奇・・ドラゴンクエスト1の続き   作:ケット

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陰謀の月都

 ローラたちも連れて大灯台の島に帰り、久々にほっとする。

 そして大灯台の入口で山彦の笛を吹いてみたが、こだまは返ってこなかった。

 軽く苦笑しあう。

「もうアレフガルド大陸のめぼしいところは回った。より広い世界を回ってみよう」アロンドが笑う。明るいが、微妙に以前とは違う笑顔。以前よりも明るく、以前よりも深い。

「ならば、わたくしは小さい頃ではありますが、アレフガルド外もあちこち見ています。ご案内しますよ」ハーゴンがケケケ、と笑った。

 その腕には、新品の『グイン・サーガ』の何冊かが大切そうに抱えられていた。

「アリストートスの出てくる巻が汚れてるな」アロンドが微笑む。「昔も、その話ばかり聞きたがっていたっけ」

「アリ?」吟遊詩人から、もはやこの世界でポピュラーな叙事詩となっている『グイン・サーガ』をかなり聞いているローラが顔をしかめる。

「素晴らしいではないですか!」ハーゴンが熱く叫ぶ。「勇者ロトがもたらしたという長い叙事詩。聞きほれましたよ、何十夜も通って。アリストートス。下賎の、誰からも嫌われる身から身を起こし、一国を復興させ、何年も支えた手腕!美しくもなく高貴でもない全ての人に、あれは光り輝く偶像なのですよ!」

「だが、その邪悪は」アロンドが悲しそうに言う。

「邪悪?アルド・ナリスも嫉妬でミアイル公子を殺しました。無用になった学生たちを捨てました。行いだけで言うならどう違うのですか?美しかったかどうか、高貴な血を引くか、それだけの違いではないですか!」つばを飛ばし、夢中で叫ぶ。

「確かに。まあ、頼む。ローラ、キャスレア、ラダトーム宮廷とも相談して、必要があればムーンブルクなどの王室とも話せるように、手形などの手配を頼むよ」アロンドが食いかかるハーゴンを手で防ぎながら、女たちに。

「かしこまりました」キャスレアがひざまずいた。

「ムーンブルクでは勇者ロトは恐れられ、庶民の間では医神とされていると聞きます」アムラエルが少し苦しそうに言う。

「では、行ったことのある町からいこう」

 と、ルプガナにルーラで飛んだ。

 

 アレフガルドとの交易再開で、好景気に沸くルプガナ。

 笛の音に耳を澄ますのも大変だったが、何度吹いてもやはりこだまは返らない。

 苦笑しつつ、商人ケエミイハの家に行き、事情を話す。

「もう、どこが所有権を主張できる状態でもないでしょう。しばしお借りし、使い終えたらあなたにお返しします」

「ありがとうございます。またご子孫が使われるかもしれません、お預かりしていると子孫にも言い伝えましょう。何より、おかげさまで」と、かたわらの妻を振り返る。もう、大きくおなかが膨らんで、幸せいっぱいの表情だ。

「あの折のお医者様は?」

「あちらこちらで忙しいですし、ご無沙汰して申し訳ないと」

 とアロンドが言った。

 

 その頃瓜生は、人の腕と瞳を持つ巨大な黄金竜に、イカのバケモノと戦うため鉄道レールを与えていた。それすらその巨体にはレイピア程度、水中で二刀で自在に使っていたが。

 多くの魔物を従わせる竜神王子は、そろそろ邪神たちを食いにロンダルキアや、父竜王が斃れた魔の島へも行きたがっていた。

 それを危惧した瓜生は、彼に人の、少年の姿をとらせ、竜女や、他にも人に変身できる魔を連れてガライの墓の底に赴き、ジジやガブリエラの神霊とも協力して夢を見させた。

 ごくごく平凡な日本人の子として1980年に生まれた少年。

 医者の父、瓜生との父子家庭。めったに会うことのない、別れた美しい母……竜女と、会ったことのない、一枚の写真だけがある双子の兄。

 愛情と、そして人にはどうしようもない過ちの繰り返し。愛されながらも傷つけられ、人として育ち。

 そして学校でいじめいじめられ、管理され反抗しながらの成長。

 拾った子犬の成長。病と死。

 医療過誤訴訟を受けた父が、何一つ言ってくれない、新聞でわずかに読むしかなくひたすら帰らないことに感じた、無力と孤独。

 祖父母の、医者になることの強要と過保護とも言える世話。

 激しい初恋と失恋。二度目の深い恋。

 悪い友達との万引きに泣きながら殴り、それから手術を見学させた父親。

 奇妙な、激しい暴力への渇望。ケンカに明け暮れる不良少年としての生活。暴走族に徹底的に叩きのめされ、警察沙汰にすまいとする祖父母に対し父親が断固反対したこと。

 高校を中退し、働きながら漠然と大検を取り、三つ目の仕事が妙に体に合って、そのまま勤めた。

 結婚し、子はいないながら仕事で母親と縁ができた。しかし留学している双子の兄とはすれ違ったまま、交通事故で若く死んだ……

 人の子の姿をした竜神王子は全てを夢に見、膨大な魔力を身に閉じこめて咆哮し、逃げるように海に飛びこんで、限界まで潜り続けていた。

 それから、竜神王子は人のいない陸と海を往復しつつ、むしろ静かに修行を始めていた。

 

 

 

「さて、次はルーラでムーンペタ、それからムーンブルクに陸路で行くか、それとも海路であちこちに回るか」瓜生が教育や医療、もう一人の子の監視に忙しいし、騒ぎになってもまずいので、飛行艇頼りはよそう、という話になってきている。

「海路にしましょう!勇者ロト、ミカエラとラファエルは海国アリアハンの生まれ、四人で、世界中を船で回ったそうですよ」サデルが勇んで言うのに、アロンドは表情を出さないようにうなずいた。

 それで、瓜生が前に用意した、FRP製で木造に偽装した船を一隻余計につくり、船外機は載せず快速帆装にして、〈ロトの子孫〉の腕のいい船乗りたちでガライから乗り出した。

 竜王出現まで、広く世界の外洋を旅していた〈ロトの子孫〉も多くいる。海の技術は、アリアハンからの伝統で必須科目だ。

 それはあまり得意ではないアロンドは、操船はアルメラという初老の女性に任せた。

 やや大きめの船で、交易もやるつもりだ。

 まずルプガナへ、そして大灯台への試験航海。

 ルプガナへの航海は短いが、その航海自体で乗員を馴染ませ、船全体が高い技術を発揮できるようにする。

 ルプガナではアレフガルドの産物、そしてこの世界では手に入らない瓜生が出した酒や化粧品、香水や染料も使って交易し、多くの、できるだけかさばらず高価な品を積みこむ。

 それからルプガナとアレフガルドにはまされる内海を南下する。

 長い長い半島、その途中にはドラゴンの角と呼ばれる、高い二つの塔が海峡をはさんでいた。

「昔神々が作った吊り橋ともいわれます、ここでしか天露の糸はとれないそうです」と、ハーゴンが観光案内よろしく手を振る。

 上陸すると、その周囲にもやや独立した町があり、海峡の通行税を取っていた。

 そことも交易し、通行はしないで塔を見せてもらった。

「天露の糸から、水の羽衣という伝説的な防具ができるとか」町の人が憧れの目で言う。

「でも、実際には伝説ですし。もっとも高級な服にわずかに編みこむだけです。それでもとても華やかで美しくなります」と、奇妙な輝きを放つ糸を縫いこんだ山蛾絹を見せてくれた。

 目玉が飛び出るほど高価だったが、アレフガルドの産物はそれ以上に高価で、いい取引ができた。

 ハーゴンは世界を回っていたし、商人としての取引もうまい。

「昔のアレフガルドでは売られていたそうですね。今は職人が絶えていますが」

 そう、アルメラがいう。

 双方の塔で笛を吹いてみたが、山彦は返らなかった。

 

