雪の軌跡・リメイク 作:玻璃
祭りの騒々しい空気もそろそろ名残惜しいものになる本日は、創立記念祭最終日である。あのあと、レンは特務支援課に泊まることになった――大変散らかっているアルシェムの部屋で。当然オーブメント細工が散乱しているアルシェムの部屋をそのまま使うわけにもいかず、レンに怒られつつ掃除を終えたころには既に日付をまたいでいた。
流石にそこからベッドを搬入するには無理もあり――そもそもセルゲイに許可を取るのが一番時間がかかった――、結局レンはアルシェムと同じベッドで眠った。ヘイワース夫妻が見ていなくて幸いである。先日の百合疑惑が確定されてしまうところだ。もっとも、レンもアルシェムもそれを気にすることはないのだが。
ベッドから起き上がったアルシェムは、綺麗に整頓された机の上に乗せられたものを見て物凄く複雑な顔をした。というのも、そこにあったのは黒地に金薔薇の描かれたカードだったからだ。すなわち《黒の競売会》への招待状である。そう言えばリーシャに潜入しておけと言ったっけ、と思い出したアルシェムは自分も潜入しておくことにした。どうせ潰す競売会だ。一度くらい覗いておいても罰は当たらないだろうと判断して。
それを懐にしまおうと手に取ると、そこにあったカードは一枚だけではなかったことに気付いた。
「……成程ね、わたしの分と、レンの分ってわけだ」
「あらおはよう、アル。流石に受け取ったものは有効活用した方がいいと思って持ってきちゃったけど、それアルの分じゃないわよ」
「え?」
眉を寄せてその真意を聞こうとしたアルシェムは唐突に気付いた。レンにねだられてそういうモノを与えそうな人物が思い当たったからだ。お爺さんことヨルグ・ローゼンベルグである。確かに名の売れた人物で、ハルトマンがつながりを作りたいであろう人物であるのは間違いなかった。上手く弱みを握れれば莫大な富を手に入れられるからだ。
そう思ったのだが、レンは懐から何かを取り出しながらとんでもないことを言った。
「《殲滅天使》の分と、お爺さんの分、それに――《怪盗紳士》の分よ」
「え、ちょっと待って、は? 最後の何て?」
「だから、《怪盗紳士》の分。偽物とすり替えて来ちゃった♪」
あ、あんですってーとエステル張りに叫んだのは仕方のないことだろう。どうやってすり替えたのかを問い詰めたい気分ではあったが自重した。三通もあればエステル達とアルシェム、そしてもう一組が潜入するには充分だからだ。これから作戦を練る必要がある。ある事情でリオという手駒を動かせないアルシェムにとって、どういう形で《黒の競売会》に潜入するかというのは重要だった。
不法侵入でなく、堂々と侵入できるというのならば簡単な話だ。ただ変装してそこにいるだけでいい。頃合を見計らって気配ごと消えさえすれば好きに動けるのだから。つまり、誰にも自分がそこにいることを悟られさえしなければどう動いたところで問題にはならない。
そう判断したアルシェムは、レンに向けて告げた。
「あのさ、レン……」
「分かってるわよ。一枚はロイドお兄さんたちに、もう一枚はエステル達に渡して、アルの持ってる一枚は誰にも言わないでほしいって言いたいんでしょう?」
「……うん、それでお願いします」
久し振りの察しの良いレンの姿にアルシェムは毒気を抜かれたようにそう応えた。以前はこの生活が当たり前で、だから今はイライラすることも多くなっている。全てが全て察しの良い人間ばかりではないのは分かっているが、それでもこの打てば響くような答えのある生活は、以前の自分に引き戻されていくようで。それはそれで嫌なものではなかった。
朝食のために階下に降りたアルシェム達は、ロイドの作った簡易な朝食を手早く片付けた。というのも、全員が何かしら考え込んでいるようだったからだ。こういう時に手早く食べ終えておくというのは会話の主導権を握るということにおいては重要であった。それは心に余裕がある証左だからだ。そして、アルシェム達にはロイド達が何を悩んでいるのかが分かっていた。今日に限って悩むとすれば、それはやはり《黒の競売会》のこと以外にありえないからだ。
口火を切ったのは、ランディだった。
「それで、どうすんだよロイド?」
