雪の軌跡・リメイク 作:玻璃
その日は、ヘンリー・マクダエルが珍しく職務に追われていない日だった。エリィも休みで、執事や使用人たちにも休みを取らせて自室でゆっくりと休める日だった。昼からまったりとニガトマトジュースでも呑もうかと思っていた彼は、不意に隣に誰かが立っていることに気付いた。今この屋敷には誰もいないはず。ならばこの人影は不審者である。
マクダエル議長は誰何の声をあげた。
「誰かね? 確か、アポイントメントは受けていないはずだが」
「無論だ、ヘンリー・マクダエル議長。現状でのあなたへのアポイントメントは全てエリィ・マクダエルを通じて行われていることぐらいは知っている」
その人物は、神父の纏う僧衣を着用していた。長い銀色の髪を束ね、顔には仮面が張り付いている。声を聴いただけでは性別は分からなかったが、服装から見ればその人物は男なのだろうことがうかがわれた。すわ不審者か、とマクダエル議長は思ったが、そういう雰囲気でもない。それよりは、《七耀教会》の人物が人目を忍んで会いに来たのだとも思える。
取り敢えず、『彼』の目的を知るべくマクダエル議長は問いを発した。
「ならば何用かね?」
「協力を乞いに来た。いずれ来たる騒乱を、最小限で抑えるために。クロスベルの未来のために出来ることを」
その言葉はマクダエル議長の思うどの言葉とも違っていた。脅しか、もしくは知らないうちに所持してしまっていたアーティファクトの回収にでも来たのかと思っていたからだ。協力を、と乞われるということは何か非常事態でも起きる可能性が出て来たということに他ならない。《七耀教会》は一応アルテリアの管轄下にあるため、内政干渉にならない程度の協力はして貰えるのだろう。
そう判断してマクダエル議長は問いを重ねる。
「騒乱を抑えるために、私に何が出来るというのかね。決して立場も盤石でない私に」
「出来る。何故ならあなたはクロスベルのために生きているからだ。Mac-Do-well――クロスベルをより良くしたいと願う者よ」
マクダエル議長は目を見開いた。『彼』の語った言葉は、マクダエル議長以外知らないことだったからだ。マクダエル一族のうち、家督を継いだ者のみに伝えられる言葉。自分のためでもなく、ただクロスベルの民たちのために生きることを願われた名前。Macは『~の子』、Doは『する』、そしてwellは『良い』を意味する。かつて誰もが姓を持たなかった時代に、そう在ってくれと願われてつけられたものだ。
その語源を知る者は、少数しかいない。現代では、存在しているとしても二つの家だけだ。忘却されているのかそれを知っているとは告げられたことのないクロイス家。そして、クロスベルの民の総意をまとめて名付けた一人の女性だけだ。かつてクロスベルを治め、後継者も持たぬまま何処かに消え去った女性の子孫。いるかどうかは不明だったが、確実にいるだろうと探しに出たのがクロイス家であり、その間クロスベルを任されたのがマクダエル家だ。
故に、マクダエル議長は判断する。この人物は、信用できると。クロイス家の人間ではない。『彼』は、恐らく消え去ったあの一族の末裔なのだと。クロスベルの危機に舞い戻ってきてくれたのだ。皆を救うために。『彼』に出来ることは一つだけだ。かつてクロスベルを治めていた女性の後を継ぎ、クロスベルを独立国とせしむること。
マクダエル議長は、囁くようにその名前を口にした。
「貴方は……『デミウルゴス』?」
「……まさかその名を覚えているものがいようとは。そうだ。ああ、そうだとも。わたしは――」
その後に告げられた名前を、マクダエル議長は納得を以て受け入れた。それこそが『彼』の名前であり、クロスベルの守護者として名をはせるべき人物の名であるとはっきりわかったからだ。いずれ、『彼』を祭り上げてクロスベルを国とすることになる。そのことに、自分では対処しきれなかっただろうという罪悪感も何もない。『彼』は同志だ。何を遠慮することがあろうか。
久方ぶりに闘志の湧きたったマクダエル議長は、『彼』に告げる。
「誰が断るのです、その提案は。勿論協力させていただきますよ。決して、決してこれ以上帝国や共和国にクロスベルの民を蹂躙させるような未来はあってはならない――!」
「ああ。そのために出来ることは、それは正当な手段である限り許容しよう。クロスベル独立は間違っても不法な手段で勝ち取ってはならないものだ。誰にも文句など言わせてなるものか」