 また、長い長い半島を南下する。何度も風に吹き寄せられ、広大な砂漠に上陸して水の入手に苦しんだこともある。

〈ロトの子孫〉が一般人は忘れ去ったヒャド系呪文を使えたし、〈ロトの子孫〉も〈ロトの民〉も蒸留を理解していたので死にはしなかったが、やはり水には乏しい。

 砂漠の隊商とも出会い、甘い実や珍しい鉱石を買ったり、こちらから乏しい水や強い酒を分けたりと、楽しく過ごした。

 騎馬の民であるアダンやゴッサは、ちゃんと馬に運動させることができることに大喜びで駆け回っていた。大灯台の島までルーラで行き来するか、または危険を冒して帆桁端の滑車装置で吊りおろして泳がせるかしかなかったのだ。

 それからやっと大灯台の島にたどりつき、買い入れた高価な品を〈ロトの民〉たちに分け、またアダンやゴッサは里帰りをする。

 その船旅の間にも、アロンドとローラの人の姿のほうの息子、ローレルは大きく元気に育っていた。サデルの子をはじめ、何人かの子が共に旅に加わっており、にぎやかでもある。

 

 それから、一行は船ごとルーラでムーンペタ。ハズレだったが、あらためてヤフマからも紹介状と、商談もあった次男のハミマを道連れに、海路でムーンブルクに向かう。もちろんハミマはアロンドたちの身元保証人になるし、アロンドたちはハミマの護衛となるわけだ。

 河口から出て間もなく、大きく長い島がアレフガルドを守るように広がる。

「あの島も昔から魔物の巣と言われていますね」サデルが南側は砂漠だが、北に長く広がる島を見つめる。

「ムーンペタから入植しようとする人がいる、とヤフマがいっていたな」アロンドが答えた。

「ヤフマは、むしろ入植を助けて欲しがっていました。魔物を倒してほしいと」

「いいかもしれないな」アロンドが新しく瓜生にもらったガリルACE7.62mmNATOをなでる。それまでのAK-74と変わらない構造で、はるかに強力な弾薬を用いる。AK-74を与えたのは弾薬一発が軽いからだけで、瓜生は大口径しか信じていない。

 船にも、大口径の重機関銃が複数配置され、海賊や海の魔物が襲っても強力に反撃できるようにしてある。

「こちらの、人を襲わない魔物が時々あちらに行っています。侵入する人には凶暴ですが、そうでなければおとなしいです」と、〈ロトの民〉の一人。

「なら入植ではなく、別のやり方をすればいいな」アロンドが笑って、危険な暗礁をよけるのを見た。

 そのように話すこともあるし、ハミマらムーンペタの人から、ムーンブルクの宮廷作法を習ったりもする。

 またムーンブルクの情勢も聞く。

「ムーンペタは最近、ムーンブルク宮廷から少し距離を置いています。跡目争いが激しくて」それ以上は言わない。

「だから最近、大灯台の島にちょっかいを出さないのか」と〈ロトの民〉。

 ムーンブルクに比較的近い大灯台の島に多くの人が入植し、豊かな暮らしをするようになって、ムーンブルク王国から服属を迫られ、撃退して鎖国を守ったことは何度もあるのだ。

 

 船は大きく針路を変える。着いたのは砂漠にある天然の良港、そこからルーラで竜馬を呼び寄せ、いっせいにムーンブルクに向かう。

 ムーンブルク城の南北は山に守られている、だが広い水田が広がり、街道町もいくつかあって、ムーンペタへの太い回廊を作っている。

「水田だ」

「われわれとは少し作物が違いますね」

 言いあいながら、巧みに馬群を操り、水田を荒らさず街道を駆ける。

 泊まった宿では、大灯台の島の水田でも作られるヒエに似た水田作物と大きいカエルを炊きこんだ飯、田で育つ豆の甘い煮物を堪能した。酒もよく、食べものがとてもうまい。

 それぞれの街道宿や農村で、ハミマらムーンペタの商人は熱心にさまざまな交渉や機嫌うかがいをこなしていた。

 

 あっという間にムーンブルクの、月の名を示す白亜の城に着いた。

 城はメルキドやリムルダール同様、街全体を城壁で覆っている。蜘蛛の巣のような下水を兼ねた運河に囲まれ、高い石灰岩の城壁が雨にとけあい、無数の像が彫られ輝いている。漆喰が抜けるように白い家々も印象的だ。

 少し城から離れると、水田とその中心の集落がいくつも運河でつながれている。

「美しい城だな」

「ですが、低地で水はけが良くないですね。伝染病が蔓延しやすいです」〈ロトの子孫〉は即座に気がつく。

「攻めにくいから、か?」

「さて、ルーラでローラたちを連れてくるか」と、アロンドが船まで往復し、ローラやキャスレアを連れてくる。

 船から、さらに多数の巨馬。運んできたムーンペタや、そしてアレフガルドや大灯台の島の、膨大な財物を持って来ている。

 ムーンブルク王国は豊かな水による水田や魚で豊かだが、反面自足してしまっていてあまり交易に熱心とはいえない。アレフガルドにとっては重要な隣国だが、アレフガルドは魔物によって閉ざされることがある。

 そして海路はアレフガルドと、その東をふさぐ進入禁止大陸にふさがれ、外に出るのは困難だ。

 遠く離れた東側からは果てしない大洋が開けているが、ロンダルキアの急崖が広がり補給不能な海域が長すぎる。

 南はそこらの海より広い広大な内海だが、その南には恐怖の魔境ロンダルキア。西は砂漠の島につながり、そこからドラゴンの角まで広く未開の原野、そしてはるか広大な砂漠が広がるばかりだ。

 伝染病や内紛が多いこともあり、西の砂漠から東方の大河流域、北の半島、南の内海の対岸に至る全体を探検しつくしてすらいないのだ。

 一行はまずムーンブルクの白く輝く石灰岩の城門をくぐり、アロンドが山彦の笛を吹くと、静かに、そして徐々に強くこだまが返ってくる。

 それに、皆が笑顔をかわし、アレフガルドで得た貴族の服に着替えて旗を掲げる。

 そしてムーンブルク城塞都市に、ハミマから入った。城門を守る衛兵は顔見知りらしく、一行に少し驚きながら通す。

 やってくる役人に、ハミマはいつもどおり挨拶してかなりの金品を渡し、それからローラの手を取ったアロンドと、そのために連れてきたアレフガルドの貴族が役人に何通もの書類と金貨を渡した。

 ルプガナやムーンペタとの交易で得た新しい金貨。

 役人はじろりと一行をにらむ。

 アレフガルドの衣類で普及している前開きの服や騎乗に適した〈ロトの民〉やそれに近いルプガナの服とは違い、ゆったりした一枚布の服。

 頭にやたらと大きい帽子をかぶっており、それで強く威圧してくるつもりだが、巨馬にまたがる巨漢のアダンには帽子を含めても見下ろされている。

「げ、下馬せい!」

 そういわれていっせいに竜馬を下りるが、それでも長身の者が多い。栄養状態が違うのだ。

「アレフガルドからこちらに滞在しているはずの大使、ラレドにこちらの手形を見せていただければ、照会していただけます」

 キャスレアが言うが、役人はじろじろ疑わしそうに見ている。

「竜王だと?それ自体が怪しい話だ。それどころかアレフガルドなどというところが、あるとも思えん!ハミマ、そなたともあろうものが怪しげな流れ者に連れられてくるとは、お父上のご身分を落とすものだぞ」

