雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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 新115話・銀の月の来訪の裏話です。

 では、どうぞ。


閑話・《銀》と《雪弾》

 あの子はどこにいるのだろう。あるいはあの人が『エル』なのだろうか。そう思い続けて数日。リーシャ・マオは本日も二足の草鞋を穿いていた。劇団《アルカンシェル》の大型新人という煌びやかな表の顔と、カルバード共和国の闇にして不死の魔人《銀》という裏の顔。その二つの顔を使い分けてクロスベルにいた。拍手喝采を浴び、それに応えるために振るその手でリーシャは人を殺す。それが彼女の生き方だから。

 クロスベルに来てからは、まだ誰も殺してはいない。だが、二年前に《銀》を継いだあの日から――リーシャは既に両手では数えきれないくらいの人を殺めていた。政敵、怨敵、裏切り者。そのどれもを弑し、裏社会の秩序をある意味守ってきた。その道に後悔がないとは言えないが、もう一度やり直せるとしても恐らく同じ道をたどるだろうことは想像に難くはない。

 あの日――リーシャが一人の家族を喪った日から、数年間。先代《銀》ことリーシャの父は、彼女には何も言わずに何らかの組織を探っていたようだ。当時から何となくは察していたし、死んだ後に残ったものから類推するに、胡散臭い悪魔崇拝の宗教団体を調べていたのだろう。あの魔人どもが、どこ産のモノなのかを知るために。それが、共和国のためになると信じて。

 だが、リーシャは父の遺志を継いでそれを調べようとは思えなかった。調べればいずれ辿りついてしまうかもしれないからだ。かつて家族と呼んだ『エル』という少女が、既に死んでいるかも知れないという事実に。それを直視出来なくて、リーシャは他人からの依頼に逃げ続けていた。

 リーシャがクロスベルに来たのは、疲れたからだ。人を殺し続ける日常に。いっそ、どこかで職を見つけて暗殺者を辞めてしまおうか。そう思ったことも何度もあった。だが、そう思う度に絶対に外せないお得意様からの依頼が舞い込み、リーシャは人を殺し続けることになる。その依頼からも逃げ出すためにクロスベルに来たのだ。人を殺して生きていていいのか。その問いが、何度も彼女の脳裏にリフレインする。その度に彼女はその声から意識を逸らした。

 劇団《アルカンシェル》を訪れたのは、本当に偶然のことだ。一通りクロスベルを見て回ろうと思って劇場の前を通りがかったところに、声を掛けられたのだ。それが男だったらリーシャは完全に無視をしていただろう。だが、そこにいたのは金髪の美女だったのである。彼女はイリア・プラティエと名乗り、そして――強引にリーシャを劇場の中へと引きこんだ。そして見せたのだ。彼女の、他人を惹き込む演技を。それに魅せられたリーシャは、少しだけ彼女のそばにいたいと願ったのだ。

 そうして、舞姫リーシャ・マオが生まれた。人を殺すこともなく、ただ他人を楽しませるために踊る。それはいつものリーシャからはかけ離れていて――とても、楽しかった。人を殺さずに生きることが、どれほどの幸福かを知った。《黒月》から《銀》に接触があったとしてもそれは色あせることなく彼女の視界に色鮮やかに焼きつく。離れられない輝きが、そこにはあった。

 何度も、辞めようと思った。だけど、辞められなかった。《アルカンシェル》とイリアによって彩られた毎日を、リーシャは手放せなくなっていたのだ。手放さなければならないと思うほどに、大事だった。大切だった。喪いたく、ないものだった。故にリーシャは二足の草鞋を穿くことに決めたのだ。誰も咎めやしないだろう。どちらにも、素性がばれなければ。

 そんな時だ。短い銀色の髪の、『エル』によく似た女を見かけたのは。あの時とは違って髪は肩口よりもさらに短く切りそろえられていても、見間違えることはない。あの時とは違ってその瞳に光があったとしても、見間違えることなど有り得ない。見慣れないチョーカーを巻いていても、どんな格好をしていても、見間違うはずがなかった。あの時あの瞬間に背を斬られた少女が、そこにいた。

 声を掛けようと思って、その背を追おうとした。だが彼女の足は意外に早くて『舞姫リーシャ』のままでは追うことが出来ない。すぐに見失って、幻だったのではないかと震えた。幸せな日常を過ごすリーシャに、エルが恨みをぶつけに来ているのかと。

