雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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 旧170話のリメイクです。


銀の月の来訪

 タングラム門からクロスベル市街に戻ってきた一行は、報告のために支援課ビルに戻ることにした。しかし、アルシェムは支援課ビルの前まで来ると唐突に立ち止まってしまう。

「どうかしたんですか、アル?」

「……どーゆー……いや、何でもない」

 立ち止まったアルシェムを不思議そうに見たティオは、とんでもないモノを目にしてしまった。それはアルシェムの掌の中にある。あってもまあ、さしておかしくない物体だ。しかしティオの知っている限りではそんな形状をしていなかったはずである。そもそも小判型の戦術オーブメントであるからにして。そう――戦術オーブメント《ENIGMA》は、アルシェムの手の中で変形していた。それも、握りつぶす形で。

 ティオは壊れた機械のような動きでアルシェムを仰ぎ見てこう返した。

「それのどこが何でもないんですか……」

「え、あー……やっちゃった。ちょっと直してくる」

 動揺のあまりオーブメントを握りつぶしてしまったことに遅ればせながら気づいたアルシェムは、玄関からではなく裏口から自室に戻ることにする。何故なら、玄関から入るととある人物に出会ってしまうからだ。今の精神状態で彼女に会えば、アルシェムは何をしでかすか分からなかった。最後まで隠し通すと決めていたことの一つを守れなくなりそうで。故に、彼女に極力関わらない方向でいこうと思ったのだ。

 何故裏口から入るのかと疑問に思うロイド達にお客がいるからとだけ告げたアルシェムは、裏口から自室に戻った。扉に鍵を閉め、溜息をついて《ENIGMA》の修理にかかる。そう時間のかかるものではないのですぐに階下に降りなければならないだろうが、敢えて丁寧に時間をかけて修理を終わらせるアルシェム。階下にいる彼女が、何を依頼してきているのかなど知りたくなかったのである。

 だが、修理が終わってしまったからには階下に降りなければならない。それに、どうやら彼女もアルシェムのことを待っているようで、このまま部屋に立てこもれば無用な疑いを掛けられそうである。

 故に、アルシェムは部屋から出て階下に降りた。

「あ、アル。直ったのか?」

「あれくらいなら余裕だけど……依頼人さん放置して会話すんのはやめといた方がいーと思うな」

 ロイドから声を掛けられてそう返したアルシェムは、数年ぶりに見る『□□』の顔を見た。当時とは、一部を除いてほぼ変わっていない。濃い紫色の髪。年齢よりも若く見える、整った容貌。丁寧に鍛え上げられた全身の筋肉は、あの時よりも更に磨きがかかっている。そして、当時とがらりと変わったその部分――胸は、あろうことかエリィよりも巨大だった。

 その少女は、アルシェムに向けて問う。

「貴女は……」

「他人に名前を聞くときは自分から名乗った方がいーと思いますけど?」

 敢えてアルシェムは少女の言葉に被せるようにそう応えた。彼女に明言されるわけにもいかず、またアルシェムからそうであると回答することも出来ない。アルシェムの表の経歴が途切れる最後の部分に関わる彼女を、これ以上関わらせるわけにはいかない。思い出させたくないのだ。あの時の悪夢を――人外に襲われるという経験をした、彼女に。

 少女はアルシェムの言葉にこう返した。

「あ、えっと、私はリーシャ・マオって言います。今日はその、特務支援課の皆さんに依頼を……」

「特務支援課所属のアルシェムです。よろしくお願いします――で、ロイド、依頼内容は聞いた後だよね?」

 アルシェムは少女――リーシャの言葉にそう返してからロイドに目線を移した。ロイドはそれを不思議に思いつつも依頼内容について詳しく説明する。彼によると、劇団《アルカンシェル》のスター、《炎の舞姫》イリア・プラティエに脅迫状が届いたそうだ。アルシェムには何故リーシャがその依頼を持って来るのかが分からなかったのだが、要領を得ないランディの言葉を聞く限りリーシャも《アルカンシェル》に所属しているようだ。それで依頼を持ってきたということだろう。

 来客用カップに注ぎ足された紅茶を一口飲んで、リーシャは更に言葉を付け加える。

「あの、それと……これは依頼ではないんですけど……」

 そこまで言ってリーシャは黙り込んでしまう。何か内心で葛藤があるようで、どう言ったものかと悩んでいるようだ。本当に彼らが信頼できるのかと、目の前にいるアルシェムがリーシャの知る『エル』ではないのかと――様々な思いが胸中を駆け巡っている。

