雪の軌跡・リメイク 作:玻璃
《アルタイル・ロッジ》・上
その日、アルシェムは休養を与えられていた。誰もアルシェムを訪ねてくることはなく、誰も彼女の行動には目を光らせていない。だからこそ、彼女は動けるのだ。神父服を纏った星杯騎士として。仮面をつけているのは最早デフォルトである。流石に化粧をして神父服を纏うのは色々と違う上に、『エル・ストレイ』としての面識を作っておきたかったからである。
そもそも、最終的に死ぬことになる『アルシェム・シエル』という『ニンゲン』だけを周囲に見せておくわけにはいかない。『アルシェム・シエル』以外の認識を持たない限り、肉体的にも死ぬしかない。故に、そういう『役』として以前より作っていた『ニンゲン』『星杯騎士《第四位》《雪弾》エル・ストレイ』を選んだのだ。最終的にはその『役』も消え去るのだろうが、その時までに確固たる『ニンゲン』を確立し、保護できるだけの力を得ねばならないのだ。
本来来るはずの《第五位》には、遅れて来るように通達した。無論接触時間を減らして不審に思われる時間を最低限にしたいという邪な思惑しかないのだが、ケビンはそれを呑んだ。どうやら通話した当時、リースに財布として使われてしまっていたようなのである。どうせ間に合わないのは目に見えていたので、これ幸いと快諾するしかなかった。その結果彼の分厚い財布が薄くなるのは当然のことだが。
故にアルシェムは現在は一課所属のロイド・バニングスとそれを監督しに来たアレックス・ダドリー、クロスベル警備隊からノエル・シーカー、そしてお目付け役に遊撃士アリオス・マクレインと顔を合わせる羽目になっているのである。いくら面通しをしたいからとはいえ、このメンバーは酷い。正直に言ってアルシェムはアリオスとの面識は作りたくなかったのだが、ダドリーとは顔を合わせておいた方がいいと思った結果こういう暴挙に出るしかなかったのである。もっとも、仮面は被っているが。
それでも《アルタイル・ロッジ》とアリオスとの組み合わせは嫌でもあの時を思い出させて気が重かった。
「……やはりまだ《異界化》しているか」
以前来た時もまた《異界化》していたその場所は、現在もやはり同じように上位三属性を弱点に持つ魔獣が徘徊していた。何もかもが懐かしく、何もかもを破壊したい衝動に駆られるアルシェム。しかし、そうするわけにはいかないのだ。一応今のところ『エル・ストレイ』にはここを破壊して良い正当な理由などないのだから。ここにアーネスト・ライズとハルトマンが逃げ込んでいるという時点で最早破壊工作など出来ないのである。
アルシェムの機嫌が悪いのを察したのか、ダドリーが顔色を窺って声をかけて来た。
「……ストレイ卿はここに来たことがあるのか?」
その反応にアルシェムは少々思考を巡らせた。ある、と応えるのは簡単だ。ただしいつ、と聞かれると非常に困る。ここに来たのは二度だけなのだから。被検体として、そして《銀の吹雪》として。それ以外には公式記録では来たことがない。しかも、先述したように『エル・ストレイ』としてここに来たことは一度もないことになっているのだから。
故にアルシェムはこう答えるしかなかった。
「報告書は読んだ上で来ている。状況を把握しているのは当然のことだとは思わないか、アレックス・ダドリー?」
「それは、そうだが……」
釈然としない顔をするダドリー。当然だろう。彼は本能で『彼』が――ダドリーの認識では今現在アルシェムは神父、つまり男である――誰なのかを察知しているのだから。カン、と言えば良いのか。それとも第六感と言えば良いのか。とにかく、ダドリーは説明の出来ないところで『彼』が知っている人物であることをほぼ確信していたのである。
と、そこでアリオスが口を開いた。
「ならば、我々と共にここに《身喰らう蛇》のメンバーが侵入したことは知っているわけだな?」
言いよどむダドリーの後を引き継ぐかのように魔獣を蹴散らしながら問う。なお、ロイド達も誰も彼もが魔獣と戦いながらの会話である。勿論アルシェムは導力銃などというモノは使っていないうえに棒術具も使っていない。独特な技法が必要になると周知されている法剣を使っているのだ。扱いづらくて仕方がないが、慣れるのも早いのは分かっているので我慢して使い続けていた。