自然と『彼』に対する言葉が敬語になる。それだけのことを、『彼』の先祖はしたのだ。故にマクダエル議長は『彼』を重んじ、敬意を払うのだ。彼女の子孫であれば必ずクロスベルを平穏無事におさめてくれるのだと。語り継がれてきたクロスベルの歴史がそれを物語っている。彼女が治めた時代以外は不安定なクロスベルの状態を見て、どうして彼女が為政者に向かないなどと言えるだろうか。
久方ぶりにクロスベル全体のことに対して思考を巡らせることが出来たマクダエル議長は、不安要素を見つけた。
「それについてですが……懸念があります」
「聞こう」
尊大な『彼』の言葉に、マクダエル議長は眉一つひそめることはなかった。『彼』こそは自分が支えるべき人物なのだと分かったからだ。見つけた不安要素は将来有望な若者だが、恐らくは何をし出すか分からない爆弾でもあることを彼だけが知っている。本来であれば共にクロスベルを支えるべき人物であろうその人物は、残念ながらより良いクロスベルには必要ないのだ。
「その人物には野心があり、民からの信頼もあります。ですが……あまりに、危険な人物です」
「ああ、『彼』か……恐らくは暴走するだろうな。しかもクロスベルのためなどではなく、自分のために。アレはそういう男だ」
「一度、問われたことがあります。現状でクロスベルの独立は可能か、と。……私は不可能だと答えるしかなかった。そうしたら、彼は……失望したかのように私に告げたのです。貴男がそう思うのならばそうなのでしょう、と。あの時は特に気に留めはしませんでしたが……」
無論、今は違う。彼は野心と共にそれをやり遂げるだろうという妙な確信があった。たとえどんな手を使ったのだとしても。その方法がクロスベルの民を傷つけるやり方なのだとしても、彼は恐らくやり遂げてしまうだろう。一片の慈悲もなく、ただそうすればクロスベルが独立できるからと言って。それはやけにリアルに想像できてしまった。
そんなことはさせてはならない、とマクダエル議長は心に誓う。
「彼に、なりふり構わなくなって貰っては困るのです。未来ある有望な若者が、クロスベルを穢してその頂点に立つなどあってはならない。正当な手段ならば許容出来ます。ですが……そうでないのならば」
「どうあっても、止めねばならんな?」
「ええ、勿論ですよ。どうやらまだクロスベルにはこの老骨が必要なようですからな……気張らねば」
最後は呟くように言った言葉だったが、『彼』には聞こえたらしい。素っ気なく『彼』はマクダエル議長に告げた。
「あまり気負い過ぎないで貰いたい。大事な時に倒れては元も子もないからな」
「違いありませんな」
そうして、ヘンリー・マクダエル議長は『彼』と契約した。いずれ来たるクロスベルの破滅を最小限に抑え、より良い未来を築くために。祭り上げられる人物の、真の姿も知ることはなく。
いずれ彼は知るだろう。自らの時代が終わっても良いものなのだと。
❖
ある日。ランディ・オルランドから訓練の成果を聞き終えたソーニャ・ベルツはコーヒーで一息ついていた。《グノーシス》に犯された隊員たちも現職に復帰できそうだと考えて、少々気の緩んでいた時分。コーヒーには甘い砂糖を二つ落とし、ミルクをたっぷり入れたリラックス仕様である。それを飲んでまったりしていると、報告書にふと影が落ちた気がした。ソーニャがいぶかしげに背後を振り返っると、そこには――
「なっ……」
「敢えてコーヒーをかける必要もあるまい。いや、確かに正しい判断ではあるとは思うがね?」
ソーニャは警備隊時代に培った反射神経で、手に持ったカップごとコーヒーを背後の人物に叩きつけようとした。しかし、『彼』はあろうことかカップを掴みとり、目にもとまらぬ速さでコーヒーをカップの中に押し戻したのである。全く以て意味の分からない所業であるし、あまりに無駄のない無駄な行為だった。実力者であるのは確実だが、使いどころを間違っているような気がしてならない。
警戒したままソーニャは問うた。
「どちら様かしら? 今日は来客の予定はなかったと思うのだけど」
「突然失礼して申し訳ない。だが、あなたに話があるのだ」
誰も彼もこういう時に問う言葉は同じなのか、とその人物は思った。だが、今重要なのはソーニャとの会話であり、そこにそのようなどうでも良い言葉を付け加える必要はどこにもない。あまり時間がないのだ。下準備をするためにはもっともっと時間をかけてしかるべきだったが、それが出来ない状況に『彼』はおかれているのだから。
故に大声を上げようとするソーニャに対して『彼』は言葉を浴びせた。
