雪の軌跡・リメイク 作:玻璃
ロイド達は、思ったよりも妨害が少ないことに疑問を抱いた。当然操られた《ルバーチェ》の構成員達が襲撃してくるはずだと思っていたし、それが足りないからと《異界化》――上位三属性が働く状態をこう名付けた――を利用して魔獣のようなものをけしかけて来るのもまだわかる。だが、どう考えても聖ウルスラ医科大学で襲撃してきたアーネスト・ライズやアルシェムをそのまま当ててくればいいだけの話だと思うのだ。道半ばまで進んだところでロイド達は首をかしげた。
そこまでに襲撃してきたのは魔獣のようなもの、だけだったのだ。途中で追いついてきたエステルとヨシュアを何故か途中で消えているレンの代わりに加えて先に進んでいた一行は疑問を抱くしかない。実際に道中でエリィが声を漏らしたほどだ。
「……何でアーネストさんとかアルが出てこないのかしら」
その疑問にエステルとヨシュアが遠い目をして立ち止まった。あの悪夢はある意味考えたくはない。かつて《輝く環》内部にて操られた――と言ってもすぐに戻ったが――時の威圧感はまだ覚えているし、先日《グノーシス》の影響を抜くために戦っているところに通りがかった際も強烈な一撃を喰らったところなのだ。今出て来られると困る、というよりもむしろ全滅必至なんじゃ……などと考えて溜息を吐いた。
そしてエリィに返す。
「エリィさん……正直に言って、アルが本気で襲撃してきたらイロイロと終わりだと思うわよ」
「そ、それはまあ分かるけど……でも、むしろ私達に来てほしくないのだとしたら襲ってくるんじゃないかしら」
ヨアヒムが彼女を使って特務支援課の一同やエステル達を襲撃してこない理由がある、ということか。エステルはそう解釈した。相変わらず事件の最後の方には単独行動の上で危険な目に遭うというコンボを喰らっているアルシェムではあるが、こういうパターンは初めてだ。基本的には余裕を持ったままで相手に捕まって自我を保ったままで切り抜けて来るのが常だったのだ。だが、今回は精神的に弱った状態だったと聞いている。ならどうなるのか、という予測が立てづらい。
とそこにヨシュアが口を挟んだ。
「それもあるだろうけど……多分、ヨアヒム・ギュンターではアルの能力を十全に使って襲撃するのは無理なんじゃないかな」
「どういうこと?」
「……そうだね、たとえばアルは気配を消せるけど――あれは、僕の隠形とは違うんだ」
ヨシュアの言葉に一同は首をかしげた。それと同時にヨシュアの姿が掻き消え、数十セルジュ先で佇んでいる姿が現れる。それに一同は驚愕し、慌ててヨシュアに追いついた。ランディだけはその種が分かっていたのでヨシュアに向けて微かに険しい目を向ける。アレは明らかに裏の人間の所業である。もしもヨシュアのいる位置に誰かがいたとして、その誰かは殺されたことにしか気づけないだろう。無論、下手人の姿を見ることすら不可能だ。何故ならヨシュアはそこにいないのだから。
ランディはヨシュアに向けて声を漏らす。
「それが《結社》時代に身に着けた奴、か」
「そういうことです。僕の隠形は『周囲に同化する』。でも、アルのは違う。アルのは――『自分の気配すら殺す』んです」
それをヨシュアが実行できたことはない。何故なら、いくら死体同然の精神状態だったからと言って彼に自分を殺すだけの度胸が残っていたわけではないのだから。何故死なせてくれなかったのか、と憤りはしてもそこから自分で死を選ぼうとはしない。もしそんな覚悟を得たとしても、自分の刃で自分を殺すことなど出来やしなかったのだ。
しかしアルシェムはそれをやってのける。息をするように。そんなもの簡単だと言わんばかりにあっけなく。《ハーメル》の時には身につけておらず、《楽園》から脱した時には既に身に着けていた。ならばその間の《アルタイル・ロッジ》あるいは《楽園》でその術を身に着けたのかと問われると、やはりそれも違う。故に――彼女が前に言った『共和国の家族』こそがそれを教えたのだろう。
よって、ヨアヒムに自分を徹底的に殺しつくす覚悟がない限りはアルシェムの隠形を扱えないことになる。そうヨシュアは告げた。その言葉に反駁したのはランディだった。
「だが、アイツに自分を殺すだけの覚悟があるのか?」