 だが、幻ではなかった。《クロスベル通信》に掲載された記事に彼女が乗っていたのだ。特務支援課の一員として。そして――エルではなく、アルシェム・シエルとして。丁度イリア宛てに脅迫状が届いたところで、ならば特務支援課に依頼すればいいと思った。そういう理由を作れば、面と向かって会えると。また家族に戻れると。そう、信じていた。

 

『他人に名前を聞くときは自分から名乗った方がいーと思いますけど?』

 

 この、言葉を聞くまでは。

 

 他人。誰が一体他人だというのか。リーシャの家族であるはずなのだ、目の前の女は。なのに彼女はそれを否定する。名を知っているはずなのに、名乗らせようとする。その顔には感情が全くと言っていいほど浮かんでいなくて、それが皮肉にも当時のエルと同じ顔で。だから、リーシャは分からなくなった。本当に、目の前の女がエルなのかどうかが。同じ顔をしただけの別人なのかもしれない。そう、思った。

 アルシェムと名乗った彼女の言葉に流されるように、リーシャは己の思考を誘導させられる。エルという名を出して、探して貰えるように頼んだ。目の前にいるはずの、彼女のはずなのに。背を斬られて死にかけていたというくだりを思い出した時には、とうの昔にエルが死んでいるかも知れないという事実を、改めて突き付けられたような気がした。

 その後、エルのどんな話をしてもアルシェムは一切表情を動かそうとはしなかった。その隣に立っていたティオという名の少女がやけに冷たい目でアルシェムを睨んでいたのが印象的だっただけだ。目の前の女は、エルではないのかもしれない――その想いが、一日を過ぎるごとに降り積もっていく。

 だというのに。だというのに、だ。今、《黒月》から出てビルの上を疾走し、《アルカンシェル》の近くで変装を解いたリーシャの目の前に立ちはだかる人物が、それを否定した。

「――今、なんて」

「何度も言わせるな。おまえの行動を多少縛る代わりに、おまえが必要としている『エル』という名の女の情報をやろうと言っている」

 長い、銀色の髪。顔には珍妙な仮面をつけ、神父服を纏った奇妙な男。そいつはリーシャに向けてそう告げた。その男は分かっていないのだろうか。この時点で、彼が『エル』の生存を確定させたということに。こういう取引の場合、情報の信頼性が乏しくなった時点で取引が成り立たなくなることが多い。しかも肝心な取引の第一回目を嘘情報で踊らせるような輩は信頼とは程遠くなる。特にこういう神父などという職業に就く人物の場合、完全な嘘を交渉道具にはしない。

 リーシャは震える声で言葉を押し出した。

「情報によります。間違った情報なんて渡したら、殺しますよ」

「虚偽の情報など渡すわけがないだろう。おまえには大事な手駒になってもらうつもりだからな。その代わり、《黒月》と切れて、わたしの指示通りに動け」

 その言葉にリーシャは表情を固定した。感情の揺らぎをこの男に見せ続けるのは危険だ。折角の情報源を逃すわけにはいかない。恐らくリーシャの想像通りならば、特務支援課はエルの調査には動いても情報を得ることは一切できないはずだからだ。

 そんなリーシャを見た男は口の端を歪めて告げた。

「……まあ、正直に言ってわたしとしてはおまえのことなどどうでも良いのだがね。あの子は――エルは、おまえに人殺しを続けてほしくないそうだ」

 リーシャは息を呑んだ。まさか、知られているとは思わなかったのだ。確かに多少裏に通じていそうだというニュアンスの発言はあったものの、リーシャが《銀》であることなど知っているはずがない。更に、父が死んだことも知っているはずがなければ、リーシャが《銀》を継いだことを知っているはずもないのだ。それを教えたのは、恐らく――この男。

 そう判断したリーシャは大剣を抜き放ち、男に突き付ける。

「……エルに話したんですか、私のことを」

「そんなわけあるか。彼女は最初から知っていたぞ。《銀》のことも、おまえが《銀》を継いだことも、な」

 目の前が真っ白になった。最初から知っていたとは、どういうことなのか。既にリーシャが人を殺したことがあることも知っているというのか。《銀》の正体なんてどこから聞いたというのか。いつから、彼女に知られていたというのか。最初からというのは、一体いつだったのか。

