雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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 オリジナル設定の炸裂。お察しの通りリーシャの話です。


閑話・《銀》の後継者

 カルバード共和国、東方人街にて。一人の少女が産声を上げた。彼女の名は猫麗霞。またの名をリーシャ・マオといった。猫家は代々東方人街を守ることを生業とし、時には暗殺などの汚れ仕事を扱う一族だ。そこに生まれた彼女もまた、暗殺者として生きる運命である。その父麗龍/リーロンもまたその運命に翻弄された身であり、リーシャの母を喪う原因にもなったその生業を半ば憎んですらいた。

 とはいえ、リーロンの子はリーシャただ一人。マオ家の掟においては二人の子供が必要だった。それも、片方は死ぬ必要がある。とある事情によって生き延びた女性もいないわけではないが、リーロンはそんなことなど知る由もない。ただ、彼にとって必要なのは子供だった。死んでも誰も困らないような子供。ただしその辺の孤児ではいけない。闇に染まった子供が必要だった。

 誰かを殺してもなんとも思わないレベルの狂人を求めているわけではない。ただ、人殺しに忌避感の少ない子供さえ見つけられればいい。それがリーシャの殺人への忌避感を喪わせる一助となるからだ。リーシャ・マオは《銀》にならなければならない。リーロンがそうだったように、彼女もまた東方人街を守り、高額のミラで共和国に雇われなければならないのだ。それが東方人街のためになる限り。

 東方人街の魔人《銀》。それは移民としてカルバード共和国にやってきた集団の影。移民の長は別の一族が務め、マオ家の人間が裏から汚れ仕事を引き受けて彼らを守るのだ。そのために代々《銀》と名乗り、独特の装束をまとって戦う。それが慣習であり、長年変わらない事実の一つだ。たとえその長の一族が滅びていたのだとしても。

 そして《銀》に性別はない。初代が男であったから男だと言われているだけで、中には数代続けて女性が《銀》だったこともあった。その時に体格を誤魔化す気功を習得し、今代に至るまで伝えられている。たまたま今代の《銀》リーロン・マオは男で、その先代も男だっただけ。《銀》の宿命はいつだってマオ家の人間に纏わりつき、縛っていた。

 リーロン自身は《銀》であり続けたくないとは思っている。いずれ全てを終わらせ、解放されて空の女神の身元にいる妻の元へと逝ければそれで良い。そこに娘がいようがいまいが関係ない。リーシャは望んで生まれてきた子ではなく、東方人街の上層部が無理矢理に作らせた娘であるからだ。そんな娘に愛情など持てるわけがない。故にさっさと《銀》を引退して娘に押し付けようとしていた。

 そして――彼はある日一人の少女を拾った。服はボロボロで、そこらの孤児と何ら変わりはない。だが、彼は彼女を拾って帰った。それは、彼女がぼろぼろだったからでもその目が死んでいたからでもない。彼女の全身から血の匂いがしたからだ。恐らく何十人ではきかない数を斬った。もしくは目の前で斬られた。そうでなくてはここまで全身から血の匂いを発することなど出来まい。

 事実、少女――当時『シエル・アストレイ』と呼ばれていた少女は人を斬ってきた後だった。滅びた故郷《ハーメル》にて、村人たちを殺しまわった猟兵を殺戮した後。彼女は東方人街まで逃げてきたのだ。ヨシュアから。カリンから。そしてレオンハルトから。彼女が死を選ばなかったのは、単純にその手段が選べなかったからだ。死のうと思えばその手段が尽く奪われてしまう。それなら、生きるしかない。故に彼女は生きていた。

 そんな血まみれの少女にリーロンは問うた。

「……名は?」

 そして少女はそれに応えた。血のこびりついた喉で。かすれた声を、押し出して。不思議と言語が違うはずだったのに、言葉は理解出来て。その返答すらもリーロンに理解出来る言語だった。そのことに不思議と彼は疑問を抱くことはなかった。何故ならこの出会いは必然であり、少女は将来《銀》となるリーシャ・マオのために差し向けられたのだから。

 何にも興味を持たず、絶望に塗れた瞳で彼女は答えた。

「……エル……れ以外、名乗る……は、ない」

 かすれた部分を、リーロンは敢えて聞こうとは思わなかった。この少女ならば適格だろう。自らを殺す覚悟で東方人街のために戦う《銀》の生贄には。絶望を見て、絶望を作り出して。死に場所を求めているようにも見える彼女は確かに適格に見えた。だからこそリーロンは『エル』と彼女を呼び、彼女を連れ帰った。いずれリーシャに殺させるために。