その問いには誰も答えることが出来なかった。エステルとヨシュア、そしてティオはアルシェムの正体を知るが故に。エリィはアルシェムの底しれなさを知るが故に。ロイドはそんなことを考えなくてはならないほどの経験をしたのかと悶々と考え始めて。そしてランディは――ある疑問を胸の中に抱いて。道中を誰もが沈黙で進んだ。それでも連携が出来ていたのはいかなる奇蹟か。
とにかく、隠形のことがなくともアルシェムやアーネストが襲撃してこないのは何故なのか。その疑問が解消できたのは、暫く内部を進んだ後のこと。奈落へと続くような長い長い階段を下った先で立つ、とある人物を見てからのことだった。その人物は全身を黒い装束で包み、足元で倒れ伏しているアーネスト・ライズをこれでもかと蹴り倒していた。
それを見てロイドは思わず声をかける。
「な、何をしてるんだ……《銀》?」
『……とっとと情報を吐くと良い、アーネスト・ライズ。残念ながら私は気が短い方でな……うっかり殺してしまうやもしれん』
そう言いながら苦無をアーネストに投げつける《銀》。それに対してアーネストはうめき声を上げながら否定の声を漏らした。その状況を見て暴行・恐喝の疑いで《銀》を現行犯逮捕しようとしたロイド達だったが、《銀》はそれを一蹴した。正当防衛だ、と言った《銀》は過日アーネストが何をしでかしたのかを語ったのだ。《銀》に自慢げに語ってきたその事実を。
覆面で感情を見せない《銀》は微かに震えている声を絞り出した。
『この男は――今ではアルシェム・シエルと呼ばれる女を薬漬けにしたのだ。それも、あの私を騙って市長を暗殺しようとした前日にな』
「なっ――!?」
そのことを今の今まで知らされていなかった一同は驚愕を隠せなかった。確かにあの日、アルシェムは帰ってこなかった。事件の日になり、それが起きた時まで彼女が一体どこにいたのかロイド達に知るすべはなかったのだ。そしてアルシェムもそれを語ることはなかった。その必要もなく、語られたことによって何かが変わってしまうのを恐れた人物がいたからだ。
どうせその事実があったのだとしても教えて貰えるわけがなかった《銀》は、調査の結果分かってしまったことをもとに彼女に起きたことを組み立て直して――そして、心底自分の言葉を後悔したのだ。『どんな形でも良いから』? そんなもの、地獄を味わった彼女に言って良い言葉ではなかったのだ。彼女は《銀》を庇って囚われ、被験者にされたのだから。
それを知って、この先まで行きたい気持ちはある。恐らくこの先にはその首謀者が待ち受けているのだろうから。だが、今の《銀》の雇い主は仮にも《黒月》でありあの時契約を交わした仮面の神父だ。何故かこの件に関しては仮面の神父から何も言われていないので《黒月》からの指示に従っている。その指示によれば――《銀》がここにいられるのもあとわずかなのだ。だからこそ情報を搾り取ろうとしていたのである。
苛立つ心を隠しきれず、《銀》はもう一度アーネストを蹴りつけた。
『……時間か。命拾いしたな、アーネスト・ライズ』
強烈な蹴りを男性の象徴に受けたアーネストは悶絶するしかない。こんな時だというのにロイドとランディは思わず大事なところを隠してしまった。何となく《銀》の正体に感づいていて、何故かこの場に同行しているヨシュアも同様である。アレは痛い。そして中の人物がヨシュアの想定している容疑者ならばある意味ご褒美である。
取り敢えず悶絶したまま転げまわっているアーネストを拘束し、ロイド達は先に進むのだった。――出口へと向かう《銀》とは対照的に。
❖
天空を飛翔する紅の機械人形。それを見ながら、戦車とレースをした際に負傷してしまったセルゲイは苦笑を漏らした。確かに遊撃士協会から情報は回ってきていたし、彼女がそれを操ることも知っている。だがあの大きさはない。あれだけの隠密性を棄てて襲撃してくるバカバカしさに思わず吸っていた煙草を吹き出したほどだ。ああ、もったいねえ。そう思いながらもセルゲイはそれから目を離すことが出来ない。
そんなセルゲイにレンは苦笑して言葉を漏らした。
「そんなバカみたいに口を広げて見なくても良いじゃない。《パテル=マテル》は――彼は、レンを護ってくれるだけよ」
「いや、その……お前、これメンテナンスとかどうするつもりなんだ?」
口を突いて出たのはそんなどうでも良いことで。レンはそのバカバカしい問いに秘密、とだけ答えて《パテル=マテル》の手の上に座った。そして上空から穴を開けつつ下降していく。どうやら強引にショートカットして進んでいくらしい。
ふーっ、と溜息を吐いてセルゲイは星しか見えなくなった空を見上げた。
