雪の軌跡・リメイク 作:玻璃
アルタイル市から一足早く戻ったアルシェムは、いつも通りの格好に戻って階下でくつろいでいた。先ほどまで出かけていました、などという痕跡は全て消してあるのである。当然、誰もアルシェムがアルタイル市から帰ってきたところだなどとは思いもしなかった。もっとも、レンはアルシェムが出かけていた先もその目的までも知っていたのだが。
紅茶を淹れ、ゆっくりとくつろいでいるとしばらくしてロイド達が帰ってきた。どうやらケビンとの話はひと段落ついたらしい。非情に複雑な顔をしてアルシェムを見る様は、ある意味滑稽でもあった。哀れまれる必要もなければ彼らに感情を割かせるほどの価値のない『人形』に、敢えて無駄な感情を向けているのだ。これを笑わずしてどう対応すべきか。
もっとも、アルシェムはそれをおくびにも出すことはなく問いを発した。
「で、どーだった? ハルトマンの糞野郎……おっと、糞野郎と元秘書、捕まえられた?」
「アルシェムさん……それ、全く以て言い直せてませんよ?」
「言い直す気ないもん。で?」
呆れたように返すノエルにそう催促してみれば、実に報告書チックに成果を語ってくれた。アルシェムはその途中経過になど興味はない。最終的にケビンとどういう話をしたのかを聞ければそれで良かったのだ。何か余計なことを吹き込まれていなければそれで良いのだが、もしも何かしらの伝言なり何なりを伝えるよう言われているのならば面倒だ。
そして、その考えは杞憂ではなかったようだった。
「それで、グラハム卿がアルシェムさんによろしく伝えるようにとおっしゃっていました」
「……えー……よろしくされたくないなー……」
「知り合いなのか?」
明らかに面倒そうな顔をするアルシェムにロイドが問うた。どう見ても顔見知り以上の知り合いであることは確実だろう。問題は、それがどういう知り合いであるかだ。敵としてなのか、味方としてなのか。あるいは同類としてなのか――それを、ロイドはこの問いで確かめようとしていた。『ストレイ卿』から示唆されていたように、アルシェムが《星杯騎士》に関係がある可能性がある以上、多少は明かしてくれても良いのではないかと思っているだけに。
そして、アルシェムはその答えを返した。
「まー、知り合いではあるね。《リベールの異変》を解決するときに一役買ったのがあのネギだし」
「いや、ネギって……ブフッ」
そのあまりにもインパクトのある答えにロイドは思わず吹き出してしまった。確かに見えなくはない。頭部が緑色の髪。そして下に白い神父服を着ていれば最早そういう風にしか見られない。そして、そのインパクトに思わず聞こうとしていたはずのことが吹っ飛んでしまっていた。確かにネギである。紛うことなくネギである。お鍋にぶち込みたくなるほどにネギである。
ロイド達が笑いをこらえていると、突然先日新しく支給されたばかりのアルシェムの《ENIGMAⅡ》が鳴った。
「はいアルシェム・シエル……は? 何でお前がこの番号知ってるわけ? ……いや、うん。もうそこについては聞かないことにする……で? 用件は?」
通話を始めたアルシェムに、内容を聞き取ろうとは思わないロイド達は耳を澄ませはしなかった。しかし、アルシェムが用件を問うたところで何故か寒気を感じた。寒気というよりもコレは殺気だ。それに気付いた時にはもう遅い。アルシェムはその場から立ち上がり、近くにいたレンに目くばせしていたのだから。レンもそれを察し、立ち上がった。
そのただならぬ様子にロイドは声を潜めてレンに問う。
「その、レン。あの通話は……」
「うふふ、女の子の秘密を聞きたいの? そういうのは後で聞いた方が良いわよ。多分死ぬことはないし傷つくこともないでしょうから」
「えっ……」
レンの物騒な発言にアルシェム達を止めようとしたが既に遅い。
「ごめんロイド、ちょっと出かけて来る。確認しないといけないことがあって……ただ、ロイド達の速度じゃ間に合わないから着いて来ても無駄だからね」
