雪の軌跡・リメイク 作:玻璃
現る影
キーアが保護されたことによる混乱が収まって、しばらくたったある日。支援課ビルには珍しい客人が訪問していた。といっても、訪問したことがない人物というわけではない。クロスベル警備隊の隊員二人――ノエル・シーカー曹長とリオ・コルティア軍曹である。彼女らは朝食前に来て、相談があるのだと言った。時間があるのならば付き合って欲しい、ということは厄介事を調査する必要があるということか。
その疑問を解消したのは、言葉を飾る気すらなかったリオの言葉だった。
「ぶっちゃけ言ってね、戦力を貸してほしいんだ」
「ちょっ、リオさん!」
ぶっちゃけすぎです、というノエルをよそに、リオはその概要を説明した。マインツのトンネル道を途中で逸れた場所にある《月の僧院》と呼ばれる遺跡についての話である。以前のウルスラ間道にある《星見の塔》と同じ状態になっているらしい――もっとも、アルシェムはその当時《真なる叡智》風呂に漬かっているころだったため概要すら知らなかった。
説明を聞いてみれば、要するに上位三属性――空・幻・時属性のことだ――が働いた状態になっているとのこと。《星見の塔》の前例を考え、《鐘》の鳴動を止めればそれで解決する話だそうだ。そこを突破するためにノエルとリオとで頑張ってみたものの、少々厳しい状態だったとのこと。支援要請も含め、どう分担すべきかをロイドが考え始めた。
しかし、その思考はレンに遮られた。
「悩む必要はないわね。図書館にはロイドお兄さんとノエルお姉さん、料理を作るのはエリィお姉さん、人探しはティオとランディお兄さんに任せて、月の僧院へはレンとリオお姉さんとアルが行けばいいもの」
「そ、その根拠は?」
ロイドは狼狽して問うた。ある意味では適任だとは思うのだが、月の僧院に挑むにしては人員が少ないのではないかと。ノエルとリオだけでは足りなかったというのに、そこからノエルを引いてレンとアルシェムを足すだけで何とかなるものなのだろうか。確かにレンとアルシェムはかつて犯罪組織に属していたらしいというのは分かっているが、あまりにも危険すぎる気がする。
しかし、レンはロイドの懸念を見透かしてこう答えた。
「ロイドお兄さんはクロスベル出身でしょう? なら面識のあるだろう図書館に回せば話が早く済むわ。ノエルお姉さんは手分け要員ね。この中で一番家庭的なのはエリィお姉さんだから、料理を作るのも得意なんだと思う。人探しなんてのはティオの十八番だろうし、人手がいるとしてもランディお兄さんならクロスベル大マラソンしてもまだ何とかなりそうだもの。月の僧院に関しては気にしなくて良いわ。もしリオお姉さんが足手纏いでも、レンとアルでなら魔獣に気付かれずに目的地まで行けちゃうから」
「そ、そうか……その、どうにもなりそうになかったら連絡してくれよ?」
「……分かったわ」
今の間は何だ、とロイドは突っ込みたかったのだが、レンはアルシェムとリオの手を引いて玄関へと向かってしまった。玄関先には警備隊の車両が置いてあったのだが、鍛えているから必要ないと一蹴してノエルに押し付ける――この判断をノエルが感謝するのは数十分後である。何せ、ロイド達はクロスベルを一周することになってしまうのだから。
そして、歩いてアルシェム達は《月の僧院》へと向かった。その間には当たり障りの会話があるかと思いきや、全員が沈黙している。レンから何かしらの質問が来てもおかしくない、とアルシェムは思っていたが、聞かれない限りは答えないことにしていた。レンはレンでリオが一体どういう状態なのかを考えるのに忙しかったので会話する気すらない。リオはリオで、先日アルシェムから報告を受けていたものの《殲滅天使》が共に歩いていることに違和感しか覚えていなかった。
トンネル道を抜け、《月の僧院》を目視できる範囲まで来てやっとアルシェムが口を開く。
「……完全にコレって《影の国》化じゃないですかやだー」
「あれ、ロイド達と《星見の塔》潜ってないの?」
