雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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 旧218話のリメイクです。


~《蛇》の歩む音~
新生・特務支援課のとある支援要請


 《教団》事件からしばらく経って。ようやくクロスベルも落ち着きを取り戻しつつある中、そこに不純物が混ざっていることすら知らずに皆は日常を送る。それは勿論新しくノエル・シーカーを加えたロイド・バニングス率いる新生《特務支援課》も同じであった。二人ほど例外はいるものの、そこにいる誰もが気付いてはいない。じわじわと忍び寄るより巨大な闇に。

 その闇はやがてクロスベルを覆い尽くし、クロスベルの民に災厄を振りまくだろう。それを知っているからこそ、アルシェムは足掻くのだ。たとえ自身の命がもうすぐ尽きるのだと知っていたのだとしても。燃え尽きる前のろうそくの火は、ひときわ明るく輝くこともあるのだという。そのろうそくのように、アルシェムは最後まで足掻く気でいる。

 そんなある日のこと。

「今日の支援要請は六件か……多いな」

 ロイドがそうぼやいた。勿論六件以上の支援要請をこなすこともある特務支援課であったが、ここ最近のクロスベルの落ち着きの中では珍しいことだ。《メゾン・イメルダ》に湧く魔獣に暴走車の取り締まり。マインツ山道と西クロスベル街道の手配魔獣。更に最近規格が変わった《ENIGMAⅡ》の基本講習。更には帝国情報部の人間に対する尋問など、多種多様である。

 それをロイドが割り振って、それぞれが動き始める。ロイドとエリィはマインツ山道の手配魔獣と暴走車の取り締まり。ノエルとレンは《ENIGMAⅡ》の基本講習と《メゾン・イメルダ》の魔獣退治。アルシェムは西クロスベル街道の手配魔獣と帝国情報部の人間に対する尋問、といった具合だ。アルシェムの比重が位置的に多いようにも思われるが、これまでの実績から考えて手配魔獣がすぐに終わってしまうのは明白であるためこういう形になったようだ。

 誰も待つ必要のないアルシェムは、早速西クロスベル街道へと向かった。そして――

「えっ……ちょ、流石に一応『一般人』名乗りたいならそれは……」

 そこにいる不審者を見つけた。困惑の色を浮かべるアルシェムだったが、その人物が二振りの斧を振りかぶって手配魔獣に襲い掛かろうとしているのを見て流石に介入せざるを得なかった。ここでその人物に弱みを見せて足元を見られるくらいならば、弱みなどみせないようにすべきだろう。何故なら彼は猟兵であり、《赤い星座》を今現在率いている男なのだから。

 その男の得物が手配魔獣に触れるよりも前に、アルシェムは全ての手配魔獣を狩りきっていた。振り下ろした斧があまりにも手ごたえを感じさせなかったことに眉を寄せた男は、今更のようにアルシェムに気付く。男がアルシェムの気配に気づかなかったのは、彼女が気配を殺していたからだ。それでも、多少遅れてであってもアルシェムを視認できた男は一般人では有り得ない。

 その男が機先を制する前に、アルシェムは言葉を吐きだした。

「あのさ、遊撃士でも警察でも自警団でもない『一般人』が手配魔獣を狩ろうだなんてしないで貰えないかな? 怪我したって自己責任だよ?」

 それに男は鼻を鳴らして返答する。

「フン、遊撃士はともかく警察や自警団に何が出来るってんだ。クロスベルの警察は無能だと有名だがな?」

 最後の方はにやにやと笑って言う始末だ。確かにクロスベル警察のことを知っていればその言葉が出るだろう。特に、《特務支援課》を調べて来ているこの男には。もっとも、アルシェムが《特務支援課》の一員だとあまり周知・認識されていないというのもあるが。どちらかと言えば遊撃士時代の異名だけが独り歩きしているため、たまに遊撃士だと間違われるのである。警察の紋章を身に着けていても、だ。

 故にアルシェムは敢えて彼の素性に突っ込んだ。

「そりゃー、あんたと比べれば誰でも力不足にはなるでしょーよ、《赤い星座》団長《赤の戦鬼》シグムント・オルランド」

「……ほう?」

「何しに来た、とわたしはここで問うべきなんだろうけど……あえてこう返してあげるよ。最終的には無駄足を踏ませてやるってね」

 剣呑な光を目に宿してそう言ったアルシェムに、シグムントは瞠目して笑い始めた。シグムントはアルシェムが誰なのかようやく思い至れたのだ。それならば全てに説明がつく。その気配の消し方も。ここに現れたことでさえ。何故なら、裏社会の人間の中では『アルシェム・シエルは《氷刹》アルシェム・ブライトであり《銀の吹雪》シエル』という方程式が成り立っているからだ。