「あ、おい、アル……!」
その制止も聞かず、アルシェムはレンと連れ立って支援課ビルから飛び出した。人目をはばかり、目立たないところを急いでマインツ山道へと急ぐ。指定の場所は廃坑の前だ。そこに、緑色の髪の少年と思しき人影が待ち受けていた。無論のことながら、今現在クロスベルに潜入中の《第八位》《碧の聖典》ワジ・ヘミスフィアではない。もう一人の緑の髪の持ち主だ。
その人物はアルシェム達に気安く声をかけた。
「やっほー、久し振りだね《銀の吹雪》に《殲滅天使》。来てくれたってことは協力してくれる気はあるってことなのかな?」
ふざけてそういうカンパネルラにアルシェムとレンは冷たい言葉を返した。
「そんな訳ないじゃない。死ぬの? ねえ、死んでみたいの?」
「黙れUMA。死ね。むしろ死ね」
「いや、君達ねえ。特にシエル、それ『むしろ』って使ってる意味ないからね!? 同じ単語だからね!?」
そう突っ込んだUMAこと《身喰らう蛇》所属《執行者》No.0《道化師》カンパネルラはその飄々とした雰囲気を一切損なわなかった。それが気に喰わなくてアルシェムは全力のグーパンチをお見舞いする。しかし不意打ち気味ではあったというのに手ごたえは一切なかった。どうやらここにいるのは幻影らしい。そもそも本体がどこにいるのかを知らない/察してはいるアルシェムは苛立って仕方がない。
この気配は、どこかで感じたことのある気配だ。そう思って睨みつけてみてもカンパネルラの態度は変わらない。へらへらと軽薄に笑い、こちらを煙に巻こうとするのはいつものことだ。それでも、アルシェムは騙されなかった。ある種の確信を以て彼に相対しているアルシェムには、その気配が誰であるのかもう分かっている。もう知らなかったでは済ませられない立場だから。
自身の秘密の一端を知られたとはつゆほども思っていないカンパネルラが笑みを浮かべたまま問う。
「いやー、相変わらずだね。で、答えは?」
その問いに、まずはレンが答えた。
「協力なんてするわけがないでしょう? 人間の心の機微さえわからないなんて、流石は信用がナンバーと同じ馬鹿ね」
その返答にカンパネルラは顔をしかめた。
「レン? 君の発言も色々と酷くない?」
「あら、自覚はあるでしょう?」
「ある訳ないと思わない?」
そこで火花が散りかけたが、カンパネルラは自制した。今ここでアルシェムとレン――《銀の吹雪》と《殲滅天使》を敵に回すことほど馬鹿らしいことはない。ここにいる幻影は残念ながら戦闘能力などほぼないのだから。そもそも『本体』と呼ぶべきモノは、一切の戦闘能力を持たないのだからそもそも『戦闘能力のある』状態の方がオカシイのだが。
故に目線でアルシェムに問うてみれば、こう返される。
「断固拒否。というか《身喰らう蛇》なんてそのうち壊滅させてやるから首を洗って待ってろ」
「……そう。好きにすれば良いけど、僕達はいつでも待ってるからね? 君達に本当の意味で帰る場所なんてもうないんだから」
底意地の悪い笑みでそう告げたカンパネルラは、そのまま役目を終えて消えようとする。しかし、幻影を消すだけだというのにそれは叶わなかった。その理由は――
「まだこっちの用件は終わっちゃいないんだけど?」
その言葉を吐いたアルシェムにあった。しかし、カンパネルラはその理由を知らない。分からない。知ることすらできない。本体ならば知っていてしかるべき情報を、その幻影には与えられていないのだから。カンパネルラ、即ち『鐘』を意味するその幻影は、ただ『計画』の開始を告げる『ベル』でしかない。それ以外の情報はいらないし必要もない。
そして、ある意味では『計画』を始めるためにも、『歴史』を動かすためにも、その『ベル』を鳴らさなければならない。それが決まりだ。この『ゼムリア大陸』におけるすべての事柄を開始するために観測するための器官を、働かせなければならないのだ。そうしなければ、『歴史』は動かないから。それならばいっそ、宣言させるのではなく――