 そのずるそうな目に、ハミマは素早く金貨を追加するが、役人は引かない。

 そこに、一人のアレフガルド貴族がやってきた。

「ローラ姫!それに勇者アロンドさま、よくぞいらっしゃいました」と、嬉しそうにアロンドの前にひざまずき、ローラに礼を尽くす。

「ラレド、お久しぶりです」ローラが嬉しげに話しかける。

「姫さま。おお、お子さまが、男児ですか!なんという嬉しいことでしょう。じつは拙宅にも娘が、二ヶ月ほど前に生まれましてな」

「なんと嬉しい知らせでしょう!この子はローレルと申します」

「姫様のお名を。アロンドさま、おめでとうございます」

 嬉しげな会話と、ラレドの深い敬意に役人はいらだったように怒鳴りつける。

「ラレド殿!このような怪しげな者どもに」

「何を申される。まぎれもなくアレフガルドの至宝、ラルス十六世の長女ローラ様、その御夫君〈竜王殺し〉アロンド様ですぞ」

「わしは信じぬ!信じぬぞ」頑固に怒鳴り散らす役人。

 その背後から別の、はるかに贅沢な服を着た貴族がやってきて、役人を押しのけ、キャスレアの姿を認めた。

「キャスレア殿!ハミマ」

「レアヤ様。大変にお久しゅうございます。八年ほど前の、そなたさまのご子息の成人祝いにおじゃましましたな」老女官、キャスレアが嬉しそうに笑う。

「先月のお品は素晴らしかったです。ぜひまた、ムーンペタにお越しください」ハミマも静かに微笑んだ。

「では、おお、ローラ姫、いやもはやご結婚されておりましたな、さようですねラレド殿?なんという美しさになられたものだ」あとから来た貴族が嘆息する。

「あらためて紹介いたします。ローラ姫さまのご夫君、かの勇者ロトの子孫〈竜王殺し〉アロンド様!」ラレドが、今度は大声で集まってきていた人々にも披露する。

 貴族たちのうなずきを見たアロンドが、ローラの手をとって堂々と進み出る。

 そして、かつっと足を踏み出し、姿勢を整える。その細かな仕草一つ一つが、綿密に計算されている。

「アロンド」

 強烈な声と気迫が、人々を、それどころか城すら圧倒する勢いでほとばしった。

 迫力が、奇妙な形で学んだ技巧でより人の心を打つものとなっている。アロンド自身が恐怖するほど、まるで呪文を唱えるように容易に、人を従わせる迫力を吹きださせてしまっている。

 ガライの墓で、つぶさに経験したもう一つの人生、最悪の天才独裁者から学んだ技だ。

 ムーンブルク貴族のレアヤもアレフガルド大使のラレドも、集まっていた人々や衛兵も、その何かに圧倒され、思わずひざまずいた。

 だが、それを見て激しい憎悪に憑かれた目でアロンドをにらむ貴族もいる。貴族の憎悪の目には、アロンドはラダトームでも慣れているが。

「では、行こう」

 主導権をつかんだアロンドは、そのまま全員をひきつれるように王城に向かう。

 

 ムーンブルク城の広い謁見の間。天井の大きなフレスコ画が目を引く。

 髪が鉄灰色となりかけた中年のイリン三世王が、ロトの旗に驚きを浮かべ、かろうじて抑えた。

「おお、ローラ姫!ご無事で何よりであった。アレフガルドが閉ざされてより、皆様のことをどれほど案じていたか」

 そして、歯を食いしばり、強烈な眼光をアロンドに向ける。アロンドは悠然と受け止めた。

「そなたが、勇者ロトの子孫とやらか」

「〈竜王殺し〉アロンド」と、アロンドは巨大な竜の牙を掲げる。

 しばらく、じっとにらみ合うようになる。

「勇者ロト」

 王は恐怖をかろうじて抑える。王族には伝わっている、百年以上前、ムーンブルク王都が疫病で全滅に瀕したとき、勇者ロト一行が城下に出現するや、奇妙な治療法で疫病を瞬く間に鎮め、そして石もて追われるごとく去ったという。

 彼女たちが言い残した「生水を飲むな」「運河とは別に水源を確保せよ」などの忠告に従ったらしばらくは疫病は出ないが、常に反対されすぐに元の木阿弥になる。

 イリン三世王にとっても、アレフガルドを襲った竜王の災いより、十年前の大疫病のほうが印象が強いほどだ。

 そして、城下の人々が勇者ロトを医神とあがめ、病が流行ると生贄を捧げ肖像を祭るのも、腹立たしいが抑えようがない。

 その肖像に恐ろしいほど似る、凄まじいまでの美貌。ほっそりした長身からあふれるカリスマと、強烈な眼光。

 アロンドが王の呼吸を読みきり、ぴしり、と鋭く姿勢を正す。強烈な印象が、満席の貴顕を閃光のように圧する。

(注目せよ!私は王だ!)と耳が破れるような声で叫ぶように、メッセージを叩きつける。礼を保ちながら。

 王はその若さと圧倒的な力に、強烈な嫉妬と憎悪すら抱き、全身を叩くような恐怖に呑まれまいと必死だった。

「ムーンブルク王国へようこそ」王の声がわずかにうわずる。

「ありがとうございます」アロンドが見事にムーンブルク宮廷の礼をする。

「心より感謝いたします」ローラも、貞淑な妻としてアロンドに礼をあわせた。

 王の横には美しくはあるが冷たそうな王妃。そして四歳ぐらいの、ごく小さな王太子と、年長の姉たち。王太子は咳をしようとし恐怖の目で抑えた。

 王女たちと思える席が一つ空いている。

 そして王の弟たちや叔父たちが、武官や文官の装束で並んでいる。先代の王が子だくさんだったようだ。

「して」王に応えるように、アロンドは腰にたばさんでいた笛を手にし、口に当てた。

 美しい音色が鳴り響き、そして山彦が返る。アロンドが唇を離しても、繰り返し。大きく、小さく。

 それが消えたとき、アロンドがひざまずいた。

「こちらに、精霊ルビスより、ある紋章が伝わっておりますね。それはルビスにより、われら勇者ロトの子孫に与えられたもの」

「くださいますね?」ローラがにっこりと笑い、ムーンブルク王家や貴族は凍りついた。

 アレフガルド王家と交渉するな、奴らは欲しい物を得るまで決して諦めることはない。この世界の常識である。

 ローラの美しい微笑と、アロンドの熱風が吹きつけるような迫力に、王は口もきけず、まるで操られるように「わかった」という、その瞬間に脇に控えていた、軍服姿の王族が叫ぶ。

「ならん!どこのものとも知れぬ者に、水の紋章は精霊ルビスより預けられた、神聖な品ですぞ」

「あ、ああクネス叔父上」王がびくっとしたように振り向く。

「ロトの子孫であるというのなら、証を見せてもらおう!」その大声に、宮廷がそちらに流れるのを見て、アロンドが軽く、鋭く足音を立てる。

「どのような試しをお望みですか?」自信に満ちた態度で、奇妙にもその美貌を女性的に発散させる。それが宮廷の女性たちを直撃した。

「伝説では、勇者ロトは優れた医者でもあったそうですな。その技を示してもらいましょう、ちょうど陛下の、マリア王女のご病気を」

「わしの妻の病も見てもらいたいものだな」

「弟の傷の後遺症も」

「それに、その牙がまことに恐ろしい魔物なのかも疑わしいぞ」と、こちらは王妃の甲高い声。

 ざわめきが宮廷に満ちるが、アロンドは素早く決断し、手の中で魔力のこもった砂を弄び、大胆に礼を半ば無視し王家の段に寄る。

「では、まず患者たちを診せてもらいましょう。そのうえでこちらも、仲間たちを呼び集めます」

 と砂を撒いた、そこに白衣姿の瓜生とジジが忽然と出現した。

「あ」

「り、リリルーラだと?伝説に聞いたことがあったが」

「人間には不可能じゃ」

 王宮魔術師たちが驚く。彼らには到底不可能なルーラの上級魔術、リリルーラ。

 そして静かに、二人がアロンドの後ろにひざまずいた。

「あの女、ムーンペタの美人像にそっくりではないか」

「ムーンペタで、恐るべき魔法使いが、あの像を人に戻したという噂もあったが」

 やや大きめの声に、後ろに控えていたハミマが強くうなずく。

「まことか!」王の言葉にハミマが進み出、叫ぶ。

「まことにございます。わが家の知られた美女の石像、それをこのアロンドさまと、この賢者さまが恐るべき魔法を用い人に戻しました。彼女は歴史に名高き、かのデルコンダルの魔女であられました!」