 同じくらいの年ごろの少女の存在は、無口だったリーシャを変えた。

「次は負けない」

「……別に、競ってない」

 いつもやる気のあまり感じられなかった的当て――と言っても対象は動くネズミ等で、子供の遊びレベルの可愛いものではない――も、隠形も、何もかも。リーシャは『エル』と共に技を磨いて行った。リーロンは『エル』の才能に心底度肝を抜かれていたが、それでも最終的に殺す算段だけは変えなかった。それを超えてこそ、リーシャに《銀》たる資格があると。

 『エル』の上達速度は異常だった。技を覚え、隠形も難なくこなし、魔獣を屠ることにすら躊躇いがない。天性の暗殺者と言っても過言ではなかった。ただ一つ欠点があるとすれば、本来の型であろう双剣を握ることを精神的に拒否しているところか。彼女は剣を握った瞬間に吐くのだ。一振り目ならまだ何とかなる。だが、二振り目を触った瞬間に嘔吐が止まらなくなる。

 リーロンは敢えてそれを矯正することはなかった。それよりもリーシャと同じように大剣を握らせ、苦無を忍ばせ、鎖を以て相手の行動を阻害することの方が重要だったからだ。それが《銀》になるリーシャの甘えを棄てさせることにつながるのだから。数か月も経てば、少女の名が『エル』ではなく『シエル』であることも分かっていたが敢えてそれを修正する気もない。それは必要なことではないからだ。そして『エル』もそれを良しとしていた。

 いずれ殺す相手とも知らず、リーシャと『エル』は仲良くなっていく。幼い少女達が笑いあう、はたから見れば微笑ましい光景。それを苦々しく思いながら、リーロンは厳しい修行を課していく。それは全て東方人街のためであり、自分も逃げられなかった罪業から娘も逃がさないためであった。それをリーロンが認識していたかどうかは別であるが。

 暗かったリーシャは快活になった。『エル』のせいで。

「今日こそ負けないんだから……!」

「……負けない」

 死んだ魚のような眼をしていた『エル』も少し明るくなった。他ならぬリーシャのお蔭で。それでもリーロンの思いは変わらなかった。リーシャを半人前にするために『エル』を殺させ、一人前にするためにリーロン自身を殺させる。それは前々から決まっていたこと。リーロンもそうしてきた。実の姉を殺し、そして実の父を殺して《銀》となる。それは、後戻りさせないための方策だったのだと今になって思う。

 それでもリーシャへの教育を止められないのは、幸せになろうとするリーシャを見ていられないから。平穏で普通の生活を壊してきた自分が、今更平穏で普通の生活に慣れられるかと問われればそれは否だ。それに娘を巻き込んでいるのは親として咎められるべきことだろうが、リーシャに普通の人生を歩ませようとすればリーロンの精神が保たない。姉を殺してまで続けた伝統を、自分の代では終わらせられないのだ。

 虐待を受けて育った人間は、その子どもにも虐待を施す可能性が高いという。そして、リーロンも他人を殺生させられるという精神的虐待を受けて育ち、リーシャにもそれを強要している。いつかそれが精神的な苦痛に成ることを知っていて、でも止められない。リーシャという他人が同じ目に遭っているのを見なければ癒されない気がするのだ。だからこそ、リーロンはリーシャへの教育を止められない。

 リーロンは厳しかった。それでも、確かにリーシャは愛情のようなものを感じていた。出来れば必ず褒めてくれる。出来なければ死ぬ前に助けてくれる。虐待同然の育てられ方だというのに、それでも愛情を感じていたのは親を求めるが故だったのかもしれない。あるいは依存か。その感情の名がどうあれ、確かにリーロンとリーシャは親子だった。

 そして――ある日。数日後にリーシャを半人前にさせるべく『エル』を殺させようとリーロンが結論付けたその日のことだ。東方人街は混乱に包まれた。その日は朝から空気が違った。リーシャも『エル』もその空気を感じて不安を覚え、リーロン自身もそれを察知していて街中を警邏していて――なお、それを止めることは出来なかった。

 

 なぜなら、それは必要なことだったから。

 

 □□□が判断したのだ。リーシャに割ける時間はここまでだと。これ以上は別の少女達のために使われるべきだと。場所を移し、別の少女達に降りかかっているあの悪夢の如き事態を軽減させるために。ただ単に、優先順位をつければリーシャよりもその少女達の方が大事だっただけのこと。それにより□□□は効果的にリーシャの心を縛ることに成功する。

