まず女たちはラダトームで休ませたまま、一行は岩山の洞窟へ向かう。
瓜生は車は出さなかった。目撃される危険が大きい。
ラダトームから豊かな耕地を縫い、森の一時は竜王の跳梁で廃れたがまた切り開かれた道を走る。わだちの跡も新しく、沿道の木々は切り口も新しく匂うものも多い。また荒れ果てた山に、〈ロトの子孫〉がいくつもの木々の苗を植えたのも見える。
乗馬に優れる〈ロトの民〉たちが、多くの替え馬ごと巨大な竜馬を駆り、アロンドたちもなんとか乗って従う。馬が疲れれば人は乗り換えて駆ける。歩けば二月はかかる道を、半月もかからずに駆け抜けた。
瓜生やジジは姿を消していることが多いが、アロンドたちが着いたら大抵先にいる。二人とも、この〈下の世界〉のほぼあらゆる場所にルーラでいけるのだ。
サラカエルをはじめ〈ロトの子孫〉が主導して、滅ぼされた村を開墾しているところも多いが、顔を知られているアロンドも、習俗の違う〈ロトの民〉もいるので、遠慮して時には山間の廃屋、時には森にテントを張って過ごした。
アロンドは、迷いもなく山奥の泉や食べられる果樹を見つけ出す。
「このあたりは覚えがあるんだ。ドムドーラから逃げて、連れが全滅してから一人で魔物と戦いつつラダトームまで旅したから」
「いくつだったんだ?」アダンが聞いた。
「十歳かそこらだったな」
皆が呆然とする。常のときではない、魔物が多数出る森を、一人で……
「魔物が出ない、というのはありがたいな」
と、アロンドは笑おうとして、鞍ずれに顔をしかめた。
つい百年前までは深い湾だった塩湖、そして隆起して間もなく高木のない森と野原を過ぎ、崩れかけた橋を越えて、かつては鉱山町だった毒の沼地に着く。
そこでアロンドは迷わず一つの岩を見つけて止まり、見回していた。
「あれから一度来たことがあったが」それだけ言って、その岩の周囲に花を、丁寧に数えながら放った。
そこには、木は朽ち錆びてはいるがまだ土に還っていない、武器が散乱していた。
「ここで、連れが全滅したんだ」
それだけ言って、もう竜馬を駆けさせる。馬には馴れていなかったアロンドだが、鞍ずれをおくびにも出さず、今は笑顔で一日中駆け続けられるようになっていた。
その近くに、巨大な洞窟の入り口がある。はるか昔、ゾーマ以前には鉱山だったとも言われるし、それ以前の天然洞窟も多くある。
「呪われたものがちょっとあっただけで、何もなかったな」とアロンドは言うと、一歩入ってから山彦の笛を吹いた。
音は、一度だけ鳴って、響き一つなく消えた。
やれやれ、と肩をすくめる。
「でもちょっと、取りに行きたいものがあるんです」いつの間にか加わっていた瓜生が、アロンドを誘う。
そして、瓜生はアロンドたちに、新しい魔法の使い方を教えた。
「なるほど、これならレミーラで魔力を消耗しなくても、洞窟の広い範囲を照らせるのだな」
瓜生がいなかった年月に、アレフガルドの魔法文化がどれほど衰えたか。いや、ミカエラたち〈上の世界〉のほうが、人間の魔法ははるかに進んでいたのだ。
アロンドがついていくと、瓜生は奥深くの宝箱に触れた。ふたは空いている。
「開けたことがあるぞ。金しかなかったと思う」
「前に、おれが入れたんですよ」と言うと、蓋の裏の薄い金属をはがし、複雑な文様が刻まれた、葉書大の石板を取り出してアロンドに渡した。
「次は勇者の洞窟に行きましょう」と、リレミトで地上に戻り、ルーラでラダトームに戻った。
一日だけローラたちと休み、そして北に竜馬を走らせる。瓜生の指示通り多くの、大灯台の島を覚えさせたルーラを使える〈ロトの子孫〉や〈ロトの民〉を連れて。
周囲は草原だが、その洞窟の近くは草一つない不自然な砂漠が広がっている。
かつて大魔王ゾーマが出でた、魔王の爪痕と呼ばれる底なしの洞窟。
そして勇者ロトがゾーマを倒した折も、魔の島からは遠いその洞窟から這い出たという。
アレフガルドの民のあいだでは聖地とされ、うかつに立ち入る者はいない。反面、〈ロトの子孫〉や〈ロトの民〉にとっては重要な集合場所でもある。
清められ魔物の出ない洞窟に入り、山彦の笛を吹く。こだまは返らない。
来ていた瓜生が、アロンドたちを、地下二階の、ここの目的である勇者の石碑とはまったくずれた隅にいざなう。
そこには、崩れた壁と空いた宝箱があった。
「ここに、人工の壁の裏に宝箱があった」アロンドが自慢げに言う。
「ああ、おれが作ったダミーです」瓜生の言葉に、アロンドが驚く。「この奥です」
と、その岩に隠れていた宝部屋の、さらに壁に向けて、瓜生は切れぬものなき両手剣を何度も振るっては爆薬を仕掛け、岩や、明らかにセメントである石屑を除いていく。
「隠し部屋か?魔法で調べたはずだぞ」
「魔法探知を妨害していたんですよ」と、瓜生は崩れた壁から紋様を刻み描いたガラス片を取り出し、砕いた。
その時、掘っている壁がおそろしく冷たくなる。
「な」
そのまま、瓜生は剣で岩を豆腐のように切り裂き、取り除いていく。
「魔法に協力してください」と、サデルはじめ、〈ロトの子孫〉の優れた魔法使いに魔法を指示する。
フバーハの応用。超低温や超高温を、一時的に遮断する。
そして、最後に両手剣が岩のあいだを切り裂いたとき、洞窟の空気が一気に穴の向こうに吸い込まれ、強烈な冷気が噴き出して空気が濃霧に変わる。
床下まで切りこんだ切れ目の下から、水のような液がにじみ出る。
「触れるな!液化した空気だ!」
瓜生の警告に、皆が飛び離れる。
