雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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 旧193話~196話半ばまでのリメイクです。ある意味つめこみ。


濃碧の壁

 突然暴れ出しそうになったガンツを取り押さえ、何事かをして膝をついたアルシェムに駆け寄ったのはロイドだった。既にホステスたちは隣の部屋に避難――もっとも既に逃げ出している――させてあり、取り敢えずガンツを取り押さえて事情聴取をしに戻ってきてみればこの様子だ。ガンツに何かをされたのだと勘違いしても無理はない。

 故にロイドから出るのはアルシェムの身を案じる言葉だった。

「アル、大丈夫か!?」

「……大丈夫、じゃーないかなー……」

 ロイドの問いに返された言葉は震えていて、顔色も悪い。まさかと思ってガンツを見てみれば、彼はうろたえた様子でアルシェムを見ていた。既に解放されているのを見て取り押さえようとして――先ほどまでの異様な様子が消えていることに気付いた。一体どうなっているのか、と思いつつアルシェムにアーツを掛けようとして止められる。

「やめて。そーいう異常じゃない……けど、うーん……どーすっかなー、これ……」

 迷った顔をしつつ、眉を寄せてアルシェムは立ちあがった。どこか足元がおぼつかない様子ではあったが、立ち上がりは出来る。ということはどういう状況なのか。ロイドには皆目見当もつかなかった。無論同じく戻ってきたランディにも、エリィにも理解出来ない。この中でアルシェムの状態を理解出来るのはレンとティオだけだった。

 ぎり、と歯を食いしばってレンがアルシェムに告げる。

「……先に、古戦場に行ってなさい。すぐに行くから。それまで周囲の魔獣とでも遊んでなさいよ」

「……その手があったか……うん、全員連れてきて。そこの二人も……いい経験になるだろうから」

 そう言ってアルシェムは文字通り姿を消した。その状態でも気配を断てる上、隠密行動も出来る。あまり目立たない方が良いだろうという判断からだ。もっとも、アルシェムが姿を消したことに一同は大いに動揺することになるのだが、彼女にそれを気にしている余裕はなかった。身体のうちから湧き上がる力に、そのまま堪え切れる気がしなかったからだ。感覚も鋭敏になっている。

 アルシェムが古戦場に着くのはそこから数分後。ガンツから碧い薬を強奪したうえで車両を駆使したロイド達が古戦場に辿り着いたのは数十分後。その数十分の間に、古戦場の魔獣は少数を除いて殲滅されていた。殲滅されていないのは古戦場から逃げたあるいは必死に隠れ潜んでいる魔獣のみである。そこかしこに散らばるセピスを集めながら、ティオの道案内に従って辿り着いた先には――

「なっ……」

「うっ……」

 思わずエリィが吐きそうになるほどの魔獣の血にまみれた女――無論アルシェムである――が片手ずつ剣を握った二刀流の状態でロイド達を見ていた。軽く、どころかかなりホラーである。思わず身を引いたロイドは、その女が一瞬で消えたのを認識した――その瞬間。

「ぼやっとすんな、ロイド!」

 同じく消えそうな勢いで動いたランディがロイドを庇うような形でその攻撃を受け止めていた。その攻防に一瞬でも頭がついて行かなかったロイドはそのまま動けないでいる。対するランディは内心で冷や汗をかいていた。これほどの重い攻撃を受けるのはいつ振りか、と思うほどだ。この衝撃はほぼ父バルデルに匹敵する。しかもあのスピードだ。一瞬たりとも気の抜ける攻防ではなかった。

 歯を食いしばって受け止めているアルシェムの剣から一瞬力が抜け、ランディは体勢を崩しそうになって立て直す。こういう攻撃はよくあるもので、緩急をつけて相手のリズムを崩すことで隙を作る戦法だろうと推測できる。故にランディは今度は自分から仕掛けようと足を踏み出して――そこにアルシェムがいないことに気付いた。どこに消えた、と思って周囲を油断なく見回せば、エリィを庇ってロイドが剣の柄で打ち据えられている。

 それでも一応トンファーでそれを受けられたロイドは必死にエリィの前で踏ん張った。

「ぐっ……」

「ロイド!?」

 驚愕に顔を見開いたままのエリィは、そこからアルシェムを撃てばよかったのにそうは出来なかった。血みどろの女と邂逅してからまだ三十秒も経っていないのだ。まだ頭が追いついていなくても無理はなかった。その代わり、援護としてティオからのアーツがアルシェムに降り注ぐ。アクアブリードという名の、基本の水属性アーツだ。