 それが起こったのは、丁度リーロンが異形の魔人と対峙した時だった。彼の助けがあってはならぬと□□□が差し向けた強力な魔人がリーロンと戦っている間、リーシャと『エル』の元へ彼女らを引き裂かんと魔人が差し向けられたのだ。もっとも、その方法は精神的に引き裂くのではなく死なない程度に物理的に『エル』を引き裂くという方法だったが。

 魔人がその手を閃かせて、『エル』の背を抉ろうとする。

「エルッッッッ!?」

「逃げ、て……リー、シャッ!」

 唐突に突き飛ばされたリーシャの目の前で背を引き裂かれる『エル』。呆然と、それを見ていることしか出来ないリーシャ。彼女が我に返って武器を手に取ったその時には、目の前に『エル』の姿はなかった。ただ地面に沁み込んでいく赤錆色の――血。それが誰のものだか認識した瞬間、リーシャは頭の中で血管が切れる音を聞いた。

 『エル』が死ぬ。それも、自分の目の前で。それを理解したくなくて、思考を放棄する。父が連れてきて、いずれ自分の立場を脅かすかもしれなかった少女。それでもいつしか『家族』だと思えるようになった少女が今、人外の化け物に殺されようとしている。それを受け入れたくないのだ。ようやく心を赦せる同年代の『友人』にして『家族』が出来たというのに、それを喪わなければならないという事実を。

「――ぁ」

 頭が真っ白になる中、リーシャの暗殺者としての本能は彼女に苦無を投擲させた。それは過たず魔人の脳天に突き刺さり――魔人はそれを不思議そうに引き抜いて、嗤った。それが地面に落ちる前にくくりつけられていた紙きれ――爆雷符が爆発する。それに魔人が吹き飛ばされるかと言われれば、否だ。微かに体を揺らし、リーシャを敵だと認識して魔人共はリーシャに襲い掛かろうとする。

 そのあまりに異様な光景に、リーシャは我に返って逃げ出しそうになって自分を叱咤した。

「逃げちゃ、駄目ッ! ――守るために、殺さなくちゃ」

 言葉で自分に暗示をかけ、一思いに目の前まで迫ってきていた魔人の頭部を斬り飛ばす。大量の血が吹き出し、視界を潰しにかかる。しかし今の彼女に視界などというモノは必要ない。あった方がいいのは確かだが、なくとも彼女には魔人を殺す術がある。幸い、魔人共は気配を消すことになれていないというよりも気配をだだ漏れにさせている。それならどこに何体いようがリーシャになら殺せる。

 まとわりついて来ようとする魔人を一刀のもとに吹き飛ばして、リーシャは構えた。

「殺さなくちゃ」

 無意識にそうつぶやいて、リーシャは殺戮を始める。一撃で屠るためには、頭部を飛ばせばいい。それは先ほど学んだ。普通の人間なら頸動脈を斬るなり何なりすれば死ぬ。だが魔人共は頑丈で、それくらいでは痛くもかゆくもないようだ。普通の人間ならばどこをどうすれば死ぬのかリーシャは熟知していた。そして、外見上も人間に近い形の魔人は、中身も近いのか。それを確認するために今度は敢えて骨だけ残して頭部を飛ばす。

 

 なあんだ。中身はニンゲンと変わらないじゃない。

 

 リーシャはその行為だけで魔人の構造がほぼニンゲンだと確信した。ならば脳からの信号が行かなくなれば魔人共は動かなくなる。治癒能力もどうやらあるようだから、一撃で首を飛ばさなくてはならない。神経は使うが、この程度リーシャにとっては朝飯前である。早くエルを助けなくちゃ、という思考は一瞬で消し飛んだ。今はそんなことを考えている場合ではない。

 なぜなら、目の前には敵がいるからだ。リーシャにとっての怨敵が。

「――殺す」

 そう。殺さなくては。目の前の汚らわしい魔人共を殺さなくてはならない。そう念じながら大剣が振るわれる。魔人の首が飛び、やがてリーシャの大剣に血と脂が付着し始めて。斬れなくなってきたその剣を近くの井戸の汲み桶を跳ね上げて洗い流す。これでもう少し斬れるようになったから、また殺す。何度も何度もそのサイクルを繰り返して魔人共を殺していく。

 