 それもまた宮廷に衝撃となって伝わる。

「時が惜しい!早く患者に会わせてください」アロンドが声に、緩急を込めて圧力を伝える。

「おお、で、では」王が言おうとするが、一人の老神官が立ち上がった。

「お待ちください!勇者ロトの医法と呼ばれる邪法は、われらムーンブルク神聖医師団が異端邪教として禁じたもの。また、マリアさまはわれらが」

「そのお前たちが全く役に立っておらぬではないか!」王が叫ぶが、神官はそれ以上の気迫をぶつける。

「われらこそが正しいのです!」

「その通り!」

「いや、勇者ロトの言葉に従ったときには実際疫病は出ないではないか!」

「それは迷信だ!病は罪の報い、なぜ水を沸かしたり水源がどうたらで」

 さわぎの声が一瞬途切れた瞬間。なぜか全員が、アロンドを注目してしまう。

 その、目と軽く掲げた手が、すっと下がる。全員が、呆然と見る中、アロンドと瓜生、ジジとローラが、ゆっくりと大きな足取りで、大きな足音で歩む。

 奇妙な沈黙の中、足音だけが響く。

 平然と、一人の女官の前に立つ。

「案内を」

「はっ」

 とっさに王に対する礼をしてしまい、その過ちにも気づかず、恐怖につかれた女官はある廊下に急ぐ。

 アロンドは謁見室の王侯貴族たちを振り返りもせず、女官について足音を立てた。その足音の一つ一つが、計算されつくしている。

「と、止めよ!」

「な、なんということだ!」

「王よ、次の謁見が」

 ひたすら混乱が続く謁見室を無視して。衛兵たちも、アロンドの迫力に敬礼し道を空けるだけだ。

 さらに、ベルケエラを含む何人かの男女が出現すると、四人に続いた。

「ジジ、こちらのことを調べてくれ」アロンドの言葉にジジがうなずき、

「とっくにやってるわ。〈ロトの民〉も侵入してるし、ハーゴンも動いてる」と、消える。

「情報がなければ、侵略せず自衛することなどできなかったのです。昔、ジジ様はデルコンダルでカンダタを助けるかたわら、こちらの情報網も作っていたそうです」と、〈ロトの民〉の医者の言葉に、瓜生とアロンドがうなずく。

 

 闇に閉ざされた病室にアロンドを案内した女官が、そのまま怯えたように震える。

 瓜生のアバカムで扉が開かれる。

 広い、けれど非常に暗い続き部屋の女官たちが、怯える目で見る。

「マリアさま!」ローラが声を上げ、そして静かに礼をする。「アレフガルド王ラルス十六世の娘、ローラです。マリア王女様のお見舞いに上がりましたの」

「た、たしかにそのお姿は、小さい頃拝見したことが。し、しかしこの部屋は男子禁制で」

「久しぶりよの、シェギク」キャスレアが怯える老女官に笑いかけた。

「キャ、キャスレア、生きていたのですか」老女官が喜びに叫び、後悔に顔を伏せる。

「アロンドさまのおかげで、無事に。そしてその、ロトの医術を姫様にも、との王命じゃ」キャスレアが素早く笑った。

「医者としてはこのベルケエラが診察し、外科手術の必要があればこのウリエルが」とアロンドが、病床の姫に笑いかけた。

 王とはあまり似ていない、とても美しい二十になるかどうかの女性がアロンドを見つめ、衝撃に目を見開く。アロンドの美しさは圧倒的だった。

 ローラが複雑な、優しい微笑をかける。

「お久しぶりです。小さい頃、王様の誕生日でお目にかかりましたね」

「は、はい。ローラ様も、よくご無事で」

 ドアからわずかな振動があるが、音はしない。瓜生がアバカムやマホトーンの応用魔法で扉と音を封じている。実は激しく何人もの兵がドアを叩いているのだが。

「では」と、ベルケエラが次々と質問を始め、何人かの〈ロトの民〉〈ロトの子孫〉の若い研修医が言葉をメモし、自らも患者を真剣に見詰める。

 

「ひどい痛みを訴えていますが、大きいだけで良性の子宮筋腫と、ビタミンCおよびBの欠乏症と思われます」ベルケエラが告げる。

「こちらで、穿刺・超音波・血液検査もした。その診断と治療方針で間違いはない。任せて大丈夫だな?」瓜生が微笑む。

 若い医者たちが喜び、自信を深めた。

「野菜や動物の肝でビタミンは与えられるし、ケシからコデインとモルヒネは精製できたはずだな?」という瓜生の言葉に、嬉しそうにベルケエラがうなずく。

「手術の準備に数日。あとは食事指導をします」と、ベルケエラがローラにうなずきかけ、瓜生が扉の封を解いた。

 外にいた衛兵たちが襲いかかろうとするのが、アロンドの手が一振りされると鉄の像に変わる。

「さて、次の患者は?」

 と、下半身だけ鉄にした指揮官に聞く。

「あ、あの」

 そのまま、額にかざされるアロンドの手に、恐怖に引きつり泣き叫ぶ。暴れる腕にバランスが崩れ転倒する。もし下半身が肉であれば失禁していただろう。

 そして次の、王弟セラドの妻の母親を診察していたとき、そのセラドから呼び出される。

「アロンド」居丈高な仮面が、アロンドの視線一つで崩れる。「一人だけだ」震えながら言う声。

 瓜生は肩掛けカバンに替え弾倉を詰めて渡した。アロンドは笑って吹雪の剣の柄を叩き、使者の後についていく。

 

 案内されたのは中庭だった。

 進み出た、そこに待っていたのはクネスと呼ばれていた、王の叔父。

(王に特に反抗的な、中海の利権を持つ海将、とハーゴンが言っていたな)アロンドが思い出す。

 そのまま、堂々と立っている。その姿に圧迫されたクネスが、冷や汗を流しながらしばらく耐え、一瞬舌をもつれさせ、叫んだ。

「わしに従え!そなたは今よりわしのものだ」

 アロンドは無視し、じっと冷ややかな目で見つめる。

「そなたなど、アレフガルドの英雄であろうと、勇者、勇者ロトとやらの子孫であろうと、アレフガルド王家の娘婿であろうと、このムーンブルクではただの流れ者でしかない!わしに従い、あの王を倒す。そなたを高い地位につけてやる。黄金と宝石を与えてやる」

 と、軽く金貨と宝石を投げつけてきた。受け取ったアロンドはちらりと見る。

(地位?殺す気のくせに。ナチスドイツでの地位は腹がはちきれるほど味わった。黄金と宝石なら、こっちで十歳の時に持っていたさ。こんな、大灯台の島では贋金扱いされる低品位の硬貨や、輝石にもならないガラスじゃない。メイプルリーフ金貨とカラット級の高品位ブリリアントカットダイヤを)と、心の中で苦笑し、表情は動かさず、地に放った。

「ひざまずかぬかあっ!犬は棍棒と鞭でしつけねばならんな」と、抜こうとして引っかかり、やっと抜いて振り上げられた剣、周囲を八十人あまりの、鋼の鎧と大薙刀で武装した兵が囲む。

「さあ、ひざまずけ」一変し、ぬらぬらと強欲になった表情を見て、アロンドは静かに目を細めた。

(まったく、こんな人間たちより、魔物のほうがずっと戦っててすっきりする敵だな)

 薙刀を振りかぶった兵が、目の前に近づいてくる。嘲弄と残酷さが、かぶとをかぶらぬ顔からはっきり見える。

「叩きのめしてやれ、この勇者とかぬかす」

 叫び続ける貴族。そして衛兵たちに、アロンドは突然凄まじい声とともに、殺気と迫力を解き放った。

「な、何を……この庭からはどんな声も」

 そういいながら、震える手で衛兵に、かかれと合図する。

 恐怖に怯えながら、かろうじて訓練と集団の残虐性か、おそいかかる数人。その大薙刀が迫った、その瞬間アロンドの姿が消えた。

 凄まじい寒気が、全員を叩く。一瞬で鎧が凍り砕ける。

 かろうじて動く兵の間を、次々と閃光が横切ると、両足が鎧ごと大根のように断ち切られる。その傷口は凍りつき、痛みも出血もない。

 呪文を唱えようとしたローブの影が、口を押さえてのたうつ。

 速すぎる。風より、速鳥より速い。目で姿を追うこともできない。

 そして、片足を切断されたクネスの首に、吹雪の剣がすっと触れ、首の皮を凍らせた。

「は、八十人の」

「竜王はラダトームの門前で、千に及ぶ鎧武者を一息で焼き尽くした。それを倒したのだぞ、私は」

 アロンドが静かに、抑えた声で言うと、突然絶叫した。

「勇者ロト一族を敵にするな!われらを攻撃するものは、全て死あるのみだ!」凄まじい絶叫が、全員の心を打ちひしぎ、恐怖に吹雪の剣よりも深く凍りつく。

「警告は一度きりだ。だが、間違いなくお前のような男は懲りることを知らない。今殺しておいたほうが情けだろうな。だが、私はそんな情けはかけない」と、アロンドが静かに口に呪文を弄ぶ。「ベホマズン!」