 しかし、アルシェムはそれを避けることすらしなかった。

「……丁度、良い……視界が広がって何より、だ!」

 一瞬力を抜き、ロイドが受け止めている力を利用して背後に飛んだアルシェムはそこに待ち受けていたレンと切り結ぶ。その無茶苦茶な挙動に一同がぎょっとして――彼女は吹き飛ばされた勢いのまま背後を向いてレンの大鎌を受け止めた――ようやく我に返った。

 そこで一番最初に声を発せたのは、色んな意味で事情が分かっていないノエルだった。

「な、何で襲い掛かってくるんですか、アルシェムさん!?」

「……戦闘、訓練扱い……とかに、しといて、くんない? ……とにかく動いて……発散、しないと……『痛い』まんまだし……大人しく、してるよりは、こうする方が……薬を抜くには、効率的だし、ね」

 薬を抜くには、と彼女が言った時点でランディは察した。恐らくガンツにした行動で彼の中にあった薬をどうにかして自分の体内に取り込んだのだろう、と。どうやったかは今関係ない。いずれ聞く必要はあるだろうが、今は――アルシェムからその薬とやらを抜く方が先だ。そうしなければ事情すら聞けなくなる可能性がある。彼女の言った副作用が本当であれば、早く抜くに越したことはない。

 どういう状態なのか理解していないロイドだったが、それでも一つだけ分かったことを口にする。

「……とにかく、戦って発散すればいいんだよな?」

「……そ、だよ……最近ほとんど手配魔獣狩ってない分も、訓練……しなきゃね」

 そして――この日、古戦場では絶え間なく戦闘音が響き渡ったという。近隣住民から依頼を出され、状況確認に来た遊撃士たち――エステルにヨシュア、そして彼らの帰りが遅いために様子を見に来た遊撃士たち――も盛大に巻き込まれていた。最後まで戦闘不能にならず立っていられたのはランディと補助アーツ係に徹したティオだけだったという。

 その日の晩は、アルシェムは盛大に怒られたうえで全員に晩御飯をおごる羽目になり、龍老飯店が大いに儲かったそうな。宴会状態にはなったが、夜が更ける前に解散することになったために彼らは気づけない。気付かない。

 

 その日の深夜、《黒月貿易公社》のビルが《ルバーチェ》の構成員達によって襲撃されたことに。

 

 ❖

 

 次の日の朝。《クロスベルタイムズ》の記者グレイス・リンから連絡を受けたロイドは、比較的動かなくとも良い支援要請を先日無茶をしたアルシェムとお目付け役としてレンに押し付けて《黒月》のビルを訪ねている。そのことについてアルシェムは遠い目をしながら周囲からの視線に耐えていた。というのも――

「アルシェムのねーちゃん、何でツァイトに乗ってんだ!?」

「わたしに聞かないで……もーほんと、恥ずかしいんだからさ……確かに肉体的には無理してないけど精神的にはこれきついって……」

 ツァイトが気を効かせたのか精神的に致命傷を与えたいのかは分からないが、アルシェムを乗せて支援要請を受けているからだ。羞恥プレイか、と問いかけてみればツァイトは『貴女様の御身を慮ったが故です』と答えるのみ。全力で撲殺しそうになったが、理性でそれを押さえつけてアルシェムはその羞恥プレイに甘んじた――甘んじなければならなかった。

 そんなアルシェムにレンが親指を立てて言う。

「大丈夫よアル、これで《クロスベルタイムズ》の一面はいただきだわ」

「いらないよそんなの!?」

 盛大に突っ込みを入れるものの、今の状態では写真を撮ってくるグレイスからカメラを奪うことすらできない。体が楽かと言われると微妙なラインなのだが、絵面が酷い。まだレンなら絵になるかも知れないのだが、この年で――外見年齢的な意味だ――狼に乗って歩き回るのはちょっとどころか激しく羞恥心を刺激してくる。しかもレンはそれをニヤニヤしながら見てくる。物理的に逆らうことが出来ない以上、遠い目をするしかなかった。

 それよりも支援要請である。聖ウルスラ医科大学の依頼はともかく、墓守から支援要請が来るのはそれはそれで興味深い。――もっとも、内容は全く興味深くはないが。鎮魂の花を探してきてほしい、というその内容にレンが街道を回らないと集められないことを教えてくれなければ延々と地べたを這いつくばる羽目になったに違いない。