「行ってない。てーか、それどころじゃなかったって言わなかったっけ?」
はて、とリオが考え込んだ横でレンが眉を顰めた。目の前の《月の僧院》から垂れ流される異界の気配に嫌というほど覚えがあったからだ。夥しい血の匂いと、うんざりするほどの怨念。これは恐らく――あの時と同じか、それ以上。しかも同質というオマケつきである。無意識に微かに歯噛みしたことにすら、レンは気づくことはなかった。
微かに震える声でレンが問う。
「結局、ここはあそこと似て非なる場所だって考えて良いのね? アル」
「……分かっちゃうか。うん、そうだよ。似てるけど――こっちのほうが古くて悪辣だ」
「……そう」
レンは唇を噛んで黙り込んだ。クロスベルに来た時から調べていたから、こういう事態になることも分かっていた。それでもなお抑えきれないのが感情で、それを乗り越えるためにレンはクロスベルに来た。全てを乗り越え、受け止められたなら――いずれ『両親』も受け入れられるようになるのかもしれない、と思って。彼らのしたことを聞いて、完全に赦したわけではない。それでも、レンは先へと進みたかった。とどまったままではいたくなかったのだ。
だが、アルシェムはレンの沈黙を苦痛を耐えるためのものだと勘違いした。それ故――
「んじゃ、リオ――従騎士リオ、行って来い」
「ちょ、待――ブン投げないでよおおおおお!?」
ブン投げた。それはもう見事にブン投げた。遠心力を使って投げられたリオは辛うじて法剣を取り出すことに成功し、鐘にそれを巻きつけて停止することに成功する。後で絶対に殴ってやる、と心に決めつつリオはその鐘の鳴動を法術で止めて地上へと飛び降りた。この程度――といっても5セルジュはあるが――ならば飛び降りても何ら問題はない。そういうふうに訓練したからだ。
それを見てレンは我に返った。そして何してんだアイツら、と思いつつ言葉を漏らす。
「えっと……その、解決したってことでいいのよね?」
「うん、そうだね。念のために中を見て回っても良いけど、無駄だよ? 気配ないし」
それでも職務上――無論、特務支援課としてのである――は確認しなければならない。血なまぐさい匂いを我慢しながら一通り見て回って、外に出たところでENIGMAが鳴った。それを耳に当てて通話ボタンを押すと、発されているのはロイドの声。どうやらマインツで何かあったようである。幸い、アルシェム達からすればマインツはかなり近いので、他の人員を拾っていくようロイドに告げて通話を切った。
追いかけてくるロイド達のためにトンネル道から先の魔獣を殲滅しながらマインツに向かったアルシェム達は、そう言えばマインツ集合だというだけで誰が何を支援要請してきているのかを知らないことに気付いた。ロイドを待たなければならないことだけは確かである。そしてロイド達が来るには数十分ほど余裕があるはずである。アルシェム達は満場一致で早目の昼食をとっておくことにした。
そして、昼食をとり終え、ロイド達と合流したアルシェム達はマインツ町長より聞いた情報をもとにクロスベル市内へと急いで戻ることになった。というのも、ガンツという名の鉱員がカジノに入り浸ったまま戻ってきていないというのである。カジノでただ負けているだけならばある意味良い、とアルシェムは感じているのだが、それを明かすことは出来ない。何故なら、アルシェムはまだ《真なる叡智》について知らないことになっているからだ。
それでもアルシェムの口からは言葉が漏れた。
「……負け越してマフィアに連行か、もしくは勝ちすぎてマフィアに連行か……」
「いや、アル。ガンツさんって結構賭け事には弱いはずなんだ。だからあるとしたら負け越しの方だと思うんだけど……」
「普通に考えれば、ね。でも……残念だけどそうじゃない可能性も考えておいた方がいいかなって」
そうじゃない可能性、というあたりで何を懸念しているか気付いたティオが顔色を変えた。まさかそんなはずはない、という思考と、アルシェムが何故ここにいるのかを知っているからこそ十分にあり得る、という思考が拮抗する。もしもアルシェムの予想が当たってしまっていたら――ティオは。それを、乗り越えなければならないのだ。