 一瞬で、切断された足が、凍りついた全身が。斃れた兵たちが、次々と身を起こし、無傷の自分に怯え、恐慌を起こして逃げようと走り回る。それこそ、炎を投げこまれた羊のように。

 クネスも同じ動きをした。

「今までもこれからも、誰かが監視すると思え。ダリウス大公がシルヴィア王女をさらうようなことが、できると思うな」ただ淡々と言い、耳にささやく、「マリア王女がお前と王妃の子だと知っている。昨日、図書室からの隠し部屋でサマンエフ王弟と邪神に生贄を捧げつつ同性愛にふけっていたことも」凍りつく男を放り捨て、散歩でもするように中庭を出た。

 闇の産婦人科医である〈ロトの子孫〉と吟遊詩人のガライ一族、それだけで得られぬ情報などない。さらに今は瓜生の盗聴盗撮、血液型鑑定がある。〈ロトの子孫〉は医療倫理に厳しいが、研究用に共有される遺伝病や血液型などのデータだけでも充分だ。

 

 手の早い陰謀家たちの動きはそれだけではない。

 小さな息子を抱いたローラも次々に診療をこなす皆について歩き、キャスレアとともに顔を知る王族たちと挨拶と同時にアロンドたちの身分保障をしている。

 彼女が王弟の一人サマンエフの子を見舞い、つと手洗いを借りた。王族にとっては稀な一人、いな赤子と二人、その瞬間に壁の隠し扉からの手が、彼女を裏の部屋に引きこんだ。

 外で待つキャスレアも、物音ひとつ聞くことはなかった。

 ローラが目覚めたのは、恐ろしく暗いじめじめした一室だった。毒沼の匂いが漂い、それだけで、囚われていた沼地の洞窟を思い出し激しく吐く。小さい息子が、胃液のにおいに火がついたように泣き出した。

 一人の男と、一人の深い覆面に顔を隠した人が、赤子を抱えるローラをのぞいていた。

「ローラ姫、おひさしゅう」と、にたりと、病んだ牛が舌を大きくくるめかせ、膿の混じった涎をたらすような表情と声。

 ローラは激しく怯え、「アロンド」と呼ぶ。キャスレア、そしてリレムの名も。

「無駄じゃ。この部屋からはいかなる音も漏れず、魔法でも探知できぬ」

 覆面の誰かの声は、人のものとは思われなかった。

「ローラ姫。そなたの婚約者、サマンエフ王弟の顔も忘れたようですね、真のムーンブルク王の顔を」

 突然、あちこちにロウソクが点り、さらに悪臭が混じる。ばちばち、と線香花火のように弾けるロウソク。

 そして、その光に照らされた壁に、凄まじい何かが見えた。

「そなたを娶る日を指折り数えている間に、なんという裏切りであろう、この売女!」突然凄まじい声になる。「勇者とかぬかす流れ者と結婚するとは、アレフガルドそのものも皆殺しにしてやる!」

 怒鳴り散らし、口を奇妙にゆがめてローラの腹を、巨大な拳で叩きのめす。

「顔を殴らぬ理由がわかるか?本当ならば、おまえの美しい顔を切り刻み、焼き、皮をはいでなめしてやりたいところだぞ。だがそうはいかん。美しいものは、美しいままに捧げねばならんのだ。まず目の前で、その子を邪神シデーさまに捧げ、大いなる力と富を我に」

 静かに、おぞましい巨大なハサミを持った覆面の人が、じっと迫ってくる。

「シドー」ローラの口から、別の声が漏れる。

「何?」

「破壊神の名はシドー、敬称をつけてはならぬ。ロウソクの配列も違う、正確な六芒星にしてはならぬ。わずかなずれがなければならぬ。ロウソクも、純粋な罪人の血と脂ではなく、家畜の血を混ぜている!」

 ローラとは明らかに違う声。

 跳ね起きると同時に、ローラが小さな子を覆面に投げつけた。瞬間、煙とともに子は、巨大な、顔に色鮮やかな筋の入ったサルと化し、覆面をはぎとり醜く焼かれた顔に食らいついた。

「お、おま」

 ローラが顔をなでた、そこにはハーゴンの、おぞましさを思わせる笑いがあった。

「わが神に仕える者がいたことは喜んでやりましょう。ですがねぇ、あなたのちいさな願いなんかに、大切な生贄を無駄使いするわけにはいかないんですよ。あなたの魂はすでにシドーのもの、ならば」と、ハーゴンの舌がカエルのように伸び、サマンエフ王弟の口に突きこまれ、脳天から鋭く尖った先端が突き出る。

 そのまま、声もなく王弟は動きを止め、白目を向いて飛び出した目が、数秒後には死に濁った、そして機械のように忠実な目に変わる。

 ハーゴンの、しゅる、と戻った舌が、うまそうに唇をなめまわす。

「これからはわれらのために動いてもらいましょう。くだらない心などないほうが、ずっと楽でしょうしね。そちらの下級悪魔神官、おまえはこの場で、自らを生贄とせよ。ロウソクは正しく並べ替えてな」

 顔をかじりとられた神官が、ゾンビのようにゆっくりとロウソクを並べ替えはじめる。

 くっくっくっく、と邪神の秘堂に、邪悪な笑いがいつまでも響いていた。

 その笑いを聞くのは、小さな機械盗聴器だけだった。

 

 小さなイリン王太子は、怯えきっていた。激しい咳と熱があるのに謁見に引き出され、疲れきっていた。

「王族の玉体に触れ、玉顔を見ること何者なりとも許せぬ、われらも帳の向こうから糸脈を」とかいう医者や女官を、アロンドたちが容赦なく非致死性弾でなぎ倒し、縛り上げた。

「ジフテリア、それにビタミンCとDの慢性的欠乏」

「先天股関節脱臼を治さず無理に訓練したせいで、骨や関節がゆがんでいます」

「尻や背中にかなりの鞭跡。消毒されておらず慢性的に膿んでいますよ」

「砒素中毒の兆候もあります」

〈ロトの子孫〉の医者の診断を、瓜生が素早く確認診断し、抗生物質とビタミン剤を与え、傷跡を消毒する。

「この宮廷の王族は根本的にビタミン不足だ」瓜生が、あちこちで聞きこんだ食事メニューをめくる。「股関節の障害は、この年齢ならおれなら手術できる」と瓜生の声。

 だが、幼い少年はそんな言葉も聞いていない。ひたすら、アロンドを見つめていた。恐怖と憧れをこめて。

 アロンドはじっと、その目を見つめ返している。

「どう、したら、あなたの、ように、強くなれます、か」少年が、苦痛に途切れながら言う。

「まず、体を治すことです」アロンドが触れた手を、少年は強く握ろうとして、痛みに小さな悲鳴を漏らし、そして恐怖に引きつる。

「痛みや恐怖を漏らしたら叩かれていたのだろう。ドイツでも子を厳しくしつけるのが正しいとされてきた、それがあの過ちの原因ともなった」と、別の世界での遠い記憶を思い出す。ヒトラー自体もかなり過酷な虐待を受けていた。