 それを見かねたエリィがリーシャに声をかける。

「言いにくいことでしたら言わなくても構いませんよ。気にしませんし……」

「いえ、言いにくいことじゃないんですけど……その、さっきの依頼のこともありますし……」

「複数の支援要請を受けることもあるのでそのあたりは大丈夫だと思いますけど……」

 そのエリィの言葉に、リーシャは腹をくくったようだった。胸の前に右手を当て、拳を作って握りしめる。浅く息を吐いて、声を出すために息を吸って――そして、その言葉を吐きだした。

「……人を、探してほしいんです。時間がかかっても構いませんから……」

 ロイド達はリーシャの言葉に顔を見合わせた。時間がかかっても構わないということは、最近行方不明になったわけではないということだ。しかも、リーシャは最近クロスベルに来ているはずで、尚更ここでは見つけにくいような気もする。どこで行方不明になったのか、何故見つけたいのかを聞かない限りは目星すら付けられないだろう。

 一同を代表してロイドが問う。

「どんな方ですか?」

「……エルという名の、長い銀色の髪の女性です。もし生きているのなら、恐らく年齢はロイドさんと同じくらい……だと思います」

「生きて……って、亡くなっている可能性もある、ってことですか?」

 エリィがそう聞き返す。すると、リーシャの顔が目に見えて曇った。どうやら死んでいる可能性の方が高いらしい。無理もない、とアルシェムは思う。何故なら、リーシャが最後に『エル』を見たのは――魔人に背を斬り裂かれた姿であったはずだから。死んでいてもおかしくない。だが、現実には『エル』はその場から生き延びていたのである。何故なら、『エル』は――アルシェム本人なのだから。

 だが、アルシェムはそれを明かすことはしない。明かす意味がないからだ。かつて『□□』と呼んだ彼女らの元に帰れなくしたのは――そもそもあの冷たくもあたたかい場所にいる権利などありはしなかった――アルシェム自身。その後完全に闇に堕ちきったアルシェムから、リーシャに言える真実などどこにもなかった。彼女は既に裏の人間ではあるだろうが、闇に染まり切っているわけではないのだから。

 そんなアルシェムの内心もいざ知らず、リーシャが言葉を零す。

「……むしろ、死んでいる可能性が高いと、思っています。でも……でも、やっぱり探さないままでいるのは嫌で……だって、エルは……」

 『家族』だから。そう、リーシャは告げた。リーシャにとって、自身のことを『エル』としか名乗らなかった少女は正真正銘の『家族』だったのだ。あの時点で母は既に亡く、父からは忌まわしい業を受け継ぐべき存在だとみなされて毎日を過ごしていたリーシャにとって、『エル』は孤児であっても父が家に招き入れた時点で『家族』だった。たとえ父が家に招き入れた目的が、リーシャから甘さを棄てさせるための手段としての生贄にするためだったのだとしても。

 そんなリーシャを見て、アルシェムは告げる。

「あんたが最後にその人を見たのがどういう状態だったのかは知らないけどさ、死んでる可能性が高いってことは瀕死だったってことだよね?」

「……そう、です」

「逆に考えてほしいんだけど……もし死んでなかった場合の方が結論は悲惨だと思わない?」

 ひゅっ、と息を吸いこむ音がした。それは、敢えてリーシャが考えて来なかったことだからだ。あの状況で、死んでいなかった場合。背中を引き裂かれ、そのまま連れ去られた、というのがリーシャの見た事実。だが、その後彼女が生き延びていたとして――どういった扱いを受けると思っていたのか。分かっていたはずだった。何故なら、その事件の解決には父も関わっていたのだから。

 故に、そのことは考えないでいたのだ。連れ去られてなお生きていた場合――本当に彼女が五体満足で精神的にも無事でいられるか、などとは。それを察したランディがアルシェムを窘めるように声を発する。

「おい、アル」

「……ごめん、言いすぎたかも。でも、死んでいる可能性が高いっていうなら、そういう覚悟もしておいてもらった方がいいと思ったんだ。実際――わたしは死にかけの状態から裏社会に取り込まれた人たちを見てるわけだし」

 ここに事実を知る者がいれば何を白々しい、と言ったことだろう。アルシェムの言葉はそっくりそのまま彼女自身のことを指していて、『家族』であると知っていながらもそれを否定するような言葉を発するのだから。だが、どんな矛盾を抱えていようとアルシェムはリーシャに明かすことだけはしない。そう――『アルシェム』なら。