ティオの顔色に気付いたランディがアルシェムに厳しい視線を送り、次いで眉を顰めた。何故今自分はそんなことをしたのか。そして、何故アルシェムの言葉が正しいと思えたのか。それを考えようとして――その思考が遮られる。
ランディの思考を邪魔したのは、ノエルの声だった。
「どういうことですか? そうじゃない可能性って……」
「……あんたが知ってどうにかできるものじゃ……いや、そっか。警告は出来るわけだ」
その一言一言がいちいち癇に障る。そう思いながらノエルはルームミラーでアルシェムを睨んだ。すると走行中にもかかわらずアルシェムは手元の走査手帳に何事かを書きつけてちぎっている。何をしているのだろう、と思いつつその行動を注視していると、アルシェムはその紙きれを懐にしまった。行動の意味が全くもって理解出来ない。
ノエルが複雑な顔をしていると、アルシェムは何を考えているのかわからない顔で告げた。
「とにかく、実物を見てから考えないといけないから急いで」
「は、はあ……」
マインツ山道を抜け、クロスベル市内に進入したロイド達は警備隊の車両を支援課ビルに置いてカジノへと急いだ。そこにまだガンツがいるかどうかは分からないが、何故か急ぐべきだと思えたからだ。その予感がさらに強くなるのは、カジノの支配人の言葉を聞いてから。
「……ガンツ様、ですか。今はホテルにいらっしゃるはずです。今のガンツ様は一体どんな善行をこの短期間にお積みになったのか、信じられないほどの強運をお持ちですよ」
「……つまり最近になってから強くなったってことですね?」
「ええ。私どももあやかりたいくらいです」
そう言ってほんの少し口角をあげた支配人にランディは戦慄した。つまり、ガンツは支配人があやかりたいほど儲けたのだ。カジノの資金を食い散らかすほどに。要するにまだマフィアに目をつけられてはいないだろうが、それも時間の問題なのだと。ガンツの滞在先がホテル《ミレニアム》の最上階スイートルームであることを聞きだしたロイド達は、急いでそこへと向かった。取り返しのつかない何かが起きているような――そんな予感に囚われたからだ。
ホテルのフロントでガンツの部屋のスペア・キーを借り、部屋の前まで辿り着いて鍵を開けようとしたロイドの腕を、アルシェムが握った。
「アル?」
あまりの力と、手の震えにロイドがアルシェムの顔を見る。珍しいことに彼女の顔面は白く、血の気が引いている。何かを言おうとして口を微かに開いては閉じて――何を言いたいのかロイドには分からなかった――歯を食いしばっているのさえ見て取れた。どういうことだ、とロイドが問おうとして、アルシェムにさらに腕を握られる。
それで心が定まったのか、アルシェムは声を発した。
「……レン、ティオ、支援課ビルに――」
「戻りませんよ。そういう反応だってことは、アレなんでしょう? ……いい加減、逃げるわけにはいきません」
「右に同じよ。むしろアルの暴走を止められる人間がランディお兄さんだけっていう方がレンには怖いわ」
その反応に一同は疑問符を頭上に浮き上がらせている――リオだけはそういう振りをしている――が、ロイドだけは違った。何せ腕を握られたままなのだ。痛いことに変わりはなかった。
困った顔でロイドはアルシェムに告げる。
「アル、その……腕」
「……あっ。ごめんロイド」
手を離されたロイドは、それでもまだ痛みの残る腕に違和感を覚えた。腕に痣が残るほどに強く握りしめる、というほどの何かがあるのだろう。ロイドはそう判断した。慎重に扉を叩き、中にいるであろうガンツに声をかける。
「済みません、ガンツさん。特務支援課です。少々お話を伺いたいのですが……」
『ああ? ……とっとと入れよ!』
