雪の軌跡・リメイク 作:玻璃
創立記念祭一日目
マクダエル市長暗殺未遂事件からしばらくして。混乱も落ち着き、無事にクロスベル自治州創立記念祭も行われる運びとなった。警察官とて人の子である。いくら年中無休であるとはいえ、交代で休暇が与えられるのは当然のことだ。そして、特務支援課もその例外ではない。ただ、少々特殊だったのは――支援課に関わる業務を行う職員も共に休暇を与えられたことか。見計らったように休暇を奪い取ったであろうノエルは、妹フランと共にロイドと創立記念祭を楽しんでいるようだ。
ランディはカジノに入り浸り、エリィはマリアベル・クロイスと共に祭りを謳歌し、そしてティオは部屋の中にこもりきりになるかと思いきや、《エーデル百貨店》でみっしぃなるキャラクターの限定発売があると聞いて飛んで行った。そしてセルゲイもまた、どこかの青髪の麗人と共にバーで飲んでいるだろう。つまり何が言いたいのかというと、完全にアルシェムに向けられる目はないということになる。
故にアルシェムが取る行動は簡単だった。このところほとんど放置し通しだった《メルカバ》肆号機の整備及び掃除である。ついでにノエルと共に非番になれるよう強引に交渉したリオも加えて、久々に大きいモニターでの連絡を行おうというのだ。整備及び掃除は早々に終わらせ、アルシェムは通信をエレボニア帝国にいるメルにつなげようとする。小さな呼び出し音が数十秒続き、そして切られた。どうやら取り込み中らしい。
アルシェムは溜息をついてリオに向き直った。
「ま、忙しいんだろーね……忘れてたよ、あっち一応学生だわ。先にこっちの打ち合わせを終わらせとこうか」
「あいあい。といってもあの一件以降はまだ変わったことは起きてないみたいだけどね」
苦笑してそう応えたリオは、主がその程度のことならば理解していることを分かっていて合いの手としてその言葉を吐いていた。会話を円滑にするための合いの手であり、他意はない。《ルバーチェ》や《黒月》関連で水面下での小さな衝突がいくつか起きているようだが、アルシェム達が気にする類のものではないことくらい重々承知していた。
それに似たような苦笑を返したアルシェムは、一転して真面目な顔になって返す。
「こっから先で重要なのはどこまでの不確定要素が入るかってこと。特に帝国からの介入なんて厄介極まりないからね」
「ああ、《鉄血の子供達》のことか……そうだね、《氷の乙女》はともかく、《白兎》《黒兎》は多分ないだろうとは思うよ。ほんのガキンチョに勤まるほどクロスベルの情勢は甘くないだろうしね」
そのリオの返答はアルシェムにも分かり切っていた。《氷の乙女》ことクレア・リーヴェルトは領邦軍の監視に追われてその他のことに手を回せるような状況ではないだろうし、《白兎》ミリアム・オライオンも《黒兎》アルティナ・オライオンもクロスベルに来させるには経験が足りなさすぎる。たとえ生まれた時から《十三工房》に入り浸っていたとしても、だ。
故にアルシェムはリオの言葉にこう返答した。
「まだ見ぬ《子供達》の可能性もあるけど、まー、多分ここは一番確実な《かかし男》で来るんじゃない?」
そしてアルシェムはモニターにその男の映像を映し出した。そこに映っているのは赤い髪の優男。かつてリベールに滞在し、クローディアと接触していた諜報員である。そして――《鉄血宰相》ことギリアス・オズボーンの腹心ともいわれる男だ。実際にアルシェムが会ったことはないが、顔も名前も一致させることができる。諜報員という割には自身の写真を普通に新聞社に掲載させているので写真は比較的容易に手に入る上、二等書記官という仮の地位まである彼はある意味諜報員らしくない諜報員だ。
それでも彼が諜報員足りえるのは、その行動でそれとは気づかせないだけの演技ができるという才能と見た目に寄らず戦闘もこなせるというギャップを持ち合わせているからに他ならない。その気になれば遊撃士すら騙せる彼ならば、混迷を極めるであろうクロスベルに現れてもおかしくはない。経験も十分であるし、ただの観光客にも化けられるであろう彼ならば。
渋面を作りつつアルシェムは言葉を吐く。
「一応こっちはわたしが目星をつけておくよ」