瓜生が繰り返しベギラゴンを唱えて周囲を加熱し、霧が晴れた。
そして岩壁を切り裂き、外したら、そこにはかなり広い部屋があった。
皆が呆然とする。極限の冷気、液化空気と真空に保存されたそこには、何十頭もの見慣れない動物の鉄像や、大きな金庫がいくつもあった。
部屋の中心に、冷たく輝く長剣。150cmはある蒼い刀身。純白のわからない素材から削りだした、華麗な文様が刻まれた護拳つき柄。
瓜生はその剣をアロンドに示した。
アロンドが近寄ったのは、複雑な魔法円の中心。
彼は静かに剣を引きぬき、その美しい刀身に魅せられた。
「吹雪の剣。ここを保存するため使いましたが、どうぞお使いください。道具として向けても強力な冷気呪文を放ちます。でもそれは、単に保存のため。昔、この世界を去る前に、ここに置いたのです。〈上の世界〉から集めて」
と言って、金庫に数字を入力して開け、緩衝材入りの木箱に中身を一つ一つ入れ、集まる人々に渡していく。
「あと、岩山の洞窟にあった石板を、これに合わせてください」と、ひときわ大きなカバに似た動物の鉄像に張られた、割れた石板を指し示す。
瓜生が、そしてアロンドが持っていた、勇者ロトゆかりを〈ロトの民〉に示した陶器の割符、それに近いものだ。
「魔力を最大限に集中して。勇者ロト、ミカエラのかけた呪です」
瓜生の言葉に、アロンドは新しい愛剣の柄に手をかけ、すべての魔力を振り絞る。
全身から、無数の稲妻が沸き立つほどの魔力。
そして、アロンドは割れた石板を、百数十年ぶりに片割れにはめた。
その瞬間、鉄の像に強力な魔力が集中する。
閃光の嵐。気がついたときには、数頭ずつの何十種類もの動物が、闇と狭さに惑っていた。
「こ、これは?」アロンドの問いに瓜生が笑う。
「百何十年前。あなたの先祖であるミカエルをガブリエラたち、〈ロトの子孫〉の祖たちに預け、この世界を去る、そのついでに置いたのです。〈上の世界〉の、家畜や作物、薬草の種や苗です」
(わかってくれ。これがどれほどの価値を持つか!)
「あなたがこれほどのことをするんだ。それはとてつもなく大切なことなのだな」
アロンドが、瓜生を見つめる。瓜生はうなずいた。
「しばらくは、〈ロトの民〉の間で、できるかぎりふやしましょう。そして」
そう。紋章を集め、大陸を手に入れたら。
「優れた家畜と作物、多くの人を養うことができるのだな」
瓜生が強くうなずいた。
「よし!では、大切に運び出し、大灯台の島へルーラで!」
アロンドの号令に、偉大な魔法に呆然としていた〈ロトの子孫〉たちが沸き立つように忙しく働く。
暴れる家畜たち。大型で嘴の大きな飛べない鳥。砂漠を歩く鼻の長い役畜。大きなリクガメ。その他、とても多くの家畜がいた。
アロンドたちがあちこちで笛を吹くために竜馬で駆け回っている間も、瓜生やジジ、そしてアムラエルたちは〈ロトの子孫〉や〈ロトの民〉の、頭のいい子供たちを座礁した船に集め、教育していた。
〈ロトの子孫〉は子供たちを全員厳しく教育する。魔法は素質があればルーラやベギラマ、ベホイミやザオラルぐらいまでは使えるように。日本語とアレフガルド語双方の読み書き、そろばんどころか三角関数の微積分や級数計算ができるように。人体解剖を見学し、人が産まれること、必要な栄養や清潔を理解するように。肥料について理解するように。
瓜生が故郷から出して残した本も多数読み継がれ、訳され書き写され、かなりの近代知識も知っている教師が子を教えている。
〈ロトの民〉は騎馬戦闘と水田をきちんとできるように、というのが優先されるが、それでも清潔にし、優れた知性を見出して医学を学び継げるよう、世界の標準に比べればずっと教育熱心といえる。
特に試行錯誤がさかんで、武器や繊維を中心に多くのものを作り、鎖国してはいるがルーラで出自を隠してさまざまな交易もしている。
その水準の高さに、どのように加えるか考えながら、瓜生は多くの子供たちにいろいろと教え始めた。
彼らが学んできた、素晴らしい教育や医学を否定しないように。
無理に近代を押しつけて心を壊し、社会を破壊しないように。
故郷で、あちこちの難民キャンプで無残な失敗を多く見ている瓜生には、とても切実な問題だった。
その点、アムラエルの存在がとてもありがたい。彼女の教育者として、また子供たちをまとめる存在としての力は素晴らしかった。
ジジは、多くの人に対する教育にほとんど興味を見せなかった。彼女はリレムをはじめ、何人かの、天才レベルの知性の持ち主だけを選んで厳しく教育しているようだ。
「昔、あたしが失敗したのは弟子を育てなかったこと。ちゃんと弟子がいたら、あたしがいなくてもカンダタは暗殺されなかった」
そう言って、瓜生に大量の手品用具を出させ、何かいろいろと教えているらしい。
瓜生は共通の勉強もちゃんとやればいい、と干渉しなかった。
「あの時は、ロトゆかりの人を〈ロトの子孫〉〈ロトの民〉に分ける、必要があったことは誰もがよく学んでいるはずだ。〈ロトの民〉は病人たちで、人里から離れて療養させる必要があった。そして魔王が出たら他と分断されるアレフガルドに、勇者となれるミカエラの子孫を置いておく必要があった。病が癒え、ミカエルの多数の子が子を産んでも、その事情は変わらない。後のために大人口も必要だったが、アレフガルドに王家に従わない大人口がいれば追討されるリスクがあるため、独立して数を増やすため〈ロトの民〉を分けていた。