ガンツの反応に一同は困惑した。以前に少々面識があるガンツとは、反応がまるで違う。扉を開けて中に入れば、そこにいたのはガンツ当人だったのだが――隣にホステスをはべらせている――、ロイド達には彼が本当にあのガンツだとは思えなかった。まるで別人なのだ。まるでどこぞの大富豪のような堂々とした立ち居振る舞い。自身に満ち溢れた顔。それがガンツであると、ロイド達は自身を持って宣言することが出来ない。
だが、アルシェムとティオ、レンは違った。それがガンツであると、分かってしまった。第六感を刺激してくるその感じが――まさに、あの時と同じで。その両隣から微かにする碧い気配よりも数百倍は濃い、その気配。
かすれた声でガンツに問いが投げられる。
「……単刀直入に聞くよ、ガンツさん」
「何だ、お前?」
「幸せを呼ぶ碧い薬に心当たりは?」
その瞬間――ガンツの顔色が目に見えて変わった。懐を押さえて立ち上がり、その質問を投げつけたアルシェムを睨みつける。アルシェムはその視線を真っ向から受け止めた。危険域にはまだ達していない。今抜けば、まだ取り返しはつくはずだ。落ち着いてやれば――絶対に成功するはずだ。そんな思考が彼女の頭の中を占める。取り返しがつくのならば、救われればいい。そう考えてアルシェムは懐を見据えた。
そんなアルシェムにガンツが泡を食ったように言葉を発する。
「何だ、コレは規制されてないはずだぞ!」
「残念だけど、規制云々はどうでもいー話なんだよね」
苦笑し、次いでアルシェムは彼にとって重要となるだろう言葉を吐いた。
「判断力の低下。五感の大幅な上昇。一定の閾値を超えれば昏睡。行き着く末は肉体の変容――つまりは怪物になるわけだけど、それでも使いたいの?」
その言葉にロイドとエリィは戦慄した。一体どこでそんな情報を手に入れたのだろうと。それを知っていたから、先ほどまでも焦っていたのかと。一方でランディは眉を顰めていた。そんな薬があったとして、猟兵連中が活用していないわけがない。猟兵の中でも外道な連中ならば子供でも誘拐して大量に呑ませればいい話だ。それだけで戦力が手に入る。手綱を握れるか、という問題はあるだろうが、敵だらけのところで解放すれば何の問題もない。
ガンツはアルシェムの言葉を一蹴する。
「そ、そんなわけあるか! 出鱈目言って取り上げる気だろう!? コレは俺のだ……絶対に渡すもんか!」
そこまで言い終わると、アルシェムに向けて突進してくる。しかし、アルシェムはそれを避けることすらしなかった。元々のポテンシャル自体が違いすぎるのだ。ただの鉱員ごときに負ける程、アルシェムは弱くなったつもりはない。叩きつけられる拳を掴み、蹴りを繰り出そうとした足を踏みつける。それだけでガンツは動けなくなった。
「なっ……」
「ロイド、ランディ、そこの――おねーさん達避難させて。エリィはおねーさん達と一緒にお話ししててね」
そう言うや否や、ガンツの腕を掴んで何事かをし始めるアルシェム。レンとティオには何をやろうとしているのかわかったが、それを止めるにはあまりにも時間がなさすぎた。一瞬、というわけではない。ただ、目の前で起きている現象を認識して、それがどれだけ危険なことなのかを察するのが遅かっただけだ。アルシェムに接触している部分から彼女へ向けて流れ込む碧色の光の奔流。それが意味することは。
それを理解したレンがアルシェムに叫んだ。
「やめなさいアル!」
「……仕方、ないじゃん……っ、こうでも、しないと――ッ! この人、本気で……手遅れになる……ッ!」
「その前にアルが死んだら意味ないじゃないっ! とにかくその人から離れて――ッ!?」
一瞬でガンツとの間を詰めたレンはそのままアルシェムから彼を引き離そうとして――唐突に光の奔流が収まったことに気付いた。遅かったのだ。この時点で全てが終わっていた。ガンツという鉱員の定められた運命も。この先彼がどうなり、何に巻き込まれるのかも。そして――その、全てが。光の奔流と共に、砕け散った。それを理解したものはその場にはいなかった。
そうして――アルシェムは、その場に膝をついたのだった。