 がたがたと震えはじめるリーシャを、その男は冷たい目で見ていた。彼に――否、彼女にとってリーシャの怯えはどうでも良いものだからだ。『家族』として裏切られたわけでもない。たった数年間だけの、かりそめの『家族』だっただけの少女のことなど、彼女にとっては今やどうでも良いことなのだ。変わってしまったのは彼女の方で、リーシャ達ではないのだから。

 神父の扮装をした彼女は震えるリーシャに追い打ちをかけるように言葉を掛ける。

「安心すると良い。エルはおまえが人殺しでも良いそうだが、殺人鬼にはなって欲しくないだけだ。まあ、人殺しのエルが言えた義理ではないがね」

「な……ん、そんな……何で、エルがっ!?」

 仮面の神父の言葉にリーシャは声を震わせて叫んでしまった。咄嗟に口を押さえるが、周囲には聞こえてしまっているようだ。通行人からの視線を避けてリーシャと神父はわずかに場所を移動する。

 彼女は溜息をついてその問いに答えた。

 

「何故、と問うからには、彼女の全てを受け入れるだけの覚悟があるのだろうな? リーシャ・マオ。彼女がおまえに会う前に何をしていて、おまえと別れた後に何をさせられていて、その後どうなったのか。この先彼女に待ち受ける宿命を、受け入れるだけの覚悟がないとはいうまいね?」

 

 だが、リーシャはその答えを聞いてはいなかった。何故、どうして、という言葉をうわごとのように繰り返すだけで、彼女の言葉に反応しようともしない。仕方なく、彼女はリーシャの目の前にとあるものを翳して、いかにも暗示を掛けますという様相を見せつけた。そして――

「詠唱省略、凍りつけ」

 その、一言で。リーシャは今あった記憶を喪って――正確に言えば、凍結されてしまっていた。そのままリーシャを背中から突き飛ばし、彼女はその場から離脱する。もっとも、突き飛ばしたところで呆然としていてもリーシャの技能に衰えはない。軽やかに地面に降り立ったリーシャは、微かな違和感に眉を顰めながら稽古へと出掛けて行った。

 それを見ながら、彼女は言葉を零す。

「……あーもう、やってることマジであの変態と一緒だし……まあでも、必要なこと、らしいからねー。今はまだ逆らわないでいてやるよ、クソガキ」

 そのぼやきを聞く者は誰もいない。彼女もまた、その場から立ち去った。そしてその場には密談の証拠など何一つ残されることはなかったのであった。

 

 ❖

 

 同日、夜――旧市街に借りている安アパートに帰ったリーシャは、部屋の中に入ってからその異常に気が付いた。この部屋に誰かがいる。それも、ほぼ完全に気配を消したうえで。それを感じた途端、リーシャの雰囲気が変わった。少々運動神経の良い少女の雰囲気から、暗殺者のそれへと。それに反応したようにその気配が揺らいだ。

 そして、その気配の主が声を発する。

「《星見の塔》で待つ」

 その言葉の後、指を弾くような音がして――瞬間、リーシャの脳裏に昼間の会話がよみがえった。得体のしれない忌々しい男との会話。その会話で判明した、エルの生存。そして、エルに既に《銀》の正体を――自分の正体を、知られてしまっていたことまで。

「――ッ」

 ぎり、と歯噛みしたリーシャは、それでも周囲に異常を知らせる程の声を上げることはなかった。周囲に知らせて何になる。今リーシャがすべきことは、あの男を問い詰めてエルとあの女が同一人物かどうか確かめることだけだ。即座に《銀》の装束に着替えたリーシャは、戸締りをきちんとしてから気配の主を追った。

 徐々に距離は詰まっている感覚はあるが、相当な手練れであることに変わりはないだろう。特に気配を消すことに関してはリーシャとほぼ同等か、それ以上だ。その証拠に、街道で眠っている魔獣がその気配の主に反応することなど一切ない。あの男の服装から察するに、恐らくは星杯騎士か。つまりエルは星杯騎士の支配下にあるということになるだろう。

 ようやく《星見の塔》に辿り着いたリーシャは、敢えて屋上から階下へと向かった。不意を打てればと思ったのである。しかし、それは叶わない。何故なら、その人物もまた屋上から《星見の塔》に侵入していたのだから。それ以前にリーシャの気配もとらえていたため、不意打ちなどなんの意味もないというのもある。

