)
「アダン、応戦しろ」アロンドの言葉に、アダンの硬直が解ける。
絶叫して、アダンは自身の影と激しく戦い始めた。
「てめえも、破壊の剣か」
「そいつはハーゴンが、破壊の剣とキラーマジンガを融合させて霧の力を加えたようだな」
アロンドが言い添える。
「なら相手にとって不足はねえ!」
と、アダンが絶叫する。
アロンド自身は、むしろゆっくりと影の攻撃をかわし続けている。
(やっと、話せるな。とんでもない邪悪?)
(鏡のような存在でもある。こちらから殺気を出して攻撃したら、悪意を学び、もっと激しい悪になっているだろう)
(こちらから殺気を出さなければ、戦いにはならない)
(戦いに来たんじゃない、目的を間違えるな)