だが、今後心配なのは〈ロトの子孫〉と〈ロトの民〉が対立すること。人は「自分たち」と「やつら」を分けて争うのが大好きだからな。竜王が出るまでは交流があったそうだが、数年とはいえ分断された。……さらにアロンドさまが国を作ったとき、多数の移民を迎える可能性もあり、それもまた別の「やつら」になるだろう。
そうならないように、まず目的を意識してほしい。〈ロトの子孫〉も〈ロトの民〉も、人が悲惨に死なないために創られたものだ。ゾーマが予言した闇の跳梁に立ち向かうためだ」
そう、〈ロトの子孫〉の子と〈ロトの民〉の子が混じる、甲板の多数の子に言う。
後ろで話を聞いている大人たちも、半ば衝撃を受けたように、それでも納得している。
「まあ、精神的なことは大して重要じゃない。何より君たちには、優れた技術者になってもらう必要があるんだ。工業、鉱業、土木、農業、あらゆる分野の優れた技師に」
瓜生はそう言って、金属の板を全員に配った。
「この二枚の板を合わせてごらん」
年齢もバラバラの皆が、それをあわせて、吸いつく感覚に驚く。
「離れないよ!」叫ぶ子に、瓜生は微笑んだ。
「どちらも、きわめて高い精度で平面に削られ、磨き上げられた金属板だ。金属自体の質も高い。それを造れなければ、〈ロトの子孫〉が持っているAK-74を自分たちで作り出すことは、絶対にできない」
瓜生がそう言って笑う。
「一人一人、手で物を削り、それと数学の関係を常に理解して欲しい。野や森の生き物を知ってほしい。そして過ちを犯さないよう、歴史から人間とは何か学んで欲しい」
瓜生はそう言って、全員に、今度は普通の鉄板を配った。
「ムーンペタで買った鉄板だ。どれだけ鉄の質が、加工精度が違うか、自分たちで見てごらん。そしてどうすればあんな精度の高い平面を出せるか、自分たちで考えてみるんだ。
勇者ロトとは別の、ウリエルの故郷」瓜生は、自分が勇者ロトの仲間、ウリエルだとはわずかな人にしか明かしていない。大多数の人には、その技術を持つ、アロンドがたまたま出会った賢者、と皆が誤解するのに任せている。「そこでは人は魔法を使えず、魔物も出ない。そのかわり人の集団が、ある種の魔力に支配されることがあるだけだ。でもその人たちは工夫し、銃をはじめ優れたものを作り出し、医術を高め、物の理(ことわり)を深く理解することには長けている。魔法も学びつつ、その人たちと同じように、工夫して自分たちで学ぶんだ」
市販されていればあらゆる書物を手元に出せる瓜生も、「十七世紀水準で、子を技師に育てるための教科書とカリキュラム」を調べるのは簡単ではないし、あってもそんなに役には立たない。
(前にネクロゴンドで、ミカエラを無事出産させるため医師を育てたときと同様、そちらの優れた人たちと協力しながらとにかく試行錯誤するしかない)
アロンドたちが次に向かったマイラは、はずれ。足弱の女たちを温泉で休ませ、頑丈な人たちは雨のほこらに向かった。
かつて、ルビスが閉じこめられ光の鎧も隠されていた塔。ゾーマが倒されてから、ロトの子孫を隠し育てるためルビスの奇跡で岩の家々となり、後に大地震で陸続きになるとともに地底に埋まり、雨のほこらと呼ばれる小さな建物だけが残った。
そこは勇者ロトにまつわる聖地とされ、長老たちが管理している。
アロンドが懐かしげに振り返る。
「私が勇者と認められたのも、あそこで命じられた試練を経てだ。それから勇者の洞窟で、全員の前で儀式をやったっけ。それから、二年も経っていないんだな」
マイラからそちらに向かう、大きく山塊を迂回する道。その途中に、小さな集落があった。
水田ではない、〈ロトの子孫〉ではない。
その集落の横を、巨馬が通ろうとした時に好奇心旺盛な子供たちが馬蹄の前に飛び出した。
ゴッサの鋭い号令で、馬群がすべて、鮮やかに子供を飛び越えた。完全に群れを掌握している。
「だいじょうぶか?」
腰を抜かした子供に声をかけた。
「ありがとう、ゴッサ」アロンドの、むしろ冷静な非常の声。
そこに、集落から転がるように大人夫婦が飛び出し、子を抱きかかえた。
その若い夫婦がアロンドを見て、衝撃に顔を凍らせる。
アロンドも。
「ロムル!リール!それに、カフス!フェル!マルキリウ!アギェセ!」
叫びとともに馬を飛び降りたアロンドが、美しいとはいえないが長身で働き者らしく汚れた女を強く抱きしめ、集まってくる若者たちを次々と呼ぶ。
「ロン、いえ勇者アロンド様。な、なんて立派になって」
女が涙に暮れる。
男のほうは声も出ない。
「生きて、生きていてくれたのか。ハーゴンも生きていたんだ、私のところにいる」
それに、夫婦とも衝撃に顔を見合わせる。
「ほ、本当に、あなたが、あの、ローラ姫を助け竜王を倒した、勇者ロトの子孫……勇者アロンド」
男に、アロンドはにっこりと微笑んだ。
「ロン、でいいよ。生きていてくれてよかった」
「すまねえっ!オレが、コルを裏切らせて、あんたが大切にしてる棒を盗ませ、それであんな争いになって、衛兵に魔物に」
「何も言うな。すまないのは私だ」と、アロンドは背から、肌身離さぬ両親の形見であるAK-74を外した。そして一瞬泣き顔になり、そして笑顔で、ロムルに差し出す。
「やるよ。あげるべきだったんだ」
ロムルが、そしてサデルが衝撃に表情を凍らせる。
「アロンド!そ、銃は、〈ロトの子孫〉の秘密」サデルが叫んだ。
