「俺たちには、刀派の他に誇れるもんなんかなかった」蔵に似た静寂の中で眠ってしまえば自分はきっと何百年か沈んでしまうのだろう、とその恐怖を真面目に取り合う刀も他にいるはずがなく、膿んだ傷をナイフで抉り取って焼き潰した穴をパテで埋めていくような荒療治以外に彼らはその心の矯正方法を知らない。
俺たちに、夜は静かすぎた。ただそれだけのことを、あいつらはどうしても理解してくれなかった。たった一振り、この本丸に一番初めからいたという彼を除いて。
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まだ暑さの残る、九月の初め。まだ日の落ちぬ頃合いに、蜂須賀虎徹が自室で眠っている。他の私物からは想像もつかない、畳の上に幾枚か布を敷いただけの、寝床とも呼べない物の上に横たわる彼の枕元には、障子越しの明かりで本を読む浴衣姿の少年がいた。ふと目を上げて壁に掛けられた時計を見た少年は書を閉じて藤の髪の青年を揺する。
「そら、四時間経ったぞ。起きろ、虎徹の」
眉間に皺を寄せただけで応えもせず、起きることもしない刀に対して、けれど黒髪の少年は他の刀剣らに思われているよりもずっと丁寧に世話をする。掛布団代わりの綿紗の薄布を剥がして、着流しの背中に手を回した。
「あんたさあ、寝るときくらいもっと楽な格好しろよ」
「羽織は、脱いだろう……」
「あんたまさかそれが一等楽な格好なのか……」
ため息を一つ吐いてから俯いていた顔を上げて、良かった、と顔の切り傷が目立つ少年は言った。
「ちゃんと起きたな」
「主は、主のままかい?俺は、今度もきちんと起きられたのか?」
それは、毎度毎度の儀式。双方の予定が入っていない日の昼間、蜂須賀虎徹と同田貫正国は交代で眠った。一度に四時間ずつ。それは、彼らが自らに「休んでいるだけだ」と言い聞かせることのできるぎりぎりの時間だった。
彼らは、眠りたくなかった。
蜂須賀虎徹はずっと眠っていた。ごくまれに、数日間、あるいは数時間、意識と言えるようなものが生まれたこともあったけれど、そのたびに彼の使える家の主人は替わっていた。起きている間に主人が死んだことはなかったから、蜂須賀はきっと自分が起きていれば主は死ぬことはないだろうと思っている。この本丸に移るときに
同田貫正国は眠るのが恐ろしかった。何せ彼は数打であったから、一度意識を失えば数十年は起きてこなかった。意識の無いうちに、沢山の主人が彼の前から失われた。その間に売り払われていたことも、水の底で眠りに落ちて二度と目覚めなかったことすらあった。折角戦が始まったというのに眠ってしまうのは御免だった。
彼らは、暗闇が恐ろしかった。蜂須賀虎徹は彼が「ただの虎徹」であった時代を、同田貫正国はどこかで顧みられることなく錆びていった刀のことを、思い起こさせるから。
「いっそただの鉄塊であったなら……」
「ん、なんか言ったか?」
「ああ、いや。ただの独り言さ」
嗚呼、いっそのことこの目が無ければ良かったのかもしれないな、と虎徹の
「そら、もう昼飯の頃だ、とっとと行こうぜ」
俯きがちに考え込む蜂須賀の思索を遮るように、同田貫が声をかけた。
「今日の炊事班は長船のが班長だろ。あいつ遅れたら容赦なくメシ抜いてくるぞ」
「ああ、そうだな」
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今日は二振りとも非番の日であったから、昼食を摂り終えた彼らは同田貫の部屋へと向かった。今度は同田貫が「休む」番。いくら北向の部屋だと言っても太陽が眩しい頃合いだというのに、同田貫は障子を開け放したまま、畳張りの部屋の中央で胡座をかいた。
蜂須賀虎徹はいつだって綿入れ羽織の親戚のような布一枚の上で寝たが、同田貫はそれにもまして体を休める気の見えない姿勢で夢を見た。寝具の一つも使わず、この男は座り込んで、誰かが来れば直ぐに目が覚めるようにと水面の泡のように不安定な舟を漕ぐ。刀剣男士という存在はあまりに人間離れしていて、とりわけ同田貫は頑丈であったから、それでなお
同田貫が静かに目を閉じている間、蜂須賀はいつも書物を読む。それは思想書であったり兵法の古い巻物であったりあるいは
今日は誰も声をかけに来なかったので、同田貫も蜂須賀も幸いなことに誰に邪魔されることもなく四時間眠ることができた。その頃にはもう夕食まで半刻ほどしかなかったから、することもないというので二振りはそれぞれ仲の良い男士の元へ向かった。元来の性質としては近しいこともなく、むしろ諍いのないのが信じがたいほどに真反対の信条を持った彼らだったから、こうなれば当然別々の刀剣の元へ向かった。
蜂須賀は年上の弟、浦島虎徹の元へ。
同田貫は長柄の内では一等背の低い手杵の槍の元へ。
それぞれ向かい、食事も離れた場所でとるのだろう。どちらかにでも予定があれば話そうともしないこの奇妙な二振りを、けれどほとんどの刀たちは好き合っているのだろうと思っていた。その想像がどんなに的外れでばかばかしいのか知っているのはほんの数振り、それこそ両手の指にも足りない程度。