「ほら、これはさ? あんたらの思い通りにはさせないっていう宣戦布告。あんたには分からないだろうけど、『カンパネルラ』に伝われば何の問題もないから」
宣言すればいいのだ。その幻影の肉体の死を以て。手ごたえがない? だからどうした。それを覆せるだけのものを、既にアルシェムは手にしている。否、『手にさせられている』のだ。『歴史』の蠢動を皆に告げる鐘たるカンパネルラの幻影は、徐々に自身が凍りつくように錯覚した。そして、極限まで寒くなって――何も感じられなくなるその直前。
「帰る場所ってのはね、カンパネルラ。在るものじゃない。作るモノなんだよ。特に、わたしみたいな破綻した『ニンゲン』にとってはね」
アルシェムの――『アルシェム・シエル=デミウルゴス』のその声が聞こえたと同時にカンパネルラの幻影は消滅した。与えられた役割から逸脱し、『出現』する『条件』を満たせなくなってしまったから。もっとも、アルシェム達にとってカンパネルラがどうなろうが知ったことでもなければ興味もないため、消えたことに何ら疑問も抱かなかったのだが。
その宣戦布告を終えたのち、アルシェムとレンは一度クロスベル市内へと戻った。他にやることもなかったため、特務支援課として動くべきだと思ったからだ。それに、『仕込み』の終わった彼らがそろそろ動き始めるころだ。それを見守り、もしくは手助けすることはアルシェムの目的の成就のためには有用である。そのために市内を巡回してみれば――
「あら、そこのお兄さん」
「な、何だ? 何か用かガキ」
「その財布、すったわね? ほら、出しなさい。今なら捕まえるだけにしてあげるから」
市内で連続して犯行に及んでいたスリ犯を見つけてみたり。
「はいはい、ほら、そこのおっさん。カツアゲなんてしないの」
「テメェに関係あるかメスガキィ! テメェも財布出せや!」
「はい恐喝の現行犯ねー。警察官に暴言吐いちゃダメでしょ全く……」
どう見ても堅気ではない中年男性がカツアゲをしていたり。
「このおもちゃのせいでうちの子が怪我をしたのよ!? 慰謝料を払って貰わないと気が済まないわ! ざっと百万ミラほどね!」
「その怪我、百万ミラかけて治すようなものじゃないっていうか……いや、怪我なんてしてないし、その子」
「あんた何様!?」
「警察官様だっつーの。脅迫の現行犯で逮捕ね、オバサン」
明らかに富豪に見える女性が超絶肥満体の子供を連れて脅迫していたりと、実に様々な案件であふれていた。やはり、裏を押さえていた《ルバーチェ》が消えたことで治安が悪化しているようだ。一見何の関係もなさそうに見えるが、スリ犯は《ルバーチェ》がいたころにはおおっぴらには出来ず、カツアゲの現行犯は元《ルバーチェ》構成員だったことが判明し、脅迫していた女性は《ルバーチェ》を通して献金を受けていたらしい。その《ルバーチェ》がなくなったことにより、やむを得ず犯罪に走ったパターンが増えてきているのだ。
その悪化してしまった治安の様子を見てレンが小さく洩らす。
「……裏を抑える人が必要なのね、やっぱり」
「だからと言って《ルバーチェ》が潰れなかった方がいいなんてことはないけど……」
アルシェムはその言葉に普通に返答し、一瞬だけ思案した。このクロスベルの裏を抑えるべき人材を探す必要があるかと。結論は簡単だ。いるかいないかと問われればいる。それも、とっておきの人材が。しかし、その人物をその役に当てるためには《七耀教会》に正面切って喧嘩を売らなければならないのだ。その人物の名は、ワジ・ヘミスフィアというからにして。
裏を取りまとめるべき人材は、適度に賢くなければならない。適度に弱点を持ち、適度に他人に非情になれなければならない。ならばいっそそうプログラムされた機械人形でも構わないわけだが、人間の人材がいるのならばそちらの方が望ましいに決まっている。機械に支配される人間など、《輝く環》とリベールの祖たちだけで十分である。