「いや、アルがしなくても……って、そうか。一応共和国の方のも気を付けとかなきゃいけないもんね。初日に現れるなんて目立つことはしないんだろうけど……そっちに目星は?」
そうリオに問われたアルシェムは、口の端だけを歪めて答えた。
「多分、《飛燕紅児》かな。堂々と乗り込んでくると思うよ?」
脳裏に浮かんだその人は、現在では《ロックスミス機関》という部署の室長を務めており、かつてリベール王国のツァイスという地方都市で遊撃士協会の受付を務めていた女性だ。凄まじいまでの《泰斗》の技と他人から情報を引き出して整理することに長けた彼女ならば直接乗り込んできてもおかしくないのだ。いくら以前煽っていたとしても、恐らく彼女は《ロックスミス機関》からは抜けない。
アルシェムに釣られてリオも渋面を作った。
「あの人か……実力行使なんてされたらたまったもんじゃないね」
「実力行使は流石にないと思うよ。んなことしたら帝国から潰されるし」
眉を顰めたリオにそう応えたアルシェムは、それでも《飛燕紅児》――キリカ・ロウランが実力行使してくる可能性を捨てきれないでいた。帝国に潰されず、かつ共和国の利にもなるような状況があれば間違いなく手出ししてくると断言できてしまうだけになおさらだ。抑止力にできそうな人材に心当たりはあるものの、彼に貸しを与えたこともないので確実にアルシェム本人が出張って止める羽目になりかねない。
と、そこまで話が続いたところで通信が入った。その相手は先ほどつながらなかったメル。どうやら忙しい中時間を割いて連絡を繰れたようだ。
『メルです。今特別実習でケルディックにいますけど、一体何事ですか?』
「あー、ごめん。久々に情報共有しようと思ってたんだけど、そっち昼間は動きにくいの忘れてた」
苦笑しながらその通信相手に返すと、軽く溜息をつく音が聞こえた。どうやら呆れているらしい。だが、それも長くは続かない。メルにもアルシェム達に伝えなければならないことがあるのだから。
故に、メルは性急に言葉を吐いた。
『それは構いません。誤魔化すのに少々手間取りましたけどね……教官殿のことなのですが』
「何? あのオッサン、何かやらかしたの?」
『オッ……いえ、ロジーヌという友人が出来たので、一応ご報告までにと』
メルの返答を聞いたアルシェムは一瞬眉を顰めた。その名前に聞き覚えがなかったからだ。ちらりとリオを見ると、彼女は口の動きだけで『《匣》卿の従騎士』と伝えてきた。つまり彼は――否、星杯騎士団はそれなりに帝国での《身喰らう蛇》の動きが本格化すると考えているらしい、とアルシェムは遅まきながら悟った。メルを助っ人として召喚したのも、単純にアルシェムから戦力を削ぎたかったのではなく、《蛇》に対する戦力増強だった可能性もある。
そう考えつつ、アルシェムはメルに返した。
「成程ね。あまり深入りせずに仲良くしなよ?」
『承知しています。それ以外にも二三、伝えておきますね』
そうメルが言うと同時に、アルシェムは《メルカバ》につけられたある機能を起動させた。何となく聞き漏らしがあってはならないと思ったからだ。それでなくとも双方が盗聴されても良いように――そもそも盗聴できるような人物がいればの話だが、念には念を入れて――言葉を誤魔化しているのに、聞き漏らしや聞き間違いなどあってはならない。
そして、メルは若干の沈黙ののちにこう告げた。
『学生の友達が増えたんです。エマ・ミルスティンとクロウ・アームブラスト、それにリィン・シュヴァルツァー。前から女、男、男です』
「へえ、友達が増えるのはいいことだけど、学生としての本分も忘れないようにね。気になってるバンダナの君はいた?」
『ええ、恐らく真ん中に。出来ればお礼をしておこうと思いますが、どうすればいいと思いますか?』
それに、アルシェムは唸り声で返す。今手に入れた情報を脳内でまとめようとしたのだ。『友達』は不審者の隠喩だ。因みにロジーヌに当てはめた『友人』は仲間である。メルは《身喰らう蛇》や《鉄血の子供達》、それに類する不審者のあぶり出しを行っているのである。誰が怪しいにせよ、メルは黒だと決まれば即座に彼女らを殺すだろう。
そして、アルシェムの使った『バンダナの君』というのは以前《影の国》で出会った青年のことだ。蒼い機械人形――恐らくはキシンと呼ばれている――を異能の力で動かす男。帝国にいるのは何となくわかっていたため、捜索を依頼していたのだ。その返答は恐らくまだ見つかっていない、だと思っていたアルシェムは思わずうなったのである。まさか彼が士官学校にいるとは思わなかった。