――何のために? ふと、そう思った。何のためだったっけ。理由が分からなくともいい。どんな理由があったっていい。今殺さなければいつ殺す。次の瞬間にはリーシャ自身が殺されているかも知れないというのに。大切なのは今自分が目の前の相手を殺したいと思っていること。だから殺す。殺さなくてはいけない、ではない。殺す。自発的に、徹底的に、殺しつくす。目の前の相手なんて、殺してしまえば良い。そうすればきっと――

 

 僅かに眉を顰めたリーシャは数体の魔人の頭部を飛ばし、血だまりの中に足をつける。この血は誰のだったっけ、と考えて、反射的に周囲に集まっていた魔人を殺す。今やリーシャはただの殺戮のための機械に過ぎなかった。全ての挙動が周囲の死につながる。魔人共は畏れて近づかなくなる、ということもなくリーシャに手を出そうと襲い掛かってきている。

 

 血だまりを踏んで思考する。これは誰の血だったっけ。誰の。誰の――そうだ。彼女の。彼女って誰だったっけ。ここ最近ずっと一緒にいた子のはずだ。それって女の子だっけ、男の子だっけ。どっちでもいいや。でも、なんて言う名前だったっけ。ずっと呼んでいたはずなのに、ずっと一緒にいたはずだったのに、魔人に蹂躙された彼女の名前が思い出せない。どうして。

 

 リーシャは何だか腹が立って、魔人を殺した。

「死ね」

 名前が思い出せないのはきっと魔人のせいだ。だから死ね。その想いをこめて首を飛ばす。いつしか恐怖は消えていた。誰かが殺されたはずなのにそれも意に介さなくなっていた。死ね。その単語だけが今のリーシャの脳内を占めている。殺せば気が晴れる。殺したい。誰でも良いから、殺せばすっきりするんじゃないか。そんな狂気の淵に、今リーシャは立っていた。

 無論、それを見逃す□□□ではない。故にリーロンは間に合った。娘が狂気の淵に転がり落ちていく、その前に。目の前の惨劇に息をのみ、そしてリーロンはリーシャが剣を振るうよりも早くその場にいた全ての魔人を始末した。そこにいたリーシャは血まみれで、もう一人の少女の姿はない。その理由をリーロンが掴み兼ねて――唐突にリーシャが掴みかかってくるのを感じた。

「何で?」

 その問いの意味を、リーロンは正確に把握した。確かにこのような状態になったことはある。誰でも彼でも殺せばすっきりするんじゃないかと。こうなった時に自分は姉を殺した。完全に息の根を止めるために。これ以上、苦しませないため――いや、違う。そうじゃない。自分を半人前にするために。ただただ父に褒められたかったから。

 だが、リーシャの場合は違うようだ。リーロンはそれを察知して答えた。

「これ以上お前が殺してどうなる。何も変わらないだろう」

「それは……それ、は……」

 ついでにリーロンは近くの井戸から汲んだ水をリーシャにぶっかけた。これ以上血にまみれた娘を放置するわけにはいかない。殺戮が止んでから時間が経ったこともあり、そろそろ他人に見られてもおかしくなくなっていた。だからこそ血を洗い流すために水をぶっかけ、リーシャは濡れた袖で顔を拭ってそれに応えた。多少なりとも残っていたリーシャの理性がそうさせたのだ。

 リーシャは放心状態のまま、リーロンに連れられて自宅へと戻った。父が何を考えているかもわからないリーシャは数日寝こみ、そして次に目を醒ました時には家の中から全ての『エル』の痕跡が消されていた。その理由をリーシャが知ることはない。そして、それを始末したリーロンもその理由を知ることはなかった。

 そして、数年後――リーロンは病に倒れ、リーシャはその父を殺めて《銀》となった。共和国の要人から依頼された仕事を数件受けて、そして理解する。彼女には殺戮は向いていても殺人は向いていないのだと。何もわからず周囲の人間を殺める方が、リーシャにとっては楽だったのだと。だからリーシャは旅に出た。クロスベルへ――誰も、《銀》であれと願わないこの地へ。

 クロスベルにおいても確かに依頼は来る。それでも、格段に楽になったのは事実だ。何故なら、クロスベルで受ける依頼は――何一つとして人を殺めるような依頼などなかったのだから。

 

 そして、リーシャは運命に出会い――変わった。

 

 それは決して他人に強要されたからではない。自分の意志で変わったのだ。そう在ることを、リーシャ自身が望んだから。

 

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