「それが、彼の妄執を招き……イシュトを、たくさんの仲間を死なせてしまった。彼を信じるべきだったんだ、敵だったとはいえ、何十人もの孤児をまとめ、生きさせてきた彼を。それに、弾薬がなければ使えないんだ。ただの棒でしかない」
アロンドの、痛恨の言葉。心打たれたロムルは、ひざまずいて号泣した。
「なんて、大きくなったのね」リールがアロンドの頭をなでる。それにもサデルやゴッサは驚いたが、アロンドは平気で身をゆだねていた。
「それにしても、この子たちは?」アロンドが、周囲に集まってきた二十人以上の子供たちや、何人もの、まだ子供から大人になりかけの人を見回す。
「わたしは、里子となるには年かさでしたので、ロムルと再会してから二人で働いていたのです。ゴーラやジェッツの孤児たちも、できるかぎりまとめながら」
「多くは死んだけど。あの時に死んだのも多いし、その後里親や仕事があっても逃げたっきりのやつもいるし、病気や魔物に……」
悲しげに、リールとロムルの、そして元孤児たちの表情がゆがむ。
「それで、このあたりにもいる孤児たちの面倒を、今度はできるだけ犯罪をしないように、みてたんだよ。あの、変な連中から最初の資金を借りて商売して」
ロムルが恥ずかしげに言う。
「なんという……」アロンドが心から頭を下げた。「竜王を倒すなどより、よっぽど素晴らしい行いだ」
「でも、ここにも多分いられない。このへんの、とっくに逃げたはずの領主が、この土地は自分たちのだから出て行け、とか。耕してきたのはわたしたちなのに」リールが悔しげにいう。
「町でやってる商売も、もうできないな。王許を、別のヤツが血筋とコネで奪いやがった」ロムルが苦しげに言って、子供たちを抱く。
「なら、私たちと来てくれ!衣食住に仕事、それに教育も与えられる」アロンドの言葉に、皆の表情がぱっと輝く。
「王国を探す、って言ってローラ姫様を連れて飛び出した、って吟遊詩人が言ってたけど……もう見つけたのか」
「それはまだだが、勇者ロトの子孫は小さいがちゃんとした国を持っていたんだよ」
「なら、どうかお願いします。この子たちだけでも」リールがひざまずく。
「水臭いよ、兄弟!それにその能力、これほど多くの孤児を育ててきた実力だけでも、大金を出してでも引き抜きたいほどだ」
アロンドが笑う。
何がなんだかわからないまま孤児たちや、そしてサデルやゴッサ、アダンも大喜びで笑い出した。
ロムル、リールや子供たちを大灯台の島に送り、もう一度向かった雨のほこら。老人たちが何人か隠れて暮らしていたが、その老人たちもアロンドの指示で、大灯台の島に行き子供たちを教え、また〈ロトの子孫〉が開墾している村におもむき知恵や魔力を貸すことにする。
山彦の笛にも、こだまは返ってこなかった。
瓜生たちの学校には子供たちだけではなく、大人の姿が混じることもある。
射撃場にもなる野原。
アロンドが、銃について教えてやってくれ、と連れてきた昔の孤児仲間、ロムルがAK-74を大切そうに、怯えるように触りながら、必死の目を瓜生に向けている。
「あ、その、ゴーラのロンじゃないアロンドさまに、これについて聞け、って言われて。これ、あのころロンじゃないアロンドさまが、とてもとても大切そうにしてて、それさえ手に入れたらすごく強くなれるんじゃないか、衛兵にいじめ殺されたり魔物に怯えたりしないで」
ぶつくさ、怯えたように言うのを全部言わせる。子供たちがひそひそ話していた。
目は必死だ。その目が子供たちに伝染し、空気が変わるのが嬉しく、瓜生は語り始めた。
「銃ってなんだ?」そう、唐突に聞く。
まず、〈ロトの子孫〉の子が手を挙げて、元気にいった。
「ウリエルがガブリエラに残した、故郷の武器です。強力なので、〈ロトの子孫〉以外には決して見せてはならない。銃口を自分を含め人に向けるな。撃つとき以外トリガーに触れるな。常に薬室に弾があるか注意し、弾がある状態で手放すな触れるな」
と、〈ロトの民〉たちが小さい頃から言い聞かされる、銃の扱いの原則を元気に叫ぶ。
「それは正しいが、質問の答えになっているか?」瓜生はわらって聞き続ける。
「ええと、銃口から弾が出て、狙っている向きに当たります」
「音と火も出ます!」大声で叫ぶ子もいる。
「それだけか?その、銃は何をするんだ?」瓜生の問いに、子供たちはざわざわと、てんでばらばらにしゃべり始める。
「五人ずつまとまって、しばらく話してみろ。それで、グループごとに言うんだ。一人でいたければ一人でもいい」瓜生の言葉に、子供たちが離れる。
ロムルは世話をしてきた孤児と、そして別のところで弾かれそうだった子を誘った。
しばらくして、思い思いに発表する。
「弾薬を入れて、発砲して、空薬莢を排出します」と一人の子がいった。
「その、発砲というのはなんだ?次」
「弾をまっすぐ飛ばすため、銃身が道になります」
「それ自体は正しい。他に?」
……と、思い思いに発表させてから、瓜生は全員にB6のコピー紙とごく小さな釘を配った。
「配った紙を少しちぎって、大きいほうを巻いて小さいほうを矢にして、それで吹き矢を作って吹いてみろ。人に銃口を向けるなよ」と瓜生が言うのに、遊びなれた子供たちが大喜びでやり、小さな木を的に狙う。
「さあ終わりだ。聞け!」瓜生が強力なフラッシュライトで全員を照らした。
「あちらを向け!」ロムルが厳しい声をかけると、子供たちは本能的に従う。
「銃は、その吹き矢と原理的に同じなんだ。弾薬を分解したことはあるか?」瓜生がロムルに会釈して言う。
「それは禁止されてます」一人の子が答える。
