身分を隠して、久々に訪れたメルキド。
数月ぶりだが、ずいぶんと復興していた。少なくとも町の周りにいた難民たちはいない。街もずいぶんときれいになっていた。
さっそく、植物繊維製品を商うイゴメスの邸宅を訪れた。
イゴメス家とは既知の大灯台の島の老人も連れ、たっぷりと商品サンプルも持っている。
実は〈ロトの民〉が増えて大灯台を開拓して以来、染色しやすく丈夫な、竹に似た植物の繊維がアレフガルドでは珍重されるが、竜王騒動で輸入が絶えていた。
また、ドラゴンの角と呼ばれる古き塔で得られる雨露の糸も珍重されるが、それを用いて強力な防具、水の羽衣を織ることのできる職人は、アレフガルドでは絶えており、輸出先とも連絡がついていない。
「ふむ、確かに竜王が出る以前に買っていたのと、同じだな」
かなり太った商人だ。目が落ち窪み、顔色が悪い。
ガブリエルやローラは、一応会ったことはある。
「よかろう。また買ってやる」と、偉そうに言ってはいるが、実際にはこの商会はそれほど重要ではない。
竜王が出る前のメルキドの北方では、広く遊牧が行われており、その良質の皮革・毛糸が多く売られていた。
大灯台島の竹綿の大半はムーンブルクとルプガナに送られ、ムーンペタやルプガナで加工されてガライから輸入される量のほうが多い。
「ありがとうございます。さて、一つお願いしたいことがあります」
やや奥にいたアロンドが、フードを取る。
「わが先祖が、〈上の世界〉よりもたらした山彦の笛という神器が、この家に伝えられていると聞きました。できましたら、ひとときお貸し願えますか?あれの、本当の力は勇者ロトの血を引くものにしか出せぬはずです」
静かな、誠実な微笑と強烈な目。
イゴメスは脂汗を流しながら、必死で首を振った。
「だ、だれにであろうと、たとえ竜王を倒した勇者であっても、わが宝は決して貸さん。あれはわしのもんじゃ!」
「とても重要なことです。お貸しくださいませんか。金銀でできるお礼ならば、いかほどでも」
アロンドの声は平静を保っている。
イゴメスはぶるっと震え、おびえを大声にした。
「出て行け!誰にも貸さん。どれほどの金銀を積まれても、決して渡さん、わしのじゃ」
いつの間にか入ってきたジジが、アロンドの袖を軽く引いた。もう出よう、ということだ。
廊下に出て、そっとジジが話しかける。「盗まれてる。使用人に聞いたわ、二年前、竜王配下の盗賊に一番貴重なコレクションを盗まれた、って」
「それにしても、わたしたちがよそに売る、といえば」〈ロトの民〉の老人がいうが、アロンドは首を振った。
「脅しはしたくない。力に溺れたら、回復するのは難しいからな」
そういって、屋敷を出る。
「さて」ため息をつくアロンド。
そこに合流した、赤子を抱えたローラとリレム、そして瓜生。
リレムは瓜生やジジに、他の子とは明らかに違うさまざまなことを習ったり、またローラの子育てを手伝ったりととても忙しい。
瓜生は時に竜の子を追ってあちこちの海を旅したり、一日に三時間ほどは客船で〈ロトの子孫〉〈ロトの民〉の子供たちを教育したり、また〈ロトの民〉の、その高い水準でも治せない患者の治療もしている。
教育はアムラエルも全面的に協力している。彼女は子供たちにとても慕われ、強い権威もある。
彼はルーラを無制限に使える魔法の剣を持っているので、世界のあちこちを一日中飛びまわっていられる。
「え、盗まれてた?」ジジから聞いてため息をつく。「少なくとも、おれとジジはあの音色は覚えてる」
ジジがうなずく。
「あの頃は男装だったミカエラが、あちこちで変な笛を吹いてたっけ。下手だ、って思ってたけど、何か探してたのね」
「オーブだった」
「しかし、竜王が盗んでいたとは……竜王の城ではそんなものは見つけなかったぞ」アロンドが首をひねる。
「魔物だからって竜王とは限らないでしょ。魔物に化ければ、何をしても竜王のせいにできる」ジジが馬鹿にしたような声でいう。
「その手を使ってたってわけか」瓜生の一言に、蹴りが返ってくる。
「となると、どこにあるかは、ウリエルとジジがあちこちで耳を澄ますしかないのか」とアロンドが言うが、