 道中で珍妙な依頼――自分の格好がすでに珍妙であると言ってはいけない――を受けつつ鎮魂の花を集め終えたアルシェムは、大聖堂で待つ墓守にその花を渡しに行った。そこで鎮魂の花を知っていることに若干驚かれつつも無事花を供え終え、聖ウルスラ医大の依頼を後回しにして急ぎであろう珍妙な依頼を果たすべくマインツ山道へと進んだ。

 レンは微妙な顔をしつつ言葉を漏らす。

「……ねえ、アル」

「何?」

「……レンも乗って良いかしら?」

 その方がある意味速いし、とはレンは言わなかった。どちらかというと狼の背に乗ってみたいという純粋な興味から来た言葉だったからだ。ツァイトは快諾はしなかったものの、アルシェムのお願いには屈してレンを乗せる。そして《ローゼンベルグ工房》へと駆けて行った。他人に目撃されていれば間違いなく『も○のけ姫』などと揶揄されたに違いない。

 《ローゼンベルグ工房》に到着し、何を勘違いされたのか人形に襲撃されそうになったものの無事に珍妙な依頼――イメルダからローゼンベルグ人形受け取りをお願いされていた――を終え、やはりけもの道を駆け下りる。一応配慮はしているのでスピードは行きよりもゆっくりだったが、絶叫マシン並みの体験だったことは間違いない。

 イメルダに人形を渡し、取り合えず報告――聖ウルスラ医科大学の依頼はあまり受けたくないので出来れば押し付けたい――に戻ったアルシェム達は、この短時間で二つも支援要請をこなしてきたことに怒り心頭のティオに出迎えられた。彼女曰く無茶しすぎ、とのことである。しかし、強制的にベッドに叩き込まれるかと思いきやティオは絶対に援護しかしないことを念押しして手配魔獣の支援要請を任せてきた。怒っているのではないのかと思ったが、どうやらそれどころではなくなっているらしい。

 先ほどティオ達が事情を聞きに行ったところ、《黒月》を《ルバーチェ》が襲撃したのは確からしい。そしてその実行犯の中には《熊殺し》ガルシア・ロッシが入っていないことも確かだそうだ。急激な下っ端のパワーアップに、ティオは何が関わっているのかわかっていてあの錠剤をガルシアに突き付け、これが関係しているのかと問うた。その答えが驚愕に彩られた顔だった、というのだ。これで確定である。

 急に現実味を帯びてきた《真なる叡智》の浸食に、ティオの顔色は悪い。

「……とにかく、私達は聖ウルスラ医科大学に行ってこの薬の分析をお願いしに行きます」

「危険だと思うけど……」

「でも、私は何の手掛かりもないよりはゆさぶりをかける方を選びます。……いつまでも、逃げてはいられません」

 ついでに支援要請もやっておきますから、という言葉にアルシェムは負けた。ティオ達を病院へと送り出し、アルシェム達はもう一度ツァイトに乗って手配魔獣――何と《星見の塔》と《月の僧院》、そして《太陽の神殿》のある古戦場である――を排除するために出かける。そんなところの手配魔獣を一体だれがどうやって発見し、警察に伝えたのかは大いに考えるべきだろうが、今はそれどころではない。

 《月の僧院》と《星見の塔》の手配魔獣を片付け、古戦場の手配魔獣をも片づけた時だ。アルシェム達は、古戦場に近づく人間の気配を感じた。それも中途半端に手練だと思われる気配だ。魔獣は粉砕されているのだろうが、恐らく力任せにしかしていない。あまり意志の感じられない人間の群れの行進に、アルシェムは自身の行動が遅すぎたことを悟った。

 それでも伝えないわけにはいかない。目の前にいる連中は――《ルバーチェ》のメンバーなのだから。アルシェムは《ENIGMA》を使って一課のダドリーに連絡を入れる。

「こちら特務支援課、アルシェム・シエル。ダドリー捜査官ですか? ……現在アルモリカ村方面の古戦場で手配魔獣を退治したところなんですけど、目の前に何か眼が虚ろな《ルバーチェ》構成員と思しき人物たちがいまして……一応事情聴取は試みますけ、どぉっ!?」