「やったことがある!変な粉と」
「だめだろ!」
「おかあさんが、ずっとまえにそれで大怪我したって」
「危険だし貴重だからな。だが、安全な方法を見つけ、やるべきだった」瓜生が言って、全員の間を回りながら弾薬を一つずつ弾倉から抜き、半分に切る。
「この金属塊、弾頭を飛ばす。弾頭も見ればわかるように、鉄と鉛でできてる。それは鉄の薬莢にはまっていて、その中には発射薬が詰まっている。この薬莢の底にある雷管の、起爆薬を打撃すると」
と、切った薬莢の底の、ごくわずかな薬を紙に出し、小さな金槌で叩くと小さな炸裂音がする。
「爆発し、発射薬を爆発させて大量の、高熱の気体にする。それがあらゆる方向を押し、唯一空いている銃口の方に弾頭が押し出される」
と、素早く紙を張った木板に木炭で板書する。
「銃本体がすることは、この撃針で雷管を叩く、それだけなんだ。答えは、本質的に銃ってのは、これさ」と、タガネと金槌で、小石を叩き砕いた。
「バネで引かれたハンマーが、トリガーによって解放され、撃針を叩く。確かめてみよう」と、全員に、5.45mm弾薬と合同に削った銅塊を配る。
「安全側に銃口を向けろ!これを装填し、弾倉はめ!的を狙え!安全装置セミオート、ボルトを引け!狙いを確認、トリガーを引いてみろ」
全員が大喜びでやる。〈ロトの子孫〉は慣れきった様子で、〈ロトの民〉やロムルはおっかなびっくり。
カチッ、と音だけする。銃声はない。
「弾倉外せ!ボルトを引け!」瓜生の指示に、〈ロトの子孫〉は訓練どおり、それ以外は〈ロトの子孫〉たちを見習いながら慌てつつそうして薬室を空にする。
馴れていない者が銃口を動かそうとするのを、〈ロトの子孫〉が厳しく咎めることもある。不発の時に慌てて銃口をのぞいて、遅発で頭をぶち抜く事故すらよくある。銃の安全な扱いは物心つく前から徹底的に仕込まれている。
弾薬の形をしただけの銅塊は、排莢口からこぼれ出る。不発と同じだ。
「確かめてみろ。底に、撃針に打たれた跡がある」瓜生の言ったとおり、銅塊の底に小さな傷があった。
「そう、雷管を叩く。それによって、それからのことはまたあとでだ」と、皆を見回して笑う。「簡単な銃を、自分たちで作ってみよう!」
瓜生の言葉に、全員が歓声を上げる。
瓜生は全員に、底をふさいだ、底近くに小さな穴の開いた太い金属管を配った。
「次には同じようなのを、木で作って持って来い。充分厚いのだぞ」瓜生の言葉に皆が喜ぶ。
「さて、じゃあ火薬を作ってみよう」と、瓜生が出したのは乳鉢と小さな臼、木炭・硫黄・硝石のそれぞれ固まり。そして鉛のインゴットと鍋。
「これはなんだと思う?食べるなよ」と、小さい子から渡し、回させる。
「炭だ!」「木の炭」「こないだ教わったよ!」と叫ぶ子にうなずく。「じゃあこれは?」
何人かが迷いながら見て、「硫黄」と言った子がいたのに瓜生が笑ってうなずいた。「じゃあこれは」
硝石を見たことのある子は誰もいなかった。
「これは硝石という、とても特殊な石だ。ルプガナ南の砂漠で少し見たことがある。もしかしたらどこかに大鉱山があるかもしれない、あったらものすごい価値を持つぞ。ちなみに、人工的に、貝殻と小便から作る方法もある。それは今度教えるよ」
「小便」の言葉に、子供たちがわあっと興奮する。
「注目!」瓜生は軽く叫ぶとその三つを臼で砕き、「全員、目をこれで覆って」と、木の板に切り込みを入れたものを配る。「この隙間から見るんだ。それでも本当は危険なんだけど」といいながら、自分は安全ゴーグルをかけて、乳鉢で慎重に混ぜる。
それを少しだけ金属板に落とし、金槌で叩くと爆発音がして、金属板が痛んでいる。
「これは、本質的に弾薬の発射薬と同様の、火薬だ。特に密閉され、圧力をかけた状態で火をつけると、きわめて強い燃え方をして大量の熱い気体を出す。それが吹き矢の息と同じように銃弾を押し、岩を砕くんだ」
全員が息を呑む。
「それを確かめてみよう」と、瓜生は二枚の丸い金属板に火薬をやや多めにはさみ、ゴム布袋……昔〈ロトの子孫〉にゴム技術を教え、テパ近くなどで秘密裏に天然ゴムを栽培、加工している……に入れて、袋の口を縛り空気の大方を抜いた。それで叩くと、袋が大きく膨らむ。破れたところから熱い煙が噴き出した。
「さてと」と、瓜生は小さな鉄鍋を火にかけ鉛を加熱した。そして柔らかい粘土と砂と水少々を木箱に入れて混ぜ、それに先端を丸くした棒を浅く突き刺して慎重に抜く。
厚い手袋をつけて鉄鍋を握り、溶けた鉛を穴に少しだけ流しいれる。
一人一人に、その作業を教える。何人かはやけどし、別の子がホイミで治すこともある。
一人の子が誤った場所に触れ、熱さに鍋を放り出したのを、瓜生がヒャダルコで瞬時に冷やしたが鍋が割れたことも一度あり、新しく鍋を出し加熱しなおす。
そして、最初の鉛が冷えたか、蝋の棒で触れて確かめて鉛を取り出し、周囲の砂や土を木の棒で落とす。
それから全員に注目させ、最初に用意した金属管の底に、乳鉢の火薬を少し入れた。そして棒で突き固め、柔らかく脂を含む布片に包んだ鉛玉を筒に入れて、棒で押しこむ。
その棒を片手で安全な的に向け、もう一方の手で燃える木片を小さな穴にあてがった瞬間、間違いなく銃声が響き、煙と火が吹いた。
的となった木の厚板には、鉛が深く刺さっている。
生徒たちの歓声が上がった。
「実際の銃と同様だ。大人の監視下でだけ遊ぶように!」厳しく命じて、一番後ろにいた子から順に、一発ずつ試させた。