その問いにアルシェムは答えた。
「ああ、シエル・アストレイ――今はアルシェム・シエルというのだったか。無論知っているが、それが何か?」
「彼女はもう、闇に堕ちる可能性はないのか?」
闇に堕ちるって厨二病かよ、とアルシェムは思ったが、敢えて口には出さなかった。その代わりにアリオスとその背後にいるであろう人物たちに釘を刺すべく情報を開示することにする。そうすれば多少なりとも『彼ら』の動きは不自然になるはずなのだ。一応『元遊撃士のアルシェム・シエル』の有能さは彼らにも知れ渡ってしまっているのだから。
アルシェムは自分のことではあるがさも他人事であるかのように返す。
「ないな。裏に戻ろうとした瞬間、彼女は『アルシェム・シエル』として生きた全ての記憶を失うだろうよ。……七耀教会の方で、というよりも我々の手でそういう暗示をかけてある」
それに顕著に反応したのはロイドだった。一応は仲間にそんな悪辣な暗示をかけられていることに我慢がならなかったのだろう。敵意を向けて来るさまは、至極滑稽で笑えた。本当はそんな暗示など掛けられてもいないし、そもそも自分で自分にどころか他人に対してさえ暗示をかけられないデキソコナイの星杯騎士にそれを求められるのも愉快でしかない。
ロイドは敵意を多少は抑えて問うてきた。
「……それを、アルは知っているんですか?」
その問いを、アルシェムはむしろ驚きとともに受け止めた。まさかそんな問いが返ってくるとは思ってもみなかったのだ。『ロイド・バニングスにとってアルシェム・シエルは気遣うべき人間ではない』。それを理解しているからこそ、アルシェムは居心地の悪そうな顔になる。気遣われたくなどない。それも、選択肢を一歩間違えば『アルシェム・シエル』が窮地に陥らされるだろうと分かっていないような人間には。
感情を殺し、アルシェムは淡々と答える。
「むしろ彼女の方からそう望んだ。……そもそもお前に彼女の選択に口出しする権利があると思っているのか、ロイド・バニングス?」
「一応、アルも特務支援課のメンバーですから。リーダーとしてはメンバーのことを気に掛けるのは当然のことじゃないですか?」
その返答に、アルシェムは鼻で笑うことで返した。特務支援課のメンバーだからなんだというのか。リーダーだからと言ってメンバーの事情に土足で踏み入ることなど赦されていいはずがない。自分の発言の結果アルシェムがどういう状態に置かれるかすら理解していない、責任をとれるわけでもない輩に、とやかく言われるのは気に喰わないのだ。
故に――そのいら立ちが何を生むのかと言われると、答えは一つしかない。
「あ」
間の抜けた声と共に踏み抜かれた道は、そのまま崩れ始めたのである。その崩壊から逃れようとした一同は、先に進んでしまったダドリーとアリオス、後退することで避けたロイドとノエルの二組に分かれてしまった。半分以上はアルシェムのせいだが、そもそも老朽化していたので仕方ない面もあった、と自分を納得させたアルシェムは特殊オーブメント《LAYLA》を駆動させて分け身をアリオス達の方へと向かわせた。
そしてしれっとこういうのである。
「どうやら分断されたようだな。一応迂回路があるようだから、そちらから逃げられんように回るか」
その無駄にすっきりしたかのような顔――なお仮面で隠れている――を見せつけたアルシェムにロイド達は引き攣った顔を見せた。ノエルはその怪力具合に。ロイドはそのごまかし具合に慄いていたのである。アルシェムは一瞬やってしまった、と思ったのだが、やってしまったものは仕方がないと思い直す。時間は巻き戻らない。巻き戻すことなどあってはならないのだから。
引き攣った顔でノエルが声を漏らす。
「え、ええ……」
「今、踏み抜い……いや、何でもありません」
ロイドは何かを言いかけたが、アルシェムの視線を受けてやめた。こういう時は何を言っても無駄だと何となくわかっているからだ。ロイドも『彼』が本能的に誰なのかを察知しているのだから。言っても無駄だというのはこれまでの経験則である。しかし、ロイドはそれを口にすることはなかった。そのまま一同は特に会話もなく進む。アルシェムは懐かしさと共に嫌悪を覚えているが、それを表に出すことはついぞなかった。