 リーシャはアルシェムの言葉を受けて言葉を零す。

「でも、それでも――生きて、いてくれるなら。その方が、私は嬉しいです」

 アルシェムはそれを欺瞞だらけの言葉だ、と思った。どんな状態で生きているのかなど、リーシャはまるで気にしていない。極端なことを言えば、たとえどこかの施設で実験動物として飼われている状態であっても、生命活動を停止していなければその方がいいのだと。そう言っているようにアルシェムは受け取った。

故に、アルシェムはリーシャに言葉を吐いた。

「……そーですか。じゃ、片手間にでも探してみるので情報を下さい。その人がどういう人で、いつどこで誰によって瀕死にされたのか」

「……はい。エルは――」

 その後の話は、アルシェムの意識にすらのぼらなかった。既に知っていることが故に、聞き流しても何の問題もなかったのだ。何故なら『エル』はアルシェム自身のことで、今ここで生きているのだから。聞いたところで探すつもりもなければ、生存の情報を渡すわけにもいかなかった。リーシャがいつどこで、どれだけの罪を犯してきているのかを知っていてなお、これ以上闇に落とすわけにはいかないと思っていたのだ。

 そして、一通りの話を聞き終わった後ロイド達は歓楽街に向かった。リーシャからの願いで劇団《アルカンシェル》に顔を出す必要があったからだ。ここクロスベルの観光の目玉ともいえる《アルカンシェル》は、多くの人が集まる歓楽街に存在する。そして、その中では劇団員たちが切磋琢磨しながら世に素晴らしい作品を送り出しているのである。

 一行が《アルカンシェル》の正面まで辿り着いた時だった。目の前に歩く男性から声を掛けられたのは。

「おや、エリィお嬢さん!」

 名を呼ばれたエリィは硬直した。何故ならその男性は、エリィにとって今あまり会いたくない人物だったからである。その隣に立つ身内すらも。エリィはその場所から一度逃げ出してしまっていると言っても過言ではないのだから。その男性は、身内の――ヘンリー・マクダエル市長の秘書なのだ。そして、本来であれば市長の立つ位置こそがエリィの目指すべき場所。最終的な目的地だった。

 今はエリィにとってのモラトリアムで、迷いの時間だ。それを知っていてなお声をかけて来た男性に向けてエリィが声を発する。

「あ、アーネストさん……」

「お元気そうで何よりです、お嬢さん」

 アーネストと呼ばれた男性は、エリィにニコリと笑いかけた。それを見てアルシェムは首筋まで鳥肌が立った――あまりの爽やかさにある種の拒絶反応が出た――のだが、それに気付く者はいない。プレ公演の下見に来た、というアーネストを見ながらアルシェムは彼についての情報を脳内でまとめなおし始めた。

 アーネスト・ライズ。エリィの祖父ヘンリー・マクダエル市長の秘書であり、将来は政治家になることを夢見ている若者である。ただし、清廉潔白なヘンリーとは対照的にある程度の裏取引は出来るようで、ヘンリーが判断に困るような法案が出された際にはまずアーネストから説得すれば何とか通せると、裏の世界ではもっぱらの噂である。

 裏社会とのつながりは恐らくほぼないだろうが、アルシェムは彼にとある気配を感じていた。本当に僅かな違和感。気のせいかと思えるほどに薄く、アルシェムの知るあの忌まわしい気配がしている気がする。気がするだけで、気のせいかも知れない。もしもあの忌まわしい薬が関わっているのならばとうの昔に表を歩けるような状態ではなくなっているはずなのだ。たとえ摂取量がごくわずかであったとしても。

 アルシェムがそう考えている間に、エリィはヘンリーとの会話を終えていた。エリィから支援課の一員として紹介されたときも反射的に頭を下げていたので考え事をしていたとは気づかれていないのだが、良い態度とは言えないのは確かだ。

 内心で溜息をついたアルシェムは、《アルカンシェル》に入って行こうとするロイド達を追った。入ったところで一度止められたのだが、ロイドが名乗るとすんなりと通して貰え、奥へと案内される。

 

 そこには――《炎の舞姫》がいた。

 

 まるで風に揺らめく炎のように儚く揺れる。そうと思えば次の瞬間には力強く地を蹴り、まるで燃え盛る焔のように周囲の空気を焼き焦がす。辺りを照らし、温め、時には我ここにありと激しく主張しながら舞い踊るその女性こそが、劇団《アルカンシェル》の看板女優。誰もが目を奪われる美しい《炎の舞姫》、イリア・プラティエだった。