「どうするって……」
その言葉の意味が分かっていながら、ロイドは答えに窮した。《黒の競売会》の内情は確かに知りたい。だが、だからといって潜入するための方法があるわけではないのだ。ロイドの手に《黒の競売会》の招待状がない以上、どうすることも出来ない。
それはエリィも同じだったようで、彼女はポツリと言葉を零した。
「せめて、招待状さえあれば……」
「あら、お姉さんたちは《黒の競売会》に行きたいの? 意外……でもないかしら。警察官としては見ておきたいってところかしらね」
エリィの言葉に返答したレンに、ロイド達の視線が一気に集まった。どうやら何かを含ませているらしい言葉だったからだ。先日漏れ聞いたところによるとレンは裏の人間。つまりは招待状を手に入れられる可能性があるということだ。譲ってもらえるかも知れない、とまで思ったかどうかは別であるが。
その視線を受けたレンは懐から二枚の黒いカードを取り出して笑った。
「はい、これは何でしょう?」
「ま、まさかそれって……」
「アルと、レンさんの分ですか?」
ティオの言葉には険があったが、もしついでに送られてきたものなのであれば何も言うことが出来ない。これを発送した当時レンはまだ執行者であったはずだからだ。ただ、そうなるとアルシェムはまだ裏社会に生きる人間だという認識が成されていることになる。
しかし、それはレンによって否定された。
「違うわよ。お爺さんは行かないって言ったから貰ったの。だからコレはレンの分と、お爺さん――ヨルグ・ローゼンベルグの分よ」
「ええっ!?」
「いや……驚くことでもないんじゃないか? ローゼンベルグ人形の製作者なわけだし……」
驚愕するエリィにそう返したロイドは、この二枚の招待状をどうやってレンから貰おうか思案し始めた。ただで譲ってもらうわけにはいかないだろう。だからと言って金銭でやり取りするのは警察官としていただけない。一応察してはいるが、恐らくレンは裏の人間だった少女だ。金銭取引をするわけにはいかない。なら、どうすべきか。
そこまで考えて、ロイドの思考はレンに遮られた。
「一枚はエステル達にあげて来るけど、もう一枚は好きにすれば良いわ。レンにはもう必要のないものだし、わざわざあの変態議長を見に行くのも嫌だから」
「え、あ、ああ、いいのか?」
「そう言ってるじゃない。その代わり、今日一日アルを借りるわよ」
そうしてレンはアルシェムを一日自由にすることを条件にロイド達に一通の招待状を譲った。ロイド達はその招待状を見ながらどういう扮装をしてミシュラムに赴くかを考えているが、レンとアルシェムがそれに付き合う義務はない。何故なら今日一日アルシェムを借りきっているのだから、都合のいいように解釈すれば特務支援課として動く必要はないということだ。
レンはアルシェムを連れて遊撃士協会へと赴くと、受付ミシェルに頼んでエステル達と二階を貸してもらえるよう要請した。そこで行われるのはやはりエステル達がいかにして《黒の競売会》に潜入するかであり、その方法を思いついたアルシェムからの提案にエステル達は――
「あ、あんですってー!?」
「一応僕にも羞恥心ってものがあるんだけど!?」
と叫んだそうである。一体どんな話をしたのかミシェルは知りたがったのだが、レンは面白がって話さず、アルシェムは笑いを堪えていて喋れず、エステルとヨシュアは複雑な顔でウンソレシカナイなどと呟いていて話が出来る状況ではなかった。後日その情報をミシェルが知った時、妙に生き生きとした顔で仮装を頼んだそうである。
そして、レンに仮装グッズを用意されてしまった二人は複雑な顔をしながら私服に着替え、午前中のうちにミシュラムへと向かったらしい。らしい、というのはアルシェムがそれを見ていたわけではないからである。彼女は彼女でレンに遊ばれていた。百貨店で靴を買い、ストッキングを買って化粧道具をそろえたころには既に昼を過ぎていた。
ミシュラムに侵入し、軽く変装をしてからレンと食事をとったアルシェムは、何故かレンが他人名義でもっているミシュラムの別荘でレンが買い物から帰ってくるのを待っていた。それ以外に出来ることはなかったからだ。今現在リオに連絡を取ると問題しか起きないというのもあるし、着替えられるところまでは着替えておいた。それ以上に出来ることはといえば、声色を変える準備くらいか。