最後にロムルが試し、顔を真っ黒にして泣き崩れていた。
ロムルの妻で、かつてアロンドが孤児時代になついていたリール、本名レグラントはとても有能な料理人で、多くの子供たちや病人の面倒を見るのがとてもうまい。
瓜生は彼女に何人か選ばせ、船の厨房の使い方を教えて、いろいろ学ぶ人々や入院中の病人に食事を出し、また洗濯や衣類の繕いなどの仕事を任せた。
無論、蛇口をひねれば湯が出、ノブをひねれば火が出るシステムどころか薄く軽い鍋にすら驚嘆したが、すぐにあばら家の、穴の中の焚火や石と粘土のオーブンと同様であることを理解し、豊かなオーブン料理を多数作るようになる。また瓜生が出したのを日本語を解する〈ロトの子孫〉が訳したレシピも素早く身につけた。
アムラエルとも旧知だった彼女はすぐかつてのように、力をあわせて働くようになり、その二人や孤児たちが病院と学校、また瓜生が封印を解いた〈上の世界〉の家畜や作物を増やす実験農場も始める。
船は同時に、アロンドとローラが帰ってきたときの小宮廷でもある。それも、リールとロムル、アムラエル、そしてキャスレアに任せておけば心配ない。
アロンドたちはルーラでリムルダールに行き、そこで笛を吹いたがハズレ。ローラが囚われていた沼地の洞窟に行ったが、そこもハズレだった。
そしてリムルダールに戻り、南に竜馬を飛ばして、ほこらにたどり着く。
「ここで、虹のしずくをもらった」
と入り、一礼して笛を吹いたがこだまは返らない。
何度もアロンドに。そして勇者ロト、ミカエラにも一言も言わせず叩き出した、生きているかどうかもわからぬ老人が、穏やかに「勇者よ。世界の全てを回り、紋章を探すがよい。無駄な旅などない。そして、あの大陸が解放されてからの、真の戦いに備えよ」それだけ言った。
大灯台の島に戻り、〈ロトの民〉との親睦を深めたり、ラダトームを拠点に開墾をしている〈ロトの子孫〉たちを励まし、また瓜生が出す資材を渡したり、忙しく過ごすこともある。
それからガライの町で笛を吹くと、かすかなこだまが返ってきた。
アロンドが笑顔で、みなの肩を叩いて喜ぶ。
「やっとか。さて、どこなんだろうな」
と、歩きながら笛を吹いてみる。
以前とは違い、巨体のアダンや美しいジジを連れており、またローラが赤子を抱いていると、町の人々の反応も違う。
「おお、お子様が!おめでとうございます」
「おかげさまで、交易も順調で景気もよく、うちも子供が生まれたんですよ!でも双子だから、一人は手放さなきゃいけなくてねえ、リムルダールに送ったとのことですが、悲しくて悲しくて」
衛兵が話しかけてくるのに、アロンドも強くその手を握った。
「つらいなあ」
そしてローラが、じっと涙をこらえる。
衛兵もそれで察したようだ。
笛の音は、墓に近づくほどこだまが大きくなるようだ。
「その笛は?」と聞きたがる子供に、
「ちょっと見つけたものさ」と、吹いてやる。
かつて、アロンドが勇者と認められるために、最も苦しい試練を受けたガライの墓。
ガライは勇者ロトと同時代の吟遊詩人で、ガブリエラの恋人の一人でもあった。
その故郷は開発されていなかったが天然の良港・豊富な水源・肥沃な土地と三拍子そろった都市の適地で、しかもゾーマの跳梁の副作用で、大きな鉱山が近くにできていた。
その開発のために集まった鉱夫たち、対岸のルプガナに近い便利な港に寄港する水夫たちが、ガライの歌うロト伝説や、変わった不思議な歌に魅せられ、ガライを指導者として急速に大きな町を作り上げたのだ。
ガライ本人も天才的な技術の持ち主であり、また瓜生が故郷や、記録していた〈上の世界〉の音楽を大量に彼に預けたことも大きい財産となった。莫大な量の曲と歌は、コピーするだけでも、また霊感の源としてアレンジしても、それこそ黄金の滝だった。
鉱山の一つが閉山されて後、いつかガライ一族の深い墓所とされ、さらに魔物を呼び寄せる奇妙な神器、銀の竪琴がまつられてより、平和な時代でさえもうかつに入れない危険な洞窟とされるようになった。
そして竜王の襲撃でアレフガルドが魔物にあふれて以来は、入ったものは二度と出てこないとされる魔の洞窟となった。
その洞窟には、ガブリエラと〈ロトの子孫〉がひそかに魔法をかけ、竜王の出現後は勇者の資質がありそうな若者を試していたが、誰もが試練に破れ、深い心の傷を抱えて出てきて、かたくなに口を閉ざす。そしてある者は自殺のように突撃して死に、ある者は剣と銃を捨て医に専念する……。
その試練に、ついに合格したのがアロンドであった。
その洞窟に、ローラたちは上級商人や貴族と社交仕事をさせておき、アロンド・サデル・アダン・ゴッサ・ジジを中心に〈ロトの子孫〉〈ロトの民〉の精鋭合計十人ほどで向かう。
「休むか?ローラを守ってくれても」とアロンドがサデルに言う。
「とんでもない!」サデルが怒っているが、震えている。
「どうしたんだ?」アダンがサデルの顔をのぞく。
「サデルも、共に試練を受けたのだ」アロンドはそう言って、震える。
「ムツキも。コテツも」サデルが震え、吐きそうな表情になる。
「ローラの」アロンドに皆まで言わせず、
「行きます!」サデルが目を吊りあがらせ、歯を食いしばる。
そして閉ざされた扉がジジのアバカムに開き、アロンドが瓜生に習った魔力を消費しない特殊な呪文が、古い坑道である洞窟を照らす。
アロンド、そしてサデルの緊張感はおそろしいほどだ。魔物が出るわけでもないのに。