「済まないが、叫ばないでくれると助かる。ランドルフ・オルランドに勝つのはそれはそれで骨だからな」
「……そう。自分の対処法は教えておいて脅しは使わない、というのは斬新ね。聞きましょう。貴方の話って何かしら?」
『彼』は告げた。これからクロスベルに降りかかるだろう災厄の話を。誰かが引き金を引き、いずれは国となるだろうことも。そして、その国を造った人物たちこそが引き金を引いた人物になるだろうと。正直に言ってソーニャ達警備隊員にはほとんど関係のない話に聞こえる。比喩表現過ぎて伝わらなかったからだ。その引き金の内容が。
実際にソーニャは『彼』に問うてみた。
「それで、その夢物語が私達に何の関係があるのかしら?」
「あるだろう? まさか、新しい国が出来て今のクロスベル警備隊が軍隊に編入されないなどということは有り得まい」
「……そういうことね。もしかして、私達もその災厄とやらの一助になってしまうのかしら?」
辛うじてそう返答しながらソーニャは思考を回転させる。もしそうなるのだとすればコレは警告であり、聞く価値のある話だ。だが、災厄とやらのために一芝居打たされるほどソーニャも新たに副司令となったダグラスも甘くはない。それならば一体何に対する警告となり得るのか。知ってしまえば後戻りは出来なくなる気がしてならないが、それでも聞かなければならない。ソーニャは警備隊員及びクロスベルの民の命を預かる司令なのだから。
だからこそ、聞かされた言葉に対して唖然とするしかなかったのだ。
「いいや。警備隊は――恐らく無能さを晒されることになるだろう。猟兵共に蹂躙され、なすすべもなくクロスベルを害された道化としてね」
「そんなまさか! ……そんな手段をとる人物が、クロスベルの頂点に立つだなんて考えるだに恐ろしいわよ。冗談も程々に――」
「冗談ではないよ。既にわたしは掴んでいるんだ。そう遠くないうちに――《黒月》だけでなく《赤い星座》もクロスベル入りする、とね」
今すぐ対策を練らなければ。ソーニャはそう感じたが、それらに対する策などあるはずがなかった。何故ならばあくまでも彼らは警備隊。軍隊ではないのだ。外囲を以てクロスベルに来たという証拠でもない限り、猟兵の侵入など止めることすら出来ない。警察でも同じだ。入ってくるものに対する警戒など出来ようはずもなかったのである。
混乱する思考をどうにか現実に復帰させ、『彼』に問う。
「……貴方の話、本当なのね?」
「このような盤面で嘘を吐く意味もあるまい。既にクロスベルの民は俎上のケルプなのだから」
ソーニャは絶句し、思考などまとめられない状態に陥った。今ここで出来ることはと自問自答し、そんなものはないと冷静な自分が答える。止められないものはどうしようもない。それならばどうすべきなのか。判断がつかない分からない。どうすればだれもが救われる未来なのかすらわからない。そもそも自分達が軍隊になってしまうことなど考えもしなかった。軍隊になったとしてどうやってやっていくのかもわからない。何もかもが、ソーニャの想像の範疇になかった。
そんなソーニャに毒を吹き込むがごとく『彼』は告げる。
「間違った方法で立てられた国には、未来などあるはずがない。ならば最初から従ったふりをして程々のところで逃げ出せば良い。それがクロスベルの民のためにもなる」
「それは……でも、そんなのは――」
「卑怯か? それならば間違った方法で立てられた国はどうなる。そちらの方が卑怯だろう。思考を強制し、十分な力を持たないままに国になったクロスベルなど早晩滅びるぞ」
そう『彼』が言った瞬間。その光景がありありとソーニャの脳裏に描き出された。次々と撃ち殺される可愛い隊員たち。背後からの巨大な機械人形に踏みつぶされ、嘆きながら犠牲になる市民。その機械人形すらもラインフォルト印の機械人形に蹂躙されていく未来。誰もが殺され、列車砲に晒される未来。幸せになれる民など、そこには誰もいなかった。
「あ……ああ……」
声にもならない声を漏らすソーニャに、『彼』は更に追い打ちをかける。
「なあ、ソーニャ・ベルツ。今のままで本当に未来があると思うな。既に火蓋は切られたのだ。導火線に着いた火は確実に爆弾に通じ、爆発する。それが分かっていてなぜ動かない?」
ソーニャはそれに答えず、歯を食いしばった。分かっていた。このままではいけないことぐらい。ならばどう動けばこの状況を脱せるのかということだけがずっとわからないままだった。だからこそ、この人物の話を聞く気にもなった。もっとも、危機的状況であることを突き付けられただけで終わりそうだが。だが、それでもソーニャは一縷の望みをかける方に動く。