「全く……ああいう強引さがないともう、歴史は動かせないのかねぇ」
自分の吐いた言葉の意味を考えることなく、セルゲイは体力を温存するために軽く眠ることにした。目を閉じて彼が見る夢は――やはり、悪夢ばかりで。それでもそうはならないという根拠のない自信が彼を夢の中に留まらせ続けるのだった。
❖
ロイド達が神殿の最深部付近に辿り着いたころ、唐突に轟音と共に目の前に大穴があいた。
「な、何だ!?」
狼狽したロイドがそう声を上げると、目の前に紅の機械人形が浮かび上がってきた。その手に乗っているのは――レンだ。それを見たヨシュアは頭を押さえ、エステルは素っ頓狂な声を上げて説教をしにかかった。
「ちょっとレン! 危ないでしょうが!」
「仕方ないじゃない。普通に攻略するよりこっちの方が早いんだもの。それに、当ててないでしょ?」
「当たってないけど、いきなり来たら敵襲かと思うじゃないの!」
むう、と口をとがらせたレンはむくれながら《パテル=マテル》に指示を出す。すると、彼はとある方向に向けて肩の主砲を二発撃ち出した。それはある意味でそこにいた魔獣どもを殲滅し、ついでに射線上にいたらしいとある男に直撃する。見晴らしの良くなったその場所でその男を視認したランディは思わず手を合わせかけた。まだ死んではいないだろうが、瀕死になったであろうことは想像に難くない。
ランディはその男から目を離すことなくレンに問うた。
「狙ったのか?」
「だって狙って欲しそうにこっちを見てるんだもの。それなら撃ってあげないと可哀想だわ」
うふふ、と笑ったレンは《パテル=マテル》にナビゲートを頼んで先に進み始める。ロイド達もそれを追って先へと進み始めた。どうせ先に進まなければならないのだ。この先に何が待っていて、何と戦うことになるのだとしても。それが実現したことのある未来である限り、些細なことが違おうがその道筋は変わらないし変えられない。そういう風に定めた人物がいるのだ。
ロイド達は吹き飛ばされた男――ガルシア・ロッシを横目で見ながら最終地点へと突入した。最大限の警戒と注意を払って突入したその先にあったものは――球体。彼らにとって『揺籃』と認識できてしまっているその球体は、《ルバーチェ》が聖ウルスラ医科大学で暴れていた際に入手した教団のファイルの中にあったものだ。その『揺籃』の中にはキーアが――ロイド達から見れば――囚われていた。今はそこには誰もおらず、ただほの碧く光っているだけ。
それを見たレンは低く声を漏らした。
「……気に入らないわね」
「ええ、気に入りませんね。入らないのか、入れる必要がないのかは私にはわからないですけど……見せても問題ないものって彼が認識していること自体が気に入りません」
レンに同意するようにティオがそう返す。その場にいる人間にその言葉の意味は分からなかったが、レンにだけは分かった。アルシェムはあの球体に囚われていてもおかしくなく、むしろキーアがそこにいたこと自体がオカシイのだと。ただ、彼女らは知らないが『キーアはそこに入っていなければロイド達と出会うことすらなかった』のだ。故にアルシェムはそこには立ち入れないし無理やりにでも入れようとすれば即座にその行動を止めざるを得ない状況に陥らされるだろう。
そんなこととは知らず、ティオの言葉尻の意味を理解したエリィが声をあげた。
「……見せても問題ないっていうことは私達を絶対にどうにかする自信があるってことよね。確かにその点に関しては気に入らな――え?」
その時、エリィの視界の端で何かが光った。咄嗟にその方向を振り向こうとして、目の前を黒いモノで遮られていることに気付く。否――それはヨシュアだ。ヨシュアがエリィの隣に立っていて、周囲を警戒しているのだ。その理由が何故なのかを考えて、何故ここまで警戒し続けて来たのかを思い出したエリィはヨシュアの向こうを覗き込もうとして――次は誰かに引っ張られた。
「ちょっとエリィさん! 危ないってば!」
「え……あ」
声をかけて来たのがエステルだと理解する前に、目の前を通過していった白色の光の正体を思い知ってエリィは総毛だった。アレは――剣、だった。むしろ剣しか見えなかったことに驚愕すべきなのか、それを操る主がいることを認識すべきなのか。それとも、その透明な剣を使って自らを止めようとしている銀色の髪の――アルシェムを、敵として見れば良いのか。