 そして相対した神父は、昼間と全く同じ格好をしていた。

「成程、暗示を解くほどの実力はまだない、と。まあ、わたしからこれ以降暗示をかけることはないがね」

「……それを、信用できるとでも?」

「する必要はないな。暗示をかけずともこちらにはカードがある。それは分かっているのだろう?」

 そのカードが何を指し示すのかを分かっていて、リーシャは暗器を握りしめた。今ここで殺し、あの女を問いただせば済む話なのだ。それが恐らく一番手っ取り早い。この男の魔の手からもエルを守ることができるだろうから、一石二鳥だ。そう考えたリーシャは気づかれないように間を計り始める。

 すると、彼女は笑いを漏らしながらこう告げた。

「ああ、わたしを殺すのは止めておけ。その瞬間エルも死ぬことになる」

 その言葉に、リーシャは硬直した。硬直せざるを得なかった。この男はエルの意志を尊重するようなことを言いながら、平気で自分の道連れにすると言っているのだ。エルがこの男の手下ではなく、捕虜として捕まっている可能性が出てきてしまった。しかも、あの女――アルシェム・シエルとは別人の可能性すらも。

 ぶるぶると震えながら、リーシャはその場にとどまった。自らの手でエルを殺すことなどあってはならないからだ。

「貴方という人は……」

「因みに今は普通に五体満足で生きているぞ。おまえが下手を打たなければ、だがな」

 神父はリーシャの逃げ道を潰した。つまり、リーシャが従わなければエルを殺すと言っているのだ。無論、彼女にとってエルは文字通り一心同体であるのでリーシャに殺されれば彼女も死ぬことは確定している事実なのだ。

 未だ震えているリーシャは、神父に問う。

「……私に、何をさせたいんですか」

「そうだな、手始めに――今度創立記念祭に行われる《黒の競売会》。アレに潜入して貰おうか」

「……ツァオ・リーが言っていた、あの……ですか」

 リーシャは手始めに、という言葉を苦々しく思いつつもその内容に眉を寄せた。そもそもリーシャは《黒月》からの依頼でそこに侵入する予定があったのだ。あわよくばそれを中止させることを依頼されていた彼女にとって、それは意外でしかない。もっとも、この悪辣な男が《ルバーチェ》関連の人物でないことが分かっただけでも重畳である。

「ああ。といっても侵入しているだけでいい。その他の指示については《黒月》からのものに従え」

「ただし誰も殺すな、貴方のことも誰にも言うな、ですか?」

「分かっているじゃないか」

 くつくつと神父が笑った。それが何故か泣いているように見えて、リーシャは困惑した。一体何故、この男が泣いているように見えてしまったのか。そもそも泣くような人物にも見えないため、どうしても引っかかる。

 だが、リーシャの困惑を吹き飛ばすように神父は告げた。

 

「報酬は今回に限り先払いしておこう。『エル』は――ここにいる」

 

 その言葉に、リーシャの困惑は本気で吹き飛ばされた。ここに、ということはクロスベルにいるということか。つまりあの女は本当にエルである可能性が高いということだ。生きていてくれたことについては嬉しい気持ちしかないが、目の前の男がエルを生かしたのだとすれば何かよからぬことをしていないとも限らない。

 そこに思い至ったリーシャはキッと神父を睨みつけて詰問した。

「……手を出してはいませんよね?」

「……は? ああ、そんなことは物理的に不可能だから安心すると良い。もっとも、彼女が置かれていた状況を鑑みるに手を出されていないとは思えないがね」

 その言葉を言い終えると同時に、神父はリーシャから放たれた暗器を避けた。彼女が死ねば間違いなくエルも死ぬというのに、なかなかに激情家のようだ。その後、彼女はリーシャとともに細々とした条件を決めてその場から去った。

 そして、自室に帰り着いた彼女――アルシェムは大きく溜息をつく。

「阿呆か。どうやって自分で自分に手を出せると……あー、出来ないこともないかー。やらんけどね」

 自家発電(意味深)をするだけでトラウマ発症である。手を出していないというよりは、出せないというべきだった。次にリーシャという駒を動かすときには《D∴G教団》の調査にしてくれる、と思いつつ服を脱ぎ去り、パジャマに着替えてベッドに寝転んだ。

 『家族』を騙すことに罪悪感はある。だが、そうやって手綱をつけておかなければならないという感情が、リーシャへの態度を冷徹にさせた。彼女に出来るのは、ただリーシャを守るためにリーシャを騙して手駒にすることだけだった。

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