レンが戻ってきたころには、アルシェムの声はアルトのそれからソプラノあたりまで高くなっていた。
「おかえり、レン」
「……念入れ過ぎじゃない? まあ良いけど……」
複雑な顔でそう応えたレンはアルシェムに蒼いドレスを差し出し、着るように促した。アルシェムはそれを受け取って難なく着替え終わると、次には手袋を渡された。指紋を残さない意味でも、腕を隠す意味でも理解は出来るのだがそれはそれで珍しいデザインではある。レンが選んできたものは露出がほとんどないドレスだったのだ。首も隠れ、肩も最低限だけしか露出せず、胸元にすら露出がない。その代わり足は露出しているが、ストッキングをはいているので傷跡が見えることもない。レンなりに気を遣った結果である。
そしていそいそとレンは化粧道具を取り出し、アルシェムに化粧を施した。決して美人だとは言えない顔が化粧によって特徴のある顔に変わる。敢えて細く描いた眉毛。瞼の上には薄紫色のアイシャドウ。少し長めに引かれたアイラインでコケティッシュな雰囲気を醸し出し、チークはあまり乗せない。淡いピンクの口紅を乗せ、まつげを全力で増毛すれば最早別人である。誰だ貴様はレベルだ。ついでに胸に詰め物が足された。
偽乳の上を飾るのは涙滴型の蒼耀石のネックレス。左手の薬指には透明な石のついた指輪。耳にはネックレストップと同じデザインのイヤリングを飾り、右手にはチョーカーを外して巻き、飾りのついていない銀環を左腕にいくつか嵌めれば完成である――と思ったアルシェムであったが、どうやらレンにはお気に召さないようである。机の上のハンドバッグがシンプルなデザインであることも原因だろうが。
口をとがらせながらレンは唸った。
「……やっぱり、もうちょっと派手な方がよかったわね」
「十分派手だと思うんだけど……」
アルシェムのぼやきがレンに届くことはない。レンはそのままヘアメイクに走り、見事にカールされてお団子にされた髪――なおカツラである――にやはり涙滴型の蒼耀石のついた簪が差された。頭が重くて仕方のないアルシェムである。因みに武装はしていない。レンは敢えて体のラインが出るドレスを選び、武装していないことをあからさまに示させようとしていると分かったからだ。あくまで無害な一般人を演じさせるつもりである――もっとも、その願いがかなうことはないが。
全ての支度を終え、レンの別荘から出たアルシェムは彼女に見送られてハルトマンの別荘へと向かった。そこが会場だからだ。何となく見覚えのある男女がその別荘に近づいて行くのを追いながら近づき――そして、声の聞こえる範囲でそのやり取りが始まったのを聞いて咄嗟に屈みこんだ。靴の調子が悪い振りをしているのだが、正直に言って肩が震えているので泣いているように見えなくもない。周囲に誰もいなかったのが幸いした――彼らにも、そんな余裕がなかったのは確かだが。
目の前にいた男女は、門番に向けてこう告げたのだ。精一杯低くしたその声で。
「やあ、もうあいているかな?」
「ええ。招待状はお持ちですか?」
それに応えて招待状を見せ、何故か男にしなだれかかったのは女である。聞き覚えのある――しかもずいぶん昔に一度きり――声でその女は自然にその男に甘えた。今は女だからと盛大に甘えるあたり策士である。
「ふふ、ここに見えないかしら?」
「……た、確かに。ようこそ、《黒の競売会》へ。お名前を頂戴してもよろしいでしょうか?」
「――ユリウスだ。こちらはセシリア。どちらもお忍びできているのでね、家名は明かさずとも良いだろう?」
そう言いながらいちゃいちゃしている二人に辟易としたのか、黒服の門番はそのまま彼女らを通してしまった。失態その一である。その正体は勿論エステル/ユリウスとヨシュア/セシリアであり、『白き花のマドリガル』より名前を取っている。ただし、その時と格好は勿論違っている。エステルはオリヴァルトの如くうなじで髪をまとめて蝶ネクタイ付きのタキシードを纏っていた。そしてヨシュアは――金色のドレスに身を包んでいた。当然髪はかつらをかぶっており、耳の横でパーマを当てた髪を団子にして黄色いバラを飾っていた。流石に美人である。