 そこで《ENIGMA》が物理的に機能を停止した。《ルバーチェ》の構成員が《ENIGMA》を破壊した――というわけではなく、急激に動き始めた《ルバーチェ》の構成員達の俊敏さに驚いて握りつぶしてしまったのである。フレームごと握りつぶしたのでアルシェムの《ENIGMA》は再起不能になった。身体能力を向上させる効果がある《ENIGMA》を破壊してしまったことにアルシェムは苦虫を潰したような顔をしながら《ルバーチェ》の構成員達に向き直る。

 会話は間違いなく通じない。だが、それでも彼らがクロスベルの住民であることに変わりはなくて――傷つけることは出来ない。その判断の下アルシェムは動き始めた。《真なる叡智》に侵された状態の人間を強化なしの状態で無力化することがどれほど困難なことなのかは分かっている。故に、彼女が取れる行動は一つしかないのだ。

 レンはアルシェムと共にそれに突っ込む、というわけではなく自身の《ENIGMA》を操作して通信を繋げた。増援を呼ぶためではなく、人を来させないためである。あのままの状態で説明もなく放置されれば、誰だって状況を知りにここまでやってきてしまうに違いないからだ。誰も寄せ付けないために、レンはダドリーに説明を始める。

「こちらレンよ。アルの《ENIGMA》はちょっと通信できない状態になっちゃったからレンが説明するわ」

『通信できない状態というのはどういう――』

「ちょっとびっくりして握りつぶしちゃっただけよ。怪我したわけじゃないわ。……それで、今の状況なんだけど」

 レンは懇切丁寧に今の状態を説明した。アルシェムが《ルバーチェ》構成員を薙ぎ倒し、ツァイトがそれを手伝っていること。いくら倒しても起き上がってくるため、適当なところで切りあげて帰還すること。そして今流行りの《幸せの薬》――《グノーシス》について、戻ってから説明する必要があることを。もっとも、説明するのは恐らくレン本人ではないが。

 一通り説明を終えたレンは、アルシェムに加勢するために通信を終えて大鎌を取り出した。数は多いが、本来であればレンの敵ですらない烏合の衆だ。なおかつこの状況を打破するための方法はと言えば先日のように《グノーシス》をどうにかして彼らから排出させるしかない。だからと言ってレンに同じことが出来るかと問われれば否であり、それ以外に方法を思いつくかと言われても否である。

 故にレンはアルシェムに問うた。

「ちょっとアル、この状況どうするつもりなのよ!?」

「大丈夫。考えはあるし――何よりここに人目はないからね。容赦なく使えるからちょっとだけ手伝って」

 人目をはばかって容赦なく使えないもの。それをレンの脳がはじき出した。《聖痕》である。確かに吸い出しさえすればそれが一番いい方法のようにも思えるが、吸い出す方法が問題なのではないか。そう思ったが、アルシェムはそれ以上の説明をすることはなかった。要するにそれしか方法がないということだ。納得は出来ないが、そうしなければならないという義務感に圧されてレンは《ルバーチェ》の構成員達を一か所に固め始めた。

 《パテル=マテル》をも駆使し、しばらくしてまとめあげられた《ルバーチェ》の構成員達は――

 

「我が深淵にて煌めく蒼銀の刻印よ。我が声に応え――彼の者共に巣食う《叡智》を凍てつかせよ」

 

 アルシェムのその発言によって凍りついた。と言っても、文字通り氷に包まれたわけではない。精神を操っていた元が凍結されたせいで身体に電気信号が行きわたらなくなってしまったのである。そしてその後、どこからとは言わないが碧い液体が中空に浮かび上がり、凍りつく。それこそが《叡智》。《グノーシス》と呼ばれる禁忌の薬だ。

 それを元の錠剤の形状に戻し、袋に入れたアルシェムはレンを伴ってその場から去った。《ルバーチェ》の構成員達を捕縛すべきなのだろうが、それをしても今は意味がないことを理解していたからだ。あくまでアレは応急処置であり、まだ彼らが操られる可能性は多大に残っている。下手に市内に連れ帰って被害を拡大させるよりも、アルシェムは放置することを選んだのだ。

 支援課に戻ったアルシェムを待っていたのは、手配魔獣を狩った直後に起きたことに関して怒り心頭になっていたティオだった。もっとも、彼女の方も彼女の方で無理をしていたらしく顔色が悪かったので早目に説教を切り上げさせて寝かせたのだが。キーアがティオに添い寝しに行ったのは本当に余談である。


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