「この新たな力をもって、今後もお供します。……地獄の底まで」
平野藤四郎が本丸に帰ってきた。
この本丸で初の"極"の力を手に入れた刀剣である。
「地獄の底まで付いてくるのか…君は天国に行きそうなものだが、いや、死後の話なんて縁起でもないな。何はともあれ、おかえり」
ふ、と伊織が微笑んで、平野の頭を撫でる。
体つきに変化があったわけではないのに、その姿は一回りほど大きくなったように感じた。それを見つめる灰青の目は、いつもよりもずっと澄んでいて、穏やかだった。
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「無事で何よりですね」
そこは長谷部の執務室。伊織が彼に渡す書類があったため、自らの執務室の隣にあるこの部屋にやって来たのだが、そのついでに平野の極の話題が上がったのである。もっとも、彼らの間だけでなく、本丸中が今日はその話で持ち切りなのだが。
「そうだな。4日間も居ないとなると、矢張り心配ではあったがな…彼奴は夜戦部隊の一員でもあったからな」
伊織が呟く。それはまるで、巣立った我が子を懐かしむ親のように、慈しむような声色だった。
窓の外の桜の木が揺れる。もうすっかり若葉が生い茂っていて、その鮮やかな緑は目に眩しい。それにかき消されるかかき消されないかといった小さな声で、あるじ、と長谷部が声をかける。伊織が振り返ると、彼は目を細めながら問いかけた。
「俺が修行に行くと言ったらどうなさいますか?」
「は?何だ急に」
「いえ…何となく、気になりまして。俺が修行に出たらどうなさるのかなあ、と。…ほら、俺は近侍ですし」
その様子は少し得意気だった。長谷部は、正式に一軍入りしてからずっと伊織の近侍を務めている。誰が修行に行ってもどこか寂しそうにする伊織の事だから、自分が行けば、下手をすれば泣いてしまうのでは、などと思っていた。
「ふむ、そうだな……とりあえず近侍は三日月かな?彼奴が遠征に行く場合は膝丸か一期あたりに任せても…」
その声は、いつもとなんら変わらない調子で。それは長谷部を少しばかり落ち込ませた。
「引き止めてはくださらないのですか…それに他の者を近侍になど……」
口を尖らせながら長谷部が不満そうな声で抗議の声を上げる。自分から聞いておいてこれである。一方の藤色に映る彼の主は、目を丸くして、ぽかんとした顔をしている。
「他の者をと言っても、お前が居ないんだから他の誰かを近侍にしないとどうしようもないだろ?」
「……それは、そうですが…でも、帰ってきたら俺は練度が下がるようですし…弱くなっては、近侍どころか…」
「まあ、一軍復帰までは少しかかるだろうなあ」
長谷部は今にも泣き出しそうである。いつもの凛々しい顔は何処へ行ってしまったのかと聞きたくなるほど情けない顔であるが、彼は『主に見捨てられること』を何より恐れているのだから、無理もないのだろうが。
「…………あるじ、俺は」
「……なんだその顔は。もしかしてお前、何か勘違いしてないか?」
「?」
呆れたようにこぼす溜息。長谷部がどきりとして、無意識に背筋を伸ばす。
そして、紡がれる言葉は。
「近侍を変えるのはあくまで、
「……え」
少し潤んで宝石のようにも映る藤色の瞳がみるみる見開かれていく。
「勿論他の者も頼りにはしているが…今近侍として一番私の傍に居て欲しいのは君だ。修行に行くことになれば当然送り出しはするが………早く帰ってくることだな。―――」
そして続いて、口を動かす。だがその声は長谷部には届かなかった。
「…………え、主、いま、なんと」
「聞こえなかったならいい。では、私は向こうに戻るからな。何かあれば執務室に来い。」
踵を返し、伊織が部屋を出る。残された長谷部は、ただ、自らの記憶と視覚を頼りに、聞こえなかった声を拾おうとしていた。
声は確かに聞こえなかった。しかし彼は動体視力にはそれなりに自信がある。彼の目は確かに、主君の言葉を捉えていた。
早く帰ってくることだな。―――君がいなくては、私もそれなりに寂しいのだから。
一人部屋に残された彼は、緩む頬を抑えることもせず、背後に桜を舞わせながら、花のような笑顔を見せていた。
例え自分が一時的とはいえ此処を離れる日が来たとしても、彼は待っていてくれる。自分を必要としてくれる。ならば、その期待に応えないわけにはいかない。大切な大切な主を、一番傍で支える存在は、いつまでも自分でありたいと、ただそう願い、まずは目の前の書類を片付けようと筆をとった。
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仕事中にひらめいた短編。はせべくんの幸せそうな姿と伊織さんの素直な姿を書きたかっただけです。
ちょうど今日は「幸福の日」って言うそうですね。偶然にもなんかぴったり?