ただし、言葉だけは漏れ出てしまったようだ。
「……魔人は、流石に残っていないようだな」
「ここにもいたんですか?」
ノエルがそう問うと、アルシェムはわずかに口角をひきつらせた。そもそもノエルが魔人について知っていたかどうか記憶にないのだ。ロイド達が遭遇していただろうことは想定できているが、ノエルに関しては一切わからない。もっとも、ノエルはノエルでソーニャから過日の顛末について聞かされており、ロイド達の報告書にも目を通していたので概要くらいは知っている。
しかし、答えを返さないわけにはいかないのでアルシェムは言葉を返した。
「むしろいなかった方がおかしいだろう。ここには無数の子供達が集められ、毎日《グノーシス》を投与され続けていたのだから。その中で魔人に変化してしまった子供達もいた。研究者共も《グノーシス》を呑んで魔人と化し、子供達の逃亡を防いでいた。いわばここは魔人共の楽園だったわけだな」
遠い目でアルシェムはそう言った。当時はそこらじゅうに魔人が闊歩し、誰も逃げられないように管理されていた。魔人化してしまった子供達は一か所に固められて耐久性などの実験を行われ、魂切るような絶叫と共に息絶えていったのをアルシェムの魂が覚えている。決して忘れられない悲痛な叫び。今夜は悪夢確定だな、と半ばあきらめたようにアルシェムは思った。
それにロイドがこう返してきた。
「まるで見てきたように言うんですね?」
猜疑心たっぷりの言葉に、アルシェムは当たり障りのない答えを返すことを選ぶ。
「……アルテリアは決して綺麗なだけの国ではないということだ。わたし達のような暗部がいるくらいにはな」
無論、この言葉には全く意味はない。確かにアルテリアからは《拠点》を割り出すために多数のシスター見習いたちが生贄として送り込まれていた。だが、アルシェムは当時囚われていた側であって救出のために場所を割り出す側ではなかったのだ。しかも救われたのは七耀教会ではなく《身喰らう蛇》にだ。全く以て関係のない事柄をさも自分のことのように語ることで、アルシェムは自身の正体が割られることを防ごうとしていた。
案の定ロイドはそれに引っかかったようで、険しい顔をして声を漏らす。
「それは……」
そこから妙な問いを思いつかれても困るので、アルシェムは開示して良い情報を脳内でまとめた。既に明かされている《銀の吹雪》系統の会話であればロイドの興味を引け、なおかつ問いを思いつかれても対応できるだろう。何せ自分のことである。誤魔化すにしろ何に城跡で整合性が取れない事態には陥りはしないだろう。記憶力が落ちていなければ、だが。
それ故にアルシェムはロイドにこう告げる。
「ああ、因みに《アルタイル・ロッジ》の話ではないよ。ここは特殊でね。《銀の吹雪》と当時名乗っていた『シエル・アストレイ』――アルシェム・シエルからもたらされた情報で解放されたのだ」
「それは理解してますけど……」
それでもまだ釈然としない顔をしているロイドに、アルシェムは渋い顔をする。このままこの会話を続けて何の意味があるというのだろうか。いや、ない。そうわかっているからこそ早目に話を切り上げたいにも拘らず、ロイドは器用にも戦闘しながら会話を続けにかかるのだ。まるで何かを確かめるかのように。何かを恐れ、それが実現してしまうことを恐れているかのように。
その恐怖を、最深部近くまで来てようやくロイドは吐き出した。
「その……」
「何だ?」
「アルは……魔人には、ならないんですよね?」
アルシェムは思わぬところの心配に思わず素ではぁ? と返しそうになってしまって堪えた。そんなことがあってたまるものか。そもそもアルシェムは『アルシェム・シエル=デミウルゴス』。
故に、アルシェムは答えに困り――そして、こう答えるしかなかった。
「無理だ。そもそも彼女に魔人になれる素養はないからな」
「ほかの子供達やアーネストさんにはあるのに、ですか?」