 イリアには目を離せないような魅力があった。見る者の心にすんなりと入りこむ声を持っていた。どんな時でも、観客を舞台にのめり込ませるだけの説得力があった。それゆえに――アルシェムは危惧した。もしもイリアが『クロスベル独立を目指す果敢な女性』を演じれば、イリアの演技を見た民衆たちはその思想に憑りつかれていくだろう。そういう風に利用されても何らおかしくはない。

 イリアの舞が終わった時――惜しみない拍手を送りながら、アルシェムは顔には出さないようにしながら内心では眉をしかめていた。イリアは危険だ。この演技力に目をつけられた時が、恐らく《炎の舞姫》イリア・プラティエの最期だろう。たとえリーシャが隣にいてもそれは同じこと。肉体的に生き延びようが、精神的に生き延びようが、恐らく社会的に抹殺される。それが分かっていてなお、イリアは踊るのだろう。ろうそくにともる炎のように。

 そうぼんやりと考えていたアルシェムは、故に気付かなかった。目の前にそのイリアが文字通り跳んで近づいてきたことに。イリアは猫に似た笑みを浮かべてアルシェムに告げた。

「う~ん……アナタ、《アルカンシェル》で踊ってみない?」

「……え? えーっと……あ、そーゆー……いや、色んな意味で無理なんで却下します」

 アルシェムは暫しイリアの言葉の意味を取りかね、言葉を脳内で反芻してから断った。というのも、そもそも特務支援課から出る気がないことに加えて《アルカンシェル》に関われない理由が多数あるからだ。たとえば、身体。アルシェムの身体には昔の稼業の影響で大量の古傷があり、化粧で誤魔化そうにもどうにもできない傷も多々あること。そもそもそんな余裕がないこと。そして――《アルカンシェル》には、《身喰らう蛇》の手が伸びる可能性があるからだ。

 一番最後の理由はあまり有り得ないことではあるが、ヨルグが裏社会に落とされかねない執行者候補たちを保護する名目で利用する可能性だって無きにしも非ずなのだ。そもそもヨルグが関わっている時点であまり立ち寄りたい場所でもない。ついでにここにはリーシャもいる。そういう意味では、クロスベル内でもアルシェムにとっては鬼門に位置することに変わりはなかった。

 しかし、イリアはアルシェムの顎に手を当て、下から覗き込むようにしてもう一度問う。

「ポテンシャル的には満点なんだけど、というかリーシャと同じくらいの才能を感じるんだけど……外堀から埋めて良い?」

「良かねーですし、そもそもイロイロ誤魔化さないといけないのがある時点で無理ですってば」

「じゃ、賭けをしましょ」

 そう言いながらイリアがアルシェムの首に手を伸ばして。うなじのリボンを引っ張ってチョーカーを引っ張った。アルシェムの手がイリアの手に伸びるが、イリアは持ち前の運動神経で後ろに飛び退く。が、アルシェムも同時に地面を蹴ってイリアとの間を詰めていた。

「返して貰えますか」

「一分以内に取り返せたら諦めてあげても良いわよ?」

 イリアはそのままバク転をして舞台に上り、チョーカーを持った手を上に掲げた。いかにもとって御覧なさいとでも言わんばかりに伸ばされた手に向けてアルシェムの手が伸びて――きちんと取れずに、弾いた。

「――ッ!」

 それを見たアルシェムの顔色が変わった。アルシェムの手に弾かれたチョーカーはそのまま上空へと舞い上がり、そしてシャンデリアの上へと辛うじて引っかかってしまったのだ。アルシェムはイリアに阻止される前に彼女の横をすり抜け、舞台を蹴ってシャンデリアに引っかかったチョーカーを今度こそ掴み取る。そして、着地したアルシェムは大きく安堵のため息を吐いた。

「……二度とやらないで下さい。これは、何よりも大事なものなので」

「あ……ごめんなさい。そこまで必死になるようなものでもないと思ったから……」

 イリアはアルシェムの必死な様子に何かを感じたのか、素直に謝罪した。その後、ロイドにイリアが抱き着くというハプニング――イリアはセシル・ノイエスの友人であり、よくセシルからロイドのことを聞いていたため――もありつつも特務支援課の一同は事情を聴くことに成功した。脅迫状を出してきかねない人物の情報も得られたのだが、アルシェムにとっては看過できない名前がそこに記されている。

 故に、アルシェムはロイドに別行動をすることを告げてその場を立ち去るしかなかった。これ以上その場にいれば、ぼろを出しそうだったから。

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