アルシェム達は市内に増えた不審人物たちを取り締まりながら支援課ビルへと戻った。すると、正面玄関前でエリィに出迎えられる。
「おかえりなさい、アル、レン」
「どったの、エリィ。珍しーね? 出迎えなんて」
「……ちょっと、話があるのよ。貴女達にね」
とぼけたようにアルシェムが問うと、エリィは歯切れの悪そうな様子を見せながらアルシェムとレンをエリィの部屋へと誘った。当然、他のメンツはそこには混ざっていない。エリィが個人的にアルシェムとレンに用事があったからだ。それをロイド達に聞かせるのもどうかと思ったため、こういう形になったのである。無論、既に話に大きくかかわる少女――キーアには絶対に入って来ないようにと厳命してある。
そして、エリィは二人に紅茶を振る舞うと本題に入った。
「……キーアちゃんのことなんだけど」
「え、わたしにあのクソガキのことで何か言うことあるの?」
アルシェムのあまりの回答にエリィは頭を押さえながらこう答えた。
「クソガキじゃなくてキーアちゃん、よ。ねえ、その態度はどうにかならないの? 二人とも、妙にキーアちゃんに冷たいでしょう」
エリィの言葉にアルシェムは盛大に顔をしかめ、レンは目を細めてエリィを睨みつけた。そこに愛想などというモノはない。レンにとってキーアとは敵であり、大切な人を害する存在なのだから。アルシェムにとってのキーアは言わずもがなである。キーアのことを好きになれる要素など、アルシェムには見つけられなかった。たとえ彼女が『誰からも愛される』才能を持っていたのだとしても。
故に答えはこうだ。
「無理」
「嫌よ。レン、アレに使う心の余裕なんて持ち合わせてないわ」
「レン……アレって呼ぶのは止めて」
「あんなの、アレで充分よ。あんな、自分のしてることの分かってないガキなんて……」
レンが拳を握りしめる。その強さは優に手の皮を破る以上だ。それを察したアルシェムは、レンの手を握ってその拳をほどいてやった。こんなくだらないことのために手を怪我することほど無意味なことはないと、そう思うからだ。アルシェムはレンの言葉にも同意してしまうが。アルシェムもキーアのことなど嫌いだ。恐らくキーアがアルシェムのことなど嫌いなように。
そこまでの激しい感情に戸惑ったエリィは問いを重ねた。
「何で、そこまで……」
「わたしの目の前には一本の古臭いレールが敷かれている。そのレールを敷き、破滅の道へと向かわせようとする奴がいる。ソイツのことを、好きになれるのなら、よほどのドMだと思うよ」
「……? それは、どういう意味かしら」
アルシェムの比喩表現はエリィには一切伝わらなかったらしい。ただ、アルシェムもこれ以上のことを言えないのが実情だ。言えば消される。自分のことを愛さない人形なんて、必要ないからだ。その人形に意志があることにすら気づいていない□□□に、アルシェムは叛逆しようとしている。その前に消されてしまっては意味がないのである。
故にアルシェムははぐらかした。
「どういう意味だと思う? エリィがその答えを知った時に、わたしはそれを聞くことにするよ」
「それ、答えじゃないじゃない」
「……もっとも、その頃にわたしがその答えを知ることができるかどうかは――」
定かじゃないけど、と続いた言葉にエリィは気を取られ、アルシェムの内心には気付かなかった。感情の読めない瞳を窓の外に向け、どこかを見据えていた彼女が一体何を考えていたのかなど。エリィには一切わからなかったのだ。
今、ここでエリィがそれを察していたならば。彼女にも可能性はあっただろう。
いずれ辿りつくことになる、既知の未来で。その未来の可能性が破滅するところを見る前に。エリィ・マクダエルは同僚の死を目の当たりにすることになる。それは絶対で、この時点でそれは確定したことだった。