「だって、強い、痛くない、怖くない、ね」

「私も痛いものは痛いし、怖いことは怖い。今だって、竜王を思い出しただけでちびるよ」と、アロンドが素直に笑いかけた。

「え」

「それでも剣を振るう。たくさんの人に育てられ、いろいろなものごとを与えられて背負っていることを思い出して。それだけだよ」

 アロンドが笑って、幼児の手を強く握り、キアリーを唱える。

 何度も。砒素や鉛のような元素毒には、キアリーは別の効き方をする。少し呪文を変形しなければ効果はない。

「殺すの?」怯え、泣く。

「殺すならもっと簡単に、ずっと遠くからでも、何の証拠も残さずやる。この城全部を一瞬で吹き飛ばすことだってできるんだから」アロンドが静かに笑う。それに、小さい子はうなずき、アロンドの手を握ったまま眠った。

 

 王太子を解毒していたアロンドたちのところに、突然王妃テアハスがきた。

 病む子の見舞いと聞けば、断るわけにもいかない。

 そして、アロンドと二人での会見を強硬に求める。

 王太子の宮から王妃の宮までは、遠かった。そして恐ろしく贅沢だった。

(確か南西の砂漠島出身)(王より権力は強いといわれる)(クネスと不倫)先に調べた情報を思い出す。

「そなた、ラダトームに誰を殺せと命じられてきた?」その美しい、それでいて鉛化粧品に痛めつけられた目が、冷酷に染まる。

「私はラダトームとは関係ありません」

「嘘じゃ!」声がかすかにうわずる。「知っておるぞ、ラダトームがサマンエフと組み、王位を狙っていることは」

(そんな事実はないな。サマンエフ王弟なら邪神の信者でアレフガルドを敵視しているとハーゴンに聞いた。ラダトーム王家に他国を狙うほどの気概があるなら、竜王ぐらい自力で倒していたよ)

「そなたが王を殺す気ならば、好きにするがよい。だがそれであの足萎えの少年が王座に就くなどとは思うな。このわらわが王座に就いてやる。そなたの助けがあってもなくても……あの愚か者の私兵をつぶしてくれたことも、フェイレの陰謀じゃな。ますますわらわの思い通りになる」

 アロンドはとっくにうんざりしていた。

(もう、私の死刑は決まってるってわけか。このタイプの貴族女は、ヒトラーの目と耳でさんざん経験した。自分しか愛さず、鋼より堅固な幻想しか信じない。利益や誇りで誘っても使い物にならない、裏切られずにいられず命令を聞かない。目の前で家族を拷問しても眉一つ動かさないし、本人を痛めつけても幻想を強めるだけ。苦痛も恐怖もすぐ忘れる、蛇を鞭でしつけられないように。何度目からか、とにかく問答無用で殺して理由をあとで探させた。そうそう、この本当の人生でも、アレフガルドに三人ほどいたな。無視したが)

 アロンドは、静かに言った。

「私の行動を試せばよい、最初は信じ裏切ったら二度と使わないようにすればよい。人を敵とするのは、あなた自身です」

 目に冷たく、さげすみと憐れみをこめ、カリスマを全身から沸かせる。

「なにをいうか!賤しい刺客のくせに。陰謀と偽りの子め」

「ラダトームに私の肖像を送れば、嘘なら即座にわかること」言葉を遮り、叫びが響く。

「だまれ!だれか」

 彼女の答えは、予想できていた。

 アロンドは黙って立つことを選んだ。

「ま、待ちや!そなた、水の紋章を渡せるのはわらわだけだと忘れるな。そしてまた、あの子などに」

「お茶をごちそうさまでした。失礼いたします」やや大げさに礼をすると、アストロンの呪文を唱える。

 短剣を抜いて忍びよっていた王妃の護衛たちが、一瞬で鉄像になる。

(この女の不倫なら知っているが、言っても無意味だ。なぜ、生まれたときはかわいい赤ん坊だったろうに、こうなるんだろう。うちの子がこうならないことを祈るだけだ)

 アロンドの冷たく優しい目に、王妃の表情が憎悪にゆがむ。

 アロンドは深い無力感を抱いたまま、王妃宮を出た。

 

 その夕方の王の晩餐は、ムーンペタの代表の一人であるヤフマの代理、ハミマを迎えるものだった。そしてローラ姫を。ただ、明らかにローラの席次は、本来の彼女……『結婚により王位継承権を放棄した、アレフガルド現王ラルス16世長女』にふさわしい席ではない。

 夜までに、ローラとアロンドの地位を確定することができなかったのだ。

 アレフガルド大使やキャスレアは強く抗議しようとしたが、アロンドに止められて抑えた……恥をかくのはムーンブルクだ、と。

 広間で、アレフガルドと違いテーブルもなく、中央に家畜の丸焼きを盛り上げ、くりぬいたパンにどろりと濃い穀物と豆の煮物を入れて食べる。

 アレフガルドにはテーブルがあるし、ジパング式の厳しい礼儀作法を仕込まれている〈ロトの民〉には奇妙に思える。ましてアロンドが住む、現代船の食堂では本格西洋料理・西洋食堂での日本料理のマナーすらDVD教材を駆使して紹介されはじめているのだ。

 ムーンブルクの、城から遠い下町で何泊かしたアロンドたちは、この地域の豊富な果物や野菜、魚を知っていたが、それがほとんどない。ひたすら焼いた肉とチーズ、蒸留酒だけの料理だ。野菜も煮すぎ。

 アロンドたちは、これじゃビタミン不足になるわけだとあきれながら、静かに食べている。

「下町の宿で食べているウリエルやハーゴンがうらやましくなる」と、アロンドがハミマに言った。

「わかりますよ。わたしもこちらに来たときは、下町での食事が楽しみなのです」とハミマが笑った。「でもムーンペタの食事はいかがでした?」

「素晴らしかったですよ。今度私たちのところにもいらしてください」

「それはすごいものがいただけそうですね」

 楽団が、いくつものティンパニに似た太鼓を音階順に並べた楽器で、ムーンブルクの歌を奏でている。

 そしてガライ一族特有の帽子と楽器の楽師が、瓜生が呆れたことに名作美少女ゲームのテーマソングをムーンブルク城の美しさを称える歌詞にして歌い上げた。

 貴族たちがアロンドたちを、興味深そうに、それでいて警戒した目で見ている。

 大貴族のレアヤは大胆にもやってきて、アロンドに酒盃を差し出した。

「ありがとうございます」と素直に受ける。周囲のアダンたちも大喜びで飲んでいる。

 一応蒸留酒はあり、グレープフルーツに似た果物の酒はすばらしい。

 王周辺では、ことさらにアロンドたちを無視しようとしているが、どうしても視線はそちらに集中する。

 奇妙な目つきで酔ったサマンエフ王弟が、突然杯をアロンドのほうに投げつけて叫んだ。

「兄上。小さい頃にラダトームとの約定では、我ら兄弟の誰かがローラ姫を娶りアレフガルド王家を継ぐ、となっていませんでしたかな?それがなぜ、勇者とかいう素性も知れぬ者と結婚したのやら。これはぜひとも、最近通行なったと聞くラダトームに強く抗議しませんとなあ?ラレド」

「待たれい」立った、もう中年になりかかる王弟の長。

「バレヌラ」と、周囲がなんとなく目を集める。

(王弟の中でも最年長、王位継承順一位とされています)ハミマがアロンドにささやく。

「ローラ姫はもとよりわが妻。もとより、アレフガルドにおける結婚そのものが無効じゃ」

「それは」言い返そうとするアレフガルド大使のラレドを、激しい目で黙らせる。

「アレフガルドと連絡が取れなくなった半年後に結婚されましたね。ムーンペタの美しい奥方と」と、沈黙を突いてレアヤが大胆に言い、また家禽の丸焼きをアロンドたちに持っていく。

「妻は去年、産褥で死んだ。何の障害もないぞ。国を売る気か」

「アレフガルドにそんな黄金などありませんよ。それに、ムーンブルクはわがものではなく王のもの。わが所領は風の塔に近い、大河にかかる橋と森と田畑」その広さと豊かさ、力を、かなり露骨にアピールする。