 もっとも、その中に含まれない『アルシェム』も勿論存在する。ほとんどの人間が『アルシェム・シエル』は『エル・ストレイ』だとは知らない。たとえ知っていたのだとしても、それを口外することはないのだ。口にするリスクを負うだけの覚悟は誰にもないのだから。それを口外することはすなわち死につながる。それも、尊厳も何もない生首状態となるのだ。

 無論、シグムントはアルシェムが星杯騎士だなどとは知らない立場である。それでも現在警察官として働いている彼女が元遊撃士であり執行者であったというその事実を知るだけで愉快にもなるだろう。法の下に正義を執行する警察官と、理念の下に中立を守る遊撃士と、力の元に混沌を成す執行者。それがすべて同じ人物の経歴だというのだから。

 ようやく笑いの発作が治まったシグムントは、横目に通り過ぎるクロスベル鉄道の車両が過ぎるのを待ってアルシェムに問うた。

「……今の列車、何人乗っていた?」

「実に唐突だね。運転手が一人、車掌が一人、男が三十五人、女が十七人。少年が三人に、少女が一人。密航者の老婆が一人と密航者の青年が一人の計六十人」

 いや、何で密航者がいるんだ、と思いつつ遠い目になりそうになったアルシェムだったが、それを堪えてシグムントを睨みつける。なお、密航者の老婆は一度捕まったはずだがもう一度逃げ出して偽ブランド商をやっているようだ。実にパワフルなレディである。もう一人の密航者の青年は恐らくこれからスパイとして活動するのだろう。何しろ《クロスベル通信社》のレインズ――元リベール王国情報部のレインズなのだから。

 にやりと笑ったシグムントは、手ごたえのありそうな相手だと思いつつアルシェムにこう返答する。

「成程な。良い目をしている。流石は《氷刹》――いや、《銀の吹雪》と言ったところか」

 そう言って立ち去ろうとするシグムント。用事はその問いだけだったようだ。正直に言ってアルシェムにとっては何の実にもならない会話だったのだが、今現在何かしらの情報を無理やりむしりとるほど情報に飢えているわけではない。本来であれば見逃したくはないのだが、残念ながら法を犯しているわけではない彼を拘束することは出来ないのである。

 ただ、そのまま見逃すのは癪だったのでアルシェムは言葉をぶつけた。

「ああ、因みに――無駄足になるっていうのはランドルフのこともだからね。彼はそっちには帰らないし帰さない。だから諦めてよ」

「……フン、それは貴様が決めることじゃねえな」

 そして、シグムントはひらりと手を振ってその場から立ち去った。それをアルシェムは最大限警戒したまま見送り、そして姿と気配が消えてからクロスベル市内へと戻った。次の支援要請に向かわなければならないからだ。それも――面倒事を引き起こしそうな男の尋問に。その男に、アルシェムは会ったことがない。それでもその人物が一体どういった人物なのかぐらいは知っていた。

 レクター・アランドール。帝国大使館所属二等書記官にして、帝国情報部所属の大尉。《鉄血の子供達》の《かかし男》。そして――とある疑いのある男だ。かつて『その人物』としてならばアルシェムは対面したことがある。勿論その時は顔を合わせたというわけでもなく、お互いに仮面をかぶっていたという珍妙な出会い方だったのだが。本当に『その人物』がレクターであるという確証を、アルシェムは得なければならなかった。

 故に何故かカジノでスロットを回している彼に対してこう問いかけるのである。

「レクター・アランドールさん、ですね?」

「そうだが……お前さんは、『誰』だ?」

 スロットから目を離さないままにそう問うレクター。しかしその目にアルシェムが映っていないなどということはない。何故ならばスロットのドラムの前に張られた透明のガラスにアルシェムの姿が映り込んでおり、それに焦点を合わせているのだから。おちゃらけているように見せて相手を観察する。これは一時期ジェニス王立学園に通っていた時に身に着けた技だ。