複雑な構造だが、アロンドは慣れきった様子で、無駄なく歩いては笛を吹く。
はっきりと返ってくるこだまは、地下一階の扉で強まり、下の階に行くとより強まった。
「下のほう、ね」
「ああ」
サデルとアロンドが、怯え震えている。
地下三階。アロンドは迷いなく歩くが、その呼吸は明らかに荒くなっている。
「あんなバケモノに平気だったアンタが、どうしたんだ?」アダンが見る。
下への階段を前に、ゴッサが深く息を吸い、「おおおおおおおおおおっ!」と絶叫し、自ら足を踏み出そうとして一瞬迷い、アロンドに道を開いた。彼の目も、凄まじい緊張に張り詰めている。
「ありがとう。心強い」アロンドは言うと、先頭に立って階段を下りる。
ゴッサには自分たちの恐怖が伝わっている、それでもついてきてくれる。その巨大な勇気と支えが嬉しい。
別に何もない。普通の道。それに、アロンドとサデルは戸惑っていた。
「解いたわよ」ジジの一言に、全員が彼女を見る。
「そういうことか」いつの間にか加わっていた瓜生。
「あ、あのときは、この階に足を踏み入れると」サデルが瓜生に、すがりつくようにする。恐怖と罪悪感に、立っていられないのだ。
瓜生はため息をついて説明を始める。
「ガブリエラが、ここにとても特殊な魔法を、何年も時間をかけて封じたんだな。不用意に入ると、きわめて特殊な、夢と幻覚の中間の状態に置かれることになる。
ガブリエラのやつ、死ぬかわりに、自分の存在全体を……そう、この〈下の世界〉全体と、世界樹の根を通じて溶け合わせたんだ。事実上神になったようなもんだな」瓜生が呆れながら小さく呪文を唱え続ける。
「あたしもちょっと手伝わされたっけ」ジジが苦笑した。
「世界樹のキノコとラーミアの羽根。よくもまあこれほどの魔法をかけたもんだ」瓜生が呆れて、あちこちから魔法の品を回収する。
「ちょっと、それだけじゃないわねこれ」ジジが、中央の棺を見て驚く。
「え?あ」
瓜生が、その棺に手をかざす。「ガブリエラやジジの、人間の魔力だけじゃない。世界樹の気配もあるし、ルビスの……ここに、紋章があると思う。でも、すごく厄介な封印がかかってる」
「覚悟は、できている」とアロンドが棺を開こうとすると、一人の女の姿が、すっと棺の上に立った。
『ひさしぶり、ね。ジジも』
「ガブリエラ」瓜生が、複雑な表情をする。笑うことも泣くこともできない。
「あのとき以来ね」ジジが、口では蓮っ葉だが、表情は泣きじゃくっている。
『本体は世界樹にあるんだけど。また、来ちゃっんだね、ウリエル。それにジジも、石から戻れたんだ』
「知ってたなら助けてくれたって、まあ、このときのためだった、ってわけね」ジジが憮然とする。
『そう。ロトの子孫、勇者アロンド』ガブリエラの美しい顔に、妖艶な笑みが浮かぶ。『いい男ね』
アロンドはなんともいえなかった。
ガブリエラ。勇者ロトの仲間、ミカエラとラファエルの息子ミカエルを育て、〈ロトの子孫〉を築き上げた、伝説の賢者。
『あのときは悪かったねぇ、サデルも』ガブリエラが、アロンドとサデルをじっと見つめる。
「ほかの、多くの〈ロトの子孫〉も」サデルが辛そうに言う。
「どんな目にあったかは、魔力の織り目だけでも見当がつく。必要だったんだろ、〈ロトの子孫〉の、しかも優れたもののうぬぼれを取っ払うにはっ」瓜生が、厳しい目で言葉だけ苦笑する。
『そのつもりだったけどさ、ちょっとやりすぎた、かな』ガブリエラが笑う。
「みな、それなりに乗り越えています。ムツキも、サラカエルとともに村で耕し、多くの仕事を日々学んでいます」サデルが、苦しげに笑いかける。
『さて、これがルビスのクソアマに預かった、星の紋章だよ。欲しいのかい、本当に』
アロンドがうなずく。
『どんなことか、わかってるのかい?王様になる、ってのが』
「『グイン・サーガ』は両親が全巻持っていました。いや、それどころではないことなのでしょう。最初は、イシュトの最期の言葉に呪縛された、のですが……」
アロンドはじっと、頭を垂れる。そして、決然と伝説の存在に、顔を上げる。
「今は、何よりもローラを幸せにしたい。そして、〈ロトの子孫〉や〈ロトの民〉、そしてロムルやハーゴンたちにも、安住の地を与えたい。そしてまた、ドムドーラの、みなのように」歯を食いしばる。「悪の跳梁に、無力に滅ぼされる人がないよう、守りたい」
ガブリエラの幻は、長いことアロンドを見つめていた。ただ、ひたすら。
アロンドはじっと、その目を見つめ続ける。
『何に乗ろうとしてるか、わかってるのかい?ウリエル、』とガブリエラは、軽く瓜生とジジに手を伸ばす。
二人がその手を取り、軽く微笑んだ。
次の瞬間、アロンドが崩れ落ちるように倒れる。
そして、寝たまま拳を振り上げ。まっすぐ斜め上に手を伸ばす形に。それから、こめかみに拳銃を向ける形に手が固まる。
その目が、ぱちりと開いた。
「エヴァ、わ、私は、不発か」と、手を見る。その手に拳銃がないことに驚いたようだ。
「アロンド!」サデルがその肩をゆする。必死の声で。「全部、全部幻、夢!今はここ、ガライの墓、あなたは〈ロトの子孫〉、メタトロン、アロンド」
「アドルフ・ヒトラーの生涯を、全部体験させた」瓜生が乾ききった声で言う。
「前にここへ来たときは、自分で行動を選ぶことはできたはず。でも今回は、それもなし。見て聞いて感じるだけ」ジジが痛そうに言う。
アロンドが、頭を抱えて激しくのたうちまわり、繰り返し絶叫した。