「吟遊詩人の愚かな歌に、惑わされたか」バレヌラが杯を叩きつけて叫んだ。

「いや、真実のローラ姫なれば、それはわが妻と決まっておる」サマンエフ王弟が突然叫ぶ。操られた、虚ろな目を陰険に曇らせて。

「魔物の術で入れ替わっているのでなければな。そうに決まっておるわ!」テアハス王妃も声に同調する。

 人々の心が凍る。

「魔物が化けているのなら、わが所領へ来ていただければ、暴けますよ」レアヤがアロンドを意味ありげに見る。

「これは、私のみならずアレフガルド王家そのものに対する侮辱となりますぞ」ラレドが立つ。

「何より、わがものであるムーンブルク王家の至宝、水の紋章を求めるとは」サマンエフ王弟が叫ぶのに、

 バレヌラが冷たく「これは異なことを。水の紋章などというものがこの王家にあるなど、わしは聞いた事もなかったぞ」と言い返す。

「ほんの百年前、神官から与えられたもので、そのようなものがあることすら忘れられていましたな。即位式でだけ出てくる何十もの宝物の一つで、式を監督した若い頃から三十年ぶりに思い出しました」レアヤが苦笑する。

「痴れ言を。あれはわらわが、大切に保管してきたものじゃ。忘れたか!」テアハス王妃が叫んだ。

「神殿の言い伝えでは、精霊ルビスさまがザハンの大神殿より」と王室僧侶が言おうとしたところで、

「黙れ!あれはルビスとは関係ない、はるか昔からわしが」サマンエフ王弟が叫んだ。

「邪神の信徒が」と吐き捨てるように言う王室僧侶と、憎しみに満ちたにらみ合いになる。

 音楽が変わり、新しい丸焼き獣が運ばれる。ぱちぱち、とひたすら脂が弾ける音、匂いが漂う広間に、憎しみと疑いだけが広がっている。

「そなた、本当は何をしに来たのだ?」新しく肉と酒を取ってきたレアヤが、アロンドの隣に座り、目を見て聞いた。

「水の紋章をもらいに。予言で、それを探すよう言われたのです」アロンドはまっすぐに、本来の彼の目で見た。

「それが真実だとして、その真実に何の意味があろう」レアヤが自嘲する。「王も貴族たちも、そなたが誰か、水の紋章は誰が持っているか兵を出さんばかりに争っている。何の力もない札と、あることも忘れていたものを」

 アロンドは何も答えられず、酒を干した。

「王がそなたにそれを与えようとしても、そうしたら反対者が叫び、その反対の反対で争いになる。わしも、祖父の代に王妃のご実家に恩を受けており、反対票を投じなくてはならん」

 アロンドがうなずくのを見てか見ずか。

「わが国が欲しいのならば、言っておく。手に入れる価値などないぞ」

「わかっています。これほど序列が崩れ、信義がなくなっていれば、民に叫びかけ押し流せばたやすく。いやというほどわかっています。私はアレフガルドの王位も断ったのですよ」アロンドの、苦慮の混じる言葉にレアヤがうなずいた。

「あの前に、勇者となるための試練で、ただの人として歴史を学んだ。ドイツのその後も」アロンドが瓜生を見る。

「記憶の統合は大変でしょう。ご無理なさらず、ごゆるりと」瓜生が言って、そっと懐の酒瓶から、レアヤに最高級のスコッチを注いだ。

「む、なんという見事な酒だ」美酒にため息をついた老貴族が、そのまま言葉を垂れる。「勇者ロトについてもさまざまな伝説があるな、わしの所領はこのムーンブルク城の真東、むしろ風の塔に近い橋と森の地でな。端にある小さな村に、ロトの伝説が伝わっておる。風の塔に巣食った魔物の正体を暴き、変身を暴く魔法の鏡を与えて去った、と」

「そのような話も聞きました、ウリエルからも」

「吟遊詩人の歌を聞くのも好きでな。アレフガルドが解放されたと聞いてより、ムーンブルク城はおろかわしの館でも、歌を聞く」

(ガライ一族か)ロト一族とガライ一族の絆は深い。アレフガルドから世界に広がり、情報を集めまた歌を通じて情報を広げている。

 その歌声は、今この広間にも響いている。

「それに、クネスの兵の一人はわしの密偵でな……その歌が、報告が、いやムーンブルク城街の伝説がいささかでも真なら……半神、じゃな。何度か、あの鏡を、邪教の者の正体を暴くのに使わせたこともある」

 アロンドは、答えようとして声が出ず、ただ杯を干した。

「よく聞く叙事詩の、イシュトヴァーンやバルドゥールのような野望なら、王族たちとは同類じゃ。アルド・ナリスのように賢しく恐ろしいものなら、同類と思っていたら操られていよう……行き先は地獄じゃな。だが……こんなところに来てどうする、グイン?」

 レアヤが、ふらつきアロンドに寄りかかりながら、スコッチを大きく干した。

「グインとは過分な……それに、どんな栄光と権力と引きかえでも、妻を不幸にしたくない。グイン……ただ誠なれ。真実であれ……」

 アロンドも酔っているように見える。実は彼は底なしなのだが。

「その真実が、ここでは貸し借りと剣と欺瞞の影としてしかないのでな。まあよい、サマンエフには特に気をつけよ……邪教の噂がある」

「もう、私に従ってくれる一人が処置したそうです」答えに、レアヤが目をむく。

「早いな」

「こちらに来たのが、早すぎたのかもしれません。調べてから来ることもできたでしょうか。ですが、いくら学んでも、このゲームだけのための人間になっては」アロンドが悲しげに笑った。

「うらやましい身じゃ。そのゲームとやらに習熟せねば、一日も生きられぬ身には。行動を選ぶことが何もできぬ、三代前から誰につくか決められている身には」

「同情します。ただ、ゲームは突然終ることもありますよ」(暴力でも、民衆を扇動しても、脅迫でもこんな国は簡単に潰せる)と一言押し殺す。

「ありがとうよ。しばらく様子を見るか、とっとと消えるか。いずれにせよ、気をつけてな。もう年寄りにこの酒はきつい、休ませてもらうとするよ」

 と、レアヤが立つ。アロンドは丁寧な礼で見送った。

 そして肉が食べつくされ、音楽が変わると男女が思い思いに踊りだす。アロンドたちには女たちも武人の男たちも群がり、小さな子を抱いていてもローラに男たちはせめて一目見たいと集まる。

 恐ろしいほどの美形がそろい、歯も肌もまったく違う。栄養・歯科・皮膚科・清潔、すべてが違うのだ。

 羨望と憧れの目、異国の珍しい話や冒険談をせがむ若者たちに、アロンドはいつもながらすぐに馴染む。

 ひそかに王弟たちや王妃に対する悪口がささやかれ、二人を応援する若い貴族たちもたくさん出てくる。

 

 それから、アロンドたちは静かに貴族たちの治療に駆け回る。

 貴族たちだけでも、特に歯科を含めれば多くの病人がいて、その多くは瓜生たちが治療すればすぐに治る。

 近代医学が発達し、前近代地域に普及していったとき、その威力はまさに奇跡だった。

 多くの人がかかっていた、脚気や壊血病などビタミンの欠乏症。乳幼児の多くを殺す伝染病。わずかな傷でも手足を無麻酔で切断し大半は死ぬ。そして単純な前置胎盤妊娠が、帝王切開ができなければ母子の確実な死を意味していたのだ。

 驚くほど最近の、イギリス国王の子も十人産んで一人生き延びれば幸運、というのが当たり前だった。

 抗生物質。ビタミン剤。消毒・麻酔・輸血。レントゲンや血液検査、超音波検査。そしてワクチン。

 それらの救命率の高さは、奇跡に他ならないのだ。

 数日で、死を待つばかりだった子たちが何人も回復する。貴族たちはそれに、感謝する以上に恐怖した。

 百何十年前にも、ミカエラと瓜生、そしてラファエルとガブリエラは何万もの伝染病患者を二月で救う奇跡を起こし、そして恐れられ石もて追われた。

 今も、ムーンブルクの僧侶たちでもある古くからの医師団は、アロンドたちに強い敵意を燃やしているし、それに同調している貴族も多くいる。

 アロンドの、圧倒的なカリスマを感じればこそ、それに対する反発も強いのだ。

 そしてその治療は血液型などを通じ、誰が本当は誰の子かの情報ともなる。

 