「盗んだ者が使い方を知っているとは限りません。何のために盗んだのかもわかりません」という瓜生の一言にため息をついた。
「困ったな」と軽く空を見上げ、なんとなく町外れの、正規の予言所とは違う、崩れかけた占い小屋に入った。
難民たちは、主に瓜生に農具を与えられあちこちの滅ぼされた村を耕しに出たが、中には街に残っている人もおり、やや貧しい人々の町ができつつある。
小屋に入った瞬間、アロンドの背が固まる。
平然と迎えていたはずの占い師が、ベールをはねのけた。
「ハーゴン!」
「ロン!」
叫び声が上がる。
皆がのぞくと、どこかから盗んだようなちぐはぐなマントを払い落とした男が、アロンドと抱き合って泣き崩れていた。
「そ、その方は?」
ローラが聞く。
「ハーゴン。私が両親を失い、ラダトームにいたときに世話になった」アロンドが泣いている。
「メタト、アロンドさまがわたくしどもを率いて、どれほど助けてくださったか」男の泣き笑いに、ジジが顔をしかめた。
「率いてたのはイシュトだよ!」アロンドが明るく泣き笑う。
瓜生たちは、ハーゴンという男を見ていた。(邪神教団のマーク)二人同時に、因縁浅からぬ目元の刺青に気がつく。
ジジがはっとする、瓜生がジジと、ハーゴンの目元を見比べる。
「同じか?幻覚などの魔法の、生来の天才」と、瓜生。ジジがうなずいた。
ジジと同じ、崩れた感じの泣き黒子。髪の色は違うが、二人とも明らかに生来の色ではない。
奇妙なほど背が小さく痩せているため、子供の印象もあるが手は長い。顔は肌の若さに似合わず老いて、醜いと言っていいが、おそろしく目立たない男だ。
薄汚れてはいるが、靴には金がかかっている。
「竜王を倒されたと、おめでとうございます。こちらにいらしたお祭りのとき、遠くから拝見しましたよ」と、ハーゴン。
「ありがとう。あれから、どうしていたのだ?」
「散り散りであちこちに預けられました。いい里親でしたが、竜王が倒される直前に殺されたので、メルキドに入れない人々に混じって暮らしていたのですよ。他の、ゴーラの仲間のことはわかりません」と、涙ぐむ。
「調べとく。彼らの面倒を見たのは誰?」と、ジジがサデルに言って、名前を聞くと消えた。
「そうそう、こちらにいらしたのは、何かお困りごとでも?」ハーゴンの問いに、
「山彦の笛という品を探しているのだ。ここのイゴメスが手にしていたようだが、盗まれたそうでね」と素直に応えた。
「勇者アロンドが探していた、という噂は聞いていました。悪しきものなら血眼になるでしょうよ」ハーゴンはケケケ、と少し不気味な笑いを浮かべる。
「何か、知らないか?」アロンドの言葉に、ハーゴンはまた笑みを浮かべた。
「イゴメスは先代から、ライバルを完全に潰してしまう商売で評判が悪かったのですよ。彼を恨んでいる者は多いですね。先代は商人として優秀でしたが、当代はそれも下手で、かなりまずいことになっているようです。もしかしたら、盗まれたと言いふらして実は売ってたりするかもしれませんよ」
「それはありえますね」と、サデル。
「まあ、ガブリエルと相談してみる。ハーゴン」アロンドが、一瞬追憶と痛みに震える表情を押し殺し、「こちらに人生があるのでなければ、来てくれるか?」
「このようなところに人生など。いつでも、わがすべてはあなたのものですよ」ハーゴンが過剰なほど平たくひざまずいた。
「あのときは、黙って消えてしまってすまなかった。ゴーラの孤児たちを、見捨てることになってしまった」
アロンドが頭を下げる。
「わたしたちが、アロンドさまを探し当てて迎えたのです。勇者ロトの子孫、竜王を討つべき勇者を。あなたがたも手当てをして、里親を探したはずです」
サデルがアロンドに強く言う。
「いや、ずいぶんな親切でしたよ!第二の故郷とも言うべきラダトームの周りから引き離して」ハーゴンの目がゆがみ、一瞬激しい憎悪が沸き立つ。
「〈ロトの子孫〉を恨むのであれば、私を殴って晴らしていい」とアロンドがサデルをかばい、頬を向ける。ハーゴンは笑って、ますます低くひざまずいた。