「……貴方なら、その未来を変えられるとでも言うのかしら?」
「変えてみせよう。最悪の未来から、より良い未来へと。生憎わたしは表だって動けないが、そのための代理人も既に選定してある」
「なら――私も、貴方に協力しましょう。より良い未来のために。クロスベルの民のために」
「感謝する。最後に告げておこう。わたしは――」
ソーニャは『彼』の名と代理人の名を聞き、そして協力することを確約した。異変に気付いたランディが司令室に駆け込んできた時には既にそこにはソーニャしかおらず、ソーニャも異変などなかったと言い張っていたという。
そして彼女は知るだろう。自分の選択で、どれほど自分の負担が増えるのかを。
❖
「種は植え始めた。芽吹くのに時間がかかっても良い。何故なら、『わたし』が全てを代理人として行う手はずになっている。『わたし』が生きていられるのは長くても一年。そんなにかからずに死ぬだろうことだけは確実」
ふう、と溜息を吐く人影。その周辺に人はいない。当然だ。何故ならそこは一般人や不審者たちが侵入できない場所だから。そこでなら、人影は言葉を吐くことが出来た。弱音も、今後も、過去のことですら。そしてそれは全てが事実。確定された未来であることは確実なのだ。それが、誰もが望む未来につながると本人すら理解しているのだから。
それでもなお、彼女は生きることを望む。
「だから、わたしは。生きていて良いんだって実感するために、あなたに逆らうんだ。あなたはそこで見ているだけでいい。傍観者は当事者たちの戦いに口を挟んだりして来ないでよ」
そこには灯りなどない。誰かに盗聴される危険も、襲撃される恐れも。誰からの干渉も防げる場所で、彼女は決意を新たにする。
「わたしは――決めたんだから。全部、クロスベルにあげるって。もう失ってしまったものは戻らないけど、それ以外は、全部――! だから、邪魔しないでッ!」
誰にも聞かれることのない叫び。その誓いを、彼女は恐らく全うすることは出来ないだろう。その前に必ず死ぬ。『アルシェム・シエルは七耀暦1204年10月に必ず息を引き取る』ことは確定された未来なのだから。だから、彼女は決めたのだ。『最期』ぐらいは自分で選ぼうと。その結果、『アルシェム・シエル』がこの世界から消え去ったのだとしても――彼女に、選択の余地は残されていなくとも――それでもなお、足掻き続ける。それこそが人間たる証だと信じているから。
そもそも彼女はすでに何度か死を迎えている。『シエル・アストレイ』は《ハーメル》で死んだ。『シエル・マオ』は共和国で死んだ。『アルシェム・ブライト』はあの日リベールで死んだ。その『死』を、彼女はすべて受け入れてきた。そうしなければならなかったから、そうした。今回も同じだ。『アルシェム・シエル』さえ死ねばそれで問題は解決するのである。
だからこそ、彼女――『アルシェム・シエル』は、死を選ぶ。
以前書き込まれ、何を思ったのかお相手から消された感想の答えはここにあります。これが全てで、これがこのSSにおける回答とも言えますね。世間一般の死生観とは違うそれは、恐らく自分の経験から掘り下げられたものなのだと思うのです。恥ずかしいことに。
名前というのはとても大事なものだと思うのです。それを、わたしはまともに呼んでもらえたことがありません。正直に言って『読めそうに見えて読めない』名前を付けた親があまり好きでもありませんし、あだ名で呼ぶくらいなら最初からそう名付けてくれと思いました。名前で呼ばれることは自己を決定/肯定することにつながるのだと思うのです。だから、自分の名前を間違って呼ばれ続けることは良いことでもないですし、二年間担任を持った先生ですら覚えられない名前なんてほとんど価値がないとも思っています。呼ばれない名前になんて意味はない。呼ばれてこそ『自分』になれるんです。
まあ、どうでも良い話は置いておいてですね。『アルシェム』というこの話の主人公は何度も精神的に死んでいます。周囲から、あるいは□□□からぶち殺されています。だからこそ『死んでいる』わけで。肉体的には死ななくても、人間は精神的にだって死ねるのです。だからこそ、『アルシェム』は死にます。『アルシェム・シエル』は死ぬしかなくなります。だって望まれていないから。
というのが解説で、ある意味正式な回答となります。大半の人には全く関係ないのですが、感想の返信の際詳しく書けなかったことをここに記したことをご容赦いただければと思います。