 十日ほど、王太子の手術が終わる頃に、城下街で騒ぎが起きた。アロンドとローラの姿を、民衆が見たがったのだ。

 医神とされる勇者ロトの、ガライ一族によって伝えられる歌はもとより大人気。そしてアレフガルド解放以来聞こえるアロンドの歌は熱狂的な人気を得ていた。アレフガルドの美姫の噂も、竜王出現以前から歌われていた。

 だが、アロンドを勇者と認めることに反対する王族がいる以上、二人を紹介することもできない。騒ぐ民を鎮圧しようとした王弟バレヌラの手兵と、クネスの手兵が激突しかかりもした。

 そして、騒ぎが強まるほどに、王弟バレヌラとテアハス王妃がアロンドを偽勇者として処刑し、ローラを妻にという無茶な主張も強まる。逆にそれが強まれば、その政敵はアロンドの側につこうと騒ぐ。

 皮肉にも、最初にアロンドを襲ったクネスの母親の実家が王妃テアハスの実家と敵であり、それで彼は、恐怖と憎悪に顔をしかめながらアロンドを勇者と披露せよと叫んでいるのだ。

 本来冷ややかな仲であった王弟バレヌラと王妃テアハスが、反アロンドでまとまってしまったことで、また宮廷内の複雑な力のバランスは変動する。

 王弟サマンエフが時々過激なことを叫び争いをあおるので、逆に彼を嫌う勢力が親アロンドになってしまうこともある。無論、ハーゴンが操ってのことだ。

 

 アロンドの周囲でまた厄介なのは、患者の一人マリア王女が激しくアロンドに恋してしまったことだ。

「どうか、連れて逃げてください」と泣く彼女、妻ローラがいることなどおかまいなしのように。

 そうなると、よけいにテアハス王妃が叫ぶことになる……

 そんな時、いついたのかジジが、突然マリア王女の枕元に手を伸ばした。

「洞窟に住む透明な毒蛇、これはペルポイの手よ」

 と、その手に握られた何かが握りつぶされ、血が地面に滴る。

「患者全員、暗殺者に狙われているわ。患者が死ねば、アロンドを罪に問える……僧侶医者も、王族たちも狙っている。これが初めてじゃないわ」

 ジジの厳しい目に、アロンドが歯を食いしばる。

「すまない」

「守り抜く」

 ジジの厳しい目を横から見るだけで、マリア王女は震えながらアロンドにしがみつこうとした。

「それに、こういう女も気をつけて。逆恨みで犯されたってウソの訴えすんのも、よくあるから」

 容赦ない、下品な口調に王女は真っ白になっていた。

 他にも、アロンドを誘う女は多いし、王弟たちはローラを狙っている。それは宮廷全体に、蜂の巣をつついたような興奮を起こしている。

 

 手術が終わり、落ち着いてきたイリン王太子のそばに、ローラは長男のローレルと、サデルらの子供数人を伴って滞在することが多くなっている。

 同年齢の子供たちに囲まれるのは、病人にとっても落ち着く。

 そして、瓜生からもらった何冊もの絵本を、ともに楽しんでいた。

 王宮内の対立は激しくなり、何人かが切り倒されているのが見つかることもあるし、ジジたちは毎晩アロンドや患者を狙う暗殺者を何人も捕らえていた。

 魔法を使う者もいたし、下町で雇われた腕利きの盗賊も、邪神教団の悪魔神官も、愚かな騎士もいる。美女をアロンドに抱かせようとする者もいた。

 ジジがその多くに、別々の幻覚を見せて送り返したり、別の相手を狙わせて捕らえさせたりしているので、あちこちの混乱が余計ひどくなる。

 

 アロンドたちはある日、ムーンブルクの街に出てみた。

「おいしいものもたくさんありますよ」とハーゴンが貧民街に連れて行く。そこの、少し古ぼけネズミが多くいた店の、酒でフランベした骨付き肉と煮豆のつけあわせは素晴らしかった。

「何の肉なんだ?」

「水田で飼うオオガエルです」ハーゴンの一言にローラがびっくりする。

 そこでも、フードを深くかぶっていてもアロンドはなんとなく目立ってしまい、何人かに酒をおごればもう宴会が始まる。

 聞きなれた歌も聞こえてくる。

「ガライ一族がここにも?」

「どこにでもいますよ」ハーゴンが笑って、『グイン・サーガ』の歌を注文する。

「ひょっとして、あんちゃんのフードの下は豹頭だったりするのかい?」

「見てみるか?」と、アロンドがフードを外す。

 酔客たちが凍りつく。

「な、なんかロトさまの像に似てるな。おっかあが子供産む前にこないだいったけど」

「あ、ああ。そっくりだ」

「ま、そんな顔もあるよ。この、薄いので巻いたのってなんていうんだ?」

「ヤテだよ。この辛いミミスと甘豆で食べると、ほら!」

「これはうまいな。故郷の酒だ、一杯飲むか?」と、アロンドがさしつけるウィスキーに、相客は大喜びする。

 そして騒ぎの中、いつしかアロンドたちは店を出て、ぬくもった気持ちで街を歩く。

 ごみごみした街。そこここに汚水が流れ、異臭が漂い、深い運河では小船が足がわりだ。

 小船にちょっと乗って、高く建て増された建物の間を縫っていると、広場で芸をしている人々がいた。

 ガライ一族の、瓜生の故郷から伝わったロックの旋律が流れてくる。

 それをふと見たローラが、凍りついた。

「リレム!なに、何を」

 中心で、幼さが残る体を薄布一枚だけで覆い、危うい色香を振りまきながら燃える剣と果物を交互に投げ上げ、受け止めている少女。

 それだけでなく、ローラも面識がある若い〈ロトの民〉も何人もいる。

「ローラ」アロンドが、ローラを抑えて路地裏に連れこむ。そこには、いつしか瓜生がいた。

「説明してくださる?リレムは、わたくしの大切な家族なのですよ。それに、つい先ほどまでは共にローレルの面倒を見ていたのに」

「私も詳しくは知らないのだが、ジジが彼女たち何人かに、いろいろ教えているんだ」アロンドもすっかり困っている。

 瓜生が静かに発言を求める。

「ジジは〈上の世界〉の、歓楽と通商の街アッサラームの盗賊出身です。手品と大道芸、その陰でのスリ、売買春に盗み、脅し、密輸、乞食、占い……あらゆる街の裏面に詳しい。彼女は魔法以上に、それらに浸透した情報収集を大きな力とします。その全てをリレムたちに伝える、と言っていました」

「ば、売春?」ローラの表情が凍っている。

「情報はロト一族にとっても重要だ。闇産婦人科医や公衆便所、港湾の仕事は、富だけでなく莫大な情報も手に入るし、ガライ一族も多くの情報をくれる」アロンドが沈痛に言う。

 そこに、すいと、ジジとリレムが来た。リレムは薄布の上から厚手のマントを羽織って。ジジは下級娼婦にしか見えない服で。

「あ、あなたたち」ローラの表情が激しい怒りを宿す。

「リレムが言ったのよ。どんなことをしても姫さまを守る、って。だから何もかも、教えてるんだよ」ジジの言葉と真剣な目がローラを圧倒する。

「その通りです。どんなことをしても……家族を裏切った時に比べたら、こんなのなんでもありません」リレムの目は、強烈な強さを放っていた。

「そ、そんな」

「ジジが必要だ、と判断したなら。おれは信じますよ」瓜生の言葉に、ジジがうなずく。

 ローラは一瞬泣き崩れ、アロンドにすがったが、すぐに顔を上げた。

「おねがい、わたくしのことを思っているのなら……死なないで」と、リレムを抱きしめる。

「は、はい……姫さま、どんな……どんなことがあっても、死にません。おそばにいます、お守りします」リレムがローラに抱かれて泣きじゃくった。

「教えがいもある。人を楽しませる才能は本物だね。さ、次いくよ。どこで間違ってたかわかってるかい?」ジジがリレムに笑いかけ、リレムが強くうなずいて飛び出した。




宮廷陰謀ものって登場人物数が爆発しますね。
やってみてはじめてわかること。「グイン・サーガ」も「氷と炎の歌」も、むしろ少なすぎる人数で回しているといっていいほどです。
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