 アルシェムは彼の問いに答えた。

「クロスベル警察特務支援課所属、アルシェム・シエルです。ご存知ですよね?」

「ああ、よーっく、知ってるよ。で、何の用かな?」

レクターはアルシェムに向き直らないままにそう問うた。真面目に問答するのは色々と面倒なことになりそうな人物が訪ねて来たな、くらいの印象でしかないため、レクターは真面目に彼女に向き合う気がないのである。いずれ《鉄血宰相》に敵対する可能性のある彼女を探らないなどという選択肢はなくなるのだろうが、今はそんなことをしている暇はないのだ。

何故なら、もう少しするとメッセンジャーが接触してくるのだ。この先一時期ではあるが契約を結ぶ《赤い星座》のメッセンジャーが。その人物と接触し、出来得る限りの手段を使って最低限のコストで最高のパフォーマンスを実現しなければならないのだ。そのためには交渉の内容を何通りも脳内でシミュレーションしなければならない。

そうやって思考実験を繰り返していたからこそ、レクターはその言葉に思わず素で反応してしまったのだ。この、アルシェムの言葉に。

 

「『過去、現在、未来。それら全てが誰かの予定調和のうちだとする。ならばその人物は?』――あんたはかつてそう問うた。わたしはその問いにこう答える。――《空の女神》と」

 

 それはかつてアルシェムに問われたもの。結社《身喰らう蛇》にいるときに、誰ともなく発された問いだ。それにそれぞれが様々な答えを返したが、ある一定の箇所だけは一致している。どうあがいても手の届かない高みにいるモノ。それが、皆の答えだった。それが実際誰であるのかと答えた人物はほぼおらず、そう答えた人物だけが《使徒》となっている。

 全てが予定調和のうちで生きているのならば、今この行動も全くの無意味なものなのだと絶望する人間もいるだろう。しかし、そうではないのだ。知ってしまうことすらも予定調和のうち。それで絶望するのも予定調和のうちなのだ。ならばいっそ知らない方が幸せであるし、知ってしまったのならば忘れる努力をすべきなのだ。全てが決まっていることなのだと知らない方が、人間は強く生きられるから。

 だがしかし、《結社》では違う。

 

「ならその《空の女神》のクソッタレな予定調和をぶち壊そうとは思わないか?」

 

 この解こそが《身喰らう蛇》において一番重要なこと。未来のために足掻く。それでどこまで破滅を逃れられるのか、というのが《身喰らう蛇》の実験であり、『計画』でもあるのだ。この問いは幾度となく繰り返されている。ぼんやりしていればうっかり出てしまいかねないほどに。故にレクターは素でそう応えてしまったのだ。それに対するアルシェムの答えはある意味哲学的な言葉であり、真実である。それは誰にとっても同じことだ。

 アルシェムの、その未来すらもみる気のない答えがこれだ。

 

「そもそもわたしの全てが予定調和で出来ている。ならばぶち壊すことすらも予定調和のうちなんじゃないの? ――《第四柱》」

 

 それは未来に絶望したままの答え。恐らく自身の行動は全て筒抜けで、最後には□□□の思い通りにしかなれないのではないかという心の弱さが出させた言葉。否、□□□だけではない。彼女以外にも、恐らくアルシェムを観察している人物がいるのだろう。そして、その期待に応えられなければ。恐らくアルシェムは存在ごと消されてしまう。

 アルシェムのまさかの答えにレクターは歯噛みして思わずこう答えてしまった。

「そりゃあそうかも知れないが……ッ!」

 レクターはそこでようやく気づいた。自らの言葉が、アルシェムの言葉を肯定してしまっていることに。要するに自身が《身喰らう蛇》の《第四柱》だと認めてしまっていることに、ようやく気付いたのだ。それに気付いた時にはもはやすべてが手遅れだった。滅多に変えない顔色を変えてアルシェムの方へと振り向けば、彼はそこに死神の鎌を幻視する。

 逃がさない。逃がすわけがない。約束した以上、《身喰らう蛇》から抜ける気のない人物たちは全て抹殺してくれよう。そんな怨念のような感情を叩きつけられ、恐慌に陥りそうになる。《白面》のいたずらで精神汚染には慣れていたはずのレクターですらこの感情をうまく処理しきることが出来ない。いずれ自身は殺されるのだろう、と怯えることしか出来ない。

 このまま狩られるかもしれない。そう思った瞬間――

 