エステルはたじたじとしながら婚約者設定を崩さないためにいちゃいちゃしてくるヨシュアを伴って内部へと足を進めていった。笑わせてくれる、と思いながら必死にアルシェムは体勢を戻すと、何事もなかったかのようにゆっくりとハルトマン邸に近づいて行った。無論パートナーはいない。頼む人物もいなければ、頼める人物もいなかったからだ。
ハルトマン邸に近づいたアルシェムに黒服が声をかける。
「失礼、招待状はお持ちですか、マダム?」
「残念ながらわたくしはまだレディよ。ほら、これでいいのでしょう?」
既婚者に見られることに苛立ったアルシェムはさっさと中に入るべくハンドバッグから招待状を取り出し、見せつけた。それを見分した黒服は頷き、そしてアルシェムにも名を問う。そこでアルシェムは敢えて『エルシュア』と名乗った。ちょっとしたジョークのつもりであり、エステル達にも通じるようにするためでもある。黒服たちは名を聞いてからアルシェムを中へと通した。
中に入ると、見覚えのある連中であふれていた。裏通りのイメルダ夫人やキリカ・ロウランなど少しでも裏に通じて良そうな人間は片っ端からいると言っても良い。そこに今回ここに潜入すると連絡を貰っているわけでも潜入すると宣告しておいたわけでもない人物もいたわけだが、それはそれで良いだろう。いずれ情報交換はするが、それは今でなくともいい。
そこにいた顔ぶれを覚えたアルシェムは、下手に声を掛けられる前に控室へと向かった。少々疲れたというのもあるが、そこにエステル達がいなかったからだ。案の定控室の方向でエステルとは出会った――何とぶつかられる形で。
「おっと、すまない」
「……それが似合うあたりどうかと思いますわ、ユリウス殿」
しぐさまで女性らしくないエステルは、ぶつかられても対応は女子らしくなかった。遠い目でそう思わず告げてしまったアルシェムがエステルにいぶかしげな顔で見られることになるのも当然である。しかも探りを入れようとしてきた。
多少目に力を入れた状態でエステルがアルシェムに問う。
「失礼だが、以前にお会いしたことがあったかな?」
「あら、ここで素性を問うのはマナー違反ですわよユリウス殿。それと……誤解を生む発言は止めて下さらない?」
そう言ってアルシェムはエステルの背後で妙に殺気を醸し出しているヨシュアを見た。相変わらず美人である。世の中の女性が総じて顔を引きつらせるレベルだ。女装しない方が世のため人のためである。主に本人の精神衛生上の問題で。下手をすればいつか掘られるに違いない。
エステルの腕を取ったヨシュアは、アルシェムを半眼で睨みながら告げた。
「ユリウスは私のものでしてよ、貴女の出る幕はありませんわ」
「……砂糖吐いていーですかこのバカップルめ」
その発言でまずヨシュアが首をかしげた。どう考えても相手はエステルとヨシュアのことを知っているが、こんな顔をした女が知り合いにいただろうか。候補はほとんどいないのだが、それでもヨシュアは問わずにはいられない。
「……貴女を、ここでは何と呼べばよろしいの?」
「『エルシュア』と。そうお呼びくださいな、セシリア嬢」
その答えにヨシュアは咳き込んだ。まさか本当にアルシェムだとは思わなかったからだ。化粧をすれば女は化けると言うが、ここまで化けるとは本当に思ってみなかった。本気で別人である。誰コイツ。本気でヨシュアはそう思った。いつも化粧をしていないのはある意味もったいない、とも。絶世の美女というわけではないが、エレボニアの貴族令嬢と紹介されれば疑えないレベルではある。
因みにエステルはその名を聞いた覚えがなかったので首をかしげた。
「セシリア、知り合いかい?」
そうヨシュアに問うと、小声でヨシュアに突っ込まれていた。『アルだよ!』というその小さな叫びにエステルは思わずあんですってー、と叫びそうになったが、寸前で堪えた。まさかアルシェムがここまで化けて来るとはエステルにも思えなかったからだ。つまりエステルも化粧をすればかなり化けるのではなかろうかと一瞬高望みをしたのは言うまでもない。
アルシェムはどちらかと言うと化粧で化けるタイプだが面倒だから化粧しないタイプ。
では、また。