覚悟はしてきたつもりだった。それでも、目の前の光景は到底受け入れられるものではなかった。まるで姉妹のようだったレンとアルシェムが、剣と鎌を向け合っている光景など。しかもいつもとは違って彼女が握っているのは双剣と呼ぶには少々長い透明な剣が二振り。それを扱える肉体もまあすごいのだろうが、あんなもので斬られればレンとて無事では済まないだろう。
思わずエリィは声をあげた。
「アル!」
しかしそれに対する応えは、エリィの動体視力ではとらえきれないほどの速度の剣閃だった。それはエリィに向けて振るわれたものではない。だからこそ客観的に見れて、しかしながらその剣が生み出すべき結果はエリィには見て取れなかった。その剣は目標を捉えることはなく、棒術具によって跳ね上げられていたからだ。剣を跳ね上げた主はそのまま一撃離脱で下がっていて、アルシェムを見据えている。その手が微かに震えているのは何のためなのかエリィには分からない。
だが、分かる人には分かるのだ。剣を弾き飛ばすだけでは足りないと分かっていながら躊躇ってしまったエステルの内情は。
「馬鹿エステル! アルなら素手でも殺れるわよ!?」
「分かってる……分かってるけど、でも!」
「エステル、骨の二、三本は覚悟しておいた方が良い。――多分、それだけで止められたらラッキーだ」
険しい顔をしているヨシュアの腕には既に赤い線が入っていた。つまりそれは斬られた後だということで――エリィは咄嗟にアーツを発動させてヨシュアの傷を癒していた。それと同時にティオからも補助アーツが掛けられたようであり、ヨシュアの動きに容赦がなくなったのか完全に見切れなくなった。今エリィに出来るのは補助アーツを掛けることだけだ。援護射撃など味方を誤射する可能性もある上に、援護射撃を誘導させるだけの余裕が誰にもないと分かっているからだ。
個々人に回復アーツを掛けることすらもどかしいエリィは範囲内の味方を回復するアーツを連発した。
「ホーリーブレスっ!」
「受け取ってください、クロックアップ!」
それと同時にティオも生き残ることを最優先にして速度を上げるアーツをかける。本来ならば地属性アーツのラ・クレストあたりが有効なのだろうが、今のアルシェムの攻撃はその防御すら抜いて来そうなのだ。故に身を守る術として攻撃を当てない方向に持って行くしかない。余裕があれば掛けるが、どれだけ時間がかかるか分からない以上はこうするよりほかないのだ。
補助アーツを掛けるのみとなってしまうエリィとティオに攻撃が向くことはほとんどない。だが、それでも狙われる時はあるもので、防ぐだけならギリギリ何とかなるロイドがエリィ達を守っている。アルシェムはたった独りで遊撃士コンビとランディ、そしてレンを相手取っているのだ。彼らが決して連携をとれないわけでもないのにそれでも互角。何度か剣を打ち合わせた時点で彼女は自らに剣を向けることを止めていた。その理由が何なのかは、本人のみが知る。
ランディが切りこめば、その大振りな動きの隙間に入り込む。その隙間を縫うようにヨシュアが援護に回ればあっさりと目標を変え、エステルに切りかかる。そのエステルの補助にレンが回れば、全員を吹き飛ばしてエリィ達を潰しにかかり、ロイドにギリギリのところで阻まれる。彼らがアルシェムを殺されないのは、一度その動きを見ているからだ。そうなるように□□□が仕向けた。これまでの足りない経験を積ませると同時に。
多人数に斬りかかる関係で全員の立ち位置が目まぐるしく入れ替わり、アルシェムの背後に祭壇が――その時ようやく特務支援課一同はそこに祭壇があることに気付いた――来た時だ。微かにアルシェムの口が動いた、気がした。何故かティオにはそれが『だぶるばすたーきゃのん』と言っているのだと、一瞬で分かった。だからこそ――
「お願いします、《パテル=マテル》さん――撃って下さいッ!」
そう、叫んだ。その叫びの最中で意図に気付いたレンが即座に《パテル=マテル》にお願いし、ダブルバスターキャノンを撃ってもらう。ただし、その祭壇の頭上から。放たれた砲弾はそのまま祭壇の裏にいた何者かを祭壇ごと吹き飛ばした。ちらりと見える白い髪。中世の錬金術師が使うような杖に、白衣をまとった男――それは。
その答えは、砲撃を指示した当人が明かした。
「……正直に言って、あんたは道化として育ちすぎたんだとわたしは思う。だからさーあ? 取り敢えず一回身動き取れない実験体の気分を味わってもらおうかな、ヨアヒム・ギュンターッ!」