「あ、こんなとこにいたんだ! 探したよレクター」

 

 快活な少女の声がレクターに掛けられた。その瞬間見ていたはずの死神の鎌は消え去り、そこに在るのは赤い髪の少女と、眠そうな表情をしている銀髪の女だけだ。先ほども死神の鎌は本当に幻覚だったのか、と思ってしまうほどに彼は冷や汗をかいてしまっている。常に冷静で在ろうとしてきたのに、今の自分の状態は全く以て笑えない。

 少女への返答ですらどもる始末なのだ。

「……あ、ああ……」

「? どしたの?」

「いや、何でもない……で、どうしたんだ? 結構遅かったが」

 そうやって平静を保とうとして、ふと見ればそこにいたはずの銀髪の女が消えていて思わず変な声が出そうになる。実際にアルシェムはそこにまだいるのだが、視認しているのが『者』ではなく『モノ』であると認識されている時点でそこにアルシェムは『いない』ように感じられるのである。隠形の極致ともいえる技であるが、今使う必要のない技ではある。レクターはそれを見破るだけの力は持ち合わせていないようで、微妙に殺気を送ってみても動揺するだけだ。

 だが、シャーリィはそれを看破した。

「あれ? ……何してんのお姉さん。やる気?」

「……成程、これでも察するなんて流石は《血染め》のシャーリィ。ま、残念だけど今はやり合うつもりはないし――こちらから仕掛ける気も、今はないよ」

 視線同士を絡み合わせ、互いの力量を計る。体格、見た目からわかる筋肉量。些細な動きや目線の動かし方まで。それらすべてを勘案し、アルシェムはシャーリィの力量を読み切った。対するシャーリィはアルシェムが棒術具を扱う人間であることまでは理解したが、それ以上に別の筋肉がついていることに気付いて困惑するしかない。どう見ても非効率的な筋肉のつき方はしかし、彼女にはふさわしく見える。

 すん、と鼻を鳴らしたシャーリィはそこに『あるニオイ』を嗅ぎ取った。

「……ランディ兄のニオイがする。さしずめお姉さんはランディ兄のお相手ってところかな?」

 シャーリィのそれは嗅覚というべきものを軽く凌駕する。普通に考えてアルシェムと数か月は離れているランディの体臭など分かるはずもないのだ。彼も一応は毎日シャワーを浴びていたからにして。アルシェムも以下同文である。猟兵のころからのボディソープを変えていないなどということもない。故に、シャーリィが嗅ぎ取ったのはそういう生活臭ではなかった。

 それは雰囲気ともいえるもので。たとえば共感覚者が色でその感情を認識するように、シャーリィはランディという存在に関わったという事実を臭いで認識していた。それがどんな情報を与えられていない状態であったのだとしてもシャーリィにはランディのことが分かる。それは昔からそうで、飛び散る血と硝煙の中で戦っている時であったのだとしてもシャーリィはランディを見つけてみせる自信がある。

 そして、そのシャーリィの感覚は間違ってはいなかった。

「は? 生憎、わたしは恋愛対象として見るべき生物はいないんでね」

 その返答はランディに関わっていないという返答ではなくランディと共に過ごしたことがあるという証左で。だからこそシャーリィは彼女を貶めるべく言葉を吐くのだ。一番親しくしてくれた従兄で、将来は恐らく彼と結ばれることになるのだろうという漠然とした思いがあったのだから。それを横取りされたような感覚に、シャーリィは戸惑うというよりも獲物を見つけたような表情になる。

 嘲るように、シャーリィはアルシェムに告げた。

「え、モノとしかヤれない痛い人? 流石にそれは斬新だよねぇ」

「あんたの考え方の方が流石に斬新だよ!? 全く……」

 アルシェムは盛大に溜息を吐き、確実に《赤い星座》がここに仮の本拠地を置いたと確信してその場を去った。彼らの後を追う気にもなれない。何故なら、恐らく彼らは裏社会の一等地に居を構え、事を起こすだろうからだ。その一等地がどこなのかは、昔からそこに鎮座していた《ルバーチェ》が教えてくれる。裏通りにあった《ルバーチェ》跡地。そこが恐らく本拠地となるだろう。

 そして、アルシェムは鳴動する《ENIGMAⅡ》を手に取り、次に向かうべき場所へと足を向けたのだった。


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