取り敢えず返答せねばなるまい、と思ったアルシェムはその場しのぎに言葉を紡ぐ。
「取り敢えず、売れそうな場所で恩返ししたらいいと思うよ」
『そうですよね……ええ、そうします。もしかしたら両想いかもしれませんし、一度手紙で告白してみようと思います』
「ん、その方が奥ゆかしい感じがしていいんじゃない?」
何となくメルの会話が隠語から逸脱してきているのだが、アルシェムは何とかその意味をくみ取れた。『両想い』というのは恐らく、メルと同じく《鉄血宰相》の敵だということだろう。そして、『手紙で告白』というのは顔を隠しての交渉。下手にやれば問題が起きかねないが、それが露見する前に恐らくメルは事を終わらせるだろう。
と、そこでアルシェムはふと思い出したことを口にした。
「あれ、シュヴァルツァーって貴族じゃ……」
『正確にはユミルに棄てられて男爵に拾われた養子、だそうですが。丁度、アストレイが消える前後だったかと』
その言葉にアルシェムは眉を顰めた。メルの隠語すら消えた会話の中に、恐らくはとても重要なものが隠されている。そんな気がしてならない。『アストレイが消える前後』――つまり、《百日戦役》が始まる前。その時点で帝国に起きた異変など、心当たりは一つしかなかった。《ハーメルの悲劇》。そして、それに関わった人物たちの中に、リィン・シュヴァルツァーという名の男が存在した可能性がある。
ここでアルシェムの持つ情報のアドバンテージが若干活きた。リィンの素性について、可能性のないものを消せるのだ。少なくとも、《ハーメル》の住人の中には『リィン』なる少年はいなかった。そして――殺しつくした猟兵崩れの中にも。あと可能性があるとするならば――あの、男のみだ。猟兵崩れの子供という可能性もあるが、可能性としては低いだろう。猟兵がわざわざユミルに子供を棄てる可能性などあるはずがない。
しばし、言葉を考えたアルシェムは平坦な声色で答えた。
「ふーん、血がつながってないんだ。ユミルに棄てるってことは相当冷血な奴なんだろうね」
その答えにメルは息を呑んだようだった。アルシェムにもその気持ちはわかる。学生の、とわざわざつけたということは、クラスメイトである可能性が高いということだ。そのクラスメイトが『血』――《鉄血宰相》と関わりがあるなどとは、考えたくもなかったのだ。身のこなしとしては黒、言葉の端々からみせる態度では白であるリィンは、メルにとっては黒にほど近い灰色なのだ。しかし、それでも彼が白であることを信じたくなるような人格をしていることに間違いはない。
一瞬の逡巡の後、メルは返答する。
『そう、かもしれませんね』
「……他に何か、変わったことはあった?」
『ああ、そう言えば、なのですが。最近帝国のラジオで《蒼の歌姫》という歌手がいましてですね……』
アルシェムに促されて情報を流したメルは、そこで言葉を区切らざるを得なかった。というのも、そこで盛大にアルシェムが噴出したからだ。げほげほと咳き込むアルシェムにリオが水を差し出し、事なきを得る。驚いて気管に唾が混入したらしく、胸の中心辺りが盛大に痛くなるがそれどころではない。本気でメルがそう言っているのだとは思いたくなかったが、聞き間違いでもないようだ。
涙目になりながら、アルシェムはメルに返した。
「いや、まさかそんなところでその名前を聞くとは思ってなかったんだけど……うん、世の中ってのはなかなかに深淵だよ……」
それを伝えられたメルは、一瞬だけ息を呑んだ。怪しいとは踏んでいたが、まさかそこまでの大物だとは思いもしなかったのだ。アルシェムが言葉の中にさらりとまぜた《深淵》という単語――それは、《身喰らう蛇》第二柱《蒼の深淵》を指すからだ。まさか本人ではあるまいと思ったのだが、本気でそのようだ。そう判断したメルは、もう一人の懸念事項について補足することにする。
何でもない風を装って、こう告げたのだ。
『ついでに友達のエマ・ミルスティンも同じくらい歌がうまいらしいですよ』
「流石に同じくらいは言い過ぎだと思うけどねー……」