「では、来てくれ」
見回すだけで、その小屋に財産といえるものがないことはわかる。
ハーゴンは腐りかけた板切れの上の、水晶のかけらや金属製の札、欠けた香炉など怪しい品々を木箱に入れ、椅子代わりにしていた布袋を担いだ。それで空気が揺れる、貧民街を満たす、もう鼻が慣れて感じないほどの悪臭だ。
袋を担いだまま、ハーゴンはアロンドに従いルーラでガライに飛んだ。
「山彦の笛が盗まれていた、と」久々に会ったガブリエルが、帳簿を示しつつアロンドの話を聞く。
ルプガナだけでなく、ベラヌールやムーンブルクとも貿易ができるようになり、商会は本当はますます巨大な富を得ている。
「貴重な盗品を、最悪海外と交易する市場は……まだ、断たれた情報網は回復できていません」ガブリエルが苦慮する。
「〈ロトの民〉たちも、元々閉じこもりわれらを通じてわずかに交易をするだけの人々ですし」
そして、部下を呼んだガブリエルが、メルキドのイゴメスについて聞く。
「確かに、当代になってよりやや衰え気味です。ですがそれも、竜王の攻撃もありますし、まだ商人として評価するほどの情報はありませんよ。まあ評判が悪いのは前の代からですが、それもわざと作った評判だと言う声もあります」
「ふむ。たいした男ではない、か。では、どこにそれがあるのか、じゃな。なんとか情報を収集しておこうか」
ガブリエルの屋敷で、一年近くぶりに入浴したハーゴンがアロンドに礼を言う。
「まったく、あのころもあなたやリールには、清潔にするよううるさく言われましたっけね」
「だが、商売にも清潔が必要だし、それに」
「不潔は伝染病の元だ、ですね。何度も何度も言われましたよ」と、ハーゴンが笑った。
「彼はそれほど不潔ではない」ゴッサが珍しく口を開く。
「あ、その、時に商売のために清潔にすることもありましたし、いろいろと」ハーゴンの目が一瞬鋭くなり、そしてまた媚び笑ういつもの目に戻る。
「隠してるんだな、いろいろな商売のため、あちこちにいろいろな商売用具を。好きにしなよ、ゴーラのみんながご飯を食べられればいいさ」と、アロンドが闊達に笑う。
かつての、もう一つの自分を思い出させるやり取りに、とても嬉しそうだ。
そのまま、ガライの町に、清潔だが派手ではない服装で出る。
アロンドやローラの顔を知っている人もいるし、服装が違うとわからない人もいるが、どちらも二人が通ると明るくなるし、ローラの腕の赤子を見ても微笑む。
みるみるうちに、日常が取り戻されているのがわかる。
そんな中、一人の酔漢がアロンドにぶつかり、「なにするんだばっきゃろう」とにらみつけて去った。
その直後、人ごみにまぎれた小さい子供の後を、ジジが追う。
「ジジ?」アロンドが声をかけようとするのを、ハーゴンがとめた。
「掏りです。ジジ様は、泳がせて追っているようですね。お、姿を消して、変えて。なんという腕だ」
「おまえも、よくわかるな」アロンドが何食わぬ表情に戻り、つぶやいた。
さまざまな悪を教えてくれた、大切な孤児仲間に。
その夜、ジジと瓜生がアロンドを訪れた。
そこにはハーゴンもおり、小さい体に似合わぬ食欲で、初めてであろう高級なごちそうを食べていた。
「ここの盗賊は、それほどは組織されてない。思ったよりひどく、なんというか泥が掘り返されてんの」
「さすがはデルコンダルの魔女、ジャハレイ・ジュエロメルさま。そうなのですよ。竜王は、まともな人も犯罪者も平等に襲いましたからね」
「何であたしの名を知ってるの?紹介したっけ?」ジジが鋭くハーゴンをにらむ。「それにその、目の刺青。邪神教団よね」
座の空気が、一気に凍る。ハーゴンは悪びれもせず、
「ごく小さいころの話ですよ。大陸で、親もない孤児が妙な教団に拾われ、体のいい奴隷として雑用をしつつアレフガルドまでつれてこられた。
そこでわたくしをつれてきた宣教師も魔物に殺され、その後はできることは何でもし、泥をすすって生き延び、そしてロトの皆さんのお情けでやっと暖かな家庭を得たのが、それがまた魔物に殺されて。