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夕食を取り終えて、交代で風呂に入って、それからは基本的に自由時間だ。もちろん直ぐに床に入る刀剣もいるけれど、それは少数派。生憎月の末で、呑兵衛どもは割り当てられた酒が尽きてしまったか酒盛りとは行かないが、それでも短刀たちが数時間は騒ぐ。大勢の短刀と脇差が数振り、いくらかの打刀、それから槍と大太刀が一振りずつ。彼らが騒ぐ様を微笑ましげに眺める刀剣の中に、同田貫と蜂須賀も紛れていた。見守る彼らは大概が短刀たちと同じ刀派の兄たちだった。けれど一期一振と宗三左文字は早々に寝てしまったので、今日は明石国行くらいであろうか。堀川国広が和泉守兼定の面倒を見るように、同田貫は御手杵の面倒を見ていると認識されているようだった。もっとも同田貫としても、それがあまり間違った認識だとも思わなかったが。
けれど日付の変わる頃には本丸は静かになる。二振りはその時刻が一等嫌いだった。
蔵のように薄暗く蔵のように静かな夜がおぞましくない他の刀剣らはどうかしていると彼らは言った。
彼らの常は、やはり交互に互いの部屋へ行き、そこで一晩過ごすことであった。今日は蜂須賀の部屋の番だった。部屋へ向かおうと言うときに、蜂須賀が傍らの黒髪に声をかける。
「酒でも飲まないか」
「珍しいな。あんたはそう好き好んで飲むやつじゃあなかったように思うが」
「たまには、良いだろう」
「そうだな。んじゃ、ご相伴にあずかるとしますか。……酒飲みどもには見つからねえように気いつけろよ。肴は?」
「…………」
まるで考えていなかったとばかりの沈黙に、あきれたようにため息を穿いて、同田貫は、自分の部屋からとってくるからおとなしく待つようにと告げた。
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蜂須賀虎徹が蜂須賀虎徹になったのは、裕仁天皇の御代であって、それ以前には彼はただ一振りの「虎徹の真作」でしかなかった。彼は、特段、逸話と呼べるようなものを持たない。最上大業物虎徹の名に恥じない切れ味を当然持ってはいたものの、裁断銘持ちなどこの名刀の集う地においては珍しくもない。
同田貫正国という彼の名は、結局のところ「同田貫」という呼び名以上には意味を持たない。何せ、彼が得意げに語ることを許されている兜割りの逸話は、正国の作によるものと決まったわけではないのだから。ではなぜ彼が正国を名乗るのかと言えば、知られていない神に意味などないからだった。同田貫と言えば正国、と言う者があるいはいたのかもしれないほどに、その刀工はそのほかの同田貫派とは隔絶した知名度を誇っていたからだった。
だから彼らから、刀派の名を奪ってはいけない。刀派がなければ、彼らはこの場にいなかったろうから。
「同田貫」というものは、決して名刀というわけではなかった。この場所で他のものらと比較できるほど、良い物ではなかった。たくさんの、たくさんの名を上げなかった刀たちと、いくつかの知られた刀たちを寄せて集めた先が、「刀剣男士:同田貫正国」だった。
その虎徹の真作は、政府が審神者に与える初めの一振り、それになり得る五つの刀の一つだ。他の四つの刀は、作り手が知られておらずともその存在だけで十分に知られうる存在だった。
六代目加洲清光、通称非人清光が一作にして沖田総司の佩刀。
二代目兼定──之定が作の細川忠興の愛刀、肥後拵えの本科にして三十六人斬り。
山姥を斬ったとも、その刀長船長義の写しとも言われる、刀工堀川国広の最高傑作。
言わずと知れた有名人、坂本龍馬の佩刀たる陸奥守吉行の
彼らは、彼ら自身の存在か、あるいは主人の名だけで十二分の有り様と言えた。けれど蜂須賀虎徹そのものばかりか蜂須賀家ですら知られているとは言いがたい。
その、名の一部分を欠けば自分達はどうなってしまうのか、二振りが知らないはずがなかった。同田貫の頑健さ、虎徹の鋭さに寄りかかってようやくここにいると知らないわけではなかった。
いつかその名を忘れられることを、彼らは恐れていた。
蜂須賀虎徹は、
同田貫正国は、その偉業に縋るには在り方が曖昧に過ぎた。
たとえ神と呼ばれていても、酒精に溺れねば耐えられないことが有る。
同田貫は普段肴の質を気にするような刀ではなかったから、今日彼が持ってきたのは、槍三振りと分け合った大袋のナッツだった。蜂須賀は、油がきつすぎると文句を垂れながらひたすらピスタチオの殻を剥いている。
「おまえそれ以外も食えよ。俺の分なくなるだろうが」
「嫌だ」
「あ!?おま、……ひょっとしてもう酔ってんのか」
「よってない」
「顔赤いぞ」
「酔ってないと言っているだろう」
「ま、別に何でも良いけどさあ」
同田貫は本当に何でもなさげにそう言って、そっぽを向いて声を溢す。
「初期刀なんて称号、あんまりに重すぎる。そりゃあ酒でも飲まなければやっていられねえだろうさ」
盃に落ちる涙に見ないふりをして、同田貫も杯を煽った。
そうして今日も、明日も、ずっと。折れてしまうまでは、毎晩。書を広げて、互いの手習いを見て、酒瓶を空にして、夜が明けるまで。行灯に油を絶やさぬように。月の暗がりから逃げ去るように。
互いに好意を持たない理解者たちは、二振りだけで、守らねばならない過去から逃げる。
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また、朝が来る。今日の出陣部隊には蜂須賀の名がある。今日の畑当番の片割れは同田貫である。今日もまた、眠れない日が二振りに訪れる。