『渡すだけ、渡しとくよ。気をつけな』と、ガブリエラの幻がアロンドの腹に、奇妙なバッジのようなものを落として、消えた。
それには、星の紋章が刻まれていた。
リレミトで洞窟を出てから、アロンドは二日ほど病みついたように宿のベッドでのたうちまわっていた。
ローラが繰り返し励まし、小さな息子の手や温もりに、何度か目覚めて、しばらく無理な笑顔を向けて。また頭を抱えてうめく。
やっと起き上がってから、重すぎる鉄棒を手に野に彷徨い出て、数日間剣を振り続けてもいたようだ。
「あの時も、そうでした」サデルが、そして経験者の〈ロトの子孫〉がつぶやく。
「とても口にできません。まして敗れた我々など……」今も残る心の傷に、激しくえずき、涙をこらえる。
「無理をするな、泣けばいいさ」という瓜生の言葉に、何人も屈強の男女が号泣する。
「どうしたんだよ、おまえら、そんなに」というアダン。
そしてゴッサが、沈痛に言った。「その試練は受けられるか?」
「いや。封じたよ」瓜生がじっと、その低いが頑丈な体と、いかつい顔を見る。
「やめなさい!あれだけは、あれだけは」サデルが激しく言う。
「もう、勇者は選ばれたしな」瓜生が悲しげに言った。「人間が、いかに無力か。それを徹底的に思い知らされる。わかっている、などというな。頭で『わかる』と、実体験で『わかる』は違う。あの洞窟の仕掛け魔法は、実体験に限りなく近い」
「受けておきたかった」ゴッサはそれだけ言う。
「なんか、とんでもないことみたいだな。まあ、アロンドと稽古してくる」と、アダン自身鉄棒を手に、野にアロンドを追った。
アロンドは、それでも十日かそこらで立ち上がった。
手に、星の紋章を掲げると、痩せやつれた体に無理に食物を詰めこみ、メルキドへ。
そこで静かに笛を吹いたが、こだまは返らなかった。
そしてメルキドで一日ゆっくり休んでから、巨馬の群れが静かに、ドムドーラへの遠い道を走る。
もう、収穫の早い焼畑は収穫され、平和の中作物を作る喜びに疲れ果てた人々も顔を輝かせている。
その中に混じる〈ロトの子孫〉が、確実に木々を残し、食べられる実をつける木を植え、清潔を保っている。
道の整備などはまだまだだが、巨馬は苦もなく茂みを歩き、時に草を食べては、主の調子をよく見て歩く。
山道が急速に荒れ、乾いていく。それは馬にとっては歩きやすいが、草が少ない。
そして、広大な砂漠に足を踏み入れる。
「おお」アダンがその広さに、大声を上げた。
見渡す限りの荒れた岩と砂。
「充分に水を確保し、馬の食物も積んでいかなければ。この巨馬に全速で走らせても、五日はかかる」
アロンドが、じっと失われた故郷への道を見つめる。
両親の死も知らず、武器屋一家に連れられて歩き、その全てを殺されたのは北への道だった。
南からの道は、後に勇者と認められてからしか知らない。
その道を走りながらも、アロンドは何か、深く考えこんでいることが多い。
ただし、道を選んだり野営の準備で働いたり、必要なときにはそちらに集中できる。
魔法で呼んだのに応じて瓜生が来て、砂漠越えに充分な水と穀物、高カロリーの油とシリアルとソーセージ、蒸留酒を用意した。
「中継地点にも、同様に用意してあります。ご安心を」それだけ言って、また消える。上空に、小さな飛行機雲が見えて、それが地平線の彼方に消える。
アレフガルド南西部に広がる砂漠には、古くからところどころに宝石があり、多くの人が動き回る。
その中核にあるのが、豊かな湧水から高い農業生産力を持つ、ドムドーラだった。
だが砂漠の中心だけに孤立しており、竜王に真っ先に滅ぼされた都市のひとつ。そして、アロンドの故郷だ。
ある程度砂漠を走り、瓜生が用意していた水と食料、馬の飼料を補充して休み、また竜馬を走らせる。
ドムドーラは、廃墟ではなかった。
廃墟ではある。多くの、泥と家畜糞、日干し煉瓦の建物が炎に焼け焦げ、巨大な爪の打撃に崩れている。
しかしその中で、何十人もの人が煉瓦を積みなおし、涸れることのないオアシスの水を汲み、家畜に水を飲ませ、種を植えていた。
アロンドが吹く、山彦の笛の音はこだまこそ返さなかったが、喜びに満ちていた。
「アロンドさま!ラダトームでお目にかかりました」
「あの呪文のおかげで、傷ついた妻は助かったのです」
「メルキドで、あなたがゴーレムを倒してくださったおかげで、町に入って助かったのです」
広い廃墟、その中ではわずかな人数でしかない。
でも彼らの表情は明るく、輝いている。
アロンドは迷いもなく、裏町にある小さな小屋の跡を見た。
わずかな泥壁は崩れている。
その下は掘り返された跡がある。
「前に、一度来た。ロトの鎧を取り戻すために」アロンドはそう言って、しばらく小さな家の跡に座し、両親を思って祈っていた。
そして立ち上がり、町を再興しようとしている難民たちの中に飛びこむ。
そして、その人々をひそかに導いていた〈ロトの子孫〉バトラエルに頼み、上下水路を作る作業を数日間手伝った。
もちろん、そのような大変な、汚れ仕事を勇者アロンドにさせることに人々は驚いたが、アロンドは譲らなかった。
「木を植える。上下水道を整備し、清潔を保つ。病人、特に産褥の母子を助ける。魔から一人でも助ける。それが、ロトの子孫だ」と。
体を動かし、笑う。昼も夜も。必要とされ、喜ばれる。
幼い頃から、ひたすら一番汚い、一番辛い仕事を手伝ってきた。それを今くり返すことが、アロンドの傷ついた心を、少しだけ支えていた。