ロイドの問いにアルシェムは悩む羽目になった。当然、アルシェム自身が魔人となるためにはある程度の手順を踏む必要がある。確かになれないとは言わないが、なるために支払う労力を考えればなる意味はない。魔人化すればそれこそ地面を素で割れるだろう。そんな怪力を通り越した剛力女子の需要は全く以てないわけであるが。そもそもなるつもりがないのでどう説明すべきなのか悩んだのだ。
時間稼ぎのためにアルシェムは悩んだ声を上げる。
「そうだな……どう説明したものか」
アルシェムは考え込み、足を止める。脳内ではどう誤魔化すかを考えるのに必死である。いくら魔人になる気がないからとはいえ、簡単に説明できる『完全な耐性があるからだ』、とは流石に答えられないのである。何故そうなってしまっているのかを説明できないから。故にアルシェムは多少苦しくても答えをひねり出すことしか出来ないのである。
考えをまとめながらアルシェムはロイドに向けて告げる。
「そもそも彼女に異常なほどの《グノーシス》耐性があるのは知っているな?」
「ええ……他人の物まで吸収してギリギリだと言っていましたから、それぐらいは」
そんなことは覚えていなくて良い、と思わず突っ込みかけたが、そこがロイドの特徴ともいえる。細かいことを覚えていて、そこから違和感を洗い出す。全ての違和感を繋ぎ合わせて納得のいく答えを出せば、ほとんどの場合それが正解なのだから。その導き方に文句をつけるつもりもなければ、洗練されてくれればなお良いと思っているので敢えてそうは言わなかった。
代わりに解説を始める。
「まだ《グノーシス》についての研究が進んでいるわけではないからはっきりしたことは言えんが……いくつかの証言から魔人化する原因は特定している」
因みに今から語ろうとしているのは事実だ。何の虚飾もなく、誇張もない。それは《グノーシス》に多少深入りをした人間ならば知っていてもおかしくない情報だった。たとえばティオでも経験則で知っているだろうし、《七耀教会》で興味を持って調べればそのくらいはすぐに閲覧できる情報でもある。その報告をしたのは《七耀教会》から《拠点》に送り込まれたメルだ。
指を立て、アルシェムは原因を述べる。
「まず、《グノーシス》は第六感と呼ばれるものを拡張していく。妙に勘が鋭くなったり、他人の感情を読み取れるようになっていくのが特徴だ。しかし、そもそもそこに辿り着くまでに精神が保たなかった者――要するに、意志の弱かったものは魔人化していった。恐らく精神を拡張できなくなったから肉体を拡張し、結果見るも悍ましい怪物と化していくのだ」
「それが魔人化の正体、というわけですか……」
「ああ。アルシェム・シエルは意志が強固だったようでな。どこまで《グノーシス》漬けにしても激痛にさいなまれるだけで正気を保っていたらしい」
正確に言えば『正気で在らされ続けていた』のだが、それをロイド達に告げても何の意味もないことだ。ロイド達にはアルシェムのことなど理解しようがないし、理解されたいとも願っていないのだから。だが、同情される要素は十分に詰まっていたらしい。そんな感情が色濃く見えた。
アルシェムは更に言葉を続ける。
「因みに、恐らくないとは思うが何があってもティオ・プラトーには二度と《グノーシス》を呑ませるなよ?」
「呑ませませんよ!?」
「普通なら呑ませんだろう。だが、何があっても、だ。たとえ人外の力を使わなくてはならない状況において《グノーシス》が彼女の手にあったのだとしても、たとえそうしなければ死ぬかもしれない状況であったのだとしても、決して呑ませるな」
その理由をアルシェムは巧妙に隠すことにする。彼女には素質がある。だが、それを敢えて引き出させるわけにはいかないのだ。『アルシェム・シエル』の――『アルシェム・シエル=デミウルゴス』の正体を最後まで伏せておくために。
そして、アルシェムは偽りの理由をロイド達に告げた。
「恐らく、次に大量摂取すれば――《魔人化》から戻ることは出来なくなるだろう」
「――ッ! 分かり、ました……」
あまりの事実に衝撃を受けたのか、防御が多少疎かになるロイド。そんな彼にアルシェムは気を引き締めさせるように告げた。
「この先に人間の気配がする。恐らくはアーネスト・ライズとハルトマンだろう。……気を引き締めろ」
「は、はいっ!」
そして、三人は最奥部に突入した。