それからなんとかいんちき占いなどで糊口をしのいできた、それだけです。宗教なんぞにつきあう余裕は、これっぽっちもありませんでした」
鼻を悲しげにすする音、女たちには同情の涙を流す者もいる。ジジも、丁寧にそれにあわせていた。
「人を生贄にすることだけは許さん」アロンドが、一瞬凄まじい迫力を見せ、ハーゴンが飛び上がった。「それ以外は、信仰を裁くことはしない。どれほど危険かは知っている」と、また柔和な微笑に戻る。
「なんとお心の広いことでしょうね」と、ハーゴンがつっぷした。
「それより、山彦の笛ね」ジジが話題を変えた。
「音色は聞こえました、ラダトームで」瓜生が笑って言った。その爆弾発言に、皆が驚く。「ツッセエでしたっけ、かなり大きな貴族の屋敷から」
「あ、あの」リレムとローラが顔をしかめる。
「勢力はありますが、とても評判が悪いのです。あれほどおそろしい噂が絶えない家もないです」リレムが嫌悪に震える。
ローラがうなずき、ぎゅっと赤子を抱きしめた。
「なら」とハーゴンが微笑し、ジジと何か小声で話し、軽くうなずき合う。
それから、ラダトームに一行は向かい、ローラは初孫を父王に見せて宮廷の話題となった。
アロンドは相変わらずの明るさで、貴婦人たちや若い武人にちやほやされ、いるだけで宮廷を明るく盛り上げている。
また、大灯台の島から、そして実は瓜生が出したいくつかの珍しい布や食物、強い蒸留酒などの土産が大評判を生む。
そしてジジやアダン、サデルも含め、美しい人々も評判となり、どこの出身なのか言われて、適当にごまかしている。いや、ジジなどは正直に「アッサラーム」というだけで、絶妙な韜晦になってしまう。
早くもアロンドが、どこかで国を作ったらしいと噂にもなっている。
女官たちも、久々に僚友たちや家族と会い、嬉しげに旧交を温めていた。
瓜生はかつて診察した患者の追加健診、さらに経済情勢の調査、〈ロトの子孫〉の開拓組への物資援助など陰に回って忙しく働いている。
そんな数日後の夜。一人の上級貴族が、大通りに数人の護衛とともに出て、奇妙な儀式を始めた。
大きな家畜を殺して心臓を取り出し、その血を、大切に取り出した笛に塗って、そのまま吹き始めた。
その音色は街にこだまし、どんどん大きく山彦を返していく。
だがその音色はいつしかオーボエのものになっていたことに、誰が気づくだろう。
瓜生と同じ世界の出身者にはわかるだろうか、だがそれは瓜生一人しかいない。
ガライの山奥の隠し砦にあり、ガライ一族が伝えてきた、昔勇者ロトが残したという「しーでぃー」にその音色の音楽はあるが、それらも風車も百年の年月に朽ち果てている。
その音に、驚き慌てながら満足した貴族は、その笛を大切に箱に収め、懐に入れて、時ならぬ奇妙ごとに怯え騒ぐ群衆の中を歩く。
護衛が厳重に固め、だれも指一本触れられるはずがない。
捨てられた家畜の死体は、そのまま貧しい人たちが奪い合っている。
帰ってから、笛を取り出してまた吹いてみた貴族は、出かける前と変わらない、何か抜けたような音色に、首をひねりまた満足していた。
「手に入れたわよ」アロンドの部屋で、ジジが微笑み懐から笛の入った箱を取り出す。
リレムが水桶に入れ、それから蒸留酒でよく洗う。
「腕は落ちていなかったようだな」瓜生が笑った。
「あたりまえじゃない。ちゃんと、あんたが用意したニセモノとすりかえた」ジジがくすくす笑う。
「ちゃんと、彼が吹いてみたときの音色と外見を盗撮盗聴、それに合わせたレプリカです。音色も、オリジナルの構造も見た目もよく知ってますしね。おっと」と、瓜生が消える。
そこにハーゴンがやってきた。「うまくいきましたね」と、笑う。
「見事な噂操作だったわね」ジジが笑いかける。
「特に、井戸に使用人が集まって話しますからね。そこに噂を流せば、すぐに上に行きます。ツッセエ家おかかえ魔術師の下働きに、儀式についての噂を流してやれば、簡単でした」ケッケッケ、とハーゴンが笑い続ける。
早速その場、ラダトームでアロンドが吹いてみたが、こだまは返ってこなかった。
「やれやれ。街やほこら、塔や洞窟を回るんだったな」