そして、無言。アルシェムは言葉を発しないことでメルの話を促したのだが、メルはそれ以上語ることはないようでそのくらいですかね、と言って会話を終わらせにかかった。つまりそれだけの情報しかまだ集まってはいないらしい。それでも重要な情報ばかり掴んでいるあたりが優秀さの表れだろうか。
内心で溜息を呑みこみつつ、アルシェムは会話を終わらせるために言葉を吐いた。
「まあ、あんまり派手な成績取って貴族に睨まれないようにね。ほら、公爵家とかに睨まれると後々面倒だから」
『ええ、気を付けます。……まあ、そういうことを気にしていたら《Ⅶ組》なんてやってられませんけどね……では』
そして、メルは通信を切った。アルシェムは深く溜息をつき、脳内で情報をまとめ始める。粗方の情報をまとめ終えたのち、アルシェムはリオに多少指示を出してから《メルカバ》を去った。
自室で寝転がり、眉を顰めてアルシェムは呟く。
「……引っ掻き回しすぎだろ、《鉄血宰相》ドノ……」
苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべつつ、アルシェムはそのまま眠りについた。
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「もっと、もっと力が必要なの」
虚空に響く、少女の声。それと同期するように蠢きだす銀色の靄。それは因果を紡ぎ、運命を操り、彼女にとってのより良い未来を作り上げていくための道具だ。この時期においても、運命を操る必要があるのだと。そう少女は思っているのだ。完璧な世界のために。誰もが幸せになれる、理想郷のために。ロイド・バニングスが。エリィ・マクダエルが。ティオ・プラトーが。ランディ・オルランドが。彼らに関わる全ての人間達が、幸せになれるように。
彼らを死の淵から救う、闇に愛された少女。レンという名の、執行者。彼女を完全に闇から抜け出させ、クロスベルのために動く駒となるように隷属させる。そうすればロイド達が死の淵に陥っても必ず助けてくれるのだと識っているから。そのために、少女は銀色の靄を操った。それと同時に浮かび上がってくる、近い将来有り得るかもしれない未来を観測する。
射殺される有力者たち。アサルトライフルを振るう黒服の連中。眼鏡をかけてスーツを着、トンファーで必死に抵抗するロイド・バニングス。下半身から血を流し、虚ろな瞳で月を見上げるエリィ・マクダエル。同じく虚ろな目で地に伏せる、フェミニンなドレスに身を包んだティオ・プラトー。般若のような形相で湖に浮かぶランディ・オルランド。飛び交う銃弾。怒号の連続。無表情な優男。嘆く女性に、哄笑するクロスベルの闇の主――
そんな未来を、少女は破壊した。殺させてたまるものか。尊厳を奪わせてなるものか。これ以上自分からロイド達を奪わせてなるものか。明るい未来を壊させてなるものか。憎しみを込めてそれらの未来を念入りに破壊し、代わりに銀色の靄で包み込む。そうやって全てを自分の都合のいいように改変して、改変して、改変しつくして――
ふと、そこで少女は手を止めた。誰かに見られているような気がしたのだ。だが、少女はそれを即座に否定する。そんなことは有り得ないのだ。この世界を観測できるのは少女のみ。並行世界というモノが存在するとしても、この場に至れるのはごく少数の彼女だけなのだから。故に有り得ない。自分のほど近くから見られている感覚というモノは。
暫し手を止め、周囲を見回した少女は何もないことを確認すると再び作業を開始した。彼女の目には見えていない。彼女の耳には聞こえていない。彼女の肌は感じていない。そこに、たった一人の少女の□が存在することなど――理解出来るはずもなかった。たとえ認識していたとしても、恐らく少女はそれを信じることなく消去しただろう。
地の底から響くような、恨みの籠った低いアルトの声がその場に現出する。
『……見つけた』
その、少女よりも微かに大人びた女の声も彼女には聞こえることはない。女の持つ憎しみも、恨みも、□□でさえ――少女は感じることはないのだ。何故なら女と少女の道は最初から分かたれており、出会うことなど有り得ないのだから。
故に、少女は聞くことはない――
『絶対に――貴様を、そこから引きずりおろすッ!』
女の、絶対の意志を閃かせた決意をも。